じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

十一月の階梯、鶴田錦史の琵琶

「十一月の階梯」というのは、武満徹さんの最初の著書『音、沈黙と測りあえるほどに』(1971、新潮社)に収録されているエッセイのタイトル。副題に、小さな活字で「November Stepsに関するノオト」という文字が添えられています。1967年の11月にニューヨーク・フィル創立125周年記念作品として委嘱初演された武満さんの有名な曲にまつわるメモランダム。この作品の初演を担ったのは、尺八の横山勝也さん(当時32歳)、琵琶の鶴田錦史さん(当時56歳)、指揮の小澤征爾さん(当時32歳)。武満さんは当時37歳。ここで探究された音楽世界の透き通った深さと、美しさと、そして痛みと。いつ聴いても新たに触発されることの多い曲ですが、11月に聴くのはやはり格別。

先頃、琵琶の鶴田錦史さんの生涯を取材した伝記が出版されました。佐宮圭・著『さわり』(小学館)。波瀾万丈という言葉では足りない程の、これまで一般には広く知られていなかった(もっとも、それは、本人によって意図的に隠された過去だったわけですが)鶴田さんが「鶴田錦史」になるまでの壮絶な物語が、著者の10年に及ぶ取材の成果として描き出されています。こちらに著者・佐宮さんのインタヴューが掲載されています。昨年、雑誌連載終了後に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞されて、その翌月2010年9月の記事です。→ 「謎の男装天才琵琶師『鶴田錦史』の生涯を綴る」(武田和歌子のぴたっと。)

本書の目的は、当然ですが琵琶楽全般を紹介・説明することではないので、できれば本書との出会いを契機に、豊かで幅広い琵琶の世界に関心をもっていただけるとうれしいです。本書での主要な登場人物のひとりである水藤錦穣(すいとう きんじょう)さんの代表作「時雨曽我(しぐれそが)」は、当財団から昨年復刻した『日本琵琶楽大系』(VZCG-8439〜43)で聴くことができます。(ただしここには鶴田錦史さんの演奏は収録されていません。その理由も『さわり』を読めばおおよそ見当がつくと思います) これは各種琵琶の歴史的演奏を集めた至宝の記録で、附属の別冊解説書も大変充実しています。やがてはこのCDボックス自体が国宝に指定される日が来るかも? お早めにお求めください!


鶴田さんの演奏に初めて生で接したのは、1981年3月25日(水)日本青年館ホール、6時45分開演、東京交響楽団現代日本音楽の夕べ・4<武満徹の夕べ>」で演奏された、武満さんが尺八と琵琶とオーケストラのために書いたもう一曲の作品『秋』。当夜のプログラムは、「弦楽のためのレクイエム」、「ピアノとオーケストラのための“弧”パートII」(ピアノ独奏:高橋アキさん)、「琵琶、尺八とオーケストラのための“秋”」(尺八:横山勝也さん、琵琶:鶴田錦史さん)、「鳥は星の庭へ降りる」。指揮は矢崎彦太郎さん。パンフレットには船山隆さんと武田明倫さんによる丁寧で緻密な武満作品論を掲載。「秋」は1973年の初演以来、初めての再演でした。

そのとき、邦楽器のもつ独特な表現領域の深さに圧倒されました。たとえば、無音でさえも見事な「演奏」で聴かせて、空間と時間の密度と意味を瞬時に変容させてしまう鶴田・横山両氏の特殊な作法は、次元の異なる「音」と「間」の生成現場の在り処を強く実感させるもので、客席で体験した自然の内部で溺れるような心地は今でも記憶に鮮やかです。その後、何度もコンサート・ホールで聴いた『ノヴェンバー・ステップス』。独奏者は、いつも、横山さんと鶴田さんでした。


『ノヴェンバー・ステップス』のスコアの最後の部分。「Keep silence」という大きなフェルマータが記されている。



この二人の稀有な音楽家の演奏と、武満さんの音楽と言葉に導かれて、「沈黙を聴く」ことはただ単に音がない状態の緊張感や気配を感じることではなく、より能動的な仕方で「間」に関わっていく作法が大切なのではないかと気づかされました。そして、もっと深い「間」の響きを知りたいと思い、横山さんの吹く尺八古典本曲や、横山さんの師匠だった海童道祖(わたづみどうそ)、鶴田錦史さんの録音に耳と心を傾けました。琵琶というのは歌が主体であって、楽器を鳴らすのは歌の区切りのときだけなのが基本なので、間合いと息の運びが極めて重要です。尺八本曲においては、突き詰めて言ってしまえば、聴こえる音そのものは「仮」の音であって、聴こえない真の音に触れることこそが求められます。ただしこれは元々尺八が普化宗の宗教行為として実践されてきた歴史と大きく関わっているというよりも、わたしの場合、海童道祖宗祖からの影響が強すぎるせいかもしれません。



横山さんや海童道祖については、また別の機会に触れるとして、鶴田さんの録音をいくつかご紹介します。まず代表作である『ノヴェンバー・ステップス』、これはすぐれた録音が多種ありますが、同じ小澤征爾さんの指揮で二種の演奏を聴き較べることのできる、初演と同時期にトロント響と共演した盤と、後年サイトウ・キネンと共演した盤のふたつが特にお薦めです。前者での気魄のこもった演奏は鶴田さんと横山さんのあの当時あの状況ならではの唯一無二の歴史的な名演ですし、後者での精緻なオーケストラの響きは、小澤さんをして「ここまでオーケストラが上手く演奏できて、初めて武満さんがこの曲でやりたかったこと、響きが実現できた」と語っているほど見事なものです。


珍しいレコードがあります。鶴田さんがコロムビアに吹き込んだ『鶴田錦史/琵琶 ノヴェンバー・ステップス』というアルバムなのですが、なんとこの盤では琵琶の独奏だけで「ノヴェンバー・ステップス(十段)」(13:28)が演奏されています。武満さんが特別に許可したのでしょうか? 1977年5月26日、荒川区民会館での収録。B面には鶴田錦史作曲の「〈琵琶歌〉須磨の曲」(21:05)。でも、このアルバム、PCM録音なのに暗騒音(あんそうおん)というか演奏の背後にザーッという音が入っていて、音の粒断ちも鈍く濁っています。「須磨の曲」は後にコロムビアの琵琶のオムニバス盤にもセレクトされCD化されていますが、やはり音質はLPと同じなので、マスター自体がそういう音なのでしょう。ただしこのレコードはジャケットがサム・フランシスなので、とても気に入っています。さらには、故鷲尾星児さんのライナーノーツの中で、鶴田さんが「間」を活かした演奏のヒントとして、前衛舞踊家マース・カニングハムが初めて来日したときの公演で(おそらく音楽はジョン・ケージ)、「音楽がないところでパッと踊ったりする、そういうところからつかんだかなア。ほかのものを見たり聴いたりしてるときにひらめきがあるもんで、自分の世界ではなかなかつかめません・・・」と語っているのを紹介しているのが印象的。もっとも、鷲尾さんもすぐに続けて記しているように、「間そのものは簡単に会得できるものではない」。しかし、開かれた感性でさまざまな芸術に向き合っていた鶴田さんらしいエピソードだと思います。(国立劇場に勤務され国立能楽堂主幹だった鷲尾さんもたぶん相当に開かれた感性の持ち主だったと拝察します)

そして鶴田錦史の代表盤としては、フランスのオコラ・レーベルのアルバム『JAPON - KINSHI TSURUTA - Satsuma biwa』(上の写真でレコードの手前に置いたCD盤)は外せません。収録曲は、「春の宴」、「義経」、「壇の浦」。最初の2曲は1985年ラジオ・フランスのスタジオで、最後の曲は1972年ギュメ美術館での収録。録音ディレクターと解説の執筆は、パリ在住の作曲家の丹波明さん。丹波さんは、1971年に論文『能音楽の構造』でソルボンヌ大学より音楽博士号、1984年には論文『日本音楽理論とその美学』により同大学からフランス国家博士号を授与され、フランスに日本の伝統音楽文化を紹介してきた功労者です。日本では、『創意と創造』、『「序破急」という美学』が出版されており、特に前者は、リュック・フェラーリというユニークな作曲家を知るきっかけとなったことでわたしには思い出深い本です。(リュック・フェラーリについては、以前ピアニスト井上郷子さんが彼の作品を特集したリサイタルを行なった折にJAZZ TOKYOにレポートを書きました。そこで丹波さんの本にも少し触れました。→


丹波さんがディレクションしてオコラからリリースされた日本伝統音楽のさまざまな種目のディスクは、どれも大変優れたものばかりです。現在その殆どが入手困難ですが、内容が良いのでいずれ再発されるでしょう。昨年(2010年)には、ツトム・ヤマシタさん(Stomu Yamash'ta)の音禅がCD化されています。大徳寺の国宝・真珠庵での収録。これも丹波さんのディレクションです。→ 「禅法要 - 禅仏教の典礼 Zen Hôyô - Liturgy of Zen Buddhism」

ちなみに丹波明さんは先週土曜日に神奈川県民小ホールで作品展が開催され、わたしも聴きに行きましたが満員の盛況で、丹波さんの創作史を辿ったプログラムが入魂の演奏で実現された素晴らしいコンサートでした。会場では、先々週に柳川三味線の林美音子さんのリサイタルを聴きに京都へ行った際に金田潮兒さんの委嘱初演作で共演されて、公演後の食事会でご一緒した尺八の福田輝久さんとも再会。福田さんも丹波さんのディレクションでocoraに優れたアルバムをレコーディングされています。

この日丹波さんは、1968年のパリ五月革命でそれまでの価値観が社会全体から無くなってしまった強烈な体験を語られて、「日本人はもう少し目の前の価値観を疑ってみたほうがいい」と仰っていましたが、それは、固定したものの見方を宿命と感じて狭い視野の内部に自足しがちな現代日本の感性と精神への叱咤として受け取るべきでしょう。いつまでも明治政府が導入した古びた音楽の価値観を「唯一自然なもの」として受け継ぐ必要はないからです。日本固有の文化という足もとを見て、それを取り戻すにせよ、伝統を参照しつつ別の新しい違った道へと踏み出すにせよ、それが本当の意味でのインターナショナルな文化の実現なのだと思います。


こちらはキングレコードに残された鶴田錦史さんの最後の録音。『琵琶劇唱──鶴田錦史の世界』。やはり名盤と言える一枚。ただし、すでに病気のため琵琶を弾くことができなくなっていたので、ここでは鶴田さんは歌だけの参加、琵琶は弟子の田中鶴旺さん、斎藤鶴竜さん、岩佐鶴丈さんの演奏です。収録作品は、「俊寛」、「壇の浦」、「義経」。このCDを含む《日本音楽の巨匠》シリーズについては、以前当ブログでもご紹介しました。→ 「日本音楽の巨匠」4社合同CD企画


この他にも鶴田さんの琵琶を聴くことのできるディスクは多くあります。とりわけ武満さんとの最初の仕事である、映画『怪談』のための音楽は必聴です。探せば何種類かのCDが入手可能。武満さんの『怪談』の映画音楽では非常に卓抜で斬新な音の実験が随所で行なわれていて、それについて論じた文章を含む秋山邦晴さんの著書『現代音楽をどう聴くか』(晶文社、絶版)の併読をお薦めします。それに続く重要な作品が、武満さんの琵琶と尺八のための「蝕(エクリプス)」でしょう。当財団が完全復刻した現代邦楽レコードの金字塔『[復刻]響──和楽器による現代日本の音楽』(VZCG-8405〜7)にも収録されています。「エクリプス」についても当ブログで前に書きました(→ 「武満徹『エクリプス』(琵琶、尺八)」)。この作品は、最初の部分は五線譜で書かれているのですが、その部分でさえ、何種類か残されている鶴田・横山両氏のレコード・CDを聴き較べてみると、いずれも相違した趣を感じさせるものとなっています。そういう細部にも注目して、ぜひ傾聴していただきたい作品であり、演奏です。


そして、前述した「須磨の曲」を含む、コロムビアのオムニバスCDがこちら。片岡鶴太郎さんのイラストの全20枚の邦楽シリーズの内の『琵琶』(COCJ-32454)。このシリーズは「山田流箏曲」などいくつか品切れで入手困難なものがあるので要注意です。収録曲は、「祇園精舎」(平家琵琶:館山甲午)、「川中島」(薩摩琵琶:吉村岳城)、「石童丸」(錦心琵琶:永田錦心)、「須磨の浦」(薩摩琵琶 鶴田流:鶴田錦史)、「実盛」(薩摩琵琶:山下晴楓)、「茨木」(筑前琵琶:山崎旭萃)、「那須与一」(薩摩琵琶 鶴田流:中川鶴女)。


このコロムビアのオムニバスCD盤の最後に収録されている中川鶴女(なかがわ かくじょ)さんは、佐宮さんの著書『さわり』にはお名前が出てきませんが鶴田錦史さんの弟子で、平成元年(1989年)第26回「琵琶楽コンクール」で第一位(審査員は吉川英史、金田一春彦、田辺秀雄、山岡知博、NHK音楽部森田繁の各氏)。以前、わたしも中川鶴女さんの実演を聴いて大変感銘を受けました。しかし2007年9月に若くして亡くなられています。これは、亡くなった年の6月にリリースされたCD『琵琶散華/中川鶴女』(FONTEC FOCD9305)です。収録曲は、佐藤聰明作曲「霧鶴」、鶴田錦史作曲「壇の浦」、佐藤聰明作曲「薄墨」。このCDを購入してすぐにJAZZ TOKYOに投稿した記事がこちら→ 。ジャズ・リスナーを念頭に置いた気負った文章ですが。鶴田さんのCDを紹介する最後に、わたしにとって鶴田さんの音楽とも結びついて思い出深い中川鶴女さんのアルバムもご紹介させていただきました。


当財団には、まだまだ数多くのお薦めの琵琶のCDがあります。鶴田錦史さんと山元旭錦さんの演奏を収録した『ビクター邦楽名曲選 14 琵琶名曲集(CD)』(カセットは1曲多く収録→ )、これと一部曲目は重なりますがより幅広い流派を聴ける『〈COLEZO!〉〜コレゾ!BEST!〜琵琶』筑前琵琶人間国宝だった山崎旭萃さんのアルバム『筑前琵琶/山崎旭萃』。同じく筑前琵琶上原まりさんが作曲家の大島ミチルさんと組んだ意欲的なアルバム『まほろば/上原まり』。さらには、上原さんと薩摩琵琶奏者で同時に平家琵琶も習得されている須田誠舟さんとの『平家物語』の連作CD(一〜四)、坂田美子さんの名盤にしてベストセラー・アルバム『琵琶うたものがたり』、平成19年度第62回文化庁芸術祭優秀賞受賞作品、盲僧琵琶の『肥後の琵琶弾き 山鹿良之の世界〜語りと神事〜』

(堀内)