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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

近況

 更新休みまくりなので近況を。
 ちなみにブロガーにありがちな、mixiでばっか日記書いてるからサイトがおろそかに……ってほどmixiで日記書きまくってるわけでもないです。あと、夏コミにも参加してません。
 今週は、以前から書く書くと言っていた記事をコツコツと編集していました。
 この萌え論は、身内からは早く公表してください、みたいに言われてるんですが、試しにプリントアウトしてみるとA4用紙20枚分のボリュームが……(赤松健論の<ネギま編>よりも更に長い)。誰が読んでくれるんでしょうか……。不安です。
 近日中にアップするので、そしたら是非読んでみて下さい。


 記事を書く為の参考にいくつかエロゲーを遊んでみたり。
 漫画では花沢健吾ルサンチマン』を読破しました。感想はまた機会があれば。
 一般書籍では美輪明宏のエッセイ『人生ノート』を読了。今は自伝の『紫の履歴書』を読んでます。
 美輪さんが、ダメな父親の血を半分引いていることに絶望している女性に向かって「実は父親の遺伝なんてちっぽけなもんなんだ」と説いてやる話は一度テレビで見て衝撃を受けたことがあるんですが、改めてエッセイになっている方を読み直してもグッときます。
 BGMはずっとEelsです。

「愛し萌え」と「愛され萌え」

(今書いている記事の内容とはあんまり関係ない雑感です)
 前から思ってることなんですが、萌えオタクには「愛したい願望が強い派」と「愛されたい願望が強い派」の二派に結構別れるんじゃないかなぁ……ということ。


 ぼくは数年前からすっかり前者の性格にシフトしてしまっていて、だから「脳内彼女(妹)とかメイドが欲しい」なんてことは滅多に思わないし、リアルで女にモテないからといって特に不満も何も感じないわけです。「我愛する、故に我あり」みたいな感覚で、それ以外の欲求が薄いんです。
 でも『電波男』を読み返してみると、著者の本田さんはつくづく後者寄りの人だよなぁと。我愛される、故に我あり。萌え=脳内恋愛、という。ギャルゲーマーにはこっちのタイプが多いんじゃないでしょうか。


 この二種のタイプの萌えは、別個に分けて考えないとかなり意見がすれ違いそうなので、萌えについて語る際には意識しておくに越したことが無いと思います。*1
 あなたはどっちのタイプでしょ。

*1:例えば、後者寄りの本田透が自分の主観全開で『電波男』を書き上げているのと同様、(多分)前者寄りのササキバラ・ゴウもかなり主観で萌え論を展開していることが解るんですが、でも『電波男』はいかにも自分語りの私小説として書かれているのに、ササキバラはオタクの一般論として考えようとしているのが少し気にかかります。だからぼくと正反対のタイプであっても、より高い説得力を本田透の側から感じるわけです