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Thu 2009.01/15

「誰でも助ける」ハーレムメーカーと、人生を救われることで惚れる者たち

| 「誰でも助ける」ハーレムメーカーと、人生を救われることで惚れる者たちを含むブックマーク

 原稿書きのあいまをぬって更新

ハーレムメーカーは時を止める〜動機の根源に潜む宝箱を開けることは、、、、 - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために

■根拠も動機もなく「誰でも助ける」という性格は、ハーレムメーカーなのだ!

「誰でも助ける」ってのは、「助けられた人の人生の根幹にかかわる」ということを意味するので、相手は、助けた人に惚れるよね。

ちなみに、ここで「根拠がない」というのも重要で、根拠があった場合には、それはトラウマ(=そういう人格になった原因)なわけなので、それを解決して昇華することがイコール彼の人格の「救済」となるので、その時には、彼の相手は、「その救済が可能な人(まぁたいてい女の子)」という風に、オンリーワン関係を形成してしまうので、物語が終息へ向かってしまう。

そう、、、なんとなくヒント的に感じるんだが、この「主人公の動機の根源に触れない」という設定を置いた瞬間に、ハーレム構造が成立できるんだね。

「誰でも助ける」という人格ドラマトゥルギーは、言い換えれば、「相手の動機の根源には触れる」のに、「自分の動機の根源には触れにくい」という構造を生み出す。だって、たいていは、根拠がないもの。根拠を描いた瞬間に、その根拠に触れることができる人が、、、ここでは例えば女の子が、正妻の地位として・・・いいかえれば「その人の唯一無二の取り換えがつかない絶対の対幻想者」として立ち現れてしまうので、物語ハーレム構造を持たずに、終局へ向かってしまう。通常の僕が「いい」という物語は、この対幻想のあり方、、、、言い換えれば、主人公の動機の根源と、その物語世界観がもつマクロ構造(=路線)とテーマが、一致するものです。


 引用の順序は意図的に変えています。

 「ハーレムメーカー」「誰でも助ける」というのはラブコメ構造を考える上では不可欠な用語にもなりそうで、重要ですね。

  1. 誰でも助ける主人公には、(相手に対して個別の)動機や根拠が無い
  2. ゆえに、相手を助けても主人公の根幹は揺らがず、人格昇華されることもない
  3. しかし、助けられた相手は人生の根幹に触れられることで、主人公に惚れる
  4. 自分の「正妻」だけを例外にして、主人公無限に「誰でも助ける」ことでハーレムを増員できる

 ロジックとしてはこういう現象のこと。


 最近アニメの例だと『遊戯王5D's』でも似たようなことが言えて、主人公の「不動遊星」はハーレムというほど複数のヒロインに惚れられるということはありませんが、十六夜アキというヒロイン人生を変えてしまうことで、ほとんど王子様のような扱いを彼女から受けます(というより、視聴者がまずそういう目で見てしまう)。



 問題は、遊星の性格として「仲間想い」「見捨てられる存在を見逃せない」という設定が付与されているため、アキに対する「個別の根拠」が無いと言えば無かったということです(ただ、アキを救おうとする遊星の身の張り方は異常だったりする)。

 しかも『遊戯王シリーズキッズアニメで、元々カップル発展の可能性が低いシリーズとして定評があったようです。

 その割に恋愛要素が強い(主人公のいない所で三角関係のもつれもある)5D'sは特別なタイトルだったのかもしれませんが、この「発展しなさそう感」を破るセリフが第40話で唐突に飛び出てきます。

 アキを救いに行くべきかどうか迷っている遊星に対して、彼の育ての親である女性が(カンだけで)「アキちゃんってコのことが好きなんだろ」とからかい、遊星もうろたえる場面なんですが、ポイントなのはこれ、遊星自身の動機の文脈とは全然関係無い所から出たセリフだということなんですね。


ヒロインとの恋愛は、互いの根源に触れなければ成立しないのか? 本当に?

 まずキッズアニメとしては、遊星の人格の根幹を十六夜アキというヒロインに結びつけてしまったら、二人のラブストーリーまっしぐらにしかならないので「遊星の根幹に関わる動機でアキを助ける」ようなシリーズ構成無意識にせよ避けたという判断にも思えます。

 その上で、「動機や根幹の問題」と「恋愛感情」を別軸にズラして描くという手も無いことではないんだな、という奇妙な発見がありました。


 遊星のトラウマや、彼の動機は十六夜アキとは異なるラインで描かれているので、お互いを唯一のものとする「対幻想」は二人の間で発生しないんですが、えてして実際の恋愛ってそういうもの(=対幻想ではなく相性の良さでつきあうもの)だよね、という気にさせるという意味でも面白い場面だったかもしれません。

 もちろん単純な意味エンターテインメントカタルシスが強いのは、互いが互いを唯一視するような対幻想(おお、本田透さんの言う「キリスト教によって宗教化された恋愛」の形態だ!)になると思うんですが、そんな紋切り型にならないラブコメエンターテイメントの形も模索可能だよね、という話かもしれませんね。*1


「おまえにいちばんあってるのは杉村さんて人さ」

男と女ってな いちばんだいじなのは相性があうかどうかだとおれは思う」

「いくらすきでも‥‥ すきどうしでもだ 相性のあわない者どうしぜったいうまくはいかんよ」

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*1:特に『遊戯王』の原作者は「自立」や「仲間」をシリーズテーマとしてうたいあげているので、相手を唯一視するような幻想に基づく恋愛は肯定的に考えていなさそうでもある。遊星以前にアキが唯一視していた「ディヴァイン」という男がいて、ディヴァインは結局アキを救えなかったということが象徴的。遊星がアキに投げかける言葉も「俺は見ていることしかできない」「自分で考えて結論を出すんだ」という風に、相手を自分依存させないような言動で一貫している



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