IT翻訳者の疑問

この業界に入って約20年。私の疑問は相変わらず解決しません。

build upon

「Trados Studio 2024がまもなく登場 」のページ(https://www.trados.com/jp/spotlight/get-ready-for-trados-studio-2024/)の「ユーザー体験が向上」のセクションにも、意味がよくわからない文章があったので英語版(https://www.trados.com/spotlight/get-ready-for-trados-studio-2024/)と比較してみました。

Trados Studio 2024は、効率化された最新のユーザー体験をベースに構築されており、より効率的な方法で翻訳のすべてが可能になります。

Studio 2024 will build upon our modern, streamlined user experience allowing you to translate everything more efficiently.

「効率化された最新のユーザー体験」は何のことかと思ったら、「modern, streamlined user experience」のことでした。Tradosでもmodernは「最新の」なんですね。ここにはモダナイゼーションはまだ訪れていないのでしょうか。
それでも「ユーザー体験をベースに構築されており」はまだ意味不明です。英語版では「Studio 2024 will build upon our modern, streamlined user experience」なのですが、build uponが「~をベースに構築されており」になるのでしょうか? このbuildは能動態でしかもwillが付いていますが。英和辞典でbuild onを調べると

(これまでの経験・成果など)に基礎を置く, (発展のための土台として)…を利用する, …を基に事を進める, …を基盤とする.
(コンパスローズ英和辞典)

という説明があります。ourも訳出されていませんでしたが、Trados Studioの現代的で合理化されたユーザー体験はこれまでどおりで、さらに効率的になんでも翻訳できるようになると言いたいのではないでしょうか。

分詞構文

昨日引用した「Trados Studio 2024がまもなく登場」のページ(https://www.trados.com/jp/spotlight/get-ready-for-trados-studio-2024/)の文章の中に、もうひとつ引っかかるところがあります。

アクセス性が強化され、社内外での作業を可能にするクラウド機能が向上されているTrados Studio 2024は、プロの翻訳者が包括性とイノベーションを重視しつつ、より優れた翻訳を提供できるように支援します。 

英語版(https://www.trados.com/spotlight/get-ready-for-trados-studio-2024/)では

With enhanced accessibility features and improved cloud capabilities for working in the office or on the go, Studio 2024 will empower translation professionals to deliver better translations, emphasizing inclusivity and innovation. 

ですが、emphasizingの主語は「プロの翻訳者」なのでしょうか? Studio 2024はtranslation professionalsがto deliver better translationsできるようにempowerするが、特にinclusivity and innovationをemphasizingしているということではありませんか? 
文法的に「プロの翻訳者が包括性とイノベーションを重視」と解釈できたとしても、論理的にそうなるかどうかを考えてみることは必要だと思います。ちなみにGoogle検索で「trados "inclusivity and innovation"」という条件を指定して検索すると、「From enabling access to cutting-edge technology, enhanced usability, improved cloud and dictation capabilities, Trados Studio 2024 focuses on inclusivity and innovation.」という文章が見つかります。

 

 

Trados Studio 2024のアクセス性

Get ready for Trados Studio 2024のページ(https://www.trados.com/spotlight/get-ready-for-trados-studio-2024/)にはaccessibilityという単語が1回出現しますが、日本語版のページ(https://www.trados.com/jp/spotlight/get-ready-for-trados-studio-2024/)では「アクセス性」という表現が使われています。

With enhanced accessibility features and improved cloud capabilities for working in the office or on the go, Studio 2024 will empower translation professionals to deliver better translations, emphasizing inclusivity and innovation. 

アクセス性が強化され、社内外での作業を可能にするクラウド機能が向上されているTrados Studio 2024は、プロの翻訳者が包括性とイノベーションを重視しつつ、より優れた翻訳を提供できるように支援します。 

同じページに、accessibleという単語が2回出現し、日本語版ではその一つに対応する部分で「アクセス性」という表現が使われています。もう一つの部分でははっきりとは訳出されていません。

We are currently living in an incredible era of technological advancements, however, sometimes people with diverse needs get left behind. Considering this, Studio 2024 will become the most accessible, feature-rich CAT tool on the market with the launch of a number of features for the visually impaired. 
 
With Studio 2024, users will be able to complete a fully accessible project roundtrip using screen readers – empowering everyone to translate, however they want to work. Extending beyond the desktop, Studio 2024 will also add dictation capabilities to the online editor.

今、私たちはテクノロジーが進化する驚異的な時代に生きていますが、多様なニーズを持つ人々が取り残されてしまうこともあります。当社はこうした状況を考慮して、視覚障がいを持つユーザー向けの機能を多数リリースし、Trados Studio 2024を市場で最もアクセス性に優れ、機能の充実した翻訳支援ソフトウェアにします。 
 
Trados Studio 2024では、音声読み上げ機能を使用してプロジェクト全体を運営でき、誰もが望む方法で翻訳することができます。Trados Studio 2024では、デスクトップだけでなくオンラインエディタにも音声入力機能が追加されます。

このaccessibilityとaccesibleの日本語訳は「アクセス性」で通じるでしょうか。「Trados Studio 2024はアクセス性に優れたソフトウェアである」という文章を読んだときに、何をイメージするでしょうか?

英単語のaccessible/accessibilityにもいろいろな意味がありますが、「easily used or accessed by people with disabilities : adapted for use by people with disabilities」(https://www.merriam-webster.com/dictionary/accessibility)という意味で使われているときは、対応する日本語表現は「アクセシビリティ」としたほうが通じやすいのではないでしょうか。なんでもカタカナ語で済ませるのは確かに良いことではありませんが、「アクセス性」でも「アクセス」というカタカナ語はそのままですよね。
ちなみに日本国の政府も「ウェブアクセシビリティ」の向上を呼びかけています。
https://www.gov-online.go.jp/useful/article/202310/2.html

ここまで書いたところで、Trados Studio 2024のウェビナー案内のメールをもう一度見てみたら、こちらでは「アクセス性」ではなくて「アクセシビリティ」という表現が使われていました。用語の統一はどうなっているのでしょう。

「購入していただくと」と「無料で提供されます」の関係

「Trados Studio 2024がまもなく登場」のページ(https://www.trados.com/jp/spotlight/get-ready-for-trados-studio-2024/)には、次のようなバナーもあります。

Trados Studio 2022を購入していただくと、Trados Studio 2024がリリース時に無料で提供されます。

「していただくと」という謙譲語を使っているので、前半は明らかにこのWebサイトを見ている人に向けて言っているのですが、後半の「提供されます」は、誰に提供することを言っているのでしょうか?
英語版(https://www.trados.com/spotlight/get-ready-for-trados-studio-2024/)では

Purchase Studio 2022 and get Studio 2024 for free on release.

です。

purchaseもgetも、それをやるのは読み手ですよね。「本製品をお買い上げいただくと、利益の一部が環境保護活動に寄付されます」のような関係ならば「されます」という受け身を使うのに問題はありませんが、「あなたが今2022をpurchaseすると2024がリリースされたときに無料でgetできますよ」なのだから、getの部分も読み手の行為として表現しなければ意味が伝わりません。getを逐語訳しようとすると不自然になるから「提供されます」にしたのでしょうか。「今2022を購入すると、2024に無料でアップグレードできます」ということですよね?

この種のWebページの目的は読み手に購買行動を起こさせることですので、読み手にとってのメリットをはっきり伝えていただきたいものです。

壁は乗り越えるもの?

Trados Studio 2024のウェビナー案内のメールを読んで、もう一つ気になったのが「壁を乗り越える」というキャッチフレーズです。先日取り上げたhttps://www.trados.com/jp/spotlight/get-ready-for-trados-studio-2024/の、「多様なニーズ」のセクションの見出しにもなっています。

これにはどういう意味が込められているのでしょうか。英語版のページ(https://www.trados.com/spotlight/get-ready-for-trados-studio-2024/)では、この部分は「Bridging borders」です。

英語版のbordersをそのまま「境界」とすると直訳くさいのでひねったのかなと推測しますが、borderと壁は全然違うものです。壁は、外部からの侵入あるいは内部からの脱走を防ぐために人間が作るものです。たとえばアメリカ合衆国は、メキシコとの国境に壁を作りました。Trados Studio 2024にとっての「壁」は誰が作ったのでしょうか? それを「乗り越える」のは誰の動作なのでしょうか?

Trados Studio 2024ではアクセシビリティが向上して、視覚障害者もスクリーンリーダーを使って翻訳作業ができるそうです。つまり、健常者と視覚障害者の間のborderに橋を架けるというのが英語版の主旨ではないでしょうか。もし、健常者と視覚障害者の間に誰かが作った「壁」があるとしたら、それは壊せばいいんです。ベルリンの壁のように。

「壁」という試練はそのままで「乗り越えろ」とは、障害のある人への呼びかけとしては過酷な感じがします。

名詞needの訳は「ニーズ」だけ?

Trados Studio 2024が間もなく登場するそうですが、そのウェビナーの案内のメールの文面がちょっと意味不明でした。同じ文章がhttps://www.trados.com/jp/spotlight/get-ready-for-trados-studio-2024/にあったので、ここから引用します。

今、私たちはテクノロジーが進化する驚異的な時代に生きていますが、多様なニーズを持つ人々が取り残されてしまうこともあります。当社はこうした状況を考慮して、視覚障がいを持つユーザー向けの機能を多数リリースし、Trados Studio 2024を市場で最もアクセス性に優れ、機能の充実した翻訳支援ソフトウェアにします。 

最初のセンテンスがメールにもあったのですが、多様なニーズを持つだけで取り残されるとは、とんでもない時代ですね。

英語版のページ(https://www.trados.com/spotlight/get-ready-for-trados-studio-2024/)を見てみましょう。

We are currently living in an incredible era of technological advancements, however, sometimes people with diverse needs get left behind. Considering this, Studio 2024 will become the most accessible, feature-rich CAT tool on the market with the launch of a number of features for the visually impaired. 

英文のneedsを反射的に「ニーズ」と訳したと推測されますが、そのpeopleが何を必要としているのかを、もう少し考えようとは思わなかったのでしょうか? 英辞郎には「people with special needs の意味・使い方・読み方」の説明がありますよ。

eow.alc.co.jp

「多様な」も英文のdiverseを反射的に訳した結果だと思いますが、これはpeopleという集団全体についてのことですよね。一人の人間に注目したときに、身体障害(視覚・聴覚・言語・肢体・内部)、知的障害、精神障害のどれか一つでもあったら、その人はwith needなのだと思います。

あと、the visually impairedの訳し方にも、もう少し神経を使ったほうがよいのではないでしょうか。「ユーザー」は既に製品を買った人のことですよね。

これが単なるソフトウェアメーカーのWebサイトならともかく、Tradosを販売している会社はローカライズのサービスも提供しているので、TradosのWebサイトはマーケティング翻訳のお手本であってほしいのです。