騎士団長と貧乏な叔母さんと村上春樹(2017/2/25にkimukuma氏へ送ったメモのまとめと追記)

「あなたを殺したとして、それはぼくにとってのあなたが死ぬということなのですか? あなたはぼくの前から永久に消滅してしまうということなのですか?」
「そのとおり。諸君にとってのあたしというイデアはそこで息を引き取る。それはイデアにとっては無数分の一の死だ。とはいえ、それがひとつの独立した死であることに違いはない」


「私は要するにイデアなのだ。場合により、見る人により、あたしの姿は自在に変化する」
「雨田さんの目には、あなたはどのように映っているのですか?」
「それはあたしにもわからん。あたしはいうなれば、人の心を映し出す鏡に過ぎないのだから」


「おまえはいったい何ものなのだ?やはりイデアの一種なのか?」
「いいえ、わたくしどもはイデアなぞではありません。ただのメタファーであります」
「おまえが本物のメタファーなら、縄抜けくらい簡単にできるんじゃないのか。要するに概念とか観念とかそういうものの一種なのだから、空間移動くらいできるだろう」
「いいえ、それは買いかぶりであります。わたくしにはそんな立派な力は具わっておりません。概念とか観念とか呼べるのは、もっと上等なメタファーのことです」

村上春樹騎士団長殺し 第2部』



何人かのそういった印象を綜合してみると(僕自身には彼女の姿を見ることはできなかったから)、僕の背中に貼りついているのはひとつの形に固定された貧乏な叔母さんではなく、見る人のそれぞれの心象に従ってそれぞれに形作られる一種のエーテルの如きものであるらしかった。ー略ー「貧乏な叔母さんは幽霊じゃないんです。どこにもひそんじゃいないし、誰にもとりついたりはしない。それはいわばただのことばなんです」ー略ー「僕の背中に貼りついているのも、結局は貧乏な叔母さんということばなんです。そこには意味もなきゃ形もない。あえて言うなら、それは概念的な記号のようなものです」

村上春樹『貧乏な叔母さんの話』



「手を見てごらん」私は自分の両手を見てみた。しかし、そこにはもう血の跡はなかった。さっき川の水を掬って飲んだときに、洗い流されてしまったのかもしれない。ずいぶんたくさん血がついていたはずなのだが。

村上春樹騎士団長殺し 第2部』



僕はガラス窓に頭をもたせかけたまま目を閉じて、これまでに巡り会ってきた何人かの女友だちの顔を思い浮かべてみた。ー略ー 僕は膝の上で両手を広げ、長いあいだふたつの手のひらを眺める。まるで何人もの血をたっぷり吸い込んだように、僕の手は暗く汚れていた。

村上春樹『貧乏な叔母さんの話』



「正確に申せば、あたしがその姿を選んだというわけでもあらないのだ。そこでは原因と結果とが錯綜している。あたしが騎士団長の姿をとったことによって、一連のものごとは動きを開始したわけだが、同時にまたあたしが騎士団長の姿をとったことは、一連のものごとの必然の帰結でもある。諸君の住んでおる世界の時間性に沿って話をするとなかなかにむずかしいことになるが、ひとことで言ってしまうなら、それはあらかじめ決定されていたことなのだ」ー略ー すべてがどこかで結びついている。

村上春樹騎士団長殺し 第2部』

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我々はどこにも行けないというのがこの無力感の本質だ。我々は我々自身をはめこむことのできる我々の人生という運行システムを所有しているが、そのシステムは同時にまた我々自身をも規定している。それはメリー・ゴーラウンドによく似ている。それは定まった場所を定まった速度で巡回しているだけのことなのだ。どこにも行かないし、降りることも乗りかえることもできない。誰をも抜かないし、誰にも抜かれない。しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートをくりひろげているように見える。

村上春樹回転木馬のデッド・ヒート



「いいかね、単時点的な人間にとって、人生はローラー・コースターのようなものだ」ー略ー「ありとあらゆる種類のことが、これからきみの身にふりかかってくる。もちろん、わたしはきみの乗ったローラー・コースターぜんたいを見晴らせる。そしてもちろん―あらゆる急降下やカーブのことを書いたメモを、きみに渡すこともできる。どのトンネルの中でどんなお化けがきみの前にとび出してくるかも警告できる。だが、そんなことをしてもきみの役には立たない」ー略ー「なぜなら、それでもきみはやはりローラー・コースターに乗りつづけねばならないからだ。わたしはそのローラー・コースターの設計者でもないし、持ちぬしでもない。だれがそれに乗っているとも、だれが乗っていないとも言わない。ただ、そのローラー・コースターがどんな形をしているかを知っているだけだ」

カート・ヴォネガット・ジュニアタイタンの妖女



伝説の不吉なカーブも通り過ぎたし、照明の暗いじめじめしたトンネルもくぐり抜けた。あとはまっすぐな六車線道路を(さして気は進まぬにしても)目的地に向けてひた走ればいいわけだ。

村上春樹『ニューヨーク炭鉱の悲劇』



もちろん時は全ての人々を平等にうちのめしていくのだろう。まるで路上で死ぬまで老馬をうちすえるあの御者のように。しかしそれはおそろしく静かな打擲であるから、自らが打たれていることに気づくものは少ない。ー略ー 狭苦しいガラス・ケースの中で、時はオレンジみたいに叔母さんをしぼりあげていた。汁なんてもう一滴も出やしない。

村上春樹『貧乏な叔母さんの話』



「疲れるもんだよ、太陽系の単調な時計仕掛の中につかまっているのは」ー略ー「どのみち、これはわたしが死にかけているとか、そんなことじゃない。過去に存在したあらゆるものは、これからもつねに存在しつづけるだろうし、未来に存在するだろうあらゆるものはこれまでもつねに存在したんだ」ー略ー「この犬とわたしが、気ちがいの持った馭者鞭のようにパチンと音を立てて宇宙空間へふっとぶまえに」とラムファードはつづけた。

カート・ヴォネガット・ジュニアタイタンの妖女



「たとえばあたしは一日のうちで限られた時間しか形体化することができない。ー略ー それから、あたしは招かれないところには行けない体質になっている。しかるに諸君が穴を開き、この鈴を持ち運んできてくれたおかげで、あたしはこの家に入ることができた」

村上春樹騎士団長殺し 第1部』



そこには、ラムファード夫人の夫とその愛犬のカサックが実体化した正確な時刻と、非実体化した正確な時刻とが記されている。ー略ー 報告書によると、ラムファード夫人の夫は過去も未来もはっきり見通すことができるらしいのだが、そのどちらの方向に見える光景も、実例をあげられてはいない。

カート・ヴォネガット・ジュニアタイタンの妖女



(貧乏な叔母さん〜騎士団長のルーツとしてのウインストン・ナイルス・ラムファード、そしてヴォネガットに想を得たと思しき四次元&永久主義的な世界観が見て取れる。とはいえ、村上氏は[現実=諸事物のネットワーク]とそこにおいて生成する言語ゲームの世界―その連関の実相を捉え損なっているように思われる)