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「父親探し」に幕をおろした、『HUNTERXHUNTER』と『魔法先生ネギま!』のキーワード

 今週の『週刊少年ジャンプ』には、冨樫義博『HUNTERXHUNTER』は載っておらず。
 また、先週の『週刊少年マガジン』では、赤松健魔法先生ネギま!が載ってませんでした。


 ハンタは新展開を控えた休載中であるのと同時に、「第一部 完」と呼んでも差し支えのない大団円を迎えた直後。
 そして、ネギまは連載の「完結」を迎えました。


 先日も『Baby Princess』のWeb日記が四年越しに幕を閉じるニュースを報じたばかりですが……。
 個人的に、00年代に生活を共にしたコンテンツが同時期に終了するという、この事件(イベント)には、時代の切れ目的なものを感じます。


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 ハンタが1998年、ネギまが2003年のスタートですから、それぞれ14年と9年の連載期間を経て、「父親に追いつくことで作品のテーマを示す」ポイントに着地したことになります。


 そもそもネギまは、『STAR WARS』や『HUNTERXHUNTER』の物語構造にならって「父を探しに辺境から旅立つ少年」というパターンを採用したと、作者自身が述べていた作品です。
 だからこの両連載を並べてみると、(ネギまが褌を借りる恰好になりますが)テーマを呑み込みやすくなるところもあります。


 どちらも「父親探し」は方便的なところがあって、そういう目的があった方が物語を回していきやすいし、オチもつけやすい。特にネギまの制作裏話によると、「話を作りやすい王道のパターン」として便宜的に「父親探し」を選んでいた様子が窺えます。
 ……父親を越えるか、追いぬくか、という目標は二次的なところがあって、問題はその「探す過程」でどんな気付きや発見を得るのか、ということですね。

キーワードとして刻まれたのが「わずかな勇気が本当の魔法」

 これから書く記事は、『魔法先生ネギま!』の最終話について、先日にメモった雑感をまとめ直したものです。
 諸氏によって、結末に思うことは多々あると思いますが、ぼくが第一印象で感じた、シンプルなテーマのみを掘り下げて書いていくことにしたいです。


 まず、「本当の魔法は踏み出す勇気」という、初めはなんてことのなかったメッセージからスタートした連載が、同じキーワードで〆られたことのストイックさを評価したいですね。
 「エピローグでプロローグの場面に回帰する」という映画シナリオ的な演出は『ラブひな』でも行われていて(→参考)、映研出身の作者らしい「行儀の良さ」をイメージします。


 そして麻帆良祭で「わずかな勇気」という言葉の解説役をしていたエヴァンジェリン(※第96話参照)が、再び解説役を買って〆るという構成も、全体で一貫したものがあって、気持ちが良かった。
 そのエヴァによるキーワード解説には、本作の醍醐味と呼べる部分が集約されていたと思います。
 96話は、いわばそれまでの連載の「集大成」でした。
 だから第1話と96話を振り返りながら最終話に繋げて読むと、「作品の本筋」のような流れを感じることができます。


 当時、その96話にスポットを当てた記事を「ネギま!で遊ぶ」というサイトに載せたこともあるので、詳しくはそちらを踏まえてみてください。


 その一方でシンクロニシティを感じるのは、ハンタにおける〆方でした。
 ゴンの父親、ジンの語るキーワードは「見たことのないものが見たい」「本当にほしいものは過程で手に入る」という、まさしくゲームプレイヤーとコレクターの精神そのものを言い表したもので、ネギま「まだ見ぬ未来に飛び込む」「飛び込むことで予想外のことも起こる」というテーマと似通ったものがあるでしょう。


 ちなみに『HUNTERXHUNTER』でいう「まさしくゲームプレイヤーとコレクターの精神」というのは、以前「ニコ生PLANETS」に出演したときに語らせていただいていた話です。
 以下にまとめ記事があるので、「ゲームとコレクション(=遊び)」にまつわる発言部分だけ引いてみます。

ハンタは作者のコレクション好きとゲーム好きが投影されたコレクション(ハント=狩り)の漫画。手段を目的化することでバトルの空虚さを打ち消した。


ハンタで描かれるゲームは人類発祥以来の、狩猟採集生活の本能的快楽に根ざしているため、ゲームや勝負を通じて、善悪を超越した友情でもロマンスでも生き甲斐でもなんでも描けることに気付いた。


狩猟採集は少ない群れで行うものだから、トップダウンに政治や国家を描こうとはせず、少人数のゲームから積み重ねて*1ボトムアップ式にマスな世界を描いてきた。


ハンター協会の存在意義は政治や利潤ではなく文化事業。面白いから、を政治よりも優先させるネテロとジン。遊びの天才であるゴンが理想のハンター


「悪役論。ボマーの三人組やキメラアントのような悪人でも、狩りという遊びを共有した絆があれば肯定的に描かれる。*2ヒソカとパリストンの遊び心はソロプレイヤー寄りで、そんなパリストンがチードルは気に食わない。旅団のメンバーは遊びを与えてくれる団長が好きなのか、団長の与えてくれた遊びを愛するのかで割れる。ゴンの最大の対極が、おそらく遊び心を持たない、合理性の化物であるジャイロ」


「ゴンとキルア、王とコムギは野生児とインドアゲーマーという関係性で繋がっていて、この二組のロマンスが作中で最も面白いのはテーマ的に当然*3

『HUNTER×HUNTER』Ustの告知および、ニコ生PLANETS12月号のまとめ - ピアノ・ファイア
  • 余談ですが、ここで「ヒソカとパリストンはソロで遊ぼうとするから悪役」という括り方をしていましたが、今回のパリストンの身の振り方って「ヒソカの旅団入り」を連想させるところがあって、やはり同じタイプの構造をスケールを変えて描いているように感じますね


 で、ネギまのテーマ……というよりも作者である赤松健さんの人生観と言っていいのが、本人も度々語っている「悲観的に準備して楽観的に対処する」「とりあえずやってみる」という考え方。
 作者自身がそんな性格だからこそ、描き切ることのできたのが「わずかな勇気」というキーワードなのだと思います。


「昨日よりも明日が好き」という気持ちの込もった物語

 そしてその「とりあえずやってみる」から導き出されるのが、「行動によって未来が変わる」という当たり前の現象です。
 その当たり前を、タイムパラドックスや平行世界を用いて具象化している(読者に伝えている)のが、SF的ですね。


 この「SF的」な描き方こそが、最終回を読んで「ああ、こんな見せ方もあるのか」と感じたところだったりします。
 例えば「ファンタジー寄り」な作品のお約束ならば、「人類の日常は変わらず、非現実は秘密でありつづける」という終わり方をするものだと思います。
 ですが、ネギまの結末では、あたかも『Dr.スランプ』のペンギン村ばりに、人類と異種族が混ざった未来へと「変わり果てて」いたりする。


 この「SF」と「ファンタジー」という分け方は、ぼくの中のざっくりした分類ですが……。
 作中の非現実や超科学を「未来にも現在にもありうるもの」として日常に取り込むように描くものがSF。
 作中の非現実や超常現象を「未来にはありえないもの」として日常に取り込もうとしないのがファンタジー
 そういう分け方をしてまして、だからネギまの描く未来は「マインド的にSF」として受け取ることになります。
(※ファンタジーに関する補足1:ファンタジーに批評的な小説『果てしない物語』を書いたミヒャエル・エンデが、映画版『ネバーエンディング・ストーリー』の結末に怒りを示したのも「ファンタジーが現実に干渉することを期待してはならない」という、ファンタジー作家としての生真面目な理念によるものでした。)
(※ファンタジーに関する補足2:なお、異世界を舞台にしたハイ・ファンタジーが「広義のSF」と見做されることもあるのは、異世界における魔法や超常現象が「その世界にとっては日常であり現実」として存在するからだ、と解釈しています。)


 ……で、少年漫画としてのわかりやすさとして、「未来はこんなにも現実と変わり果てたものになるのだ」という結末の見せ方は、「良くも悪くも、未来は現状の姿を保つことはない」というテーマを語る上で、わかりやすすぎるくらいわかりやすい。


 また、パラレルワールドが統一されずに、数多に未来が分岐しつづけるという設定も、ビターといえばビターな世界なのですが、「行動によって良くもなるし悪くもなるけど、どちらにせよ現状維持はありえないのだ」という世界認識とマッチしてるとは言えるでしょうね。


 以上のように考えた上で、橙乃ままれの描いたまおゆう魔王勇者でも示されていた、「世界は過去よりも未来の方が好きなんだ」というメッセージを思い出しましたし、「本当にほしいものは見たいものを見る前に手に入る」というハンタのテーマもまた、まおゆうで描かれていたことだなあと、繋げて連想していました。


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 共通しているのは、「昨日よりも明日が好き」という世界の見方が示されている、ということ。
 簡単な言葉にすれば、冨樫義博からは「その方が面白いから」というゲーマーとしての考え方を感じますし、赤松健からは「行動しなければ始まらない」という起業家らしい考え方を感じます。


 ネギまは完結ですが、『HUNTERXHUNTER』はまだ次のステージがあるようです。「見たことのないものが見たい」という言葉を地で行くように、ハンタの世界観は「現状維持」をすることなく、どんどん新たな姿を見せていき、読者が追いつくのも大変、というくらいですね。


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 ちなみにハンタは14年で30巻ぶん、ネギまは9年で38巻ぶんの連載をしたことになりますが……計算が比例してないのは大人の事情というものでしょうか?

*1:マスゲームであるオークションやMMORPGを経て

*2:ビスケを襲った殺人鬼が「武人として手合わせ願う」と頼むことで命拾いしたのも、同じ土俵のゲームで競おうとする態度を見せたため

*3:ただ、王はゲームの面白さを外に広げようとはしなかった点で、理想的なハンターではなかった。しかしコムギと出会う前から「レアモノ」を探すのが面白いなどと、コレクター的な娯楽に興味を示す様子が描かれている