2012-05-20 広島市での女性キャラバン
広島での女性キャラバンはとても街全体があたたかく、気持ちよく宣伝させていただきました。
私は「消費税増税に頼らなくても社会保障や財政をたてなおす道がある」というテーマで約10分間、4か所で宣伝させていただきました。
マツダスタジアム周辺では最初、日常から離れてカープのユニフォームを着て、メガホンを持参されて観戦に来られているみなさんを「現実に引き戻す」ようで、申し訳なかったので、希望の持てる話しになるようにがんばりました。
バスの中から手を振ってくださったり、「消費税上げるな!がんばれ!」とかけ声をかけてくださったりで、救われました。
女性後援会のみなさん、お疲れさまでした。
5月20日、広島市での女性キャラバンは、市内8ヶ所での街頭演説に取り組み、宣伝カーに乗った人、演説箇所に参加した人、あわせて60人が参加しました。
行政区の女性後援会がお誘いして、それぞれの演説箇所に参加した人は、多いところで13人、小選挙区候補者とともに自分たちの思いを話しました。
Oさんは、働いていた会社が倒産したこと、高齢者は消費税が生活を直撃していること、子どもの貧困問題などを語りました。
大西1区候補が「提言のリーフをお読み下さい」と訴えると、駐車場の車の中から男性が出てきて受け取っていくなど、反応がありました。
中年の男性が「あんたとこのホームページはどれや。わしらが投稿したら読む人はおるんか」とはなしかけてきました。
日本ハムとの対戦となる広島市民球場周辺では、観戦に行く人がぞろぞろと歩くなか、ゆっくりと宣伝カーを流すと、手を振る人が多く、大西候補は「いままでの4回の立候補のなかで一番反応がいい」と感想をのべていました。
http://blog.goo.ne.jp/jcp-josei/e/ee0fa79ccf5ef601651db4246f998599
2012-05-15 衆院広島1区予定候補としての会見をおこないました
「消費税大増税ストップ! 社会保障充実、財政危機打開の提言」ダイジェストパンフレットができました!
「消費税増税は困る。でも国の財政も、社会保障もたいへんになるのでは」と心配の方もいらっしゃるでしょう。
どうしたらいいのでしょうか。
これが「消費税大増税ストップ! 社会保障充実、財政危機打開の提言」ダイジェストパンフレットです!
消費税増税に頼らずに、2つの改革を同時並行でおこない、財政危機から抜け出す「提言」です。
●地域での学習会や討論会で活用していただければと思います。
●ご希望があれば説明にうかがいます。
●パンフレットをご希望の方は、最寄の事務所までお問い合わせください。
●100部単位での対応もさせていただきます。
なお、こちらから「提言」全文、ダイジェスト両方がダウンロードできます。
http://www.jcp.or.jp/web_policy/2012/02/post-141.html
以下は「提言」を説明するときの演説(例)です。日本共産党の政策宣伝を想定して作成しました。
実際にはこのとおりしゃべりませんが、伝えたいことは以下の通りです。
ご町内のみなさんこんにちは。日本共産党です。
今、国会で「消費税増税と社会保障の『一体改革』」が審議されています。消費税増税法案は2014年4月に8%、2015年10月に10%へと消費税を大幅アップさせ、年金、医療、介護、保育などの社会保障制度を大改悪するものです。総額20兆円の負担を国民にかぶせる法案です。
日本共産党はこれらの法案に反対です。
15年前、1997年に消費税を3%から5%に上げた時、みなさんのくらしも、日本の経済もたいへん悪くなりました。消費税を上げることで、消費が冷え込み、景気が一気に悪くなったからです。そして国の税収も大きく落ち込みました。消費税を上げたら国民生活も国の財政も悪くなったのです。
「消費税増税は困る。でも国の財政も、社会保障もたいへんになるのでは」と心配の方もいらっしゃるでしょう。では、どうしたらいいのでしょうか。
日本共産党は、消費税の増税に頼らずに、みなさんのくらしを守り、国の財政をたてなおす抜本的なプランを発表しました。
そのポイントは、2つの改革を同時並行でおこない、財政危機から抜け出すということです。
第一に、「能力に応じた負担」で社会保障をよくする改革です。
社会保障をよくすることは、もう“待ったなし”です。そのためには、「応能負担」、能力に応じて負担する税制へと大改革をおこなうことが必要です。年収が1億円をこえるような富裕層や、巨大な経済力を持つ大企業ばかりが優遇されているいまの税金のあり方はまちがっています。
将来負担がなくなり、消費がふえる。保育所や特養ホームなど、地域に仕事が生まれる。社会保障をよくすれば経済にもプラスの効果がひろがります。
第一の改革と同時並行で、国民の所得をふやして日本経済をたてなおす改革をおこないます。
国民の所得がへり、経済成長も止まったままでは、社会保障の財源づくりも、財政危機の打開もできません。経済が冷え込んでいるのは、国民が生み出した富が大企業の内部にためこまれ、“死に金”になっているからです。
私たちは、国民のくらしと権利をまもるルールをつくり、国民の所得をふやす経済改革をおこないます。そうすれば、大企業の260兆円もの内部留保を、日本経済を成長させるために使うことが可能になります。税収をふやし、社会保障の財源をつくることも、財政危機を打開する道をひらくこともできます。
こうして財政危機からぬけだすのが私たちのプランです。ここにリーフレットがありますので、ぜひおよみください。
みなさん、“諸費税頼み”の道では、くらしも、国の財政も悪くなるばかりです。ご一緒に力をあわせ、消費税10%をストップさせましょう。
消費税増税の動きの背景には、「消費税を上げて法人税を下げよ」という財界からの強い要求があります。日本共産党は企業・団体献金を受け取っていません。そして“財界中心の政治”から抜け出す立場を持っているから国民の立場で解決策を打ち出すことができます。来るべき総選挙で日本共産党は、すべての選挙区に候補者をたててたたかいます。どうかこの党を大きくしてください。
日本共産党の候補者活動を再開するにあたって
先週5月7日、次期衆院選、広島1区からの立候補を発表いたしました。どうぞよろしくお願いします。
国政選挙は4度目の挑戦です。
被爆地ヒロシマ、とくに爆心地「広島1区」で、反核・平和つらぬいた歴史を持つ政党・日本共産党候補として活動することは、本当に身の引き締まる思いです。
同時に「本物の日本改革」を党候補として国民に伝えることができるというよろこびもございます。
今度おこなわれる衆院選は、国政で問われている重大な政治課題にどうこたえるかが問われます。
私は、消費税増税と環太平洋連携協定(TPP)反対、震災復興と原発ゼロ、賃上げと安定した雇用の確保を掲げてがんばります。
被爆地ヒロシマの悲願、核兵器器廃絶をどう現実のものにするか、政府に核抑止力論の立場を放棄させるため力をつくします。
同時に、国民の閉塞感をうちやぶる道すじを有権者に伝えたい。“アメリカいいなり・財界中心”という日本政治の異常をおおもとから変える、新しい日本の姿をスケール大きく訴えたい。
国民の「閉塞感」は、古い自民党政治の延長線上の自民・民主や、公務員を攻撃し「ものが言えないよう」支配する「維新の会」では解決できません。“アメリカいいなり・財界中心”という「二つの害悪」を変える「本物の改革」でこそ国民の願いにこたえることができます。
「なんとかしたい」という思いに寄り添い、本物の日本改革の展望を伝え、それを現実のものにするために、みなさんと力をあわせて頑張りぬく決意です。
街角で見かけたら気軽に声をかけてくださいね。
2012年5月 大西オサム
2011-10-03 ボランティアの宿舎「千徳宿舎」公開!
ボランティアの宿舎「千徳宿舎」公開!
外観
宮古市千徳(せんとく)にある、新ボランティア宿舎の外観です。
立派なお屋敷です!協力者の方が貸していただくことになりました。
もともと養蚕をするためのお屋敷だそうです。
2階部分は使用していませんがとても広いです。
日当たり良好ですが、広島と比べると約1カ月分寒いです。
◆宮古市本日最高気温15℃、最低気温7℃
過去の宮古市10月の平均気温など
◆広島市本日最高気温22℃、最低気温15℃
過去の広島市10月の平均気温など
メインフロア
メインフロアは12畳。
なんと中央に囲炉裏があります!
付属器具がないのが残念ですが。
ちなみに囲炉裏の上、天井にはなにもぶらさがっていません。
宿泊部屋1
宿泊できる部屋は3室あります。
下は宿泊部屋1です。10畳あります。
宿泊部屋2
宿泊部屋2です。ここも10畳あります。
部屋の奥にはこんなスペースもあります。
●他にカギのかかるフローリングの6畳部屋が一つあります。
トイレ
トイレです。
くみとりですが、キレイです。
風呂
おフロです。追いだきができます。燃料は灯油です。
きれいだし、シャンプーもリンスもいろいろあります。
洗面、洗濯機
洗面所と洗濯機もあります。
キッチン
新しいキッチンです。
今日はたまたま煩雑になっていますが、調味料などもあります。
冷蔵庫です。今はごちゃごちゃ入っていますが、すぐになくなります。
他に、トースターや炊飯器(3合炊き)はありますが、レンジはありません。
支援物資管理部屋
支援物資管理部屋(宿泊部屋と同型)です。
支援物資でいっぱいですが、みんなで整理・仕分けしています。
昨日は江戸川からトラックで支援物資が運び込まれてきました。
宿舎利用の注意事項
(1)利用する際はまずご近所にあいさつをしましょう。
(2)ゴミ・資源の分別は宮古市はかなり厳しいです。よく研究して、出せないものは持ち帰りましょう。
●宮古市のゴミ・資源の出し方
http://www.city.miyako.iwate.jp/cb/hpc/Article-1341-6648.html
(3)物を増やさない。――「これからのボランティアが使うだろうから」と、物を置いて帰る人がいます。宿舎に物が増えないようにしましょう。
以上です。
2011-09-30 広島県中部地区男性5人組と島根県江津市の多田伸治市議
「無料青空市と講釈イベント『三波春夫外伝』」大成功!
広島県中部地区男性5人組と島根県江津市の多田伸治市議の6人は29日、宮古市内の愛宕仮設住宅(41世帯)を訪問し、要求を聞きながら「無料青空市と講釈イベント『三波春夫外伝』」にとりくみました。
愛宕地域は宮古市役所のすぐ近くです。「命からがら助かった人も多い」(年配の男性)といいます。
青空市ではお米はすぐになくなり、山ほどあった冬物服は1時間足らずでなくなりました。また、仮設住宅の女性数人が、私たちボランティアと一緒に服を箱から出したり並べたり、梱包する作業を手伝ってくれる場面もありました。
講釈師・緩急車雲助さんの口演は仮設被災者20人が参加(ボランティア除く)。約1時間にわたって『三波春夫外伝』を披露しました。
開催時間が大幅に遅れたので、最初は「どうなるか」と心配でしたが、大成功でした!
2011-09-23 山口県から第二陣目
山口県からのボランティア5人組第二陣!
昨夜9時ごろ、山口県から第二陣のボランティア5人組(西岡広伸団長)が宮古入りしました。
午前中は持参された物資の整理とオリエンテーション。そして田老の街を案内しました。
昼、事務所に戻り、5人で食事。
午後は高浜仮設住宅下のU字排水溝の汚泥除去作業です。
「ゆあんご」
地元の男性から届けられたこの実。
炊き出しボランティアの奥さんに聞くと「ゆあんご」とのこと。
「『ゆあご』っすか?」「いんやあ〜、ゆ・あ・ん・ご!」
そんなやりとりを繰り返しているうちに「これでかんぴょうをつくる」で「ゆうがお」の実だとわかりました。
シーズンは夏なので、もうシーズンは過ぎているのですが、これでも小さいほうだといいます。
歯ごたえがシャキシャキしていて、味噌汁に入れるなど万能野菜として重宝されているそうです。
2011-09-22 高浜地域・仮設住宅下の道路側溝さらい
2011-09-21 宮古地区へ再び来た!
再び岩手県入り「寒っ!」
再び9月20日から10月初旬までの約2週間、日本共産党宮古地区ボランティアセンターの活動に参加することになりました。
盛岡に降り立ったのは9月19日。
私の第一声は「寒っ!」でした。広島とは全然違う寒さ。ジャージ上下持参してよかった!
数日前の新聞記事「『寒っ』『すごっ』数年で急速に広がる 国語世論調査」を思い出し、ニガ笑いです。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY201109150494.html
20日午前に宮古地区委員会着。
田中委員長、落合副委員長、里木勤務員らと再会をよろこびあいました。
4か月ぶりなのですが、別れたのはずっと昔のよう。
「避難所」から今は「仮設住宅」へ。
前回、5月に来た時と大きく違う点は、避難所にいた被災者は、8月末で避難所はなくなり、仮設住宅に移っていたという点です。
ブログでは5月に来た時との違いや支援活動の課題、そして現地の生の声、日本共産党議員や支部、党ボランティアセンターの活躍などについて紹介していきます。
宮古市消防団へ義援金届け懇談
20日、田中地区委員長と私、鳥取の富谷さんで党中央委員会から託された義援金を宮古市消防団に届け懇談しました。
山下修治消防団長と副団長ら5人が応対。
冒頭、田中党宮古地区委員長が「消防団員のみなさんは、震災が起こると同時に命がけで津波が来る方向に向かい住民を避難誘導されました。心から敬意を表します。」とあいさつし、党中央委員会からの義援金の目録を山下団長に手渡しました。
山下団長は「全国の皆さんから共産党に義援金が寄せられたと聞いています。本当にお礼申し上げます」と前置きし、震災直後の団員の活動を紹介してくださり、「災害時活動手当て」改善を要望されました。
震災の救援活動で団員17人が犠牲になったそうです。そのことを私たちは忘れてはなりません。
山口からのボランティア青年の「ジャグリング」、仮設住宅集会所で大盛況!!
いやあ、ホッとしました。
山口県から「肉体労働がしたい」と21時間かけて5人が来るも、台風―豪雨で、作業ができない!
そこで、急きょボランティアの青年が仮設住宅で「ジャグリング」を披露しようということに。
急ごしらえでビラを作成し、あたご公園仮設住宅に訪問配布。
参加を渋っていたこの男性も来てくれ、「ジャグリング」のつどいは大盛況。ホッとしました。
2011-06-02 広島にもどって
日本共産党岩手県宮古地区ボランティアセンターの活動に参加して(まとめ)
私は5月16日から29日の2週間、日本共産党宮古地区ボランティアセンターの活動に参加してきました。
日々の活動についてはその期間のブログをご覧ください。
2週間過ごした街、宮古
広島に戻ってyoutubeで「宮古 津波」で検索し、東北地方を襲った津波の映像を何度も見ました。
現地のみなさんや応援のボランティアのみなさんと日々往来した景色、短期間ですが私が愛した街が津波に呑まれる姿を見ると胸が押しつぶされそうになります。正直、現地で時間を過ごし、震災の受け止めがかわりました。
宮古市は甚大な津波被害が起こったところで、二重堤防で有名な「田老町」や今回の震災で最大の津波(37.9メートル)があった田老小堀内地区を抱える地域です。
私が過ごした2週間は避難生活者が「避難所」から「仮設住宅」への移行期でした。しかしなお、家族を捜す方もいらっしゃいました。
避難所で年配のお母さんに「日本共産党のボランティアです。お困りごとはありませんか」とたずねると「毎日おいしくご飯をいただいております」といった返事。でもよく聞いてみると「塩おにぎり」しかもらっていなかったということがありました。東北人の気質なのでしょうか。
「先の見通しが持てない」といった状況は極めて深刻です。
宮古市は漁業の町、漁師町です。駅前には古いスナックの通りがあり、宮古駅前には大漁旗がたくさんはためいています。「宮古ラーメン」は魚介スープ。そんな宮古でほとんどの漁港とほとんどの漁業船を失い、漁業者は生産手段を失ってしまった。ラーメン店の店主は「一見、ラーメン屋は繁盛しているように見えますが、宮古は漁師町ですから、漁師さんたちの先が見えないと、他の仕事をしている人もみんな先が見えないんですよ」と語られました。実感だなと思いました。
津波で一階部分が大きく損壊した旅館店主は昨年、脳梗塞で半身が不自由となり、奥さんはこの地震で骨折され「八方塞がり」「津波で死んだ方がマシだった」と嘆いてらっしゃいました。「国はやることが遅い。『復興』と口にするだけ。何も信じられない」と憤慨されていました。
震災から2カ月半たった今なお、先の見通しが持てず、「津波で死んだ方がマシだった」と言わせる今の政治。本当に怒りに震えました。
ボランティアはまだまだ足りない
ボランティア(人手)はまだまだ足りないと思います。
同じ避難所でも大きい避難所と小さい避難所では環境がかなり違います。数人単位の小さな避難所は仕切りもなく、調理人がいないため交代での調理を強いられている避難所もあります。
被災者の要求はいくらでもあります。
「津波で庭にヘドロが入って異臭がする。2人暮らしだが夫は寝たきりで『老々介護』の状態。ご近所にあわせる顔がない」と寄せられた要求に、中国地方からあつまった日本共産党の議員や支部のみなさんと一緒に泥だらけになってヘドロ除去の作業をしました。
そのような願いは震災から2カ月半経った今でも無数にあります。みなさんの暮らしを丁寧に聞く活動が必要だと思いました。
日本共産党の地方議員と支部は本当に献身的に奮闘されていました。それらに触れるたび、こみあげてくるものがありました。
山田町の佐藤忠義町議は津波でご自身が被災される中、16人を救出。その後も辛い遺体確認作業が続いたといいます。
現地の日本共産党支部のみなさんはこの2カ月半、地域の避難所の炊き出しや世話などに参加されてきました。昼夜分かたぬ救援活動で体調を壊された方も多かったことが、支部会議などで話し合われていました。「人間らしいくらしをとりもどす本当の復興を」「小さな避難所こそ困っている人たちが多い。」と、支部として避難所訪問することを決め取り組みを開始されていました。
他の団体と日本共産党が共催した「宮古復興まつり」で、住民の、特に子どもたちの笑顔と接することができたのは本当にうれしかった。
さいごに
東日本復興に向けてのとりくみはまだまだ続きます。私はこのような現地の生の状況を広島のみなさんに知っていただき、ボランティアの輪を広げていく決意です。これは先の広島市長選の公約と重なるものですが、私自身の生き方でもあります。
さらに、被爆地ヒロシマから、原発問題で日本政府が原発からの撤退を決断し、原発をゼロにする期限を決めたプログラムをつくることを求めていきます。
2011-05-28 宮古12日目
■
仁比そうへい前参院議員から激励の電話をいただきました!
昨夜、午後8時30分ごろ仁比そうへい前参院議員から激励の電話をいただきました!
仁比さんは来週、宮古入りする予定なのだそうです。
私はもう宮古にはおらず、現地で会えないのは残念ですが、
一同、お待ちしています!
ペンション日昇館
明日、早朝に帰路につきますので、いよいよ今日が実質的には最終日です。
にぎやかだった事務所も今日は「メンバー出入りの境目日」にあたるので、静かです。
ペンション日昇館を利用するにあたってのしおりをつくりました。
国道沿いの「旅館日昇館」とは違います。
今朝、津波被害で半壊した「旅館日昇館」のご主人とお話しした時、
「早く修復したい。政府は『復興』と言いながらスピートがない。旅館は水漏れと損傷がひどく、営業できない状態。台風も心配」とおしゃっていました。
宮古はラーメン激戦区―「たらふく」も営業開始
「宮古はラーメン激戦区なんですよ」と地区党のSさんから聞いていたので、この間、ウロウロしていました。たしかにたくさんラーメン店があります。
その中でも行列ができるお店が「たらふく」。
メニューは「中華そば500円」のみ。
あっさりした魚介スープに「コシがないけどうまい」ちぢれ麺。
昨夜伺った時にはお客さんから「やっぱりおいしいね。営業が再開して本当によかった」と声があがっていました。
営業時間は観光案内のパンフでは10:30〜20:00となっていますが、今は不定期なようです。
ワタシ的には星3つでした。
2011-05-27 宮古11日目
日本共産党岩泉町支部
日本共産党岩泉町支部の会議におじゃましました
午前は昨日に引き続き、鳥取の男性2人は玉砂利の清掃ボランティアをお願いしました。
私は岩泉町の日本共産党支部の集まりに、里木さんと一緒におじゃましました。
久しぶりの会議だったので、みなさん笑顔です。
近況報告のあと「ボランティアの力も借りて、仮設住宅に要求を聞きに行こう」「ワゴンセールをしよう」などのアイデアが出され、具体化することにしました。
田老町に立ち寄りました
岩泉からの帰り道は否が応でも田老の被災地域を通ることになります。
私がこれまで入ったことのない地域に案内していただきました。
今回の津波は過去の津波の高さを示す標識をはるかに超えていることがわかります。
写ってるのは里木さん。
街灯がねじりきられたような痕がありました。
振り向くと、今日は穏やかな海です。地元漁民ががれき撤去の作業をされていました。
日本共産党ボランティアユニフォームが届きました!
昨日から使用していますが、日本共産党ボランティアユニフォームが届きました!
青でメッシュ地。ノースリーブで評判です。
カモメのマークは背中側です。
2011-05-26 宮古10日目!
「地震があったら高い所に逃げること」
津波警告の石碑――藤原地区
昨日は山口県と鳥取県のみなさんと交流会があり、ペンション日昇館に車を置いて徒歩で帰宅しました。
早朝、車を歩いてとりに行く途中、津波の警告をする石碑を見つけました。
「昭和八年 大地震のあと、津波が来る。地震があったら高い所に逃げること」と書いてありました。
玉砂利の清掃―宮古市津軽石で
「玉砂利が泥をかぶり、異臭がする。近所迷惑だけど、夫も脳梗塞で動けないので助けてほしい」とSOSがあり、午前は山口県のみなさん、午後は鳥取のみなさんが出動しました。玉砂利をザルに入れて水道水で洗う作業です。
奥さんは津波当日は着の身着のまま友人の家で過ごされたそうです。
「本当に助かりました。涙が出そうです。ありがとうございました」と話されていました。
実は、私は長靴と作業着を持ってきませんでしたので、この有様です。
ボランティア参加者は必ず持参しましょう。
ゴム手袋も有効です。
2011-05-25 宮古9日目(?)
出入りが激しくなりました
ボランティア情報
「災害派遣等従事車両証明書」
鳥取県委員会から3人が合流!
鳥取県から金田さん(ボランティア責任者)、市谷書記長、岡田民青県委員長が、昨日午後21時30分ごろに地区委員会に到着されました。
岡田さんのえんじ色のユニフォーム(つなぎ)は「2000円くらいでしたよ」とのこと。ヤル気が伝わってきます!
今日のボランティア
午前は昨日に続いて閉伊川河川敷公園の整備、鳥取から持参した物資配給に手分けをして取り組みました。
ヘドロで覆われていた通路が、通れるようになりました。
感動です!31歳女性が入党!
昨夜、広島から参加した31歳の女性が日本共産党への入党を決意されました。
近松、中原市議、藤井前市議らのよびかけにこたえたものです。
夕方、支援物資を仮設住宅で配布しました。
夕方、田中地区委員長、落合副委員長と私で西が丘仮設住宅で支援物資を配布しました。
落合副委員長が肉声で(マイクの銚子が悪かった)「鳥取県から送られてきたキャベツですよ〜」と訴えると子どもたちがニコニコしながら寄ってきました。
30代の女性は「野菜はどうしても不足するので本当に助かります。ありがとうざいました」とキャベツと玉ねぎを脇に抱えて帰りました。
中国ブロックからのオルグ、後任の有元さんが到着!
有元さん(岡山県在住)が後任として来られました。
「長期になる予定です。終了日はまだ決めていません」とのこと。
頼もしいです!
2011-05-24 宮古8日目
閉伊川河川敷公園の整備
朝のうちあわせ
今日もにぎやかに朝の打ち合わせがおこなわれました。
宮古地区では毎朝9時に事務所に集合し、一日の動きを打ち合わせています。
今日は鳥取から3人のボランティアが来られる予定です。
閉伊川河川敷公園の整備
宮古市民の憩いの場、閉伊川河川敷公園の整備をおこないました。
海のヘドロが通路にたまっています。
今朝の小雨で少し地面が柔らいので、掘るのは簡単ですが、運ぶのはたいへん。
地元の2人を含め、13人での作業でしたが、午前中だけで土嚢300袋が無くなってしまいました。
昼食は炊き出しをしていただきました。
今日はボランティアが多いので日本共産党の女性のみなさんが炊き出しをしていただきました。
会議室は宮古復興まつりの物資でいっぱいだったのですが、まつりで物資が一気に無くなったので本来の姿をとりもどし、みなさんに利用して頂きました。
2011-05-23 宮古7日目
今週のボランティアが続々到着!
広島県・中部地区奥田地区委員長(呉市議)
昨夜到着されました!2日間の予定です。
鳥取県委員会から、ほうれんそう、キャベツ、水など到着!
さっそく夕方みんなで愛宕公園避難所にもっていき、配布しました。
「鳥取県からたった今到着したキャベツなどで〜す!今しゃべってるのは市会議員の落合で〜す!広島、山口から支援に来ていま〜す!」と訴えると行列でした。57人が受け取りました。
赤旗、手引もいっしょに手渡しました。
年配の男性は「遠くからわざわざきていただいて。帰りも気をつけてほしいです。本当にありがたいです」と話していました。
次は「葉物」以外をお願いします!
昼、山口県委員会から4人が到着!
藤本書記長、桧垣、斉藤元市議、21時間かけて到着!
疲れをみせず、すぐに田老に行き、
夕方の活動に参加されました。
米も持ってこられました
夜、広島の5人組が釜石から到着!
そして!Sさん(看護師)が宮古地区へ合流!
2011-05-22 宮古6日目
みやこ復興まつり、党ボランティアセンターなど
日本共産党宮古地区ボランティア情報(5月22日)
●これから宮古地区へボランティアに来る予定の人
【5月】
★22日〜25日 広島県から1人
★23日〜26日 山口県から4人
★23日〜27日 鳥取県から3人
●現地に送ってほしいもの(今日現在)
※地区委員会で話し合ったもの。刻々変化します。時々更新します。
★ジャージ(「供給物資」の対象になっておらず、要望が多い。新品を。)
★食器類(避難所から仮設住宅へ移行が進む中で要望が多い)
★電気がま(1〜2人用)(支給される電気がまは一升炊きで、狭い仮設には不向きで要望が多い)
★かんきつ類(要望が多い。店で買うと高い。ジュースもOK)
●現地での作業 市や町村と調整中のもの(今日現在)
★がれき撤去作業
★側溝の掃除
★避難所、仮設住宅の要求を聞く活動
みやこ復興まつり開催し、大成功!
今日は早朝7時から大忙し。
みやこ復興まつりです。
用意した支援物資は、地区委員会の会議室いっぱい。
トラック2台分、他の車からも持って行きましたから、相当ありましたが、その全てが1時間でなくなりました。
10時開会前にすでに長蛇の列!
大雨でズブ濡れになりながら物資を並べました。
あいさつする田中地区委員長。
開会の10時ごろからは小雨になり、雨もやみました。
若者から復興を願ってのうたも。
終了後、空いた会議室でごくろうさん会でした。
お疲れさまでした!
日本共産党宮古地区ボランティアセンター(宿泊所)決まる!――ペンション「日昇館」
日本共産党宮古地区に来られるボランティアのための宿泊所が決まりました!
「ペンション日昇館」です!
ペンション日昇館
電話0193-62-8331
きれいで明るいところですが、今回の津波で被害を受けられました。
1階の和室はまだ畳も入っていません。
党ボランティアとしてお借りしたのは11号室と12号室。6畳と8畳の部屋です。
ご夫婦の居住部屋と同じ階なので、配慮しながらの利用となりますが、お会いした奥さんはとても気さくな方でした。
道路側の明るいお部屋を借していただきました。
●駐車場はありますので、お問い合わせください。
●買い物、食料
100メートルほどのところにスーパー「ファル」があります。
午前10時から午後10時まで営業です。
本や弁当、食材など、「巨大なコンビニ」といった印象です。
ただし、周辺にはコンビニはありません。
JR山田線・磯鶏駅のすぐ近くですが、今は宮古―山田間は不通になっていますので、JRは使えません。
ボランティアに来られる方は
宮古地区委員会とペンション日昇館はナビ登録しておきましょう。
2011-05-21 宮古5日目
田野畑村で被災した男性が入党!
日本共産党宮古地区ボランティア情報
●これからボランティアに来る予定の人
【5月】
★22日〜25日 広島県から1人
★23日〜26日 山口県から4人
★23日〜27日 鳥取県から3人
●現地に送ってほしいもの
※地区委員会で話し合ったもの。刻々変化します。時々更新します。
★ジャージ(「供給物資」の対象になっておらず、要望が多い。新品を。)
★食器類(避難所から仮設住宅へ移行が進む中で要望が多い)
★電気がま(1〜2人用)(支給される電気がまは一升炊きで、狭い仮設には不向きで要望が多い)
★かんきつ類(要望が多い。店で買うと高い。ジュースもOK)
支援物資を送る場合は宅急便でもOKです。
送り先は
〒027-0052宮古市宮町4-6-49
埼玉県西南地区のみなさん、ありがとうございました!
埼玉県委員会の辻さんいわく「まん中でピースをしているのが私で、その横でメガネをかけているのがNEWSの小山くん」だそうです。
昨日、田老の避難所「グリンピア」で遭遇したそうです。
一週間、おつかれさまでした!
さながら「つどい」のようになりました――自然大学校避難所
4世帯いらっしゃいました。お一人からお話しを聞く予定でしたが、「村議が来た」ということで全ての世帯の方からお話しを聞くことができました。
「食事がマンネリだったが最近は改善されてきた。パンが来たときはうれしかった。最近は納豆も来るようになった」
「仮設入居時期の連絡がなく、入居できても電化製品がいつ来るかわからないので不安」
「調理は朝、昼は輪番制で調理している」
などの声があり、改善に向け取り組む約束をしました。
津波をはねかえした防波堤――普代村水門
巨大でした。
(日経新聞記事から)
田野畑村で男性が日本共産党への入党を決意
「被災者の生活第一の復興、原発だのみのエネルギー政策を転換させたい」田野畑村で男性が日本共産党への入党を決意しました。田村田野畑村議と大西広島県委員会常任委員のよびかけにこたえたものです。
男性は今回の津波で船を流されました。「以前から日本共産党については田村村議をつうじて知っていました。少しでも政治がよくなるよう、がんばりたいと思っていました」と話していました。
私も感動して涙が溢れました。
2011-05-20 宮古4日目
田野畑村
宿舎前の堤防
私の宿舎が昨日宮古市藤原という地域内の宿舎に決まりました。
津波被害を受けた地域ですが、堤防は崩れずに残っています。
その堤防の高いこと!4メートルはゆうにあります。
写真は宿舎前から撮った堤防です。
広島在住の私の感覚で言えば、刑務所の塀のようです。
魚菜市場
早朝、宮古駅近くに「魚菜市場」に立ち寄ってみました。
野菜と魚の朝市がおこなわれ、被災の悲しみを吹き飛ばす活気がすでにありました。
午前6時から18時まで。水曜定休。
すき屋並盛250円ですが…
地区委員会事務所近くの牛丼チェーン店「すき屋」は東北支援で並盛を250円で販売されていました。
私は健康のため「納豆朝食セット」を食べるようにしています。
宮古地区への他県ボランティアで記念写真
別れをしのんで記念写真をとりました。
日本共産党宮古地区委員会 支援者ブログ集
党宮古地区の支援者ブログ集です。他にもあれば紹介して下さい。
●小出わたる埼玉県入間市議
※「帰ってからアップしますから」とのこと
http://www.jcp-iruma.jp/html/menu09/index.html
●すます伸子さん(岡山)
http://angel.ap.teacup.com/1004/
●石村智子さん(岡山)
http://blog.goo.ne.jp/ishitomo2010
●さとうあやこ昭島市議
http://ayapocky.blog.shinobi.jp/Entry/163/
http://d.hatena.ne.jp/jcposamu/
日本共産党田野畑支部会議に参加しました!
中村勝明村議が支部長をしている日本共産党田野畑支部会議に参加しました!
震災後初の支部会議です。
写真では明るい表情ですが、被害は深刻です。
中村議員の奥さんは「兄の家が流され、実家が半壊、姪宅が半壊。しばらく避難所に炊き出しに通いましたが体調をくずしました。80歳になる兄夫婦は今も体育館(避難所)でがんばっています」と話しました。
親を失った村の子どもたちの話もありました。
そんななか、全世帯配布した日本共産党中央委員会作成の「支援制度のしおり」NO.1NO.2は住民に大好評でした。
田野畑村は延期になった選挙も控えており、日本共産党公認の中村勝明村議は再選をめざしています。
支部では引き続き避難所、仮設住宅を訪問し住民の要求にこたえる活動を大切にすると同時に、党を大きくする活動にも正面からとりくむことを決めました。
田野畑の避難所「アズビィ体育館」
「アズビィ」って、意味わかります?
「田野畑弁で『集まり』のことを『あず(ぜ)び』と発音し、それを洋風にするために語尾を伸ばしたもの」(中村村議による)だそうです。
中村村議と一緒に私も「アズビィ体育館」に入りました。
昼間は仕事で主婦と幼児しかいませんでしたがお話を伺うことができました。
2カ月ですから、みなさん本当に疲れ切っています。イライラしないよう、小さな工夫をしながら生活されていました。
「とにかく情報がない。毛布の配布、就労支援など、必要な情報が来ない。人のうわさをお互いに頼っている状況。村は有線放送とペーパーでの情報の徹底をすべき」
「親戚を頼って在住している人はゴミをその地域から出せるのか」
「若い人はやり直しがきくが、60を超えた今、気力がわかない」
「体育館にずっと座っているのが不安。苦痛です」
などの声があり、中村村議が対応を約束しました。
なお、私にとって田野畑弁は特に聞き取りにくく、私に話して下さる時は私にもわかるように話して下さるので理解できるのですが、中村村議に話されている時は、半分くらいしかわかりません。
体育館を後にしながら中村村議に「何の話でしたか?」と聞いてしまう始末で、申し訳ありませんでした。
田野畑村羅賀トンネル付近の被害
トンネルは開通しているのですが中は真っくら
走るのが怖かった。
「ここから(ここまで)津波浸水想定区域」
田野畑に向かうため国道45号線を走っていると、あちこちに「ここから(ここまで)津波浸水想定区域」という看板を見かけます。特に旧田老町には数多く看板があります。
しかし、その「津波浸水想定区域」内に数多くの住宅が建設され、津波ではそのほとんどがなくなりました。
先日お話をうかがった崎尾宮古市議は「合併してから、サイレンや連絡が遅くなり、体制が薄くなったのは事実。くやしい」と唇をかみしめてらっしゃいました。
2011-05-19 宮古地区3日目
「力がでません…」(鍬が崎で)
鳥取県委員会からお米120キロが届きました!
鳥取県委員会からお米120キロ(30キロ×4箱)が届きました!
ありがとうございます。
支援物資で埋まっている会議室に置き、22日の「宮古復興まつり」などで活用されます。
「宮古復興まつり」のチラシ完成!
避難所の中で避難も
民商のOさんが自らの被災について語ってくれました。
しんぶん代金を持参されたOさん。
みずからの被災について話してくださいました。
宮古駅から東側はこんなにヒドく、高台にある避難所に指定されている体育館も浸水し、みんな2階に避難したそうです。
写真は3月11日、Oさんの近所の様子。
宮古地区委員会は4つの行政区でできています。
◆宮古市
http://www.city.miyako.iwate.jp/
◆山田町
http://www.pref.iwate.jp/list.rbz?nd=4267&ik=1&pnp=4263&pnp=4267
◆岩泉町
http://www.town.iwaizumi.iwate.jp/
◆田野畑村
http://www.vill.tanohata.iwate.jp/
です。
鍬ヶ崎地域の被災者宅を訪問しました。
鍬ヶ崎地域の被災者宅を訪問しました。
鍬ヶ崎地域は宮古市の海側、漁協などもある地域です。
使用できない家屋には「解体OK」と書かれています。
町のあちこちにこのような家屋があります。
愛着のある家屋にスプレーをする無念さが伝わってきます。
漁協もたいへんな被害でした。
個別地図に印をつけての訪問でしたが、だいぶ迷いました。
周辺の家も、道も無いからです。
私は10年来、「しんぶん赤旗」の配達・集金の担当をしてきたので、地図を見ての家探しにはかなり自信があるほうなのですが、今回は携帯で現在地をGPS確認しながら、なんとか訪問先にたどり着きました。
訪問先のお宅は、40歳代のご夫婦です。
「肉親も亡くしました。先の見通しが持てません。土間に入り込んだ塩を抜くには何カ月もかかりそう。力がでない」と肩をおとされており、2カ月たった今でも台所は被災直後のままでした。
「ボランティアの力をかりて、台所用品の水洗いから、一歩一歩はじめましょうよ」と呼びかけました。
2011-05-18 旧田老(たろう)町
津波・震災さえなかったら…
ボランティアセンター(宿泊所)を探して
18日午前は、田中尚宮古地区委員長と、公民館をボランティアセンターとしてつかえるようにお願いすると同時に、公民館がどのような場所なのか見に行きました。
旧田老(たろう)町の崎尾誠宮古市議宅
夕方、宮古市に05年6月に合併した旧田老(たろう)町の崎尾誠宮古市議をたずねました。
ツナギを着ているのが崎尾市議です。
崎尾市議宅は下の地図を見てもわかるように、ほとんどの家が流された集落の中にあります。
車の整備・販売業をされており、津波当日は間一髪、裏山に逃げ込んで一命をとりとめました。
この写真の軽自動車も新車でした。
宮古市最大の避難所「グリンピア」
崎尾市議の案内で「グリンピア」という宮古市最大(現在約680人)の避難所に行きました。
世帯ごとに段ボールで仕切られた中で生活されています。
高さは約150センチ。
私(身長183センチ)から中が見えてしまうので、目のやり場に困り、遠慮しながらの訪問でした。
崎尾市議は対話しながら22日に予定している「宮古復興まつり」のチラシを配布。
「行ってみようべ」「となりの人にも渡すべぇ」など、喜んでくださいました。
隣の運動場には仮設住宅が建設され、入居が開始されつつありました。
たまたま部屋を見せていただいた女性は98歳のお母さんがいらっしゃいました。
「昭和の大波(昭和8年)も見たけど、こんなのは生まれてはじめてだ」とおっしゃっていました。
最大津波観測地点(37.9m)、宮古市田老小堀内
森を抜けると突然スクラップの車が転がっている地点が。
最大津波観測地点、宮古市田老小堀内です。高さ37.9Mの津波です。
(毎日新聞記事)
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110424k0000m040126000c.html
写真では「高さ感」が出ないのが残念ですが、がけ下をのぞきこめないほどの高さです。
「どこかから流された車が、また打ち上げられたんでしょう」と崎尾市議。
信じられない空間でした。
海面ははるか下のほうにあります。
まるで山がけずられたかのよう。
田老(たろう)の超巨大二重防潮堤
田老の二重防潮堤にいきました。
崎尾市議の御親戚も、ここで3歳のお孫さんを抱いたまま遺体で発見されたそうです。言葉もでません。
1979年(昭和54年)、長さ2433メートル、高さ10メートルの巨大防潮堤は見る影もありませんでした。
堤防の内側も「何もない」ということ。津波の前はここで多くの住民が日常生活をしていたのです。広島の被爆直後の市内の様子と重なりました。
「宮古民報」
日本共産党宮古地区委員会が歴史的に継続・努力されているのが「宮古民報」の発行です。
毎週、欠かさずB4両面のニュースを発行し、宮古市の情報を主に日曜版読者に届け、親しまれ、震災復興に役立てています。
2011-05-17 日本共産党岩手県宮古地区委員会へ
日本共産党岩手県宮古地区委員会へ
今日は盛岡を岡山の2人の女性(すますさん、石村さん)と午前6時30分に出発。
かなりのペースの運転でしたが、2時間で日本共産党岩手県宮古地区委員会に到着しました。
宮古市宮町4-6-49 TEL:0193-62-5808 FAX:0193-62-3897
事務所にはすでに埼玉県所沢からのボランティア6人が待機されていました。
田中尚地区委員長(宮古市議)と落合久三副委員長(宮古市議)から党宮古地区委員会のとりくみについて話をききました。
寄せ書きも事務所内に掲示されていました。
地区委員会事務所の周辺の状況について、今見た範囲で。
盛岡から宮古の地区委員会事務所までは、一見すると被害があったように見えません。
●地区委員会周辺のお店(食料)は?
地区委員会から半径300メートル以内のコンビニ、100円ショップ、スーパー、レストラン、クリーニング屋さん、日用雑貨屋さん、K’S電気、牛丼チェーン店、ハンバーガー屋さん、薬局など、全て通常どおりの営業をしています。チェーン店がかたまっていて便利な場所だという印象です。
●ガソリンは?
ガソリンスタンドが近くにいくつもあり、これらも通常営業されています(ちなみに152円/?)。
●寒くない?
寒いです。盛岡より寒く感じます。
今朝、宮古地区委員会事務所は暖房をいれていました。
夏はエアコンがいらない地域だそうです。
●一日にどのくらい余震がある?
「少なくなりましたが、体で感じる地震は一日一回は必ずあります」(地区勤務員のさときさん談)
地区委員会にはインターネットがつながっているので、ブログも続けられそうです。
しかし、全く油断できません。
地区勤務員のさときさんによれば「今後、『最大余震』があるかもしれない。スマトラ沖地震の場合、最大余震は三ヵ月半後に来ましたし、本震後5年間でM7.0以上の余震が15回あったそうですから、緊張感は全然抜けていないですね」とのこと。
午後は1カ月使用する用のレンタカーを借りに行きました。
海岸沿いのレンタカー屋さんで「ほとんどの車が流されて軽自動車1台と軽トラ1台たまたまあります」というお話で、格安でお借りしました。
途中、線路の通った橋が流されているなど、2カ月経った今でも大きな傷跡がのこされていました。
「復興といっても、どこにもど
るのか。もともと景気が悪いし、就職はないしのところに戻るのでしょうか」(
事務所に来た30代男性)
「被災し、津波にのまれそうに
なったけど、命びろいをした。足が悪いし海のほうには行けそうにない」(50
代女性)





















































































































被災地のみなさんの気持ちが伝わりました。
中部地区の皆さんはSさんを残し先ほど帰りました。
さらなる支援、よろしくお願いします。