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Sun 2005.08/21

萌えの入口論 解説(2)

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 全四回の解説の、二回目です。

 ちょっと今「文章力」を消耗しきってまだ回復してない状態で書いてるので、言葉が荒い所は大目に見てください。

 入口論は執筆に三週間以上かけて、綿密な編集会議までやって(何故ウェブの記事に編集会議が……)文章の完成度を高めてるんですが、こういう日記だとそうもいかず。

2:敷居と入門

 一頁目では、従来の「萌え定義」論を全て放棄し、「萌え」とはありふれた「好意的感情」の言い換え(対象を人格化した愛し方にやや偏ってはいるが)にすぎない、と、ナンセンスな定義論から解放し、その意味する所を真っ平らな状態に戻す所まで述べました。

 ですから、「入口論」を読む人は、それなりの萌え定義を個人的に持っておられるかもしれませんが、「それは一方的な難癖をなすりつける行為に等しい」「個の狭量さからくる言葉の横暴にすぎない」という言葉をマントラのように唱えて忘れてしまってほしいと思います。*1

 そこを強く踏まえた上で、二頁目からは創作物(コンテンツ)における表現論や、受け手側の受容論に近付いていきます。


■「視点」が生む入口の重要

 以下は、サルまん(*1)の「ウケる少年まんがの描き方」および「ウケる青年まんがの描き方」の回から読み取れる、H描写の優れた表現手法の実例である。


例1・・・ヒロインパンツを目撃→男性キャラ鼻血をブーと噴き出す

例2・・・ヒロインのヌードを目撃→男性キャラの股間が「ぼっきーん」という擬音と共に巨大化する


(中略)

 冷静になって想像してみてほしいのだが、仮にヒロインを可愛らしく、いやらしく描いた所で、それだけでは「ただの絵」に過ぎない。その「ただの絵」と読者を繋げ、魅力を最大限に発揮させるのは「視点」となるキャラクターリアクション芸に他ならないのである。

 この段は、超絶完成度の「SFラブコメパンツ漫画」として名高い丸川トモヒロ成恵の世界』を例にとってみると解りやすいと思います。

 成恵で描かれるパンツは非常に麻薬的な魅力があるもので、例えば手許に成恵の同人誌*2があるんですけど、そこの対談ページで「少年漫画に付き物の、チラリズムをここまでたくみに操られるともう奴隷です」と言及されていることからもその破壊力が伝わってくるんじゃないでしょうか。

 成恵が評価され始めた頃は「あからさまなパンチラを堂々とやったのが素晴らしい」「変化球萌えじゃなくていいんだ、直球で良かったんだ! 原点回帰万歳!」といった形で(全国のパンツ好きからの)絶賛を集めていたわけですが、実はこれは、パンツ自体の描き方やボディラインのタッチシチュエーションの巧みさなどもさることながら、一番堂々としていたのは「主人公の鼻血ブー」だったわけですな。

 「蛇口のように鼻血が出る」とまで言われる主人公、カズちゃんこそがこの漫画の主役であり(まぁ実際主人公なんだけど)、その「パンツ見せる→主人公鼻血ブー」を直球で(しかも嫌味も無く)描ける漫画家が当時珍しかったからこそ、丸川トモヒロは高く評価されたのです。

 実際の『成恵の世界』は、優れた「SFラブコメパンツ鼻血漫画」だったわけです。


 この「鼻血ブー」的要素の欠けたエッチ漫画が、いわゆる「グラビア漫画」と呼ばれるやつになると思います。「グラビア漫画」は全ページが細かく描き込まれたCGとかならそれなりに意味がある(絵だけの魅力で勝負できる。それこそ一般人が水着グラビア眺めるのと同じ感覚)んですが、肝腎の作画コスト節約した途端に魅力が減少する形式だろうと思います。


 その点比較対象として面白いのは赤松健の『魔法先生ネギま!』のパンチラ描写であって、この漫画キャラ達は、パンチラに対するリアクションが「軽い」んですね。背景のようにサラっと流される。主人公も大人しい10歳の子供であって、「メガネくん」役にあたるキャラはオコジョ*3ですし。むしろ主人公の可愛さに対してヒロイン鼻血を吹くくらいだという(笑)

 『A・Iが止まらない!』や『ラブひな』の頃の作画コストネギまに比べて低めであり、逆に主人公のリアクションは派手になる傾向がありました(勃起ネタがあったりもした)。

 逆にネギまでは人物の作画コストを少し上げることで、意図的に「グラビア漫画」寄りに補正していることが解ります。ラブひなも後期はその傾向が強かったですね。

 そうすることで、直接的なエッチさは薄くなるんですが、代わりに「裸はたくさん出てくるけどあんまりいやらしさを感じない漫画だ」と良く言われる効果を生んでるんだと思います。おそらく、結果的にはこの方が読者の間口(特に女性層)を広げられる結果が得られたのでしょう。

 だからこの漫画、多分、裸が出る度に鼻血を出すサブキャラが居たら大変なことになってると思いますよ(笑)。11巻で描かれた某キャラの半裸が異様にエロいのも、あれは「男性の視点」があの場所に介在していたからですしね。


 じゃあネギまに「入口」は無かったのか? という話になりそうですが、それはあくまで「エロの入口」が無かっただけで、ヒロインの内面への入口は別ルートでふんだんに用意されていたと思います。「メガネくん(オコジョ)」の活躍に加え、次々と主人公にヒロインベタベタしていくシークエンスや、ライトな泣かせエピソード、そして当然「バトル」ですね。


■メカと美少女

 ぼくは90年代オタクですから、「メカと美少女」に関しては伝聞による所が大きい為、実はあまり深く突っ込んだ言及はできません。

 ただ書きそびれたのは、「メカと美少女」と、三頁目で後述した「少女漫画読書体験」は別ルートではなく、交差していたという点ですね。そもそも「メカと美少女」の代名詞だったかがみあきら(この漫画家のことを良く知らないんだ、ぼくの世代は)は「少女漫画の世界に、メカで入口を開けた」作家だったのでしょうし。

 そこに70年代の「SF少女漫画」との関係まで含めるとややこしいんで、ここはみなさんの個人史と適当に照らし合わせて検証してください。


■性欲と美少女

 唐突に始まるエロ漫画論ですが、ここは最も書きたかったことのひとつです。

 近年のオタク論において、不当に無視され続けてきたのが「美少女漫画」というジャンルだと思います。極端に言えば、エロゲーブーム以降、エロ漫画というジャンル死滅したような書き方までもがされることがある。たまに注目されるのは売れセンの作家サブカル作家ばかりです。

 歴史的にも、吾妻ひでお大塚英志が活躍した時期が注目されることはあっても、90年代以降のエロ漫画業界はあって無きがごとし扱いを受けていると思います。*4


 例えば良く見掛けるのが、「エロ漫画では男根中心主義的な陵辱漫画が主流だったが」「エロゲーからは男性性が薄れて少女の世界が描かれるようになった」という言説で、これはなにをいわんや、と言いたい所です。

 本論でも主張しているように、女性中心の価値観(といってもフェミニズム的って意味ではない)が美少女漫画の大きな流れの中にあり、むしろエロゲーの方が「男性中心の価値観」からなかなか抜け出ることのできなかったジャンルだと思います(また、エロゲーにおいても「男根中心主義的な」陵辱ゲーが相変わらず根強く存在している点も見逃されていることが多い)。

 確かにエロゲーヴィジュアルノベル)の影響で「感動系のエロ漫画」が増えたのは事実ですが、それでも「互いに影響を与え合っていた」と捉えるべき所でしょう。


 そういった意味で、入口論の執筆中に「傷つける性」というキーワードネットで流行っていたのはタイムリーでした。ササキバラ・ゴウ氏の史観を根本から否定する意図は無いのですが、一面的な価値観に対するカウンターとして有意義だったと思います。

 永山薫氏もちょうど「エロ漫画サイドから見た場合、ササキバラゴウが指摘する傾向が見られることは確認できる。だが、それは部分でしかない」というコメントを加えており、この段を発表する後押しになってます。


 ただまぁ、ここらへんの「コアなポルノ」はライトなオタク層には受け入れられづらい所はあるでしょうね。人によっては想像したくもない世界かもしれません(ショタ萌えを知りたかったらとりあえず○○○に○をつっこめ、という理屈がまかり通る世界だし。恐ろしい)。


美少女漫画以外のメディアでは

 逆に言えばこれからは、この問題を克服したタイトルや、美少女漫画的なエッセンスを吸収した消費の仕方が今後注目されるのではないか、という予想もできる。それは実際に少しずつ現れかけているようにも思える。優れた女性視点のエロゲーが無いわけでもない。

 エロゲーに期待できるのは、『処女はお姉さまに恋してる』以降からのムーブメントでしょうか。未プレイなのですが、優れたコンセプトの作品だと思います。


 で、この「美少女漫画を読むことによる女性化」と、四頁目で後述している「出口による男性性への回帰」は対の概念になっています。

 女性化を体験することによって、「他者」についてイメージする想像力が鍛えられると同時に、女性性のポジティブな側面を手に入れることに繋がるのですが、それだけではダメだ、ということですね。

 これは最後にもっと詳しく解説しないといけない問題かもしれません。

 取り留めなくなってきたので、二頁目についてはここまでです。


(「3:梯子から内面へ」の解説に続きます)

http://d.hatena.ne.jp/izumino/20050822#p1

ネギま!で遊ぶ更新

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 11巻読んだ人向けの記事です。本誌連載のネタバレは無いので、コミックス派の人はこの機会にどうぞ。

ネギまのバトルとアンケート人気問題

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 ちょっと私見を書いておきます。

 104話のアンケートが良かったのは、読者の「安心感」と「期待感」が作用していたんじゃないかと思います。

 つまり、「あからさまなラブコメは恥ずかしいからもう見たくない、少年漫画にくるまれた萌えが見たい」という、一般層からマニア層、若年層を含む広い層からの要求があって、ここ最近のバトル路線はそういった層が「こういうスタイルなら安心して読めるな」という感触から「期待票」をポンと入れた公算が高いと思います(その話が特別面白かったわけではなく、このまま行ってくれ、という意味で)。

 どの層も、オタクっぽさに抵抗感があったり(一般層)、逆に「少年漫画」にある種のステータスを求めたり(マニア層)、背伸びしたかったり(若年層)するんでしょう。あとはノイズとして、「元々好きじゃないけど、パッと見の気持ち悪さは無くなったから入れてやるか」的な(生暖かい)同情票もある感じでしょうか。


 でも結局彼らはラブコメが見たくてしょうがないわけで、「俺はラブコメだけを目当てにして読んでるわけじゃないんだ」という気取ったポーズとは裏腹に「バトルの合間から滲み出るラブコメ」を期待していることも間違いないと思います。それこそ、女の子に興味はあるけど無関心なフリする小学生の心理、みたいな。

 萌えがあくまで「添え物」として出されることで、かえって安心して萌えられるんだと彼らが考えている可能性は高いです。でもその「添え物」に対する期待ってのは、実はメインのものより高かったりするんでしょうねえ(つまり彼らの期待票はあくまでポーズであり、無意識の願望まではその票には込められていない、ということではないか?)。

 だからうっかり女の子を出さなくなったら期待感を裏切ることに繋がるでしょう。


 ぼくが思うのは、こんな所ですかね。

 以上は男性読者に対する考察ですが、女性読者は大抵バトルがあろうと無かろうとあんまり気にしない(どっちみち人間関係しか見ないから)っぽいので、別の視点で眺めた方がいいと思います。単なる「美形キャラ補正」がかかっただけでしょうし。

*1:こういうことを読み手に強制すること自体が「狭量極まりない」ですが(笑)

*2:はぎやまさかげ氏がSHあP氏と01年のレヴォに出した本

*3メガネくん役が登場するのは3巻からで、その3巻以前の内容はファンからの評判がおしなべて良くない、というのも面白い。確かに1,2巻の頃の主人公は感情移入しにくく描かれている(むしろヒロイン感情移入させるのが目的だったから?)

*4:まぁ実際、ショタコン漫画なんかは一度「死滅」して、最近ようやく復活したのだけど



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