jimusiの昼寝

2005-09-28

[]トンデモ理論

http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/etc/050926etc.html

 寡聞にして「インテリジェンス・デザイン理論」なるものをこれまで知りませんでしたが、これはまた、典型的なトンデモ理論のパターンであるようです。主張していることが、進化論に対する単なる揚げ足取りにすぎないという点では、「ホロコーストはなかった」「南京事件はなかった」といった類の歴史修正主義と、軌を一にするものであるようにも思われます。


進化論偏向は道徳教育にマイナス 日本の識者も主張

 「人間の祖先はサルだという教育は、生物の授業の仮説ならともかく歴史教育や道徳教育にはマイナスだ」「進化論はマルクス主義と同じ唯物論であり、人間の尊厳を重視した教育を行うべきだ」という議論は日本でも多くの識者から主張されてきた。

 マルクス主義の影響を最も強く受けているとされる日本書籍の中学歴史教科書は平成十三年度使用版まで、見開き二ページを使ってダーウィンの進化論と旧約聖書の創世記、戦前の歴史教科書の日本神話を対比させて聖書神話を否定的に受け止めるよう誘導していた。

 このような教育に対し、日本神話の再評価を訴えている作家・日本画家の出雲井晶さんは「道徳の上では人間は人間、獣は獣。人間を獣の次元に落とす進化論偏向教育が子供たちを野蛮にしている。誰が日本人を作ったのかというロマンを教えるべきだ」と話す。

 中川八洋筑波大教授は著書『正統の哲学 異端の思想』でダーウィンを批判。創造論、進化論の双方が非科学的だとしても「文明の政治社会の人間の祖先として『神の創造した人間』という非科学的な神話は人間をより高貴なものへと発展させる自覚と責任をわれわれに与えるが、『サルの子孫』という非科学的な神話(神学)は、人間の人間としての自己否定を促しその退行や動物化正当化する」と論じている。

 最後に、上記の引用の通り、産経新聞が言うところの「識者」達の主張が取り上げられ、産経新聞自身も「トンデモ」であることを明らかにしています。

 それにしても、この渡辺久義京大名誉教授という人物は英米文学を専攻されている方とのことですが、「英米文学者トンデモ」と言えば、渡部昇一氏を思い出してしまいました。渡部昇一氏も、英語学者としては実績のある人物だそうですが、氏の歴史に関する書物は、まさに「トンデモ本」としか言いようのないものがほとんどのように思われます。

 そういえば、随分以前の話ですが、渡部氏が訳したF・フクヤマの『歴史の終わり』を、私の母校の「西洋史講読」の授業で、翻訳の悪例として使っているということを聞いたことがあります。普通、あのような長期にわたる歴史を扱った大著を訳す場合、複数の人間がチームを組んで訳すことが多いのですが、渡部氏は歴史学者の協力を得ずに単独で翻訳したため、訳語におかしな言葉が使われていることが多いのだそうです。

野良猫野良猫 2005/10/01 00:36 何かを「トンデモ」と評価するならば、なぜそういう評価に至ったのかを説明できなければいけません。同様に、アニメ評論で「この作品はトンデモです。終わり」と書いていれば、ファンからの反論がたくさん届くでしょう(知名度にもよりますが)。
 この記事のポイントは、生物学という学問とは別に「神話」などの価値も認めるべきだということ。民族に伝わる「神話」は、田舎に帰った子供達が昔話を聞くことで家族のルーツなどを自覚するのと、同じような効果がある。
 自らのルーツを自覚できない個人や民族は、強い自我を持った他民族にあっさりと滅ぼされてしまうのが歴史の定め(ユダヤ民族が滅びなかったのは、そうした精神的支柱があったからとも言える)。

 そうしたモノを忌み嫌い、人工的なイデオロギーで新しい国家を作ろうとしたのが、かつての共産主義国家群でした。しかし、自国民の大量虐殺などを起こしてほとんどの国が瓦解したのは周知の事実です(未だ存在している国もありますが)。

「私はこう思いました(あなたもそう思って)」というのでは、ネット上に意見を出す意味がありません(日常会話の方法としては有効ですが)。
 また「〜はウヨクだ。あるいは〜というミスをした。だから大したことのない奴だ。〜の主張など一片たりとも価値などない」……という言い方は、ある種の完璧主義を他人に望んでいるようで、あまり好感がもてません。

 今までは、そういうネタを出したことは無かったんですが……、ならば一つだけ書いてみることにします。
「南京」に関わる議論でしばしば引用される、藤原彰教授(故人)。かつて彼は「朝鮮戦争」のことを「韓国側から仕掛けた戦争だ」と生徒達に教えていたようです。言うまでもなく、あの戦争は北朝鮮軍が開戦したものなんですが、全く逆のことを教えていたわけですね。もちろん、日本国内に報道管制などは無い。

 理由はただ一つ。「共産主義陣営を侵略者だと言いたくなかった」。そして、彼はその過ちを終生認めようとはしませんでした。つまり、正確な学問よりも、イデオロギー流布の方を重視した大学教授だったということです。

 これこそが「歴史修正主義者」じゃないだろうか、と思うこのごろです。過去に何人か「朝鮮戦争は韓国側が米軍と協同して仕掛けた」と主張する方が居ただけに、責任は重いと思うのですがいかがでしょうか?(不勉強と言えばそれまでですが)。

jimusiosakajimusiosaka 2005/10/02 23:13 >何かを「トンデモ」と評価するならば、なぜそういう評価に至ったのかを説明できなければいけません。

 すでに多くのブログでこの産経の記事が「トンデモ」であることは指摘されており、同じような内容のことを改めて書くのは「屋上屋を重ねる」ことになりそうだったので、私自身の意見はあまり述べていませんでした。しかし、野良猫さんからこのような指摘を受けましたので、後日に改めてエントリを作りたいと思います。

>「私はこう思いました(あなたもそう思って)」
>「〜はウヨクだ。あるいは〜というミスをした。だから大したことのない奴だ。〜の主張など一片たりとも価値などない」……という言い方

  「 」で文章を引用する形になっていますが、一体どこで私がこんなことを述べているのですか?他人の言葉に変なつけたしをしたり、言ってもいない言葉を捏造するのは、やめて頂きたい。

>今までは、そういうネタを出したことは無かったんですが……、ならば一つだけ書いてみることにします。「南京」に関わる議論でしばしば引用される、藤原彰教授(故人)。かつて彼は「朝鮮戦争」のことを「韓国側から仕掛けた戦争だ」と生徒達に教えていたようです。言うまでもなく、あの戦争は北朝鮮軍が開戦したものなんですが、全く逆のことを教えていたわけですね。もちろん、日本国内に報道管制などは無い。
 理由はただ一つ。「共産主義陣営を侵略者だと言いたくなかった」。そして、彼はその過ちを終生認めようとはしませんでした。つまり、正確な学問よりも、イデオロギー流布の方を重視した大学教授だったということです。

 「〜生徒達に教えていたようです。」と、最初は推測する言い方なのに、「彼はその過ちを終生認めようとはしませんでした。」と、後の文では断定する言い方になっているのは何故なのですか?また、「その過ちを終生認めようとはしませんでした」ということは、藤原彰氏に対してこの件について問いただした人がいた、ということなのでしょうか?どうも、事実関係がよくわかりません。この話の出典はどこなのか、お教え頂けると有難いです。

berryberry 2005/10/03 00:51 >野良猫さん

>また「〜はウヨクだ。あるいは〜というミスをした。だから大したことのない奴だ。〜の主張など一片たりとも価値などない」……という言い方は、ある種の完璧主義を他人に望んでいるようで、あまり好感がもてません。

jimusiさんが「〜はウヨクだ。あるいは〜というミスをした。だから大したことのない奴だ。〜の主張など一片たりとも価値などない」と言う旨の発言をした箇所を提示していただけますか。

野良猫野良猫 2005/10/03 01:29 >後日に改めてエントリを作りたいと思います。

 はい、期待しています。記事の主旨がジムシィさんに自明の理であっても、サイトの巡回先や知識量の異なる読み手の側には、納得できる説明が必要ですからね。同意を得られるという前提で動くのではなく、どのようにして理解を得られるように伝えるかが大事ということです。

>言ってもいない言葉を捏造するのは、やめて頂きたい。

 読者の共感を前提としている記事の問題点については、前述の通り。ジムシィさんが気づいているかは解りませんが「共感」をベースにした内容では、同じアンテナの人間にしか届きません。例えるなら「かみちゅ!」をほとんど全話観ていて、ほぼ同じ感想を抱いているような人達の集まるような、そんな場所でしか通用しにくい主張なんです。
 政治ネタを書くのには、結論に至る過程までをきちんと説明できる能力が要ります。つまり「共感」ではなく「分析」をベースにするべきなんです。

 また、先述の「〜はウヨクである。〜だから一片の価値もない」とは、あなたの発言ではなく主張方法のこと。しばしば、何かを否定するときに使われるものですね。

 たとえば、渡辺久義教授を批判するのに際して、直接は関係ない渡部昇一氏を持ってきて、具体的な説明もないままに著書を「トンデモ本」と一蹴している。共著で本を出しているような双方の意見への確認でもない限り、あまりこうした批判に意味はない。
 彼の歴史観がどのように間違っているのか、あるいは知識の誤りなどの指摘もなく「トンデモです」と書かれても、読み手の側としては困ってしまいます。
 日常会話の場などで直接こういう話をされた場合なら「まあ、そうかもしれませんね」くらいは返すでしょうが、ネット上で文章をやりとりする場合では上手くいかないのです。

>この話の出典はどこなのか、お教え頂けると有難いです。

 たとえば「反日日本人の正体(井沢元彦)」にも載っています。必要ならば、取り寄せて確認してみてください。似たような話題ですと、本多勝一が「南京への道」などの著書で、文化大革命を賞賛していた部分を重版の際に削除していたとか、「百人斬り報道」の誤りは認めないものの「週刊金曜日」の編集後記で「レイプ・オブ・ナンキン」の内容を批判していたというのもあります。
「貧困なる精神」というコラムで「ソ連が崩壊したのに、社会学者や知識人は誤りを認めない。総括すべきだ」と書いていながら、自分はしないのだろうかと不思議に思ったモノです。

 人間というのは限られた情報と能力のなかで行動するものですから、ミスがあって当然だし、それによって功績の全てが否定されるべきではありません。
 ですから、考えるのが面倒な時などにレッテルを貼るのは構わないんですが、第三者に主張する際には使わない方がいいんじゃないでしょうか。
 そんなところですね。

JonahJonah 2005/10/03 22:37 なんつーか、野良猫さん自身の発言のワキの甘さのわりに、ジムシイさんに求めることが厳しすぎるんじゃないでしょうか。ある種の完璧主義を他人に望んでいるようで、あまり好感がもてません。
ワキの甘い発言の一例。

>民族に伝わる「神話」は、田舎に帰った子供達が昔話を聞くことで家族のルーツなどを自覚するのと、同じような効果がある。

「同じような効果がある」というのは経験的に確認されたことでしょうか?それとも野良猫さんの意見なのでしょうか。「私はこう思いました(あなたもそう思って)」というのでは、ネット上に意見を出す意味がありません

ダイナミックダイナミック 2005/10/03 22:39 >ですから、考えるのが面倒な時などにレッテルを貼るのは構わないんですが、第三者に主張する際には使わない方がいいんじゃないでしょうか。

そう仰る野良猫さんのブログでは「反日左翼」という言葉が唐突に出てきたりします。第三者に主張する際には使わない方がいいんじゃないでしょうか。

JonahJonah 2005/10/03 22:42 >「百人斬り報道」の誤りは認めないものの「週刊金曜日」の編集後記で「レイプ・オブ・ナンキン」の内容を批判していたというのもあります。

それも『反日日本人の正体』に載っているエピソードなんでしょうか。それを見てみる必要があるかも知れませんが、野良猫さんの書いたことから判断するなら、「百人斬り報道」の誤りは認めないことと、「レイプ・オブ・ナンキン」の内容を批判することって別に自家撞着しないでしょう。

bluefox014bluefox014 2005/10/04 01:11 井沢氏は、「朝日新聞の正義」という本で本多勝一氏を批判していますね。以下に引用します。

「71年当時に、朝日新聞の記者だったジャーナリストの本多勝一氏が「中国の旅」という連載キャンペーンの中で日本軍の少尉2人が前線で敵兵の百人斬り競争をしたという記事を書き、それに山本さんが「この物語は『伝説だ』」と指摘して論争になったわけです。でも、物理的にも、歴史的な常識、戦争の常識から言っても、日本刀一振り(1本)で銃を持っている敵兵を百人も斬れるなんてことはありえないわけですよ」

ところが、本多氏の著書にも当時の新聞にも二人の少尉が「銃を持っている敵兵を百人斬った」などという記述はありません。そもそも本多氏は、少尉たちが斬った相手は武装を解いた中国兵士たちで、「白兵戦での百人斬り」ではなく「据え物百人斬り競争」だったと「中国の旅」で述べています。
つまり井沢氏は、批判対象の書籍の文章(しかも基本的事柄)をきちんと読めない、あるいは読んだ上で内容をねじまげて紹介する、のいずれの状態で、上の発言をされているわけですね。いわゆるシャドーボクシングの典型例です。

このような例を見る限り、井沢氏が「誤り」と指摘した事柄は本当に誤りなのか、一定の留保が必要でしょう。井沢氏の国語力の低さ故の誤読とか、井沢氏の意図的なデマである可能性がありますから。

jimusiosakajimusiosaka 2005/10/07 01:07 多くのコメントを頂き、有難うございます。レスが遅くなってしまい、誠に失礼致しました。
野良猫さん
>同意を得られるという前提で動くのではなく
>読者の共感を前提としている記事の問題点については、前述の通り。ジムシィさんが気づいているかは解りませんが「共感」をベースにした内容では、同じアンテナの人間にしか届きません。〜政治ネタを書くのには、結論に至る過程までをきちんと説明できる能力が要ります。つまり「共感」ではなく「分析」をベースにするべきなんです。

 私はこのブログで自分の考えや感想を述べていますが、それらは読み手の「同意を得られるという前提」に立ったり、「「共感」をベースにし」ているつもりはありませんし、そのような印象を与えるような書き方もしていないと思っています。分析や説明が不足している、というご批判ならお受けしますが、「共感をベースにしている」とおっしゃるのは、野良猫さんの誤解でしょう。
 それから、野良猫さんは私への批判で、「私はこう思いました(あなたもそう思って)」という書き方をされましたが、野良猫さんは「私はこう思いました」という文(そのような文は、よく目にするものだと思いますが)を読む時に、その文に「(あなたもそう思って)」という言葉を補って、この文を書いた人間は読み手の同意を得ようとしている、と解釈されるのですか?それは、かなり特殊な読み方であるように思うのですが。

>また、先述の「〜はウヨクである。〜だから一片の価値もない」とは、あなたの発言ではなく主張方法のこと。〜 たとえば、渡辺久義教授を批判するのに際して、直接は関係ない渡部昇一氏を持ってきて、具体的な説明もないままに著書を「トンデモ本」と一蹴している。

 上述の通り、「具体的な説明もないままに(渡部昇一氏の)著書を「トンデモ本」と一蹴している」という、分析や説明が不足している、とのご批判は承ります。できれば稿を改めて、渡部昇一氏の歴史に関する著書についても論じてみたいと思います。
 しかし、このことを「〜はウヨクである。〜だから一片の価値もない」という「主張方法」の例とされているのには、納得できません。
 私が渡部昇一氏の歴史に関する著書について述べた部分は、次のようなものでした。
「氏の歴史に関する書物は、まさに「トンデモ本」としか言いようのないものがほとんどのように思われます。」
 このように述べる「主張方法」が、何故
「「〜はウヨクだ。あるいは〜というミスをした。だから大したことのない奴だ。〜の主張など一片たりとも価値などない」……という言い方」
ということになってしまうのでしょうか?いくらなんでも、尾ひれをつけすぎではありませんか?

>たとえば「反日日本人の正体(井沢元彦)」にも載っています。

 では、一度読んでみます。

Jonahさん、コメントを有難うございます。
>野良猫さんの書いたことから判断するなら、「百人斬り報道」の誤りは認めないことと、「レイプ・オブ・ナンキン」の内容を批判することって別に自家撞着しないでしょう。
 
 全くその通りだと思います。野良猫さんは、「南京事件肯定派」の主張が一枚岩のものだと誤解されているのかもしれません。

berryさん、ダイナミックさん、ようこそいらっしゃいませ。コメントを有難うございます。

bluefox014さん、コメントとTBを頂き、有難うございます。
>つまり井沢氏は、批判対象の書籍の文章(しかも基本的事柄)をきちんと読めない、あるいは読んだ上で内容をねじまげて紹介する、のいずれの状態で、上の発言をされているわけですね。いわゆるシャドーボクシングの典型例です。

 「百人斬り」については、私もdrmccoyさんのブログのコメント欄(http://d.hatena.ne.jp/drmccoy/20050824/p3#c)に書き込みをさせて頂いたのですが、『中国の旅』を批判する人達の中には、どうも『中国の旅』そのものをきちんと読んでいない人が多いのではないか、という気がしてなりません。

野良猫野良猫 2005/10/08 12:37 マルチレスです。

>Jonahさん&ダイナミックさん

>ジムシイさんに求めることが厳しすぎるんじゃないでしょうか。

 そんなに厳しいレベルの要求とは考えられません。結論に至る過程を説明する必要性、同意を前提とする文章に関する問題点は重要なことです。基礎的なことから全て解説する必要はありませんが、過程が解らないことには読み手が検証しようがありませんからね。
 これが日常の話題(例えば定食屋でカレーを食べたとか)ならいいんですが、政治ネタで主張を書くならばそういう点に注意する必要があります。

>それとも野良猫さんの意見なのでしょうか。

 これは僕自身の体験でもあり、意見とも言えます。こうした感覚が家族や郷里から得られなかった人達が、代用品として心のパーツにしているのが「世界平和・核廃絶」などの人工的イデオロギーです。中国や朝鮮の歴史教育も人工的なものですが、本来は民族の神話や歴史観というものは、政治上の都合などに左右されず併存出来るものだと考えています(元記事の教授がそこまで考えてるかは不明ですが)。

 かつて「共産主義」が外部に拡大していく形でしか存在できなかったように、人工的なパーツを心理的な構成材料にしている者は、長い年月を経て培われてきたモノを破壊して塗り替えることで満足感を得ようとする傾向がある。これは歴史ネタに限ったことではないのかもしれませんけれどね……。
 元記事のような意見に反発する人達は、具体的な欠点や対案となるモデルを提示しないケースがほとんどです。または、破壊後のプランを明確に考えてもいないようです。

 このように心理的な不安を解消するために、イデオロギーに染まった主張と伝統的な存在を熟慮せずに否定しようとする感情的な人達のことを、僕は「反日左翼」と呼んでいます。これは僕にとって「評価」した結果であって「差別・偏見」とは考えていません。
 それが不当に低い評価であるというのなら、あなた方自身でそうではない・素晴らしい考え方なのだという「反論」を行ってください。
 興味深い内容だった場合には、再考する余地はあるつもりです(もちろん、それに見合うだけの内容なら)。

>青狐さん

 それでしたら「百人斬り」という記事を公表した本多勝一氏は、内容を整理する義務があると考えます。裁判の過程・浅海記者の記事の信憑性・「証拠」とされた新聞記事で処刑されたジャーナリズムの責任・事件の有無の再確認など、すっきりとまとめる義務がありますね。
 前にもお願いしたことですが、青狐さんのような方が当時の資料を調べて「百人斬り裁判は公正な裁判で判決は妥当だった。また、本多勝一氏の記事も正しいものである」……とまとめればいいのです。

 部分引用や枝葉末節の事は後でよいので、ご自分の「南京事件・百人斬り」に関する明確な意見をブログ上で述べてください。

berryberry 2005/10/09 00:49 >>ジムシイさんに求めることが厳しすぎるんじゃないでしょうか。
>そんなに厳しいレベルの要求とは考えられません。

元のJonahさんの発言はこうでした。


>なんつーか、野良猫さん自身の発言のワキの甘さのわりに、ジムシイさんに求めることが厳しすぎるんじゃないでしょうか。ある種の完璧主義を他人に望んでいるようで、あまり好感がもてません。

「野良猫さん自身の発言のワキの甘さのわりに」厳しいとJonahさんは述べていたわけです。

berryberry 2005/10/09 01:03 >前にもお願いしたことですが、青狐さんのような方が当時の資料を調べて「百人斬り裁判は公正な裁判で判決は妥当だった。また、本多勝一氏の記事も正しいものである」……とまとめればいいのです。

私は常々疑問に思うのですが、青狐さんは井沢の本多発言批判が「シャドーボクシング」だと指摘した、それに対して「百人斬り裁判」そのものへの意見を要求する野良猫さんの対応には納得がいきませんね。要は、井沢氏の「シャドーボクシング」の問題を話題からそらしたいわけですね。

berryberry 2005/10/09 01:11 >そんなに厳しいレベルの要求とは考えられません。結論に至る過程を説明する必要性、同意を前提とする文章に関する問題点は重要なことです。基礎的なことから全て解説する必要はありませんが、過程が解らないことには読み手が検証しようがありませんからね。

ところが、野良猫さんは当初

>民族に伝わる「神話」は、田舎に帰った子供達が昔話を聞くことで家族のルーツなどを自覚するのと、同じような効果がある。

と発言したときに、「結論に至る過程を説明」していないので、「過程が解らないことには読み手が検証しようがありません」でした。ご自分では自分の「結論に至る過程を説明」していないけど、ジムシさんに対しては要求していたわけで、これは随分ムシのいい話だと思います。

kemu-rikemu-ri 2005/10/09 02:52 >>>民族に伝わる「神話」は、田舎に帰った子供達が昔話を聞くことで家族のルーツなどを自覚するのと、同じような効果がある。
>>「同じような効果がある」というのは経験的に確認されたことでしょうか?それとも野良猫さんの意見なのでしょうか。「。
>これは僕自身の体験でもあり、意見とも言えます。こうした感覚が家族や郷里から得られなかった人達が、代用品として心のパーツにしているのが「世界平和・核廃絶」などの人工的イデオロギーです。

どこまでが体験で、どこからが意見なのか判然としませんね。それでは、「結論に至る過程を説明」していないので、「過程が解らないことには読み手が検証しようがありません」。

berryさんは「当初の発言の時点」での説明の欠如を問題にしているようですが、現時点においても、野良猫さんは自身の意見の「結論に至る過程」をちゃんと説明しません。それでいて、相手には「結論に至る過程」の説明を要求するというのはちょっとマンガ的ですね。

kemu-rikemu-ri 2005/10/09 03:06 >>>民族に伝わる「神話」は、田舎に帰った子供達が昔話を聞くことで家族のルーツなどを自覚するのと、同じような効果がある。
>>それとも野良猫さんの意見なのでしょうか。
>これは僕自身の体験でもあり、意見とも言えます。こうした感覚が家族や郷里から得られなかった人達が、代用品として心のパーツにしているのが「世界平和・核廃絶」などの人工的イデオロギーです。

「家族や郷里から与えられる」のは「昔話」です(野良猫さんの最初の発言においてもそうでしょう)から、以下のような考え方も成り立つわけですね。

昔話を「家族や郷里から得られなかった人達が、代用品として心のパーツにしているのが「神話」などの人工的イデオロギーです」。

bluefox014bluefox014 2005/10/09 04:35 私の「井沢氏のシャドーボクシング」の指摘に対し、「本多勝一氏は内容を整理する義務がある」と述べても、あまり意味はありません。本多氏が内容を整理しようとしまいと、井沢氏が本多氏の著作をきちんと読んでいない、あるいは故意に歪曲したという問題には変わりありません。

bluefox014bluefox014 2005/10/09 06:49 >これは僕自身の体験でもあり、意見とも言えます。こうした感覚が家族や郷里から得られなかった人達が、代用品として心のパーツにしているのが「世界平和・核廃絶」などの人工的イデオロギーです。

最後に「…です」と断定されていますね。まったく、どうしてここで断定的に語ってしまうのでしょうね。私から見れば、そのような性急な断定的物言いは、結局「信仰告白」以上のものではない、としか受け取れません。とりわけ、野良猫さんのように、他人の発言の基本的部分をきちんと読めない・理解できないリテラシー能力の低さをあちこちで露呈している人間にまともな「心理分析」ができるとは到底思えませんから。せいぜい野良猫さんが「こうだと思いたい」、という願望がそこに表現されている、と読み取るしか私にはできません。
もちろんこれは私の主観的読み取りなので、これを他人に押しつけるつもりはありませんが。

野良猫さんにとっては、「世界平和」や「核廃絶」は人工的イデオロギーの範疇に含まれるようですね。それはある種の極論にしか私には思えませんが、その極論にあくまで固執されるのなら、「民族」概念も「神話」も人工的イデオロギーの範疇に含まれるのではないか、という問題意識への留意は最低限必要だと思いますね。

私から見ると、野良猫さんご自身が何らかを得られなかった故に「何かの代用品」として、民族という「人工的イデオロギー」を心のパーツとしている人間なのではないか、と薄々感じています。その人工的イデオロギーへの固執(≒信仰)ゆえ、これまで数々の議論において相手の発言をきちんと読解できず、少なくない数の反則的過ちを犯し、そしてそれを指摘されても改めないようとしないのだろうなと感じています。

野良猫野良猫 2005/10/09 11:17  
>青狐さん

>井沢氏の意図的なデマである可能性がありますから。

 百人斬りネタは書かずにおくつもりでしたが……ご希望なら触れておくとします。事の経緯は、戦後になって市ヶ谷の東京国際軍事法廷に向井少尉らが呼び出しを受けた事から始まります。この時は米国の検察官が浅海記者にも訊問を行い、米国でもよくある「報道被害」として釈放されている。
 それを知った中国側が新たに戦犯として立件したのが、昭和22年のこと。目撃者や証人もなく「証拠」は浅海記者の新聞記事のみで死刑判決を受けています。

 著者も戦犯容疑として収容され、日本人や外国人がどのような裁判を受けたか語る「北京収容所(佐藤亮一)」、BC級戦犯の記録をまとめた「孤島の土となるとも(岩川隆)」にも当時の戦犯裁判がズサンなものだった事が記されています(特に中国国民党・共産党とオランダが酷かった)。

 証拠物件には「敵陣に斬り込んだ」と書かれている(そもそも据え物斬りで百人斬ったところで勇ましい記事にはならない)。こうなると、そもそも「据え物斬り」という言葉がどこから出てきたのかが問題になる。
 つまり──、

1.浅海記者が残酷な自慢話を勇敢な話に創作したのか。
2.戦意高揚記事を作るために彼らの名前を利用して虚報(今で言う東スポの感覚に近いですが)を書いたのか。
3.彼らの所属する部隊からの、多数の捕虜虐殺に立ち会ったとする「証言」があるのか。
 そして──、

4.裁判の経緯を知った人達の反論に際して、慌てて辻褄合わせをしたのか。

 ──このくらいしか考えつかない。この問題を国内で大きくとりあげた本多勝一氏は、議論内容を整理して一般の人々に説明する義務があるのではないでしょうか? もちろん、彼の主張を信じる誰かが行っても構わないのです。百人ではないにしても、人数の規模はどうだったか。刀や銃剣のメンテナンスはどうだったか。証言や証拠記録は他にどの程度存在するのか……?
 そういった事も含めて、理路整然と反論すれば井沢元彦など恐るるに足りません。
 彼らを完封するような主張を見せていただきたいところです。もちろん、南京ネタも含めて。

>berryさん

 自らのルーツを知ると言うことは、自分がどこに所属してどのような価値観を持つ共同体に属するかを確認するために、非常に重要なことです。自分はそんなものに影響を受けていない・全く新しい何かを作り出せる、と意気込むのは若い学生さんくらいのもので、周囲から意識・無意識を問わず影響を受ける事は、誰にも否定できない。
 ここまでの説明で全く想像もつかないとすれば、その人は自分の思考や価値観がどのように形成されていったかを考えたことが無いのでしょう。あるいは、住んでいる地域の「歴史感覚」とは縁のない生活をしてきたのだろうと察せられます。

 ここにコメントを書いてる皆さんが、ある種の「価値観」で連帯しているように、国家や民族もそうした「歴史感覚」をパーツとして繋がっているのです。そういう構造的なものを理解していれば、元記事の「神話」などに反発する必要などはないはずですね。

 こういう場合、鏡返しの論法にあまり意味はありません。どちらかというと「神話などなくても国家や民族はやっていける。あるいはそもそも国家などいらない」というような、自らの正当性をアピールすべきですね。
 自分の考えを公表して否定されるのは恐ろしいですか? 

>煙さん

 はじめまして、でしょうか。青狐さんのブログとよく似た形式でとても面白いと思います。最近はこういう形式が多いんでしょうか?

>昔話を「家族や郷里から得られなかった人達が、代用品として心のパーツにして
>いるのが「神話」などの人工的イデオロギーです」。

「神話」もまた昔話です。祖先がどのような価値観を信じ、伝えてきたのかを知る上で重要な手がかりの一つになります。過去を知らなければ現在を理解することは出来ない。今の政治家が過去の国会決議などを知らない故に、ゼロから議論をやり直している状況などはよく当てはまっています。
 神話もまた「人工的」に過ぎないとしても、自分の頭や知識人だけで作り上げたモノよりは長い歴史を経ている分、信頼性が高いパーツだと言えます。それを否定するとしたら、もっと価値のある別の何かをアピールする必要があるでしょう。

 いい機会ですから、それをご自分のブログに書いてみてください。関心が向けばトラックバックを打つこともあるでしょう。

>再び、青狐さん

>人工的イデオロギーの範疇に含まれるようですね

 具体案なく理想論ばかり述べるのは、いわゆるコトダマイストに過ぎません。ニューギニアの現地部隊に「理想」ばかり要求して惨憺たる状況に陥れた、旧日本軍の作戦課と同種ですね(独善性も類似している)。
 役割があるとすれば、似たような考えの人達でコミュニティを作れる利点くらいでしょう(それが外部に拡大しようとするから摩擦が起きる)。
 よく見かけるように、アニメのファンサイトが相互リンクを貼るのと似たようなモノですね。

 もしも、青狐さんが不当な評価を受けたと感じたのなら、「そうではない。自分はこういう考え方で正しいと確信している」と、丁寧に説明すればいいのです。そういう考えをまとめた形で記事にしていただけると、あなたのファンとしても助かります。

>民族という「人工的イデオロギー」を心のパーツとしている人間なのではないか、
>と薄々感じています。

 民族や国家など無くても生きていけるさ、と嘯けるのは、全体のほんの一部に過ぎません。自分の身の程を知り、今の生活環境がどんなパワーバランスによって作られているかを自覚していれば、今の青狐さんのような反論はなさらない。
 自然環境ですら、それぞれの生物の力の均衡によって成立しているのですから、何かを否定するだけというのは、何も考えずに住んでいる家の柱を壊し続けるようなものです。

 そもそも、青狐さんの議論が目指すものは一体何なのでしょうか。特に南京関連の研究を進めている訳でも無さそうですし、「思想的同志」の人達と別のブログに出向くばかりで何が残るのだろうか。
「やっぱり自分は正しいのだ」という安堵感に浸りたいのかもしれないが、今ひとつ理解できません。止める気はありませんが、少しかんがえてみてはいかがでしょうか?
 他ブログの引用記事ではない、あなた固有の意見の書かれた記事を楽しみにしています。
 
>ジムシィさん

 なんだか、長いコメント欄になって申し訳なく思います。新しい記事の更新を期待していますのでよろしくお願いします。

berryberry 2005/10/09 14:02 >>>民族に伝わる「神話」は、田舎に帰った子供達が昔話を聞くことで家族のルーツなどを自覚するのと、同じような効果がある。
>>ところが、野良猫さんは当初「民族…(略)」と発言したときに「結論に至る過程を説明」していないので、「過程が解らないことには読み手が検証しようがありません」でした。ご自分では自分の「結論に至る過程を説明」していないけど、ジムシさんに対しては要求していたわけで、これは随分ムシのいい話だと思います。
>自らのルーツを知ると言うことは、自分がどこに所属してどのような価値観を持つ共同体に属するかを確認するために、非常に重要なことです。(中略)ここまでの説明で全く想像もつかないとすれば、その人は自分の思考や価値観がどのように形成されていったかを考えたことが無いのでしょう。あるいは、住んでいる地域の「歴史感覚」とは縁のない生活をしてきたのだろうと察せられます。

私が問題としているのは「ここまでの説明」ではありません。
・野良猫さんは当初の発言 (2005/10/01 00:36)で「「結論に至る過程を説明」していない
・自分では「説明」していないけど、ジムシさんに対しては「説明」を要求していた
・これは随分ムシのいい話だと思う

これに対し「これまでの説明」、つまりJonahさんにワキの甘さを指摘されて後に始めた「説明」を持ち出しても、反論になりません。
自己正当化のためには、どんな反則技でも使う、それが野良猫さん流議論なのかもしれませんが、ブログ主さんを消耗させるこういうやり方は感心しませんね。

野良猫野良猫 2005/10/09 21:06
>berryさん

 お気持ちは察しますが、そういうものを「反論のための反論」と言うのです。元記事の題材に触れられる人なら、既にそれに関する「分析」も出来ているだろうと意見を書き、意味が理解できていないようだから、さらに丁寧に説明させていただいたまでです。それでなお不満を持たれても、こちらとしては困惑するばかりです。
 berryさんはこちらの主張への反論か、ジムシィさんが可哀想だとお考えならば「あまり細かく追求すべきではない。やめるべきだ」というように内容を絞るべきかと考えます。

 前にも書いたように、間違いがあれば訂正し刷新していけばいい。こちらに何かの落ち度で責めるような気は毛頭ありません。議論はあくまで議論であり、違うイデオロギーを持った者同士でプライドを賭けて争うようなものではありません。このあたり、どうも勘違いをして、ゲーム感覚のようにで行う人達が居る風潮を残念に思います。
 こちらの主張は既に済んでおりますので、必要ならご自分でブログを開設しトラックバックを打ってください。興味を引く内容ならお返事させていただきます。

野良猫野良猫 2005/10/09 22:06 >青狐さん

>南京ネタについて

 そちらが主張される「中国の旅」で「据えもの斬り」という描写が載っている箇所のページ数を教えてください。こちらでも本を再入手して確認してみます(前に購入したものはブックオフ行き)。確かに「捕虜の虐殺容疑」という形で起訴されてはいますが、証拠物件は例の戦意高揚記事のみ。
 前述のように、最初から「据え物」なら戦意高揚記事には使えない。据え物斬りについて聞いたにしろ、二人の氏名を借りて書いたにしても「虚報」で彼らは戦犯として処刑されたのですから、ジャーナリズムの大きな問題です。ですから、同じ記者である本多勝一氏が整理する意義が大いにある。

 確かに「貧困なる精神」か何かで、関連記事への反論に対して「あれは据えもの斬りだったから辻褄は合う。時代劇だって何十人と斬れるじゃないか」という回答を読んだ記憶はあります。しかし、「据え物」の根拠が解らないから教えていただきたい次第です。

 また、話は変わりますが「熊本兵団戦史」をお持ちならご存じでしょうが「1937南京攻略戦の真実」でも第六師団の記録を読むことが出来ます。本多勝一の「天皇の軍隊」に現れる日本軍とは随分イメージが違うのですが、どちらに信憑性が高いとお考えですか?
 本多勝一の文章は「共感」が上手い。感情移入が巧みではありますが、それは裏を返せば浅海記者が書いた「戦意高揚記事」の裏返しではないかとも考えられないでしょうか。戦前・戦後ともに、人は自分の見たいようにしかモノを見ないのかもしれませんね。

 ページが解ったら、青狐さんのブログに書いておいてください。よろしくお願いします。

JutalJutal 2005/10/09 22:32 無限の自己正当化地獄にはまっているようですね>野良猫氏

ご自分のプライドを守るためにどんな反則技でもあり、というその態度、端から見れば詐欺師の裸踊りという感じですね。

bluefox014bluefox014 2005/10/09 22:55 >そちらが主張される「中国の旅」で「据えもの斬り」という描写が載っている箇所のページ数を教えてください。

フリートークをしたいのでなく知識を得たいのならば、誰かに聞くばかりではなく自分で調べる事も必要になります。
もしも、そういう手間を惜しむのであれば、政治ネタはあまり触れない方がいい題材です。(↑9月18日コメント欄(2005/10/08 11:33)よりコピペ)

bluefox014bluefox014 2005/10/09 23:29 >据え物」の根拠が解らないから教えていただきたい次第です。

そんなこともわからないのですか。それがわからないということは、つまり本多勝一が何を論拠に何を述べているのか、その一番肝要な点を知らない、基本的に理解できていない、ということです。
フリートークをしたいのでなく知識を得たいのならば、誰かに聞くばかりではなく自分で調べる事も必要になります。
もしも、そういう手間を惜しむのであれば、政治ネタ(例;「本多勝一と百人斬り」というネタ) はあまり触れない方がいい題材です。
(↑9月18日コメント欄(2005/10/08 11:33)よりコピペ)

bluefox014bluefox014 2005/10/09 23:52 >「1937南京攻略戦の真実」でも第六師団の記録を読むことが出来ます。本多勝一の「天皇の軍隊」に現れる日本軍とは随分イメージが違うのですが、どちらに信憑性が高いとお考えですか?

ここは私のブログでも野良猫さんのブログでもありません。jumisiさんに断りもなく、ここのエントリに全く関係ない「第六師団」の話題をし出すのは失礼な行為です。つくづく、礼儀をわきまえない方ですね。

kemu-rikemu-ri 2005/10/10 02:53 >神話もまた「人工的」に過ぎないとしても、自分の頭や知識人だけで作り上げたモノよりは長い歴史を経ている分、信頼性が高いパーツだと言えます。

そういう安易な断定を「信仰告白」と言うのですよ、野良猫さん。長い歴史を経てきたからと言って「信頼性が高い」と断定することはできない。その断定には神話自体が「政治的」に人工的に作られたフィクションである可能性、政治的に押し付け流布していったという可能性が全く考慮されていません。
誰かさんが言うとおり、過去を知らなければ現在を理解することは出来ない。特に日本のように外部からの集団が原日本人を征服して古代国家を形成したとされる地域においては、誰が何のために神話という「ネタ」を作ったのか、神話を人工的政治的ツールとして読み解く視点が(過去を知るうえで)重要でしょう。

kemu-rikemu-ri 2005/10/10 05:07 神話が人工的な政治的ツール、いわゆるネタである可能性がある以上、「自分のルーツを知ること」と「神話を知ること」を取り敢えず切り離して考えるという考えは、現在の日本社会では多勢を占めていると思われます。ベタとネタ、古代史と神話の取り敢えずの分離ですね。

しかし中には、「心理的な不安を解消するために」、「イデオロギーに染まった主張」と、「ネタ」と「ベタ」を一緒くたにして「ルーツ探し」を語りたがる「感情的な人達」がいるみたいですね。

kemu-rikemu-ri 2005/10/10 05:21 >南京ネタ
>目撃者や証人もなく「証拠」は浅海記者の新聞記事のみで死刑判決を受けています。

はい、この前提が間違いです。前提が間違いなので、それ以降の記述は全て無意味。
百人斬り問題についてあまりに知識が不足しています。
「選り好みせずに」「身銭を切って書籍を買って」、勉強し直してください。

山猫山猫 2005/10/10 19:09 はじめまして。野良猫さんは多くのことを語りすぎです。直接関係のないことをあれこれ語る。他人のブログで自己表現するのは見苦しい。しかもワキが甘い。そこを突かれるとさらに別の話を始めて話題を拡散させる。悪循環です。ご高説はご自分のブログでやればいい。節度を保てぬならコメント欄に書き込まないことです。

しまうましまうま 2005/10/12 01:51 (1)「民族(共同体)」と「国民国家」を一緒くたにして語っている時点で、国民国家とは何かという政治学の基本的な常識を知らないことが分かる。もしも、そういう(常識をわきまえる)手間を惜しむのであれば、政治ネタはあまり触れない方がいい題材です。
(2)>「自らのルーツを自覚できない個人や民族は、強い自我を持った他民族にあっさりと滅ぼされてしまうのが歴史の定め」ドイツや日本は半世紀前自らの民族的・神話的ルーツを全面的に出して、神話的ルーツを持たない人口国家と戦った結果、コテンパンにやられて、「滅亡」の危機に晒されたわけですが。そういういい加減な根性論しかぶてないのであれば、政治ネタはあまり触れない方がいい題材です。というか、民族的自覚を持てないが故に滅んだっていう具体的な例示はないんですね。共感ベースの感情論を展開してるのはどちらですか?

なすびなすび 2005/10/15 02:09 初めて投稿する者ですが、そもそも発端の記事の話はどこへ飛んでいって
しまったのでしょうか?特に野良猫さんの見解なんぞ見たかったのですが。
勿論「科学」としての見解を。野良猫さんがどう言っていても元記事は「科学」
についての話だったのだから。理科の時間に進化論を教えることが何故いけないか、
とか聞きたかったのだが。ここに投稿しても読まれない、とは思ったものの、
一応投稿させて頂きます。

berryberry 2005/10/16 15:01 >なすびさん

発端の記事の話が吹っ飛んだのは、野良猫さんの最初の発言が原因だと思います。元記事が「生物学とは別に‥」という論調であるかのように解釈をしていますが、どうみても違うでしょう。

> この記事のポイントは、生物学という学問とは別に「神話」などの価値も認めるべきだということ。民族に伝わる「神話」は、田舎に帰った子供達が昔話を聞くことで家族のルーツなどを自覚するのと、同じような効果がある。

jimusiosakajimusiosaka 2005/10/24 01:02 多くの方々からコメントを頂戴し、まことに有難うございました。そして、元の記事から離れた方向へ議論が進んでいったので、どう対応したものかと迷っているうちに、ついついお返事もしないままになってしまいまして、大変失礼致しました。

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