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Tue 2016.06/21

この夏の暑さをハッカ油で乗り切ろう

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 今は6月21日。今年の7月も押し迫ってきました。


 毎年、夏の暑さには苦労させられているのですが、今年から注目しているのがハッカ油」による暑さ対策です。

 当方もこのハッカシステムを導入することで、かなり暑さの苦しみを回避できており、今のところ冷房機器を導入しない生活を送ることができています。

 今回はその効果用法の紹介をしたいと思います。


 「ハッカ」とは英語でいう「ミント」のことで、そのハッカの成分を含有させたオイルがハッカ油です。

 ミントをオイルに漬け込んで自家製することもできるようですが、そんなにお高いものでもないので、既成品で充分でしょう。


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効果

 これを一滴から数滴、肌に塗ったり、お風呂に垂らしてから浸かったりすることで清涼感を得ることができます。


 原理としては、ハッカの成分が「皮膚の表面にある冷たさを感じる細胞」を刺激するというもので、それにより「脳に涼しい錯覚させる」という、ドラッグじみた効果があります。

 メンソール煙草を吸うと、口の中がスースーして感じますが、実はそのスースーもハッカ油と同じ成分による効果です。


注意点

 注意が必要なのはあくま感覚細胞の「錯覚」でしかないため、涼しくても「実際の体温が下がることはない」という点。

 炎天下なら熱中症危険は避けられませんし、発汗も当然あるので、こまめに水分補給をしたり、手足を冷水で冷やしたりするような対処自己判断で行いましょう。


 次に、用量の注意点。これは身体に塗る場合、一滴から数滴で十分です。

 よく「ハッカ油の塗り過ぎで凍えそうになった」という経験談も聞きますが、全身に大量に塗ったりしないかぎり大丈夫だと思います(個人差はあると思いますが……)。

 お風呂に垂らして入るときも、数滴で充分でしょう。


塗る場所

 そこで実際の使用法ですが、自分のやり方をざっくりと説明します。


 まず、ハッカ油を塗る場所を決めます。

 当然、「暑さを感じやすい箇所」を探して、そこに塗ることになります。

 血管が表面に集中して赤くなっているところや、もともと「放熱板」の役割をしている箇所を探すといいでしょう。

  • 耳の肉、耳の裏(耳にはもともと放熱板の役割があって、暑くなると赤くなりやすい場所です)
  • 首の裏、もしくは首全体
  • 、頬
  • 下腹部、胸、鎖骨あたり
  • 肘関節の内側(血管が集中しているところ)
  • その他、赤くなってたり熱を感じているところ

 さらに、座り仕事などをしていると、椅子身体が接している部分に熱がこもりやすくなるため、そういう背中や腰の部分に塗っておくといいでしょう。

 ただしもちろん、皮膚が薄くてデリケートな部分には塗らないように気をつけましょう。


 ハッカ虫刺されにも効果があるようなので、ついでに刺され跡に塗っておいてもいいでしょう。


塗り方

 これは自分のやり方ですが、まず洗面台に立って、塗ろうと思った肌の部分を手で濡らします。

 汗や汚れを、簡単にぬぐってからのほうが清潔ですし効きやすくなると思われます。


 次に、濡れ手にハッカ油を一滴垂らします。勢いで三滴くらい垂らしてしまうかもしれませんが、別にそのくらいは大丈夫です。

 両手を合わせてそのハッカ油を軽く伸ばしたら、塗りたい場所に直接塗布していきます。

 これで終わりです。


 ハッカ油の塗布には、濡れタオルスプレーを使うというやり方もあるようですが、手で直接塗っても問題はないようです。

 おそらく皮膚が厚いせいだと思いますが……、「ハッカ油を塗る手」の側にハッカ油をどれだけ垂らしても、その後で手のひらがめちゃくちゃ冷たくなる、ということも別にありませんでした。


注意点

 猫には、アロマオイルなどの精油有害とされることがありますが、ハッカ油も注意したほうがよいそうです。飼い猫のいる家庭では、ご自身でよく調べた上での利用をお勧めします。



 報告は以上です。 

 というわけでハッカはいいぞ。


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Fri 2015.06/19

あるプロジェクトにおける「代案」のアンフェア

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2015年1月中旬

 最近、思うにですね。『代案を出せ』、という言葉には納得がしにくい……いや、フェアではないと感じるんです。


「なんでまた。そりゃあ、なんだか言い返しにくい言葉ではあるけど」


 そこですよ。言い返しにくいと感じるのはなぜか、と。


ハードルの高い要求ではあるからか? ぼくなら、できれば相手の手の内を全て知った上で代案を用意したいところだ。しかし、あるプロジェクト批判したい側というのはそんな立場では当然ないだろう。だから代案を要求するなら、情報の公開が必要であり、情報を抱え込むのはフェアではない、というところかな?」


 いや、その程度は両者納得済みで進められるべきだし、問題はその不平等ではない。情報が足りないとしても、代案はいくらでも考えることができます。色々なパターンをね。しかし、あたかも、代案は一個だけでも出せば話を聞いてやらなくもないぞ、という態度を取られるわけです。これは納得がいかない。


「一個じゃダメですか」


 ダメですね。それには理由があって、そもそも代案を必要としている、批判殺到しているようなプロジェクトになっている時点で、先方さんはあらゆる代案を否定してきているはずなんです。

 その上で、どうも批判に耳を傾ける様子がない。そういう時です。代案を出せ、と言ってくるのは。

 なぜ彼らが批判に耳を傾けないのか。そして、仮に代案を出されたとしても跳ね返す自信に満ちているのか。

 それは彼らがすでに、数々の代案を退けてきた先に立っているからです。それはそれは、もつれにもつれたプロジェクトだったかもしれない。議論は当然内部でも行われている。

 あれでもない、これでもない、と取捨選択を行い、かろうじて出た結論を出した上で作戦は進行している。


「そうかな? ダメ作戦だと思われているなら、きっと考えなしにやってるんだろう、戦略を練るブレーンもいないし、議論もしてない、熟慮が足りないのであろう、とそう思いそうなものだけど」


 たぶん逆なんです。おそらくは、代案を弾くことに慣れてしまった集団の方が厄介なんですよ。

 彼らはただプロジェクトに関わる情報アーカイブしているだけでなく、議論経験もしっかり蓄えている。つまり、結果的に残ったアイディアと、却下されるためのアイディア……つまり代案とを競わせてきた経験だ。

 しかし議論というものは、すればするほど何が正しいのかわからなくなっていく。というより、何が正しいのかわからなくなるような議論の仕方がある、ということですかね。


「しばしば聞く話だね」


 そうした議論過程で何が育まれるか、ということですよ。

 代案には、却下する理由必要になってくる。手持ちの情報をフルに動員して、代案をそれぞれ却下していかなければアイディアは競えない。あれこれ理由をつけてノーと言うわけです。


「その却下するための技術が、議論するほど磨かれていくということか」


 そうです。慣れっこになってしまうんですよ。それが、何が正しいのかわからなくなっていく原因でもあると思う。

 それでも結論は出さなければいけないし、なんとか納得できる答えをひとつ選び出す。それは、幾筋ものシミュレーションを乗り越えて残った結論だ。

 その背後には屍山血河の代案が転がっている。その経験もしっかり情報として蓄えるわけです。逆に、こういうことが自信に繋がる。


「正解がわからなくなってるのに、自信がつくのか?」


 そこが人間というもののコクがある部分だと思いますが……。で、だ。だから彼らにとって、代案何するものぞという心持ちになる。またか、なんですよ。知ってるわー、となる。

 その倒し方知ってるわ、却下してきたわと。


「うーん、それで話を聞かなくなる、というのはわからなくもないが、フェアでない、というのは何故なんだ。単に頑迷になるという話でもなさそうだが」


 あ、その話でしたね。ええと、つまり代案というものを個別撃退すればいいものだと思われては困る……ということです。


「いや、撃退すればいいと思っているとはかぎらないだろう。本当に建設的な意見を求めているかもしれないから」


 そうかもしれません。でも、そこは重要ではないと思う。

 それまでの議論でも、代案の却下手段であり、目的ではなかったはずですから。ただ、却下の仕方が上手くなってそれに慣れていくだけで。


「なるほど? 頭で考えていることと、行動パターン乖離していくわけか。正解はわからないが自信はつく、という先程のパラドックスにも繋がるね」


 却下することに自信を持ち、その理由を探す技術を鍛えており、さらに情報も抱え込んでいる相手に、代案など恰好のエサと言うべきです。ただの的ですよ。まったく呵責を覚えずに撃ち落とすことができるだろう……。


 じゃあどうすればいいかというと、とにかく代案がひとつではダメだ。一言理由をつけるだけで退けることができる。

 その案にはこれが足りないとか、そこをこうすると別の問題が、とかね。それは情報を持つ側からすれば一定正しいんでしょう。

 だが、そもそも現行のアイディアにも問題がある以上、フェアではない。

 代案の中に問題発見することで、自らの問題から目を背ける助けにしかならない。


 もっとそもそもを言えば、問題なんてあるのが当然だと知りながら、とても完璧とは言い難い現行のプロジェクトをしぶしぶ通し、批判を集めているのではないのか、と。

 だったら、最低でも2個以上は代案を用意させてほしい。ひとつ無難な案。もうひとつリスク覚悟した案だ。

 前者には無難すぎると言うだろうし、後者なら目に見えるリスクに噛み付くことができるだろう。だが、どちらがマシかは考えることができる。批判する側は最初から、どちらがよりマシなのかを問うているのだから。

 よく考えてみろ、もっと比べてみろと言ってるんだ。そこを一言の問題点で済まされては困るんです。


「しかしまぁ、そこまでやられると相手にとっても面倒だろう」


 そう。だからそもそも、代案を出せという言葉批判撹乱するべきではない、と思いますね。まず問題があるならそれを分析し、どう解決すべきなのか、今後の対策は可能なのかを考えればいいんですよ。


「すると、代案を出すこと自体、非効率なんだということになるかな」


 そうとも言えると思います。あまり相手の立場で……、というよりは同じ方向を向いて考えさせことには向いていない手法だと思う。

 いや、同じ方向を向くように、目線を揃えていく議論には向いていないというところでしょうか。


「なるほど。同じ方向ではなく、互いの顔を見合わせるようになってしまう。サン=テクジュペリの言葉だな。愛するということは、お互いに顔を見合うことではなく、一緒に同じ方向を見ることだ……、だ」


 やり方にもよるはずですが、何かのプロジェクトにおいても、それは言えることなんじゃないか、と思いますね。

Thu 2014.05/15

その感情移入は自己投影に近いかどうかを見分けてから語る

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 感情移入という言葉は広い意味を持つが、その曖昧性ゆえに、対立的な事柄であっても同じ「感情移入」で説明できてしまうところがある。

 その事柄の違いを見分けてから(作品の感想などを)語ろうという話を今からする。


 言い換えるなら、「共感や自己投影」と呼ばれる心理も感情移入と呼ばれるし、逆に「同情やマインドリーディング(視点取得)」の能力も感情移入で説明することができる。


 しかし一般的には、客観的な他者観察よりも、主観的な自己投影(同一化)を指して感情移入と呼ぶことが多いだろう。


 ただし、区別できずに混同する人も多い。


 自己投影に近い意味で語られている場合、「読み手が感情移入するキャラクターの感想」がさほど現れず、むしろ主に「読み手から見られるキャラクターの感想」が現れやすいのは自然だ。

 これは一部の恋愛ゲームでも考えてみれば基本的なことなのはずが、「よく話題になるキャラクターこそが感情移入されているキャラクターなのだ」とみなす人もいるから感想をややこしくする。

 それは逆で、ただの自己投影をしているキャラクターの話なら普通はしたがらない。


 自己投影の対象が「主人公」と呼ばれるケースもあるが、感情移入をしても個性や魅力を感じるとはかぎらないし、共感できているときほど「個性」に注目しなくなるとさえ言える。

 主人公に個性や魅力を発見することが、その主人公を観察することに繋がるという仕組みについては、9年前にもみやもさんが記事にしていた。


重要なのはプレイヤーに主人公と同じ物を見せることではなく、物を見て同じことを考えているかのように錯覚させることなのです。


 とはいえ、やはりもともとは製作スタッフという他者の手で作られたキャラですから、完全にはプレイヤー側で主人公の思考と同調しきれない時がある。そういう時に「リアルの俺だったら絶対こんなことしない(出来ない)ぞ、何やってんだこの主人公」というギャップが生じます。そのギャップこそが「俺とは違う、この主人公自身の個性」が成り立つ瞬間でもあり、それはゲームを進めていくなかで実は頻繁に発生してるんですね。

身辺雑感/脳をとろ火で煮詰める日記: あらゆる「主人公」には個性がある

 みやもさんの記事では「TLSSの主人公」の個性にも触れているが、例えば「話題にならない恋愛ゲームの主人公」と「話題にされまくるアマガミの橘さん」のどちらがより自己投影されているかといえば、もちろん話題にならない主人公の方だろう。


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 その一方でプレイヤーは、観察対象でもある橘さんに感情移入することだって一応できる。

 だがそれは共感/自己投影を行っている度合いより、同情/マインドリーディングの度合いが優った方の「感情移入」だと考えてよい。


「主人公に自分を重ねない、共感しない」という見方によって、かえって好感度が上がることだってあります。

 例えば、大抵のラブコメ漫画は「読者が主人公になって恋愛した気分を楽しむ」という側面があるでしょう。

〔中略〕

 その反面、「この主人公は男として好感が持てる!」という風に、同性の主人公を「自分とは別人のキャラクター」として支持する読者がたいてい現れてくるものです。

「主人公の特徴だけで作品を特徴付けたつもりになれる言葉」の過ちと罠 - ピアノ・ファイア

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 そういえば『姉ログ』の弟キャラは、雑誌掲載時の人物紹介欄で「靄子の弟、それ以上の情報は不要」と常に書かれていて笑みを誘うのだが、それは「情報がない」のではなく、情報を語ってしまうと実は個性があることがバレてしまう」というタイプの主人公だから(主人公というかメインヒロインに対する脇役と言うべきか……)、と考えても納得がいくだろう。

 実際、優秀で人柄がよくてしかも鈍感という非凡な(しかしテンプレ的な性格の)男子なので、自己投影するのか観察するのか、ギリギリのバランスが試されていると言える。その点でも面白い立ち場のキャラクターだ。

Tue 2013.11/12

女性に読まれることを想定しないことで男性の読み方も想定できなくなる

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 世間で見かける感想・批判で、良くできていないと感じるものは大抵、女性に読まれることを(少なくとも中性的に読まれることを)まるで無視した語りになっている場合ダメな話になってるんじゃないかなと薄々思うことがある。

 また、仮に女性の受け手を想定したそぶりがあったとしても、例えばイケメン目当て、あるいは腐女子向けといった「性」への願望しか想定しておらず、作中に潜む「女性らしさ」「女性好み」への期待は考慮に入れていないケースがある。


 その何が問題に繋がるかというと、女性に読まれることを想定しないということは、中性的で乙女な男子に読まれることも想定できないからだろう。


 広げて言えば、潜在的にミソジニー(女性性排除的)な評価をすることが、「読者も作者も男主人公が作品価値の全て」という解釈を横行させるのかもしれない。


 だから「主人公の設定だけで作品を語れた気になってしまえる言葉」は、「物語とは作者が主人公に自己投影して描くものだ、という思い込み」や、「物語とは読者が主人公に感情移入することのみで読むものだ、という思い込み」とセットで出現しやすいものです。

 これらは複合的な信念体系の抱える問題で、言ってもなかなか直せない人もいるでしょう。

「主人公の特徴だけで作品を特徴付けたつもりになれる言葉」の過ちと罠 - ピアノ・ファイア

 確証はないとしても、作者が男性であり読み手がその「同性」であるならば、作品もまた「同性」のための価値しかないと無条件に考える──つまり作者や読み手は「同性キャラクター」にしか感情移入せず「異性キャラクター」は奉仕的かつ従属的な欲望の対象でしかないとみなす──向きは沢山いそうな感覚がある。


 もちろん、逆に少女漫画や女性向け作品の解釈においても、「異性のキャラクターはそっちのけで、主人公が可愛いから好きっていう(中には中性的や男性的な)女性読者もいるんですよ」という話をすると、「えー、ホントですか信じられないなあ」という反響を得ることも多々あって、「あ、女性の受け手にも男性的に読む余地があることは全く想定外なのか……」と驚かされることもあるのだけど。


 人間は母親と父親から遺伝を受け継いでいるのだから(というと強引な話のようだけど不合理ではないと思う)、女性らしさと男性らしさを合わせて持っているのが普通だ、と考えているので、そうは思わない人がいるということの方が、個人的には不思議だったりする。



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