japuriの日記

2007-09-13 究極の無責任辞任

かつて国会で偽メール問題が起こったとき民主党永田議員の釈明に対して、大口を開けて笑っていた、閣僚席に座る安倍官房長官の姿が映し出されていた。人を小ばかにしたようなその笑い方を見て私は気になった。この人は他人を見下していると。その人が総理大臣になった。就任当時の内閣支持率は74%以上あった。私は答弁のたびに過去野党言葉尻や失策を引き合いに出す安倍総理が何か気になっていた。そして選挙とき「私を取るのか小沢さんを取るのか選択の選挙です」この人には人の気持ちが分からないのだ。そう思った。人は自信を持つことは良いことだ。だが独りよがりの自信になっては良くない。周りは寄ってタカって潰しに来る。自信とはあくまでも胸に秘めたものでなくてはいけない。体から滲み出るものでなくては、人の気持ちを無視して、自信を口にしたとたん、周からソッポを向かれる。そういうものなのだ。生きていくうえで、また何か事を成すうえでの、そこが我慢のしどころなのだろう。それをわからなかった人が、今日臨時国会の代表質問が始まろうとしたまさにその直前に、辞意を表明した。前代未聞のことだ。諸外国からの失笑を買っている。こんな青臭い男に日本総理大臣一年間も任していたのか。日本とはそんなレベルの国だったのか。もうこれで日本の権威も地に落ちたのも同然だ。これから今日を境にして日本の国は乱れだろう。いやな予感がする。

機を見て、タイミングを知り、遅くもなく、早すぎることもなく、判断し、行動する。それが重要なのだ。判断は絶妙のタイミングでしなければならない。早すぎても駄目なのだ。今の時代は少しの時間でも状況は変化する。人の考えも変わってしまう。その瞬間は、その時しかないのだ。機を逃すことなく、また熟す前に動くことなく、行動しなければならない。

現代はやらなければならないことは限りなく膨大だ。すべてをやろうとしてもキリがないし、不可能だ。要はタイミングを外さないことだ。ピアノメトロールのように常にタイミングを計り続けることが重要となってくる。

安倍総理辞任の理由としては健康上の問題との話もある。確かに激務だ。たとえばもし仮に、私が総理大臣になったとしたら(そんなことは絶対にありえないが)一日に自分の時間を2時間、妻と過ごす時間を2時間、確保させてもらう。それが駄目ならば総理大臣になんかならない。

今でもそうだ。朝6時半に起きて7時半に家を出る。夜9時に帰宅。それから飯食って風呂に入ってテレビのニューズを見て12時に寝る。おまけに単身赴任ときている。どこに人間らしさを確保できる余裕があるのか? 私は現在、悪いが日中に2時間ほど自分の時間を確保させてもらっている。週末はすべて妻のため、子供たちのために使っている(それでも一緒にいる時間は2日間で12時間ほどだ)。それで何とか保っている。人間らしさを。

それさえも出来ていない人間が大勢いると思うが。そこまでして、そこまで自分を犠牲にして一体何を得ようとしているのか? 失うものが大きすぎる。「手にしたものはそれだけですか?」はたしてそれでいいのだろうか? ちょっとした梯子のかけ違いが崩壊を招く。

こうやってひとり深夜に集中して執筆していると、頭が冴えてくるのが分かる。頭が冴えてくると眠たくなくなってくる。軽い興奮状態にあるからだ。アルファー波の脳波の状態なのであろう。頭は冴えて心は落ち着いている。集中している証拠だ。この集中を一日に2時間は確保しなければ、心が騒ぎ出す。暴れだすのだ。落ち着かなくなってくる。これでいいのかと思ってしまう。不安になる。不安定になる。精神に異常をきたす。焦り、動機、息切れ、胸騒ぎ、うつ病、など。体調不良を起こす。そしてそのうち本当に病気になってしまうのだ。

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