異形の王権 (平凡社ライブラリー)

異形の王権 (平凡社ライブラリー)

異形の王権:「放免」の顎鬚、立鳥帽子を冠り、摺衣=すりぎぬを着用、異形の棒=鉾を携帯し河原の処刑での検非違使や流人追使の行列に付き従う「非人」
「異様異形」
童、童子六波羅殿の禿(童子姿)、八瀬童子
男色対象の稚児と違い成人なのにも拘わらず童の身なりをする者=生涯童形を強要された人たち。

六波羅殿の禿:京中の天皇所管の治安維持機構である「検非違使」と同等の機能を平氏が行使したところの私設警察であり天皇を蔑ろにした越権行為。
検非違使」は追捕・投獄・処刑など罪人を直接扱う現業組織として「放免=非人」を使用しており、この「放免」の代わりに当時なら成人に近い14〜6歳の紛らわしい年代を「おかっぱ頭」とすることで「童子=6歳以下?で親はいつでも神にお返ししてよい聖なる存在」とし「非人」と同等の穢れに対する能力を”神”を介さず人工的に付与した。

女の一人旅はすこぶる描写が多いので中世では当然のことの様である。旅先では求めらられば応じるが常識であり、襲う側も拒否された上強姦に至らなければ基本的には罪にならなかった模様。「御伽草子」の物くさ太郎に「辻取とは、男も連れず、輿車にも乗らぬ女房の、みめよき、わが目にかかるをとる事、天下の御ゆるしにて有なり」とある。道行く女性に対する女捕、辻捕は「御成敗式目」のほか法令で度々禁じているにも拘わらず、一方では天下の公許であると豪語している。
一遍聖絵」ほかでよく群集の中にあってひろげた扇で顔を隠し骨の隙間から見る姿の烏帽子姿や笠被りの僧侶がいる。また、女は口元を隠している。
「聖なるものの象徴」:蓑笠や柿色の衣が非人・乞食の服装になった理由
蓑笠=古代人にとっての「変相服装」で神、まれびとの衣装、まは妖怪や祝言職から乞食のものとなった。折口信夫は隼人も外を歩くときは蓑笠を着けていて日本の古い信仰では蓑笠着用は鬼のしるしから「隼人は鬼」、また百姓が蓑笠を着るのは「田植えのときだけ」であると指摘している。本来は人ならぬもの、聖なるもののしるし。
柿色の衣=非人性の重要要素である。歌舞伎の江戸三座の引幕が黒・柿・白、黒・柿・萌黄と組み合わせは違えど柿色を必ず中央に置いた。また、遊女屋の暖簾も柿色。

後醍醐天皇は法衣をまとい、密教の小道具を持つ異形の天皇天皇・神仏の権威低落の危惧から世俗=幕府に対して聖戦を挑んだが最終的には惜敗した古代社会の幕引き人。
建武中興の挫折以後の敗戦処理として非人、遊女、河原者、芸能民は職能自体の「穢れ」も加味されて、「聖なる異人」としての平民との区別は、差別に転化し「異類異形」は差別語として定着する。神仏に仕える女性として天皇家・貴族と婚姻も普通のことであった遊女は、南北朝以後社会的蔑視の下にさらされる。
天皇制の熱烈な支持者層の出自を知る手がかりである。
鎌倉期まで「天皇家領」は殆ど「八条院、宣陽門院、上西門院、安嘉門院、室町院、永嘉門院、昭慶門院」等(七条院のみ例外)の「独身の皇女」の名義にされていた。「聖なる管理者」としての役割が負わされていたが後醍醐政府崩壊後、南北朝動乱後には「独身皇女」のこの機能は消滅した。