じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

有吉佐和子の「断弦」

有吉佐和子の小説「断弦」が、先月文春文庫の新刊で出ていました。オビに「地唄の世界を舞台に描かれる芸の継承、父娘の確執――」とあったので、迷わず手にとりました。

この人の代表作「地唄」はずいぶん前に読んだことがあるのですが、ほかにこんな作品もあったのか、と思いながら先にあとがきを読んでみて、「断弦」は「地唄」を一つの章として含む五章からなる長編小説であることがわかりました。

「断弦」 目次

 第一章 盲目
 第二章 地唄
 第三章 大検校
 第四章 箏
 第五章 断弦

少しややこしいのですが、どの章も独立した短編小説として書かれていて、第二章だけが「地唄」という作品として先に発表されたということです。
地唄」はこれが世に出た昭和30年頃が舞台で、大検校と呼ばれていた盲目の箏・三味線の大家とその娘をめぐる、ある1週間を切り取った秀作です。「断弦」ではその前後のエピソードを続けて読むことになるのですが、けっして「地唄」の強烈な印象が薄れることはなく、どれも読み応えがありました。
伝統を守ることに執念を燃やす老大家ですが、後継者として薫陶した娘も有望な弟子も、新しい世界を求めて去っていきます。苦労して師匠から受け継いだたくさんの曲を、頑なにだれにも渡さず(教えず)墓場までもっていこうと一度は決意した大検校が、最後に決断した選択は驚くべきものでした・・・。
作中で、将来を嘱望されながら大検校のもとを離れた弟子が、こんなふうに言う一節があります。(菊沢先生=大検校です)
「菊沢先生の芸は尊敬します。が、僕ははっきり、否定するのですよ。否定しなければいけないのです。でなければ、先へ進めない。伝統を踏まえて前進するというのは、口で言えば尤もだが、実行困難ですね。むしろ、今僕のやっていることを否定して前進する世代は、感覚的に菊沢先生に繋がり得るかもしれない」
それに対して若い登場人物は、「愛しつつ抵抗する。反逆しつつ愛する。伝統――それは芸の伝統ばかりでなく、人間が世々を経て生きるということだ――を、生きているまま継承する正しい方法は、これなのだ」 と共感します。
今日でも伝統を守ること、発展させることの難しさについてはいろいろな考えがあり、さまざまな試みもなされていますが、「断弦」の舞台である戦後10年の頃の日本では、そのことがもっと極端な形で現れ、携わる人たちも揺さぶられていたに違いありません。
有吉佐和子は、当時の地唄界にはこの検校のモデルにふさわしい名人がいたが、とくに近く接したことはないと言っていますが、小説が出てから「この娘は私のことです」と名乗り出た方がいて驚かされたそうです。それほど、当時の若い演奏家の切実な気持ちをよく表現していたともいえるでしょう。

老大家が守ってきたものを踏み越えて新しい世界を拓く世代があり、その次にまた、もとの良さに回帰する世代が現れるかもしれないという有吉の予言は、世代が一回りした現代において、ある程度当たっているようにも思われますが、いかがでしょうか。

さて、ここからはネタバレになりますので、小説を楽しみたい方には読むことをおすすめしませんが・・・。

大検校の最後の決心とは、次のようなことでした。
「弟子に、人間に、愛想を尽かして、伝える気を失っていた古曲三千を、正確な記憶力を持つ機械を相手に、今、大検校は彼の芸と技のあるだけを披瀝しようとしているのだった」。「死後、そのテープを手懸かりに、彼の芸を発展させる者が現れるかどうか――大検校は考えなかった」。
たしかに昭和30年代は、古い時代の修業を積んだ名人たちが、かなりの数の録音を残した時代でもありました。その音の財産をしっかりと受け止め、または受け継いでいかなければならないと、そのことも予言されているように思いました。
「断弦」はこちらで立ち読みもできます。→文春文庫『断弦』有吉佐和子 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS

(Y)