2011-07-07 (木)
■[clip] 『ゆとり教育』で始まった『負のスパイラル』がますます加速する!
第492号 −− 『ゆとり教育』で始まった『負のスパイラル』がますます加速する!
PISA礼賛で裁判員制度もひどいことに。
高校生の典型的な学習態度として、マニュアル通りの解法しか覚えない、理由や根拠に興味がない、他分野との有機的な連携に興味が無く、与えられたことを無批判・無検証にそのまま覚えるなどがある。昔からその様な生徒はいたが、それが支配的になっていることが問題である。
また、数学の見識が不十分な学生(大学生)が教育実習の場や塾などで不適切な教育をしたり、上記のような学習態度をあおるような教育をしている実態、また、そうして育った生徒が大学生となってさらに不適切な教育をするという「負のスパイラル」が実際に見られている。
第492号 −− 『ゆとり教育』で始まった『負のスパイラル』がますます加速する!
問題が生じた原因を考えないから、一般的、抽象的言明だけで、何か意味あることを言った気になるのである。また、これは、学校文化に特有な一つのパタンでもある。学校文化に典型的なパタンの一つとして、あるべき理想に向けて努力するべきことは説かれるが、なぜそのようにならないかとか、理想は本当に実現可能かについては考えない、というものがあるのだ。
第492号 −− 『ゆとり教育』で始まった『負のスパイラル』がますます加速する!
三つめは、子供たちに、自分たちでは直接手を出せない大きな問題(たとえば、原子力発電は必要か、熱帯雨林をどうするか、といったこと)について、どうしたらよいかを考えさせた場合であるが、一人ひとりに自分の意見を言わせるだけで、そこから認識を深めようとはしない、ということがある。子供たちがそれぞれ「自分なりの」意見を持つことができたこと自体を成果として評価し、それで終わりにしてしまうのだ。それは、すべての意見を等しい価値を持つものとして扱うことになるが、そうすることで、教師は多様な意見をすべて平等に俯瞰するという、生徒より一段高い立場に身を置くことになり、教師にとってはまことに都合がよいが、環境教育としては、無意味というよりは有害である。
子供に意見を言わせ、そのどれも等しい価値を持つとすることは、子供の自主性を尊重しているように見えるが、そうではない。そういう考え方の一番の問題点は、子供といえどもすでに社会の影響を受けているということを、まったく無視していることだ。自由に言わせたのだからどの意見もその子なりに考えたことだ、とは言えないのだ。子供もすでに、さまざまな社会のモノゴトの影響を受けており、どの子の意見も、ある程度は借り物なのである。借り物の意見を自分の意見のように思っている子供をそのままにしていたのでは、けっして、子供の自主性を尊重していることにはならない。子供に自分の意見を言わせたら、その後で、その借り物の部分を捨て、より深いものにしていくように援助するのが、子供の自主性を育てる、ということである。その際、とりわけ教師がしなくてはならないことは、重大な事実を見落としたまま、一見論理的で明快な結論を出している子供に、見落としている事実の存在を気づかせることである。もっとも、それが的確にできるためには、教師に相当の力量が必要である。
第492号 −− 『ゆとり教育』で始まった『負のスパイラル』がますます加速する!
伊東乾『サウンド・コントロール』 pp.100-
まずなにより驚いたのは、「裁判員」が人の話を何も聞いていないことだった。
【中略】
例えば、「量刑」を決めようという、非常に重要な場面で、市民裁判員Aが、
「検事さんが懲役八年と言っているのだから、その顔も立てて、まあ七年」
などと発言する。
この発言自体が、そもそもとんでもないものだが、それに対して職業裁判官である裁判長が、
「事実として認定しているものが、検事はまったく違うので、それは一切考慮しなくてよいのですよ」
と注意する。「裁判官は何人からも自由」という司法独立の大原則を、平たく説明するものだ。このやり取りを、皆が聞いているようにみえる。だが、実際には自分の意見を考えるのに必死なのか、他の裁判員は大半が聞き漏らしているのだ。別の裁判員Bが、
「まあ、検事が八年と言ったら、その半分というのが相場だという事なので、四年」
などと、自分の「意見」を言ってしまう。ところがさらに驚いたことには、裁判長は時計もチラチラ見ながら、こうした本質的な間違いを、だんだん指摘も否定もしなくなってゆく事だった。
Twitterは既に送信者として認知されている芸能人・有名人とそのフォロワーというヒエラルキを固定するためのメディアです。限定されたバイト数で何が述べられるのか? そこでは常に「先行するもの」を必要とする。ファッショの場でしかない。Twitterでは記入者が自ら入力した情報を回顧するものとはならない。ところで人々にいま必要なのは、自身の行動を回顧することなのだ。民主党に期待し投票した人々w マニフェストw 衆院選前のマスコミの記事ww みな回顧が足りない。事実として健忘症にかかってますね。これって実は敗戦時に特有の“病状”なのです。無責任がまかり通っている。現在日本は、経済的・文化的に敗戦の状態にありますが、それに気づいてない人も多い。情報は遮断されてしまっているのです。何かおかしいとは思っている。しかしそれを修正する情報はマスメディアから供給されるのみだ。常に上書きされる。労働者が残業に追われ、空き時間がフルに通勤に使われる状況では、個人の思考は醸成されえない。人々に必要なのは、時間の余裕とマスメディアの遮断です。皮下注射モデルが直に適用できるくらいに右往左往している国民を見るたびに、私は思うのです「こりゃ負けるべくして負けたな・・」
ガクアジサイ。 - ロストテクノロジ研究会
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