不安と希望

祝日の為お休みでござる。
4週8休の職場の為、土曜日は
出勤か。何だか中途半端
だがまあしゃあない。


昨夜書いていた通り、今年も
川へ花を手向けに行った。
僕がかつてケアマネとして担当していたが、自死を選び去って行かれた
方の三回忌のために。青空と柔らかい陽射し。風もなく穏やかな休日。
また天候が崩れたり寒波が来たりしそうなので行くなら今日しかない。
お線香と数珠をカバンに入れて途中で花を買った。その方が身を投げた川は
僕の自宅からそんなに遠くない。



亡くなられたのは丁度2年前の今頃、僕は転職の為の就職活動をしていた、そう、
無職だったのだ。自転車に乗って1時間かけてハロワ通いをしていたっけか。
自転車を漕いでいると、ふとそんな日々の事を思いだした。空しさも感じて
いたけれど、でも前向きな離職だったから転職も結構前向きだったっけ。
支える家族もいない独り者、好きにやればいいといい歳こいて思ってたんだ。
そんな折、同じく独り者のお年寄りの訃報を聞いた。自死と知りショックを
受けた。自分の無力とその方への申し訳なさとでも仕方ないよねという
いい訳めいたものが入り混じった。何も出来なかった、というのは僕の
思いあがりだろう。



花を手向けお線香に火をつけ、手を合わせた。昨年も書いたかもしれないが
こんな事をわざわざ日記に載せるのはどうかとも思う。所詮「僕は弔って
おりますやるだけの事はしたのです」の自意識過剰状態かと思われても
仕方ないだろう。でもこの日記にどうしても載せておきたかった。誰にも
知られず死んで行った方の記憶を残しておきたかった。それはやがて
自分にも降り掛かって来るであろう未来かもしれないのだから。その方の
生き方は、もしかしたら僕の未来だ。でも、それを受け入れてもいいと
僕は思っている。人の最期は所詮独りなのだから。



ただ、この方に関してはせめて僕だけでも憶えていたいと思った。誰かが
憶えている事こそが、その方にとっての供養となるのではないか。僕の事
なんて誰も憶えてくれていなくてもいいが、僕は誰かの事を憶えて、時々想い
返してあげたい。そうする事で、実は自分が生きている意味を感じている。
・・・って、かっこよくて寂しい事書いてますな。でも本音なんだ。
手向けた花は川に流した。やがてその川は海に注ぐ。



川は流れる。川は海へと注ぐ。「イージーライダーのバラッド」の歌詞
みたいだね。人生もそんな感じで最後に海に流れ込めたらいいな。
今僕は流れの中でもがいているようだ。職を変え、自分を変えたいと思い
ながらもどうしたらいいのかますます解らなくなっている。相変わらず自分に
自信を持てないまま、でもそんな男が誰かの人生を支える仕事を続けている。
ほとんど皮肉だ。しかし生きていかなくてはならない。まだやめたくない。
何時かは広大な海に辿り着き、これで良かったのだと思えるように
なりたいから。自分なりの幸せのかたちを創りたいから。


河口近い川沿いにしばし佇んだ。お日様はやがてまた来る春を感じさせる
柔らかさだった。また、季節が巡るのだね。
明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。