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Jima-Don

2018-01-08

必殺仕事人2018の感想

 久しぶりに「こんなものか…」という脚本であった。
 が、建設的に評価すると比較対象を「必殺仕事人V」1話にすると「なかなかどうして、頑張ったじゃないの」になるから大したものだと感心する。スポンサー的には、
 「パチンコで入った人が多いから、脚本はわかりやすく勧善懲悪で!!」
 「ジャニーズの若い子を生かして耽美に描いてよ〜」
 全然そうじゃないじゃん!!

 涼次はギラついた坊主頭とヒゲ姿で耽美な衣装を廃し。
 賭場で絡む瓦屋の陣八郎とのコンビは、まるで必殺必中仕事屋稼業のようであった。そしてそこに耽美な知念君がひたすら殺しの業を思い悩むというなかなか頑張った作品じゃなかったかな。

 仕事人V1話は中村主水が「おまえのうらかぎょう、しってるぞ」と脅迫をされるところから始まる。結局それは子供が同心として賄賂を貰ってる現場を目撃していただけで、その子供たちの世話人の女性にたしなめられるのだが…子供、女性ともども理想に燃えて爆弾テロを行う悪党の餌食に!駆けつける主水「しっかりしろい!」「この金で…」という1話にして恐ろしく陳腐で退屈な作品だった。

 何気に「子供をたくさん世話している女性の存在」「世直しをしようと爆弾テロを試みる悪党」と、実際この仕事人V1話との共通点は実に多く、また劇判も仕事人Vの使用率が比較的高かった(からくり人率も高かったが)。

 仕事人2018では結局リュウがさらわれ、ついでに記憶を失って相手組織のコマにされる、さらに唐突な小五郎の過去などのちょっと含み過ぎなプロットが追加されたわけだけど、結局ラストで殺す相手が二人になった事には、なかなかおおっと手を打つところがあった。

 まず鈴蘭が殺しの対象にならなかったこと。
 小五郎が壬生の幻楼のアジトに乗り込んだ時、鈴蘭がいたシーンで流れた音楽は仕業人「お歌と剣之介」で、鈴蘭という女性は幻楼がどのような悪党でも添い遂げると決めていた節が見える。それはオーラスで、今わの際に小五郎に殺された幻楼の船に乗り込み一緒に沈んでいくシーンでわかる。例え悪党でも、彼の匕首の一撃を食らっても添い遂げたいという女の一途な愛。

 一途な愛が実らなかったのに、むざむざ生き残ってしまった男、瓦屋の陣八郎。
 そうなのである。それを忘れてもらっては困る。仕事人2010年代シリーズは、間違いなくこの男が面白くしている。
 前期必殺には「殺人快楽依存症」な殺し屋が多数いる。
 「あたしゃねえ、殺しをやらないと、なんだかイライラするんだ」
 仕業人・やいとや又右ヱ門(大出俊)の台詞だが、今作の陣八郎は表の姿も快楽依存者に描かれていて、間違いなく「殺しの場所に死に場所を求めるがために生きてる男」である。
 リュウ奪還のために涼次が出向くのにわざわざ合流する陣八郎だが、あれは友情じゃないのだ。間違いなく、死に場所に向かいに行く刹那な男の姿である。その証左リュウに致命傷になりかねないような攻撃を受けている。

 その後あの「なんか強そうなやつ」を3人がかりで惨殺するシーンは「相手が悪なら、こっちはその上を行く悪じゃなくちゃいけねえ」という仕置人・中村主水の台詞そのまま。必殺の本懐である。
 リュウが最後に「一人相手に、三人がかかりとは感心しませんね」と丁寧に解説している。必殺とは、かくもめんどくさいコンテンツなのである。

 総じて、寺田ニコルソン(と、思い上がりも甚だしいがそう呼ばせて頂きたい)はよくやっている。今作を必殺仕掛人「理想に仕掛けろ」や暗闇仕留人「試して候」と比較する向きの論客は、ちょっと違うかなーと思う。この2作と比較してしまうとまず制作背景も世相も違う。それで結局
 「ジャニ必殺は邪道!!」
 「後期必殺は邪道!!」
 「ぼくのかんがえたさいきょうのひっさつのほうがすごいんだぞ!」
 で終わりだからだ。懐古主義が悪いとは言わない。でも、新作が作られることにまず感謝は必要なんである。何より、俺たちが好きだった必殺を知ろうとする、若いフォロワーがやってくるのだから。

***

 そうそう、「必殺仕事人2016」については感想を書いていないが、その放送日あたりを検索したら事情は分かるか…。
 面白かったことは覚えているが、記憶もあいまいだ。

2016-08-05

シン・ゴジラの感想

 ちょっと前に選挙が立て続けに起きました。
 イデオロギーにかぶれていなかった友人たち(特に音楽系)が大挙して突然
 「この国は危険な方向に向かっている!戦争の出来ない世の中を!原発を止めよう!」
 と感化されたような発言を始めました。まああの候補者のおかげでしょう。そしてそのしがらみでもあったのでしょう。そういうミュージシャンや文化人、総動員されてたし。しがらみ、厄介な話ですが自分が表稼業では政治的思想の意味ではない保守の仕事をしている関係上「そういった意見に与するのはどうか」と思っているのと根は一緒です。

 で、「シン・ゴジラ」を観ました。
 本当の保守の現場を淡々と描写していました。
 早口で長々と繰り広げられる会議。広げられるデスク。そこに置かれるパソコン。そして並べられるレーザープリンター機。無機質な計画報告書のタイトルに苦笑するる主人公。
 なにより「想定外だから仕方ない」とばかりに、どこか諦観というか、ときおり場違いなタイミングでコミカルな対応を取る主要閣僚の姿。昔大震災が起きたとき、自分は田舎町の小さな土建屋にいたのですがそこにも震災関連の仕事の依頼が来ました。社長以下出張組は帰社して開口一番「いや〜、放射能浴びてきたバイ」と呑気に。
 「シン・ゴジラ」では「与党」「野党」の政治闘争の言及は最低限だった(というか情報量多くて覚えてない)ので、自民党的なものが与党だったのか民主党的なものが与党だったのかはわかりません。まあ一部実在する閣僚そっくりの人物が出ていたので、自民党と考えるのが妥当でしょうが。
 怪獣映画かと思ったら、リアルな災害パニック映画だったという有様。

 「音楽に政治を持ち込むな」という台詞が一時期流行りましたが、こんどはその罵声を浴びせられた人々から「子供向け怪獣映画に政治を持ち込むな」と吹き上がる人々が出てもおかしくない。自衛隊は出る、緊急事態条項なんて台詞。在日米軍は出る。中韓露の怪しい動き。リアルすぎる。
 冒頭に書いた友人たちは、サラリーマン的世情に疎い人々がかなりいます。むしろそこからあぶれたものが多い。まー色々あって今はあぶれているけど、サラリーマン的自分は「音楽に政治を持ち込むな」はわからないでもない。音楽で伝えられる少ない情報量で政治をスパイスで入れるのは結構難しいから。でも、この映画に関して「子供向け怪獣映画に政治を持ち込むな」は筋違いに思える。情報量が多すぎて、リアルな「政治」はスパイスでしかない。
 そう、スパイスと言えば象徴的に何度も出てくるSNS。そして動画サイトの「弾幕」。
 古い気質のミュージシャンってあれ凄く毛嫌いする人が多いんですよ。去年の小林幸子の紅白を見て「若者に媚びてるようでイヤだった」と感想を述べた友人が居たほど。
 この映画では「普及したネットインフラ」のアイコンとして使われていました。この次の日放映された王道アニメラブライブ!サンシャイン!」の最新話でも全く同じような使われ方がされており、かくいう自分もあの動画サイトの「弾幕」って嫌いだったりするのですが考えを改めざるを得ない。時代は変わったのだと。
 この映画には「2015年(撮影当時)の今のアイコン」が詰まっています。違和感を覚えたり嫌悪感を抱いたモノがあるのならば、それは単純にそれを受け入れていなかったり、嫌いだったりするだけ。
 いつまでも昭和じゃないのですよ。

 さて、長々とこんな文章を書いた理由なんですが「シン・ゴジラ」は「右翼とか左翼とか」みたいな思想的なものは一切捨てて、そして「怪獣映画とは子供向け映画でありかくあるべし」とかいう様式美を求めるのもやめて、「流行ってるから観にいってみよう」で見に行ってみろ、と言いたいのです。特にこないだの選挙で初めて政治に触れた、と言っていたような人々に。
 実際自分はそうしましたし、観劇後茫然としました。
 その上でイデオロギーを語ったり、俺の考えてた怪獣映画と違うと叫ぶのも自由

 めちゃくちゃにシンプルです。最初の「大怪獣ゴジラ」が生まれなかった現代世界にゴジラが現れたら、を描いただけの映画。だから「怪獣」という造語は登場せず、田舎の狩猟標識に見られるような「有害鳥獣」というリアルすぎる言葉が飛びだす。
 世間は一緒です。登場するゴジラは自然現象であり、「巨悪」でも何でもない。そして翻弄される政府関係者も米軍も逃げ惑う一般市民にもどこにも悪は存在しない。先の選挙騒ぎで「仮想敵」「巨悪」を作って罵倒を繰り返す手法しか出来なかった人々は、結局作中に登場したとおりデモで見当違いの罵声もしくは賞賛を浴びせる事くらいしかできない。
 あのシーン、「大規模インフラ整備という公共事業などムダ」の冷や水を浴びせかけられながら淡々と道路保全の末端仕事してた自分が、「ムダをなくそー、きっとあそこには利権があるはずだ、おー!」と一丸となって、民主党政権を成立するまでに至った人々を冷ややかに眺めていた過去を想起しておりましたよ。巨悪なんていないのに。むしろ、現場写真や実験結果写真は膨大に撮らなきゃいけない予算は細部に至って記録しなきゃいけない電子納品クソめんどい、巨悪ってどこよ!いるとすればこの巨大なひとつのアリの巣のような思念共同体?サタン?リトルデーモン?いるわけないじゃない、そんなもーん!津島ヨハネ

 あ、でも「怪獣プロレス」が真剣に見たい人は見ないほうがよいかも。河崎実監督の「大怪獣モノ」のほうを観にいったらよいのではないでしょうか。

***

 で、物語を観て何を感じたかは個人的事情で書けない話です。これは胸に秘めておきたい。それは一生残るだろう、しかしそれくらい観た価値は十分にあった。さわりだけ書くとすれば、自分はゴジラのほうに感情移入していた。
 間違いなく何度か観にいくべき映画なんだけど、それがあるので見るのは一回にとどめておきます。

2016-05-25

劇場版ガルパンを観た

 「ガルパンはいいぞ」

 オラ(最近この一人称を使っています)はこの作品は絶対気に入るとは思っていたが、どうにもスケジュールが合わず。できるだけカミさんの飯を食べたい毎日が続いているので、なかなか観にいく機会に恵まれなかったのです。
 んでもって、再上映のニュースとともにtwitterで知り合った友人が劇場版を何度も観にいったり、職務上で関東に行った際は聖地巡礼までやってのけるドはまり振りを見せ付けていた。

 こういうのは、ハマってる人の解説があってこそ楽しめる。
 オタク道というのはそういうものだ。
 思えば、カミさん(当時彼女)にエヴァを見せてもらったときもそうだった。
 だからその方と一緒に足を運びましたとも。終わってから語り合い酒を飲みましたとも。

 そんなわけで、テレビシリーズはQMAのアニゲ線問題で出てきたときに調べ物をしたので基本知識はざらっとおさらいした程度。だから、すごく大掛かりなパラレルワールドな話で、ミリタリーな世界観でー…って、それくらいで観にいきました。あえて。

 そんななめた態度でも、冒頭から有無を言わせない。
 ここはこういう世界観なんだ、という直球をいきなり投げ込んで来られてしまった。そこからの120分ずーっと離さなかった。すごい映画だったと言わざるを得ない。

 以下ツイッターでつらつら書いたのも交えて感想を書く。
 「ガルパンはいいぞ」
 なんて言葉で済ましたくはないのだ。

 これはギャルゲー文化の壮大な総括だなあと。

 エロゲで「サフィズムの舷窓」というライアーソフトの名作がある。
 このゲームは登場人物が10数名、で実に捨てキャラが一人もいない愛おしい作品だった。
 「世界各国の金満女子が船に乗り込む学園船」って設定。
 このゲームが出たのは90年代末であのころ、狂ったように学園もののギャルゲーが乱立しまくった時代だったが、一人一人のヒロインキャラを立てられる作家というのはそう現れるわけでもなく。
 サフィズムの舷窓は学園船ポーラースターは「国家を超えた存在」で、そこに各国代表ヒロインを乗っければよかったので非常にキャラを立てやすくなってた。
 イタリア娘はマフィア仕込みのイカサマ師。コロンビアの麻薬王の娘はとても成長の早い植物のおかげで見えなくていいものが見える赤毛のアン。イギリス娘は破産して今はメイド。そういう按配で。

 意識したのかは知らない。下敷きにしたのかどうかも。
 でもガルパンを観ているとやっぱりそれを思い出す。
 「戦車道」「学園艦」という壮大でありえない大掛かりな世界観の上に、「世界各国の戦車」を乗っける手法で敵のキャラ立てをしていたのは賢い戦法だなあと改めて感じた。
 その上で、大洗女子学園のキャラたちも学園ギャルゲーのステレオタイプのハネた説明不要のキャラをいきなり配置している。巧いと思う。

 映画版がなぜあんなに面白かったかって、やはり大洗の子達だけでも面白いのにあの敵キャラたちが味方になったらどう動くか、どうハネるかが楽しくなるわけで。ギャルゲー直撃世代にとってはそこがたまらない。

 もちろん戦車戦が面白い、音響が凄い、演出が凄い、そういった面もあるのだけどこのキャラを全員生かしきったギャルゲー文脈から見た文芸面の凄さ。ギャルゲー文化は萌えを世に浸透せしめた元凶として蛇蝎のように嫌われるためかアニゲ史で軽視される傾向があるけど、今作はその結実だと思うのだ。
 個性豊かな女の子たちの日常を描く群像劇として、素直によくできていた。
 捨てキャラが居なかった。

 ネタバレになるとかそういう話なんてどうでもいいから書くと、鉄道マニア的にはあのタウシュベツ橋梁のシーンが最高であった。
 まさかあれをあんな舞台装置に使うとは。
 士幌線といえば国鉄の夢の終わりを象徴するような「糠平〜十勝三俣」休止区間。
 スナフキンを想起させる継続高校のミカが奏でる音楽は、まるで国鉄への鎮魂歌を奏でているようだった。
 また日本軍が戦車戦を実際に繰り広げたのは、南洋では局地的にルソン島などでもあったようだが、やはり関東軍による大陸戦。今その戦地あたりの中国国鉄のローカル線は本当に末期士幌線のような世界らしい。牙林線とか林碧線とか。整備不良による休止とか一日一往復とか当たり前。
 「ゴルゴ13」でも扱っていたソ連軍と日本軍の壮絶な戦車戦の舞台になったノモンハン事件の戦地付近のローカル線は、日本国鉄みたいなスイッチバックが楽しめるそうな。そこも確か一日1往復の枝線。
 いずれ中国国鉄も、日本のそれと同じように滅んでいくだろう。

 でも、やはり自身この作品の本放送時には多少の抵抗はあった。
 右翼的コンテンツは「タブー」であり、それをあえてやることで笑いが取れる時代があった。インディーズ特撮作品「愛国戦隊大日本」「国防挺身隊」などはまさにそれで。

 さらにこの作品は「萌えアニメ」である。
 ちょっと前に「ラブライブ!」の話をしていると
 「萌え作品の話をしないでください。性的に不快です」
 と真顔で返されて人と絶交した出来事があった。
 オラは萌えコンテンツが世間とどう立ち向かって市民権を得たかの戦いを軽んじるそういうやつが大嫌いだ。性的に不快という言葉で簡単にマウントすんじゃねえ。
 「俺は君のそういうとこが大嫌いだ」
 と突っ返して絶交を決意したが、その人の言い分も実際には承諾はして理解もしている。
 不快なものはしょうがない。それはわかる。
 オラだって女性作家の描いたBLが不快だ。男子校の寮出身だしな。でも許容はする。他人の好き嫌いなんて束縛したくない。
 …でもまあ、そういうことがあってやっぱり考えさせられた。そうなのだ、萌え絵というものに不快を示す層というのは発生するものなのだ。
 「軍国的」に不快を感じる層の人々が現れるのと同じように。

 だから、自分にとってこの作品はすごいハンデを背負ってることになってたんだけれど。
 そこを大掛かりな世界観をしょって立てて、一気に引き込んでしまった。

 ちなみに学校が大掛かりに船の上で教育を行うという設定は教育史を学ぶとわかるが、実際にありえたかもしれない話だったりする。革命後のフランスでは実際にルソーやコンドルセの影響で「子供は寄宿舎に集め教育を行うべし」という案を実行に移す動きがあった。全くリアリティがないわけではない。
 そもそもオラの出た学校も中学高校と大掛かりな学生寮で集団生活だった。
 だからこの大掛かりな設定を「愛国的に非現実に歪めた」と間違って捉えてしまうと実にもったいない話になってしまう。というか邪魔でしかない。今やっている「ハイスクール・フリート」含め「軍国主義を萌えで塗りつぶす気か」という批判、本当にその発想は重ね重ね勿体無い。

 というわけで「萌えアニメ」であり「軍国的」という、左翼史観教育直撃世代のオタクであるオラには拒絶反応が出て当然なコンテンツが、思想も何も突っ込む隙も与えられずに、頭空っぽにして楽しめたという。

 ガルパンは単純に、痛快なスポ根キャラクター群像劇でした。ギャルゲー文法の王道に則った。それ以外の何でもない。

 世界は西住殿が回しております。

 あたしゃ歌うたい。継続高校のミカのように必然に流れ流され生きていきましょう、退却戦なぞ考えず・・・。

 うん、
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 劇場で見ておかないと一生後悔するとこでした。
 戦車道には人生の大事なものがすべて詰まっています。絶対にあなたのどこかに刺さることでしょう。

2015-12-14

ラブライブ!のTVシリーズ感想

 あ、明日ライブします。アレックとマイとの再会が楽しみです。

 12/15(火)「ラウンジサウンズ〜宇宙サービスミルフィーユ過剰」 at VoodooLounge
 1500+1d op19
 出演)アレックエレジャポネーズ(ベルギー)
    宇宙サービス
    brownbems
    しばキョントリオ
    鮫肌尻子とダイナマイト
    clawset
 司会とDJ)ボギー

***

 カミさんにドン引かれるくらいラブライブにはまってしまった。
きっかけは対バンの女の子のバンドマンがみんな薦めてくるからだった。なぜなんだ・・・?おかしい。
 と思って観てみたら、うちのバンドに巫女がいる、オタク系のダンサーメンバーがいる、劇中で「宇宙一のアイドルを目指す」、などどうもそれ観て音楽やろうと思ったORやってて良かったギャルが多数いる模様。道理で山口でライブやった時モテモテだったと思った。そして確かに若い女の子にウケがいい。合点が行った。
 テンポがよくてご都合主義でもぐいぐい話が進む。43のオッサンですら音楽やっててよかったと思ったよ。

 そんでもって主要キャラクター・矢澤にこのサクセスストーリーとしてアニメを楽しんだ。
 この作品は、思った以上に深い。沼のように深い。
 「音楽活動あるある」探しだけに留まらなかった。

 彼女は主人公格ではない。「困った先輩」として登場する。加入するいきさつも
 「扱いにくいめんどくさいやつ」
 として登場する。
 でも、彼女は一度スクールアイドルをやって挫折して、いわゆる「奇跡待ち」をしていた。この奇跡待ちの苦しみ、凄く分かる。
 彼女はたった一人のアイドル研究会で何かしらはやっていただろう。
 誰も振り向かないようなことでも、何でも、何かを。あの部室で。
 だから結局μ’sが現れたときなんだかんだとストーキングをし、部室に最初の6人が現れて部長格として名前を呼んでくれた時、鳥肌が立つくらい嬉しかったに違いない。

 そういえば自分のバンドは10年前のある日突然ボギーくんからの「ラウンジサウンズ、出ませんか?」メールからいろんな冒険譚が始まった。何で誘ったのか、どうしてぼくらを知ったのは覚えてないという。
 その頃確かに自分は「奇跡待ち」をしていた。最終的ににこっちみたいに、ボギくんが手を引いてくれてたまの石川さんに引き合わせれくれるような奇跡があったり、海里さんに手を引かれてドラムロゴスのアリーナをサイリウムでゆらしたり。

 2部の11話、最後まで泣かなかったにこの気持ちは物凄くわかる。
 泣いてしまったら、それは奇跡待ちの手を休めることになるから。
 彼女はもう次に来る奇跡の事を考えていたんだろう。それは彼女の成長の証。
 だから、一番大きな声で泣いた。泣いてもいい、って言われたら、泣くしかないじゃない。

 にこはきっとどのメンバーよりも音楽に執着する人生を送るんだろうな、と思う。果てしなく。全編通した彼女の成功体験はきっと、ライブがやれるならと楽器を必死に覚えることも厭わないくらいに成長させているだろう。
 なんといっても挫折をしてなお奇跡待ちができる根性があるんだ。

 音楽活動をすっぱり諦めて、足跡を半狂乱で踏み消しにかかるバンドマンの同胞を何人も見てきた。その様は無様で見るに堪えない。
 「やんなきゃよかったのに」
 と冷笑する声に怯え、SNSのアカウントを消し、どこかに消えていった連中。

 それに比べたら彼女はなんと強い子なのだろう。そして、幸せなほんの一握りの子のだろう。
 そう、書いてるこの俺もまた幸せなほんの一握り。…って、自分は言うほど全然成功してないけど、それでも幸せなほうなのよ。つくづくそう思った。
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2015-11-30

必殺仕事人2015の感想

 いやあ、もちろん「必殺」としては粗雑な作りでしたよ。必殺仕事人IV辺りの明らかに設定作りにやる気のないステレオ型の悪党。見られまくりの殺しシーン。もっとやれただろう、竹中直人。

 しかし、前期必殺を体験した業の深いものには十分楽しめた。殺し屋の業の話が本当のメイン。もうそういう華やかなシーンはすっ飛ばして、ずーっと今回のゲスト仕事人・瓦屋の甚八郎・お京コンビの末路を追ってましたとも。
 おそらく知念君LOVEな多感な女子たち、後期必殺が好きな「必殺!仕事人」な方々には全くもって「何独りよがりの上から目線してんのさ」と言われてもしょーがない。

 ツイッターでさんざ書き散らしたが、この回は「必殺仕置屋稼業」のオマージュをふんだんに取り入れている。孤児となり裏稼業者の鳶辰(津川雅彦)に拾われ、殺人マシーンとして意図的に育てられた市松(沖雅也)。彼は本物の殺し屋で厳密な「仕置屋」ではなく、作中ではやくざ者から外道殺しを受けてる描写も見受けられるほど。仕置屋には偶々主水に仕事を見られた、主水のほうが腕前は格上である以上チームに属しているに過ぎなかった。

 10話「一筆啓上姦計が見えた」にて、主水の同僚一家が殺され孤児が出てくるのだが、その孤児を無理に引き取ろうとする市松。他のメンバーにもあっさり懐くその子。もちろんその回の殺しはその同僚の仇。
 殺しのシーンが終わって主水が引き取り先を見つけた旨を告げる、渋る市松の目に映ったのは、知らないところで見ていたのか。子供がやっていたのは市松の殺し技・竹串を使った刺殺。見事な腕前で蜘蛛に突き刺さった竹串。主水がこう告げる。
 「門前の小僧、習わぬ経を読むってやつだ」
 ぎょっとして手放す事を了承する、という苦いラストだった。

 信州で握り飯一つ持った少女を、捨て切れなかった瓦屋の陣八郎。泣きぼくろのお宮はその子に重なってしまう。そしてそのお宮の最期は、「これで裏の仕事は最後」と決めた仕事で陣八郎を庇って死ぬという、裏の仕事師として至極真っ当な巡り巡った人殺しという罪の業が呼んだ皮肉な結末。

 悪い事をやったら巡りめぐって自分に降りかかる、たとえそれが正義に基づいたものとはいえ。必殺は危ないコンテンツなんですよ、本来は。現代社会で当て嵌めてみたらテロリズムの礼賛なのですから。
 思えばかつて「必殺商売人」中村主水も、わが子がいったん産声を上げながらも死産に終わった。それはまるで天罰のように思えたに違いない。

 思えばこの2015、やたらと仕置屋稼業を意識したフレーズが二人のエピソードから散見される。最終回で奉行所に捕まる市松、しかし中村主水がへまをやるというアシストで逃亡。逃亡先で主水から渡されたおにぎりを口に入れると中から一両小判が。それを見て、人間らしい笑顔を見せる市松。次作「必殺仕業人」は信州で市松と組んで殺しをやった赤井剣之介が、中村主水を頼ってやってくるところから話が始まる。そして何より、屋根。仕置屋稼業といえば屋根だ。もう一人のメンバー・印玄の殺し技は「必殺屋根落とし」という非常に単純かつエキセントリックな殺し技だった。仕置屋のエンタメ性を高めたのはあの「屋根」だった。

 ・・・とまあ、過去作を見た人だとこれだけ語れるくらい深い話だったんです。あ、そういえば思い出した。中村主水はその仕置屋の最終回ので「少しでも市松が裏切るそぶりを見せたら、殺せ」とうどん啜りながら平気で吐き捨て、そこでタイトル画面へと切り替わる。
 最後のお菊の「裏稼業を知られたら?当然、殺すだろうね、二人を」って台詞。綺麗に掛かってます。 

 そしてこの文章を読んで必殺2009を見返してみるときっと、あーこんな深い話だったんだ、と思える若い子が増えたらなあと思うのです。

 いやーおじさんねー、必殺シリーズ2時間スペシャルがリアルタイムであってた頃を思い出すわけですよ。あー、またこういうストーリーか、こいつ殺される、ゲスト仕事人来たら絶対死ぬなーとか。で、やっぱりその通りでガッカリして。悪乗りに辟易して。

 若い子は羨ましいよ、2015は、当たりだった。
 あ、そうそう知念君は必殺のキャラ的にアリでした。古参のおじさんも認めざるを得ない。