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jiangminのグッバイ理性・ハローキティ このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-03-18 (水)

[][] 映画『おくりびと』は退屈でつまらんという話

毎度のweb0.0日記、今回は映画『おくりびと』の辛口批評。

3/17

●『おくりびと』と地方経済と春休み

本木雅弘主演の『おくりびと』を見ました。アカデミー賞外国語映画賞を取ったということなので、どれほどの名作かと興味が湧いたこともある。また納棺師という特別な職業がどういうものか、見たかったこともある。

見終わった感想は「フーン」。どういうフーンかというと、「あ、アカデミー賞って、やっぱりこういう感じなのよね」というフーン。理由は、あまりにも一つ一つの場面が意味に浸透されすぎていること。

良い映画はたいていそうだけど、どこか一箇所「何とも言えない視覚の幸福」がある。それを空間感と言ってみたり躍動感と言ってみたり、いろいろするのだけど、やっぱりちょっと違う。作る人のこだわりというか触感が伝わってくるところね。

たとえば『七人の侍』なら、雨中の合戦で馬がドオーッと倒れるところとか。『東京物語』なら、歩き疲れて道ばたに座り込むシーンとか。成瀬巳喜男浮雲』だったら、腐れ縁の二人が旅館で口げんかするシーンとか。瞬間いいなと思うのだけど、どこがどういいのか、言葉になりにくい。

でも、残念なことに『おくりびと』にはそういうシーンがない。ほとんどがすぐ言葉で意味づけられるから。たとえば、妻が夫の職業を知って実家に帰るシーンでは、「ああ、次に出てくるときは妊娠しているだろうな」と思う。生と死の対比の展開。その通りになった。主人公は小さい頃に父が家出をしている。ラストで父と和解するはずだ。やっぱりその通りになる。ここは父子の葛藤と子の自立のよくある組み合わせ。

さらに、死体を扱った直後に肉を食べるとか、ふぐの白子を食うとか。あるいは、死化粧をしたら「今日一番綺麗だった」と家族から感謝される泣かせのシーンとか、いちいちがデジャビュの世界。「あ、これってこういう意図ね」と頭の中ですぐ言葉にできるのに、映像はちょっと遅れて見えてくるので、どことなく新鮮さが乏しくなる。

風景も同じ。最上川に来る白鳥が何回も映される。普通ならキレイで済むところだが、死に関わる映画だから「魂が飛び去る象徴的シーン」。ね、すぐ整理できるでしょ? こんな調子で映画の終わりまで行ってしまう。もっと何気なく死を感じさせるものが欲しいのだが、最初からお決まりの風味づけを使い回している感じ。

【中略】

結局、この映画は死を扱っているようで、死がメイン・テーマになっていない。主なる物語は主人公の成長、親との葛藤、家族の和解。一番強いのが「どんな仕事でも感謝されることでやりがいが出てくる」という仕事の喜びのメッセージ。でも、せっかく面白い素材なのだから、こういう手垢にまみれたfamily romanceで適当に処理するのじゃなくて、がっぷり死と四つに組んでほしい。映画が素材に負けている。

【中略】

死を扱った映画では、20年ほど前の伊丹十三『お葬式』が秀逸だったと思う。

三日坊主09年3月

要するに『おくりびと』は作りが安直すぎて退屈でつまんないという話。一方、伊丹十三はホントにすごいよな。

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