Hatena::ブログ(Diary)

ピアノ・ファイア このページをアンテナに追加 RSSフィード

 HOME : リクィド・ファイア

   

Tue 2015.06/23

少年漫画のエディプスと『ジョジョリオン』のエディプス

| 少年漫画のエディプスと『ジョジョリオン』のエディプスを含むブックマーク

2015年6月20日

「NHKでやってる『100分de名著』が今、『オイディプス王』の3回目になるんですが、期待通りに面白かったです。オイディプス王のことを何も知らなかったという、伊集院光の反応が面白い


 漫画アニメも好きな47歳の大人が、ふしぎと『オイディプス王』は名前も聞いたことがなかったという話ね。


「前回までは、『探偵役が追ってる真犯人を観客は知っているというのは、ミステリとして斬新ですよね!』とか言って、それは『刑事コロンボ』とかで使われている倒叙ミステリですよとツッコまれていたのはご愛嬌でしたけど」


ソポクレス『オイディプス王』 2015年6月 (100分 de 名著)ソポクレス『オイディプス王』 2015年6月 (100分 de 名著)
島田 雅彦

NHK出版 2015-05-25
売り上げランキング : 2254

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


 その勢いだと伊集院は、エディプス・コンプレックス起源が『オイディプス王』だと知った時も驚くのではないか? って期待してたんだっけ。


「そう、今回がエディプス・コンプレックスの説明回だったわけですが、その時の伊集院解釈ヒートしててすごく面白い。吸収力と反射力がはんぱないですね。『それって、親から見れば子殺されになりますよね?』と別視点へ瞬時に切り替えながら、『子殺されから逃げたライオス王よりも星一徹の方が偉かった』と、一気に梶原一騎的エディプスの話に繋げていく。この即応力がすばらしい」


 一徹は殺されにくるどころか、息子を殺しにくるから。それが偉いかどうかは別として……。


梶原読者にしてみれば、梶原漫画といえば露骨エディプス・コンプレックスのある面が論じられてきたわけですから。そこへ一足飛びで辿り着く頭の回転の速さはやはり鋭いですね」


 確かに。『100分de名著』における伊集院光は、『教養はまったくないけど頭がいい人』という、この手の教養番組聞き手として理想的タレントで、まさに『地頭がいい』を地でいくような人ですね。スタッフもよくぞ抜擢したものだと思うけど、特に過去回では『ハムレット』の回にその鋭さが現れていた。


主人公視点解釈してしまうシーンを、悪役の心理から読み解いて、講師すらも唸らせる新解釈を打ち出した、という逸話を残した回ですね」


 そうした『多視点』への切り替えの鋭さは、今回のライオス王の話でもよく活かされている……。

 ところで今やってる『100分de名著』は、『オイディプス王』が後世の物語の原型として、いかに優れているかという観点から言葉を尽くしたものだ。

 さきほどの倒叙ミステリの話もそうだし、エディプス(父殺し)の物語にしてもそう。『自分探し』のテーマだって含まれている。


 そして『オイディプス王』は、エディプス・ストーリー自分探しの『原型』であるがゆえに、暴力的なまでのアンハッピーエンドを私たちに提示している。

 そんな濃縮された原液を、いかにアレンジして、『いい話』に持っていくかが、後世や現代作家の工夫だと言ってもいいはずだ。


 そう考えてみると、伊集院が『オイディプス王から巨人の星』を連想したように、少年漫画にとって『梶原的エディプス』は避けて通れないテーマではないか……、と再考する意味もあるかもしれない。


 だから例えば、ジョジョ読者にとっても難解なジョジョリオン』にしたって、

『父殺しは成立しないが、自分探し存在するオイディプス王

解釈するのは、意外と理解への近道……王道となるのかもしれない。

 『自分探しを解決すること自体悲劇を招く』なんてオイディプス王的な展開は、いかにも今の『ジョジョリオン』で起こりそうな話だしね。


ジョジョリオン 10 (ジャンプコミックス)ジョジョリオン 10 (ジャンプコミックス)
荒木 飛呂彦

集英社 2015-07-17
売り上げランキング : 99

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


 そして『父殺しが成立しない』という問題から考えていくと、逆にヒントが掴めるような気がする。

 『ジョースター家の血統』について描いてきたジョジョシリーズにおいて、その血統がここまでぼやかされていること自体テーマに繋がるのではないか、と。


「ああ、梶原一騎好きな荒木先生の作品から、改めて『梶原的エディプス』のテーマを読み解くというのは面白そうですね?」


 じゃあちょっと分析を始めようか。

 少年漫画のエディプスには多くの表現パターンがある。

 ひとつは『巨人の星』の一徹のように、父親と息子が対決する王道パターン

 次に『父性を探し求めたのち、その不在を克服する』という、『あしたのジョー』や他の梶原作品に多いパターンだ。


 前提としてだが、梶原一騎時代ではすでに、『父殺し』が困難な時代突入していた。倒すべき父性を見出せなかったり、仮に父性との出会いがあったとしても大山倍達のように遠すぎて倒しようのない存在だったりする苦悩が梶原漫画では繰り返される。


 梶原以降の作品であるジョジョでも、この『不在の克服』パターンをずっと続けているんだ。

 付け加えるに、6部までのジョジョシリーズは『血の継承』がテーマでもあるため、親と子の正義は共通しており、直接に敵対することは避けられてきた。

 初めに実の父殺し、義理の父殺しに手を染めるのは『悪』のキャラクターディオ・ブランドーだった。

 主人公であるジョナサンもジョセフも、父親を殺害され、父殺しが不能になったところから戦いが始まる。

 ジョナサンは師という第二の父もやはり殺され、ジョセフや承太郎、仗助は父不在の中、母親を守るために戦う。

 不在の父親の代わりに、『母を脅かす強敵を倒す』ことが自立への通過儀礼になっている感じかな。


「仗助の父親はジョセフだから、一応存命だったんですけどね」


 仗助の父親は、肩を貸して支えてあげるような老爺であって、人生の先輩ではあるが、もう乗り越えるとか乗り越えないの仲ではなくなるよね。

 仗助はまだ未成年から普通なら父親はもっと若いんだろうけど……。現代だと、若者モラトリアム期間が長期化することで『若者が自立する頃には父親が老いてしまっている』という問題が生じやすく、先に触れた『父殺しの困難さ』に繋がるわけだが、仗助とジョセフの場合、それが極端な年齢差によって如実に現れた関係だとも言えるかな。


 さておき、第3部はDIOがジョナサンの肉体を乗っ取っているということで、その戦いが『ジョースターの子孫による復讐』だけでなく、『果たせなかった父殺し』の疑似達成にもなっているのが面白い

 本来は避けられていた父性との対決が、DIOを通じて行われている、とも捉えられるわけだ。


「なるほど。そういえばジョセフにとってのDIOって、実の父親の間接的な仇でもあるんでしたっけ? でもDIOに対しては『お爺ちゃんの肉体を奪ったやつ』という意識の方が強そうでしたね」


 さすがにジョセフの家庭環境からすると、あくまで『間接的に殺害』でしかなかった父親との因縁は、本人もあまり意識しないんじゃないかな……。

 あと承太郎の父親も家庭を放り出してるっぽいからか、父親が存命してようが承太郎はまったく気にする素振りがなかったね。


「夫が不在のせいか、息子にべったりなホリィさんとの仲は、別の意味でエディプスっぽいかな……? さらにそのホリィを溺愛しているジョセフは、承太郎からするとライバルになるんですかね」


 そうだなあ。それとDIOは、『ジョセフの祖父』の肉体を奪っただけでなく、『承太郎の祖父』ジョセフの血液を奪う存在でもあるんだ。

 承太郎がそのジョセフの血液について、『貸した』ものは『返して』もらうぜ……、と貸し借りにこだわった言い方をしたのは今思うと興味深い。


「なるほど? ジョセフの魂との別れで感情を激しく揺さぶられ、ジョセフの血でパワーアップしたDIOを打ち破り、さらにジョセフを自らの手で蘇生させ、それまで伏線もなかったくだらないジョークを交わしてなごむというくだりは、物語クライマックスでついに『ジジイ』とのエディプス関係が解消されたという風にも読めるんですかね」


 荒木先生はそんなこと意図してなかったと思うけど、あのオチに何かスッキリしたものを感じるとしたら、そんな理由もあるかもしれないね。

 この『父性を貸し付けたあとで取り戻す』という構造は、こういうさりげない形で描かれると意外とスッと受け入れられる、うまい手なのかもしれないな……?

 最初ジョセフとは、あくまで『いきなりお爺ちゃんと言われてもなあ』という距離感だったわけだしね。ホリィを挟んで『アンタより俺の方が大事に思ってるんだぜ』くらいのカワイイことは承太郎も感じてたかもしれない。


 そして第4部以降の話だが、乗り越えるべき父性が不在のままだと、憧れの理想父性の代わりに求めることになるようだ。

 しかし仗助にとっての憧れのリーゼント男は不在で、ジョルノにとって憧れだった『謎のマフィアボス』もやはり不在の位置に隠れてしまう。


「第5部はあのマフィアボス黒幕だろう、なんて予想をみんなしていましたけど、今日のこの話の流れだと、逆にそういう対決にならないあたりが現代的なんでしょうか」


 そうかもしれない? 第4部も第5部も、親子の対立はラスボス川尻ディアボロ)の親子関係に預けられていくんだよね。

 第4部だと、父親を殺そうとしてできなかった虹村兄弟とか、息子に始末されてしまう吉良父とか、ジョースター家以外の親子関係は思ったより殺伐としている……。


 続いて、第6部のジョジョ女性だけど、徐倫もやはり父親を喪ってしまう。ちなみに承太郎が家庭放棄気味だったのは、彼自身が『父親』をよく知らずに育ってしまったからなんだろう。

 そして徐倫と承太郎の間には確執こそあったものの、心を受け継ぐという点では、対立ではなく『ジョースターの血の継承』がきちんと行われていたと言える。


「第6部は、父親を奪われてから取り戻す、そして敵に殺される……というパターンになってて今までの集大成っぽいですね」


ストーンオーシャン―ジョジョの奇妙な冒険 Part6 (1) (ジャンプ・コミックス)ストーンオーシャン―ジョジョの奇妙な冒険 Part6 (1) (ジャンプ・コミックス)
荒木 飛呂彦

集英社 2000-05
売り上げランキング : 25526

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
スティール・ボール・ラン (1) ジャンプコミックススティール・ボール・ラン (1) ジャンプコミックス
荒木 飛呂彦

集英社 2004-05-20
売り上げランキング : 42340

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


 そして一巡後の世界……第7部においては、ジョニィは父親に見捨てられているが、どちらかというジョニィのトラウマになっているのは兄のニコラスの不在だった。

 父親は立派な大人ではあっても、調教師ジョッキー職業も違うし、ジョニィが心で争っていたのは『不在の兄』の方だったはずだ。だから父性の代わりというよりは兄貴分に近い存在としてジャイロが現れ、ジョニィを導く師の役になっている。


「ああ、第1部のツェペリさんよりジャイロ若いのはそういう意味もあるのか」


 生きている父親よりも、死んじゃった兄の方が後悔を引きずるだろうから

 兄に生きててほしかったという感情が、後に『ジャイロが生きててほしい』という感情にも重なっていく。第1部のジョナサン父性を二度失う代わりに、ジョニィは兄貴分を二度失うことで自立していくんだ。


 第7部で面白いのは、ヴァレンタイン大統領の方が『父親の心を受け継ぐ立派な息子』としてジョニィと対比されている点だろう。

 悪役を正義であるかのように描くというのも第7部のコンセプトだったが、一巡後の世界においてジョースター家の血統特権性を失い、むしろヴァレンタインの父の方が『短命の運命を持った立派な父親』のように美化されているわけだ。

 その後、ジョニィは自分を応援しにきてくれた父親を見て兄へのコンプレックスを解消させるが、父親の出番はそれだけで終わったりする。


「あのお父さんってなんか人柄を信用できないというか、『あの後でレース失格になったジョニィをまた見捨てるんじゃね?』と想像していた読者がいたのも面白いんですけど、実際ジョニィもサラッと親離れしてますよね。レース後に挨拶もせずヨーロッパへ出掛けてそうだし」


 では第8部の『ジョジョリオン』はどうだろうか?

 親探し(家系図調査)と、自分探し物語であるのは確かだから、『倒叙ミステリじゃないオイディプス王』という読みはけっこう悪くないと思うんだ。

 そこに家父長制の東方家、母性を表す広瀬ホリィなど、エディプスを象徴するパーツは集まっているものの、まだ組み方がわからないジグソーパズルみたいな感触かな……。それにしても難解だ……。


「ところでさっき気付いたことなんですけど、DIO化したジョナサンが孫たちに倒されるというのは、第4部で川尻父が川尻息子に追い詰められるという構図で繰り返されてますよね」


 ああ、確かに。悪役に乗っ取られる父性というモチーフか。


「だからやっぱり、川尻息子やボーイ・II・マンの話は第4部で突出して熱いというか、王道のエディプスに近いというか」


 ボーイ・II・マンに対しては、岸辺露伴に『まるで劇画』って梶原意識したようなことを言わせているくらいだからね。大人に歯向かうことで自己形成ができていくという、古めかしいビルドゥングスロマンがそこにある。


 私は、そのボーイ・II・マンのテーマは第7部の『マンダム』(リンゴォ・ロードアゲイン)まで繋がっているから好きなんだ。

 でもこのふたつの違いは、たぶんリンゴォ最初は『大人を倒して強くなる』みたいに思ってたのが、自分が大人になったときに困ってしまい、倒す価値のある相手の基準として『漆黒殺意』とかよくわからない理屈をひねり出し、エディプスと関係のない『男の世界』を作り上げたところにあるんじゃないだろうか。


「その話、リンゴォの狂いっぷりが強まってていいですね」


 リンゴォの言う『昔の男世界ははっきりしててよかったが今はそれが難しくなった』というのも、あれは『自分若い頃は大人を倒せばよかったからはっきりしてたが、自分が大人になると何をすればいいのかわからなくなった』という単純な加齢の話だと思えば、急に面白さとクレイジーさが増すぞ、いいな。


「やはりリンゴォは良キャラですよ。そんな屈折をしてたやつが、同じくエディプスに悩むジャイロを決定的に変えるきっかけになったというのも想像すると熱いです」


 ジャイロの話に戻ったところで、ツェペリ家の親子の話も復習しておこう。

 まず、第2部ツェペリ家のシーザーは、父との葛藤から喪失を経て、父を否定するのではなくツェペリ魂を継承する。こちらはジョースター家の血統と似た関係だ。

 第7部ツェペリ家のジャイロも、父との確執経験しているが、それを解消することはなく、ジョニィの師となることで生を全うする……。このジャイロでやったエディプスのかわし方が特に面白いかな?

 これまでのジョジョでは、エディプスのない人間関係において、男が成長するために仲間や強敵との友情――ブロマンス(Bromance)的な『男の世界』の戦いがうまく用いられてきたと言える。


 だが第8部『ジョジョリオン』では、女の子女装ショタの方が定助と親しくしてるくらいで、『男の世界』は奪われている。

 というよりも、吉良とのブロマンス関係すらも『喪ったもの』として描かれている、のか……?


「あ、それは連載ネタバレの話ですよね」


 そう、今の連載の話なんだけど、『吉良』と『空条』の関係が、『今までのジョジョなら当然ありえたはずの』ブロマンス関係かもしれないと仮定し、それが『喪われた』状態に主人公が置かれている……、という読みはかなり面白いんじゃないかな。


「その吉良の代わりに与えられてるのが、あの東方家の奇妙な男たちなのか……」


 それにしても『ジョジョリオン』は、たぶんこんな風に、『何があるか』よりも『何が喪われているかから考えてみた方が、ジョジョシリーズとして読むには楽しめるのかもしれない。


 あと、第7部から通して感じるのは、『ジョースター家の黄金の血統』が意味を持たなくなった(=徐倫ジョジョではなくなってしまう)一巡後の世界においては、『ジョースター血統を受け継ぐ』こと自体がもはや祝福となりえないのではないか、ということだ。


 親から継承を断念し、むしろ継承自体が自立の邪魔にもなるかもしれないと覚悟することが、一巡後の世界テーマになっている、と言うこともできるかな……?


 荒木先生も元々は、第1部から第3部までの構想について『先祖のしたことが子孫に襲ってくる恐怖』を描きたいと語っていたが、それはジョースター家に因縁をつけたDIOが悪者だという話でもあって、短命の宿命こそあれ『ジョースター血統』は黄金の道とされていたわけだ。

 しかし『ジョジョリオン』では、その血統を『呪い』のようなものとして位置付けているらしい。

 この『血統の恐怖』と『血統呪い』って、微妙意味が違うんじゃないかな、と。


「それはぼくも、最初聞いたときに『おや?』と感じたところでしたね。主人公、つまり正義の味方血統なのに、呪いなんだ?っていう」


 いや、私はどちらかというと、一巡後の世界ジョースター家は『正義』の立場を失って、相対化されていたと考えていたんだ。普通家系になったんだろうなと。

 でも今日思ったのは、ジョースター血統無効化され、単に力を失った世界なのではなく、血統の支配力は残されているということかもしれない。

 つまり正義を失い、しかし血統の力だけは存続しているそれをかわして自立することが、『一巡後の世界』の課題になっているのではということだ。


「ははあ。少年漫画でよく言う、主人公の親の血筋が、みたいないちゃもん話がありますけど、それへのカウンターは『平凡な普通の生まれ』という設定ではなく、『親や先祖がろくでもなくてあまりいいことがない』でもいいのだ、ってことかもしれないですね」


 そうだね。親の七光りが強すぎると子の人生は苦労する、というのが普通なのだろうし。

 そのように、必ずしも『血統』を肯定的に描かなくてもいい、否定してもいいという考え方の変化は、きっとイーストウッド映画……『グラン・トリノ』あたりかな、そちらの影響も荒木先生の中では強いんだろうな。


【初回生産限定スペシャル・パッケージ】グラン・トリノ [Blu-ray]【初回生産限定スペシャル・パッケージ】グラン・トリノ [Blu-ray]

ワーナー・ホーム・ビデオ 2012-12-19
売り上げランキング : 7513

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


「エディプスをどうかわしていくか、というのが現代作家の工夫になっている、という話もそこに繋がるんでしょうね。世代間の葛藤……つまりエディプス・ストーリーだけでなく、周囲の関係性の中から自立を目指していくような話は、気持ちがよさそうですね」


 じゃあ次は、『カレイドスター』や『アイカツ!』などにかけて、少女アニメ世界にも梶原スポ根のエディプスが存続していたのに対して、『アイカツ!』があかりジェネレーションに入って以降、世代間の戦いをほぼ抜きにして『女の子の自立するロールモデル』を描き続けているのが面白い、という話をしたいかな。


少年漫画の次は女児アニメですか。いいですね、ではまた」


アイカツ! あかりGeneration Blu-ray BOX1アイカツ! あかりGeneration Blu-ray BOX1

Happinet(SB)(D) 2015-04-02
売り上げランキング : 13560

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/izumino/20150623

Fri 2015.06/19

あるプロジェクトにおける「代案」のアンフェア

| あるプロジェクトにおける「代案」のアンフェアを含むブックマーク

2015年1月中旬

 最近、思うにですね。『代案を出せ』、という言葉には納得がしにくい……いや、フェアではないと感じるんです。


「なんでまた。そりゃあ、なんだか言い返しにくい言葉ではあるけど」


 そこですよ。言い返しにくいと感じるのはなぜか、と。


ハードルの高い要求ではあるからか? ぼくなら、できれば相手の手の内を全て知った上で代案を用意したいところだ。しかし、あるプロジェクト批判したい側というのはそんな立場では当然ないだろう。だから代案を要求するなら、情報の公開が必要であり、情報を抱え込むのはフェアではない、というところかな?」


 いや、その程度は両者納得済みで進められるべきだし、問題はその不平等ではない。情報が足りないとしても、代案はいくらでも考えることができます。色々なパターンをね。しかし、あたかも、代案は一個だけでも出せば話を聞いてやらなくもないぞ、という態度を取られるわけです。これは納得がいかない。


「一個じゃダメですか」


 ダメですね。それには理由があって、そもそも代案を必要としている、批判殺到しているようなプロジェクトになっている時点で、先方さんはあらゆる代案を否定してきているはずなんです。

 その上で、どうも批判に耳を傾ける様子がない。そういう時です。代案を出せ、と言ってくるのは。

 なぜ彼らが批判に耳を傾けないのか。そして、仮に代案を出されたとしても跳ね返す自信に満ちているのか。

 それは彼らがすでに、数々の代案を退けてきた先に立っているからです。それはそれは、もつれにもつれたプロジェクトだったかもしれない。議論は当然内部でも行われている。

 あれでもない、これでもない、と取捨選択を行い、かろうじて出た結論を出した上で作戦は進行している。


「そうかな? ダメ作戦だと思われているなら、きっと考えなしにやってるんだろう、戦略を練るブレーンもいないし、議論もしてない、熟慮が足りないのであろう、とそう思いそうなものだけど」


 たぶん逆なんです。おそらくは、代案を弾くことに慣れてしまった集団の方が厄介なんですよ。

 彼らはただプロジェクトに関わる情報アーカイブしているだけでなく、議論経験もしっかり蓄えている。つまり、結果的に残ったアイディアと、却下されるためのアイディア……つまり代案とを競わせてきた経験だ。

 しかし議論というものは、すればするほど何が正しいのかわからなくなっていく。というより、何が正しいのかわからなくなるような議論の仕方がある、ということですかね。


「しばしば聞く話だね」


 そうした議論過程で何が育まれるか、ということですよ。

 代案には、却下する理由必要になってくる。手持ちの情報をフルに動員して、代案をそれぞれ却下していかなければアイディアは競えない。あれこれ理由をつけてノーと言うわけです。


「その却下するための技術が、議論するほど磨かれていくということか」


 そうです。慣れっこになってしまうんですよ。それが、何が正しいのかわからなくなっていく原因でもあると思う。

 それでも結論は出さなければいけないし、なんとか納得できる答えをひとつ選び出す。それは、幾筋ものシミュレーションを乗り越えて残った結論だ。

 その背後には屍山血河の代案が転がっている。その経験もしっかり情報として蓄えるわけです。逆に、こういうことが自信に繋がる。


「正解がわからなくなってるのに、自信がつくのか?」


 そこが人間というもののコクがある部分だと思いますが……。で、だ。だから彼らにとって、代案何するものぞという心持ちになる。またか、なんですよ。知ってるわー、となる。

 その倒し方知ってるわ、却下してきたわと。


「うーん、それで話を聞かなくなる、というのはわからなくもないが、フェアでない、というのは何故なんだ。単に頑迷になるという話でもなさそうだが」


 あ、その話でしたね。ええと、つまり代案というものを個別撃退すればいいものだと思われては困る……ということです。


「いや、撃退すればいいと思っているとはかぎらないだろう。本当に建設的な意見を求めているかもしれないから


 そうかもしれません。でも、そこは重要ではないと思う。

 それまでの議論でも、代案の却下手段であり、目的ではなかったはずですから。ただ、却下の仕方が上手くなってそれに慣れていくだけで。


「なるほど? 頭で考えていることと、行動パターン乖離していくわけか。正解はわからないが自信はつく、という先程のパラドックスにも繋がるね」


 却下することに自信を持ち、その理由を探す技術を鍛えており、さらに情報も抱え込んでいる相手に、代案など恰好のエサと言うべきです。ただの的ですよ。まったく呵責を覚えずに撃ち落とすことができるだろう……。


 じゃあどうすればいいかというと、とにかく代案がひとつではダメだ。一言理由をつけるだけで退けることができる。

 その案にはこれが足りないとか、そこをこうすると別の問題が、とかね。それは情報を持つ側からすれば一定正しいんでしょう。

 だが、そもそも現行のアイディアにも問題がある以上、フェアではない。

 代案の中に問題発見することで、自らの問題から目を背ける助けにしかならない。


 もっとそもそもを言えば、問題なんてあるのが当然だと知りながら、とても完璧とは言い難い現行のプロジェクトをしぶしぶ通し、批判を集めているのではないのか、と。

 だったら、最低でも2個以上は代案を用意させてほしい。ひとつ無難な案。もうひとつリスク覚悟した案だ。

 前者には無難すぎると言うだろうし、後者なら目に見えるリスクに噛み付くことができるだろう。だが、どちらがマシかは考えることができる。批判する側は最初から、どちらがよりマシなのかを問うているのだから

 よく考えてみろ、もっと比べてみろと言ってるんだ。そこを一言の問題点で済まされては困るんです。


「しかしまぁ、そこまでやられると相手にとっても面倒だろう」


 そう。だからそもそも、代案を出せという言葉批判撹乱するべきではない、と思いますね。まず問題があるならそれを分析し、どう解決すべきなのか、今後の対策は可能なのかを考えればいいんですよ。


「すると、代案を出すこと自体、非効率なんだということになるかな」


 そうとも言えると思います。あまり相手の立場で……、というよりは同じ方向を向いて考えさせことには向いていない手法だと思う。

 いや、同じ方向を向くように、目線を揃えていく議論には向いていないというところでしょうか。


「なるほど。同じ方向ではなく、互いの顔を見合わせるようになってしまう。サン=テクジュペリの言葉だな。愛するということは、お互いに顔を見合うことではなく、一緒に同じ方向を見ることだ……、だ」


 やり方にもよるはずですが、何かのプロジェクトにおいても、それは言えることなんじゃないか、と思いますね。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/izumino/20150619

Mon 2015.06/15

「艦これ」「刀剣乱舞」「しんけん!!」におけるキャラクター×プレイヤーの関係性

| 「艦これ」「刀剣乱舞」「しんけん!!」におけるキャラクター×プレイヤーの関係性を含むブックマーク

6月上旬

「実はちょっと前、とうとう『刀剣乱舞』にログインできましてね。たまたまアクセスしてみたら、新規サーバーが開放されてまして。それで陸奥国サーバーに」


 私はしばらくログインしてないな……。代わりに『しんけん!!』に時間を充てています。新しいものは一応仕入れておこうかなと。

 ほら、元SKE48の秦佐和子さんがハマってて、開発者と対談までしたゲームだよ。君はしゃわこさん好きだったろ。


しゃわこの声のキャラが追加されたらぼくも始めようかな」


 『艦これ』も続けてはいるけど……。DMMの、キャラクターコレクションを目的としたソーシャルゲームブラウザゲームは他にも沢山あるわけだが、じゃあ今回はこの3作の違いについて考えてみようか。


艦これ刀剣乱舞はUIやゲームシステムで類似があり、刀剣乱舞としんけん!は『日本刀』というコンセプトの男女逆バージョンという共通の話題性がある。面白そうですね」

 まず思うに、これらは一般に『擬人化キャラ』の文化として捉えられがちだが、実は一概にそうとも言えないんだ。

 中でも『しんけん!!』については開発者へのインタビュー記事で、取材する側もされる側も『刀の擬人化ではない』という意見で一致している。普通に遊んでいても『美少女化された刀を愛でるゲーム』かと思いきや、『全然そういうのじゃないな』とわかる内容になっている。


「刀の擬人化じゃない? じゃあこの獅子王とか、へし切り長谷部から名前を取った子たちはなんなんです」


 ゲーム内で『真剣少女』と呼ばれているその子たちは、『刀に魅入られて選ばれた、元は普通の女の子』ということになっている。

 どう説明したらいいかな……。例えば、『聖闘士星矢』のアンドロメダ瞬は、『アンドロメダ座擬人化キャラ』ではないでしょう?

 アンドロメダの聖衣を装着する資格を持って生まれ、たまたま聖衣を受け継ぐと『アンドロメダ瞬』と呼ばれるようになる。

 なんだか女の子っぽい見た目をしているから『アンドロメダ座の特徴を表現したキャラクター』ではあるだろうが、キャラクターの人格はあくま人間の側にあって、星座にはない。


「刀の話だし、『風魔の小次郎』の小次郎風林火山の所有者になったら、名前が『風林火山ちゃん』になるようなものですかね」


 そっちの例えは通じない人が多そうだが……。

 そして、いわゆるインテリジェンスソード(知恵持つ剣)の類でもないようだ。

 真剣少女の人格は、刀が持つ『いわれ』に影響を受けて変化するが、その刀が魔剣・妖刀のような代物ではあっても、刀自身が喋ったり考えたりするような様子は今のところない。


「『BLEACH』の死神の刀みたいに、精神世界で『刀の人間体』と対話するわけでもないと」


 たぶんね。

 じゃあ次に、『擬人化』というのは何なのかをそもそも考えてみましょう。

 あいまい概念ではあるが、私の考えとしては『見立て』が擬人化根本にあると思う。古典的擬人化というと、多神教の神がそうだ。太陽人間見立て太陽神としたり、死を人格化して死神とする。

 そして寓話があるね。『北風と太陽』なんて典型的だ。北風と太陽が会話しているというお芝居にして、絵に描くと、太陽や雲にユーモラスな顔をつけてキャラクター化させる。

 ここでポイントなのは、こうした神話・寓話における擬人化とは、お話の中では人間に擬していても、その話の裏には『実際の自然の姿』が存在しているということだ。


太陽が昇ったり沈んだりする理由を、太陽神の物語に預けて説明するとしても、実際に目にする太陽人間の形をしているとは思わないってことですね」


 そうそう。

 『北風と太陽』もそうで、物語の読み手は『目と口のある雲や太陽』が旅人に息を吹きつけたり、気合を入れて暖かくしたりするようすを思い浮かべるが、旅人にとってはリアルな気象現象でしかない。

 むしろ、旅人にも擬人化が認識できてしまうと、成立しないお話になっている。自分が、あの連中からゲームのコマにされているんだと気付いてしまうからね。


じゃぶじゃぶ紙芝居 北風と太陽 (じゃぶじゃぶ紙芝居シリーズ 11)じゃぶじゃぶ紙芝居 北風と太陽 (じゃぶじゃぶ紙芝居シリーズ 11)
西田 太一

フロンティアニセン 2006-12-11
売り上げランキング : 723052

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
きたかぜとたいよう―イソップ童話きたかぜとたいよう―イソップ童話
バーナデット ワッツ Bernadette Watts

西村書店 1993-11
売り上げランキング : 210720

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


食育に使われる『喋る野菜』とか、『焼き肉屋の宣伝をする牛』のキャラクターなんかも、実際に食べるものとは区別しないと食えなくなりますしね」


 風刺画もそうだね。

 だから『風雲児たち』のみなもと太郎先生が、漫画の中で『艦これ』パロディをやったとき、『ワタシが知ってる軍艦擬人化といえばこういうのでした』と言って描いた例が、まさに『北風と太陽』的な、軍艦に表情を加え、軍艦同士で言い合いをしているような風刺漫画になっていた。

 ここでも、顔のついた軍艦が実際の海を航行しているとは見ていて思わない。


「『機関車トーマス』みたいに、本当にあんな形の乗り物があるんだ、という話なら、確かに列車擬人化というより、元からその形をしたキャラクターである、と考えるでしょうね」


 デザインの原点は擬人化だったかもしれないが、結果的オリジナルキャラクターになっていくんだと思う。

 太陽神などの神々が、『天界の神殿』みたいな異空間で、人間の姿のまま生活したり恋愛したりしていれば、やはり擬人化とは言いにくいキャラクターになっていくだろう。


太陽そのものの擬人化から、『太陽を司る神』なんて設定へとランクアップしていくわけか」


 そういう意味で、日本の『擬人化キャラクター』の文化も、元々はイラストの分野で『◯◯を女の子にしてみた』という一枚絵の表現がメインだったはずだ。

 しかしそれをゲームに出そうとなると、それなりの設定が必要になってくる。


 特に、かわいい女の子に描いている以上、生身の肉体を持っており、ちょっとえっちなこともしたいと考えるだろうし、現物こそがその実体であり、キャラクターの絵はそのシンボルにすぎない……みたいな企画にはなりにくいはずだ。


「なるほど。それでいうと『刀剣乱舞』は『刀の付喪神を召喚した』みたいな設定にちゃんとなってますね」


 『付喪神』って、なんだか一周して戻ったような感じだけど、強引に分類すれば妖怪の一種になるわけでしょう、刀剣男士って。

 元は妖怪も『怪現象の擬人化』だったものが、水木しげる先生などの絵描きの力で、あたかも実体を持ったキャラクターへと成長していったものが多いから。


「まぁ付喪神だとしても、刀剣男士はちょっと独特ですけどね。人間体の方がかなり人間っぽいのと……肝心の刀がレプリカにすぎないってとこかなあ?」


 そこは遊んでみて意外に感じるところでしたね。


f:id:izumino:20150616175549p:image


 実は『鍛刀』というコマンドで作成する刀剣男士は、思いっきりその場で鍛冶師が制作していて、和泉守やら同田貫やらの実物ではないんだ。

 ユーザー側では、『レプリカ触媒にして付喪神を召喚している』といった解釈もなされているようだが、せっかくなんだし『散逸した名刀を探索して見つけ出す』というUIにしてもよかった気がするんだ……。


「そうですね。まぁ神道的な世界観ですから、『レプリカを使って神様に降りていただく』なんてのは、呪術的にむしろ正しいのでは? って逆に思ったりもしますけど」


 依り代とか、分祠の考え方だとすればそうかもね。

 でも、実際に武器としても振るうわけだから、本物でもよかったのになあ。


骨董品でしかも貴重品だから、ホンモノだと使いにくいとか……?」


 付喪神化してるから、呪術的アプローチで全盛期の切れ味を取り戻したり、折れたって再生できたりしても構わないと思うんだけどね。

 紛失してたり実在してなかったりする刀にしても、伝奇小説スタイルで『実は存在していた』ことにしてしまえばよい……。


 一方、その刀剣乱舞のUIの元になった艦これだと、『依り代』で済ませても別に構わない。

 なぜなら、軍艦はすでに解体・消失したものが日本刀よりも遥かに多く、しかも『地球と少し似た異世界』を舞台にしているのが艦これだからだ。


「そこって刀剣乱舞とは細かく違うところですよね。刀剣乱舞は数百年後の未来地球だと明言される一方、艦これは何の説明もなく状況証拠しかない」


 状況証拠しかないから、『艦これは遥か未来地球舞台なのだ』派の解釈も強く否定できないけどね。

 ともかく、艦これのUIでは、小さな妖精さん軍艦模型みたいなものを『建造』すると、それが艦娘に生まれ変わる、という想像を誘うようになっている。


f:id:izumino:20150616174859p:image


 そして開発者が言うには『艦船の魂や記憶』がキーワードらしく、実体としての『船体』は重要視されていない。


「刀の形やサイズは実物と変わらない刀剣乱舞と、形からして実物からまるっきり様変わりする艦これの違いですね」


 あと、艦娘は『私はどこどこの海で沈んだままで……』みたいなことも言ってもおかしくはない。

 ロストしていた戦艦武蔵の発見をみんなで祝ったりね。

 つまり『死後、転生した人間』には『前世の遺体』が別に存在しているようなものであって、だから艦娘とは、『艦船の魂の転生体』とでも捉えておくのが素直かな。


「転生というと、死んじゃったペットを弔ったあとで、美少女に生まれ変わったペットがご主人様の元にやってくる……みたいな話ですかね」


 そこで話を戻すけど、そうした『生まれ変わり』も擬人化とはあまり呼ばないと思うんだ。

 童話や昔話の、変身譚・転生譚で考えた方が近いと思う。


日本人の動物観―変身譚の歴史日本人の動物観―変身譚の歴史
中村 禎里

ビイングネットプレス 2006-06
売り上げランキング : 690956

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


「なるほど、そこまで考えたことはなかったな」


 ただし、艦これには『史実で艦これ』というジャンルがあって、在りし日の艦船の生涯を、艦娘の絵で解説するという手法が広まっている。

 準公式では、『止まり木鎮守府』というコミカライズコラムページがそうだった。


艦隊これくしょん -艦これ- 止まり木の鎮守府 (1) (電撃コミックスNEXT)艦隊これくしょん -艦これ- 止まり木の鎮守府 (1) (電撃コミックスNEXT)
ヒロイチ艦これ」運営鎮守府

KADOKAWA/アスキー・メディアワークス 2014-12-19
売り上げランキング : 6158

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


 さっきの流れで言った『船の生涯』という言葉自体、モノを擬人化して見ているわけだけど……。

 『見立て』を使っている点で、この手法はみなもと太郎先生が例示した風刺漫画のやり方に近い。


 だから艦娘というのは、ゲーム内にかぎれば『擬人化とは言えない』のだが……、『ユーザー擬人化を提供する』存在である、とは言えるかもしれない。


「なるほど? ゲームの中で『赤城さん』を愛でるだけなら擬人化ではないかもしれないが、史実の方の空母赤城を『赤城さん』として扱い、解説する行為は擬人化だと」


 細かく言うと、そうなる。

 細かいと言えば細かい問題だが、かといって擬人化という曖昧フレーズが、正確でもない意味で使われていると、気になってしまうのは私の性分だな……。


「そう思うと、ガチな擬人化ゲームってほとんどないのかもしれませんね。これはスマホアプリゲームなんですが、『妖刀 あらしとふぶき』という刀の美少女ゲームでも、『刀の精霊』という設定ですから」


 そういう意味では、美少女(女体)化、男体化などと言った方が、あけすけではあるが正当な表現になるのかもね。


「ところでですね、刀剣男士は『実物サイズの刀を持った男』であり、艦娘は『娘自身がフネ』である、という違いから考えていたこともあるんですよ」


 ほう、聞きましょうか。


艦これを先に始めていたから思うことかもしれませんが、キャラクタープレイヤーの関係性についてですね。艦これでは、提督と艦娘です。刀剣乱舞では審神者と刀剣男士。一見、呼び名を変えただけのようで、実はけっこう違いがある」


 審神者というのは、さっき言った『付喪神を召喚する』役のことですね。


「そう、問題なのは、提督は艦娘を『集め』『運用して』いきながら、使用する側/使用される側という関係性を、実際の司令官艦船の関係になぞらえられる一方で、刀剣男士は、刀剣男士が自分で自分?を持つじゃないですか」


 刀を持って戦うのは刀剣男士本人だから……。なるほど? 武器を『使う』者、つまり剣術使いの立場にならないんだね、刀剣乱舞プレイヤーは。

 刀剣男士の出撃中も、審神者は自宅待機してて戦わない設定みたいだしね。


「そうです。ちなみにさっき挙げた『あらしとふぶき』は、プレイヤーキャラクター主人公)を剣士に設定した例ですね。だから『刀の精霊』が主人公に宿って、主人公の剣術が強化される、みたいな演出がされている。ジョジョのスタンドみたいな感じですね」


「そして刀剣乱舞では、『刀剣男士を召喚し、維持する者』である審神者と、『刀剣たちの主』である審神者の役割が二重になっていると言える。設定上は、審神者の役割なんて、艦これで言えば工廠の妖精さんが担っている建造・メンテナンスの領分にすぎなくて、提督のような上司の役割は『審神者』という称号とは別物のはずだ」


 提督が艦娘の建造・維持に妖精さんの手を借りているように、刀剣乱舞も『審神者の手を借りて刀剣を集めている』別のキャラクターを立てていてもおかしくはないということですか。

 しかし実装されたゲームにおいては、提督にあたる役回り審神者1名に統合されている、ということになる。


「そういうところを気にしながら刀剣乱舞プレイしていたんですが、ようやく分かってきたことがあって、このゲームは刀剣の『所有者』を、まさしく『所有者』として割り切って描いている。事実秀吉やら家康やらの権力者の手を渡った刀で……といった『いわれ』を各武器が持つわけですが、お宝として所持していた武将なり大名なりが、その武器で人を斬っている必要はない。そして、その時その時の『所有者』は、ちゃんと刀剣たちから『主人』と認識されていたことが、セリフからは窺える」


 宗三左文字とかそんな性格ですね。『あなた天下人の象徴を侍らせたいのですか……?』ってやつ。ただ所有しているだけでステータスにされたというね。


「刀剣たちは、純粋に『持ち主』というだけでも主人との関係を結び、それを自らのアイデンティティとしている。面白いのは、むろん刀の中には『武器として使われる』ことにアイデンティティを抱くやつもいて、そいつらからすると『所有されているだけの刀』は『置物』にすぎないという認識をするらしい」


 にっかり青江や、同田貫がよく言うやつですね、『置物の連中』『美術品』って。

 『刀は戦に出てこそだよ』『刀に何を求めてるんだろうな。俺たちは武器なんだから、強いのでいいんだよ』と。


「その、同田貫のセリフがかなり面白いところで、プレイヤーの心理としては、『確かに言う通りだな』と同意したい部分もあるじゃないですか。武器なんだから、そりゃあ強ければいいんだよって。でもどうも、同田貫から見た審神者は、そうじゃないらしい。放置してるとですね、『おいおい、あんたも刀を美術品かなんかと勘違いしてるクチかよ』と文句を言ってくる」


 私はそんなこと思ってないよ、って言いたいところよね。


「ところが、このセリフ自体が刀剣乱舞ゲームシステムを言い表していると言える……。つまり、剣士ではない審神者は、『コレクター』と『コレクション』という関係性でしか、刀剣との主従関係を結ぶことができない、という前提でこれらのセリフがある。戦に出ていない間の刀剣男士たちは、審神者に『飾られている』のであって、審神者も飾ってある刀剣を鑑賞している、という関係になる。そこで、置物勢と武器勢では思うことが違ってくるし、さらに『かっこよくて強い』……美術品としても実用品としても価値を求める刀などは、独自のプライドを抱くようになる」


「『プレイヤーは刀剣男士を振るうことができない』という設定上の制約があることを逆手にとって、ちゃんとその設定に合った関係性を描こうとしているのだな……と、少し理解できてきました」


 なるほど。

 言われてみれば、同田貫審神者がかける言葉にしても、『確かに私はあなたを飾って楽しんでるけど、それは無骨な美しさが好きだからであって、あなたは自分で思ってる以上に美しいのよ』とでもフォローするのが思い浮かぶものね。

 逆に、『私があなたを振るってあげるから一緒に斬りにいきましょう』、とかは言えない設定になっている。

 戦闘もオート進行だから、審神者は戦いへの関与が少なく、自分の判断で戦うこともできる刀剣たちの自主性に任せている。


「そう、審神者の立場としては、刀剣とのそういう関わり方が推奨されているんじゃないかな、と。その点、しんけん!はどうなんです?」


 しんけん!はね、さっき審神者が『刀剣の召喚者』と『刀剣の持ち主』で役割が二重になっている……と指摘されていたけど、そのズレがもっと深刻に広い感じなんだ。


 とりあえず公式アカウントが、プレイヤーにどう呼びかけているのかを見てみるといい。



「『刀匠の皆様』……? これが提督とか、審神者にあたる用語になっているわけですか」


 そう、しんけん!では、プレイヤーが『刀匠』になるところからゲームは始まる。ちなみにこのゲーム刀剣乱舞同様、鍛刀して作成するのは『名刀のレプリカ』という設定だ。

 刀にはそうとうの思い入れのあるスタッフが作っているという触れ込みなのだが、その割にプレイヤーの役割が『レプリカ(写し)作り』というのはちょっとやり甲斐がないのではないか? という気もしてくるんだけど……。

 ともかく、ゲームとしてはプレイヤーに『刀匠』の仕事を追体験させるように作られており、鍛治場を中心とした町作りや、鍛治に必要な林業や鉄の採掘なども、実際の刀鍛治がやっていることとして、ゲーム内で再現しているそうだ。


「ふーむ」


f:id:izumino:20150616181455p:image


 その極め付けが、マウスクリックして一発ずつ焼けた鉄を打つという『鍛刀』のシステムだ……。これを何百、何千回と打ちつづけることで、刀匠の気分を味わってほしいということらしい。


「聞くだにとんでもないシステムですね」


 なお、雇いの鍛治師に頼んで代わりに打ってもらうこともできる。

 というか、大抵は代わりに打ってもらうことになる。


「そのシステムの存在によって、逆にプレイヤー刀鍛冶仕事をやらなくなるのか……」


 問題はここからなのだけど、刀匠は『刀鍛冶の町の長』でもあるから、『お館様』と呼ばれることが多い。

 刀を作成することで、それに魅入られたという女の子たちが、人類の敵に抗う戦力として集まってくるのだが、実はさっきも説明した通り、その『真剣少女』たちは刀そのものではない。

 元はそのへんにいる女の子ちらしい。


「なんか魔力のある刀をたくさん作って、それを民間人にバラまいて、部下にしていくような感じですか」


 そう、『部下』という表現をしたけど、少女たちはプレイヤーを『お館様』『先生』などと呼び、町の管理や、館での主人の世話もやらされてることになっている。

 ここで疑問が……特にさっき聞いた刀剣乱舞の話と比較しても思うのだけど、刀匠は『武器の作り手』でしかなく、武器を与えた女の子たちの『主人』になれるのかというと、それはどうだろう?という疑念が湧いてくる。


 しんけん!のメインシステムは、ラインディフェンスアクションゲームでもあるから、刀匠の役割以外にも『真剣少女を指揮して敵をやっつける』という役割があるのだが、艦これ刀剣乱舞のようにオート戦闘ではないから、プレイヤーが『一部隊の指揮者』として命令している感覚ははるかに強い。

 そこで『刀匠って部隊を率いるものだったっけ?』という疑問も浮かんでくるわけだ。


「刀匠にして剣の達人でもある、もしくは剣の達人にして刀も自分で作れる、というキャラクターフィクションでもよく見ますし、自然に受け入れやすいと思いますけど、確かに武将みたいなことする刀鍛冶ってふつうイメージしないですね」


 そうなんだ。『もののけ姫』のエボシ御前のように、タタラ集団の長でもあり、傭兵も率いる戦術家、という領主キャラなら分かる気もする。


 そして『刀』とではなく、『刀を与えた女の子』と直接関係を結ばないといけない設定上、さっきの審神者のように『刀のコレクター』という立場でかわすこともできない。

 結果、しんけん!のゲーム内では、刀を作る『刀匠』と、女の子を従える領主の『お館様』が、プレイヤーの中で二分されていることになるんだ。


「しかし改めて『刀匠の皆様』と聞くと、なんか突飛な語感がするな。なんでだろ?」


 それはたぶん、プレイヤーを『匠』扱いしてるから、かな……?

 むろん、プレイヤーを将官として扱う艦これや、神職として扱う刀剣乱舞も、『自分は士官学校を出たわけでも、神事ができるわけでもなく……』と思わなくはないだろうが、艦これプレイヤーのすることは、ネット攻略法を調べながら最適化を模索し、編成・改装・出撃のコマンドを選択することにすぎず、『提督として指示を出す』内容はゲーム内で完結している。

 ゲーム内において完結した提督の仕事を、現に最適化できているのだから、誰でも艦これの提督になれると考えてもいい。


「『俺タワー』の『オヤカタ』呼称もそっちですね。プレイヤーは自分で動かず、指示しかしないから、建設技術を持たなくても親方として仕事できる」


 逆に、審神者の役割はフレーバーに過ぎず、刀剣男士を集める能力がある、という設定の理由付けでしかない。審神者が具体的に何をする人かは、プレイヤーが知る必要もないんだ。


 でも『刀匠』はどうだろう? 提督やオヤカタと違って『指示する』だけで済む役ではないし、何千回と鉄を叩く気があるならともかく、なかなかプレイヤーの自覚は『刀匠』と一致しない気がする……。

 よくある職人SLGだと、『見習い』から始まって『徒弟』『マイスター』『職人の鬼』『神業の匠』などと称号をランクアップさせていくけど、あれはこうした不一致を埋めていく作業なのかもしれないな。


「ふむ……。しんけん!の開発者インタビューってWebで読めるだけでも、すでにかなりの量があるんですね。『ふつう女の子武器を与えて戦わせる』という陰のある設定は、けっこう残酷さを狙ってしてることなんだな」


 しんけん!は擬人化ではない代わりに、『刀を使うということ』の象徴化にポイントを当てているようですね。

 凶器である刀に魅入られ、取り憑かれるということを『ふつう女の子が真剣少女になってしまう』ことで象徴させたいみたい。


「それと『闇堕ち』設定が好きなんですね、この人たち。真剣少女が闇堕ちすると妖刀少女に変化するとか。なるほど」


 そのあたりは刀剣乱舞と大きく差別化できて、よかったのかもしれない。


「企画や開発はだいたい同時期だったそうですから、結果的には差別化されてるんですね。面白いな……」


 じゃあ今度は、このみっつのゲームにおいて、資源の種類と資源消費のバランスがどう設計されているのか、という違いの話をしましょうか。どうかな。


「ええ、また」



最新の日記
 あわせて読みたい なかのひと
000001
20030304050809101112
2004010203040506070809101112
2005010203040506070809101112
2006010203040506070809101112
2007010203040506070809101112
2008010203040506070809101112
2009010203040506070809101112
2010010203040506070809101112
2011010203040506070809101112
2012010203040506070809101112
2013010203040506070809101112
201401020304050608101112
2015010304060809101112
201601020612
20170107
Connection: close