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Wed 2008.09/24

「悪意を憎め、悪意を恐れろ」/映画『ダークナイト』の好きなシーン

| 「悪意を憎め、悪意を恐れろ」/映画『ダークナイト』の好きなシーンを含むブックマーク

 夏の映画は『崖の上のポニョ』、『ハムナプトラ3』、『劇場版 空の境界 第五章「矛盾螺旋」』、『スカイ・クロラ』、『ダークナイト』、『劇場版 天元突破グレンラガン 紅蓮編』などを観てきたのですが、中でも『ダークナイト』の好きなシーンについて語ってみます。


 それは船の爆破スイッチを押さない選択をした、あのシーン。あの船のシーンです。あそこですよね、ダークナイトクライマックスって?


 あの牢屋主みたいな黒人のおっさんは、自分が悪人だからこそ「悪意」というものが人間から遠ざけるべき「おぞましいもの」であることを知っていて、つまり罪を負っているからこそ高潔な精神を保っていたと言えます。

 一方、無実の市民代表である白人のおっさんは、「自分が悪人になるのが怖い」という臆病さだけで押さなかったという程度の話で、まさしく「おぞましい」悪意を小市民的に代表しつつも、悪人にもなりきれない小心者っぷりが強調されていた、と観ました。「善意」が「悪意」に打ち勝ったわけでも、黒人のおっさんのように高潔な精神のもとに断行したわけでもなく、ただ「保留」しただけにも見える描かれ方をしている。


 どちらにしても性悪説人間観であって、ああいう極限状態に陥ると、人間「うすっぺらい善意」なんかよりもむしろ……、「悪意を憎む」ないしは「悪意を恐れる」感情に依って「悪」を遠ざけようとする、ということなのでしょう。

 それに、おそらくは「プロ」として罪を犯したのだろう黒人のおっさんは、犯罪者の矜恃として「ジョーカーの思惑通りに悪意に流されるわけにはいくか」、というプライドもあったはずだと思います。犯罪者だからこそ、悪意ではなく誇りが必要なのだから。最低限の人間性を失わないために。


 一切の動機や人間性を持たない、「純粋な悪意の象徴」としか言いようのない悪役・ジョーカーを演じたヒース・レジャーは、薬物のオーバードーズで亡くなったといいます。役作りのためとはいえ、「人間性を失った深淵」を覗いてしまったから「そこ」まで行ったのではないかと思わせるほど、スクリーンの中のジョーカーはおぞましく恐ろしい。


 あの爆破スイッチのシーンは、ストーリー序盤の「ビリヤードキューを折って投げるシーン」が予兆として働いています。「どうしようもない悪意」とは、極限状況によって作り出すことができるのだとジョーカーは思っている。

 しかし犯罪者ジョーカーに用意された悪意を憎み、臆病な市民は悪意を恐れる。

 それぞれ「悪意に支配されない理由」は異なっていましたが、うまいこと「うすっぺらな善意」などにテーマ還元されないようなシナリオになっていて、好感が持てるシーンでした。


 で、この爆破スイッチの対比は、そのまま「暗黒の騎士(中身は高潔なヒーロー)」と「純白の騎士(中身は堕落したヴィラン)」の表裏関係パラレルになっている。だから「船のシーン」は圧巻なのだと思います。

 悪意を憎め、悪意を恐れろ。

 ジョーカーを憎み、ダークナイトを恐れるように。

近代民主主義社会限界匿名性の悪意

 映画政治的に読もうとする余談なんですが、「中身は高潔」を代表するのが黒人で、「小市民」を代表するのが白人というのは、ハリウッド映画人種問題に気を遣いすぎてて大変だな、と思いました。

 配慮が行きすぎると逆差別になるのでは、という心配もしそうになります。


 あと、多数決がロクな意志を選択しない(人前でやることなら善人を装うが、匿名投票では悪意を剥きだしにする)というクールな描写も、アメリカという国家システムに対する痛烈なツッコミになっててスゲエなと。

 ネットもそうですが、匿名性や、「顔の見えなさ」は悪意を増長させてやまないもの。

 そういう時こそ、「これはジョーカーに仕組まれた悪意なのではないか」と念じることで、おぞましい悪意を人から遠ざけた方がいい、のだと思います。

 ビリヤードキューをボキンと折って、床にポイッと投げている「誰か」がいるわけです。「お前だけズルして他人を殺せ」と。すぐには気付くことができないくらい静かに。

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Tue 2008.09/23

ゼロ年代における「契約から再契約へ」の想像力

| ゼロ年代における「契約から再契約へ」の想像力を含むブックマーク

 お久しぶりです。

 先週末は東京に出ていました。合計して27人との出会いがあり、七人の編集者さんと話しこんだり、小林尽に会ったりしていたのですが、このブログ更新再開一発目は、20日に催された「海燕オフ」発祥の「契約→再契約」の話をしたいと思います。

第3回海燕オフ、オフレポ。 - Something Orange

 あと、決断主義批判と「契約」「再契約」の話はおもしろかった。

 くわしく語りはじめると長くなるので省略するけれど、2000年代以降のエンタメ作品では、『Fate』や『コードギアス』など、しばしば「契約」というモティーフが取り上げられる。

 しかし、「契約」をあつかった物語では、かならず「再契約」が語られるものなんだ。という内容でした。

決断幻想から契約と再契約の流れへ - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために

こういう「構造の流れ」はどうもありそうだな、ということだった。これは面白かった。いずみのさんが詳しく書いてくれそうな?予感なんだが、僕も自分でも考えてみよう。僕は00年代の想像力?というのかな、ウノさんという人が書かれている文を読んだことがないので、決断主義という言葉だけでの勝手なMY用語ですが・・・・。

 その場の参加者ペトロニウスさんからも解説役を振られているので。


ゼロ年代の想像力』における年代別モデル

 さて、『ゼロ年代の想像力』は、以下のような仮説モデルを提示している。

90年代後半に「価値が相対化されて判断基準を喪失し、何も選べなくなる」という、ひきこもり想像力がクローズアップされる


・続くゼロ年代は、その反動として「価値判断の根拠無しにあえて選ぶ」決断主義想像力がクローズアップされた時代であるとする

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 しかし決断主義バトルロイヤル状況——、ぼくが言い換えるなら「万人による万人に対する闘争」(by ホッブズ)とでも呼ぶべき状況を生むだけなので、いずれ超克されなければいけない……。そういう問題提議のみで終わっているのが『ゼロ年代の想像力』でもある。

 つまり「決断主義」というワードは作業仮説に用いられる言葉にすぎず、その「次」が要るのだ。


 元々この仮説には大きな見落としがあって、まずニーチェが二世界説を批判して言うような「価値の相対化」がそもそもの間違いであること。

 人間は痛みを感じるのはイヤだと思うし、目の前で泣いてる女の子がいれば助けたいと思うものだ。そこで「助けたいという気持ちと助けなくていいという気持ちの価値は相対化される」というのは思考停止に近い。何もかもが無価値になるようなレベルなんて、所詮は仙人や宇宙人レベルだろう。

 生身の「快/不快」スイッチを持った人間が、ベターを目指し、イヤなことにはイヤだと思い、(相対化されがちな善悪に対しても)「最善」を願いつづけることに、何の間違いがあるだろう?

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 次に、そういう人間の生理があるのだから、王道的なメロドラマはいつでも滅びなかったということ。90年代に落ち込みはすれど、連綿と続いている。


 そして、その王道のドラマトゥルギー(=想像力)が、そのまま「決断主義」へのアンサーになりうることを見逃していること。

 第一、「万人による万人に対する闘争」なんて古典的なレベルに問題を巻き戻しているあたり、思想を積み重ねていけばすぐに答えは出てくるものだったのだ。

 そういった違和感を、泉信行としては一年くらい前に言及していたりもする。

『ゼロ年代の想像力』に向けたメモ - ピアノ・ファイア

 でも『バトル・ロワイヤル』や『ドラゴン桜』以前にも、「生き残り」とか「決断主義」、「その問題点と克服」を描いてきたモノというのは、少年漫画なんかの中にいくらでもあって。

 今回の議論で、ややこしい理論立てを必要とせず、割と一発で「決断」に代わる想像力を説明できるキーワードとして浮上したのが、「契約」だった。


 ちなみに「社会契約説」で言うようなカタい定義のある「契約」ではなくて、もっと中二病っぽく格好付けた、少し日常から乖離したキーワードとしての「契約」だと思ってほしい。

決断と契約の違い

 一般に「決断主義」と聞いてイメージされるのは、エヴァンゲリオンで言うなら

目の前で綾波が血を流している

 ↓

逃げちゃダメだ×8回

 ↓

僕が乗ります!

……なんだろうけど、ここには「シンジ自由意志」というのが残されていて、「いつでも降りられる」ようになっている。

 ミサトもゲンドウも加持も「降りたいなら降りろ」と言うもんだから結局ひきこもってしまうわけで、実は「決断」こそが「ひきこもり」の入口になっている、とさえ言えるだろう。


 それに対して、もしゲンドウが「俺の息子しか乗れないんだから乗れ」と有無を言わさない条件を示し、パイロットとして「雇用契約」をしたならば、シンジには「契約を破れない」という縛りがつくだろう。

 でもTV版エヴァの第壱話では、「乗れ」という契約はあっさり蹴って、「僕が乗ります!」という自己決断で乗ってしまうのだ。

 当時の庵野監督イメージとしては、「人の意志ではなく自分の意志で乗る」、というモチベーションの方に興味があったのだと思う。

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  • 新劇場版ゼロ年代)でも、相変わらずミサトは「降りたければ降りていいのよ」と伝えるのだが、それに対して「やっぱり乗ります」と応えた後は「雇用契約」に近い感じで組織に残っている……、というのはTV版(90年代)からの明らかな「変化」だった

現代の子供と、イージーな契約

 選択肢の少なかった過去に比べて、情報選択肢に満たされている現在は、「決断」や「選択」に非常に大きなエネルギーを必要とするようになっている。

 それは実感としても、我々は良く感じているはずだ。

 だから少年を主役にした物語においても、まず初期衝動、モチベーションの構築に作者は苦労をする。「逃げちゃダメだ」を8回言っても、まだ一抹の迷いが残るのが一般的な感覚だろう。


 しかし元々、いつの時代の子供でも「チャンスさえあれば俺はやれるんだぜ」という自信に溢れていて、それは変わらない、と『コードギアス』の谷口悟朗リサーチャーの視点で結論している。すると異なるのは、子供の環境だけだということになる。

 昔は「兄ちゃんいい体してるねえ」と言われてボクシングを始めたり、自衛隊に入ったりすることにはそれほどエネルギーを必要としなかった。そもそも選択肢が非常に少ないからだ。

 いわゆる「落ちこぼれ」や「不良」が成り上がるには、ボクサーヤクザアーティストしか無かった、という時代なら、ポンと肩を叩かれたら、それが縁だと思ってあっさりハンコを押して良かったのだ。


 そして現代においても、出会いさえあれば「あっさりハンコを押していい」ものだというのは変わらない。

 大人になってから気付くことなので子供には伝えにくいのは仕方無いが、人生とは「偶然の出会い」がほぼ全てだ。選択肢が豊富にあるからといって、相対化して迷うのはおかしい。結局「出会いがあれば飛びつく」しかないのが人生というものであって、自由意志の「決断」なんて、そもそも結果論としてありえないものだ。


 そういう意味で、自由意志を信じて「あえてこれを選ぶ!」という決断をし、なおかつそのモチベーションを独力で維持しつづけることはハードなのだが、「ハンコを押せば一定のレールに乗ることができる」という契約はイージーだと言える。


 ただし、ハンコを押してしまった後はそれなりにハードだろう。自己責任でカタのつく決断よりも、他者の都合が絡んでくるからだ。

 でも、「その場の勢い」や「不可抗力」によって結ばれることが多い「契約」は、物語における初期衝動としても描きやすく、便利だ。

ゼロ年代=「契約」の時代

 このことは、(いまどき)『仮面ライダー龍騎』を見始めたという、お友達の日記に触発されて、ペトロニウスさんやsさんと考えはじめたことなのだが…………、確かにゼロ年代には「契約」を導入に組み込んだエンターテイメントというのが、非常に目立つ。

では間をおかず噂のライダー13人バトルロワイヤル

仮面ライダー龍騎」へ!!!

一話視聴終了!!


こ…これはオモチャがバカ売れする!!!!

素晴らしい設定だ!!!…実際どうだったんだろう?


しかし「契約」かぁーーっ、出たな「契約」!!

2000年代はとにかくやっぱり「契約」ですね!

90年代は「トラウマ」流行りだった訳ですが…


う〜ん、どうなるか楽しみだ!

Fateとも比べてみたいし、あーもう楽しいッ!


Fateも「契約」ですよね!

とにかく「契約」!

「契約」しないとキャラが動けないんですねー…

もしくは既に自分の立ち位置を決めてる夜神月ルルーシュか!

龍騎しかり、Fateしかり、ゼロの使い魔しかり。

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 「問おう。お前が私のマスターか」の世界。

 ドラマトゥルギーでいう「巻き込まれ型導入」というやつ。


 巻き込まれ型は、確かに一番「現代の子供向け」な導入だろう。「チャンスさえあればやれるんだぜ」とか増長している(でも自分から飛び込む度胸はない)所に、そのチャンスが向こうからやってきてくれる上に、試練のレールや「一度乗ったら降りれない理由」まで用意してくれる、ダダ甘の条件なのだから。

 契約とはつまり、目的(夢)のある者には「手段」を、手段(力)しか持たない者には「目的」を、凹凸関係のようにドッキングさせる「出会い」だと言えるだろう。


 非常にイージー、非常にスイートと言えて、そりゃゼロ魔も売れるわけだと思う。

 現代の人間というのは、いきなり異世界に召還されて、ツンデレルイズにお願いされるようなことでも無いと、「やる気」が積極的に起きないのだろう、ということになるな。


 まぁ、強引でスイートな「不可抗力」による契約と、「ハンコを押す勇気」が求められる契約には差もあるが……。

 この関係性の射程は非常に広くて、グレンラガンアニキとの舎弟関係)、部活モノ(だからハルヒのSOS団も入る)、ハリウッドのバディもの、etc……。「現代の想像力」というより「古典的な想像力」と言ってもいいくらいだろう。


 つまり、連綿と受け継がれてきた「王道」の上にきちんと乗ったドラマトゥルギーなのだ。

 しかし、ここらへんの定番パターンを「決断主義」と十把一絡げにしたのが『ゼロ年代の想像力』の限界で、だからデスノートFateが同列に扱われていたりする。

契約から再契約へ

 「偶然の出会い」から始まり、初期衝動がイージーな「契約」は、必ずそのイージーさや偶然性を克服するドラマに到着する。

 その描き方は様々で、例えば『うしおととら』の潮は、「偶然」獣の槍を抜くことで主人公になる。そのおかげで「獣の槍伝承者候補」たちから告発されつづける、という試練にぶちあたるのだ。

 潮は「偶然」選ばれたのだから、「資格」を争ってきた候補者たちが憤るのもムリは無い。


 始まりが偶然であり、そして「いくらでも換えが効く」相対的なモノだと告発されたなら、その実は「かけがえの無い」絶対的な必然だったのだと証明しなければ、ならない。

 少年漫画としては、その根拠をはっきりと理屈として語らないのが理想だ。ヘタに血統や先天性などを持ち込んだら、「資格があるから資格者だ」「強いから強い」のようなトートロジーになってしまい、むしろ説得力を失う。


 『うしおととら』全巻における潮の活躍を読破して、「主人公にはなりえるのは潮だけ」「潮に代わるキャラクターなどいない」という当然の結論を疑おうとする読者がどこにいるだろうか?

 潮は選ばれるべくして、選ばれた。「偶然を必然のものとする」証明とは、そういうもので充分なのだ。


 「契約」を描いた多くの物語では、「その場の勢い」で契約したまま続けていた契約が、本当に正しい選択だったのかを問いかける、「契約の解消」と「再契約」のドラマが描かれる。


 部活モノでは、仮入部のサインをムリヤリさせてから、「ここで私達と頑張ったことって、本当に楽しかった?」などと問うてから正式入部をさせる。

 『魔法先生ネギま!』のパクティオー、つまり「仮契約」と「本契約」っていう用語は、それこそ「仮入部」のパロディらしいけど、こうした文脈の中では、なかなか示唆的なキーワードを使っていたと言えるだろう。


 恋愛結婚)も契約の一種なので、「一目惚れ」や「なりゆきによるカップル成立」などの一次接触から、互いの本性を知った上での「惚れ直し」や「改めての告白」がある。


 バディものでも、単なる「任務」での同行から、ケンカ別れした後で「ブラザーの絆」を結ぶことになる。

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 仇討ちものでは、殺し屋を雇った後に「本当に、まだあいつらが憎いのか? 本当に殺してやりたいと思うか?」という再確認があったりする(『無限の住人』がそうか)。


 ゼロの使い魔のような「召還」や「主従関係」も、「関係性の再構築」が必ず求められる。

 『マリア様がみてる』のスール制度なんかも、様々な「関係性の再構築」が行われていて、サンプルとして面白い


 とっかかりや出会いは偶然であり、そのレールに乗ることは確かにイージーだし無責任かもしれない。しかし「再契約」という通過儀礼が必ず待っている。自分のした契約が正しくとも正しくなかろうと、そこで改めて「レールとの相性」を見つめ直すことができるのだ。


 そこまでドラマが進んでいれば、自分に与えられたレールが宿命と呼べるものなのか、そうでないかの見分けも付く。

 また、「自分で自分のレールを作り替える」知識や実力だって手に入っている可能性が高い。


 誰だってそうして「出会い」に飛びついて、契約して、そして再契約することで自立してきたのだ。

 そういう意味夜神月が破滅したのは必然でもあって、彼はリューク相手に「再契約」することが無かったのだな。だからリュークにとっての月が「つまんなくなったから」見殺しにされた、というのは当然なのだ。


 そして、まさにエヴァTV版(90年代)→新劇場版ゼロ年代でも変化がある。

 新劇場版では、「ぼくが乗ります!」という決断の後に、「降りたければ降りていいのよ」「やっぱり乗ります」というミサトとシンジの交流がある。

 「その場の勢いの契約」から「経験した上での再契約」が発生しているということだが、TV版で「やっぱり乗ります」にあたる部分は少し弱々しい意思表示でしかなかったのに対して、新劇場版での「やっぱり乗ります」は、中学生子供ながら、自立した意志を感じられるドラマになっている。

「ハンコを受ける側」の物語

 これは「ハンコを押す勇気」をイージーに行える、という「ハンコを押す側」の都合だけの話ではない。

 「ハンコを受ける側」の視点から見ても価値があるのだ。


 そこで「手段と目的のドッキング」がテーマになるのだが、それぞれ片方しか持たない人々が、出会えるチャンスを逃さないようにする、ということこそが人間を幸福にする社会モデルなのだろうと思う。

 ビル・ゲイツスティーブ・バルマーとか、本田宗一郎藤沢武夫とか、近い例では奈須きのこと竹内崇とか、そういう「生涯の相棒」と出会えた者の人生は美しい。


 Fate遠坂凛というヒロインは、「そういう社会モデルの構築」を理想にする人なんだ、とペトロニウスさんは(いつものことながら)力説していた。

 凛自身は「理屈を超えて強烈な目的」というのを持たない人で、だから逆に「強烈な目的に従って破滅する」士郎に惹かれている。

 しかし、日本人の好きな「滅びの美学」とか「玉砕精神」を、美しいと思って感動するのは間違いなのだ。「頑張っている人が報われる世界を作ってあげる方が断然いい」と考える凛は、だから士郎を支える生き方を選ぶ。


 ついでに言うと、それって奈須きのこと竹内崇の関係そのままだよね、とか、その凛の理想の実現において、当然キーマンになるのが時計塔のウェーバーだよな! という話でもある(これはFateオタクの余談)。


 ちなみに、『コードギアス』のCCにも「ルルーシュのハンコを受けた側」としてのドラマがありそうなんだけど、その場ではCCが好きな人がいなくて、議論は発展しなかった。誰か教えてください。

ソープに行け!」と「勇気を出すな!」メソッド

 ところでこの、「イージーな契約」という概念は、古典的なだけあって非常に汎用性が高い。

 それをかなり普遍的なセリフとして昇華したのが、『天元突破グレンラガン』の

「自分を信じるな! お前を信じる、俺を信じろ!」

……というアニキセリフだろう。こう言われることで、「自分を信じる」という無理なエネルギーを省略して、全てアニキに担保してしまえばいいからだ。

 そして勿論、このスイート暖かい信頼関係から、主人公のハードな自立が描かれるようになる。

「俺が信じるお前でもない、お前が信じる俺でもない。お前が信じる、お前を信じろ」

 これも再契約なのだ。


D


 ふと思えば、北方健三先生に「女が怖くて話ができません」という人生相談を送った場合、「ソープに行け!」という答えが返ってくるという。

 ニュアンスとしては「童貞を捨てれば男は変われるぜえええ」というマッチョな話でもなくて、「ソープに行けば相手も仕事だから、一通りの会話をすることができる。一言も女と話したことが無いなら、そういう所から慣れていけばいいだろう」という地道なアドバイスだったらしい。


 ソープに行く、というのも一種の「契約にハンコを押す」行為でもあって、ナンパ合コンとかなら「相手と会話が続くか」は自分の努力次第だが、ソープならお金を払うことで最低限の会話を経験できるレールが敷かれている。そのメリットを北方先生は説いたのだろう。


 ただし……、そう説教された側は「でもソープが怖くて行けません」と、もう一度ハガキを送ってくるかもしれない……。


そうなってくるともう、度胸の問題というか……「要は、勇気がないんでしょ?」メソッドにしかならないよねー、とsさんは呆れていたが、そこで諦めてはいけないのではないだろうか。


 つまり、「女と話す」という目的に「ソープで金を払う」という「契約」で近付こうとしたように、「ソープへ行く」という目的にも何らかの「契約」を挟めばいいのではないか?

 自立をまだしていない子供は、楽をしたいのだ。「チャンスさえあればやれるんだぜ」と思いながらも、向こうからチャンスが(あわよくばモチベーションとセットで)来てくれるのを待っているのだ。

 つまり、子供は「イージーな契約」をいつだってしたがっているのだ。


 だから度胸や勇気を出せない子供に対して言うべきなのは、


「じゃあ度胸なんか出さなくていい!」


であり、


「俺がお前の度胸だ!」


……なんじゃないか? 「キャー、それは言われたい」とかsさんと盛り上がって、「これって勇気がないんでしょメソッドに続くテンプレになんねーかな」などと笑っていたのだった。女の子バージョンとして「じゃあ勇気なんていらない! 私があなたの勇気なんだからね!」とか、テンプレとしてはなんか凄いぞ。

 そうしたら「それはなんか相手に騙されそうでイヤですね」と、横で聞いていた烏蛇さんはヒいていた。


 いや、だから(頭で納得した後なら)モチベーションは相手に担保してしまいましょうよ、偶然の出会いが自分に与えてくれるのなら、そのレールに飛びついた方がいいんですよ、という話になるわけです。

キーワードとしての「契約」

 「イージーな契約」と「再契約による自立」。

 偶然を必然のものとする証明。あるいは、自分の意志でレールを作り替える。

 契約する側と、契約を受ける側、それぞれの視点の物語。

 手段と目的が出会うことのできる、理想的な社会

 昔と今の、「決断にかかるエネルギー」の重さの違い。


 ものの小一時間で、こういったキーワードがいっぺんに出てくるのが、充実したオフ会の面白さですね。

名無し名無し 2008/09/24 00:06  いつも楽しみにしてます。久々の更新ですね。
 契約と言われて僕は最近だと仮面ライダー電王の主人公とイマジン達の関係性を思い浮かびます。一応、作中のルールでは未契約ですが自覚無しに彼らはしっかり契約関係を結んでいますね。

izuminoizumino 2008/09/24 00:18 コメントありがとうございます。そうですね、電王もバディものというか、代理バトルの系譜(アレンジ)なんでしょうか。電王は「巻き込まれ型→再契約」の流れが良く出来ていて、明文化された契約じゃなくても(気持ちの上で契約してるなら)いいっていう好例かもしれません。

tukinohatukinoha 2008/09/24 21:18 大変興味深く記事を読ませていただきました。ただ、いくつが矛盾した点があるように思われるので、お考えを聞かせていただきたく。
まず碇シンジが初めてエヴァに乗るときの決断について。izuminoさんはそれをシンジの「自由意志」としていますが、そのときシンジの目の前には傷ついた女の子(レイ)がいるわけですから、その女の子を無視して平気でいるということは、冒頭にも書かれている通り「仙人や宇宙人のレベル」でもなければ無理でしょう。
つまり、このときのシンジは「自由意志」で選んだように見えて、実際は社会通念によって「選ばされた」に過ぎないと言えます。だからこそシンジはあっさり負けてしまうし、「男の戦い」でも加持の挑発によって「乗らされた」ことの報いを受け、最初と同じ、あるいはそれ以上の罰であるシンクロ率400パーセントという自我のない世界にとらわれてしまうわけです。
さらに言えば、「価値の相対化」が誤りであるゆえに「王道」のメロドラマは滅びないのだという、そもそもの前提にも疑問があります。
仮に人間の本性が変わらなかったとして、「王道」の物語とはその本性と環境との衝突によって生まれるものでしょう。例えば、目の前で泣いている女の子と同じ程度、インターネットでその存在を知った、遠く遠く離れた場所にいる泣いている女の子を助けたいと思うでしょうか?こう考えると、私たちが人間の本性だと思っている感情も、実は環境に依存したものだと言えるではないでしょうか。
確かに「王道」の物語は求められ続けているのでしょう。しかし、それは環境の変化に対して意識的あるいは無意識のうちに目を逸らしているからであって、物語と現実との間の歪みは大きくなっているのではないかと思います。そういった点を無視して、ことさらに「王道」を賞賛するのは危険なことですらあります。
物語一般における「契約と再契約」というモチーフにしても、契約は状況に流されるが、再契約はそれまでの体験を考慮して自由意志で行われるという見方も、素朴に過ぎると思います。状況に依存しているという点で両者は大差ない、というのは先にエヴァで確認したとおり。
それにも関らずこれほど「契約と再契約」というモチーフが頻出するのは、単に現代社会が「自由意志で決める」ということに対して最大級の価値を認めているのだということを表しているに過ぎないと思います。
以上、長文失礼しました。コメント欄の原則を破り、改行を8回もしてしまって申し訳ありません。邪魔だったら消していただいて構いませんので……。

izuminoizumino 2008/09/24 22:03 ご質問、ありがとうございます。長いのでひとつずつ。《「仙人や宇宙人のレベル」でもなければ無理でしょう。》と仰いますが、最後にシンジは「世界の危機になっても三角座りしていた」ことをお忘れではないでしょうか。そういう「社会的な圧力があっても、結局コミットをやめてしまう」のが「ひきこもり」の定義だろうので、シンジ君も「綾波を無視して三角座りする」可能性は当然あったし、むしろそれが中学生としてはデフォルトの行動だと思います(つまりシンジ君は勇気のある子なんです)。もっとも、全ては運命なんだから自由意志なんて無いんだと考えるのは実はぼくもそうで……。そこから先はカルヴィニズムの予定説と自由意志の議論なんかを踏まえなきゃならないので、記事内ではスルーしていました。更にエヴァの場合は作品論的にややこしくて、新劇場版はループ世界の設定を加えたもんだから、予定説的な「シナリオ通り」がまさに行われているようにも見えるわけで。しかし我々の現実では「シナリオ通り」なんてありえないんですから、ここで「初期衝動の設置」と呼んでいるレベルのドラマトゥルギーなら、とりあえず次元の違う問題だと思っていいと思います。

izuminoizumino 2008/09/24 22:23 次に、王道をどう信頼するか、という点でコンセンサスを取りたいのですが……。http://d.hatena.ne.jp/izumino/20070618/p1 ←こっちの方にだいたい書いているのですが、ぼくは「伝統」「古典」という言葉が好きで、それは常に時代に合わせたアップグレード(刷新)を続けられる「変化への強度」があると信頼しているからです。「王道」もしかりで、不易であり変易でもある。時代に対するアンサーやアンチテーゼも「王道」に組み込まれるものだと考えた上でこうした言葉を使っています(こういう「時代に合わせられてこそ王道!」という思想を持った人は少なくないはずです)。それに、王道は保存しなければならないものだと思っていますが、「王道以外」だって別に突然消えたりはしないのですから、それぞれアンサーを返しつづければいいだけだと思います。

izuminoizumino 2008/09/24 22:35 補足。王道のアップグレード要素というのが、今回の話なら「ハンコを受ける側の視点」であり、「システムを作ろうとする遠坂凛の視点」であると言えると思います。そうして物語は刷新していくんです。
最後に、《自由意志の「決断」なんて、そもそも結果論としてありえないものだ》と本文でもはっきり書いているように、ぼくは自由意志を信じていません。だからtukinohaさんの質問とは食い違いが生じてますね。ただ、「自由意志」と「自分の意志だと信じて自立すること」はその価値が全然違っていて、そこも自由意志をめぐる議論のややこしい所なんですが、「自由意志では行動できないとしても、人は運命を信じたり変えたりできる」というようなことを言おうとしています。

SHIKAIKILYOUSHIKAIKILYOU 2008/09/25 10:30 龍騎の翌年に放送された仮面ライダー555は、モンスターや魔物や相棒といった「戦闘の代理者」そのものは出て来ないものの、変身する為のベルト自体が中心になって物語は回り、途中で主人公が一時的にベルトを遠ざける(映画スパイダーマンのように、能力が消えてしまう・変身用のコスチュームを棄てるのではなく、能力の源であるベルトを自らの意思で棄てる)展開があったりと、龍騎で行われた契約の物語を発展させたものなのではないか、という気がします。主人公がベルトを身に付け変身する事になったのはヒロインと関わったが故の偶然、しかし物語の中盤でベルトで変身する力を持っていたのも同じく過去にヒロインと関わったが為の必然であった、という部分も含めて(劇場版で主人公は「救世主」などと呼ばれていますしね)。555の重要なキーワードである「夢」について考えても、主人公はベルトに出会わなければ、叶えるどころか持つ事すら出来なかった訳ですし、やはり555におけるベルトは「ツールにしてバディ」という、他のライダーとは違った存在なんだろうと思います(バディ≒ツールだと、カードやカプセルや書物や、ちょっと古い所ではバーコードなど、他作品でも多く見られますが、完全なバディ=ツールは珍しいのではないでしょうか)。

izuminoizumino 2008/09/25 15:35 コメントありがとうございます。武器や装備がバディの役割をする話というのは、ファンタジーに多そうですね。個人的には『コブラ』のコブラがサイコガンを捨てようとする(でも捨てられない)話が好きで、それとか思い出しました。

tukinohatukinoha 2008/09/26 16:26 早速お返事いただいたにも関らず、諸事情で拝見するのが遅くなり申し訳ありませんでした。確かに読めていない部分もあったな、と反省するところも多々ありました。ただ、エヴァにおいては「使徒、襲来」「男の戦い」「最後のシ者」と繰り返し「選択肢があるようで実は最初からなかった」状況を描くことでシンジ君を追い詰めていき、その結果として引きこもってしまったわけですから、その過程を飛ばしていきなり
>シンジ君も「綾波を無視して三角座りする」可能性は当然あったし、むしろそれが中学生としてはデフォルトの行動だと思います
というのは論理の飛躍ではないかと。もっとも、何を以て「中学生としてのデフォルト」とするかということは、ジャクリーン・ローズが言うように「批評言説に現れる『子ども』は書き手がある必要に応じて自分で都合の良いように構築されたものに過ぎない」わけで、瑣末な問題です。
>王道をどう信頼するか、という点でコンセンサスを取りたいのですが
「王道」「古典」「伝統」これらの言葉の効用とは、いずれも現代という時代性のもたらす先入観を「括弧にいれる」ことであると思っています。『源氏物語』を例に取ると、現代文学なら「ロリコンの主人公がキモイ」で投げ捨てられるところを、「古典」だから「性におおらかな時代があったんだなぁ」と先入観が相対化されるわけです。『源氏物語』を現代語に翻訳する(アップデートする)かどうかは二次的な問題である、というのが私の考えです。「王道」でなくてもアップデートされなければ忘れられるのは当然のことであって、「時代に合わせられてこそ王道!」というのは自然なようで言葉の選び方に恣意性が感じられます。
最後に「自由意志」の話ですが、本文に読み落としがあったのは事実です。申し訳ありません。ここで言いたかったのは「自由意志による決断」という幻想を与えることが、実は悪しき自己責任論の遠因ともなっているのではないか、ということです。izuminoさんの言い方に従えば「ハンコを受ける側」の倫理的責任を全部チャラにする方向に働いているような。
私からの意見は以上です。お目汚し失礼しました。

izuminoizumino 2008/09/26 20:49 最後に付け加えておくなら、古典というキーワードは、東洋でも西洋でもルネッサンス(復古)の思想を折り込み済みにしたものだと思うので、単純に「古典=古い時代に通用していたもの」という字義で理解しない方がいいのではないかなと思います。逆説的に言うと、「今でも通用しそうなもの」を探して「発見」されるものが「伝統的古典」と呼ばれるのですから。//あと「シンジ君に選択肢は無かった」ってのはむしろゼーレ+ゲンドウの「全能感」を肯定しすぎで、大人ってそんな万能なもんでもない気がしますけどね。TV版のゲンドウってかなりやけっぱちな男ですから。大人の先読み能力を過大評価して、子供の意志なんてちっぽけなんだと思い込む時点で「自立できてない」という気も……。で、新劇場版がややこしいというのはループ世界解釈によって「全能感のあるシナリオ」に根拠が与えられる点なんですが、それは大人のゲンドウ達がどうこうよりも神の領域ですから、問題の次元が違いすぎる、ということを言っています。仮にゼーレが神の領域でシナリオを描いているとしても、それはそれで私達の現実(女の子を助けようが見捨てようが、神の思い通りに動いているだけで自由意志「ではない」!)と特に変わりはないでしょう。ゼーレがシンジの選択肢を奪っている世界と、我々に自由意志が無い世界。その両者を分けて考える必要はありますか? むしろゼーレは破壊可能な組織であるぶん、エヴァのキャラクター達は自由だと言えるくらいです。今回の文脈でいえば「ゼーレ(≒神)との再契約」の余地がある……「レールの作り替え」ができるかもしれない物語だということですね。

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Tue 2008.09/09

とりあえずみんな「Chrome襲撃」でぐぐろうとするはず

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 Google Chromeを試しに使ってます。コンセプトの印象は悪くないです。

 とりあえずChromeから日記を書いてみるテスト入力フォームにおけるATOKの挙動がなんか変なので、そこだけ違和感

Burning ChromeBurning Chrome
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文学フリマ受かってます

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 全然告知とかしていませんでしたが、今年の11月9日に開催される第七回文学フリマのブース申し込みに受かりました。

 名義は「春の文学フリマ」と同じく「ピアノ・ファイア・パブリッシング」ですが、他のライターさんの委託参加もある予定です。


 泉信行としての出し物は、めくる冒険の下巻……ではなくて、下巻の準備号的なものを用意しようと考えています(その原稿自体はほぼ全部書き終えていて、すでにプリントアウトしたものを少人数に手渡したりもしています)。


 しかし最近、何人もの方から「下巻はいつ出るんですか?」と訊かれるのですが、えーと、一応はですね、年末予定と考えていまして、まぁしかし、年末(つまり冬コミ)に間に合わせようとしたら、鬼気迫る勢いで執筆作業を進めなければ間に合わないだろうなと、自分のことながら肝を冷やしています。


 そろそろ、化け物のような執筆エネルギーが必要になってくる時期だと思うので、最近はもっぱら英気を養う方向へ精神を持っていく生活に努めています(※小山ゆうの『スプリンター』ばりにトランス寸前のヤバい状態まで心身を追い込めてからじゃないと満足できる仕事はできない、と思っているタイプ)。

WEBスナイパーに『漫画をめくる冒険〔上巻〕』の書評掲載

| WEBスナイパーに『漫画をめくる冒険〔上巻〕』の書評掲載を含むブックマーク

no title

 『ゼロ年代の想像力』に対する秀逸な書評前編後編)も書いておられるさやわか氏が、今回は「めくる冒険(上巻)」の書評を手掛けてくださっています。


 この上巻というのは、初版の発行日から既に半年(六ヶ月間)も経とうとしているのに、こうしてまた評価して取りあげていただけるというのも、なんだか妙な気持ちになるものですね。

 本人としてはもう過去仕事っていう感じで、頭の中は完全に「次」のことだけで一杯なものですから。

漫画をめくる冒険—読み方から見え方まで— 上巻・視点漫画をめくる冒険—読み方から見え方まで— 上巻・視点
泉 信行

ピアノ・ファイア・パブリッシング 2008-03-14

Mon 2008.09/08

ウェブコミックの研究と、「部活漫画」の昨今

| ウェブコミックの研究と、「部活漫画」の昨今を含むブックマーク

 昨日のComic TreasureGUNPさん(「杜講一郎×さくらあかみ」の二人ユニット作家さん)のブースに挨拶しにいった時、Web漫画誌の「ブラッド」で始まった新連載について、杜さんとちょっとお話ができました。

 この第一話、ウェブコミックとしてはかなり読みやすいって所にまず感心させられますが、この見やすさってのはGUNPさんがHP漫画をアップしていた長いキャリアを持つからでもあるんでしょうね。


 ブラッドについて色々話をお訊きしてみると、作者や編集者が工夫してどうこうというレベルではなく、メディアとしてのシステムサイトブラウジング企業関係流通システム含む)の問題が山積みになっている世界でもあるよう。


 いまんとこ泉信行は「紙媒体アナログコミック」専門に研究していることになりますが、来年あたりからは、業界全体において「デジタルコミック研究」がかなり活発になるでしょうし、活発にしないといけなくなるだろうと予想しています。

部活漫画の描き方昨今

 そういえば『瞳のフォトグラフ』は部活漫画というジャンル部活動写真部)になるんでしょうけど、最近ジャンプSQ漫画では一番おもろい」と身内で密かに流行っている『放課後ウインドオーケストラ』(公式サイト)という作品があって、これも「部活漫画」ですね。


放課後ウインド・オーケストラ 1 (1) (ジャンプコミックス)

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 取り扱っている部活動は「吹奏楽部」なんですが、そういう平凡な素材をおいしく見せる描き方として「あぁ、こう描きゃいいのか」という、改めての発見も多い秀作です。

 なんせ、ストーリーとしては主に「部活を立ち上げる」「その部活を存続させる」くらいしか基盤となるベースが無いにも関わらず……、フシギと盛り上がる話になってますからね(恋愛要素すら「あるようで、そんなでもない」程度だし……)。


 最近少年誌*1でここまでストレート部活漫画をやるのって珍しいと思いますが、「いかにもサンデーに載ってそうなくらいストレート」とでも言いたくなる一方、なんとなく「一昔前のジャンプっぽさ」も微妙に感じさせているあたりが、なかなか言葉にしにくい「風味」になっている気がします。

 絵柄で気に入ったら購入をオススメしますという作品ですね。書店とかでは品薄状態らしいですが、ちゃんと増刷されるかなー。

*1SQが「少年誌」かというと微妙ですが、少なくとも「青年誌」以下のターゲット雑誌、という意味

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Sat 2008.09/06

塩野七生の名文

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結局、わずかの日数しか費やさなかったパルティアとの戦役で、七個軍団もの兵士を、総司令官も軍団長も百人隊長も、銀鷲の軍団旗とともに失ったことになる。ローマ人が自らに忘れることを禁じた敗北は、共和制ローマの七百年の歴史の中で三度あった。

 一度目は、紀元前三九〇年に、ケルト人ローマ人の呼び名ではガリア人)に一時的にせよ首都を占領された苦い経験。

 二度目は、紀元前三二一年の「カウディウムの屈辱」。サムニウム族に破れたローマ軍が、武装を解かれて敵兵の槍の間を歩かされた末の休戦という、不名誉な敗北を喫したときだった。

 そして、三度目は、紀元前二一六年のカンネの会戦での、ハンニバルによる完膚なきまでの壊滅。ローマ軍は、七万もの兵を失って敗北したのである。

 しかし、ガリア人に対してはその後、ローマの攻勢に次ぐ攻勢で、あの頃の屈辱は忘れてよい状態にある。不名誉代名詞までなった「カウディウムの屈辱」も、サムニウム族は結局、ローマに吸収されたのだった。カンネの敗北も、スキピオアフリカヌスがハンニバルに勝ったザマの会戦で雪辱を果たしている。クラッススとその軍が壊滅した「カッレの敗北」も、ローマ人の気質からすればいずれは雪辱されねばならなかったが、それが知らされた紀元前五三年の秋は、ローマはそれどころではない状態にあった。雪辱できるだけの力を持っていた二人の人物はいずれも、首都ローマガリアで手も抜けない状態にあったからである。

 血のたぎるような文章があると、こっちの身も震えます。

 思わず写経したくなったのでタイピングしてみた(強調は筆者による)。

ユリウス・カエサル ルビコン以前(下)ローマ人の物語10 (新潮文庫)ユリウス・カエサル ルビコン以前(下)ローマ人の物語10 (新潮文庫)
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