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Mon 2009.02/23

izumino2009-02-23

ビックリマンオンリー行ってきました/「改心ヒロイン」と「悪堕ち」の表裏一体

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 つい最近記憶の引き出しから


「そういえば自分にとって『ビックリマン』のサタンマリアワンダマリアシヴァマリア)が改心ヒロイン原体験なんじゃあ?」


……という萌え記憶が呼び覚まされた*1と思っていたら、タイムリーなことにビックリマンオンリー大阪で週末に開催されると知り、ちょうど外出の予定もあったのでぶらっと立ち寄ってみました。


ビックリマンオンリーイベント我武者羅

 この手の即売会らしく、描き手はほとんど女性。たぶん描き手も買い手もみんなウチと同世代か、それより上でしょう。



 とりあえず↑のアンソロを始めとして、良さげなロココ×マリア本を総買いしてきました。

 二次創作でちょっと再確認できたことですが、マリアの魅力は「改心はしてるけど悪魔の本性も残している」という、まさしく「聖魔和合」の言葉通りな所で、「善に目覚める」という形容も確かに当てはまるものの、悪の性質そのものが消え去ったわけではないんですよね。

 「悪の性質を、いいこと(優しさ)に向ける」という生き方をするキャラクターになっている。*2


 思えば清濁併せ持つような人格の方が、われわれ世俗にまみれた人間からすれば「立派」に思えるわけで、その上「罪を犯したことのある人でなければ罪の重さがわからない」「悪い内面を抱えた者でなければ、弱者や悪人の気持ちを思い遣れない」*3ってのもモットモな話です。「まっすぐ育った善人は胡散臭い」という感覚普通はあったりするものですよね。

 改心ヒロインは、そこらへんの心理的なガードをすり抜けて「善」を象徴することができるから魅力的なのかもしれません。


 逆に考えれば「まっすぐ育った善人」を悪堕ちさせたくなるシナリオというのは、まさにその「胡散臭さ」に試練を与えて「ホンモノかどうか」を試してやりたい、という欲求から生まれるだろうもので、改心ヒロインと悪堕ちはそれこそ表裏一体の属性って感じですね。

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  • 改めてこういうものを買い集めていたり

ヒロインたちの顔を共通させることの意味と、その中での描き分けについて

| ヒロインたちの顔を共通させることの意味と、その中での描き分けについてを含むブックマーク

羽山@ついったー部 - はてなグループ::ついったー部

 よそ様のTwitterログまとめに自分が入っていたので、こちらでも捕捉&補足しておきます。


 補足というのは何かというと、今回の議論の前提認識になっている部分ですね。

 先月末にこういう話をしていたことを踏まえて、今回の話に繋がっていました。

八柾ユラグhachimasa ネギまはややもするとみんなおんなじキャラに見えるからなあ。後期ラブひなから噴出してきた問題なのだけど。キャラ数が一定以上になると描きわけが困難になるという。...

Izumiizumino @hachimasa あれは意図もあって似せてる所もあるのです。顔が似ていると「全員が他人という感じがしない」から、って言えばいいのかな。描き分ける、イコール読者にとっての他者を出す、ということになって作風的に向かないという。...

Izumiizumino みんな違う顔をしているような漫画は、浦沢直樹みたいに人間関係のすれ違いを描くような漫画でやってればいいと。でもその浦沢漫画も「ヒロインの顔はどれでも一緒」っていうあたりに描き分けた方がいい顔と、描き分けなくてもいい顔の違いってのがありそうですね。...

steinstein_ 確かに別に全部が全部みんな違う顔をしてなくてもいいとも思う [TWNv230]


 以上の内容は、理論的にスコット・マクラウドの『マンガ学』から影響を受けています。『マンガ学』を読めば、ロジックの根拠や裏付けが理解できるようになる……はず。

マンガ学―マンガによるマンガのためのマンガ理論マンガ学―マンガによるマンガのためのマンガ理論
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 ちなみに、赤松作品においてキャラの描き分けが「意図的にされていない」というのは、作者インタビューの発言から推し量れる部分や、制作スタッフから直接聞かせてもらったりした話が根拠になっています。

*1:当時小学生だったので「お姉さんキャラ」でしたけどね。ロココと結ばれて母親になるくらいですし

*2:学園パラレルの「ワンダマリア先生」は「根は悪魔なのに、ロココのためにいい子ぶっている」という、それはそれで「いい性格してる」キャラを堪能できますが

*3:「一通り悪事経験してからじゃないとカルマが上昇しない」っていう考え方は仏教っぽい

名無し名無し 2009/02/24 01:25 でも「お茶にごす。」は描き分けてますよね。

izuminoizumino 2009/02/24 01:40 「でも」じゃなくて、「お茶にごすだから」描き分けてるんじゃないですか? 相手の気持ちが読めない、完全に思いやることができないことに意味のある漫画でしょう。

shusshus 2009/02/24 13:25 顔が似てる→何処で見分ければいいんだ?→そうだ内面見よう、という風に、読者に興味関心を喚起させるっつーか、そのハードルを下げる効果もありそうな気がします。その先に、ログまとめで話に出てたミスリードの構図なんかも当て嵌まりそうな。

izuminoizumino 2009/02/24 14:28 ネギまはまさにそのコンセプトみたいですね(インタビュー参照)。意外と、その方がリアルっていう気もするんですよ。日常だって、人の顔なんてあんまり区別して覚えられないわけですし(笑)。キャラの見分けがつきにくい漫画家さんといえば紺野キタさんなんですが、この人の漫画はまさに「頑張って個人識別しなきゃいけないような気にさせる」作風だなぁと思います。



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