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 移行後のはてなブログ:izumino’s note

「艦これ」「刀剣乱舞」「しんけん!!」におけるキャラクター×プレイヤーの関係性

6月上旬

「実はちょっと前、とうとう『刀剣乱舞』にログインできましてね。たまたまアクセスしてみたら、新規サーバーが開放されてまして。それで陸奥国サーバーに」


 私はしばらくログインしてないな……。代わりに『しんけん!!』に時間を充てています。新しいものは一応仕入れておこうかなと。
 ほら、元SKE48の秦佐和子さんがハマってて、開発者と対談までしたゲームだよ。君はしゃわこさん好きだったろ。


「しゃわこの声のキャラが追加されたらぼくも始めようかな」


 『艦これ』も続けてはいるけど……。DMMの、キャラクターコレクションを目的としたソーシャルゲームブラウザゲームは他にも沢山あるわけだが、じゃあ今回はこの3作の違いについて考えてみようか。


「艦これと刀剣乱舞はUIやゲームシステムで類似があり、刀剣乱舞としんけん!は『日本刀』というコンセプトの男女逆バージョンという共通の話題性がある。面白そうですね」

 まず思うに、これらは一般に『擬人化キャラ』の文化として捉えられがちだが、実は一概にそうとも言えないんだ。
 中でも『しんけん!!』については開発者へのインタビュー記事で、取材する側もされる側も『刀の擬人化ではない』という意見で一致している。普通に遊んでいても『美少女化された刀を愛でるゲーム』かと思いきや、『全然そういうのじゃないな』とわかる内容になっている。


「刀の擬人化じゃない? じゃあこの獅子王とか、へし切り長谷部から名前を取った子たちはなんなんです」


 ゲーム内で『真剣少女』と呼ばれているその子たちは、『刀に魅入られて選ばれた、元は普通の女の子』ということになっている。
 どう説明したらいいかな……。例えば、『聖闘士星矢』のアンドロメダ瞬は、『アンドロメダ座の擬人化キャラ』ではないでしょう?
 アンドロメダの聖衣を装着する資格を持って生まれ、たまたま聖衣を受け継ぐと『アンドロメダ瞬』と呼ばれるようになる。
 なんだか女の子っぽい見た目をしているから『アンドロメダ座の特徴を表現したキャラクター』ではあるだろうが、キャラクターの人格はあくまで人間の側にあって、星座にはない。


「刀の話だし、『風魔の小次郎』の小次郎が風林火山の所有者になったら、名前が『風林火山ちゃん』になるようなものですかね」


 そっちの例えは通じない人が多そうだが……。
 そして、いわゆるインテリジェンス・ソード(知恵持つ剣)の類でもないようだ。
 真剣少女の人格は、刀が持つ『いわれ』に影響を受けて変化するが、その刀が魔剣・妖刀のような代物ではあっても、刀自身が喋ったり考えたりするような様子は今のところない。


「『BLEACH』の死神の刀みたいに、精神世界で『刀の人間体』と対話するわけでもないと」


 たぶんね。
 じゃあ次に、『擬人化』というのは何なのかをそもそも考えてみましょう。
 あいまいな概念ではあるが、私の考えとしては『見立て』が擬人化の根本にあると思う。古典的な擬人化というと、多神教の神がそうだ。太陽を人間に見立てて太陽神としたり、死を人格化して死神とする。
 そして寓話があるね。『北風と太陽』なんて典型的だ。北風と太陽が会話しているというお芝居にして、絵に描くと、太陽や雲にユーモラスな顔をつけてキャラクター化させる。
 ここでポイントなのは、こうした神話・寓話における擬人化とは、お話の中では人間に擬していても、その話の裏には『実際の自然の姿』が存在しているということだ。


「太陽が昇ったり沈んだりする理由を、太陽神の物語に預けて説明するとしても、実際に目にする太陽が人間の形をしているとは思わないってことですね」


 そうそう。
 『北風と太陽』もそうで、物語の読み手は『目と口のある雲や太陽』が旅人に息を吹きつけたり、気合を入れて暖かくしたりするようすを思い浮かべるが、旅人にとってはリアルな気象現象でしかない。
 むしろ、旅人にも擬人化が認識できてしまうと、成立しないお話になっている。自分が、あの連中からゲームのコマにされているんだと気付いてしまうからね。



「食育に使われる『喋る野菜』とか、『焼き肉屋の宣伝をする牛』のキャラクターなんかも、実際に食べるものとは区別しないと食えなくなりますしね」


 風刺画もそうだね。
 だから『風雲児たち』のみなもと太郎先生が、漫画の中で『艦これ』パロディをやったとき、『ワタシが知ってる軍艦の擬人化といえばこういうのでした』と言って描いた例が、まさに『北風と太陽』的な、軍艦に表情を加え、軍艦同士で言い合いをしているような風刺漫画になっていた。
 ここでも、顔のついた軍艦が実際の海を航行しているとは見ていて思わない。


「『機関車トーマス』みたいに、本当にあんな形の乗り物があるんだ、という話なら、確かに列車の擬人化というより、元からその形をしたキャラクターである、と考えるでしょうね」


 デザインの原点は擬人化だったかもしれないが、結果的にオリジナルなキャラクターになっていくんだと思う。
 太陽神などの神々が、『天界の神殿』みたいな異空間で、人間の姿のまま生活したり恋愛したりしていれば、やはり擬人化とは言いにくいキャラクターになっていくだろう。


「太陽そのものの擬人化から、『太陽を司る神』なんて設定へとランクアップしていくわけか」


 そういう意味で、日本の『擬人化キャラクター』の文化も、元々はイラストの分野で『◯◯を女の子にしてみた』という一枚絵の表現がメインだったはずだ。
 しかしそれをゲームに出そうとなると、それなりの設定が必要になってくる。


 特に、かわいい女の子に描いている以上、生身の肉体を持っており、ちょっとえっちなこともしたいと考えるだろうし、現物こそがその実体であり、キャラクターの絵はそのシンボルにすぎない……みたいな企画にはなりにくいはずだ。


「なるほど。それでいうと『刀剣乱舞』は『刀の付喪神を召喚した』みたいな設定にちゃんとなってますね」


 『付喪神』って、なんだか一周して戻ったような感じだけど、強引に分類すれば妖怪の一種になるわけでしょう、刀剣男士って。
 元は妖怪も『怪現象の擬人化』だったものが、水木しげる先生などの絵描きの力で、あたかも実体を持ったキャラクターへと成長していったものが多いから。


「まぁ付喪神だとしても、刀剣男士はちょっと独特ですけどね。人間体の方がかなり人間っぽいのと……肝心の刀がレプリカにすぎないってとこかなあ?」


 そこは遊んでみて意外に感じるところでしたね。



 実は『鍛刀』というコマンドで作成する刀剣男士は、思いっきりその場で鍛冶師が制作していて、和泉守やら同田貫やらの実物ではないんだ。
 ユーザー側では、『レプリカを触媒にして付喪神を召喚している』といった解釈もなされているようだが、せっかくなんだし『散逸した名刀を探索して見つけ出す』というUIにしてもよかった気がするんだ……。


「そうですね。まぁ神道的な世界観ですから、『レプリカを使って神様に降りていただく』なんてのは、呪術的にむしろ正しいのでは? って逆に思ったりもしますけど」


 依り代とか、分祠の考え方だとすればそうかもね。
 でも、実際に武器としても振るうわけだから、本物でもよかったのになあ。


「骨董品でしかも貴重品だから、ホンモノだと使いにくいとか……?」


 付喪神化してるから、呪術的アプローチで全盛期の切れ味を取り戻したり、折れたって再生できたりしても構わないと思うんだけどね。
 紛失してたり実在してなかったりする刀にしても、伝奇小説のスタイルで『実は存在していた』ことにしてしまえばよい……。


 一方、その刀剣乱舞のUIの元になった艦これだと、『依り代』で済ませても別に構わない。
 なぜなら、軍艦はすでに解体・消失したものが日本刀よりも遥かに多く、しかも『地球と少し似た異世界』を舞台にしているのが艦これだからだ。


「そこって刀剣乱舞とは細かく違うところですよね。刀剣乱舞は数百年後の未来の地球だと明言される一方、艦これは何の説明もなく状況証拠しかない」


 状況証拠しかないから、『艦これは遥か未来の地球が舞台なのだ』派の解釈も強く否定できないけどね。
 ともかく、艦これのUIでは、小さな妖精さんが軍艦の模型みたいなものを『建造』すると、それが艦娘に生まれ変わる、という想像を誘うようになっている。



 そして開発者が言うには『艦船の魂や記憶』がキーワードらしく、実体としての『船体』は重要視されていない。


「刀の形やサイズは実物と変わらない刀剣乱舞と、形からして実物からまるっきり様変わりする艦これの違いですね」


 あと、艦娘は『私はどこどこの海で沈んだままで……』みたいなことも言ってもおかしくはない。
 ロストしていた戦艦武蔵の発見をみんなで祝ったりね。
 つまり『死後、転生した人間』には『前世の遺体』が別に存在しているようなものであって、だから艦娘とは、『艦船の魂の転生体』とでも捉えておくのが素直かな。


「転生というと、死んじゃったペットを弔ったあとで、美少女に生まれ変わったペットがご主人様の元にやってくる……みたいな話ですかね」


 そこで話を戻すけど、そうした『生まれ変わり』も擬人化とはあまり呼ばないと思うんだ。
 童話や昔話の、変身譚・転生譚で考えた方が近いと思う。



「なるほど、そこまで考えたことはなかったな」


 ただし、艦これには『史実で艦これ』というジャンルがあって、在りし日の艦船の生涯を、艦娘の絵で解説するという手法が広まっている。
 準公式では、『止まり木の鎮守府』というコミカライズのコラムページがそうだった。



 さっきの流れで言った『船の生涯』という言葉自体、モノを擬人化して見ているわけだけど……。
 『見立て』を使っている点で、この手法はみなもと太郎先生が例示した風刺漫画のやり方に近い。


 だから艦娘というのは、ゲーム内にかぎれば『擬人化とは言えない』のだが……、『ユーザーに擬人化を提供する』存在である、とは言えるかもしれない。


「なるほど? ゲームの中で『赤城さん』を愛でるだけなら擬人化ではないかもしれないが、史実の方の空母赤城を『赤城さん』として扱い、解説する行為は擬人化だと」


 細かく言うと、そうなる。
 細かいと言えば細かい問題だが、かといって擬人化という曖昧なフレーズが、正確でもない意味で使われていると、気になってしまうのは私の性分だな……。


「そう思うと、ガチな擬人化ゲームってほとんどないのかもしれませんね。これはスマホのアプリゲームなんですが、『妖刀 あらしとふぶき』という刀の美少女化ゲームでも、『刀の精霊』という設定ですから」


 そういう意味では、美少女(女体)化、男体化などと言った方が、あけすけではあるが正当な表現になるのかもね。


「ところでですね、刀剣男士は『実物サイズの刀を持った男』であり、艦娘は『娘自身がフネ』である、という違いから考えていたこともあるんですよ」


 ほう、聞きましょうか。


「艦これを先に始めていたから思うことかもしれませんが、キャラクターとプレイヤーの関係性についてですね。艦これでは、提督と艦娘です。刀剣乱舞では審神者と刀剣男士。一見、呼び名を変えただけのようで、実はけっこう違いがある」


 審神者というのは、さっき言った『付喪神を召喚する』役のことですね。


「そう、問題なのは、提督は艦娘を『集め』『運用して』いきながら、使用する側/使用される側という関係性を、実際の司令官と艦船の関係になぞらえられる一方で、刀剣男士は、刀剣男士が自分で自分?を持つじゃないですか」


 刀を持って戦うのは刀剣男士本人だから……。なるほど? 武器を『使う』者、つまり剣術使いの立場にならないんだね、刀剣乱舞のプレイヤーは。
 刀剣男士の出撃中も、審神者は自宅待機してて戦わない設定みたいだしね。


「そうです。ちなみにさっき挙げた『あらしとふぶき』は、プレイヤー・キャラクター(主人公)を剣士に設定した例ですね。だから『刀の精霊』が主人公に宿って、主人公の剣術が強化される、みたいな演出がされている。ジョジョのスタンドみたいな感じですね」


「そして刀剣乱舞では、『刀剣男士を召喚し、維持する者』である審神者と、『刀剣たちの主』である審神者の役割が二重になっていると言える。設定上は、審神者の役割なんて、艦これで言えば工廠の妖精さんが担っている建造・メンテナンスの領分にすぎなくて、提督のような上司の役割は『審神者』という称号とは別物のはずだ」


 提督が艦娘の建造・維持に妖精さんの手を借りているように、刀剣乱舞も『審神者の手を借りて刀剣を集めている』別のキャラクターを立てていてもおかしくはないということですか。
 しかし実装されたゲームにおいては、提督にあたる役回りも審神者1名に統合されている、ということになる。


「そういうところを気にしながら刀剣乱舞をプレイしていたんですが、ようやく分かってきたことがあって、このゲームは刀剣の『所有者』を、まさしく『所有者』として割り切って描いている。事実、秀吉やら家康やらの権力者の手を渡った刀で……といった『いわれ』を各武器が持つわけですが、お宝として所持していた武将なり大名なりが、その武器で人を斬っている必要はない。そして、その時その時の『所有者』は、ちゃんと刀剣たちから『主人』と認識されていたことが、セリフからは窺える」


 宗三左文字とかそんな性格ですね。『あなたも天下人の象徴を侍らせたいのですか……?』ってやつ。ただ所有しているだけでステータスにされたというね。


「刀剣たちは、純粋に『持ち主』というだけでも主人との関係を結び、それを自らのアイデンティティとしている。面白いのは、むろん刀の中には『武器として使われる』ことにアイデンティティを抱くやつもいて、そいつらからすると『所有されているだけの刀』は『置物』にすぎないという認識をするらしい」


 にっかり青江や、同田貫がよく言うやつですね、『置物の連中』『美術品』って。
 『刀は戦に出てこそだよ』『刀に何を求めてるんだろうな。俺たちは武器なんだから、強いのでいいんだよ』と。


「その、同田貫のセリフがかなり面白いところで、プレイヤーの心理としては、『確かに言う通りだな』と同意したい部分もあるじゃないですか。武器なんだから、そりゃあ強ければいいんだよって。でもどうも、同田貫から見た審神者は、そうじゃないらしい。放置してるとですね、『おいおい、あんたも刀を美術品かなんかと勘違いしてるクチかよ』と文句を言ってくる」


 私はそんなこと思ってないよ、って言いたいところよね。


「ところが、このセリフ自体が刀剣乱舞のゲームシステムを言い表していると言える……。つまり、剣士ではない審神者は、『コレクター』と『コレクション』という関係性でしか、刀剣との主従関係を結ぶことができない、という前提でこれらのセリフがある。戦に出ていない間の刀剣男士たちは、審神者に『飾られている』のであって、審神者も飾ってある刀剣を鑑賞している、という関係になる。そこで、置物勢と武器勢では思うことが違ってくるし、さらに『かっこよくて強い』……美術品としても実用品としても価値を求める刀などは、独自のプライドを抱くようになる」


「『プレイヤーは刀剣男士を振るうことができない』という設定上の制約があることを逆手にとって、ちゃんとその設定に合った関係性を描こうとしているのだな……と、少し理解できてきました」


 なるほど。
 言われてみれば、同田貫審神者がかける言葉にしても、『確かに私はあなたを飾って楽しんでるけど、それは無骨な美しさが好きだからであって、あなたは自分で思ってる以上に美しいのよ』とでもフォローするのが思い浮かぶものね。
 逆に、『私があなたを振るってあげるから一緒に斬りにいきましょう』、とかは言えない設定になっている。
 戦闘もオート進行だから、審神者は戦いへの関与が少なく、自分の判断で戦うこともできる刀剣たちの自主性に任せている。


「そう、審神者の立場としては、刀剣とのそういう関わり方が推奨されているんじゃないかな、と。その点、しんけん!はどうなんです?」


 しんけん!はね、さっき審神者が『刀剣の召喚者』と『刀剣の持ち主』で役割が二重になっている……と指摘されていたけど、そのズレがもっと深刻に広い感じなんだ。


 とりあえず公式アカウントが、プレイヤーにどう呼びかけているのかを見てみるといい。



「『刀匠の皆様』……? これが提督とか、審神者にあたる用語になっているわけですか」


 そう、しんけん!では、プレイヤーが『刀匠』になるところからゲームは始まる。ちなみにこのゲームも刀剣乱舞同様、鍛刀して作成するのは『名刀のレプリカ』という設定だ。
 刀にはそうとうの思い入れのあるスタッフが作っているという触れ込みなのだが、その割にプレイヤーの役割が『レプリカ(写し)作り』というのはちょっとやり甲斐がないのではないか? という気もしてくるんだけど……。
 ともかく、ゲームとしてはプレイヤーに『刀匠』の仕事を追体験させるように作られており、鍛治場を中心とした町作りや、鍛治に必要な林業や鉄の採掘なども、実際の刀鍛治がやっていることとして、ゲーム内で再現しているそうだ。


「ふーむ」



 その極め付けが、マウスをクリックして一発ずつ焼けた鉄を打つという『鍛刀』のシステムだ……。これを何百、何千回と打ちつづけることで、刀匠の気分を味わってほしいということらしい。


「聞くだにとんでもないシステムですね」


 なお、雇いの鍛治師に頼んで代わりに打ってもらうこともできる。
 というか、大抵は代わりに打ってもらうことになる。


「そのシステムの存在によって、逆にプレイヤーは刀鍛冶の仕事をやらなくなるのか……」


 問題はここからなのだけど、刀匠は『刀鍛冶の町の長』でもあるから、『お館様』と呼ばれることが多い。
 刀を作成することで、それに魅入られたという女の子たちが、人類の敵に抗う戦力として集まってくるのだが、実はさっきも説明した通り、その『真剣少女』たちは刀そのものではない。
 元はそのへんにいる女の子たちらしい。


「なんか魔力のある刀をたくさん作って、それを民間人にバラまいて、部下にしていくような感じですか」


 そう、『部下』という表現をしたけど、少女たちはプレイヤーを『お館様』『先生』などと呼び、町の管理や、館での主人の世話もやらされてることになっている。
 ここで疑問が……特にさっき聞いた刀剣乱舞の話と比較しても思うのだけど、刀匠は『武器の作り手』でしかなく、武器を与えた女の子たちの『主人』になれるのかというと、それはどうだろう?という疑念が湧いてくる。


 しんけん!のメインシステムは、ラインディフェンス・アクションゲームでもあるから、刀匠の役割以外にも『真剣少女を指揮して敵をやっつける』という役割があるのだが、艦これや刀剣乱舞のようにオート戦闘ではないから、プレイヤーが『一部隊の指揮者』として命令している感覚ははるかに強い。
 そこで『刀匠って部隊を率いるものだったっけ?』という疑問も浮かんでくるわけだ。


「刀匠にして剣の達人でもある、もしくは剣の達人にして刀も自分で作れる、というキャラクターはフィクションでもよく見ますし、自然に受け入れやすいと思いますけど、確かに武将みたいなことする刀鍛冶ってふつうイメージしないですね」


 そうなんだ。『もののけ姫』のエボシ御前のように、タタラ集団の長でもあり、傭兵も率いる戦術家、という領主キャラなら分かる気もする。


 そして『刀』とではなく、『刀を与えた女の子』と直接関係を結ばないといけない設定上、さっきの審神者のように『刀のコレクター』という立場でかわすこともできない。
 結果、しんけん!のゲーム内では、刀を作る『刀匠』と、女の子を従える領主の『お館様』が、プレイヤーの中で二分されていることになるんだ。


「しかし改めて『刀匠の皆様』と聞くと、なんか突飛な語感がするな。なんでだろ?」


 それはたぶん、プレイヤーを『匠』扱いしてるから、かな……?
 むろん、プレイヤーを将官として扱う艦これや、神職として扱う刀剣乱舞も、『自分は士官学校を出たわけでも、神事ができるわけでもなく……』と思わなくはないだろうが、艦これのプレイヤーのすることは、ネットで攻略法を調べながら最適化を模索し、編成・改装・出撃のコマンドを選択することにすぎず、『提督として指示を出す』内容はゲーム内で完結している。
 ゲーム内において完結した提督の仕事を、現に最適化できているのだから、誰でも艦これの提督になれると考えてもいい。


「『俺タワー』の『オヤカタ』呼称もそっちですね。プレイヤーは自分で動かず、指示しかしないから、建設技術を持たなくても親方として仕事できる」


 逆に、審神者の役割はフレーバーに過ぎず、刀剣男士を集める能力がある、という設定の理由付けでしかない。審神者が具体的に何をする人かは、プレイヤーが知る必要もないんだ。


 でも『刀匠』はどうだろう? 提督やオヤカタと違って『指示する』だけで済む役ではないし、何千回と鉄を叩く気があるならともかく、なかなかプレイヤーの自覚は『刀匠』と一致しない気がする……。
 よくある職人SLGだと、『見習い』から始まって『徒弟』『マイスター』『職人の鬼』『神業の匠』などと称号をランクアップさせていくけど、あれはこうした不一致を埋めていく作業なのかもしれないな。


「ふむ……。しんけん!の開発者インタビューってWebで読めるだけでも、すでにかなりの量があるんですね。『ふつうの女の子に武器を与えて戦わせる』という陰のある設定は、けっこう残酷さを狙ってしてることなんだな」


 しんけん!は擬人化ではない代わりに、『刀を使うということ』の象徴化にポイントを当てているようですね。
 凶器である刀に魅入られ、取り憑かれるということを『ふつうの女の子が真剣少女になってしまう』ことで象徴させたいみたい。


「それと『闇堕ち』設定が好きなんですね、この人たち。真剣少女が闇堕ちすると妖刀少女に変化するとか。なるほど」


 そのあたりは刀剣乱舞と大きく差別化できて、よかったのかもしれない。


「企画や開発はだいたい同時期だったそうですから、結果的には差別化されてるんですね。面白いな……」


 じゃあ今度は、このみっつのゲームにおいて、資源の種類と資源消費のバランスがどう設計されているのか、という違いの話をしましょうか。どうかな。


「ええ、また」