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Mon 2006.01/30

「クリエイター」「コンテンツ」の次に作られてほしい新語

| 「クリエイター」「コンテンツ」の次に作られてほしい新語を含むブックマーク

 クリエイターは「監督」「漫画家」「小説家」「デザイナー」などをひっくるめて語りたいという必要に応じて定着した言葉*1コンテンツは同じく「映画」「漫画」「小説「ゲーム」などをひっくるめて語りたいという必要に応じて定着した言葉*2


 ……「読者」と「視聴者」と「聴取者(リスナー)」と「鑑賞者」と「ゲーマープレイヤー)」をひっくるめて語れる言葉ってまだ無いですね。それも熱心なファンではなくて、コンビニで立ち読みしたり、たまたまテレビに流れている番組を眺めたり、っていうレベルで楽しんでる人達。

 つまり、映画漫画ゲームを世に出すという行為は「作る(クリエイトする)」という共通の言葉で括れるんですが、それらを受け取る側は「観る」「読む」「遊ぶ」という別々の行為をしているわけで。

 例えば「シスプリを遊んだり観たり読んだりしてるが、ファンではない人」を指すのに適した言葉存在しません。でも「キャラクターコンテンツ」や「物語総体」としての「シスプリ」を語ろうとする場合、いちいち(キャラコレの)読者とか(アニメの)視聴者とか(PS版の)ゲーマーとかに分けてなんかられないわけです。

 経済用語的には「消費者」とか「ユーザー」になるんでしょうけど、メディアを購入して消費してるとは限りませんし。

 シスプリに限らず、メディアミックス作品を語ろうとする場合には必ず頭を悩まされる問題であるような気もします。

 ぼくは仕方なく「受け手」という言葉を使うことが多い(他のモノカキの人もそうだと思う)んですが、意味の幅が柔らかすぎる所もあって、かといって「受容者」では固すぎます。

 「客」では失礼だし、「お客さん」は口語体すぎる。


 このように新語の需要は(モノカキにとって)あると思うんですが、政府かどこかが用語を規定しだしたら定着するんでしょうか。

 「男性○○」とか「若年○○」とか応用できると尚良いです。

 無理矢理カタカナ語にするなら「オーディエンス」とか? 「女性オーディエンス」ってのは語呂が良くないな。

*1作家とか作者とか作り手、ってのもありますが

*2:ちょっと前まで「ソフト」でしたが。こっちも「作品」と呼べなくもない

ykurubushiykurubushi 2006/01/30 22:00 ご無沙汰しております。「客」を直訳すると「カスタマー」になりますかね(カスタマーサポートセンター、ってありますし)。「コンシューマー」だとゲーム機を思い浮かべてしまうので難しいのでしょうが……。

izuminoizumino 2006/01/30 22:28 「享受者」ってのも使われがちですけど、こちらは「利益を得ている人」のニュアンスも強いですし

genesisgenesis 2006/01/30 22:52 「受容者」で構わないと思っていますけれど,それではお気に召さないというのでしたら「レセプター(receptor)」あるいは「アクセプター(accepter)」ではいかがでしょう。

nminorunminoru 2006/01/30 23:19 「コンシューマー」でいいのではないでしょうか? 少なくとも英語の consumer には「お金を払う人」という意味は必ずしもないですし、Creator, Contents, Consumer で頭文字が C でそろうとかっこイイ!!です。

izuminoizumino 2006/01/31 00:45 「(周囲の善意で)与えてもらってる感」のある「享受」もそうなんですが、「受容」にも「(本来は気にくわないものを)受け入れてやってる感」があるという、なんかワケアリなニュアンスが加わるんですよね。//コンシューマーというのは、「家庭用」の意味で誤解してる人が多そうですけど(笑)、マスコミが使い出したら意外と定着しそうな感じではあります

Sun 2006.01/29

プリキュア終わりましたね

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 最近アニメを観る本数をかなり減らしていたのですが、この番組だけは継続して観ていました。

 流石にしんみり泣けましたね。なぎさ、ほのか、ひかりというキャラクターはやはり秀逸で、(荒唐無稽神話的なストーリーとは裏腹に)実在感の強い存在だったと思います。番組が終わった後の世界でも、幸せに暮らし続けていてほしいものです。

 新シリーズにも期待してます。安定した「キャラクターの鉱脈」となりうるか?


 ちなみに響鬼の最終話はビデオを録り溜めしてる状態でまだ観てなかったり。

劇場版『X-MEN 3』情報

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 おおおおおお。

 劇場版シリーズは好きなんですよ。

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Tue 2006.01/24

「キャラクターが立った」という瞬間には二通りのケースがある

| 「キャラクターが立った」という瞬間には二通りのケースがあるを含むブックマーク

 『テヅカ・イズ・デッド』の「キャラ/キャラクター概念自己解釈を少しずつ深めている最中なのですが、その過程でちょっと思い立ったのは、受け手側が「キャラクターが立った!」と感じる瞬間には二種類あるのではないか、ということです。


 以下、些細な話なのであんまり面白くない説明ですが。

 そのひとつというのは、

「(脳内で)キャラクターが立った!」

であり、もうひとつは

「(作品世界の中で)キャラクターが立った!」

このふたつです。これらはそれぞれ異なる快感や興奮を受け手側にもたらすものであって、ちょっと分けて考えてみるのも良さそうなんですね。

 具体的にどう違うかというと、

脳内

作品世界



 こんな感じに分けていいと思います。

 確かに我々は、どちらの状態の時でも「キャラクターが立った!」と感じていたんじゃないかと思うんですが、実感としてはどんなもんでしょうか。

 小池一夫作品で喩えたら、「乳母車を押して旅するめっちゃ強い復讐の剣客(『子連れ狼』)」なんてのは、キャラクター紹介と絵面だけでも脳内イメージが焼き付くケースでしょう。

 逆に、「なんやかんや因縁が色々あってチャイニーズマフィアボスとして愛する人と共に頑張っていく覚悟を決めた日本人暗殺者(『クライングフリーマン』)」とかだと、作品世界舞台に立った、というケースでしょう。

  1. キャラ」(プロトキャラクター
  2. 脳内で立った「キャラクター」(インプット後、アウトプット前の「キャラ」)
  3. 作品世界で立った「キャラクター」(アウトプットされた「キャラ」)

 こう並べてみると、「キャラ/キャラクター」の境目が曖昧になって、その中間点のようなものが見えてくるような気もします。


 付け加えれば、キャラクター単体では「脳内に焼き付」きにくくても、カップリングキャラクターのセット)としてなら焼き付きやすい、というケースも珍しくなくて、細かく見比べていくと興味深いものです。

 例えば『NANA』なんかは「キャラは弱い*1が、キャラクターは立っている*2タイプ作品の例として良く持ち出されます。でも確かにナナとハチというキャラクター単体では「弱い」としても、いわんやカップリングとしては断然「強い」ような気もするわけです。

 そういえば『子連れ狼』にしたって「拝一刀と大五郎カップリング」であって、一刀単体だとイメージを浮かばせにくいですしね。


参考:はてなダイアリー - キャラ/キャラクターとは

関連記事:萌えの入口論

そういえば

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 赤松さん日記(1月21日)に話が出ていた「LEVEL-Xの対談ビデオ」。


 喉から手が出そうなくらい欲しすぎる。

 な、なんとかコネを駆使して……(無理)。

*1:具体的には、他の作品クロスオーバーさせにくい、キャラクターコンテンツが成立しにくい、ということ

*2:この場合は「作品世界の中で活き活きと良く動く」という程度のニュアンス

izuminoizumino 2006/01/25 15:41 記事を紹介して下さったYU-SHOWさんから「脳内ってのはオタクにしか通じなさげな単語だからヤだなぁ」というニュアンスのご意見が。うーん「印象キャラクター」とか「刷り込みキャラクター」とかでどうでしょうか。imageじゃなくてimpressionやimprintの方です

izuminoizumino 2006/01/25 15:49 ちなみに以前、「イメージキャラ」と「ストーリーキャラ」に分けられないだろうか? という提案はしてたのでした。→http://d.hatena.ne.jp/izumino/20051022

izuminoizumino 2006/01/25 15:58 あぁ、ごく単純に「頭の中のキャラクター」「作品の中のキャラクター」が一番、誰にでも分かりやすいでしょうね(笑)

izuminoizumino 2006/01/25 16:54 更に付け加えると、最後には「作品世界もひっくるめて頭の中に入る」ものですから、「作品世界イコール頭の外」、ではないでしょう。作品の中のキャラクターも、脳内で自由に解釈していいわけで。YU-SHOWさんが「最終的に行き着く場所は同じ」と仰るのはその通り

Sat 2006.01/21

麻雀やりすぎ

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 最近毎日のようにネット麻雀やってます。何やってんだか。

 麻雀の面白いところは、個人の才能や実績の格差が「運」によって完全に消去される(公平になる)所ですね。完全に同じスペックの、同じ確率で故障したり同じ確率で調子が良くなったりする車に乗ってレースするようなもので、そこで「俺の車(運)だけ特別」「俺の車の性能を信じて突っ切るぜ」なんて根拠の無い自信を持った人から負けていくようになっている。

 いくら力一杯アクセル踏んでも、根性を入れて操作しても、出るスピードはどの車も一緒。

 ドライビングテクニックの差をつけて、とか言ってみても、車の操作法は全部共通してるんだから、自分が使えるような技術は大抵誰でも使えるわけで、よっぽどの天才でない限りは互いに手詰まりやすい。

 普段、人間は(得意分野に特化して強い人ほど)自分の長所である才能や実績に自信を持つことで問題を解決していこうとするわけですが、しかしそのやり方が麻雀では通用しない、という所にゲームとしてのキモがある気がします。


 麻雀のどうにもならない難しさに比べると、現実ってのは「手なり」で進行していい部分が多かったりするから、実は簡単なのかもしれないなぁってふと思っちゃうくらいですね。*1

金曜の深夜は

| 金曜の深夜はを含むブックマーク

 何故か某ネトラジに飛び入り出演してました。

 100人くらいリスナーが居たらしいですが、ここ見てる人がその中に居たのやらどうか。

*1:実際は、手なり進行してると、やっぱり事故るわけですけど

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Thu 2006.01/19

izumino2006-01-19

『美術手帖』Vol.58雑感

| 『美術手帖』Vol.58雑感を含むブックマーク

 とりあえず赤松健の紹介文はぼくが編集者だったらボツ食らわせます(挨拶)。

 村田蓮爾弐瓶勉インタビューが読めたのは良かった。村田蓮爾は特別好きな作家ではないんですが、業界的な立ち位置は面白いと思いました。

 椹木野衣×伊藤剛対談の感想については、更新できる時間があれば、また後ほど改めてしたいと思います。

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Wed 2006.01/18

漫画資料一気買い

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 理由は特に書きませんが、今月は自分の手元に「四万八千円分の図書カード」があります。何故か。


 元々あまり本を買わないタチなのですが(友達から借りて読むことの方が多い)、この機会に欲しい本を本屋で見付けたら即購入するようになりました。

 『大学漫画』のシリーズは、これで一冊500円なのは安い! インタビューの類はどれも面白いし、小池一夫の「キャラクター原論」がアツすぎます。「2005年からはキャラクターの時代が来る→なぜか→キャラクターは儲かるからだ」という論法が清々しい(笑)

 漫画編集奮闘記は、まぁ、知識として頭の中を通しておいて損は無いと思うので購入。分厚い本なのでおいおい読み込むとします。


 そういえば『美術手帖』の漫画特集号は明日見掛けたら買おうと思います。

 伊藤剛さんの対談と、赤松健の取り扱われ方の確認が目当てです(CLAMPコゲどんぼに挟まれてるのがなんとも)。

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Tue 2006.01/17

はてなダイアリーキーワード編集

| はてなダイアリーキーワード編集を含むブックマーク

魔法先生ネギま! (13)魔法先生ネギま! (13)
赤松

講談社 2006-01-17
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 単行本13巻発売に合わせて、単行本修正箇所やおまけ用語集の設定をキーワードに反映させておきました(未読の人はネタバレ注意)。

 図書館島に10年間住んでた筈のアルビレオがネカネやアーニャアーニャは数えで11歳)に対してアーティファクトを使用していたことについては、最初こそ「すわ、時系列の矛盾か?」と戦慄したものですが、良く考えてみればエヴァンジェリンみたく学園内に封印されているわけでもなし(本人も「一歩も外に出てない」とは一度も言ってない)、ウェールズに出掛けていた時期があったとしてもおかしくはないですね。

 それにアルビレオウェールズ魔法学校の校長が裏で通じていたと仮定すれば、ネギの修業場所が麻帆良学園に決まっていたことの裏付けにもなりますし(そう考えて第1話を思い出してみると、あの卒業証書に書かれていたことは出来レース臭い)。

ところではてなダイアリー使ってる人にお願いですが

 はてなダイアリーで思い出しましたが、現在「はてなダイアリー - 魔法先生ネギま!とは」のキーワードには「アニメ」と「マンガ」と「ゲーム」三種のカテゴリが登録されていて、それぞれリンクスコア(下の方にあるゲージ表示みたいなの)が

  1. アニメ:77
  2. マンガ:75
  3. ゲーム:65

の順になっています。

 これはそのまま、キーワードカテゴリが上から表示される順番になっていて、今は原作の「マンガ」ではなく「アニメ」が一番上になってるんですよね、何故か(「マンガ」は一年上前の時点から不可投票がやたら多く、比較的新しく作られた他のふたつは相対的に投票が少ない)。

 はてな市民アカウントを持っていて、心ある人は「マンガ」のリンクスコアの「リンク可」に投票すれば、原作キーワードが一番上に行って見栄えが良くなるんじゃないかと思います。計算上は、あと6票もあれば「アニメ」の77を抜くことになるので(アニメに不可投票をプラスすればもっと抜きやすくなりますが)。

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Mon 2006.01/16

izumino2006-01-16

スクラン論に新しいの追加しました

| スクラン論に新しいの追加しましたを含むブックマーク

 これは以前好評を頂いた≪一目でわかる『School Rumble』の恋愛関係≫の続きとなってまして、全三部の連作としてシリーズ化する予定です。一応、コミックス派でも読める内容です。

 本編で麻生美琴のラインが発生して、従来の人物相関図に穴が出来てしまったことに対するフォローであるのと同時に、次に書く予定の記事の布石にもなっています(だから、今回の更新だけではまだ完全なフォローとして成立していない)。

 ≪スクラン考3≫はさほど間を置かずに更新できると思います。こっちは本誌連載のネタバレありになる予定。


 全然余談ですが、スクラン八雲→サラ→美琴の順に好きです(誰も訊いてません)。

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Tue 2006.01/10

近況

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 7日は風邪ひいた上にお腹壊してました。

 8日は(風邪は治したものの)病み上がりの影響で持病*1が再発。でもそのまま京都Taichiroさん迎撃オフに参加。当日はあからさまに顔色悪かったり、愛想悪かったりしてまして、申し訳ありません。

 9日は(体調は全快させて)コミトレに参加。見習い雑兵さんのブースでエーミッタム委託させてもらったり、売り子やったり、雑兵さんの肩揉んだりパシリやったり。お陰様でエーミッタム完売です(40部しか置かなかったけど)。当日お会いした皆さん、どうもありがとうございました。

 んでさっき夜行バスで帰るTaichiroさんを見送ってきました。


 ちなみにエーミッタム京都難波メロンブックスに10部程度ずつ残ってるのを確認してきました。近畿圏ではおそらく最後の在庫なのではないかと……。

今後の更新予定(メモ

*1:特に病名は無いんですが、体温を保つ機能が低下して「少しでも身体を冷やすと体調を崩す体質」になる時があります。暖房の効きまくった店内で厚着(←上半身7枚、下半身5枚の重ね着)をしていても底冷えを感じ、うっかり冷水を飲んで内臓を冷やすと嘔吐感や頭痛が起こるという有り様。今はまた治ってますが

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Fri 2006.01/06

現状の「映画論」と「マンガ論」の間

| 現状の「映画論」と「マンガ論」の間を含むブックマーク

 再び鷲谷花さんのブログから

一昔前、《マンガ》は《映画》の劣化コピーとして扱われることもしばしばでしたが、逆に現在になると、《映画》と比較した場合の《マンガ》のユニークさを肯定する試みが増えてきています。しかし、その際に、「《映画》にはこれができない。《マンガ》にはこれができる」という言い方が用いられることで、《マンガ》のもつ複雑さ、多様性流動性に対し、《映画》がかなり単純かつ静態的なイメージのうちに限定されて語られてしまう傾向があるようです。

 この問題提議を聞いて、自戒の念を改めると共に、まず連想したのが『BSマンガ夜話』の手塚治虫特集「メトロポリス」の回における、映画監督大林宣彦の発言でした。


 『メトロポリス』において手塚治虫が、映画「パン」に相当する演出技法(横長のロケーションを間白で半分に区切り、左右のコマ内の空間時間差を作り出す手法)を開発していたことを巡っての議論が、大林宣彦いしかわじゅん夏目房之介との間で行われていたのですが、それこそ「漫画コマ割りを、映画演出劣化コピーとみなすことを不当だと論じる」いしかわ/夏目漫画論者陣に対して、「映画漫画比較して単純視されることを不当だとする」のが大林監督立場でした。


 どういう議論だったのかを言葉で説明するのは難しいので、ちょっと図を使って解説してみます(多分にぼくの私見や拡大解釈が入った図であることは断っておきますが)。


f:id:izumino:20140817155134j:image


 ここでぼくが考える「何か同じもの」というのは、つまり「作者が表現したい何か」であって、映画漫画それぞれに独自の方法論が存在するということなのだと思います。

 元々映画自体が「写真フィルム」が発達進化して生まれたものであって、それ独自の歴史を持つのと同様に、漫画も「絵と紙」から発達してきたという独自の歴史を持っていると思います。

 両者は親子の関係として見るのでもなく、また、次元の異なる存在として分かつでもなく、歳の離れた兄弟のような関係として捉えるのが、互いにとって好ましいのだろう、というのが一応のぼくのスタンスです。

  • 余談

 大林監督言葉を借りて「漫画のパンは映画のパンと同じことをやっている」と言っても良いのなら、


漫画切り返しは、映画の回り込みと同じことをやっている」


と言ってしまってもいいんじゃないかという気もしています(まだ思い付きレベルですけど)。

 映画において、イマジナリーラインカットバックでまたぐことが禁じられている場合カットを切り替えずに、カメラごと視点を回り込ませることでまたごうとする筈です。

 それと同様に、漫画は「同じページにコマを二つ並べる」ことでイマジナリーラインをまたごうとしているのではないでしょうか? 例えば、1ページの中で「切り返しを四連続行う」描写をした場合、巧みに表現すれば「カメラが二回転回り込みした」のと似たような演出効果が狙えるかもしれません。

 やや乱暴な対比ではありますが、映画漫画を同レベルに論じる試みの一つとして、こういうアプローチも使えるのではないかと……。


 ちなみに秋田孝宏「コマ」から「フィルム」へ』は興味がありつつも未読だったので、Amazonで注文しておきました。↑と似たようなことは、既に書かれているのかもしれませんね。

「コマ」から「フィルム」へ マンガとマンガ映画「コマ」から「フィルム」へ マンガとマンガ映画
秋田 孝宏

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Thu 2006.01/05

izumino2006-01-05

つだみきよ『プリンセス・プリンセス』がアニメ化

| つだみきよ『プリンセス・プリンセス』がアニメ化を含むブックマーク

 捕捉が遅れましたが、アニメ化するらしいですね。

 新書館の売れセン作品なのだから、当然といえば当然の流れか。

 ちなみに冬コミ配布のペーパーでも確認してきました。詳細は『Wings』2月号で発表だそうな。

監督元永慶太郎キャラクターデザイン中嶋敦子

 つだみきよのゴージャス系な絵柄と中嶋敦子は相性がいい気もするので、結構楽しみ。

 プリ・プリは男女双方に支持者の多い漫画なんで、ターゲットが良く解らないことになりそうだけど……。それこそ『ここはグリーン・ウッド』のような需要のされ方をしてほしいかな。

 つだみきよ入門には『革命の日』と『続・革命の日』を先に読むのがオススメ良く考えたらツンデレだし。

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Wed 2006.01/04

喪男マンガの先駆者の一人としてあびゅうきょ先生をプッシュしてみる

| 喪男マンガの先駆者の一人としてあびゅうきょ先生をプッシュしてみるを含むブックマーク

 「喪男」「キモメン」という概念オタクの間で共有されるようになった現在だからこそ、あびゅうきょ先生は大きく取り上げられるべき異才だと思います。


 とくに「宮崎駿アニメには世間ではおおっぴらに指摘されていない、何か言いようのないいかがわしさを感じる」ヒトや、「90年代、エヴァンゲリオン人生リズムを大幅に狂わされた」ヒトは必読。

 本田さんがいつか出すであろう『ファントム』にあびゅうきょ作品が載るのを見るのが夢だったりします(プレゼン)。*1

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最近考えていることは

| 最近考えていることはを含むブックマーク

 「感情のストレッチハードワークとしてのフィクション体験」というテーマ言語化についてです。

 フィクション体験というのは、漫画テレビなどの娯楽全般に触れることを指してもいいし、オタク脳内恋愛を指してもいいでしょう。

 「なんで漫画読んでるの?」っていう問いに対して、自分なりに一定の答えを用意できるようにしたいし、漫然とただ「通過するだけ」の娯楽消費ではなく、実として身体に残る「娯楽の感じ方」を提示したい、という目的もあります。

 そういう「感じ」は2004年年末あたりから意識しだしたことで、それ以前のぼくは「何故フィクションを体験して感動するのか、また、感動すること自体が自分にとってどういう意味があるのか」ということを良く理解していませんでした。感動はするけども、感動だけが空回りして、何も身体の中に残らないような虚無感が大きかったんです。その感覚が解るでしょうか。

 別に「単なる暇潰し」でも「純粋に面白いから面白いんだ」と割り切るのも一つの手だとは思うのですが、それだけじゃあ、と思うのです。

*1:ちなみにその前は「ファウストあびゅうきょが起用されないかなあ」って思ってました(笑)

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Tue 2006.01/03

「ユリイカ2006年1月号」拙稿における映画/漫画用語の混乱の問題

| 「ユリイカ2006年1月号」拙稿における映画/漫画用語の混乱の問題を含むブックマーク

ネットでの呼び名は、「いずみの」と「イズミ」のどちらでも結構です。

 伊藤剛さんからもわざわざメールでお報せ頂いたのですが、拙稿「視線力学の基礎」において、映画用語と漫画用語の混乱/混同があるというご指摘を、同じユリイカ1月号の執筆者でもある鷲谷花(id:hanak53)さんから頂きました(映画史が専門の方だそうです)。

 「切り返し」という用語の意味が、映画漫画では異なるのに、混同して記述してしまっていた……ようです。

 「この記事は映画論ではなく、あくまで漫画論だから……」という油断が生んだツメの甘さだったと思います。

しかし、「切り返し」=「クロス・カッティング」(たとえばボードウェル『映画の様式』の日本語訳版)という説明なども流布しているようで、最も基本的な映画用語のひとつであるにもかかわらず、日本語としての意味や用法にかなりの混乱があるのがそもそもの問題なのか、という気も。

 ……と鷲谷花さんも仰っているように、映画用語の「切り返し」は、リヴァース・ショット意味だったり、カットバックやクロスカッティングそのものを意味することもあれば、「被写体の反対側から撮影したショット」(※この意味だと、被写体が二人以上の場合は自然とラインを破ることになる)を指すこともあるようで、しかしどの道でも、不用意な文脈で用いていい用語ではなかったと思います。

 ともかく、読者の皆様にお詫びするとともに、下記のように訂正させていただきます。

この「イマジナリーラインを破る」演出は「切り返し」と呼ばれ、

 p220で、こう記述されている箇所は、

この「イマジナリーラインを破る」演出は漫画用語においては)切り返し」と呼ばれるのだが

と読み替えて頂けると幸いです。より誠実に訂正するなら、以下のように段落全体を書き替えるべきだと思います。

この「イマジナリーラインを破る」演出は、特別な演出意図があるケース以外では使用を控える傾向が映画界/アニメ界にはある。

 が、この演出は漫画界においては「切り返し」という別の用語でも呼ばれており(映画界で用いられる「切り返し」とは用法が異なるので注意)、映画よりも比較的多く使用されるのだ。

 コメント欄伊藤剛さんも言及しておられますが、こういった「切り返し」の用法は漫画業界特有のものであるらしく、ぼく自身も漫画の技法書の中で発見して憶えた言葉です。

 日本映画界では、カットバック時にイマジナリーラインをまたぐことを「どんでん」と呼ぶそうですが、こちらは漫画界では殆ど見掛けません(個の現場レベルでは多用されている可能性が高いですが)。

 ……うーん、漫画研究者の間では、今後「どんでん」と「切り返し」のどちらを使っていくべきか、というのも頭を悩ませる問題になるでしょうね。

  • 余談

 なぜあえて、映画用語であるイマジナリーラインに言及したかというと、日本漫画家の中には「漫画でもイマジナリーラインは守らなければならない」と律儀に考えている人がどうも多いらしいというのがあって、「どんでん演出」の多用を前提にした拙稿(p210,p216の引用画像でも平気でやっている)では、そういった方達からの疑問やツッコミを受ける可能性があると思い、それに対する予防線として映画漫画の比較をやっておく必要があったということです。

 日本漫画家イマジナリーライン意識するようになった経緯としては、映画から直接学んだ人も居るでしょうが、若い世代ですと富野由悠季の書いた『映像の原則』に影響を受けている人が多いような気もします(アニメファンに「イマジナリーライン」という映画用語を広く流布させたのはこの本かもしれません)。


 ちなみに『映像の原則』では「右→左」「左→右」の動きの描き分けなどにも言及されていて、視線力学との共通項目もいくつか発見できるのですが、ぼく自身は「漫画アニメは別物」と考えてますから、両者の類似性はあまり重要視していません。*1

 しかし、人間の眼球運動っていうのは「右→左」の方が「左→右」よりもスムーズに楽に動かせる(「上目遣い」の方が「下を見る」よりも楽に運動できるようなもの?)ような気も最近はしていて、そこは「人間の体のつくり」から考えられる問題なのかもしれません。

 いわゆる「利き目」が逆の人や、乱視の人だとどうなんだろう? とか、学術的な実験調査が必要なレベルの話ですが。どこか研究してないんでしょうか?


*1:そもそも富野監督の言うことは感性的すぎるので……

Mon 2006.01/02

1月2日

| 1月2日を含むブックマーク

 毎年、1月2日は親戚同士で集まる新年会に参加することになっています。

 いつも通り、10人近い親戚(主に伯母や従姉)にマッサージを要望されて、手当てしまくってから帰ってきました。

 去年開発した新技(いつもそういう研究をしている)の威力にみんな驚いてましたよ。


 そしてなんかぼくの記事が載ってるユリイカが回し読み状態に。ちなみに親戚の中だと、漫画の話がまともにできるのは従兄の内の一人だけでした(その従兄は宝島別冊の『マンガの読み方』も知ってたし、ぼくの記事も高く評価してくれてた)。

 ユリイカ感想や、自己フォローのアップはあともう少しお待ちを。というか、上京時は会う人会う人から「どこにも売ってない」報告を散々聞かされました。そんなに数を刷ってないのかなぁ。

コミケ雑感

| コミケ雑感を含むブックマーク

 秋葉原同人ショップに足を運んだり、久しぶりにコミケ会場の中を練り歩いたりして実感するのは、美少女系や18禁同人業界が「基礎研究の場」であるということでしょうか。

 勿論、同人業界自体が単一の市場であり、応用研究技術の実用化)を実践している場でもあるのでしょうが、漫画界全体から見れば、やっぱり基礎研究の場だな、という印象を強くしました。


 これは何も、同人作家は未成熟だなどという話では全然なくて、ダイヤの原石がゴロゴロ転がっているという意味でもあります。

 それも単に、一握りの作家が「商業誌にデビューできるかどうか」などというスパンの短い、安直なメジャー志向の話でもなくて、もっと長い目で見た、何世代も先の時代を見越した場合の話ですね。

 例えば、エロゲー業界はそれだけでも自己完結した一つの市場ですが、「人物の肌を肉感的に塗るCG技術」を飛躍的に発展させた(技術ブレイクスルーを起こした)基礎研究の場でもあり、やがてその技術ゲーム以外の場に応用されていくわけです。

 最近同人業界も、何かのブレイクスルーの兆しのようなものを肌で感じなくもないですね。CGの塗りや絵柄だけの話でもなく。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/izumino/20060102

Sun 2006.01/01

izumino2006-01-01

来るべきあびゅうきょ論のため

| 来るべきあびゅうきょ論のためを含むブックマーク

あびゅうきょの新刊」という言葉の響きは、ある人々にとっては、それだけで不思議に心地良い違和感をもたらすものかもしれない。その違和感は、あびゅきょが寡作の作家でありつづけてきたという事実にだけではなく、この作家の負っている歴史の重みにも拠っているのだろう。

これほど真摯に、宮崎駿の根に存在する病を顕在化させた作家はいなかったし、その病を正統に引き継ぎながら現代に叩きつけた庵野秀明(およびその世代)への共鳴を、独特なやり方で表明しつづけた作家はいない。

 トラックバックより。力の入ったあびゅうきょ論の整理。

 そういえばぼくがウェブ批評っぽいことを始めようと思った動機のひとつに「あびゅうきょのことを語りたかったから(その練習の為に)」というのがあったんですが、いまだに物書きとしての力不足を実感せずにいられません。ファン同士の意見交換が少ないこと自体も原因のひとつでしょうが、難物の作家だと思います。


 ちなみに先日の冬コミでは、二年間のコミケブランクを埋めるべく未入手の既刊新刊を四千円分購入してます。

 2005年夏・冬それぞれの新刊、『フェミファシストヒルダの大冒険』と『阿佐ヶ谷お伊勢の森覚醒巫女』は特に素晴らしかったです。

 喪男ブームの昨今で、この才能が注目されないのは損失だとしか言いようが無いでしょう。

 物事というのは、暗部と明部がワンセットになって成り立っています。

 昨今の萌え業界においては、戦略上、ある種の「男らしさ(ヒーロー志向)」や「純粋さ(純愛好き)」を強調していく必要がありますが、そういったイノセンスが持つ暗部の危うさを突いているのがあびゅうきょ同人作品でしょう。*1

 と同時に、ぼくの中では暗部も明部も本質の所で通底しているんですけどね。どちらも「役に立たないが、美しいもの」を幻視せしめることで、生きていく為に必要な力を蓄えようとしているのだから。

 暗部を剥き出しにするか、明部だけを見せるかの違いでしかなくて、完全に表裏一体なわけです。例えば「救いが無いこと自体に救いがある」というような読み方ができないと、暗部を描いた作品を愉しむことはできないし、逆に「虚飾で塗り固められているからこそ価値がある」と思い込めない人は、明部を描いた作品に対して何の有り難みも感じられないんだと思います。

*1:残念ながら、そのヤバさは商業作品である「影男シリーズ」を読んでも伝わらないと思う

nanarinanari 2006/01/03 05:29 あびゅうきょの作品は、本当に難物ですね。この作家は、あまりに露骨に記号性を逸脱してしまうので、ある種の記号論を前提とするマンガ表現論によっては扱いづらいものがあるような気がしています。これは、「七里の鼻の小皺」の2005年11月23日付の記事で少しだけ書いた問題でもあるのですが、マンガの画面を、記号化の欲望とそれから必然的に漏れ出てしまうものとによって成り立つ表象として考え始めるなら、あびゅうきょの絵の意味を正しく位置づけられるのではないか、という予感がありました。件のテクストで、僕が(明確な説明なしに)日本マンガ・アニメ史の「病」・「暗部」と呼んでいたのは、この歴史が、記号性を漏れでる「イメージ」の水準を、貫徹不可能であるはずの記号化の欲望によって抑圧しようとしつづけてきたこと、それ自体でした。あびゅうきょの作画は、記号化の欲望によって練り上げられてきたマンガ・アニメの人物表象を出発点としながら、なおかつその記号性が不可能になる地点を明瞭に示すことによって、その「病」を顕在化させているのではないか(なによりも、その「病」の性的な意味を明瞭に示しているのではないか)というのが、マンガ全体の問題にひきつけた際の論旨です。あびゅうきょの絵は、ほとんどどれをとっても、マンガの抑圧してきたものに触れているように思われます。なので個人的には、同人誌と商業作品との間の差異を絶対的なものと考える必要はないのではないか、とも思います(そこに、作品制作の水準にも及ぶ重要な差異があることはたしかですが)。「影男シリーズ」は、その作画と、そしてオタクの性の行く末にも少なからず関わる物語とが、奇妙なシンクロを示しながら、日本のマンガ・アニメ史に対する独自の批評となりえているという点において、疑いなく重要な作品であるように思われました。

izuminoizumino 2006/01/03 10:51 >nanariさん なるほど、そういう見方もできるんですね。今度からそれを少し意識して読んでみることにします

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