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Thu 2006.03/30

ラブひなとネギまの箱庭の違い

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 終盤の景太郎がひなた荘に依存していないように、ネギ麻帆良学園依存していない。

(中略)

 そんなわけで、作者本人の言と対立するようではあるけれど、『ネギま!』の箱庭の正体が麻帆良学園だと考えていると、主人公の自ら箱庭幻想破壊する志向性と、そこから生まれる緊張感を理解しにくいのではないかと思う。

 これは的確ですね。

 あと「作者本人の言と対立するようではあるけれど」と仰ってますが、赤松さん自身はエーミッタムインタビューでも、「(癒しテーマだったラブひなに対して、ネギまは)癒しだけじゃ駄目だっていうことですか?」という質問に対して「そうです」と肯定していました。

 読者に面と向かって「ラブひなとは違うことやりますよ、ネギまでは辛いことも起こりますよ」なんてアナウンスしたりはしないのは、作者の性格的なものでしょう。「最初はラブひなと同じと思っておいてもらって、実は……」っていう仕込み方を狙ってる所もあるでしょうし。


 ラブひなは、景太郎がひなた荘の女の子達に癒されて応援されて東大に「入れてもらう」話でしたけど、ネギまは、ネギが自分一人で頑張りすぎて麻帆良学園の外に出ようとしてしまうのを、クラスメイト達が「日常に引き戻す(バランスを取る)」話だと思います。

 そういう意味では、亜子編のネギが「将来は魔法使い組織に入りたい」と意思表示してしまったのは、かなりの重大発言といえばそうですね。麻帆良学園は(更に言えば「日本」すらも)通過点に過ぎない、と認識しているようなものですから。


 それと見落としてはいけないのは、武道会編(KC11〜13巻)が終わったあとも麻帆良祭編」は連続して続いている(KC14巻〜)ので、今のネギは、実はまだ非日常の側に居るということでしょうか。

 いくらクラスメイト編が続いていても、平日の学園生活へ戻らないことには、日常サイドに入ったことにはならないんですよね(これは、ネギまシリーズ全体を通しても特殊なケースだと思います)。

 だから今のクラスメイト編の見所は、ネギが日常サイドに戻ることができるよう、いかにクラスメイト達が奮闘するか、という点でもあると思います。

 それを対立構図にしてみると、「超一味 vs 一般人組」という図式のバトルにもなりますね。今、誰が一番ネギを(というか、ネギまという漫画全体を)、日常から引き離して非日常に放り込もうとしているのかというと、それは超ですから。

もりやんもりやん 2006/04/07 14:57 今更ながら紹介どうもです。なんかこう色々と考えることはあるんですがなかなかまとまらず。とりあえず、超を「ネギを非日常に留め置こうとする勢力」と考えると、カシオペアは面白いアイテムかもしれないな、とか。

Wed 2006.03/29

YouTubeはなんでも落ちてますね

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 mixiコミュニティで拾ったり自分で探したもの。

Sparklehorse - Piano Fire(Remix.ver) のMV

 映ってる女性PJ Harveyでいいのかな。

呉氏開門八極拳(呉連枝)

武壇八極拳(劉雲樵)

蘇東成の多数取り

 攻めてる側が可哀想に見えてくる(笑)

中国武術演武大会クリップ

長拳リー・リンチェイ 1978年

 BGMがジェイ・チョウの霍元甲

これも若い頃のリンチェイ

HERO』のMAD

カンフー映画MAD

ジェット・リーMAD

ジェット・リー vs ドニー・イェン(ワンチャイ

  1. http://www.youtube.com/watch?v=zRT88qFwB1Q&search=Jet%20Li%20
  2. http://www.youtube.com/watch?v=xp5-d7dR6Zg&search=Jet%20Li%20

ジェット・リー vs ドニー・イェンHERO

 ジェット先生はやはり凄い。

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Mon 2006.03/27

月曜日は

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 本サイト用の記事を書く作業に没頭してました。月末か4月初めには公開できるかと。

 読書としては、ゆーっくり『思考と行動における言語』を読んでいます。(去年の冬から読み始めて)まだ全二部ある内の第一部を読み終えたばかりですが、知人のモノカキの人達の評価も高い名著です。

 これを読んで理解できたら、「言葉」そのものに対する理解度も1.5倍か2倍くらいは増すんじゃないかと思います。

日曜朝番組簡単感想

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エウレカ

 演出の勢いだけで強引に「実はデレてました」というアクロバット

 すげえムチャクチャで荒唐無稽と言っても良い展開でしたけど、視聴者の期待(快楽原則)に応える為のものだからこれはアリでしょう。


 逆に、「観客が期待してない」展開を「演出の勢いだけで強引に」納得させようとしたら(「実はトラウマ持ってました!」とか「実は可哀想な子だからDQNな行動取っても仕方無いんです!」とか)客は「えーっ」て思いますわな。作劇のマナーとしては、その違いかなと。

カブト

 天道総司キャラ立ち奇跡的なバランスの上に成立しているだけでもこの番組は評価する価値があります。実写(=生身の人間)で漫画的なキャラクターを成立させることの困難さ、というか。

 逆に言うとそれ以外の部分は、いくらツッコんでもキリがないくらいなんですけど、何故か気にならないのが不思議です。


 ところで他の「濃い」キャストが一様にキャラ立ちまくりなので、危機感を覚えた岬先輩はコスプレ七変化キャラクター生命を懸けてきたのだなぁと思いました。

スプラッシュスター

 おだやかに関係性を積み上げていってるのが好感持てますね。

 感情的アップダウンの激しかった前期シリーズに比べて物足りなさを感じる人は多いと思いますが(陰影を強調した演出に前期のイメージを連想した人は尚更)、それは今期に求めない方がいいものだと思います。


 そろそろプリキュアは、前期と今期の差違、のようなものを整理して解説してみた方がいいかもしれません。

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Sat 2006.03/25

今日も早朝更新

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 一度朝型になると夜更かしできません。夜が眠い……。日曜は朝番組観るから丁度いいんですけど。


 唐突ですが、あなたがサンデーで一番萌えるキャラクターは誰ですか。ぼくは冠茂です。ハヤテあいこら絶チルも差し置いて焼きたての冠茂です。

 みなさん「ハヤテキャラで一番かわいいのは綾崎ハヤテ」なんて仰いますが(偏見)、サンデーキャラで一番かわいいのとなると冠茂じゃないですか(偏見2)。

 普段はあまりファンサイト巡りをしないんですが、折りあって探してみると結構あるある。

 なんでこんなにかわいいんでしょうか? わかりません><

 しかし近頃の女性絵師さんは、皆さん全体的にレベル高いですね(何故か週漫作家は元々うまい人が集まりがちですが)。


 ちなみにジャンプで一番萌えるのはハンタのコムギで、チャンピオンひとみひとみ先生です。

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Fri 2006.03/24

 最近は早朝に前日の日記書いてばっかりですね。夜はすぐ眠くなってしまって10時くらいに寝てしまいます。

書評:ベストセラー小説の書き方

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 書評って書くの苦手なんですよ。

 ……という書評コンプレックスを克服すべく、なんか書いてみます。ふつつか者ですが宜しくお願いします。

 70〜80年代に活躍したアメリカベストセラー作家による「売れる一般小説の書き方」論。

 ここでいう「一般小説」っていうのは、「娯楽小説」「大衆小説」と読み替えていいでしょう。エンターテイメントですね。

 「作家たるもの、一般小説でヒットを目指せ。それを目指さぬ者は敗北者だ(意訳)」と言わんばかりのクーンツ先生が熱すぎます。

 意見を同じくする人たちだけを相手にものを書いて、二〇〇〇部売れたところで何の価値があろう。

 (中略)しばしば「商業作家」と軽視されている作家たちを弁護する議論を展開するとしよう。そもそも、「商業作家」ということばこそ、他人の作品をけなすことで自分の作品の価値を高めようというけちな作家たちがひねり出した、実にナンセンスなことばではないか。〈p.26-27〉

 一貫してこの論調ですから、様々なレトリックを駆使して「売れたもんが名作なのだ」という持論を正当化しつつ、具体的には(最も新人が挑戦しやすく、尚かつ成功しやすい一般小説テーマである)「ヒーロー小説」のセオリー解説を通し、読者に「売れる為に注意すべきこと」という薫陶を授けていくのがこの本の主旨となります。

 基本的には自己正当化、自慢話、お説教に終始する本書ですが、ここまで言い切れるのですから、その言葉にも相応の重みがあろうというものです。

 ドストエフスキーには一目おきたまえ。ロシア文学界は彼を、新聞に連載小説を書くようなくだらない商業作家と決めつけ、才能もないくせに、金になれば精力的にものを書くやからと冷たくあしらった。しかし、五万人ものひとが、モスクワでの彼の葬儀に参列した事実を見れば、大衆が彼を支持していたことは明らかだ。そして、今日では彼の評価はきわめて高い。 〈p.32〉

 次のことを肝に銘じておいてほしい。自分の喜びのためにものを書くときは(常にそうあるべきなのだが)一個人を満足させるために書いていることになり、読者を楽しませるために書くときは、多数のひとを満足させるために書いていることになる。ところが、学者たちを相手に書いているときは、制度を満足させるために書いていることになり、学説上のガイドラインを守るべくせっせと制作していることになる。そういう作品に、すぐれたベストセラーの持つ生命力や喜びや価値があろうはずがない。 〈p.33〉

 クーンツ先生目的意識は「大ヒット作」の中にあり、

 たしかにテーマの統一は、よい小説の必要条件のひとつにちがいない。が、それが第一の目的になってしまっては、作家小説ではなくて、エッセイ説教を書けばよいことになる。〈p.78〉

……というようなことも書いていますが、その内面は意外と芸術志向です。文中にも良く「芸術の創造」だとか「意味深い真実」というフレーズが(テレも無く)登場し、商業主義を嘯いて芸術性をないがしろにしていないことが分かります。「商業を突き抜けて芸術に至れ」とでも表現できそうな、一種求道者的な趣すら感じさせます。カッコイイです。

 ツンデレ的に言えば、「売れなきゃダメだ」と言ってる部分がクーンツ先生の「ツン」、芸術性を云々している部分が「デレ」、みたいな感じ。割合的には7:3〜8:2の具合です。


 また、あくまで「小ヒットではなく大ヒットを目指せ」という姿勢でもあるので、目先の小金を拾うような出版社の行為(ヒット作の後追いや、話題性のみの粗製濫造など)には「利益のむさぼりパターン」と称して厳しく批判しています。ここらへんは潔癖すぎると言っていいくらいでしょう。

 おそらく教訓としては、「売れればいい」ではなく「もの凄く売れなければダメだ」というのがクーンツ先生の言いたいことであって、単なる拝金主義者と、ベストセラー作家との違いがそこにあるようにも思えてきます。現代でも多いですねえ、「何もしないでも売れるから」という理由でコンテンツ(=中身)のクオリティを高めようとしない企業は。

 結果だけ見ると、「儲けを追求しつづける人間ほど潔癖で志が高く」、「儲けを追求できない人間の方が金に汚い」という逆説が見えてきて面白いものです(極論ですが)。

 クーンツ先生自身も、新人時代こそ、いわゆる「見込み収入」が狙える簡単な仕事で食い扶持を稼いでいたようですが、作家的な暗黒時代としてその過去を振り返っているフシがあります。


 というわけで、メジャー志向の人には楽しく読める本でしょう。逆に、商業主義フォビアな人にとっても、見識を広める意味オススメかもしれません。

 また前述したように、本書は「ヒーロー小説」のセオリー解説が中心的なテーマになっているのですが、これは実践的な意味もあってタメになると思います。エンターテイメント王道、直球に関する作法であって、現代でそのまま通用する理論ではないでしょうが、重要な基礎に含まれる部分だとも思います。

ベストセラー小説の書き方ベストセラー小説の書き方
ディーン・R. クーンツ Dean R. Koontz 大出 健

朝日新聞社 1996-07
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 最後に私見を付け加えておくと、「大ヒット作」と「二〇〇〇部売れる作品」は、創作界の両輪だと思います。互いに不可欠な、相互補助の関係にあるものでしょう。


関連:赤松健発言集1:「大衆娯楽」

Thu 2006.03/23

購入録

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 最近ノンフィクションものを良く読んでます。

 あと、お友達から借りていた、ディーン・R・クーンツベストセラー小説の書き方』(朝日文庫)も読了

 どれも面白いです。機会があれば書評します。

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Tue 2006.03/21

izumino2006-03-21

絶チル4巻のオマケ漫画について

| 絶チル4巻のオマケ漫画についてを含むブックマーク

絶対可憐チルドレン 4 (4)


 入魂の描き下ろしである露天風呂ネタについて。「そんな弁解までして(お色気シーンを)描きたかったんですね……」という感想デフォです。

 すんません、ワタシはどーしてもああいう部分が気になってしまう男なのです。あんな風にネタとしてならなんぼでも描けるんですけどねえ(笑)物語というのは基本的にウソや脳内妄想ファンタジーの集大成であって、お約束お約束としてあっていいとは思うんですけど、あまりに自分に都合のいいウソで固められると冷めちゃうじゃん? だってそんなはずないもん!

完成原稿速報060320(椎名百貨店the web)

 本人が言う通り「批判精神が強すぎて能天気にウソを描けない」というのもあるでしょうけど、「他人が完成させたフォーマットをそのまま使うことにプライドが耐えられない」という頑固職人のような意識もありそうな気がしてきました。

 一種の完成された「お約束」として捉えると、「簡略化を究めて洗煉された表現手法」ですもん。

 「借り物」に対しては模倣やパロディであることを明らかにして、ケジメをつける(手法の一つとして取り入れたりはしない)のが椎名先生のやり方なのかもしれません。


 その点、「たとえ他人のマワシで相撲をとろうが、俺が描くんだから、俺の作品だ」と言わんばかりの井上先生とは対照的なのかもなぁと思いました(感想)。

『SPIRIT』

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 面白かったですが、日本公開版(つまり『霍元甲/FEARLESS』ではなく『SPIRIT』)はカット部分があるらしいわ、EDテーマ差し替えられてるわと問題の多い公開だったみたいです。

 相変わらず、配給会社ネット反響をナメすぎています。海賊版が売れるだけだと思うんですが。


 ジェット先生は『THE ONE』、『HERO』と一貫して同じテーマをずっとやってると思います。今作も本質的には『HERO』まんまですね。強さを積み上げて集約させる段階(陽性で男性原理)と、そのシステムを解きほぐして拡散させる段階(陰性で女性原理)に別れるという。

 茶道武道をかけた問答(「物事は全て主観によって決まる相対的なものであって、優劣など無い」という主張)も、非常に東洋的。ジェット自身はブッディストですが、こと映画に関しては道家・儒家的な陰陽思想依存している所が大きい気がします。そこらへんも中国人らしいと言えばらしい。

 アクション的にはあんまりエンタメしてない(「生身の人間にこんな動きができるんだ! スッゲー」という新鮮な驚きは少ない)ので、ジェット・リーの姿勢の良さや品格を感じに行く映画かと。観賞後、気分がキッと引き締まって背筋が伸びること請け合いです。


 中村獅童の演技に関しては、プロモーション以上の必然性はあまり感じませんでした。役を演じきった名演ではあるけれど。

 また、演出的な説得力(動機部分の描き込み)には弱さを少し感じました。これはノーカット版を観ないと判断できないかも。そんなだから海賊版が(略

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Fri 2006.03/17

izumino2006-03-17

赤松健インタビュー@『蘇るPC-8801伝説 永久保存版』

| 赤松健インタビュー@『蘇るPC-8801伝説 永久保存版』を含むブックマーク

蘇るPC-8801伝説 永久保存版

 赤松健インタビュー記事目当てで。今まで媒体に出ていなかった前歴も詳しく出ていて興味深かったです。13歳でベーマガに製品化されるレベルのプログラムを組んだとか、プログラマとしては本当に秀才クラスだったんじゃないかしら。小物好きのコレクターな面とか、セッティングマニア最適化フェチというか)な面は、当時の原体験があって今に息づいている感じですね。

 インタビューの構成自体も、既存のインタビュー記事の中ではトップクラスに入るプロの仕事だと思います。これで、自分がいかにシロウト臭い(同人っぽい)インタビューしていたかが良く解りましたよ(とほほ)。*1


 ところで『パラディン』を「自らソフトハウスに売り込みに行った」とここでは説明されていて、でも「コンテストに応募して入選した」っていう説もあるので混乱します。これはPC-8801伝説の方が正しくて後者デマ、ってことでいいんでしょうか……。新人デビューなんかで良くある、出来レース入選だったのかもしれませんけど。

色々

| 色々を含むブックマーク

高野文子るきさん(文庫版)

 読了

 良かったです。自然体に生きることのできる「るきさん」と、作為で生きてしまう「えつこさん」。えつこさんはるきさんに憧れていて、精神的にかなり依存してそうなのだけど、永い付き合いがあるお陰で互いに距離を取って、甘えきらない程度の仲を維持している。でも本当は甘えたいんだろうなぁっていう微妙な関係を感じさせます。


 漫画的には、既に沢山の人が批評してるだろうから、特に突っ込んで読もうとはしませんでした(笑)

スクールランブル 2006カレンダー

 これもAmazonから届きましたけど、画集としての価値はほぼ皆無。単行本の表紙なんかがカレンダーになってても、何の有り難みもありませんよ……。

 まぁバーゲン品を買っただけなので、期待はしてませんでしたが。

魔法先生ネギま! 2006カレンダー

 噂の日めくりカレンダー。こっちは、前評判も良かっただけあって凄い出来の良い品です。プロの仕事ですね。

 デザイナーの遊び心によるプラスアルファ豊富だし、CG原画なんかも収録されてるので、画集としての価値も結構あるという。コレクターズアイテムであることには違いないですが、グッズには「おトク感」を詰めることが重要だってのを良く心得てるんじゃないかと思います。

余談

 アフィリエイトゲーム感覚でやってますって以前書きましたけど、このカレンダーの紹介記事もそんな感じでして。

 カトゆーさんとゴルゴさんとかーずさんという三大ニュースサイトに補足されて、一万人近い閲覧者があったと思われる記事の最後にアフィリエイトを張っておいたんですが、リンククリックしてくれた方はその内300人未満、購入者はその内5人ですからね。

 「記事の最後まで目を通してくれた人の割合」がその程度だったということが、それでなんとなく掴めるわけです(ページエンドまで一気にスクロールしてオチだけ読んだ、っていう人も多そうですけど)。

*1:あと些細なことですが前言撤回(id:izumino:20060309)です、当日着てらした服はちゃんと別の服でしたごめんなさい(今写真で確認)

名無い名無い 2006/03/18 02:39 今の有名ゲームプログラマーも学生時代にゲームを作っては持ち込んだりコンテストに応募人って多いですね。チュンソフトの中村光一さんとか。「タイニーゼビウス」を作った人なんて当時小学生ですよ。

izuminoizumino 2006/03/19 03:32 新しい分野だったから、当時は子供の方が学習能力が高かったのかもしれませんね

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Thu 2006.03/16

izumino2006-03-16

語感の力

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 NHK教育の「知るを楽しむ」でやってる日本語なるほど塾がめっちゃ面白いです。

男の子の名前はいろいろあるが、呼ばれた時に受ける印象にはそれぞれ違いがある。例えば、「タケシ」ならやんちゃそう、「ユウ」なら優しそう、といった具合だ。こうした名前ごとに持つある種のイメージには、発音した時の口の中の感覚「発音体感」が大きく影響しているという。

 今は「語感の力」をテーマにしているんですが、カラーコーディネイターばりの分析を日本語の五十音に対して行っており、今まで漠然と捉えていた「語感」というものの実体を現してくれています。

 口の中や、脳の中で起こる「身体感覚」という、ナマの実感に基づいたデータベースを志向しているのが好感持てますね。*1人間の肉体(=感覚)を無視した、言葉だけの創作理論とかは、ぼくは嫌いなんで。


 まぁキャラクターロボットのネーミングだけでなく、萌え業界にありがちな「四文字タイトル」にも応用が利きそうな話です。

 あと「萌え」というスラングの成立過程も、やはり語感の力から選ばれた部分が大きいのでしょうね。

 ただ、そこで「語感がマッチしていたから選ばれただけで、言葉意味は関係無かった」と考えるのは早合点というものであって、そもそも「萌える」はその語感が元の意味英語で言う“sprout”の方)にマッチしていたからこそ、自然とそういう発音に達した筈で、だから広い視野で捉えると、“sprout”の意味の「萌える」と、今スラングとして使われている「萌える」は、その語感を通して意味的にも繋がっていると言えるんでしょうね。


 ぼくはこういう、表面に見えるものだけを比較したりするのではない「通底するもの」を探るのが昔から好きみたいです。難しいですけどね。切ったら血が出るようでないと。

 その「底」に触れてない理屈はただの言葉遊びであって、エンターテイメントやパワーゲームの域を出ないというか。必然性があれば、それでもいいんですけど。

 ただ「底」に拘りすぎるとオカルト方面に向かってしまうので、匙加減がまた難しいのですが、その匙加減の難しさこそが人間の髄、といえるものでしょう。

関連

 講師の著書『怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか』のレビューリンク

 ここのコメント欄

2つの言語の単語を出して、

「音が似ているから語源は同じ。」というのは言語学ではご法度なんですがねぇ・・・

共-Coやそう-soの話は

「『坊や』とboyは音が似ているから語源が同じ」

っていうようなもんですよ。

という意見がありますが、これなんかが、言葉の表面だけで物事を考えようとする思考の典型だなぁと思います。まさにその「坊やとboy」が語感で繋がっていることを説明しているというのに。*2

 「底」に触れようとしてないですね。

*1:最終的には感性の問題なんで、そこで算出される数値やパラメータ自体は参考程度にしかなりそうにないですが、そのくらいの信頼性しかありませんよっていうのがすぐ解る程度加減も良いですね

*2リンク先の記事内で「語源」という言葉の使い方が適切でなかったのは確かですが、文脈に注意すれば本来の意図は読み取れる筈でしょう

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Wed 2006.03/15

漫画の読み方の話

| 漫画の読み方の話を含むブックマーク

 今日C-WWWの深沢さんからトラバを頂いた流れで、そのコメント欄でLDさんの漫研のページがリンクされており、思わず漫研さんのサイト全体をじっくり読み込んだりしてました。

 LDさんの視点はいいですね、こういう読み方には憧れます。可能ならば教えを請いたいくらい。


 深沢さんから頂いた反応に補足しますと、一枚のページ当たりに慣例以上のプロット内容をねじこもうとする点では、おそらく、椎名高志赤松健も近いことを志向しているのだと思います。

 そのオーバープロットの表現を、椎名高志は「結を増やすが、“結以外”を削ることによって、その削られた部分を逆算で想像させる」という引き算式で、赤松健は「とにかく起承転を増やす」という足し算式で行っている(といっても、引き算を行っていないわけではない)という違いなんでしょうね。


 ……実はここが結構難しい問題を抱えてまして。「読者は、流れの繋がり(=脈絡)をどのくらい削った時点で『つまらない』と感じるのか?」というボーダーを量れる絶対の基準っていうのが、無いと思うんですよね。

 ぼくなんかは、「感情レベルの繋がり」が感じられない構成を見付けると、バンバンNGを出すという神経質な読者だったりします(繋がっていないこと自体が演出として成立していれば逆に「上手い」という評価になりますが)。

 でも「それは完璧主義なだけじゃないか?」と自分で思うこともあります。椎名高志のコマ割りの件もそうですね。ぼくはしょっちゅう、自分以外の人と「いや、このコマとこのコマ、全然繋がってないんだけど気にならないの?」「気にせず読んでました」「いや、間にこういうコマを挟んだら、もっと感情がノるようになるじゃない(実際に描いたりコラージュしたりして見せる)」「ホントだ、言われてみれば」というやり取りをするんですが、「でもそれって、漫画にとってどのくらい重要なことなの?(笑)」という疑問にはなかなか答えが出ませんね。


 週刊連載で漫画を描く側の立場からすると、「作者が一度ノリで描いたコマ割り」を「客観的に見て後から推敲する」という作業は時間もかかって、非効率的だと聞いたこともあります。ネーム段階で即座に直しを入れられる(なおかつ、作者が信頼を置ける)スタッフが居ればいいんでしょうけど。

連載中の『School Rumble』を取り巻く事情のまとめ

| 連載中の『School Rumble』を取り巻く事情のまとめ を含むブックマーク

 リアルタイムで連載に付き合っている読者の間からは「もう、そろそろ長いよ」と印象論で語られることが多くなったように思えるスクランですが、印象ではなく、客観的に環境情報を整理することで判断材料を用意してみることにします。

アニメタイアップ問題

 まず、アニメ第二期『スクールランブル二学期』が4月2日から放送される(全何話かは不明)ことが、本誌連載に大きな影響を与えていると思われます。

 商業作品のカルマといった所ですが、商業作品は無為自然に展開して無為自然に終わるものではなく、外部の要素と協調しながら連載の仕方を変えていくのが常です。今回の場合は、要するにアニメ番組とのタイアップです。

 アニメとのタイアップとしては、

などが実際に行われていると考えられます。具体的にはアニメ企画進行を理由にして、マガジン8号から11号(♯161〜165)の間、減ページが行われています(普段は12頁の所を8頁に)。

単行本の収録話数問題

 スクランの単行本は三ヶ月おきに発行されていたのですが、今回は何故か一ヶ月遅れになっています。

 ファンブックである『School Rumble TREASURE FILE』の発売日が3月17日なんですが、これは12巻の発売日を通常より一ヶ月遅らせている分、その合間を補うのを意図したものか、あるいは逆に、ファンブックを出す為に12巻の発売日がズラされたかのどちらかなんでしょう。

 最新刊である11巻は本編が♯140、増刊号が♭32で終わっており、現在の連載は♯169、♭36まで話数が進んでいます。

 スクランの場合、単行本は1冊あたり161〜163頁で印刷されているのが普通です。

 そうすると12巻は、仮に♯141〜152までの11話分と、♭33,34の2話分を収録するとピッタリ収まる分量になります。


※♯141〜152(計144頁)+♭33,34(計16頁)+内表紙と奥付(計3頁)=総計163頁


 ストーリー的には、播磨と○○がお寺に泊まった本編のエピソードと、●●が同じ場所に向かった増刊号のエピソードが丁度リンクする感じです。

 しかし、ここで発覚する問題は、「13巻分のストックも実はとっくに溜まっている」という事実です。


※♯153〜165(140頁)+♭35,36(16頁)+内表紙と奥付(3頁)=158頁


 おまけページか広告を3頁付ければ161頁になる分量です(ストーリー的には本編がスキー旅行、増刊号がスケートの回で終わり)。

 話数や頁数の詳細は、♯141〜169までの掲載リストを作成してみたので参考にして下さい。


 ♯167以降、再び9頁ずつの連載ペースに戻っているのは、スケジュール的な問題以上に、「ストックが溜まりすぎたので頁量を調節している」という理由もあるんじゃないでしょうか。

 それならば、いっそ休載して充電期間にすれば良さそうなものですが、アニメの放送開始までは話題性を維持しなければならないので、放送開始までは休載したくもできず、一話当たりの頁数を減らす結果になると。

 関係無いかもしれませんが、減ページが始まった二月頃から、小林尽ラジオに出演する機会が妙に連続してますので(↑のリスト参照*1)、「作者のスケジュールが厳しくなったから減ページした」というより「編集部の都合による減ページで作者のスケジュールに空きが出来た」という解釈もできるかもしれません。

連載の引き延ばしについて

 ファンが一番心配しているのはこれではないかと思います。

 単刀直入に言うと、二年生で終わるのか? それとも三年生になっても話が続くのか? という問題です。

 丁度、『ラブひな』が連載中だった頃のマガジン読者が、「ひょっとして東大に受かった後はキャンパス編が始まって延々続くんじゃないか?」と危惧していた感覚に近いんじゃないでしょうか(実際は主人公キャンパスライフを一切描かずに完結しましたが)。

 一応、スクランテーマは表向き「三年になったら烏丸が転校してしまう」なのです。

 天満はまぁバカなので、烏丸の転校問題を素で忘れていそうですが(♯140で「留年したら烏丸君と離れ離れになっちゃ───う!!」と、肝心なことを見落とした思考をしている)。ちなみに天満烏丸は一応イイ感じになってますが、告白はまだしてないし付き合ってもいません。


 んで、現在の作品内時間はバレンタインデー、つまり2月14日。

 烏丸が転校する筈のタイムリミットは(カウントの設定に変化が無ければ)来年度の始業式の二日後ですから……4月の7日〜14日あたりでしょうか。二ヶ月弱の余裕が残っていることになります。

 アニメが全何話なのかはまだ告知されていないのですが、普通に(大人の事情を)考えれば、原作アニメより早く終わるということはないでしょう。アニメが終わった後も暫く続くものだと思います。

 特例として考えられるのは、アニメ原作がほぼ同期して終わる(つまり、ラストの構想について原作者サイドとアニメスタッフとの間で示し合わせがある)という、美鳥の日々方式です。もしかしたらスクラン美鳥の日々のように、スタッフ間で示し合わせを行っているという可能性もあるんじゃないでしょうか。


 そのアニメ自体の話数ですが、仮に1クールだとすると三ヶ月間(7月まで)、2クールだとすると六ヶ月間(10月まで)続くことになります。

 スクランは、去年の10月に連載3周年に到達し、その回のカラー扉で「次に目指すは4周年!」とアオリを入れていただけに、2クールというセンも充分ありえそうな感じです。

 しかし、「作品内では二ヶ月しか残り時間が無いのに、六ヶ月間も連載できるの?」と思われるかもしれません。でも2003年12月発売のマガジンで二学期の初日(9月1日)が載り、十四ヶ月後の2005年2月に出たマガジン烏丸誕生日10月28日)が載ったりしているので、イベント次第では二ヶ月でも一年間連載を引っ張れることが解ります(サンプルが極端ですが)。

 逆に言うと、三年生編に突入させると「時間が余りすぎて困る」という塩梅なので、「三年生編問題」はさほど心配しなくていいかもしれません。

 それにしたって、完結まであと半年かかるとか言われると、待ちきれない読者が多そうですが、どうなることでしょうか……。

  • 03/16追記

 個人的には、「引き延ばしがかかってるんだから、つまらなくなって当然」と思うよりも、「この逆境を乗り越えてテーマを描ききったら凄いぞ」という視点で積極的に応援しています。

おまけ

 余談ですが、時間軸といえば、2002年の秋に連載開始しているスクランの時代設定が、「実は2005年度の話になっている」という事実にみなさんお気付きでしょうか。♯157(麻生と管の回)で具体的に「2005年」という数字が出ており、その後トリノオリンピックのような時事ネタも平気で出るように。

 つまり、スクラン物語2005年の春からスタートしていたという……。

 今まで時代を特定するような描写が無かったとはいえ、連載開始時のスクラン二年半後の未来を描いていたと知った時は腰を抜かしましたね。なにその未来日記

  • 追記

 今講談社サイトを見てみたら、小説版も4月17日に発売されるみたいですね。これの作業が減ページの理由のひとつだったのかも。

スクールランブル カレンダー2006
スクールランブル カレンダー2006小林

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 あと関係無いですが、Amazon2006年スクランカレンダーを叩き売りしていたので、画集代わりに注文してみたり。

 ネギまのカレンダーも安売りしてたので一緒に購入。こっちは装丁の良さで評判もいいですしね。

*1小林尽は元々、休日を作るのが上手い漫画家みたいですが

Mon 2006.03/13

セミがどうして鵬の志を知れようか

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 趣味の話が続きますが、ついでに『荘子』からも好きなのを一つ。これは特に有名なやつですね。司馬遷の『史記』(陳渉世家)にも「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」という似たような話が出てきますが、荘子の方がスケールが大きくて趣があります。

荘子逍遥遊篇 第一章

 北冥という海に魚がいた。その名を鯤(こん)といった。鯤の大きさといったら何千里あるか分からないぐらいであった。鯤はある時、変身して鳥となった。その名を鵬(ほう)といった。鵬の背中も何千里あるか分からなかった。鵬が勢いよく飛び立つと、その翼は空一面を覆う雲のようであった。

 この鳥は海が荒れ狂うと、南冥に移動しようとする。南冥とは南の果てにあるという天の池のことである。

 怪異に詳しい、斉諧という人物の言葉に、「鵬が南冥に移ろうとする時、まず海の上を三千里にわたって滑空し、次に旋風に乗じて上昇すること九万里、そして六ヶ月飛び続けて休息する」とある。

 陽炎だとか、土埃だとかは、地上の諸々の生命の息吹の証である。その上に広がる空の色は青々としているが、しかしそれは本当に空の色なのだろうか。限りなく遠いからそう見えるだけなのだろうか。鵬が上空から大地を見下ろした場合にも、やはり青々とした色に見えるかもしれない。

 そもそも水の深さが十分でなければ、大きな舟を浮かべる力は生まれない。盃の水を地面のくぼみに流し込んだだけでは、ゴミなら水面に浮かぶだろうが、盃を置けば底にくっついてしまう。水の浅さに対して、舟となる盃が大きすぎるからだ。

 同じように、風の層が厚くなければ、鵬の大きな翼を載せるだけの力は無いのである。従って、九万里の高さに上昇すれば、風の層は下に十分あることになる。そこでやっと風に乗り、青空を背負い、飛翔を妨げるものは無くなるのである。そうして初めて南に向かって飛翔して行くのである。


 蝉と小鳩が、鵬のこの様子を見て、嘲笑って言った。「我々は勢いよく飛び立って、楡や檀の木に留まる。それでも時にはそこまで届かずに地面に落ちることもある。それなのにどうして九万里も上昇してから南に行こうなどとするのか、とんでもないことだ」と。

 郊外の野に出掛けようとする者は、三度の食事を取っておくだけで、往復中に空腹を感じずに済む。百里の旅に出る者は、前夜に餅をついて持っていく。千里の旅に出る者は、三ヶ月前から食糧を集めておくものである。この二匹の小動物に一体何が理解できよう。小さな知恵は大きな知恵を理解できないし、短い寿命のものには長い寿命のもののことは理解できない。どうしてそのようなことが解るのか。例えば、朝菌は朝生じて夕方にはしおれるので月の終わりと初め(一ヶ月)のことは知らないし、(夏しか知らない)蝉は春や秋という四季のことは知らない。これらは短い寿命であるからなのだ。

 楚の国の南方に冥霊という木がある。五百年を春とし、五百年を秋としている。また、上古の時代には大椿という木があった。八千年を春とし、八千年を秋としていた。それなのに、今、彭祖という人間長寿ということで有名になっている。人々はみな彭祖にあやかりたいと願っている。なんと哀れなことではないか。*1

おまけの解説

 古代単位で三千里は、約1,200km。地球の直径約12,000kmの一割です。地球の円周は40,000kmですから、およそ地球を三十三分の一周してからの上昇ですね。

 九万里は、約35,000km(地球2.9個分)です。月軌道の約380,000kmの一割で、静止軌道の高さに迫ります。


 今で言うと、宇宙空間の物理法則を全然想像できない人、みたいなものでしょうか。ニュータイプとオールドタイプみたいな。

 メジャーマイナー、プロとアマチュア、「他者」と「私」、などにも通用する話です。

 「自分の尺度」は基本的に信用できません。何事も、上のステージに進むことでルールは変化してしまいますから。例えば、子供にとっては一万円のお小遣いでも大金なんで、億万長者に対して「沢山お金を独り占めしている人」という認識しかできませんが、大きなお金を動かせるということは、その使い道からして次元が異なってくるものです(家族や部下を養う、というのがまず大事でしょうが、慈善事業や文化振興、投資パトロンなんかをしてくれるのは金持ってる人でしょう)。


 蝉や小鳩や、子供でなくても、ステージの異なる相手に対して、自分の尺度でしか物事を捉えられない人が大抵ですね。勿論自分を含めてです。勝った負けたとか、得した損したで考えない方が良いです。相手だけが得して勝ってるように見えて、実際は「相手が勝たなかったらマズい状況になっていた」「相手が得したおかげで自分も助かった」という要素もどこかに含まれているものですから(全長数万kmもあるような魚は、地球外に脱出してくれて正解でしょう)。

 別のステージルールを理解することはできないにせよ、せめて、相手を自分のレベルまで下げて、足を引っ張る(道連れに巻き込もうとする)ような真似はしたくないものです。

 これは、「批判」というものを行う時の教訓ですね。*2

*1:北冥有魚、其名爲鯤、鯤之大、不知其幾千里也、化而爲鳥、其名爲鵬、鵬之背、不知其幾千里也、怒而飛、其翼若垂天之雲、是鳥也、海運則將徙於南冥、南冥者天池也、齊諧者志怪者也、諧之言曰、鵬之徙於南冥也、水撃三千里、搏扶搖而上者九萬里、去以六月息者也、野馬也塵埃也、生物之以息相吹也、天之蒼蒼其正色邪。其遠而無所至極邪、其視下也、亦若是則已矣、且夫水之積也不厚、則其負大舟也無力、覆杯水於[土幼]堂之上、則芥爲之舟、置杯焉則膠、水淺而舟大也、風之積也不厚、則其負大翼也無力、故九万里則風斯在下矣、而後乃今培風、背負愿啓莫之夭閼者、而後乃今將圖南、蜩與學鳩笑之曰、我決起而飛、搶楡枋、時則不至而控於地而已矣、奚以之九万里而圖南爲、適莽蒼者三滄而反、腹猶果然、適百里者宿舂糧、適千里者三月聚糧、之二蟲亦何知、小知不及大知、小年不及大年、奚以知其然也、朝菌不知晦朔、惠蛄不知春秋、此小年也、楚之南有冥靈者、以五百歳爲春、五百歳爲秋、上古有大椿者、以八千歳爲春、八千歳爲秋、而彭祖乃今以久特聞、衆人匹之、不亦悲乎。

*2:このように、折角の素晴らしい古典を前にして、ぼくが「モノカキとしての尺度」でしか註釈をつけることができない、というのもモノの本質を表していると言えます

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Sun 2006.03/12

『列子』の日本語訳(私家版)

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 唐突ですが、中国古典にして道家の書物である『列子』の一編を現代語訳する作業をしていました(ネット日本語に訳しているページが見当たらなかったので)。

 『列子』の中でも、特に好きな説話の一つです。ちょっと紹介しましょう。

列子』天瑞篇 第十六章「天地之徳」

 斉の国氏は大いに富み、宗の向氏は大いに貧しい。向氏は宗から斉へ足を運んで、国氏にその方法論を請うた。


国氏「私は上手く“盗”を行う。私が“盗”を行ってから一年で自給し、二年で自足し、三年で豊かになった。それ以来、近隣に施しを分け与えるようにもなった」


 向氏は大いに喜んだが、その“盗”の言葉を教わっただけで、“盗”の道を悟っていなかった。ついに人の土地の垣を越え、家屋に侵入し、目につくもの手につくもの探らぬものは無かった。

 やがて罪に問われ、元々持っていた財産までを没せられる。国氏が自分を誤らせたのだと思い、恨み言をぶつけに行った。


国氏「お前は何を盗もうとしたのだ」 向氏は事情を説明した。

国氏「ああ、お前は“盗”の道からそこまで外れていたのか。今詳しく教えてやろう。私は天に時、地に利があることを知っている。私は天地の時利、気候の潤い、山沢の育みを盗んで田畑を為し、垣を築き、我が家を建てた。陸から禽獣を盗み、水から魚介を盗んだ。これを“盗”と言わずしてなんと言う。穀物土木、禽獣、魚介、みな天から生じたものであり、私の所有する所ではない。しかし私は天から盗んだにも関わらず、罰せられることは無い。しかし金銀、宝石、食禄、財貨は人が集めたものであって、何も天が与えたものではない。お前がそれを盗んで罪に問われたとして、誰を恨む筋合いがあろう」


 向氏は大いに困惑し、また国氏にくらまされたのかと思い、東郭に寄ってそこの先生相談した。


東郭先生「お前の全身こそ、盗んだものに違いないではないか。陰陽和合の力を盗んでお前の命が生まれ、肉体が形作られたのだ。ましてその他の物で、盗んでいないものがあると言うのか。天地万物は全て一つのもので、一切の区別は無い。それを所有した気になるのは全てまやかしだ。国氏の“盗”は公道を往くものであるが故に、罰せられることはない。お前の“盗”は私物を冒すものであるが故に、罪に問われた。仮に公私の別があったとしても“盗”であるし、公私の別が無かったとしても“盗”は“盗”だ。公を公とし、私を私とするのも天地の徳である。天地の徳を知る者は、誰が盗んだだの、盗まなかっただのを問題としない」 *1

おまけの解説

 これは個性とか、オリジナリティとかに拘って生きる人に対する注意にもなります。

 その個性というのは、天地万物、つまり先天的世界から自分が盗んだものであって、その所有権自分が持っているわけではないのです(と、いうことにしておけ、という教訓です)。

 自然に対する盗作、要はパクリですね。だから人にパクられても文句を言えるものではないし、パクリ元が共通しているからこそ「似たもの同士」と出会える可能性もあり、互いに感動することもできる。

 個性やオリジナリティは、他人と競争して生き抜く為にはパクられないよう所有権を守り通す必要(あと芸術家を飢え死にさせないよう周囲が守ってあげる必要も)がありますが、元々は自然存在しているものを借用してるだけなんですから、それは利権のしがらみに囚われた人間のワガママと言うべきなんでしょう。本当に徳のある人程「誰が盗んだだの、盗まなかっただのを問題にしない」わけですね。


 もう少し細かい話をするなら、ユングアーキタイプ論を知っている人だと感覚的に理解しやすいと思います。ちょっとニューエイジな喩え方をすると、先天の世界にはアカシック・レコードのようなものが存在していて、我々はそれにアクセスすることで「個性」とやらを取り出しているだけなんだ、という図式ですね。

 そのアクセスの深度が深い人、感覚が非常に優れた人こそ、才能がある、と呼ばれるのでしょう。運良くレアカードを引き当てたり、望み通りのカードを引くコツを心得てるようなもんですね。

 自分と似ている人、というのは、偶然同じカードを引いた者同士なんでしょう。その上で、完全に同じカードを揃えた人はこの世に二人と居ない、というのが人間面白い所ですね。

 また、天から授かった自然のものではなく、人が集めたものを盗む──「他人の個性を盗む」という行為は、つまり盗作盗作になるわけですが、他人が持ってるカードを色々組み合わせてみて、その間で起こる化学反応を入口にして先天の世界アクセスすることができれば(そしてどんなカードでもいいから、何かを引き当てることさえできれば)結果オーライだと思います。──というか、天才でもない凡人にはその道こそが正道でしょう。

 問題となるのは、アクセスのレベルがあまりにも浅くて、肝心のカードを何も引けなかった場合です。そういうものこそが、ただの猿真似と呼ばれるべきですね。

 充分に深いアクセス経験した人に会ったり、その人の作った作品に触れると、触れた側も深い世界アクセスすることができます(アクセス先は相手と異なる場合もある)。それが「感動する」という現象なんでしょう。

つまり、まったくの無から有を生み出すような真似は人類には不可能なのだが、いくつかの有を組み合わせて新しい有を生み出すことは可能ということだ。

ある意味で私たちが日々作り上げているすべてのものは先行する何かの「コピー」である、というのが私の持論である。

別に持論と言ってオリジナルを誇るほどのことではなく、孔子が今から2500年前に「述べて作らず」(私の申し上げることは先人のコピーであってオリジナルではありません)と宣言しているので、私はそれをコピーしているだけである。

 今ぼくが説明しているのは、おそらく↑で述べられているような問題の、根っこの部分だろうと思います。道家面白いですよ。「述べて作らず」と言った孔子儒家との影響関係もありますし。

 道家は「とりあえず、失われた古代には文化芸術も医術も武術政治も、既に完成していたのだ(と、いうことにして下さい)」という前提で始まって、その「架空古代」にアクセスする方法を体系化している面があるみたいなんですね。

*1:齊之国楽大富、宋之向氏大貧。自宋之齊、請其術。国氏告之曰「吾善為盗。始吾為盗也、一年而給、二年而足、三年大壤。自此以往、施及州閭。」向氏大喜、喩其為盗之言、而不喩其為盗之道。遂踰垣鑿室、手目所及、亡不探也。未及時、以贓獲罪、没其先居之財。向氏以国氏之謬己也、往而怨之。国氏曰「若為盗若何。」向氏言其状。国氏曰「[口喜]。若失為盗之道至此乎。今将告若矣。吾聞天有時、地有利。吾盗天地之時利、雲雨之滂潤、山択之産育、以生吾禾、殖吾稼、筑吾垣、建吾舎。陸盗禽獣、水盗魚鼈、亡非盗也。夫禾稼、土木、禽獣、魚鼈、皆天之所生、豈吾之所有。然吾盗天而亡殃。夫金玉珍宝穀帛財貨、人之所聚、豈天之所与。若盗之而獲罪、孰怨哉。」向氏大惑、以為国氏之重罔己也。過東郭先生問焉。東郭先生曰「若一身庸非盗乎。盗陰陽之和以成若生、載若形。況外物而非盗哉。誠然、天地万物不相離也。認而有之、皆惑也。国氏之盗公道也、故亡殃。若之盗私心也、故得罪。有公私者、亦盗也。亡公私進、亦盗也。公公私私、天地之徳。知天地之徳者、孰為盗邪。孰為不盗邪。」

Thu 2006.03/09

Amazon

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 色川武大狂人日記』届く。著者の年譜や著作リストが載ってるのが有り難いです。積ん読

 高野文子るきさん 文庫版』届く。実は高野文子読んだことありませんでした。積ん読

 なるしまゆりプラネットラダー』7巻(完結)、意外にも早く届く。読了物語としてはちゃんと締め括られていて、大変面白かったです。やはりヒロインのかぐやと、準ヒロインバンビの関係性が魅力だったんですが、この二人はもう少し絡んで欲しかったな。他のなるしま作品もいずれ読んでみようと思います。


 で、今日は↓これを予約注文。

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 RetroPC.NETブログ赤松健インタビューの写真が

 なんか赤松さんはいつもこの服着てますね(笑)。冬なのになぁ。

  • 余談

 Amazonといえば、サイト管理につきもののアフィリエイトですが、ウチのサイトは全然売れないですね。だからもうゲーム感覚でやってるだけですね(たまに、ウチのサイト傾向と何の関係も無い実用書や専門書が注文されたりして面白い)。

 一万円のボーダーを越えたりもしないので現金化もせず、いつもAmazonギフト券にしてます。だから一期(三ヶ月)につき、CDを一枚買って終わりって感じです。

 まぁそもそも商品が売れないのは、書評レビューを沢山書いたりしない所為なんでしょうけど。

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Tue 2006.03/07

美輪明宏の言葉

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 ちょっと最近、ぼくのプロフィールを通して美輪明宏に興味を持っていただけた方が増えて(?)おられるようなのですが、美輪さんの本を読んでみたいということなら、講演会のレポートを先に読んでおくといいと思います。ぼくも最初にこれを読んでから、『人生ノート』や『紫の履歴書』を読みました。

椎名高志のコマ割りグセ

| 椎名高志のコマ割りグセを含むブックマーク

 最近、『MISTERジパング』全巻をまとめて読んでみました。

 アイディアキャラクターは良いので、物語としては面白いのですが、漫画として読むと構成やコマ割りに難がチラホラ発見できます。ダメ、って程じゃなくて、「あっ、勿体無い!」というレベルの。

 特にコマ割りに関しては、椎名高志極楽大作戦の時代から「1ページのコマを6コマ以上に割らない」というスタイルを通している(大体3〜5コマが普通で、6コマに割るのは珍しい)と思うのですが、そのコマ密度の低さに対して、1話あたりのストーリー展開が早いという要素が災いして、しょっちゅう説明不足な場面を生んでます。

 ギャグにしろ見せ場にしろ、「オチを出すのが早い」「起承転結の承や転(タメ)が足りない」印象を度々受けました。場面と場面がうまく繋がらなくて、一瞬ワープしているような気にさせる。考えオチというか、そのオチに至った過程(行間)を読者が考えて補完しなきゃいけないという……(そういう「読者に考えさせるネタ」を好むようになったのもMISTERジパング以降からではないでしょうか)。

 これは極楽大作戦の頃はあまり気にならなかったのですが、MISTERジパングに入ってから顕著になったのは、やはり「ストーリー展開の早さ」を求めた上で、しかしコマ数の密度を上げようとはしなかった結果のようにも思われます。


 んで、この「オチを出すのが早い」「タメが足りない」という現象は、今連載中の『絶対可憐チルドレン』でも良くあるんですよね。おそらく、MISTERジパングの頃についてしまったクセが作者に残ってるんだと思います。話のオチをいきなり出したり、キャラクターの感情が高まりきる前に大ゴマをバーンと出して決め台詞を叫ばせてしまったり。「作者が見せたい結果」だけを脈絡無しに描いているような。

 行間を読ませる演出、と言っていいのかもしれませんが、漫画の「流れ」を重視して読むと「あー、物足りない、勿体無い」と良く感じます(まぁ、読者が漫画に求める「流れ」のリズムは人それぞれなので、物足りなさを感じる人と、気にせず読む人に二極化してしまう、というレベルの問題です)。

 絶チルは今、人気的には軌道に乗ってるみたいですし、ちょっと質の高さも求めたくなる頃合ですね(ワガママな読者)。

nippenippe 2006/03/08 23:23 はじめてコメントさせていただきます。いずみのさんのプロフィールから美輪明宏に興味を持ったものです。美輪さんの講演会のレポート、とても心に残りました。今度『紫の履歴書』も読んでみることにします。

izuminoizumino 2006/03/09 20:30 はじめまして。ちょっと嬉しいですね。オタク趣味を持つ者にとっては、耳に痛い話もあり、支えになる話もあるのが素晴らしいと思っています。本当は、NHKの教養番組とかで、実際に喋っておられる恰好をご覧になってほしい所もありますけど

Mon 2006.03/06

izumino2006-03-06

『映画ドラえもん のび太の恐竜2006』

| 『映画ドラえもん のび太の恐竜2006』を含むブックマーク

 というわけで観てきました映画ドラ。

 個人的には「可」もあるし「不可」もある映画化……ではあるんですけど、それは原作に忠実なものを求めている所為なんであげつらうのもヤボであって、リメイク版にはスタッフによる新たな解釈を付加するべきだと思いますし、映画的な欠陥は特に無かったとも言えるでしょう。

 一緒に観にいった見習い雑兵さんなんかは「原作の内容きれいさっぱり忘れてたから普通に感動しました」とか言ってたし。へぇ、そりゃ良かったね……(あたたかい目のつもり)。


 さてまぁ、「児童まんがのおもしろさ」の基本である「面白い顔をしたキャラが変な顔になる」という技をカツカツ当ててお子様を喜ばせつつ、中盤以降はバキバキ絵を動かしまくるスペクタクル突入

 んで最後のピー助との離別のシーンを、かなりドロッとした、執拗な心理描写を施して熱を盛り上げて終わりという。

 ぼくは新ドラが始まった頃から、のび太役の大原めぐみの声には「ああ、これはシリアスなエピソード(大長編)を想定したキャスティングなんだろうな」と確信してましたが、そのシリアス寄りの資質が、映画版のドロッとした描写にガッチリハマっていて見事でしたね。ここだけは「リメイクされて良かった」と言えるシーンだったと思います。泣けました(そこに至る過程で、ちょっとした整合性無視がありましたが、まぁそれはドラマ重視の演出と考えれば)。


 あとこれは微妙な問題だと思うんですが、作画上の「鉛筆のタッチ」をできるだけ残すような、意図的に主線をクリンナップしないスタイルを採るのは、利も不利もあると思います。

 アニメーター側の「ラフ自然タッチを残したい」という気概は感じるんですが、アニメファン以外からすれば「柔らかい味のある線」と好意的に受け取るか、「手抜きの汚い線」とマイナスに取るかは五分五分といった所でしょう。

 それに、鉛筆のタッチを残すということは「これは絵です」と口で言っているようなもので、「自然タッチを活かす」どころか、余計な「つくりもの感」を子供に与えているだけのような気もします(特撮番組ピアノ線を見せるようなもの。まぁ「つくりもの」であることに気付いた子供がキャッキャと喜ぶ風景想像できますから、それはそれで健全なのかもしれませんけど)。

 少し、アニメーター芸術家意識を優先してしまっている(過信している)ような印象を受けなくもなかったですね。絵に関心のある人間ならばクリンナップされる前のタッチにも魅力を感じやすいでしょうが、一般人がどう思うかは人それぞれなわけで。まぁどうしてもダメだ、って悪く言う人は少ないと思いますが(毎年このスタイルでいくなら慣れるでしょう)。

 あと、藤子・F・不二雄の絵柄は「主線が完全に閉じている」というのも魅力のひとつなので、「主線を閉じさせない」ことに不満を感じる原作ファンも多いかもしれませんね(新ドラが「原作の絵柄に近づけてリメイクする」というコンセプトを謳っているなら尚更)。けど、まぁそこまで行くと好みの問題ですね。


 ……で、ここまで言っておいてから、最後に一応「不可」の部分をひとつ述べておきます(以下ネタバレ。かなり批判的かもなので御注意)。

続きを読む

なるしまゆり『プラネット・ラダー』面白い

| なるしまゆり『プラネット・ラダー』面白いを含むブックマーク

 ちょっと『異界戦記カオスフレア』というTRPGシステム最近のめり込んでまして、その世界観元ネタとして挙げられているのが『プラネットラダー』。参考資料くらいのつもりで、6巻まで購入(最終巻の7巻は店に並んでなかったので)。


 ……という軽い気持ちで読んでみたらメチャクチャ面白いし。

 多次元宇宙設定のSF戦争ファンタジー、という少女漫画少女小説で良くありそうな「作者の世界観語り」な作品なんですが、その世界観の切り出し方が上手い*1のと、人間関係の心理描写がなかなか悲壮なのとで読ませてくれます。

 特に、バンビ×かぐやのカップリングには萌えまくりですよ!(←漫画百合視点で読み過ぎな読者の典型)

プラネット・ラダー 7 (7)
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おすすめ平均 star
star心残りな終り方
starもったいない
starぜひ読んで欲しい作品

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 慌てて7巻を通販しようとしたら、発送が4〜6週間先になる、と……。おーい。

 なんでも掲載誌消滅の憂き目にあった作品らしく、もし天寿を全うできずに完結したとするなら勿体無いことですね。

 レビューサイトでも良く指摘されていることですが、モノローグの使い方が秀逸な漫画です。

*1:単行本でじっくり読まないと意味サッパリでしょうが

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Sat 2006.03/04

明日

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 『映画ドラえもん のび太の恐竜2006』を観て参ります。

 実は大長編劇場まで足を運んで観たのは……「日本誕生」以来かな?

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Wed 2006.03/01

英語の“aggressively cute”を日本語に訳すと……

| 英語の“aggressively cute”を日本語に訳すと……を含むブックマーク

 ↑英辞郎 on the Webでの検索結果をご覧下さいませ。

 ……ホントに辞書に載るような用法なのか(笑)

 そして非常に納得してしまう翻訳でもあります。強烈に可愛い=激しく萌える。確かにそうだ(笑)


 ちなみに「萌え」自体の検索結果はこちら

 「萌え」単体では「芽が出る」という意味でしか辞書に載ってないですね、謎だ……。

アニメ版『魔法先生ネギま!』第二期スタッフ

| アニメ版『魔法先生ネギま!』第二期スタッフを含むブックマーク

 『ぱにぽにだっしゅ!』の新房監督なわけですが、これでようやくネギまは「原作ファンの“外”」に対してアピールを始めてくれたなぁという感じですね(前期の錦織監督のように、途中降板が無ければの話ですが)。

 ウチのサイトでも良く指摘していることなのですが、赤松さんメディアミックスに関しては基本的にノータッチな人で、プロデューサーらしいことを実はあまりしてないんですが、今度は流石に企画段階から口を挟むようになったのかな? という気も。いや想像ですけどね。


 原作人気にあやかっただけの、縮小再生産にはならないことを期待していますし、新房監督なら多分ならないでしょう。

 そういえば『月詠』も『ぱにぽに』も、アニメ化で随分知名度と株を上げてもらえた作品でしたね。

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