あなたが空しくすごした

あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいったものが
 あれほど生きたいと願った明日

 ということばが 朝ふと みた本に
 書いてありました。

今日とか 明日 といったものは 捉える視点や
 意義付けにおいて 生きる姿勢をも
左右しますね。
 びしっとする言葉です。

慣れ

 高野山の高僧の方が朝に読経されるとき
 一巻の般若心経を 無心になって丁寧に
 あげられると お聞きしたことがあります。

  どうしても 般若心経などは読経することに
 慣れてしまうと いろいろなことを考えながら
 妄想いっぱいで ただ口が動いているという
 ような状態になりがちです。

  うっかり気を抜くと 明日のことを
 考えてみたり 気になっていることが思い浮かんだり、、、
  
  慣れるということは仕事になれたり
 赤ちゃんが 立つことを練習して慣れたり
 訓練して 小脳や大脳が記憶して
 オートメーションに動いてくれるように 
 なる大事な動物の機能です。
  
  ですが 読経をするにあたっては
 慣れてきて 日常の習慣となったとき
 義務感や惰性で行うことはもったいないです。  


  私は毎日30分なり一時間なり
 仏前にてお経をあげさせて
 いただいておりますが、
 慣れすぎて 惰性になるということには
 よくよく気をつけないと
 いけないなと 思っております。
 
 
  ただ お寺にご縁のある方々や
 生きとし生けるもののために読経の
 功徳が 巡りますようにと
 願いつつ、お経をあげると 無心とまでは
 いかないものの、いらぬ考えは少なくなるように思います。

  あと もちろん いろいろな悩みごとなどを
 思いつつ 読経していただくことが
 悪いわけではありません。
  そうやって頭のなかが整理されていったり
 良い知恵がでてくるという一面もあります。

  ただせっかく 朝なり夜なりに
  毎日 お参りされる習慣があるのであれば
  惰性になっているな 義務でやっていないかと
  たまに振り返っていただければと思います。

  心がけつつ 毎日すごしていれば
  観音経等々 それぞれの宗派などでも
  お経はたくさんありますが いろいろと
  生きていくにつれ 更に味わい深く
  ありがたくなっていき
  楽しくなっていくことでしょう。

住吉大社横綱土俵入り

http://www.youtube.com/watch?v=VIczivwcHMQ
 
 3月2日に大阪場所開幕に先立ち、住吉大社では、
史上初の横綱による土俵入りが奉納さ­れました。
その模様を もはや 素人の域を脱している^ー^
慈圓先生が撮影して youtubeにアップロードした動画です。

 60年前に横綱が参拝に来たことはあっても
 住吉大社で土俵入りは初めてだそうで、
 第一本宮の前に砂をしいて行われました。
  
  砂の量がどうしても少ないからか
 横綱がぐいぐいっと足で進んでいるとき心なしか痛そうです。

不安への対処2

 前からのつづきです。

 不安が不安をよんで 悪い方へ悪い方へ考えて
 ばかりいると、副産物として まわりがみえなくなり
 感謝の気持ちがなくなってくるということがあります。

  感謝の気持「ありがとう」がなくなると自分の置かれている
 環境を恨んだり、不運ばかり気になったり、疑心暗鬼になり、
 周囲がみんな敵に思えてきて心配事が増えてしまいます。

  ですので それを防ぐためにも ありがとう が減ってるな
 言ってないなと気づいたら 意識的に言うように意識をすると
 よいかと思います。

  それが 段々慣れてきたら 少し嫌なことを言われたり
 忍耐を要することがあっても 自分にとって何らかのメリットが
 あるはずだと 「ありがとう」と胸の内でつぶやけるようになれば
 心の平穏や成長に役立ちます。
  まあ何でもかんでもありがとう というのも極端かもしれないので
 そちらは 余裕があるときに意識してみるぐらいからいかがでしょうか。
  自分を楽しく鍛えられると思います。
  
  あと 一番カンタンですぐに心を落ち着かせるのは 深呼吸することです。
 緊張しストレスを感じすぎると息が止まってしまうことや息が乱れることが
 多く、気づいて 呼吸を整えるだけでもだいぶ変わってくるでしょう。

  ゆっくりとした呼吸は副交感神経を優位にして心身をリラックスさせますし
 そもそも呼吸は 全身60兆個の細胞に必要な酸素を供給し
 二酸化炭素を出す 代謝に関わってきます。
  気分を変えるのには一番です。
  呼吸を整えているとともに姿勢にも気をつけると効果てきめんです。


  また 心を安定させるということに関しては瞑想や坐禅
  すごく役に立ちます。
  ただ 今まさに不安があってどうしようと悩んでいる時には
  向かないかとも思います。

  その時は 神仏やご先祖様に こうこうこういうことで
  悩んでいるのですが どうしたらいいでしょうか。と
  問いかけるとともに
  お経や真言をとなえるということも一法かと思います。

  無心になってお経をあげることができれば最高ですが
  そうでなくても 落ち着くことができますし、
  ふっと 良い智恵をいただけることもあります。


  真言マントラなどをとなえるということの良さは
 心のなかでとなえる分には いつでも出来るということです。
 満員電車に乗っているときでも 寝る前でも
 ふっと思いついたときに行なっていただけると
 不安な心が少し落ち着くことを感じていただけるかと思います。

  つらつらと 思いつくことを書きましたが
 運動やエクセサイズなど他にもいろいろあるかと思います。
  ご自分に合う 不安の解消法を見つけていただき
  人生の向上につながれば 幸いです。
                

不安への対処

  今月の慈光寺だよりには スペースの都合上
 さらっとしか書けなかった 公案 達磨安心(だるまあんじん)
 ですが 禅宗の本とか仏教入門てきな本でもよく出てくるお話です。

 達磨大師と弟子の禅宗二祖 慧可大師の修行中のやりとりです。

 弟子「私は修行を続けておりますが 心が未だ不安でなりません、
   どうか私の心を安心させて下さい。」
 達磨「それではお前さんの心をここへ持って来なさい、
   安心させてあげよう。」
 弟子「その不安な心を探しているのですが、どこにも見つかりません。」
 達磨「これであなたの不安な心は取り除けました、
    もうちゃんと安心させてあげたよ。」

 これは 禅宗の修行で公案として用いられているもので
 修行をして答えを見出すものなので、私がこの公案をどうこう
 説明出来るものではありません。
 しかしその中でなんとか愚考してみまするに、
 最後のお言葉はあなたは自分自身の不安な心というのが 
 きっちり わかっているではないかと、心の状態を把握しているでは
 ないかと言われたかったのかなと 思います。


  不安って 自信がないという状態でもあり
  漠然とわからない未来のこと、未知なることへの恐怖もあり。
  不安が不安を呼ぶと 妄想が膨らみ
  心身に影響をおよぼすこともあります。

  しかし、不安があるからこそ 備えて準備出来るし
  努力もできる。不安があるからこそ
  人類は生き残ってこられたとも言えます。

   私は子供の頃から不安な状態になりやすく怖がりで
  風邪もひきやすくて 痩せていたのですが
  お寺に住まわせて頂くようになって
  毎日  お経をあげさせていただいたり
  いろいろ雑務をしている内におかげさまで
  少しずつ 元気になってきてきました。

   そして少しぐらいの落ち込みや不安というのは
  元気をつけるための助走のようなものであり
  壁にぶつかったら 経験を積むチャンスだと
  思えるようになりました。
  

   未来に対する不安、
  嫌な人に会うとか、苦手な仕事、
  うまくいくかどうかわからない事が
  あったとして 一番いやなのは
  それまでに何回も何回も 思い出しては
  うまくいくかなあ と 悩むことです。

  目が回るほど 忙しかったら 悩む暇も
  ないでしょうが、少し時間があったり
  夜中 一回起きたら気になって寝られなかったり・・・

   体も悪くしますし、人生の限りある時間が
   もったいないです。

   そこで  自分は 今 
  心配でしょうがないんだなと 認識したのち、 
  「心配して何か得することはある?」
   と損得で 考えてみるのも一法かと思います。

   そうすると
  「いや、こんなことばっかり考えても 
   逆に 心配が増えるだけで損だ」となり
   むやみに心配する気持ちが少しずつ減ってこないでしょうか。

   その後、「じゃあ 得するにはどうすれば
   どうすればいい?」という自分への問いかけをしてみましょう。

   そうすると 同じように心配して不安になっても
   建設的な物事に対応するモードに近づくと思います。

   心配して得したーーとなれるように 少しずつ少しずつ
   心を鍛えていけば、実際に自信もじわっとついてくる
   良い循環になるのではないでしょうか。

    なんせ 不安は生きている限り あるもの
   それなら 少しずつでも実のあるものになって
   いけばと 思います。
                    つづく

 10日(日)に今年最初の慈光会がありまして、
 京都の仁和寺広隆寺、東寺の三箇寺に参拝させていただきました。

  午前10時に大宮の嵐電改札前で集合し 仁和寺へ。
 嵐電は嵐山へ行かれる方が多いのか最初は混雑しておりましたが
 帷子ノ辻駅で乗り換えたあとはすいていて 仁和寺へ。
 
  徒然草にもよく登場する仁和寺ですが、ご本尊が阿弥陀如来さまで
 真言宗御室派の総本山です。
  行ってはじめて知ったのですが、五重塔の一階が25年ぶりに御開帳という
 ことで、参拝の方が多めでした。

  金堂は 紫宸殿を持ってこられたそうで、阿弥陀三尊がおまつりされていました。
 阿弥陀如来さまに向かって右側がお観音様で左側が勢至菩薩さまの事が多いかと
 思いますが、こちらは逆におまつりされていたように思います。

  五重塔は 胎蔵界の五如来さまがおまつりされているということで
 中の色彩ゆたかな画を守るために 二十五年に一回しか開けられないんだなあと
 納得しました。 東寺の五重塔の一階も同じように心柱が大日如来さまで
 四方向に それぞれ如来さまがいらっしゃるという様式でした。

  参拝してのち 仁和寺の中にあるごはん処で昼食、私はゆば丼を頂きました。
  12時前だったので 混雑する前でよかったです、慈光会はいつもお昼ごはん早め^ー^

   昼食後 嵐電太秦広隆寺へ 広隆寺は京都最古のお寺で本堂におまつりされているのは聖徳太子さま
  霊宝館で あの有名な弥勒菩薩さまや 薬師如来さまなどたくさんのお方に
  お参りさせていただくことが出来ました。

  あと知らないと読めない太秦ですが 太子の「太」の字と秦氏の「秦」を取って、
  太秦(うずまさ)と読むとしたということを初めて知りました。

  その後、再度嵐電に乗って 四条大宮へ そこからバスに乗って 東寺へ
   京都は混雑時でなければ バスでスムーズに移動出来るのがいいですね。
 
   2月は 五重塔の一階が開いているということで 仁和寺と同じく胎蔵界五仏
 いらっしゃる五重塔(まわりは八大竜王弘法大師さまに密教が伝わるまでの真言八祖が描かれていました。)
 本尊 薬師如来さまの金堂、立体曼荼羅が再現されている講堂と参拝。

  さすがに みなさんお疲れの様子だったので 喫茶店で休憩ののち
  JR京都駅まで 歩いて 解散。

   最初は 3つのお寺を参拝させていただくのは、ちょっとがんばりすぎかなと
  思ったのですが、みなさんお元気で 明るく しっかりと お参りいただいたようで
  よかったです。ご参加いただきまして ありがとうございました。


   今年はどこに行きたいのか ご要望にお応えしつつ ふと思いついたり
  ご縁のあったところに参拝させて
  いただこうと思っております。 またご希望などありましたら 
  教えていただければありがたいです。

慈光会の行き先変更のお知らせ

 慈光寺の節分会が終わってから
 急に 頼まれたリフレクソロジーの学校の
 解剖生理学講義のスライド作りに勤しんでおりました。
 
  今回は 循環器と感覚器の分野でしたが
 脳などのところを勉強していると
 お釈迦様は 大脳生理学というか
 脳内物質とかそういうことを上手く
 修行に利用されていたような気がするときがあります。


  瞑想等はセロトニンの分泌などに関わっていることは
 有名ですし、人それぞれに ほうき掃除を
 がんばって やらせたり
 遠出させて 歩かせたり 
 各人に合わせて 指導されています。
  
  まあ私が なんでも 仏教と医学ぽいものを結びつけたい
  だけかもしれませんが^0^

  話変わって 2月の第一火曜日のおつとめ日
 去年は 読経のあと
 涅槃会の解説をさせていただきましたが
 同じ話を続けても何ですので そこから派生した
 お話などもと思っております。


 前置きが長くて失礼いたしました。
 慈光会の行き先変更のお知らせです。

  2月10日の慈光会は 京都の鹿王院 広隆寺壬生寺
  巡らせていただこうと予定しておりました。

   下見に行かせていただいた結果、鹿王院が 静かで
  いいお寺だったのですが 駅からの道程が車がすれ違うのが
  難しいぐらいの道で 皆さんで歩くのが危ないのではないかという
  ことで、五重塔が特別公開されている 仁和寺
  それから 広隆寺、バスで東寺という参拝の予定に変更させて
  いただきました。

   すでに参加をお申込みいただいた方にはご報告させていただきますが
   まずは この場で ご報告を。
   
   午前10時に 嵐電 四条大宮駅集合というのは
   変更はございません。