あーもーまーたおバカな事を・・・


http://d.hatena.ne.jp/syujisumeragi/20060402/1143987377


 rir6氏についてのmixiでのコミュニティをどうすべき
かと言葉の上では思案しているエントリ。だがこれは
間が抜けている。そこでの懸念とかいうヤツが、単に
「ブロガーとしての気構え」に触れたrir6氏の発言に
過ぎないからだ。ブロガーでなくなった場合には当然
関係ない。お戯れを言ってんじゃあないって感じだ。

対監視社会

 監視カメラの時間 - 売文日誌

 追記。モトケン氏の下のエントリなどを見て。
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 防犯カメラに一定の効力がある事については
異論はないけれど、監視社会化の一環としての
監視カメラについては危険がある、と言うべき。


 この場合、ポイントなのは通常防犯カメラの
目的として言われる「防犯」とは違った側面に
効果があるだろうと考えられるというところだ。
それは単純に言えば不信感の蔓延であり、人間
と言うモデルの価値下落である。その価値下落
については歴史的に底上げをしてきている者が
いるはずだが、監視社会の分散した視点はそこ
への切断をももたらすように思える。あるいは
個人的に人間と言うモデルの価値を復興させる
事が出来るのならそれでもいいのだろうけれど、
それがそんなに簡単ならニーチェの問題はない。


 つまり、少なくとも監視カメラへの「注意」
そのものをカメラと同じくらいには広めるべき。

「I have BionicVOICE」

 GO−BANG’S「BionicVOICE」
           「BionicROCK」所収


 http://d.hatena.ne.jp/ululun/20060402/weblog060402


 オリジナリティを求めるエントリ。ここでは
オリジナリティが「認められる」条件から出発
しているけれど、もしそういうものが書きたい
とかであれば、むしろ「どうすればいいか」と
いうアプローチの方が有効なんではなかろうか。


 とはいえ、まずはオリジナリティについてを
考える必要があるのはその通りだし、そこから。


 例えば「フランケンシュタインの怪物」だと
メアリ・シェリーの原作から「愛もなく、何故
作った」と言うコピーのついた映画版もあるし、
また、ぐっと毛色を変えて「怪物くん」に出る
「フランケン」も同じカテゴリーに入れられる。
そうするとさらにそこから一ひねりしてみると、
「ドラゴンボール」での八ちゃんこと人造人間
八号も、まず「怪物」を霊感源としているはず。
そして、これらはそれぞれ単独にありうるもの
だと考えられているのではなかろうか。それら
それぞれは確かに「怪物」のバリエーションに
数えられつつ、しかしそれぞれキャラが立って
いる。それだけの単独性を備えている訳である。



 あるいは「SBR」最新刊で出て来る時間を
六秒戻す事の出来るスタンド使い「リンゴォ・
ロードアゲイン」を見ても、そこにはこれまで
荒木先生が描いてきたエッセンスが脈々と受け
継がれているけれども、やはりリンゴォはヤツ
ひとりきりなのだ。リンゴォにあるエッセンス
という事を言えば、それは「武装ポーカー」や
アウトロー・マン」に見られる生死を賭けた
荒野の男と言う点がまずあるし「ゴージャス・

アイリン」に出てくるアイリンの父親ラポーナ
にある「虚無」もまた受け継がれているだろう。
「ジョジョ」で言えばプロシュート兄貴の言う
「ブッ殺す」と心で決めたのならすでにそれは
終わっている、というような世界がリンゴォに
受け継がれている。しかしリンゴォがそれにも
関わらずリンゴォでしかないのは、ヤツがヤツ
だけの軌跡を経てきているからだ。その来歴の
それぞれだけならばありふれた事かも知れない。
例えば身体的な不調を殺し合いの集中力で克服
するというキャラクターならばリキエルもいる。
しかしその過去と戦い成長する事を目的とする
リンゴォは、リキエルとは違いスタンド能力
その「過去との対決」が反映されている。時を
戻せる能力だ。そしてその能力との対決を経て
「対応者」と呼ばれたり「飢えなきゃ勝てない」
と言われたジャイロが一回り成長する、という
物語上のスタンスがある。これがリンゴォを他
でもないリンゴォたらしめている。オリジナル
というものがありうるとしたら、この偶然的な
立ち位置を出来るだけ一般的なものにしない事
によって獲得されるのではないか。自分自身の
ありふれた来歴をそれにも関わらず唯一無二の
ものとして、単独のものとして、受け入れる事。


 そして書く者自身がそういうあり方を続ける
事で、単独性を書く事が出来るのだろうと思う。



★自分にある単独の運命に関する参考テキスト
ジョジョの奇妙な冒険 Part6 ストーンオーシャン 17 (80)

glocomでの小倉氏の理論について

 ざっと読んだ上で若干メモ。でもここでの
発言を見る限り、どうも小倉氏に対する発言
者には「ブログの炎上は最終的に閉鎖すれば
いい」という考えがあるようだが、そこには
ちょっと問題がある気がする。その対処法は
「ログ」という意味での特定性を捨てる事に
躊躇がない時に限られる。過去ログは移転後
別の場所で何かを始めたとしても持ち越しが
出来ない事になる。持ち越してたら移転した
先を結局トレースされるだけで、炎上対策と
してせっかく移転したのが無駄になるだろう
からである。ほとぼりが冷めるまで待つ手も
なくはないが、それにしたって「過去ログの
特定性」を一度は消去「しなければならない」
という前提がある。その炎上対策はどうなの
だろうか。それは何か過去ログに意味がある
場合を余り大事だと考えていないような気が
してならない。つまり、不特定仮名での発言
に重点的に自由を認めるという現状について
擁護的になってしまっている結果、特定仮名
での発言に対する「防御」としては不十分な
ところがあるのではないかと思えてならない。
「名無しvs固定ハンドル」で固定ハンドル
側が「逃げる」際に振り捨てるものの価値が
「前提的に」ない事にされているのはどうか。


 意味がある発言を予め見て取る事は難しい
という話も出てはいるが、特定仮名と不特定
仮名とでどっちが、という聞き方ならおよそ
後者に軍配を上げるだけの「積極的な理由」
まではないのではないだろうか。勿論前者に
対しても躊躇する向きはあるだろうが、その
二者択一が炎上において露になる時、事実上
後者に軍配をあげる事になってしまうのでは。


 そこいくと、過去ログを振り捨てなくても
済む仕組みが用意されうるID制には一定の
意義があるかと思うけれど。技術は知らんが。