2011-11-03 (木)
■[clip] アフォーダンスな話
作家になる以前、牛の仕事をしていた時のことは折りに触れて書いてきたが、10年間働いて私が理解したのは、ナイフの切れ味を発揮して、牛の皮を剥くために私がいるのであって、私が牛の皮を剥くのではない、ということだった。
冒険に挑むのは息子たち、46歳の「悟り」は早すぎる?
禅問答のようで恐縮だが、牛と接するのはナイフである。皮剥き用の、青竜刀のように反り返った形のナイフは、それこそ何十万頭、何百万頭という数の牛を歴代の職人たちが剥いてきた結果として形づくられたフォルムである。
仕事に習熟するにつれて、私はそのフォルムがいかに牛の皮剥きに適したものであるかが、ますますはっきり分かるようになっていった。
数えきれない先人たちの労働によって生み出された道具の真価が、私を通じて発揮されているのであり、私がナイフを使いこなしているのではないという考えは、私にとって大きな発見だった。
小説もまた同じである。私は、現在の日本に存在するであろう登場人物たちを組み合わせながら、彼らがどんな人生を送るのかを見届けようとしているだけであって、私が彼らを創造したわけではないのである。
冒険に挑むのは息子たち、46歳の「悟り」は早すぎる?
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