じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

カーステで聴く邦楽囃子

先日、車の前後左右四つのスピーカー内、前と後ろのひとつずつが乾燥でひび割れて駄目になってしまいました。車のスピーカーの交換といっても初めてのことでよく分からず、自分の手でやる積りもなかったので、ともかく近所のカーショップに行き、たまたま側にいた店員さんに相談したところ、じつに懇切丁寧に色々と教えてくれて、実際に車を検分し、どんな音楽をカーステで聴きたいか等、サウンドの好みも詳しく確かめ、さてご予算は?という段で「2万円」と言った瞬間、店員さんの目が点に。いやはや、わたしも呑気なものですが、まったくカーステの相場を知りませんでした。取付費用を含めて10万、20万は当たり前の世界だったようで・・・。

車のフロント・スピーカーの種類として、低域ウーファーと高域ツイーターが一体化した「コアキシャル・タイプ」と、ツイーターだけを別の位置に取り付ける「セパレート・タイプ」があることも、今回、初めて知りました。初心者は、コアキシャル・タイプのほうが無難だとされます。たとえばここのサイトを参照。→「カーオーディオへの第一歩。初めてのスピーカー交換編」

セパレート・タイプは音の立体感や明瞭感がアップしますが、各音域が別々のスピーカーから出力されるため、音のバランスを上手に取らないとかえって音が悪く感じられることもあるそうです。

ところが今回対応してくれた店員さんは、なんと偶然にも大のカーオーディオ・マニアで、カーステ業界の講習会にも顔を出す「達人」だったのです。「予算を5万円にアップしてもらえばフロントをセパレート・タイプにできるので、納得できる音を作ってみせますよ」との力強いお言葉。しばし逡巡しましたが、「これも出逢いだ」と閃いて決心。そして数時間後、取り付け作業が終わり、運転席で音を聴いた瞬間・・・いやー、かなり驚きました。運転席の前、左右に設置されたピンポン玉サイズのツイーター・スピーカー。しかし、そこにスピーカーがあることを全く意識させず、前ドア内側のウーファの中低音と共に全体がまろやかに溶け合い、個々の楽器の音が臨場感豊かに立ち上がってきます。ちなみにリヤ・スピーカー(後部座席)は優先度が一番低いとのことなので、今回は最安値のものにしました。

これまでは車で音楽を聴くときに、走行音のノイズで繊細な音がまったく聴こえてこないこともあって、純邦楽やクラシックは避けていたのですが、もうその必要もなくなりました。そこで、先日、堅田喜三久さんの『邦楽囃子大系』を運良く新品で入手することができたこともあり、さっそくカーステで鳴らしてみたところ、驚くほどの響きに感激してしまいました。調緒をしめるときのキュッという微かな音も、くっきりと聴こえるのです。驚きました。今後、長距離ドライブでは必携のアルバムになりそうです。よい店員さんとの出会いで、大満足のカーステ・スピーカー交換ができました。感謝感謝デス。

『邦楽囃子大系』(コロムビア、廃盤)はCD5枚組、全250曲もの鳴物の手の集大成で、堅田喜三久さんの書き下ろしによる鳴物だけによる構成曲も7曲収録されています。平成7年度文化庁芸術作品賞を受賞。見かけたら即入手することをお薦めします。

ところでこうした鳴物構成曲をレコード用に作ることを最初に行なったのが、他ならぬこの堅田喜三久さんなのですが、その嚆矢となる記念すべき初ソロ・アルバムが、昨年当財団からCDで復刻されています。人間国宝堅田喜三久師の35歳時の気魄に満ちた邦楽囃子を存分に味わえる、ご本人も認める名盤中の名盤! 圧倒的な邦楽囃子の世界を、ぜひご鑑賞ください。
『歌舞伎の囃子/堅田喜三久』


そしてまたLP時代に、鳴物のアルバムとして大絶賛を博した東芝から発売されていた『舞踊鳴物百選(黒みす)』シリーズも、上下2枚のCDで当財団から復刻されています。ご存じでしたか? この隠れた大名盤も二重丸でお薦めです。
『邦楽舞踊シリーズ 舞踊鳴物百選(黒みす) 上』(笛:福原百之助/鳴物:田中伝一郎、望月左吉、望月長左久、堅田喜三久/三味線:松島寿三郎、杵屋栄津雄)

『邦楽舞踊シリーズ 舞踊鳴物百選(黒みす) 下』(笛:福原百之助/鳴物:田中伝一郎、望月左吉、望月長左久、堅田喜三久/三味線:松島寿三郎、杵屋栄津雄/唄:松島庄十郎)


さらに、『歌舞伎下座音楽集成(2枚組)』も聴き応えのある素晴らしい内容です。


これらのCDを聴いていると、ジャズやロックのどんなリズムにも引けをとらない日本のリズムの凄味に圧倒されます。邦楽のリズムの特徴は、西洋音楽の枠組みでは捉えきれない、たとえば、伸び縮みする「間」の扱いや、「はじまり(動き出し)」と「終わり(落ち着き)」を醸し出す二種のグループ細胞を組み合わせる構成作法、さらには「無拍」の状態とその上での「アシライ」という即興的なフリーリズム等々。これらは、西洋音楽の尺度や観点では非合理的で感覚的なだけの謎めいたものに映りますが、本質はその正反対。むしろ、日本音楽のリズムはじつに合理的かつ論理的につくられています。なぜ、日本人が日本のリズムを素朴に理解できなくなったのか。かつて、音楽学者の小泉文夫さんは、それを西洋音楽に偏重した国の音楽政策、音楽教育のせいだと糾弾していました。世界中を見渡してみても、日本ほど短期間の内に自国の伝統音楽文化を教育現場から打ち捨てた国は例がないと小泉さんは述べていました。(「歴史的に」みれば、また違った話になるのでしょうけれど)

そうした思いが最も直截に発露されたのが小泉文夫さんの初期の著書『おたまじゃくし無用論』です。現在は絶版で古書でしか入手できませんが、もともと講演から起こした原稿なのでとても読みやすく、なおかつ、問題の中心に最短距離で切り込んでいるため読後感も爽快です。耳の自由と解放のために、必読の一書といえます。

(堀内)