2005-11-15 日本国憲法
■ 立法議会の成立 
1791年10月、新憲法による選挙で一院制の立法議会が成立しました。立法議会では、右翼に立憲君主派のフイヤン派が、左翼に共和政を主張するジャコバン派が陣取っていました。さらに、このジャコバン派には、小市民を支持基盤とする左派と、中産市民層を代表する穏健派がいました。
左派は、議会の最左翼の高い所の議席を占めていたので、モンターニュ派(山岳党)と呼ばれていました。一方、穏健派はジロンド県出身の議員が多くいたので、後にジロンド派として呼ばれ、ジャコバン派から分離し、両者は対立するようになりました。
このとき、ヨーロッパ各国の君主は、フランスの亡命貴族のはたらきかけもあり、フランス革命の進展に警戒心を強めていきます。そこで、1791年8月プロイセン国王とオーストリア皇帝はドレスデン近くのピルニッツで宣言をだし、フランスに対する行動の決意を告げます。
これに対して、立憲君主派とジャコバン左派は戦争には慎重だったものの、ジロンド派は革命を強化できると考えて開戦を主張し、開戦を望むフランス国王によって組閣を委ねられたました。このとき、国王は、戦争に勝てば王の威信を高めれれることと、逆に諸外国の君主が勝てば革命が崩壊することを期待して戦争を望んでいました。
そこで、1794年4月、フランスはオーストラリアに宣戦布告しました。プロイセンはオーストラリアと結びました。フランス軍は、国内が混乱状態にあり、準備不足であったフランス軍は劣勢ででした。このことが原因で、ジロンド派で組織された内閣は罷免され、替わってフイヤン派内閣が成立しますが、プロイセン、オーストラリア同盟軍はフランス国境に迫っていました。
7月11日、立法議会は「祖国の危機」を宣言し義勇兵を全国で募集しました。さらに、フランスのナショナリズムが高揚し、地方からパリに義勇兵がぞくぞくと結集しました。
7月25日、プロイセン軍司令官ブラウンシュバイツ公はコンブレンツで宣言を発し、フランス国王に危害が加えられればパリ市を破壊すると警告した。この宣言は、後に王政を瓦解を早める結果ととなります。ジャコバン派とパリの各地区の市民は国王の廃位を要求します。
8月10日、パリ民衆と義勇兵は、チュイルリー宮殿を攻撃し、宮殿を警護していたスイス衛兵は惨殺されました。このとき、議会は民衆の圧力に屈して、王権を停止し、普通選挙による憲法制定議会となる国民公会の招集を布告しました。
■第一共和政の成立と、内外の危機 
1792年8月末から9月初めに普通選挙により議員が選ばれ、国民公会が成立した。国民公会は王政廃止と共和政(第一共和政)の樹立を宣言しました。立憲君主派は姿を消し、共和派のみとなった国民公会では議場の右のジロンド派と、議場の左のモンターニュ派(山岳党)が敵対しました。そして、じゃこばん派はモンターニュ派が支配していました。このとき、ジャコバン派の穏健な中間グループは平原派と呼ばれ、両派の間を揺れ動き情勢を左右しました。
国王は、公的自由に対する陰謀と国家の安全の侵犯により、数名の危険を除き満場一致で有罪とされました。モンターニュ派の提案した国王の死刑が可決され、ジロンド派の提案した、死刑執行の延期は否決されました。
1793年1月、革命広場(後の、コンコルド広場)で、ギロチンによるルイ16世の処刑がおこなわれました。
革命軍の攻勢と国王の処刑は、イギリスをはじめとする、ヨーロッパ諸国の革命への敵意と警戒心を強めていきます。イギリスのピット首相の呼びかけで、93年第1回対仏大同盟が結成されました。
フランス国内では、ヴァンデ県で王政派が指導する農民の反乱がおこり、インフレと買占めと食糧難から民衆の不満が高まってました。国民公会のモンターニュ派は、反革命を抑えるために、革命防衛のための改革を進めました。この改革の中身として、革命裁判所、監視委員会、国民公会の委員で構成する公安委員会などが設置されました。、この公安委員会は、行政活動を監視、促進を目指すものでありましたが、しだいに権限を強めていきました。
ジロンド派はこのような措置に反対しましたが、モンターニュ派は93年6月のパリのサンキュロットの武装兵力に国民公会を包囲させ、ジロンド派議員を追放し、独裁権を握りました。ジロンド葉の議員や大臣の多くは逮捕され、処刑されました。
■モンターニュ派(山岳党)の独裁と恐怖政治 
独裁権を握ったモンターニュ派は、亡命者財産の売却、共有地分割法などで、土地を農民に分配し、1793年憲法を制定し、封建的諸特権の無償廃止を決定しました。1793年の封建的諸特権廃止では、封建地代は有償廃止であったので、93年のこの憲法はジャコバン憲法と呼ばれ、革命期の中でも、最も民主的な内容を持つもので、人気投票で採択が決められました。しかし、革命権まで保障したこの憲法は、平和が到来するまで実施が延期されることになり、結局実施されずに終わりました。
このころ、国内では政治的にも、経済的にも、混乱が続いていました。地方都市ではジロンド派の蜂起がおこなわれ、対仏大同盟の軍隊はフランスに侵入し、国民総徴用例がだされました。インフレや小麦不足も深刻でした。
このような、危機に対応するために非常措置が強化され、恐怖政治が行われました。公安員会は、権限が強化され、強力な独裁政治の執行機関となりました。さらに、反革命容疑者の逮捕、裁判の促進が図られ、革命委員会はあらかじめ容疑者リストを作成しました。
王妃マリ=アントワネットが10月に処刑された後、ジロンド派指導者の処刑が続きました。さらに、最高価格令が出され、生活必需品、労働賃金の価格統制が行われました。古い伝統がひていされて、革命暦が制定され、非キリスト教運動の展開の中、理想が崇拝の対象になっていきました。
93年末には事態は好転し、外国進入軍は撃退され、国内の反革命内乱も鎮圧されていきました。
■テルミドールのクーデターと総裁政府 
革命政府が、国外や国内で勝利を得た1794年の段階で、モンターニュ派の中で指導者間の対立と不信が表面化しました。パリのサンキュロットの間に支持者が多かったエベール派は、民衆の過激な行動を扇動し、非キリスト教運動を進めて、銀行課の逮捕など過激な主張を繰り返してきましたが、国民公会に対する蜂起計画を告発され、逮捕、処刑されました。一方、ダントン派は恐怖政治の緩和を要求しましたが、ダントンの汚職が摘発され、処刑されました。そんな中、公安委員会を指導するロベスピエールが独裁権を握り、恐怖政治は、ますます強化されていきます。具体的には、革命裁判の迅速化がはかられ、94年6月プレリアール法により、弁護、証人、予審を省いて行うことができるようなり、処刑者が激増していきました。
しかし、革命戦争の勝利は逆に恐怖政治の正当性を困難にしていきました。ブルジョワジーは経済活動の自由を要求し、労働者は賃金統制に不満を持ち、他方で恐怖政治は腐敗と結びついていきました。土地を得た農民はそれ以上の革命の進展を望まず、保守化する傾向をみせました。
公安委員会でも、ロベスピエールの独裁への反感が生まれ、国民公会ではロベスピエールより告発されることを恐れる腐敗分子が反ロベスピエール派を形成していきました。
94年7月27日、革命暦でテルミドール9日、国民公会はロベスピエールを告発、ロベスピエール派の逮捕を決定しました。ロベスピエールらは、一度は支持者により釈放されたが、国民公会も部隊を集めてロベスピエール派を襲撃し逮捕し、裁判を経ずに直ちに処刑されました。
このテルミドールのクーデターで恐怖政治は終止符が打たれ、国民公会では穏健派が主導権を握るようになりました。さらに、公安委員会の権限も縮小されて、プレリアール法も廃止されました。革命裁判所も改組されて、ジャコバン=クラブも閉鎖されました。
しかし、革命政府は安定性、権力の集中性、反革命勢力の鎮圧力を失っていきました。価格統制も撤廃されて経済活動の自由が認められましたが、買占めや投機により、物価は高騰しました。これに反対する民衆(サンキュロット)運動は抑えられました。このとき。反革命派や王党派が勢いづき、恐怖政治の報復として、白色テロが横行しました。
1975年、国民公会は新憲法を制定し、秩序の安定を図りました。財産額によって資格が制限された選挙で選ばれる二院制の議会と、5人の総裁により構成される政府がつくられることになりました。10月に成立した、総裁政府は共和政維持と社会秩序の回復を宣言しました、しかし、総裁政府は左右勢力の攻撃により動揺する不安定な政権でした。
一方、王党派は総裁政府発足直前にパリで反乱をおこしましたが、これはナポレオン将軍に鎮圧されます。しかし、平等主義を唱えるバブーフは総裁政府打倒の計画が発覚し、左派右派は毎年のようにクーデターを繰り返した。対外的には軍事的勝利が続いていました。フランスはオランダを征服し、95年プロイセンと講和を結び、ナポレオンのイタリア遠征の勝利でオーストリアと97年カンポフォルミオの和約を結び、第1回対仏大同盟を崩壊させました。
■ まとめ 
これ以後、フランスはナポレオンが皇帝となるナポレオン帝政の時代に入っていきますが、日本国憲法との関係では、この市民革命の話までが重要ですので、フランスの歴史については、このあたりにしておきます。
このフランス革命については、長々と話をしてきましたが、憲法との関係で重要なことは、フランスにとっては、恐怖政治の影響より、革命裁判所に対する不信から、裁判所に対する不信が高くこれから話をする法の支配よりは、法治主義の考え方を重視していることに注意しておく必要があります。
そこで、次回からはこの法の支配、法治主義について、解説していきたいと思います。
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