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じゃぽブログ

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2012年04月04日

薬師寺 花会式

f:id:japojp:20120404181913j:image:left:w170先週末、元大阪芸術大学芸術学部教授の中山一郎さんからお誘いいただき、奈良・薬師寺の花会式(はなえしき)の聴聞に行って参りました。中山さんのご専門は日本の古典芸能における声と西洋音楽の声楽の声の研究で、2002年には、同じ歌詞を日本の邦楽・洋楽の各種目の音楽家がどのように歌い分けているかを記録した『日本語を歌・唄・謡う』という18枚組CDから成る前代未聞の資料集を制作されています(全900トラック/18時間59分54秒/172ページ解説書添付)。このセットは高額にも関わらず完売となり、現在はDVD版『映像アーカイブ 日本語を歌・唄・謡う』として新たにリリースされています。(詳しくはこちらのページをご覧ください→

その中山さんが、この20年間欠かさずに通っていらっしゃるのが、法相宗薬師寺の「修二会 薬師悔過法要」、通称「花会式」。この悔過作法(けかさほう)とは、8世紀半ば頃に成立した古い法要形式で、奈良時代から継続する南都諸宗や天台宗・真言宗の寺で行なわれていて、その代表的なものに華厳宗総本山東大寺の修二会(しゅにえ)[通称「お水取り」]があります。これは十一面(観音)悔過です。旧暦二月に薬師寺でも「修二会」が行なわれていることは知っていましたが、ここ数年東大寺の修二会には通いながら、わたしは、薬師寺の修二会を聴聞するのは今回が初めてでした。(「修二会」と「悔過会」については、佐藤道子さんの著書『東大寺 お水取り』(朝日選書)に詳しく書かれています)

f:id:japojp:20120404181926j:image:left:w200奈良聲明については、以前CDで耳にしたことはありました。1996年に黛敏郎さんの「涅槃交響曲」のCDが岩城宏之さんの指揮でコロムビアから新録音で制作された際、プロデューサーの川口義晴さんが聲明とのカップリングを希望されて、そのとき黛さんが選んだのが奈良聲明、すなわち薬師寺の聲明でした(これ以外にも、1977年に、ソニーからLP6枚組『薬師寺の四季 奈良法相宗声明』が出ていました)。黛さんは同CD解説書のなかで、奈良聲明について、次のように記しています。


「他の宗派の聲明にくらべて、非常に荒削り、ある場合には殆ど粗野でさえあり、自由豁達、エネルギッシュだ。体系化される以前の、原初的な、生ま生ましい息吹きが感じられ、平安以後、ことに鎌倉期に入ってから輩出した諸派の、いわゆる抹香くさい仏教性とは全く異質な、大陸的というか西域的というか、とにかく大陸渡来の文化がまだ日本化される前の混然としていた状態、つまり奈良時代そのものが反映されているのだ。こうした奈良聲明の魅力に触れた私は、仏教そのものに対する概念すらも、改めずにはいられぬ強い衝撃を受けたものだった。」


薬師寺の花会式は毎年3月31日から始まり、4月5日まで。何曜日であろうとこの日程です。最後の4月5日の夜8時半には「鬼追い式」という儀式が行なわれます。松明を振り回す荒々しいものです。今回は週末の土日が31日、1日という日程だったので「鬼追い式」は観ることができませんでした。残念。

奈良へ向かう途中、京都で大野松雄さんとお昼をご一緒したのですが、大野さんは二十代の頃、この薬師寺の花会式を観に、東京からとんぼ返りの旅行をしたことがあり、そのとき「鬼追い式」もご覧になっているとのこと。毘沙門天が静止しているのに鬼がのたうちまわる対比的な情景を克明に説明して下さいました。さらに大野さんは、当時から歴史書や奈良関連の本も読んでいて(大野さんの関心領域は本当に広くて深い!)、東大寺大仏殿の鴟尾(しび)が夕陽を浴びてキラっと光る、その瞬間だけを観るために奈良へ足を運んだこともあったそうです。大野松雄さんと奈良との関係でいえば、松川八洲雄さんのドキュメンタリー映画『飛鳥を造る』や、入江泰吉さんの写真で構成されたビデオ・ディスク『大和路』に触れないわけにはいかないのですが、それはまた別の機会に。

さて、悔過作法は、一日6回の法要が繰り返されます。薬師寺の修二会では午前3時が後夜(ごや)、午前4時半頃が晨朝(じんじょう)、午後1時が日中(にっちゅう)、午後2時半頃が日没(にちもつ)、午後7時が初夜(しょや)、午後8時半頃が半夜(はんや)。後夜と晨朝、日中と日没、初夜と半夜は続けて行なわれます。今回、この内、初夜と半夜の聴聞に参りました。

f:id:japojp:20120404181912j:image:right:w170夕方6時過ぎに、與楽門(よらくもん)の前に聴聞を希望する人たちが集まってきます。わたしが着いたのは6時15分くらい。午後6時半に門を開けて中に入れてくれます。50人程度だったかと思います。そしてその後、金堂のなかで体験したことは、どうにも上手く言葉にできないのですが、日常でありながら同時に異次元にも触れているという、じつに不思議な一体感と安らぎに満ちたもので、修験道の孤絶や神道の厳粛をより多く感じさせる東大寺の修二会とは趣が異なるものでした。

3月最後の一日だというのに、夜はしんしんと冷えて、半夜の法要後、金堂の外に出ると西塔の上に月が出ていました。

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花会式の期間中は、日中も連日さまざまな奉納行事が執り行われています(また、野点や法話なども)。翌4月1日は、午後1時から稚児行列献華(草月流家元 勅使河原茜宗匠)、舞楽(南都楽所、楽頭は、つい先頃、日本藝術院賞を受賞された笠置侃一[かさぎ かんいち]師 )の奉納があるというので、さっそく再び薬師寺へ。冬を思わせる肌寒さのなか、稚児行列の後、次第に強い雨が落ちてきて、献華は金堂の中で行なわれました。これは舞楽は中止だろうかと思ったとき、雲間から強い陽が射して舞台の水たまりがさっと消えました。

最初は「振鉾(えんぶ)」。

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次は「迦陵頻(かりょうびん)」。鳥の翼をつけた衣裳の舞童二人が銅拍子を打って舞う。

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最後は「蘭陵王(らんりょうおう)」。戦のときに、王があまりの美貌のため兵士の意気が上がらず、仮面を被って闘いに臨んだという逸話にちなむ作品。黛敏郎さんが管弦楽曲「BUGAKU(舞楽)」の第二楽章で「陵王乱序」を引用していることもあり、わたしにとっては雅楽のなかでも最も耳に馴染んだ曲のひとつ。

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薬師寺の金堂を目の前に見ながら、昭和51年4月1日の落慶の模様を記録したレコードのことを思い出していました。『薬師寺金堂落慶 落慶法要完全収録』(1976年、ミノルフォンレコード EC-3001〜2)。この落慶法要の司会を担当していたのが、信徒総代も務めた黛敏郎さんでした。収録内容は以下です。

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f:id:japojp:20120404181924j:image:right:w170薬師寺金堂落慶
司会:黛敏郎

<Disc 1>
Side A
落慶の鐘/咒師【しゅし】行進/舞楽「振鉾【えんぶ】」/御神火到着/大燈籠修祓【しゅばつ】/大燈籠御神火点燈/御鍵納めの儀/御扉開きの儀/昇神の儀(鴟尾解顕【しびかいけん】)
Side B
薬師悔過/舞楽「迦陵頻【かりょうびん】」/散華【さんげ】/開眼/献燈/納経/咒願文【しゅがんぶん】

<Disc 2>
Side A
悔過/供茶/献華/大懺悔/般若心経読誦/カンタータ般若心経<作曲・黛敏郎>/称名号
Side B
慶讃文/祝辞/感謝状贈呈/管主【かんす】法話・謝辞


自宅に戻ってからこのレコードを久し振りに聴いたところ、驚くべきことが起こりました。錯覚とか幻想といえば、そうなのでしょうが・・・、わたしは、レコードを聴きながら、その落慶法要の5千人の観衆のひとりになっていたのです。目の前で高田好胤管長が初めて金堂に入る姿を「幻視」し、風のにおいと光のうつろいを感じていました。昨日まで薬師寺のその場所にいたわけで、その場所の気配がまだ残っていたところに当時の「音」が押し寄せて、その「音」の周囲にある気配が生き生きとこの場に甦ってしまったようなのです。わたしの部屋が薬師寺になってしまった・・・。「音」の力は本当にすごいものがあります。

前掲の「涅槃交響曲」にカップリング収録された「薬師悔過」は、連行衆(れんぎょうしゅう)の声の高さがいい按配にばらけていて、偶然に生まれる複雑な不協和音が作り出すハーモニーが、不協和ゆえの美しさを醸しだしていましたが、今回、聴聞に行ったときはユニゾンの趣が勝ったものでした。お経は「歌う」とはいわず、「上げる」といいます。また、唄(ばい)という曲では特に、「唄をひく」という言い方をしますが、これはもともと「唄」の字義が「貝」に通じることから、「法螺貝」を吹く響きを模していたことに因むという説もあるようです。聲明の譜面は博士(はかせ)といいますが、古くは「博」をフ、「士」をシと読んで、「フシ」と称しており、今でもフシという言い方をする宗派もあるようです。博士には二種類あって、目安博士(めやすはかせ)と古博士(こはかせ)といいますが、どちらも西洋音楽的な正確な音高と持続は記されていません。音域は各自の声に応じて、あるいは師伝によって決められるもので、そのときどきで、複数の声の高さも長さも揃ったり揃わなかったりします。

f:id:japojp:20120404181925j:image:right:w170黛さんや高田好胤さんは、音の高さや長さがきれいに揃った聲明やお経をあまり好まれていなかったようです。それは、以前テレビ番組「題名のない音楽会」に高田好胤さんをゲストに招いて、客席の観衆と一緒にオーケストラの伴奏で般若心経を歌う番組を収録したこのレコード『般若心経・観音経|高田好胤<読経>/黛敏郎<音楽>』(ワーナー、L-10001W 未CD化)を聴くと、わかります。黛さんは、皆の音程が揃ってしまうのをしきりに残念がっていました(「涅槃」の第二楽章の最初の部分では、男声合唱が12声部に分かれ、それぞれ異なる12の半音全部を歌います)。

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前掲のCD「涅槃交響曲」とのカップリングの薬師悔過は黛さんも立ち会っての録音でしたから、おそらく、「揃わないで下さいね」とお願いしたりしたんじゃないかと。その見事な成果は、ぜひCDを購入してお聴き下さい。今なら再発盤が廉価で入手可能です。

f:id:japojp:20101215231645j:image:left:w200当財団から発行しているCD『お水取り 東大寺修二会(実況録音)』も、わたしが感じるその一番の魅力は連行衆の声の高さや質が揃っていないところです。不揃いであることで逆にそれが豊かさに変じることもあるのが日本の音感覚の不思議なところではないかと思います。(今年のお水取りは厳しい寒さのせいか、例年感じる震えるような迫力がなく、五体投地も膝で軽く打つだけのものでしたが、このCDを聴くと、音だけなのに大変な迫力で金縛りに遇う様な心地になります)



f:id:japojp:20120404181915j:image:left:w160それと、今回、奈良の町を歩いていて、商店街の店先の壁に貼ってあるチラシが目に留まりました。歌人・前登志夫さんの全歌集のチラシ。中学生の頃、「涅槃交響曲」に導かれるようにして仏教や奈良に関心を寄せ、前登志夫さんの歌集をよく分かりもしないのに読んでいたのでしたが、何十年ぶりかで再会。・・・人生は出会いの連続です。まったく驚くばかりです。

本当は聲明の話をもっと書きたかったのですが、またいずれ。

(堀内)