Hatena::ブログ(Diary)

Jima-Don

2017-09-27

あの娘ぼくがタコ天で1位取ったらどんな顔するだろう

 「ラウンジサウンズ岡村靖幸ナイト!〜」に出演オファー戴いて出た。流石に本家岡村ちゃんファン層の方からはハテナの音楽だったみたいだったが、単純にボギ君自身が遊びたい臭を嗅ぎ付けてきたお客さんの何名かから絶賛をされてちょっと小躍りをした。
 「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」
D
 をやった。

 楽屋で一銭めしやの村里さんと昔話をしていたら、不意にKBCラジオパオーンの話に。まあそのあとの展開は言わずもがななんだけど、不意に思い出したことがある。
 カミさんと付き合いだしたのはその時期だったのだけど、その当時自分は物凄い没連で。もう、どうしょうもないくらい。目も当てられないくらい。だから彼女は「3年前年間ベストテン7位に入ったよー、太宰府の特設ステージで歌ったよー」「ふーん(※さてはこの人嘘じゃね?)」な感じだったし、手をつなぐことなくお友達的なおしゃべりばかりを繰り返していた。ふと気づいたのだった。
 「あの娘ぼくがタコ天で本当に1位取ったらどんな顔するだろう?」
 って気持ちで作ったものが本当に1位を取ってしまったのである。
 彼女は「本当にラジオでやるときはやる人やったんや!!」みたいなことを言った後、「彼氏が出てるなんて恥ずかしい」を理由に二度と例の番組を聴かなくなりました。そして本当に恋仲になっていくのはそれから先。
 青春って123、じゃーんぷ。

 思えば彼女は俺が出るライブは絶対に見に来てくれなかった。一生「恥ずかしい」と言っていた。呼応するように自分が作る歌は「振り向いてよ、ねえ」だったり「これ以上成長の望めない君に」だったりと呼びかけソングが多くなってしまっている。

 ライブ中歌詞に泣いてしまった。
 「寂しくて悲しくてつらいことばかりならば
  あきらめてかまわない
  大事なことはそんなんじゃない」
 こんな歌詞を嫁の命日の二日後、一周忌直後の自分が歌うにはやっぱぐっと来たんです。だって、ここまで書き連ねた青春時代の話って、25年くらい前の話よ?事情を知ってるお客さんもぐっと来たらしい。そうだよ、歌詞を勝手に自分の境遇に重ねるなんて野暮ったいとは思うけれどさ、それなりの歳だし、何よりあんなカミさんと好き勝手生きて最期まで看取れたのは一大ロマンスだったしなあ。

 ところで俺が放った革命チックなダンキンシュート、と呼べるものは8週くらい残ったかな。「栗之介侍」というしょうもないラジオドラマであった。そういえば思い出すがカミさんはこのネタだけは面白ネタとして言及してたなあ。静電気で感電するたびに「栗ちゃーん、大丈夫?」と言ってたっけ。なお当人安田栗之介氏の耳に当時入ってたらしくご立腹だったそうで、あの際は誠に申し訳ございませんでした。若気の至りです。きっとおれはあの時、あの娘だけの汗まみれのスターになりたかったのでした。

2017-09-16

ホタルイカの光

 法事が続く、辛いとぼやいていたらまあこの有様だ。
 なんと、一周忌法要の時間帯を台風が直撃する天気予報が出てしまった。

 俺の実家と嫁の実家から「早くに決めてくれ」とのリクエストで結構早くに決めていた一周忌法要なんだが、そこにまさかの台風がやってきた。
 中国大陸に突入して消滅のはずの台風が、うまいこと東シナ海にハマってしまい発達して、うまいこと停滞前線の北側に回り込む算段らしい。天気図を見る限り(※大学時代自然地理学を結構やったので人以上には読める)直撃をするとしても鹿児島辺りを通る可能性が多大だと踏んでいるのだが、法事の主催者としては予報円の真ん中を法事に関わる人々が移動するのはとてもまずい、と判断した。

 台風のさなかイベント強行したことって、あったっけ。あったなー、と記憶がよみがえる。あまり俺は気性が粗くないとは言えない、喧嘩別ればかりの人生だなあと振り返れば思うのだが(※それだから結局赦すのもめっちゃ早いので得してるとも思っている)、そういえば台風でもイベント強行する集団とは後々うまく行ってないな。それも思い出したのだった。こちらが許しても相手が許さない、みたいな感じの人々。まあ自分にとっては「台風ごときで来ない」と客をなじれる人々、という評価になってしまう。

 幸い弔問する予定の人々のコンセンサスを全員から得たところでお寺の方に「無理せず、中止・延期とします」と電話とメール。まさに清須会議のようであった。とにかく疲れた。

 一周忌の法要は結局、命日前の平日に自分一人参列して行うことにした。
 読経に来るうち専門の副住職の人、なんとコサキンのディープなリスナーであったそうだ。二人っきりでいろいろ話したがっていたから、きっと面白い法要になるだろう。いや、亡き嫁も含めて3人か。「水中、それは苦しい」とか「オクムラユウスケ」とかを教えてあげたい。
 ここまでしてきっと明日昼は台風はそれて。
 ここまで必死にして火曜日の昼は面白い話で二人で盛り上がって。
 そんなのほほんとした面白エピソードにしたかったのかな、どんちゃんは。
D
 今、この曲がなぜかずっと頭の中で鳴っている。きっと、湿っぽくもなく、かしこまりもせず、なんだかほんわかと一周忌と彼岸を迎えたいのかもしれない。

 ホタルイカのように淡いやさしい光。実物見たことはないけれど。
 嫁の魂の光を絵で表すとするなら、それがお似合いなのかもしれないな。
 嫁のおっぱいは凄かった。おっぱいばかりたくさん触って、褒めちぎって、ごめんなさーい、ほーたーるーいかの、ひかーりー♪

2017-09-05

水不足騒動

 我が家は井戸水、上水道がタダ!という触れ込みでこの家にずっと住んでいる。水がうまい。
 そんな我が家の井戸水ポンプの点検がこないだあったのだが、ポンプと水槽を清掃した途端に突然ガタが来た。何がこびりついていたか想像はつく。風呂場を真っ白にし、前のポットをぶっ壊した豊富なミネラル分。

 ポンプ屋さんは何せ清掃と点検だけと踏んでたろうからまず一日めの水が出なくなった時点で安心しきっていた。しかし二日目の夜になって突然水が出なくなる事態に駆けつけざるを得なくなる始末に、日に日にやつれていっていた。
 結局おおもとの逆流弁がぶっ壊れているという結論から、どこかの家が水を出しっぱなしにするようにと、おれの家の洗面所の水を流しっぱなしにすることにした。
 
 結局井戸水のポンプはメーカーさんまで呼ぶことになったらしく、果てしなく長い戦いとなった。一週間くらいしただろうか。まあなにせ築何年かわからない、たぶん社員寮か何かであったと思われる古いアパートだ。こないだのワールドカップ予選の最中に呼び出されたときは可哀想だったなあ。正直今度菓子折りでも持っていこうかなと思う。

 さて、水がない生活というのは全く自分の中で想像外であった。
 当たり前のように蛇口をひねってどばどばと水を飲み、炊事洗濯をし、トイレを流すといったことが一切できなくなったのだから参ったものだった。一番最初に困ったのは朝一番の仏事だ。まあポンプ屋さんの事前のチラシのおかげで水はたくさん貯めておいていたので、事なきを得たとは思ったのだが。
 全く予想外な形で水不足だなあというのを知ることになる。明らかに指がかさつき始めたのだ。加齢じゃねえかと侮るなかれ、信じられないくらいにありとあらゆる物体がざらついて感じた。俺はどれだけ水を飲んで暮らしていたのだろう?そんでどれだけ水に依存してたのだろう。

 いろいろ巻き起こした今回の騒動で一つ気がかりなのは洗濯機のふたが経年劣化とおそらく井戸水の水質で想像以上にボロボロになっていることに気付いたことだった。これ、いつまで持つだろう?洗濯機の機能上は今のところ問題ないんだが、かたちあるものはいつか壊れるもの。なくなるもの。儚いもの。カミさんの件で分かっていたことじゃあないか。それにしてもさみしさが募る。俺もいつかはおんなじように、なくなってしまうのだ。ぼろぼろにされて、よれよれになって、そして動かなくなってゆくのだ。

2017-09-04

法事と法事の合間

 初盆と一周忌を二回やらなくてはならなくなった。どうもつつがなく初盆は終了したらしく、お盆最終日にカミさんが夢に出てきた。たおやかな笑顔で微笑んでいた。わからないものだ。

 そんでようやく夏が終わった。夏は嫌なことをいろいろ思い出す。3年前だったか職場のストレスが原因で自律神経を乱した挙句謎の腰痛腹痛不眠に悩まされたことがあったものだった。
 そこからは社員登用を二度ほど検討されて保留していた。理由は嫁の病状が再発、再発でそれどころじゃなかったのもあるが会社の空気がすこぶる悪く、何より最悪の上司がいたからなのだが、結局そのオッサンは俺に終始負け続けておったのだなあと思い出す。

 CADという特殊技能のおかげで割と高い自給の仕事で稼げたおれであるが、覚えた発端は「地図が描きたい」というもので。まず測量事務所に行って航空測量の会社の下請けの仕事をバイトで頂いたがとてもニッチなCADと判明。
 「次はメジャーなCAD覚えよう」
 とばかりに求人情報誌で調べて外構設計の会社でAUTOCADの修業した。今考えればここで造園設計の資格でも取っておけば面白かったかなとも思ったがこのとき俺は劇団員も掛け持ちしていた。この時辺りからだろうか、自分が何となく
 「本当はこの仕事向いてない」
 と思ったのは。ミリ単位の誤差も許されない世界に芸術家肌で挑むのはいい度胸だ。結局その後転々としていろんな職場を巡ったが、辞め時はいつも
 「本当にこの仕事向いてない、稼げるしちょっと出向けば仕事貰えるけど」

 まあそんなわけで劇的な辞め方をすることになり、心的外傷もいまだに癒えないほどのジジイがいた件の職場に流れ着いたとき、一日めにいきなり怒鳴られた。
 「道路の歩き方がなっとらん!あれお前らだったじゃろうが!わしの車を邪魔しおって!車で通るとき危ないじゃろう!!そういう日々の心構えがなっとらん」
 派遣社員の人と二人に怒鳴り熱弁をふるうジジイの意図が心底さっぱり分からなかった。初日の熱弁は三十分にも及んだ。

 その後もジジイとはいろいろ対決したが、おれのCADのオペレートは絵描きのテクニックを多用する。「ブロックエディタを使ってマスキング手法にする」というのに毎日のように噛みついていた。「こんな手法は絵描きじゃ」吐き捨てる、呪詛のようなだみ声をよく発していたのを思い出す。
 対して自分は全く彼の意見を無視しまくった。また入れ替わりが当たり前のように激しかったので新人さんの教育を自分がやることがあったので、教えるたびに彼に聞こえるように大声で「あたしゃ大学の美術系のゼミ出身なんで絵描きのCADなんでね、こういう手法使うんですが」。さらに言うとその人の技術は十年前で更新がストップしていたのだった。提携会社に自動作画ソフトを作らせていたのだが、恐ろしいことに仕様書や計算書もCADファイルで作るというポンコツソフトだった。DOCUWORKSの存在を知らなかったのである。
 そもそもCADの設計士さん自体まともな人は二人。工場勤務だった、元営業だったという社員さんが「お前の席に座ってた前の人は切れ者でなあ、いつもいいよったよ…こんなちゃちなソフトと…」あ、それ俺も思ってた。
 会社の業績は、相反してちょうどバブルってた。やー勢いって怖いね。ジジイはポンコツソフトではあったが大いに時短に貢献したものを作った功労者として、次期社長と言われていたボンボンの副社長と蜜月であった。必殺仕事人で間違いなく殺される二人、みたいな人相であった。

 この泥船に乗っかるわけにはいかない。3年近くいただろうか、積み上げていた自分が担当した案件エクセルファイルをつらつら眺めていたらミスが3とか4とかじゃ済まないほど見つかったのを見て、折をみて辞めることは決めていた。
 「上司を怒鳴って辞める」
 パンクな辞め方としては最高だった。その日もAUTOCADについてブロック機能はそもそもこうであるから物事の道理がわかっとらん図面をなんでこうと(毎回間に絶対に人を入れていう陰湿な手口で)30分講義している最中勢いよく席を立って「黙れバカ」と吐き捨てた。このジジイ、髪と服など身なりはいつも手入れをしている様子だったが実に体臭が汚く、昔友人が飼ってた老いポメラニアンの臭いがした。子犬のような目ですっかり固まっていた。

 この怒鳴った日、偶々あの副社長並びに人相の悪い上層部がいなかったのは幸運であった。まあもちろん「いつかあのじいさんは断罪されるべき」との全員の意見は一致していてその日のうちは慰留はされたのだが、次の日欠席裁判で即解雇にしてくれたらしい。俺としてもたいそう助かった。おれも速攻で昔通った心療内科に行って診断書を貰ったので、それを送りつけて傷病手当を戴いた。

 さて、その後いろいろ訴えるぞとかファイティングポーズをとり続けたおれなのだが労働基準監督局が「これはひどい、訴えたら勝てますね」と言わしめるような内容証明郵便を弁護士を入れて送ってきた。社員として働いてたらどんな目にあわされてたかわからん、と寒気がした。
 さてそんな泥船の会社なのだが転職サイト口コミがあって、その時の同僚が一人辞めていることが発覚したり。社長が世襲で変わった途端株価が急落したり。肝煎り東北復興で上陸とばかりに作った北国の営業所があっさり撤退されたり。それでも実のところは世の中の役に立つものをオーダーメイドで作れる会社なので、世の中の役に立つことをやれば潰れることはないだろう…とは思っていたものの、ボンボン副社長は毎日「あの会社技術ごとM&Aしてー」が口癖だった。軽く調べると本当にやってた。四季報を見ると俺のいた3年だけが燦然とよい数字をたたき出しており減収は続き、創業者は自社持ち株を大量に売りに出している有様で、アホな意識高いベンチャーの真似事なんかしなくても町工場の雰囲気でやればいいのに…と老婆心のように思えど、今更もう引き返せないのだろうなあ。
 なによりこの会社の主力案件というのが近年あまり評判が芳しくないあるものなのである。これ以上ダイレクトに書くのはちょっとコンプライアンス的にはどうかなので書くのは憚るが。いろんな仕事をしたが正直、今まで図面を引いた中で後悔している仕事はこの会社でやったもの。

 今まで地図に残る仕事もしたし、庭周りの設計の真似事もしたし(実際その通りに施工されて喜んだ)、点検業務のような縁の下の力持ちのような図面も引いたがあの仕事を選んだ自分、金に目がくらんだとしか言いようがない。そしてそういうとこに群がる人間に碌なやつはいない。思い知ることになった。心もたいそう病んだ。
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 皮肉にも嫁を喪う災禍で、ようやくどうでもよくなってしまった「例の会社」。AUTOCADはにこにーだって描けるんだぞ。お絵かきツールとしてはなかなかのものだと思っている。イラストレーターと相性いいし…あ、そういやあの会社、アドビ製品が一切なかった。使える人もいなかった。PDFをCADに変換できなくて不便やったなあ。
 あ、そういや。そこの書類ケースのデザインをボンボンに頼まれて、持ち帰り残業でAIファイルとPDFファイルで5時間くらいかけて作ったの思い出した。まったく賞与などは出なかったことをよーく覚えているし、実用されたのは間にデザイン会社が入ってダサくなった代物であった。まるで、「お前らにはこれで十分じゃあ」と言わんばかりの技術のダウンサイジングがなされていた。今冷静になって考えると、恨まれていたのだろうかな。もちろんだがこの件については今をもっても少し腹が立つ。あの複数の悪相を思い出すという点において、不快害虫を見かけてしまった程度で。

2017-08-05

I hate summer

 西鉄電車に乗っていた。
 どの駅から乗ってきたかは忘れた。女の子は激しぐずっていた。
 幸せそうな親子だった。俺らが手に入れることができなかったキラキラした幸せだなあ、とほほえましく思った。
 ただ少女はとにかく怒っていた。単純に座席に座れなかったのが嫌だったのかもしれない。それがきっかけであろうことを口に出す。
 「だいたい海のほうがよかった、ぎゃー!」
 わんわん泣いている。駄々をこねている。

***

 去年の今月末頃の話だ。9月、がんで死んだ嫁の話。
 彼女の病状は俺にだけ知らされていた。腫瘍が播種を起こして消化器官をふさぐほどに成長したこと、体力的に考えもう回復は望めないこと。それでも彼女は愚痴ひとつこぼさなかった、とある親戚は自慢げに話していたが、全くのでたらめだ。

 今になって書く。
 彼女の体にカテーテルが入れられ、消化器官に詰まっていた内容物を鼻から掻き出す。
 その管を指さしながら、彼女は言った。
 「この処置、すごく痛かったんだ…」
 もう、彼女は語彙力が少なくなっていた。
 「こんな処置受けてまで帰れなかったら、悲しい…」
 何とも声が出なかった。そもそも俺はその時点で彼女にうそつきさんを通さなくてはいけなかった。
 「家に帰りたい…」
 帰れるわけがないんだ。
 カテーテルから流れる黒い液体をじっと見つめながら俺は
 「ああ、帰ろうな。録画したやつをちゃんと見ような」

 今でも覚えているのだ。
 その臨終の瞬間を。
 彼女は意識を保ちながら必死に持ちこたえた。声は上げるが、言葉は出ない。
 まばたきもできないほどだった。
 しかし看護婦が、カテーテルの交換をしようとしたのを見た刹那
 彼女の中で何かがはじけたんだろう。あの痛い処置を味わうくらいならと。糸が切れるように彼女は目を回し、血を吐き出し息を引き取った。

 母が泣き崩れる自分の姿に肩に手をやり
 「かわいそう」
 と言ってくれたことを覚えている。
 23年の大恋愛と心をぶっ壊したライアーゲームがようやく終わりを告げ、クソみたいな事務手続きやら法事やらがやってきた。

***

 俺は女の子の泣き声を聞きながら、駄々をこねる声を聴きながら「あの日」を想い出していた。そんな俺の姿をほかの乗客はどう思っただろうか?恐ろしい形相をしていただろうなとは思う。気が付いたら、涙をこぼしていた。これは悔悟なのだろうか。それとも悔恨なんだろうか。
 いつの間にか泣き止んでいた少女はどこに向かうのだろうかな。彼女はまだ望み通りの場所にどこにだって行けるのだ。幸せでいいな。
 俺の涙も、法事をつつがなく進めてほしい連中にとってはどうでもいいことなんだろう。今月は初盆、来月は一周忌と法事が2回続いてしまう。

 ただ、あの黒い液体が流れる地獄のような光景をふたりで見つめた情景と、彼女が「帰りたい」と何度も駄々をこねたことは二人しか知らなかったこと。つくづく彼女は心を許してくれていたんだな、と同時に俺もそれほどまでに心を許せる相手を喪失してしまった、という暗澹たる事実に直面するのである。俺には、あの女の子のようにあたたかそうなパパもママももう、いないのだ。それは、彼女だけだったから。