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Fri 2006.07/28

最近の購入物

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 あと加納さんから借りていた、石川賢『神州纐纈城』を読了してます。

 他にも買ったり借りたりしたものはありますが。

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Thu 2006.07/27

無題

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f:id:izumino:20060723033855j:image


 『時をかける少女』を観る前に、マクドで時間潰ししていた時の落描きです。

 時かけ、個人的にはツッコミ所を探すのが楽しい映画でした(最低)。

ちゃんと書きたいけどまだ書けないこと

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 更新滞ってましてすみません。

 ちょっと別方面の原稿やってまして、日記の方に頭を回せません。


 ところで既にお気付きだとは思いますが、id:izumino:20060710:p1に書いた記事は、ペトロニウスさんと海燕さんの、

に対するレスポンスの準備として書かれていました。

 もうちょい突っ込んで書くつもりだったんですが、後回しになりそうです。すみません。


 ただ、いずみのがベトロニウスさんのmixi日記(内容は物語三昧にアップされてるのと同じ)にコメントした時の文章を少し改変して転載しておこうと思います。こんなのでも意味は伝わるでしょうか。

 オタク・イズ・デッド問題って結局「人数」と「比率」の問題で、猫も杓子もオタクやってるんだから、全体の数で割ると薄くなるっていうのは当たり前だと思うんですよね。

 コンビニファミレスで食えるグルメ食品が全然グルメじゃないのと同じですね。家に将棋盤を置いてる人が、年に1,2回、正月将棋を指せばいい方なのと一緒。

 オタク将棋と同じで、気軽に趣味にできる時代になったということで、これは単純にいいことだと思います。日本人なら誰でも将棋ルールを知ってるっていうのは凄いことですし、でも、かといって日本人全員に「定石を覚えろ」とか「アマチュアの大会に出ろ」なんて言うのは無茶もいいとこでしょう。

 ただ、相対的に見た濃さが下がっていても、その中におけるマニア絶対数は確実に増えてる筈で、岡田さんなんかはその絶対数を見ようとしてないんじゃないかって良く思います。

 将棋の話だと、奨励会の会員数だって「正月将棋を指すだけの家庭」が増えるのに比例して、人数を増やしていた筈です。

 萌える感性にせよ、教養主義(「教養趣味」というべきかも)にせよ、共通分母として「好き」という気持ちがあることに注目して、両者を対立軸で見ないことが大事だとも思います。


 「好き」の後に、知的好奇心よりも創作意欲が先立つ人もいれば、コレクションやコミュニケーション(仲間探し)に向かう人も居ると。

 めっちゃ大雑把な例えですが、人の性格をユング式に思考、感情、感覚、直観のよっつに分けたとしたら、それぞれ「好き」という気持ちの後の行動が異なる(教養コミュニティ創作、その他)わけですから、オタクという人種の行動も、それぞれバラバラに向かうのは当然のことかなぁと思います。

 「人間」が多様性の生き物である以上、「オタク」も多様性を持っていて然りですし、どちらかといえば多様であるべきだという考え方ですね。


 そういう意味では、ペトロニウスさんといずみのの行動も実はベクトルが微妙に違うんですよね。

 ペトロニウスさんは多分思考型で、何かを好きになった時、知識に向かおうとするタイプだと思うんですけど、自分は直観型なので(笑)、アイディアインスピレーションが優先だから、知識はその為に必要だというだけの、二次的な要素なんですよね。

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Wed 2006.07/19

今週のネギまが

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 面白かったです。ゆえゆえの天才フラグっぽい所が。

 秀才フラグかもしれないけどあれは天才フラグと信じたい。学習能力と応用力のハンパ無さが示されてるので、良い師匠(クウネルとか)が付けばかなりの吸収力を見せるんじゃないかと。

八神かおり『青春拳法開眼小説 カンフーガール』

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 Nyarlさんが紹介していたので興味を持って。どんな内容なのかはリンク先の紹介文を読んでもらえば明らかですが、確かにいかにも体験談でござい、といった内容満載で面白い。

 文章力やプロットなんかは(小説というより、日記紀行文のようなものだと思えば)それほど悪くないと思います。でもタイトル装丁のセンスが抜群に悪いってのはまったくで。


 まぁ読んだ感想は、「あぁ、やっぱり一日中武術とか気功とかの修業する生活したいわ」、と。

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Amazon購入

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 脳科学勉強用に。ラマチャンドラン、ダマシオと読んできたので、多角的に知識を集めておきたいと考えています。

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Sun 2006.07/16

『魔人探偵脳噛ネウロ』より桂木弥子

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f:id:izumino:20060716190843j:image f:id:izumino:20060716190906j:image

(左:シャーペン/右:ミリペン)


 前々から描きたいと思っていたキャラなので、ちょっとラクガキ。今のジャンプヒロインの中では一等大好きでございます。

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Mon 2006.07/10

古典的とは 読書経験の集積から

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 このエントリ掲載してあるのは、「古典主義(参考:Wikipedia)」という言葉を考える上で、ぼくの脳裏にある、先人達言葉を集めたものです。

 こういうバラバラな「思い」を有機的に融合させていって、その意味を追究する……という行為自体が「古典的」というのではないかなとも思います。

 「追求」と「追究」の違いですね。古典を探し集めて、コレクションするだけなら「追求」止まりで、「その奥にもっと何かあるんじゃないか?」という意識を持つことを「追究」と呼ぶんじゃないかと。

 古典の知識に詳しければ偉い、っていう価値観はむしろ瑣末主義(トリビアイズム)の始まりでしょう。詳しくならなくてもいいから、何かを究めるつもりでやる、ということの方に価値観を置く。

 「様式主義」は古典主義と意味が近い言葉だと思いますが、「様式」という概念も誤解して捉えられていることが多くて、様式主義者というのは、既存様式の形を模すればいいわけじゃないんですよね。それは「形骸化」でしかなくて。様式というものは、追究してもしきれない深さがあるからこそ、完成した「様式」足りえるわけでしょう。

 荒木飛呂彦例の講演で、「古典的手法をツイキュウ*1する」という言い方をしてたみたいですね。

 荒木飛呂彦という現役の漫画家が、実は古典派の人である、と自分から表明したことは、現代マンガ界にとって非常に重要なことだと認識しています。

 このことは評論家の間でも、重大な事柄として議論対象になってもいいと思います。今の漫画評論っていうのは、ようやっと戦前現代までに至る「ストーリー漫画史観」に見通しがつくようになった辺りで、(日本の絵巻物は視野に入っていても)それ以上に普遍的な、広い視野を得ていない状態でしょう。その割に、個々の漫画家自身西洋美術からの影響を語る人が多かったりして。

 美術としての古典や、ドラマとしての古典、主義としての古典が、漫画にとってどういう役割を果たすのか、を考えることは、その視野を広げる上で大きなチャンスになってくれそうな気がしています。


 能書きが長くなりましたが、この日の日記目的は「とにかく引用文を沢山貼り付ける」ことなので、単なる引用洪水として見て頂ければ。

 なんでこんな記事を作ったのかの理由は、また日を改めて言及したいと思います。


中野雄『モーツァルト 天才の秘密』p74-75より

 いまクラシック音楽アマチュアの愛好家が楽しもうと思ったら、市場にはどんな手段が用意されているかコンサート、CD、DVD、TV、そして楽器楽譜。加うるに、街に溢れる音楽教室カルチャーセンター。そして音大卒業した先生の大群。演奏される機会を待っている古典遺産は数え切れないほどあるし、それらに取りかかるためにまず克服しなければならない練習曲の類いは、これまた何千曲あるのか見当もつかない。

 だが二〇〇年の昔、音楽市場に、これらのうちいかほどのものがあっただろうか。

 音楽を耳にする機会は、数少ないコンサート会場か、友人のサロンでしか得られなかった。自分家族の誰かが楽器を持ったり、歌を習ったりすることになったとして、さて、そのときどんな曲を弾き、どんな歌を唄ったらいいのか。とにかくそこにはモーツァルトソナタもなく、ショパン練習曲集(エチュード)も存在しなかったのである。人びとは楽譜を求め、出版業者は「新曲を!」と血眼になっていた。

 現在クラシックと言われる世界に留まっている限り、私達はまず、「現代作家の手になる新曲が欲しい」とは思わない。現代作品に対する好き嫌いは別として、アマチュア音楽愛好家にとっては、生涯かけても弾き尽くすことの出来ないほどの名曲の数と量があるからである。

 ところが二〇〇年、二五〇年前には、前述のように質の高い器楽絶対音楽)のための作品は、需要に限りがあり、作品の質も低く、数量自体も少なかったのである。

 「新しい曲が欲しい」。ハイドンモーツァルトが対面した音楽市場は、音楽家に対し何よりもまず、創作者瓩任△襪海箸要求していた。

同書p142-143より

 十九世紀ロマン派時代には、原典尊重瓩箸作曲者創作意図かいうものにはさしたる関心が払われなかった。大切なのは時代の美感と、個人の価値観である。先人の作品上演に当たって、奏者による譜面の改変や編曲常識的行為であったと言っても過言ではない(例えば、ブラームスブゾーニ編曲したバッハの≪シャコンヌ≫など)。この流れは二〇世紀中葉まで続いて、人びとは楽曲と同等、ないしはそれ以上に演奏家個性尊重した。そして、そんな雰囲気の中からフルトヴェングラートスカニーニをはじめ、ホロヴィッツクライスラーなど、演奏界に巨匠が次々と登場した。二〇世紀の前半は、演奏芸術が頂点を迎えた時期と言っていい。

 これに対して、世紀の中葉から「大切なのは作曲家創作意図であり、演奏家はそれを聴き手に伝える使徒瓩任△襪戮だ」という演奏哲学が広く唱えられ、「楽譜に忠実に」が合言葉となる。抑制の利いた、端正な演奏が持て囃される時代が到来した。N響の桂冠指揮者サヴァリッシュなどはその典型であろう。

 「楽譜に忠実に」という演奏哲学エスカレートすれば、「作曲家存命時代楽器と奏法に忠実に」という思想が現れるのは、当然の趨勢と言っていい。「モーツァルト作品は、モーツァルト時代楽器演奏するのが、彼の作曲意図理解し、再現する最善の方法」と、この派の人々は言う。その頃の楽器を使うのは大変だから現代製作者がそれらしく復元コピー)したものを使う。「音が地味で、響きが乏しい」と言うと、彼等は、「お前達の楽器や奏法にはロマン派の手垢がついている」と反論する。現代派の方は、「聴き手が現代なのだ現代人の美感に訴える演奏を志すべきだ」と応ずる。美意識に関わる問題であるから正邪の決着はつかない。勝敗を決するのは歳月と、聴き手の感性である。

アクセスが禁止されています:@nifty

「古いもの」には一見して「古朴」ともいうべき味わいがある。


埴輪などがそうであるし、シーラカンスなどは如何にも「古朴」の感がある。


日本では飛鳥仏あたりまでが、埴輪の味わいを残している。文学では『万葉集』の歌の中にそれを見ることができる。


書でいえば隷書やテン書が「古朴」の味を伝えている。後代、隷、テンを書く試みはなされているが、やはり「古朴」の味を出すには至っていない。


おそらく意識状態がどうしようもない程に乖離してしまっているのであろう。


この「古朴」の味わいとは、「未分化から生まれて来るものである。あらゆるものが「目的化」する以前のもの。それが「古朴」の味なのである。

ゲーテ格言反省』より

音楽は最もよい意味で、比較的新奇を必要としない。否、むしろ音楽は古ければ古いほど、人々がそれに慣れていればいるほど、効果的である。


   *


古典的なものは健康であり、ロマン的なものは病的である。

色川武大うらおもて人生録』p222より

 ええと、あのねえ、こういうことがあるんだ。物事というものは、進歩、変革、そういうことが原因して、破滅に達するんだ。

同書p227-228より

 ストリップというやつがあるね。はじめ日本では額縁ショーかいって、裸の女の子が有名な絵画に似せたポーズで、三分間立ってるだけだった。それでも人々はびっくりして昂奮して大入り満員だったね。でも、同じことやっているとすぐに飽きるからね。もうすこし刺激のつよいものを見たくなる。

 それで見せるがわも、いろいろ考えて工夫するからね。一枚ずつ衣装を脱いでいくストリップティーズとか、大きな扇を二枚持って股間をかくして踊るファンダンスとか、アクロバティックにしたり、生きた蛇をからませてグロテスクにしたり、つまり進歩発達していったわけだね。

 それでどこかで止まればいいけれども、どんな刺激だってくりかえしていればなれるから、次から次へと新工夫をしなければならない。そのうち容易なことでは見る方が満足しなくなってくるから、刺激の自転車操業みたいになっちゃうんだな。

 ついには現在のように、ショーの限界をこえて、天狗ショーとか、生板ショーとか、行きつくところまで行ってしまう。それでもうこれ以上やることがなくなってしまって、終わりだ。

 これは前回に記した進歩発達が原因して、滅びに至る図式だね。

 ストリップの例は、典型的なワンサイクルで終わってしまう例なんだね。

同書p230-232より

 この頃、アメリカ映画なんかでも、爐覆弔しの一九三〇年代瓩覆鵑討い辰討襪任靴腓Α

 これがストリップのように、ただ突っ走ってワンサイクルで滅んでしまうのにくらべて、永持ちしている原因なんだね。それでも永久には続かない。向上している以上は、蛇行しながらも滅亡には近づいているんだけどね。

 もっとわかりやすく、簡単な例をあげようか。

 生物のありかた。人間でもいいけれどもね。生命というものがリレー競争になってるでしょう。一個の生命ならば、たかだか七十年ぐらいで終わってしまう。一生懸命に向上しながら生きていって、そうして滅んでしまう。

 ところが、その途中で新しい生命をつくってバトンタッチするね。新しい生命は、また素朴な原点に近いところから、赤ン坊としてスタートするわけだ。

 だけれども、原点といっても、前代や前々代の赤ン坊とは、まったく同じ地点じゃないんだ。文化も発達しているし、生活の仕くみもちがってる。平均七十年ずつかけて向上してきたものの反映があるからね。

 だから長い眼で見ると、いつもスタート地点に逆戻りしているようだけれど、全体として少しずつ進歩発展しているわけだね。またそのぶんだけ、滅亡に近づいてもいるわけだ。


   〈中略〉


 とにかく、ワンサイクルで終わったんでは駄目なんだな。物事というものは自然エネルギーにまかせると、あっというまに終わってしまうものなんだ。そこをなんとか、だましだまし、ひきのばしていかなきゃならない。

 人間なんて、もう衰退期に入っている生き物だから進歩だけを考えたらあッというまに破滅だよ。

色川武大私の旧約聖書』p122より

 イェホバ氏、並びに預言者たちは、ことあるごとに、律法の昔に戻れ、といっております。まったくそれはそのとおりなのでしょう。けれどもその訓戒は、人間どもの頭に強く焼きつかないのは、神の言葉が本当に説得力を持っていないからです。

 律法の昔に戻れ、ということは、とりもなおさず、完全な反復をくりかえせ、ということです。けれども、それでは、いつか幸せを与える、という自分言葉矛盾してしまうのです。

 もし、持続だけを狙って、愚かしい反復をくりかえしている気なら、イェホバさんなど不要なのです。植物が神を必要としておりますか。

 人間どもは、持続と進化と、両方狙っているのです。傲慢な望みですが、望みというものは大体において傲慢性質のものでしょう。そうして、帰するところは、それなりに燃えつつ、死んでいくのです。

 ただ反復をくりかえす種類の愚かさではなくて、もうすこしよく生きたいと望む種類の愚かしさ(これも当然の欲求ですが)の部分に関わってくるのがイェホバ氏なのですね。

老子』第七十七章より

天の道は、余り有るを損じて足らざるを補う。人の道は則ち然らず。足らざるを損じて以て余り有るに奉ず。

  • ここでは、単純に「天の道は正しい、人の道は間違っている」と説いているのではない。
  • 「人の道は人の道で、こういうものだ」という原則的事実を指摘した上で、個人がどう適切に対処するべきかを問うているのだと思う。

*1:口頭の書き起こしなので、意味的には「追求」ではなく「追究」だと思いますが

moyasi45moyasi45 2006/07/11 20:13 どうも、幾分見当違いかもしれませんが私はボレロを思い出しました。

izuminoizumino 2006/07/12 17:29 なるほど、ボレロがその、トスカニーニ指揮なんですね。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%AC%E3%83%AD_(%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB)//古典の編曲じゃなくて、同時代の作品の編曲の問題みたいですが

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Fri 2006.07/07

読書

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 「孤独の克服」は絶版本で、わざわざ古本通販で取り寄せて読んだんですが、なんでそこまでして読もうとしたのかというと、正高信男『天才はなぜ生まれるか』という本の中に描かれていた、グラハム・ベル(電話発明者です)の人物像に興味を持っていたからです。


 『天才はなぜ生まれるか』という本は、その内容自体は面白いんですけど、筆者の主張における物証や論拠には「かなり」乏しい本だ……という印象があって。*1

 んでこれがまた、一次資料としての伝記にあたってみるとですね、ホントにデタラメに書いてることが判明しましてね、うわぁって感じ。


 正高氏はグラハム・ベルを「付き合いべたなベル」と称して、コミュニケーション障害を負った人として扱っている上、その「他人に対する思いやりの無さ」故に、夫人にも愛想を尽かされていたのは間違いあるまい……、みたいな調子で断言してるんですが、伝記を読む限りは、そういう側面は見えてこないわけですね。どう好意的に見ても、正高氏の独自解釈による「つくり話」が先走り過ぎている感じです(ベルの孤独癖が強かったのは確かみたいですが、社交能力自体は申し分無く優れていて、夫婦仲も並以上に良かったものと思われます)。

 これってヘタすると、遺族に名誉毀損で怒られちゃうような話では? と心配になったりも。『天才は〜』の読者が事実関係を確かめようにも、肝心の一次資料が絶版で入手困難、というのもまたアレです。


 まぁ視点を変えれば、安倍晴明美青年超能力者にされたり、佐々木小次郎が聾唖の剣客にされちゃったり、みたいな「歴史上のキャラが育っていく過程」を垣間見ているような感じ*2ではあるのですが……、それとこれとは話が別ですよね。

天才はなぜ生まれるか天才はなぜ生まれるか
正高 信男

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Sparklehorse新譜

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 mixiで知りましたが、マイフェイバリットアーティストであるスパークルホースの新譜が9月リリースとのこと。待ち遠しいです。

 タイトルの“Dreamt For Light Years In The Belly Of A Mountain”は、訳すると「山の中腹で幾星霜も夢見て」って所かな。

*1新書サイズの薄い本なので、論拠を並べるよりも主張内容に文章量を割こうとする方針自体は否定しないのですが

*2:そういう意味では、正高氏の創作した「付き合いべたなベル」は、非常に魅力的なアーキタイプを備えた「キャラ」ではある

fuyufuyu 2006/07/08 01:04 正高信男氏の著作は(専門以外は)いっつもそんな感じです。読んでおられるかは知りませんが『ケータイを持ったサル』も酷い出来でした。

izuminoizumino 2006/07/08 02:31 アマゾン書評でもなんかそんな感じに書かれてますね。>ケータイ〜//そういういい加減さっていうのは、編集者にも責任があると思いますが

SHIKAIKILYOUSHIKAIKILYOU 2006/07/09 08:06 こんにちは。歴史上の人物をキャラとしてエンターテイメント以外の世界で創作してしまうというのは、個人的には問題だと思いますねぇ・・・。たぶん自覚も無いんでしょうし。でも、ナポレオンやクレオパトラや南方熊楠などの人物は、長年の研究の間に「魅力的なキャラ」として育ったのかなぁ、とも思いますが。

izuminoizumino 2006/07/10 01:00 例えば豊臣秀吉なんかも、信長の草履を温めたっていう史実は無くて、後世の後付けだったみたいですしね(別の主従関係のエピソードを借用してくっつけただけなそうな)

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Tue 2006.07/04

生存報告

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 微妙に用事が立て込んでいて忙しいです。

 奇縁には恵まれているのか、各方面に人脈が生まれるのはいいのですが、そろそろ自己紹介用の名刺を刷った方がいい気がしてきました。名刺もらってばっかりです。


 あぁ、荒木飛呂彦SBRの話とかしたいですね。リンゴォ編はやはり凄かったと思う。

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