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人事組織の研究ブログ by jinjisoshiki このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

本ブログでは、人事組織に関する最先端の研究を紹介していきます。下のメニューから関心のあるトピックを選んでください。

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2017-05-19

権力を手中に収めた人の行く末はどうなるのか

組織行動論においては、組織やチームの人々を動かすために必要能力として「リーダーシップ」が思い浮かぶことでしょう。しかしそれは一面的見方に過ぎないかもしれません。現実的には、組織を動かすのに最も重要なのは「権力」だという考え方もあるでしょう。権力とは、対人関係のような関係性における重要な資源のコントロールの度合いを意味します。重要な資源をコントロールできる側が権力を持ち、コントロールできない側は、重要な資源を得るために権力を持つ側に依存することになります。つまり、権力を持つということは、他者に対して影響力を行使することができる、すなわち他者を自分意志に従わせることができるわけです。したがって、組織を動かしていくためには権力を手中に収めることが最も効果的な手段だということもいえるわけであり、実際、組織内において権力を手に入れるために「社内政治」のような状況が生まれるわけです。


では、特定人物が実際に権力を手中に収めることに成功した場合、その人の行く末はどうなるのでしょうか。権力を維持し、成功を続けることができるのでしょうか。あるいは、失墜したり没落したりして最終的には権力を手放さざるを得なくなるのでしょうか。Anderson & Brion (2014)は、権力に関する研究を整理し、以下のような見解を導いています。まず、世の中の仕組みや特徴として、権力を手に入れた人々は既得権益を守るために現状を維持しようとします。意外なことに、権力を持っていない人々も、現状の状態容認し、現状維持に傾くとのことです。このように、社会的構造が現状維持に向かう場合には、権力を手中に収めた人々にとっては、権力維持に有利に働くことになります。また、権力を手に入れることによって、本人の感情認知、行動に変化が生じ、それが権力維持に貢献することもAnderson & Brionは指摘します。例えば、権力を持っている人ほど、ポジティブな感情状態を維持し、精神的に健康であってストレスを感じにくく、第三者からもポジティブな評価を受けるといいます。これらの傾向は権力維持に貢献します。また、権力を持っている人ほど、長期的に目標を設定しやすく、楽観的に構えて目標の追求を行いやすくなります。さらに、権力を持っている人ほど、機会追求的な行動をとり、束縛されにくく、政治的能力に磨きがかかり、自分に有利なかたちで政治行動を行ったりすることができるようになります。これらもすべて、権力維持に貢献すると考えられます。


一方、Anderson & Brionによれば、権力を手に入れることで生じる考え方や行動の変化は、権力を失う可能性を高める方向にも働きます。権力を失う理由としては、非倫理的な行動に手を染めやすくなること、意思決定バイアスがかかることで過ちを犯すこと、競争関係に巻き込まれて敗北することが挙げられます。例えば、社会的な特徴として権力者複数存在し、否応なしにライバル関係が生じます。権力争いが起こるわけです。また、権力を手に入れることで、非倫理的な行動に手を染める可能性が高まるということもいえます。権力を持つことで、他者をモノのように扱ったり、公正かつ丁重に扱おうとする意識が薄れたり、より高圧的に接するようになりがちです。また、権力を手に入れることでより自己保身的になり、それがデータ改ざんや騙しなどの不正行為を引き起こす可能性を高めます。さらに、権力を手に入れることで傲慢になって意思決定にバイアスがかかったり他者のアドバイスに耳を貸さなくなることで重大な過ちを犯す可能性を高めます。それ以外にも、権力を手に入れることで安心したり油断したりして脇が甘くなることで、ライバルに弱みにつけこまれたり足元をすくわれる機会を与えてしまうことにもつながりがちです。これらはすべて、権力者が堕落し、失墜し、最終的に権力を失ってしまう可能性を高めると考えられます。


上記のように、権力を手に入れた人物は、権力を維持することに有利な状況を獲得するのと同時に、権力を失墜する可能性を高める思考や行動を発展させる可能性も高めることをAndersen & Brionは指摘するのです。では、どのような条件のときに権力が維持され、どのような条件の時に権力が失墜するのでしょうか。Anderson & Brionのレビューによれば、まず重要な条件が、権力を手に入れた人物が、それを自己利益の追求や自己保身のために用いようとするのか、あるいは集団や組織のために用いようとするのかにあるということです。権力者が自己利益の追求や自己保身的な行動を増大させれば、それは非倫理的な行動、不正、意思決定の過ち、ライバルとの競争の激化を招き、権力を失う可能性を高めるでしょう。一方、権力者が、集団や組織に献身的な行動を増大させれば、それは周りからの信頼や支持を勝ち得ることにつながるため、権力を維持させることにつながるでしょう。


では、権力を手に入れた人物が、自己利益追求的あるいは自己保身的な行動に出る場合と、集団や組織に貢献しようとする行動に出る場合を分ける要因は何なんでしょうか。Anderson & Brionのレビューによれば、まずは、そもそも権力を手に入れようとする動機が何かによります。権力を手に入れたい動機が、自己利益の追求や自己保身ということであるならば、とうぜん権力を手中に収めた後にはそのような行動が待っていることでしょう。一方、集団や組織に貢献するために権力を握ることを志向した場合には、権力掌握後もそのような行動が期待されることになります。権力を手に入れれば、もともとの性格すなわち本性をさらけ出しやすくなるので、その人物がもともと自己中心的で自己利益追求的な性格の持ち主なのか、社会的で他者に対して協力的な性格なのかが権力への動機にも連動していることでしょう。

参考文献

Anderson, C., & Brion, S. (2014). Perspectives on power in organizations. Annual Review of Organizational Psychology and Organizational Behavior, 1(1), 67-97.

2017-04-28

限定倫理性のメカニズム:なぜ倫理的だと思っている人が非倫理的な行動をしてしまうか

企業不祥事政治家による失言など、モラルに欠ける非倫理的な行動がもたらす事態がしばしば起こります。一方、私たちの多くは、自分は平均以上に倫理的であるという判断する傾向があると言われます(全部足し合わせて平均以上になることはありえないのですが)。このようなことから考えられるのは、多くの非倫理的行動は、自分自身はそれほど非倫理的ではない(少なくとも人並みには倫理的である)と思っている人によってなされている可能性が高いということです。このような状況の背景にあるのが、人間が持っている「限定倫理性」のメカニズムだということを、Tenbrunsel, Diekmann, Wade-Benzoni & Bazerman (2010)は指摘します。Tenbrunselらによると、限定倫理性とは、サイモンによる「限定合理性」になぞらえた概念で、人は、自分は倫理的である、あるいはそうありたいと思っていても、実際には自分の倫理基準に反する行動をとってしまう傾向があるという法則・メカニズムを指します。


Tenbrunselらは「私たちは、普段は自分は倫理的だと思っているが、実際の行動場面では非倫理的になってしまう。しかし、その行動の後でも、自分は倫理的だと思っている」というように、行動の前後を通じて自分が非倫理的な行動をしているという自覚が薄いために、実際の非倫理的行動が是正されにくいといいます。なぜそのようなことが起こるのかというと、私たちの内面には、「こうあるべきだ」という自分と、「こうしたい」という自分という2つの自分が同居しており、自分の行動を予測したり、自分の行動を振り返ったりするときには、理性的合理的かつ理想追求的な「こうあるべきだ」という自分が思考をコントロールしているのに対して、実際に行動するときになると、感情的衝動現実主義動物本能などに支配された「こうしたい」という自分が顔を出し、「こうあるべきだ」という自分を押しのけて行動してしまうからだと主張します。Tenbrunselらは、これを「行動場面における倫理性の後退(ethical fading)」と呼びます。また、このような倫理性の後退は、その人を取り巻く状況によって引き起こされることが多いと言います。


上記のような限定倫理性のメカニズムには、多くの心理学的な証拠があるとTembrunselらは言います。まず、人間は、将来の自分の行動を予測する際に、多くの心理的バイアスに影響され、必要以上にポジティブな予測をしてしまうという「将来予測エラー」が起こります。例えば、私たちは、必要以上に自分の倫理性を過信したり、楽観的に将来を予測したりします。つまり、倫理性が問われるある特定の場面に遭遇したとき、実際の自分以上に自分は倫理的に行動できるという自信や楽観性が優位になるわけです。また、私たちは、遠い将来になればなるほど、具体的・個別的にではなく抽象的・一般論的に考えるようになり、具体的であるがゆえに現実主義的な思考をするのではなく、抽象的であるがゆえに理想主義的な思考をするようになります。したがって、自分の行動予測も「自分ならこうするだろう、こうしてしまうかもしれない」という現実的予測ではなく「自分ならばこうするべきだ」「自分はこうありたい」という理想主義や自己保身・自己奉仕欲求に影響された希望的予測を行うことになるのです。このようなメカニズムによって、普段私たちは、自分は少なくとも人並みには倫理的だし、実際に倫理的に行動するだろうと思うわけです。


しかし、実際に倫理性が問われる場面で行動する際には、状況が一転してしまいます。実際の行動場面は具体的な状況に埋め込まれており、その中で、特定の行動に対して倫理性が問われるという意識が薄らいでしまう可能性が高まります。例えば、多少非倫理的な行動をしてもそれに起因する悪影響は小さく、そのような行動をしない場合に実利的にデメリットがある場合です。このような場合、本人の頭の中では、損得勘定や打算的発想が優勢されてしまい、倫理的な発想が後退してしまいがちです。その行動は得か損かという損得勘定や経済的合理性に左右されて行動する場合、その行動には倫理性が問われるという意識がされなくなってしまい、その行動は良いか悪いかという倫理的判断無しに行動することになります。結果的に、経済的なメリットはあるが自分の倫理基準に反している行動をとってしまうことになります。実際の行動場面では、明らかに倫理性が問われるという場合もあって、その場合には行動に際して明確な倫理判断が伴いますが、そうではなく、その行動に倫理性を問われるのかどうかが曖昧であるケースも意外と多いのです。また、実際の行動場面では、短視眼的な動物的防衛本能感情に支配された「こうしたい」という思考が優先され、無自覚的・突発的に行動してしまうケースも多くあります。この場合も、行動の際に倫理判断が行われず、結果的に非倫理的行動をとってしまう可能性が高まります。


Tenbrunselらは、私たちは非倫理的な行動をとってしまっても、後でその行動を振り返るときにも心理的バイアスなどによって、自分の行動が非倫理的であったと自覚しにくくなる証拠も提示しています。例えば、私たちは、自分は正しい人間だと思っていたいので、仮に非倫理的行動をとってしまったとしても、意識的あるいは無意識的にそれを取り消す「物理的・心理的洗浄」を行うことを示唆します。例えば、非倫理的な行動を補うような行動を後でしたり(物理的洗浄)、特定の行動は自分の非倫理性に起因するものではなく、他の避けられない要因によるものだったと帰属したり、自分の行動を正当化したりします(心理的洗浄)。また、私たちの記憶だんだんと色あせ、記憶の内容がだんだんと抽象的になり、具体的な状況を忘れていきます。そのような抽象的な記憶にたいして、その正当性を支持するような他の記憶や情報が加わることにより「自分の行動はおおよそは倫理的なものであった」という態度が形成されるようになります。これらのメカニズムには、私たちの自己保身的・自己奉仕的な欲求や、記憶の可塑性が影響しているわけです。さらに、私たちは、特定の倫理基準を若干下げることについてはそれほど抵抗感を持ちません。「これくらいの小さな逸脱ならば、あえて非倫理的だとは言わないだろう」「他の人もやっているから大した問題ではない」というように、求められる倫理的な行動基準のバーを下げるわけです。しかし、これが繰り返されるならば、どんどん倫理性基準のバーが下がってしまい、いつしか、明らかに非倫理的な行動であっても、本人から見たら許容範囲、非倫理的ではないという判断につながりかねないでしょう。これらのメカニズムから、実勢に非倫理的な行動をしたとしても、なお、自分は倫理的な人間だという自覚を維持することになるわけです。


上記のような「限定倫理性」のメカニズムが顕在化している限り、私たちが無自覚的に非倫理的行動をとってしまう可能性はなくなりません。したがってTenbrunselらは、これらの限定倫理性メカニズムを十分に理解したうえで、それらを防ぎ、非倫理的行動を抑制するようなアドバイスを提示しています。例えば、自分の行動を予測する際に「こうあるべきだ」という自分のみならず「こうしたい」という自分に耳を傾ける機会を作る、実際に行動する際には「こうあるべきだ」という自分を呼び起こし「こうしたい」という自分を抑制するような工夫をする、過去の行動を振り返るさいに、過去の記憶や解釈を歪めるようなメカニズムの発動を抑えるような工夫を行うなどです。

参考文献

Tenbrunsel, A. E., Diekmann, K. A., Wade-Benzoni, K. A., & Bazerman, M. H. (2010). The ethical mirage: A temporal explanation as to why we are not as ethical as we think we are. Research in Organizational Behavior, 30, 153-173.

2017-03-30

組織内コーディネーションの統合モデル

組織活動もっと本質的機能の1つが「コーディネーション(調整活動)」です。組織内では様々なタスク遂行されており、これらを上手にコーディネートして初めて組織として意味のあるアウトプットが出せるからです。別の言い方をすれば、組織内コーディネーションの巧拙が組織のパフォーマンス成功を左右すると言ってもよいでしょう。そして、時代の変化とともに経済環境産業構造が変われば、組織内コーディネーションのあり方も変わってくるでしょう。では、これからの時代に求められる組織内コーディネーションを、どのような切り口で考えていけばよいのでしょうか。Okhuysen & Bechky (2009)は、これまでの組織内コーディネーションに関する文献を整理するとともに、組織内コーディネーションの統合モデルを導き出しました。


Okhuysen & Bechkyは、組織内コーディネーションが必要となった起源から話を始めます。アメリカを例に挙げると、産業が勃興する契機となった鉄道の敷設です。鉄道網で乗客の乗降、貨物の運搬、列車の衝突回避運行管理などにおいてコーディネーションが必要になり、その結果として、合衆国タイムゾーン標準化されたり、時刻表が生まれたりしました。標準化された時刻表がコーディネーションの起源の1つだと言えます。その後の大規模工業化の進展により、効率的なモノづくりのためのコーディネーションが重要となりました。そこから出てきた考えが、仕事やタスクの設計を通じたコーディネーションで、代表的なのがテーラーの科学管理法です。もう1つが、組織構造における責任権限等や管理過程の設計を通じたコーディネーションで、代表的なのがファイヨルの管理論です。ただし、これらのコーディネーション理論は、材料製品といった目に見えるものの動きが把握可能なモノづくり的コーディネーションでした。モノづくりを効率的に行うためにタスクの専門家・配分やスケジュールや責任権限体系をいかに設計するかという問題に終始しており、対象となるモノが目に見えるため、問題点の把握や解決もしやすいものでした。


しかし、時代が変わり、工業化の時代からサービス経済化が進むと、コーディネーションの対象となるものが無形のものになり、把握が難しくなってきます。また、製造の仕事と異なり、創造性やデザイン性が求められる仕事も増え、組織の境界曖昧になってきます。モノづくりののように、決まった時間にきまったタスクを予定通り遂行するための公式ルール手続きを設計することでコーディネーションが可能となるわけではないのです。より不確実性が高く、流動的な環境の中で、働いている人々がリアルタイムで状況を判断しながら公式ルールのみならずインフォーマル対応を通じて仕事をコーディネートしあうようなプロセスが必要になってきます。よって、上記に挙げたようなモノづくり的なコーディネーション理論では不十分ということになります。Okhuysen & Bechkyは、このような新たな時代の状況を考慮し、組織内コーディネーションを「集合的なパフォーマンスを生み出すためにインプットをコントロールするための、その都度その都度展開される文脈依存的なプロセスおよび相互作用のあり方」と定義します。


Okhuysen & Bechkyは、先行文献から、上記の定義で理解される組織内コーディネーションの5つの異なるメカニズムを整理しています。それは、「計画とルール」「オブジェクト表象」「役割」「ルーチン」「(物理的)近接性」です。計画とルールは、コーディネーションを実現するためにタスクの責任範囲規定し、資源を割り当て、調整のための合意を得ることを可能にします。オブジェクトと表象は、情報共有を促進し、タスクの足場を作り、お互いに進捗度合いを把握しあい共通視点を生み出すことを可能にします。役割は、組織内で相互監視し合い、タスクそのものに代わってそれを行う人材の責任を規定し、共通視点を生み出すことを可能にします。ルーチンは、タスクの遂行を安定させ、タスクの引継ぎを円滑にし、集団の凝集性を高め、共通視点を生み出すことを可能にします。近接性は、見える化を促進し、監視やタスクの更新を可能にし、異常事態などの予想・対応をやりやすくし、知識を蓄積し、信頼を形成することを可能にします。


Okhuysen & Bechkyは、上記の5つのメカニズムをさらに統合的に整理し、組織内コーディネーションを「アカウンタビリティ説明責任)」「予測可能性」「共通理解」の3軸で捉える統合モデルを提唱しました。アカウンタビリティは、誰がどのタスクの責任を持っているかということです。アカウンタビリティが明確になることで、相互に依存しあって仕事をしている人々が、自分が何を責任をもって行うべきかがクリアに理解できるようになります。予測可能性は、組織として生み出すアウトプットにおいて、いつどんなタスクが発生し、どんな順序で何が起こるのかが分かるということです。予測可能性が高ければ、その予測を参照しながら各自が仕事を進めることができます。共通理解は、組織が生み出す業務全体の共通視点を共有し、その全体像の中で各自の担当がどのような位置づけにあるかを理解することです。共通理解が高ければ、各自が全体像を把握しながら仕事を行うことが可能になります。


上記に挙げた「アカウンタビリティ」「予測可能性」「共通理解」の3軸は、先に挙げた「計画とルール」「オブジェクトと表象」「役割」「ルーチン」「(物理的)近接性」によって高めることができます。この3軸を高めることによって、効果的な組織内コーディネーションが実現するというわけです。Okhuysen & Bechkyの統合モデルは、時代の変化を見据え、どのような方法で組織内コーディネーションを図っていくのがよいのかを考えるうえでも役立つフレームワークだと言えましょう。

参考文献

Okhuysen, G. A., & Bechky, B. A. (2009). 10 coordination in organizations: An integrative perspective. The Academy of Management Annals, 3(1), 463-502.

2017-03-27

組織デザインの根本原理

現在経済環境は大きな変化を遂げており、組織のあり方も変わりつつあると言われます。新たな時代に適合する組織デザイン(組織構造設計)はどのようなものなのでしょうか。ここで経営学的に考える上で重要なのが、「新しい組織デザイン」とは、「旧来の組織デザイン」と比べてどこが新しいのかを理論的に説明することです。そのためには、組織デザインについて、根本的に考える必要があるでしょう。根本的に考えるとは、そもそもなぜ組織が存在するのかの理由にまで遡って考えることです。組織が存在する理由は、組織以外では実現不可能問題解決することと同値だといえます。そのような問題の存在が、組織の存在にとっての必要十分条件だというわけです。組織はいったい何で、どんな問題を解決するために存在しているのでしょうか。


上記に照らし合わせて、新しい組織とは何かの理解を助けるために組織デザインの根本原理を考えたのが、Puranam, Alexy & Reitzig (2014)です。まず、彼らが採用する組織の定義は、マーチサイモンによる「嗜好、保有情報、関心、知識などが異なる個人集団同士の調整的な活動システム」です。また、組織は複数エージェントからなり、認識可能境界線があり、システムレベルの目的目標があり、その目的や目標に対してエージェントが貢献することが期待されているといえます。簡単にいえば、境界線があることと目標を持っていることが、組織をユニークたらしめているとPuranamらはいうのです。


このような組織が、組織デザインによって解決するべき問題、すなわち組織の存在に関わる根本的問題は、2つの大きく分けると「分業」と「努力統合」になります。さらに分業は「タスク分割」と「タスク配分」に分けられ、努力の統合は「報酬提供」と「情報の提供」に分かれます。よって、「タスク分割」「タスク配分」「報酬の提供」「情報の提供」の4つの問題が組織をデザインするうえでの根本原理を構成しているといえます。言い換えるならば、組織デザインとは、これらの4つの問題をどのように解決しようとしているのかと言い換えることが可能であり、同じ問題群を解決するための方法が今までなかった新しいものである場合、それは「旧来の組織デザイン」に対する「新たな組織デザイン」として捉えることができるわけです。


分業は、組織目標をそれに貢献するタスクに分割し、それらのタスクを個々の組織メンバーに割り当てることを意味します。組織デザインにおけるタスク分割では、具体的にはワークフローダイアグラムビジネスプロセスマッピングなどがツールとして使われます。組織デザインにおけるタスク配分では、分割されたタスクを組織内の個人や集団に配分することですが、伝統的には、タスクから役割を定義して、そこに人材を採用してあてがうというようなプロセスになります。


努力の統合は、組織内における協働と活動の調整を促すことです。協働のほうは、組織内の人々が協力して働くようなモチベーションを生み出す必要があり、それを解決するために組織デザインにおける報酬の提供方法が考案されます。他者の協力を促進する内発的動機付けもしくは外発的動機付けが例として挙げられます。調整を行うためには、組織内の人々の情報を提供する必要があり、組織内でタスクの調整がしやすくなるように組織デザインにおける情報の提供方法が考案されます。例えば、タスク同士の相互依存性をなくし、調整の必要性を減らして情報提供の必要を軽減するようにタスク分割やタスク配分を行う方法や、有用な情報が発信され流れるようなコミュニケーションチャネルを提供する方法などがあります。


Puranamらは、例えば旧来のソフトウェア制作組織と、LinuxWikipediaのようなオープンソースの組織との比較を通じて、旧来の組織デザインと新しい組織デザインを比較しています。そこからもう少し一般化して言えることとして、まず、4つの問題のうち「タスク配分」について、旧来のタスク配分は、組織から個人へタスクを配分するという考え方であったのに対し、新しいタスク配分の方法は、個人にタスクを選ばせるものであると論じています。このような変化が、他の3つの問題への解決方法にも波及していると述べます。例えば協働を促進するための報酬の提供に関しては、個人にタスクを選ばせるということは個人が好きなタスクを遂行することを意味するので、旧来の給料や昇進といった外発的報酬ではなく、新し方法では「好きな仕事ができる」という内発的報酬が重視されることになるでしょう。また、協働に伴うフリーライディングを防ぐために、新しい方法では、規則罰則によるものではなく、仲間と働くことを良しとする行動規範に沿うことで組織から認められるという報酬提供や、メンバーシップステイタスを高めるこで仲間同士で働くことのモチベーションを高めるという報酬提供も考えられます。


活動の調整を効果的に行うための情報提供については、旧来の方法では対面的な情報提供が重視されていたのに対し、新しい組織デザインでは、組織からタスクを配分するのではなく自分でタスクを選ぶので、人々の働き方や場所自由度も高まり対面的な情報提供が難しくなります。そこで、新たな情報提供手段としてはITなどを活用した共通基盤の形成が考えられます。自由な働き方をしているメンバーがそれを参照しながら活動を調整するようにするわけです。また、調整の必要が削減されるように、モジュール方のタスク構造を採用するという方法も考えられます。モジュールはそれぞれが独立・完結しているので、他のモジュールとの複雑な調整がなくなります。タスク分割については、旧来の方法では、専門化、個人のスキルや嗜好とのマッチングなどを基準としてタスク分割されてきたのに対して、新しい方法としては「見える化」を重視したタスク分割という考え方があります。これは、各メンバーが、見える化された分割タスクの中から、自分が貢献できそうなものを選択して遂行するという行動につながるわけです。


そもそも組織とは単体ではなく、人々が集まって協働するシステムです。組織内で個々の人々や集団が活動し、それが組織全体としてのアウトプットになっていきます。そこでは、どのようにタスクを分割し配分したうえで組織メンバーに活動してもらうか、ただしタスクを分割し配分しただけでは個々の活動がばらばらになってしまうので、それらの活動をどのように統合して組織全体の目標の実現に向けたアウトプットにしていくかという、分割(分化)と統合の問題が、組織にとってはもっとも本質的な問題であることを、Puramanらは示しているのだといえましょう。

参考文献

Puranam, P., Alexy, O., & Reitzig, M. (2014). What's “new” about new forms of organizing?. Academy of Management Review, 39(2), 162-180.

2017-03-26

マネジメント・イノベーションの発生理論

ビジネス世界では、技術製品のイノベーションのみならず、経営管理方法においてもイノベーションが起こります。これを、マネジメント・イノベーションと呼ぶことにしましょう。経営歴史においては、経営管理の構造プロセス手法において様々なマネジメント・イノベーションが発生し、普及しました。事業部制発明、TQMやトヨタ生産方式、近年では、DCF法、活動原価計算、シックスシグマ、EVAオープン・イノベーションなど、経営管理の様々な分野においてイノベーションが起こっています。では、マネジメント・イノベーションは具体的にどのように発生するのでしょうか。Birkinshaw, Hamel & Mol (2008)は、マネジメント・イノベーションの発生についての理論を構築しました。


Birkingshawらによれば、マネジメント・イノベーションは「組織目標を実現するために、最新の経営管理の施策、プロセス、構造、技法創造実施すること」と定義されます。Birkinshawらは、マネジメント・イノベーションの発生プロセスを4つのフェーズに分けて考えます。ただしこの4つのフェーズは直線的ではなく、後戻りなどフェーズ間の行き来が伴います。その4つとは、(1)モチベーション、(2)発明、(3)導入、(4)理論化とネーミング、です。それぞれのフェーズにおいて、役員社員など企業内部の人々(チェンジ・エージェント)と、財界関係者ジャーナリストコンサルタント研究者など企業外部の人々(チェンジ・エージェント)が関わります。


モチベーションフェーズは、企業が新しい経営管理の方法を欲する段階です。例えば、企業において新たな経営課題が生じた場合、その問題解決のために企業内部のエージェントが社内外の情報収集に走ります。問題解決のために企業内部で試行錯誤を実施する場合もあるでしょう。ここでマネジメント・イノベーションにとって重要なのは、企業内部のエージェントが問題を適切に設定できるか、企業が新たな経営管理の模索に対して支援的であるかです。企業外部のエージェントは、そのような企業経営の新たなトレンドや機会を探りあて、個別企業の経営課題を超え、抽象度を高めるかたちで新たな経営管理の方法を模索し、企業内部のエージェントと直接的もしくは間接的に接触します。


発明フェースでは、マネジメント・イノベーションへのモチベーションに基づいて様々な経営管理の方法が試され、その中から特定のものが選ばれていきます。企業内部のエージェントは、経営課題に基づいて新たな方法を探ったり、企業外部における情報アイデアを自社の経営課題を結び付けて実験的に新たな手法を試したり、試行錯誤を行う中で偶発的に新たな経営管理手法に巡りあったりします。企業外部のエージェントは経営に関する知識現在進行中の文脈に結び付けたり、既存の経営知識を洗練させたり、企業内部エージェントとの相互作用を通じて、新たな経営管理の方法を生み出します。


導入フェーズは、マネジメント・イノベーションが技術的に企業において導入されていく段階です。企業内エージェントは、新しく発明された経営管理の方法を、企業内での試行錯誤や実験的導入を通じて実施していきます。多くの場合、新たな経営の方法の導入は、企業内からの批判や不満にさらされます。よって、企業内部における肯定的な面と否定的な面の両者を受け入れたうえでそれらを超越したものを導入していくといった弁証法的な実施プロセスが考えられます。外部エージェントは、企業の内部エージェントが中心となる導入を側面から支援します。


理論化およびネーミングフェースは、短期的には実施成果が明確ではないマネジメント・イノベーションの企業内外における正当性を高めていく段階です。企業内部エージェントは、新たな経営管理の方法が、企業の経営方針と一致しており、企業が直面している問題を解決することを論理的説明する方法を考え、社内から支持が得られるよう、新しい経営管理の方法の魅力的なネーミングを考え、伝達します。企業内で新しい経営管理の方法が獲得すべき正当性には、「実用的正当性(従業員にとってメリットがある)」「道徳的正当性(組織の方針価値観と一致している)」「認知的正当性(導入効果が論理的に納得できる)」があります。外部エージェントは、企業に招かれて第三者立場から新たな経営管理の方法の効果性を解説して認知的正当性を高めたり、個別企業を超え、ビジネス社会一般に同様の情報発信をしたりしながら、新たな経営管理の方法の魅力的なネーミングを図っていきます。


上記の4つのフェーズが行ったり来たりを繰り返しながら、マネジメント・イノベーションが発生していくのだとBirkinshawらは提唱したわけです。ただし、すべてのマネジメント・イノベーションが成功するわけではありません。失敗したり衰退して姿を消すものもあるでしょう。今後、ますますこの分野の研究の発展が望まれるところです。

参考文献

Birkinshaw, J., Hamel, G., & Mol, M. J. (2008). Management innovation. Academy of Management Review, 33(4), 825-845.

2017-03-04

異なる制度ロジックの並存は組織に何をもたらすのか

組織は社会の掟とか不文律のような見えない力によって動かされます。例えば、日本大企業がある時期に一斉にホールディングス設立したり、年功的な賃金を排して成果主義的なものに置き換えたりした動きは、組織が何らかの社会的圧力に従った結果だと解釈することが可能です。一般的にこういった社会の掟を「制度」といいますが、具体的な制度の深層もしくは背後にあるものとして「制度ロジック」というものがあります。ThornsonとOcasio (1999)によれば、制度ロジックは「社会的に構成され、歴史的パターン化された活動、前提、価値観、信念」であり、「認知や行動に影響を与えるもの」「日々の活動の組織化原理形成するもの」と定義されます。制度ロジックが、具体的な制度という形で具現化されるといっても良いでしょう。


制度ロジックの具体例として、社会レベルではメインの制度ロジックとして家族ロジック、共同体ロジック、宗教ロジック、国家ロジック、市場ロジック、専門家ロジック、企業ロジックがあります。組織や人々は、このような社会レベルの制度ロジックの中に埋め込まれており、それらが今度は組織内の制度ロジックや集団内の制度ロジックの形成に影響を与えていると考えられます。しかし、BesharovとSmith (2014)は、組織の周りや内部には単純に1つの分かりやすい制度ロジックがあるわけではなく、複数の異なる制度ロジックが混在していることを指摘します。また、お互いに相容れないような異なる制度ロジックが並存することで様々な問題をもたらすことが先行研究でも指摘されてきたといいます。これに関して、BesharovとSmithは、異なる制度ロジックの並存にはいくつかのパターンがあり、そのパターンによって組織が影響を受ける内容や度合が異なってくることを理論化しました。


BesharovとSmithが異なる制度ロジックの並存パターンの分類に用いた次元は、互換性(compatibility)と中心性(centrality)です。互換性とは異なる制度ロジックがお互いに相容れるものかどうかという度合です。互換性が低いということは、複数の異なる制度ロジックが対立していたり矛盾していたりすることを意味します。中心性とは、複数の制度ロジックがどれも組織の機能にとって中心的なものを代表している度合いを指します。中心性が低い状態とは、1つの制度ロジックが組織機能にとってコアな要素を示しており、もう1つの制度ロジックは、そうではなく周辺的な存在であることを意味します。


BesharovとSmithによれば、複数の制度ロジックの互換性と中心性の高低によって、複数の制度ロジックの併存パターンが4つに分類されます。まず、互換性が低く、中心性が高い状態が「争い型(contested)」です。お互いに相容れない制度ロジックが、組織の使命、戦略目標など重要な組織機能に影響を与えるロジックとして併存しているわけですから、組織のコアに関して曖昧性が高まり、また激しい対立や葛藤が発生しがちな状態だと言えます。例えば、BeharovとSmithは、別の研究の事例で挙げられたマイクロファイナンス会社には、収益を追求する「銀行ロジック」と、経済開発を志向する「開発ロジック」が並存していますが、両方とも組織にとって重要なロジックでありながらお互いに相容れないため、それぞれの制度ロジックを代表する銀行出身社員ソーシャルワーカー出身の社員とで葛藤が起こりやすいことを指摘します。


互換性も中心性も両方とも低いパターンは「疎遠型(estranged)」です。並存する複数のロジックはお互いに相容れないものなのですが、1つの制度ロジックが組織機能にとって重要なものとして存在し、他の制度ロジックは周辺的なものと考えられているため、争い型の組織ほど曖昧性が高いわけではなく、また争い型の組織ほど激しい対立や葛藤が生じるわけではありませんが、ある程度の対立や葛藤があります。BesharovとSmithは、例として、美術館博物館経営する文化組織を挙げています。この組織では、文化資産を守り、文化を保持しようとする「文化保存ロジック」と、資本主義社会のもとで美術館などの経営をうまく行うための「市場ロジック」とが並存していますが、文化保存ロジックの支持者が支配的であって、市場ロジックの支持者の勢力は強くないことを指摘しています。ですが、市場からの圧力にさらされながら経営を行う必要のある組織上層部と、文化保持に重点を置く現場層との間に対立や葛藤が生じることも指摘しています。


互換性も中心性も高いパターンは「連携型(aligned)」です。これは、異なる制度ロジックが並存していても、お互いに相容れるものであってかつ組織機能にとって重要な要素に関わっているため、組織のコアが一致団結しており、異なる制度ロジックが異なる組織のメンバーによって体現され、それらがお互いに一貫性を保ちながら組織の使命、戦略、同一性、コアの構造や活動の形成につながります。したがって、異なる制度ロジックが並存しているからといって、対立や葛藤が起こるわけではなく、それらはほとんどないと言ってよいでしょう。BesharovとSmithは、チャイルドケアを行う組織の例を挙げています。チャイルドケアの法規制に基づく力を持った政府職員が組織運営に対して影響力を持つ一方で、現場の専門職員が現場における幼児教育実践に影響力を持つというような形で異なる制度ロジックが並存していますが、それらは互換性を持って共存しているといえます。


互換性が高く、中心制が低いパターンは「支配型(dominant)」です。異なる制度ロジックが並存しており、それらは相互に相容れるものですが、その中で1つが組織の重要な機能にとっての支配的な制度ロジックとして存在しています。このパターンについても、互換性が高いため、組織内での対立や葛藤は少ないといえます。BesharovとSmithが例示しているのは、現代建築業界では、複数の制度ロジックが混在していますが、特定のタイプの会社においては、特定の支配的な制度ロジックが存在するようになっています。例えば、復興主義建築家に率いられる会社では、専門家ロジックとしての伝統的な美学を追究しつつ、伝統的な価値観を有するクライアントサービス提供していく一方で、現代機能主義的建築家に率いられる会社では、商業ロジックの影響を受けた建築方針で、商業的なクライアントに対してサービスを提供していくようになっています。


これらのように、BesharovとSmithは、私たちの社会や組織において異なる制度ロジックが混在し並存しているからといって、それらが必ずしも組織内外での対立や葛藤を生み出す要因になるわけではなく、場合によってはシナジー効果が発揮されたり、対立や葛藤があまり起こらないケースがあることを論じます。そしてその理由は、彼らの理論モデルが示すように、異なる制度ロジックの並存パターンが異なれば、それらが組織に与える影響も異なるからなのです。

参考文献

Besharov, M. L., & Smith, W. K. (2014). Multiple institutional logics in organizations: Explaining their varied nature and implications. Academy of Management Review, 39(3), 364-381.

Thornton, P. H., & Ocasio, W. (1999). Institutional logics and the historical contingency of power in organizations: Executive succession in the higher education publishing industry, 1958–1990 1. American Journal of Sociology, 105(3), 801-843.

2017-02-06

「和して同ぜず」のダイバーシティ理論

近年、わが国でも、ダイバーシティ&インクルージョンという言葉が使われるようになりました。これは、人材多様性を維持し、それぞれの個性を大切にする(ダイバーシティ)と同時に、少数派を阻害したりすることなく全員を包摂するあるいは全員の意見尊重する(インクルージョン)ことを意味ます。これは、一人ひとりの視点から見ると、孔子の「和して同ぜず(仲良くすれども、自分立場・意見はきちんと維持する)」に通じるものがあります。「ダイバーシティ&インクルージョン」にしても、「和して同ぜず」にしても、理想的なダイバーシティ・マネジメントとは何かについて1つの答えを示すものであるといえましょう。つまり組織としての一体感統一感、調和性を重視しながらも、メンバー個人間の相違や一人ひとりのユニークさを最大限に活用するようなマネジメントということです。


必ずしも孔子の「和して同ぜず」と同じ意味とは言えないのですが、ダイバーシティ&インクルージョンで関連する理論に、「最適相違理論(Optimal Distinctiveness Theory (ODT)」というものがあります。つまり、ダイバーシティにおいて一人ひとりが異なっている度合いや特徴には、バランスの取れた最適な状態があるという理論です。そもそも、私たち人間は、相異なる2つの欲求を持っており、その折り合いをつけることが求められます。それは、「他者から受容されたい、他者と同じ(一緒)でいたい」という欲求と、「他者と違っていたい、自分自身は自立したユニークな存在でいたい」という欲求です。つまり「所属欲求(need for belongingness」と「自立欲求(need for uniqueness)」です。 本来は人間にはこの両方の欲求があるはずですが、日本教育についてはどちらかというと前者の「皆と同じ、同調相互依存」が強調され、アメリカの教育では後者の「個性、ユニークさ、自立」が強調されているともいわれます。


Shoreら(2011)は、上記の2つの欲求に基づく最適相違理論を用いて、とりわけ「インクルージョン」に関連する理論的枠組みを提示しています。Shoreらの定義する「インクルージョン」は、「メンバーが、組織やグループから、所属欲求と自立欲求の両者が満たされるような扱いを受けることによって、当該組織またはグループにおける価値ある一員として知覚できる度合い」となります。当然、組織によっては、このインクルージョンの度合いには違いがあるのですが、Shoreらはその違いを、所属欲求が満たされる度合い(高・低)と、自立欲求が満たされる度合い(高・低)とのマトリクスによって、4つのタイプの状態に分類しています。


まず、メンバーの所属欲求も自立欲求も満たされる理想的な状態が「インクルージョン」です。最適相違理論でいうところの最適な相違が実現しているような状態です。すべてのメンバーが、組織のインサイダーとして扱われ、かつ各人の個性や違いが尊重されている状態を指します。これと正反対なのが、特定のメンバーの所属欲求も自立欲求も満たされない状態で、これは「エクスクルージョン排除・除外)」と呼びます。これは、組織のインサイダーがいる一方で、特定の人々がアウトサイダーとして除外された位置づけにあり、彼らの個性や違いが尊重されていない状態を指します。この2つは、もっとも理想的か、もっとも悪い状態かという意味では分かりやすい対比だといえましょう。


それに対し、メンバーの所属欲求は満たされるが自立欲求は満たされない状態が「アシミレーション同化・吸収)」と呼ばれるものであり、メンバーは全員が組織やグループのインサイダーとして扱われますが、組織やグループに支配的な文化方針に同調することが求められ、メンバーの個性や自立は尊重されないような状態を指します。多くの日本企業国内外国人従業員雇用していますが、おそらく、外国人の人々には、日本的職場文化や仕事のやり方への同調を求めるという意味でのアシミレーションの状態にある職場が多いように思います。一方、メンバーの所属欲求は満たされないが自立欲求は満たされる状態が「ディファレンシエーション(差異化)」と呼ばれます。これは、特定の人々が組織のインサイダーとしては扱われず、アウトサイダーのような立場で扱われているが、彼らのユニークさ、個性や自立は尊重されるというものです。このような場合、アウトサイダーの人々は自分自身の特徴は発揮できますが、組織やグループへの帰属意識は育たないでしょう。


Shoreらのフレームワークは、「ダイバーシティ&インクルージョン」を考慮したダイバーシティ・マネジメントを行う上で、現状がどのような状態であり、理想的な状態に持っていくためにはどのような施策を行えばよいのかを考える際に役立つと思われます。

参考文献

Shore, L. M., Randel, A. E., Chung, B. G., Dean, M. A., Holcombe Ehrhart, K., & Singh, G. (2011). Inclusion and diversity in work groups: A review and model for future research. Journal of Management, 37(4), 1262-1289.

2017-02-05

ダイバーシティとはいったい何か

近年、日本でも企業におけるダイバーシティ・マネジメント重要性が叫ばれつつあります。実務的には、多くの場合女性活躍話題であることが多いと思われますが、ダイバーシティは男女の問題だけではありません。そもそも、ダイバーシティ・マネジメントを効果的に行うためには、「ダイバーシティ(多様性)」とは何かについて適切に理解していることが大前提です。しかし、ダイバーシティは、わかりにくい概念であるため、それがダイバーシティ・マネジメントに関する議論においてしばしば混乱を招くことになります。例えば、組織内のダイバーシティといっても、組織内の人々の性別国籍人種が多様であるという話と、組織内の人々の専門知識職種や経歴が多様であるという話とでは、相当意味合いが異なってきます。ダイバーシティには、異質(⇔同質)、相違(⇔類似)、不合意(⇔合意)、発散(⇔一致)、多様(⇔収束)、不平等性(⇔平等性)といった意味合いが含まれています。


HarrisonとKlein (2007)は、上記のようなダイバーシティ概念の曖昧性を問題視し、ダイバーシティの理解を促進するための分類分けを行いました。まず、HarrisonとKleinは、ダイバーシティを「ある共通する属性X(勤続年数、人種、職務給料)について、同一ユニット内のメンバー間の相違の度合いを示すもの」と定義したうえで、実は、ダイバーシティには3つの異なる種類があり、ことなる種類のダイバーシティの本質パターン、測定方法、そしてそれらがもたらす結果はそれぞれ異なることを指摘します。HarrisonとKleinが分類した3つの種類のダイバーシティとは、「分離(separation)」「多様(variety)」「格差(disparity)」です。


分離(separation)は、メンバー間で意見立場が異なっている様子を指し、水平的な視点からのメンバー間の価値観、信念、態度、意見などの距離示唆しており、不合意、相反、などの意味を含んでいます。多様(variety)は、情報、知識、経験といった視点からのカテゴリーが異なっている様子を指し、これらの差異が組織内に均等に散らばっている度合いも示しています。格差(disparity)は、メンバー間における給料、地位権力ステイタスといった価値のある社会的資産資源の集中の度合いを指し、極端な例でいえば、少数の特権階級とその他大勢といった垂直的な視点を含みます。したがって、資源や資産がどの程度、不均質、不平等に散らばっているかの度合いを示しています。


分離(separation)に主に関連するダイバーシティの理論としては、類似−魅力(similarity-attraction)理論、社会的アイデンティティ理論、社会カテゴリー理論などがあります。これらの理論は、人々はお互いに似ている場合に惹かれあい、同一グループとしてカテゴリー化してアイデンティティを高め、それゆえにメンバー間の凝集性、信頼、統合が育まれることを示します。分離という意味でのダイバーシティが一番大きいのは、組織やグループ内が真っ二つに分離しているような状態です。それは好ましい状態ではなく、メンバーが皆、同じ価値観であって、意見や態度や類似し、統一感・統合感があり、信頼関係形成されているような意味でのダイバーシティが小さいほど好ましいということが言えそうです。


多様(variety)に主に関連するダイバーシティの理論としては、情報処理理論やサイバネティクス理論、あるいは生態学的理論や認知理論があります。これらの理論が示唆するのは、一言でいえば、多様であるほど情報が豊富になることのメリットが大きくなるということです。例えば、情報が多様であるほど、創造性が高まったり、適切な意思決定可能になります。この意味でのダイバーシティが最大ということは、1人ひとりが完全に異なっており、ユニークな視点や発想をするというものです。様々な情報が利用可能になり、それらが組み合わさることで創造性やイノベーションや良い意思決定が可能になるという点において、ダイバーシティが高いほど好ましいということが言えそうです。


格差(disparity)に主に関連するダイバーシティ理論としては、社会的階層の理論、不平等理論などがあります。この意味でのダイバーシティが低いというのは、組織内で重要な社会的資産や資源が均等かつ平等に分配されている様子で、ダイバーシティが高い状態というのは、それらが不均衡、非対称、不平等に分配されており、例えば一部のサブグループに集中しているような状態を指します。重要な富や資産が集中せず、均等かつ平等に分配されるというという意味においてはこの種のダイバーシティは低いほど好ましいといえそうです。


HarrisonとKleinは、上記のようなダイバーシティの分類と解説に基づき、今後、ダイバーシティ理論を発展させていくために重要なポイントを整理して示しています。まず、上記の解説からわかるように、異なる種類のダイバーシティによってその本質もパターンも効果も異なってくるため、ダイバーシティ理論を構築していく際には、どの種類のダイバーシティを扱っているかを明示的に示すことが大切です。また、組織やユニットレベルにおいて、それぞれの種類のダイバーシティが最大であるとはどんな状態でどんな効果をもたらしているのかを図示しながら理論構築を進めることも有用であると指摘しています。また、同一の基準でダイバーシティを議論する際にも、分離・多様・格差の3つの種類がありうることを念頭に置くことも大切だといいます。その他、実証研究においても、ことなる種類のダイバーシティを対象にする場合に、その測定方法などが異なることをきちんと踏まえておくことの重要性もHarrisonとKleinは指摘しています。


参考文献

Harrison, D. A., & Klein, K. J. (2007). What's the difference? Diversity constructs as separation, variety, or disparity in organizations. Academy of Management Review, 32(4), 1199-1228.

2017-01-20

なぜリバースイノベーションが成立するのか

リバースイノベーションとは、新興国発展途上国で開発された製品が、先進国移転され、展開していくタイプのイノベーションを指します。これは、先進国で開発されたイノベーティブな製品を、新興国や発展途上国で展開するという、従来のイノベーションとは逆の流れになっていることが特徴です。リバースイノベーションは、「ジャガード・イノベーション」あるいは「フルーガル・イノベーション」(倹約志向型イノベーション)のように、思い切った簡素化・低価格化によって先進国の顧客からも支持が得られるような製品が開発される事例が多いといえます


従来のイノベーションの考え方は、先進国の方が、優れた企業が集中しており、研究開発拠点資源が充実しており、さらに洗練された顧客が存在するためにイノベーションが起こりやすいというものでした。新興国や発展途上国では、そもそも顧客の購買力も弱く、ニーズも高度に洗練化されたものではないので、従来の製品か、もしくは新興国の製品のスペックを落とした廉価版しか売れないと考えられてしました。ですから、新興国や発展途上国から、先進国の顧客も飛びつくような新しいイノベーションなど生まれるはずがないという考え方が大半であり、今もそうではないかと思われます。


また、従来の製品を、思い切って簡素化・低価格化することによって顧客に支持される製品を開発することは、原理的には、新興国や発展途上国でなくても、先進国で実現するのではないかと思うでしょう。では、リバースイノベーションのように、新興国や発展途上国であるからこそ、イノベーションが発生するという説得力のある理由はあるのでしょうか。それに対しては「イエス」という答えが理論的に考えられます。その鍵となるのが、「アーリーアダプター(初期採用者)」と「顧客からのフィードバック」です。


まず、思い切った簡素化を追求することによってこれまでとは違う製品を開発したとして、最初にそれに飛びつく顧客、すなわちアーリーアダプターの数が、新興国や発展途上国のほうが圧倒的に多いということが重要です。どのような新製品も、最初から完璧ではありません。ですから、最初に市場リリースしたときは、「安かろう、悪かろう」ということになります。高品質な製品に囲まれ、ニーズが洗練化された先進国の顧客の場合、低価格商品は欲しいが、品質が悪いものは欲しくないということで、それを欲しがるアーリーアダプターはあまりいないと考えられます。新興国・発展途上国の場合には、そもそもモノが不足しており、購買力が低いので、先進国から見たら「安かろう、悪かろう」の製品であっても、購入可能な価格でかつニーズが満たされるのであれば、飛びつく人々がいる可能性が高いわけです。


そして、どんな製品でも、顧客からのフィードバックによって製品が改良されるというプロセスが存在します。実際に購入し、使用した顧客の声は説得力があります。どこが満足で、どこが不満なのか。どのように改良すればもっと欲しいのか、など、アーリーアダプターがたくさんいるほど、継続的な製品の改良に必要リッチ情報が手に入るのです。この面において、すでに新興国・発展途上国と先進国では差がついてしまっています。つまり、簡素化・低価格化を基軸とするようなイノベーションのアイデアを思いつく人々は、新興国・発展途上国でも先進国でもいるでしょう。このステージでは、両者は互角でしょう。しかし、そのようなイノベーションが、真に顧客に支持されるものになるために必要な情報は、新興国・発展途上国のほうが圧倒的に入手しやすいということなのです。つまり、新製品のリリースして、顧客からのフィードバックを得ながら製品を改良していくプロセスについては、新興国・発展途上国に軍配が上がるというわけです。


新興国・発展途上国で開発された製品が、顧客からのフィードバックを参考に、どんどん改良されていくと、アーリーアダプターから、アーリーマジョリティ(初期追随者)へと顧客層が拡大し、さらなる顧客からのフィードバックが期待されます。だんだん製品の完成度が高まれば、さらにレイトマジョリティ(後期追随者)、ラガード(遅滞者)へと顧客層が広がります。そのうち、先進国の人々にとっても満足のいくクオリティーが実現し、先進国の顧客にとっても魅力的な製品となっていくことでしょう。そうなれば、新興国・発展途上国発のイノベーションが先進国に逆流するという、リバースイノベーションが実現するわけです。つまり、「安かろう、悪かろう」から出発して、「安くて便利」とか「安くて高品質」なものに発展していくということです。


一方、「安かろう、悪かろう」の製品に対してアーリーアダプターがあまりいない先進国では、将来的には先進国の顧客にとってもアピーリングな製品になるポテンシャルがあるものであっても、顧客からのフィードバックを得る機会がなく、普及する前に死んでしまう可能性が高いのです。つまり、新興国や発展途上国と同様に、安かろう、悪かろうで出発したイノベーションの種は、立ち上がりの時点からすでに顧客からの支持を失ってしまい、その先の製品の改良ステージに進めないため、数少ないアーリーアダプターがいたとしても、製品の改良が進まず、その後のアーリーマジョリティへのバトンタッチできず、失敗に終わる可能性が高いのです。以上のような理由から、新興国や発展途上国であるからこそ起こりうるイノベーションすなわちリバースイノベーションの存在が理論的に成立するのだといえましょう。

2017-01-14

ジングル・ジャングルの誤謬にご用心

組織や人事の分野に限らず、様々な場面において議論が嚙み合わないということがあります。例えば、人事の分野では、成果主義が本当に企業業績を高めるのか、ダイバーシティをどう推進していくのか、などについて活発な議論がなされるものの、賛成派と反対派の議論が噛み合わず、すっきりとした結論が出ないままうやむやになるということがあります。このような議論がかみ合わない原因の1つに、「ジングル・ジャングルの誤謬(jingle-jungle fallacies)」があると思われます。


「ジングル・ジャングルの誤謬」とは、実際は異なるものなのに、それらに同じ名前が付いているために、同じものである錯覚してしまうこと(ジングルの誤謬)と、実際は同じものなのに、違う名前が付いているために異なるものであると錯覚してしまうこと(ジャングルの誤謬)を指します。なぜそうなるのかというと、私たちは、同じ名前ならば同じもの、違う名前ならば違うものだと当然のことに思っているのですが、現実世界では、同じものに違う名前がついたり(例、関東きつねうどん関西たぬきそば)、違うものに同じ名前(例、ぜんざい)がついたりすることがあるからです。


人事の世界において「ジングル・ジャングルの誤謬」によって議論がかみ合わないケースについて、いくつか例を挙げてみましょう。まず、冒頭にあげた「成果主義」です。これは、異なるものを同じ名前で呼ぶという「ジングルの誤謬」が当てはまりそうです。成果主義においては、そもそも成果主義が企業業績を高めるのかという論争があり、賛成派は、成果主義が企業業績を高めるのだから企業は成果主義を導入すべきだという考えを押し通し、反対派は、成果主義は企業業績を損ねるから企業は成果主義を導入すべきではないという論陣を張っていました。ところが、賛成派と反対派の議論を見ても、どうも噛み合っておらず、結局結論が出る前に。成果主義ブーム終焉してしまいました。


どこに問題があったのでしょうか。実は、成果主義反対派は、主に「成果に応じて個人処遇賃金など)を変動させること」を成果主義と理解していたようで、その理解に基づいて「成果主義は限られた報酬資源をめぐって個人間の競争を誘発しチームワークを阻害するので、企業業績を損ねる」と主張したのでした。しかし、成果主義賛成派は、それに対する反論として、成果主義を「企業が成果を高めるために従業員意識を向けさせること」と理解し、その理解に基づいて「成果主義はチームワークを阻害することなく、従業員の行動を成果志向にするために企業業績を高める」と反論したのでした。年功的な賃金体系をとっているのに、成果に意識を向けさせる施策を行っていれば成果主義だといえるというような解釈も出てきたりしたのです。これでは議論が噛み合うはずがありません。なぜならが、彼らが主張している「成果主義」は、異なるものを想定しているからです。結局、成果主義という言葉を外せば、双方の言い分はお互いに合意しているものであり、論争にはなっていないことがわかります。お互い同じ考え方なのに、成果主義の意味が異なっているだけのために、表面上の意見正反対になっているだけの話だったのです。


ダイバーシティの推進といったトピックも、同様に「ジングルの誤謬」が絡んでいるように思えます。例えば、異なるスキル、異なる価値観、異なる人種国籍といった人材を多用に採用し、シナジー効果がでるようにマネジメントしようとすることを「ダイバーシティ施策」と考えている人々がいる一方で、例えば男性女性雇用機会均等、女性の活躍推進のためのワークライフバランスの普及を指して「ダイバーシティ施策」と考えている人々がいますが、この2種類の人々どうしが、「どのようにすれば望ましいダイバーシティマネジメントが実現するか」を議論しても、議論が嚙み合わないのは明らかでしょう。結局、同じ言葉で、異なる内容のものを想定しているからです。


同じものを異なるものだと考えてしまう「ジャングルの誤謬」については、これも人事の世界では以前おおいに流行った「コンピテンシー・マネジメント」が当てはまるかもしれません。コンピテンシーあるいはコンピタンシーとは、日本では「成果を生み出す行動特性」と訳し、従業員のパフォーマンスを高めるためには、コンピテンシーに注目した採用や評価を行う必要があるという主張から、「コンピテンシー・マネジメント」が提唱され、多くの企業が、コンサルティング会社を雇ってコンピテンシーマネジメントの制度設計に取り組みました。しかし、「コンピテンシー」は、直訳すれば「能力」であり、昔から使われていた「職務遂行能力」とどれだけ違う概念なのか、真剣に議論されてきたようには見えません。むしろ、無理やり、違う理由を並べて、「職務遂行能力とは違うものであるコンピテンシー」を普及させようとしていたように思います。ですが、職務遂行能力もコンピテンシーも、仕事で成果を出すための能力であることに違いはなく、ひょっとしたら、これは同じものに対して異なる名前をつけただけであり、ただ前者が古臭く、後者恰好いいという理由で流行しただけなのかもしれません。いや、もしかしたらお互いに違う概念なのかもしれませんが、実際の運用において、両者を明確に区別できていたかは疑問です。「職務遂行能力に基づく人事管理よりも、コンピテンシーに基づく人事管理のほうがうまくいく」という主張は単なる詭弁だったのかもしれないのです。


今回は「ジングル・ジャングルの誤謬」が人事の世界で起こる例として、「成果主義」「ダイバーシティ」「コンピピテンシー」を挙げましたが、近年叫ばれている「グローバル人材」など、いわゆる流行りものについては議論が白熱するのが世の常ですが、そのような議論に参加するさいには、自分は「ジングル・ジャングルの誤謬」に陥っていないかどうかをチェックしたほうがよいでしょう。

2016-11-21

アテンション・ベースト・ビューとは何か(「選択的注意」が企業を動かす)

戦略論・組織論における「アテンション・ベースト・ビュー(The attention-based view of the firm)」とは、ウィリアム・オカシオが体系化した企業行動を説明するための理論であり、「限定された合理性」を基軸としたハーバート・サイモンジェームズマーチらの企業の行動理論(The behavioral theory of the firm)の流れを汲む理論枠組みです。アテンション・ベースト・ビューのポイント一言でいえば、企業内で、何に対してどのように注意を向けるかが、企業内の意思決定ひいては企業行動を左右する」というものです。この考え方は、サイモンによる『経営行動』の時代から存在するのですが、オカシオは、Strategic Management Journal(Ocasio, 1997)において、より体系的な理論枠組みとして再構成したのです。


アテンション・ベースト・ビューが、「注意」の視点から企業行動を説明するための理論であるといいましたが、もう少し詳しく説明しましょう。企業にとって、環境変化に適応していくことが重要であるわけですが、企業が、いつ、どのような形で環境変化に対応したアクションを起こすのかは、その企業が、環境のどのような面に注意を向けるのか、とりわけ、どのような課題、どのような対処法(ソリューションや答え)に注意を向けるのかに左右されるのだというのです。企業は、客観的な環境を認識しているのではなく、特定の課題とその対処法の組み合わせとして環境をイナクトしている(間主観的に環境を創造し、それを認識している)といえます。したがって、企業が環境変化に適応できる経営を失敗させてしまう原因は、企業が環境の適切な側面に注意を向けなかったことに起因することになります。つまり、企業がイナクトした環境に重要な要素が抜け落ちているために重要な環境変化の兆しに気付かなかったり、現場レベルでは気付いていたとしても、組織プロセスの中でいつしか注意が向かなくなったということも考えられます。


企業から見れば「注意」というのは、限られた資源でもあります。企業はあらゆることにたいして注意を向けることはできないという意味です。よって、優先順位をもって特定の事象にのみ注意を向けるということになりますが、それが適切なところに向けられなければ、企業業績を大きく揺さぶるような重大な環境変化を見逃してしまったりするわけです。オカシオは、企業がそのようなプロセスを経て特定の事象に注意を向けるのかについての原理を体系化しました。この理論的体系化でキーとなるポイントが3つあります。1つ目は、人間認知プロセスです。人間の意思決定は、何に注意を向けるかで決まってくるということです。2つ目は、人間の注意を規定する状況要因です、人間はつねに一貫した認知活動を行っているわけではありません。人間がどこに注意を向けるのかは、彼らがおかれた状況に左右されるということです。3つ目は、企業の構造的側面です。企業において、人間の注意を左右する状況というのは、企業内のルール、組織構造、政治プロセスなどによって特徴づけられるコミュニケーションやプロセスによって決まってくるということです。


オカシオによれば、上記の3つの視点を組み合わせることにより、企業がどこにどんなかたちで注意を向けるのかのパターンに関する原理が導かれれます。企業では、いわゆるルーチン業務を除けば、トップマネジメントをはじめとする企業内の人々が特定の課題とその対処策に注意を向け、「この課題に対して、こうした対処策をとろう」といったように、それらの課題と対処法を組み合わせた意思決定を行うことによって、企業全体として、環境変化に対処する行動が立ち現れてくると考えられます。しかし、企業内の人々が注意を向ける課題やその対処法というのは、彼らの眼前に現れる時点ですでに限定的なものとなっています。彼らは、組織内のプロセスを通じて取捨選択されることで限定された課題や対処策の中から特定の者を選び取るかたちで注意を払い、注意を向けたものを利用して意思決定を行うわけです。よって、場合によっては本当に注意を向けるべき課題や対処法がどこかで消失してしまって、いざ意思決定をしようとしている彼らの眼前には無いのかもしれません。そこで、どのようなプロセスを経て、企業内の人々にまで届けられる課題やその対処法のセットが取捨選択され、限定されたものになってしまうのかが重要なポイントとなってきます。


組織内で意思決定を行う人々が注意を向ける課題や対処法が限定されてしまう要因は、(1)彼らの置かれた組織内での状況、(2)組織内の複数の意思決定参加者による相互作用、そして、(3)組織内の構造的側面やプロセスによるフィルタリングが挙げられます。(1)については、組織内におけるコミュニケーションパターンや手続きによって、注意を向けるべき特定の課題や対処法が選択される一方で、別の課題や対処法が切り捨てられ消失してしまうことが起こります。(2)については、組織では集合的に意思決定がなされることが多いのですが、集団で討議をしたり政治的駆け引きを行ったりする過程で、特定の課題や対処法が選択され、他の者は切り捨てられ消失してしまうことが起こります。(3)については、組織内において何を重視するのかは、組織内のルール、組織文化、組織構造、組織内での正当性などに左右されます。したがって、意思決定者に選択肢が送り届けられるまでに、特定の課題や対処法が重要なものとして選択され、他の課題や対処法は重要ではないものとして切り捨てられ消失してしまうことが起こります。すなわり、フィルターがかかって特定の課題や対処法のセットのみが意思決定者に送り届けられます。


アテンション・ベースト・ビューでは、上記のような仕組みもしくは原理によって、企業においてどこにどのようなかたちで注意が向けられるかが決まり、それが環境変化に対する企業行動を決定づけます。このことから、次のようなことが言えるとオカシオは指摘します。まず、企業内における与件の小さな違いによって、企業の環境適応行動に大きな差が出るということです。なぜならば、その与件の違いが、企業がどこに注意を向けるかを変えてしまうからです。次に、環境が変化しているのに企業が変わることができず、適応できないという慣性イナーシャ)や、企業が環境変化への適応に失敗する原因となる不適切な変化、そして、企業による環境変化に対する適切な適合、といった違いが、このアテンション・ベースト・ビューによって説明可能だということです。そして、企業内において注意が向けられるプロセスは、人間の認知的なメカニズムと、組織内の構造的なメカニズムの両方によって説明できるということが挙げられます。さらに、企業の戦略アクションは、選択的な注意によって決定づけられるという点です。このように、アテンション・ベースト・ビューは、企業行動を説明するための有益な視点を提供する理論枠組みだといえましょう。

参考文献

Ocasio, W. (1997). Towards an attention-based view of the firm. Strategic management journal, 187-206.

2016-09-13

「おまじない」が業績を高める科学的証拠

大勢の前でプレゼンテーションをしなければならないとき、大切な商談を自分が仕切らなければならないときなど、私たちはしばしば大きな緊張や不安を強いられる中で仕事をしなくてはならない場面に遭遇します。オリンピックの本番で失敗してしまう選手代表されるように、大きな緊張や不安が本番での失敗を招き、業績を損なう可能性が出てきます研究でも緊張や不安を取り除く方法がいろいろと提唱されてきていますが、ときに、不安を取り除こうとすることが逆に不安を増大させてしまったり、科学的証拠に欠けるなど、まだ決め手がないように思えます。


しかし実は、仕事での不安を取り除き、本番でよい成果を出すことができるとても手軽でかつ効果の高い方法があるのです。しかも、最新の研究によってその科学的証拠も得られたのです。それは何かというと、「おまじない」とか「儀式」と呼ばれるものです。例えば、ラグビーで一躍有名になった「五郎丸ポーズ」が挙げられます。イチロー選手は毎朝カレーを食べているという有名な話もありました。スポーツに限らず、多くの人が仕事でも、なんらかの「おまじない」や「儀式」をやっていたりします。これは単なる「迷信」にすぎないと一笑に付するかもしれません。しかし、Brooksら(2016)の研究は、この「おまじない」が、不安を払拭することで、業績の向上につながるということを複数実験を行うことで科学的に示したのです。


まず、Brooksらがどのように「おまじない」「儀式」(rituals)を定義しているかを見てみましょう。Booksらは、「おまじない」「儀式」を、「繰り返しやパターン化された、あらかじめ決められた順番で行う形式的かつ象徴的な行為で、かつ、その仕事の業績を高めるために合理的な道具的手段ではないもの」として定義します。ですから、スポーツの前の準備体操のようにその行為が業績を高めることが論理的に示されるものは「おまじない」ではありません。また、その行為になんらかの象徴的な意味(例、神様が見守ってくれる)が込められていない場合も「おまじない」ではありません。


次に、なぜ「おまじない」「儀式」が本人の不安を軽減し、業績向上につながるのでしょうか。Brooksらは、少なくとも4つのメカニズムによって、おまじない・儀式が業績を高めることを示します。1つ目として、決まった行為の連続や繰り返しからなる「おまじない」「儀式」は、それ自体が安定した行為であるため、本人の気持ちの安定にもつながります。2つ目に、「おまじない」「儀式」に精神を集中させることで、ネガティブな気持ちをブロックすることにつながります。3つ目に、「おまじない」「儀式」の象徴的な意味(例、このおまじないは幸運を呼ぶ)が不安をやわらげます。4つ目に、おまじないや儀式は「プラシーボ効果」をもたらします。プラシーボ効果とは、ただの小麦粉の粒を薬だと聞かされて飲んだ患者病気が治ったといったような効果を指します。「このおまじないは良く効くのだ」と信じることがよい結果をもたらすのです。これらのメカニズムによって「おまじない」や「儀式」を行う人々の不安は軽減され、業績が上がるとBrooksらは考えたのです。


上記の理論を確かめるためにBrooksらは巧妙な4つの異なる実験を行いました。実験では、被験者に「人前で歌を唄う」「難しい数学問題を説く」といった、不安を喚起させるような課題提示し、半分の被験者には「おまじない」をしてもらい、残り半分の被験者にはなにもしてもらわないというような方法で、本人の不安および結果を測定しました。本人の不安の測定には、自己申告にくわえ、心拍数を測定する器具を用いることもしました。また、後半の実験では、「おまじない」だと思わせてある行為をしてもらうのか、「おまじない」の意味を付与しないで単なる意味のない行為としておなじことをしてもらうのかによる違いも検討しました。一連の実験の結果、本人たちが、これは「おまじない」だと思ってある特定の行為をした場合に、そうでない場合に比べて、タスク直前の不安はより軽減され、タスクの成果はより高いことが分かったのです。


Brooksらの研究の大きな貢献は、「おまじない」とか「儀式」というのは何の根拠もない迷信などでは決してなく、仕事上の不安を軽減し、業績を高める、簡便かつ効果の高い手法だといういことを科学的に示した点にあります。どうしても緊張してしまう、不安になりがちだという人は、ぜひ「おまじない」「儀式」を試してみてください。

参考文献

Brooks, A. W., Schroeder, J., Risen, J. L., Gino, F., Galinsky, A. D., Norton, M. I., & Schweitzer, M. E. (2016). Don’t stop believing: Rituals improve performance by decreasing anxiety. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 137, 71-85.

2016-09-11

場当たり的な採用面接は役立たないどころか害になる

学術的・科学アプローチを重視する採用学では、採用面接において、あらかじめ質問標準化して設定しておく「構造化面接」の優位性が実証されており、事前に質問内容を標準化したりすることなく、状況に応じて場当たり的な質問を投げかける「非構造化面接」は、優秀な人材を見分ける(将来の職務成果を予測する)面では劣っていることが示されています。それにも関わらず、実務の世界では、場当たり的な採用面接を行うケースが多々見られるようです。


実務の世界で科学的に支持されない非構造化面接が行われている理由はいくつか考えられます。まず、面接官本人は、構造化面接は窮屈であると感じるため、自由度の高い場当たり的な採用面接の仕方を好むという点が挙げられます。また、構造化面接は、応募者に対して冷たい印象を与える可能性があるので、面接官がその場の雰囲気を盛り上げるためにも柔軟な面接の仕方を採用したいという考えもあるでしょう。


しかし、Kausel, Culbertson, & Madrid (2016)による最新の研究では、場当たり的な面接すなわち非構造化面接を用いることは、優秀な人材を見分ける(応募者の将来の職務成果を予測する)面においてあまり役に立たないだけでなく、むしろ、優秀な人材を見分ける能力を阻害してしまうことが示されています。つまり、場当たり的な採用面接が「百害あって一利無し」である可能性を示す証拠が得られたのです。


Kauselらは、巧妙な複数実験を通じて、上記のような事実発見しました。実験内容を簡単説明すると、まず、実際の企業で行われた採用選考データと、入社後数ヶ月後の業績データを照らし合わせ、どのような選考手段が応募者の入社後の業績を最もよく予測できるかを調べておきました。その結果、先行研究と同じく、応募者の入社後の業績の予測に役立ったのは、試験で測定された知的能力と誠実性(性格特性)の得点であり、場当たり的な採用面接による得点は役に立っていませんでした。つまり、知的能力および誠実性が高いほど、入社後の業績が良かったのですが、場当たり的な面接での判断は、入社後の業績とはあまり関係がなかったということです。そして、このデータを用いて、企業の採用責任者集団被験者として実験を行いました。


被験者をランダムに2つのグループに分け、片方のグループでは、被験者に対して、先の調査データから抜き出した10名分の応募者の知的能力と誠実性の得点を示し、彼らの将来業績を予測してもらいました。同時に、その予測にどれだけ自信があるのかも聞きました。もう一方のグループは、同じく10名の応募者の知的能力と誠実性の得点に加え、場当たり的な採用面接による得点も示し、同様に、将来業績の予測をしてもらいました。予測の自信も尋ねました。そして、被験者の下した業績予測と、先の調査データに含まれる実際の業績との比較を行いました。つまり、2つのグループの違いは、応募者の将来の業績を予測する(優秀な人材を見分ける)際に、場当たり的な採用面接の結果が手元に情報としてあるかないかのみで、あとの条件はすべて同じだったということです。


その結果、予測の正確性が高かったのは、実は前者、すなわち知的能力と誠実性の得点だけで予測したグループだったのです。後者の、知的能力と誠実性と場当たり的な採用面接の得点を示したグループは、前者よりも予測の正確性が低いという結果になりました。しかし、後者のほうが前者よりも、業績予測への自信が高かったのです。後者のグループでは、採用面接の結果も情報として得られているがために、自信をもって応募者の将来業績を予測できた(すなわち優秀な人材を見極めれらた)と思ったのでしょうが、実は正反対だったというわけです。後者のグループの被験者は、場当たり的な面接の結果をより業績予測に反映していたので、その結果として、予測の正確性が低下してしまったのです。


この実験結果から何が言えるのでしょうか。Kauselらは、将来業績の予測に役立つ知的能力と誠実性といった情報に、将来業績の予測に役立たない場当たり的な採用面接の情報が加わった結果、被験者の業績予測の能力が錯乱されたのだと論じます。さらに、採用面接の得点を見たことにより「百聞は一見に如かず」というような「確信」が被験者の心の中に生まれ、それが、人材を見分けるという面において「過信」すなわち「自信過剰」な状態を作り出したのだと論じます。その結果、信頼できる知的能力や誠実性の得点を軽視し、科学的には信頼できない場当たり的な面接の結果を信用して業績予測に反映してしまったのだといえます。


今回のテーマとは少しずれますが、質問内容をあらかじめ構造化しない場当たり的な採用面接を行うことは、面接中にうっかり差別的な質問をしてしまうなど、多くの危険をはらんだ採用手段だと言えます。今回、それに加え、場当たり的な採用面接の結果を選考基準として用いようとすることが、科学的根拠のない「過信」を生み出すことで採用選考の正確性をも阻害してしまうという証拠を示したことにより、Kauselらの研究成果は、採用面接を行おうとする実務家に対して重要示唆を与えるものだといえましょう。

参考文献

Kausel, E. E., Culbertson, S. S., & Madrid, H. P. (2016). Overconfidence in personnel selection: When and why unstructured interview information can hurt hiring decisions. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 137, 27-44.

2016-09-01

TEDで学ぶ組織行動論(14)エイミー・カディ 「ボディランゲージが人を作る」(日本語字幕付き)

TED Conferenceとは、TED(Technology Entertainment Design)が主催している講演会で、学術エンターテイメント・デザインなど様々な分野の人物がプレゼンテーションを行なう場です。講演会の内容はインターネット上で無料動画配信されており、多くの著名な人物もここでプレゼンテーションを行っています。


今回は、TEDのプレゼンテーションに学ぶ組織行動論(14)として、ハーバードビジネススクールの人気教授でもあるエイミー・カディ 「ボディランゲージが人を作る」を紹介します。プレゼンテーション動画は日本語字幕つきです。再生時に字幕がでない場合には、動画の下の字幕ボタンを押してください


カディは、いかにボディランゲージが、他者のみならず自分自身人生に影響を与えるのかを科学的な証拠を踏まえて力説しています。ビジネスのみならず、日常生活において、そして人生全体について示唆に富むプレゼンテーションです。このプレゼンテーションは、カディの「〈パワーポーズ〉が最高の自分を創る 」の内容とも関連しています。


日本語全文

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参考文献

エイミー・カディ 2016「〈パワーポーズ〉が最高の自分を創る 」早川書房

2016-08-31

TEDで学ぶ組織行動論(13)アダム・グラント 「独創的な人の驚くべき習慣」(日本語字幕付き)

TED Conferenceとは、TED(Technology Entertainment Design)が主催している講演会で、学術エンターテイメント・デザインなど様々な分野の人物がプレゼンテーションを行なう場です。講演会の内容はインターネット上で無料動画配信されており、多くの著名な人物もここでプレゼンテーションを行っています


今回は、TEDのプレゼンテーションに学ぶ組織行動論(13)として、ペンシルバニア大学ウォートン・ビジネススクール天才組織心理学者アダム・グラントによる「独創的な人の驚くべき習慣」を紹介します。プレゼンテーション動画は日本語字幕つきです。再生時に字幕がでない場合には、動画の下の字幕ボタンを押してください


グラントは、独創性の高い人というのは意外と先延ばしをする人であること、自信満々に見えても実はわたしたちとと同じように不安や疑問、 恐怖を感じていること、もっとも多く失敗をしている人たちであることなど、興味深い知見をユーモアを交えながら解説しています。このプレゼンテーションは、グラントの著書「ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代」の内容と関連しています。

日本語字幕付き動画

日本語全文

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参考文献

アダム・グラント 2016「ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代」三笠書房

2016-08-01

シグナリング・ゲームとして理解する採用マーケットのダイナミズム

毎年、企業は優秀な人材を獲得するための採用活動に苦慮しています。同様に、求職者側もより良い企業に就職できるよう対策にいそしんでいます。採用学では、企業は科学的な手法を用いて優秀な人材を獲得できる採用手段を開発すべきであることを示唆します。そのような視点も大切ですが、そもそも、採用マーケットがどのようなメカニズムによって成り立っているのかという、採用マーケットの本質を理解することも大切です。とりわけ日本の企業の大半が依拠する新卒採用マーケットは、日本の労働市場海外と切り離されているがゆえに独自進化を遂げて現在に至っています。いったい、どのような要素によって現在の採用マーケットが形成されたのでしょうか。今回は、Bangerter, Roulin, & König (2012)によって示された、採用マーケットを「シグナリング・ゲーム」として捉える視点を紹介することで、その理解を深めたいと思います。


Bangerterらの理論を援用すると、採用マーケットは、マーケットの参加者すなわち採用企業と求職者が、自分にとって最も好ましい結果を得るために有力な情報である「シグナル」をめぐる駆け引きが行われる場として理解できます。ゆえに、採用マーケットを、シグナルをめぐって企業や求職者によって繰り広げられる「ゲーム」であると理解するのです。具体的には、以下のようになります。

  • 企業は優秀な人材を見分けるためのシグナルを探している。
  • 求職者は自分が優秀であることを示すシグナルを発したがる。
  • 企業は自社が優れた企業であることを示すシグナルを発したがる。
  • 求職者は優れた企業を見分けるためのシグナルを探している。

実際の採用マーケットを見ればわかりますが、これらのシグナルは自明ではありません。まず、十分な研究がなされていないために、何が優秀な人材の決定要因なのか、優れた企業の条件は何なのかなど、誰も分かっていないというケースがあります。また、それが分かっているとしても、参加者は自分にとって有利な情報のみを開示し、自分にとって不利な情報は隠したがります。よって、十分な情報がマーケットに流れないので、本当に役に立つシグナル自体も闇に包まれがちになるということです。例えば、求職者は、自分の能力が低いことを示す情報は隠したがりますし、企業側は自社の弱点となる情報は隠したがります。そうなると、優秀な人材と優秀でない人材を見分けるシグナルや、優良企業と非優良企業を見分けるシグナルが容易に取得できなくなってしまうのです。だから、企業側も求職者側も、自分にとって有利な相手のシグナルを探り当てる努力をするようになりますし、自分が相手にとって魅力的に映ると思われるシグナルを積極的に発信しようとするようになります。


さて、採用マーケットにおいて企業や求職者が駆け引きを行うと言いましたが、ここでいう駆け引きとは、有力なシグナルを探りあてたり、それを積極的に発信したり、あるいは偽ってそれを取得したりするプロセスを指します。そして、その駆け引きには、企業と求職者の駆け引きのみならず、企業同士の駆け引き、求職者同士の駆け引きもあります。では、具体的にどのような駆け引きによって採用マーケットが変化していくのか見てみることにしましょう。ここでは、企業側が優秀な人材を見分けるためのシグナルに着目してみます。もちろん、求職者が優良企業を見分けるためのシグナルについても、今回は省略しますが類似のメカニズムが成り立ちます。

  • まず、企業が優秀な人材を見分けるためのシグナルとして、筆記試験の成績に注目するとします。当面は、そのシグナルは有効に働くことでしょう。つまり、筆記試験の成績によって企業は優秀な人材を獲得できることでしょう。しかし、筆記試験結果をシグナルとして注目していることを探り当てた求職者側は、筆記試験でよい成績を上げるための対策を練ることになります。そうすると、応募者のほとんどが筆記試験で高得点を取ることに成功してしまうため、企業側は筆記試験の成績で優秀な人材を見分ける事ができなくなってしまいます。
  • 筆記試験で優秀な人材を見分けられないとなると、企業は筆記試験をそのまま行いつつ面接試験質問を工夫し、それに対する対応を新たなシグナルとして利用するようになるとしましょう。当面は、そのシグナルは有効に働くでしょう。しかし、面接試験の受け答えをシグナルとして注目していることを探り当てた求職者側は、適切な面接の受け答えをするための対策を練ることにつながるでしょう。そうすると、応募者のほとんどが面接試験で模範的な受け答えをするようになってしまうので、企業側は面接試験で優秀な人材を見分けることができなくなってしまいます。

上記は、主に企業と求職者との駆け引きに焦点が当たっていますが、以下のように、求職者同士の駆け引きがこのシグナリング・ゲームに与える影響も存在します。

  • 先の続きによって、新卒採用においては、筆記試験や面接が優秀な人材を見分けるための手がかりとしては有効に機能しなくなってしまったとしましょう。そこで、まだインターンシップが普及していない時代にインターンシップを行った意欲の高い学生が、他の求職者との差別化を図るために、それを応募や面接時のアピールポイントとして活用するとしましょう。企業側は、そのような学生が実際に優秀であることに気づくならば、インターンシップ経験を優秀な人材を見分けるシグナルとして使いだすことになります。
  • そうすると、企業がインターンシップ経験を採用基準に用いているらしいということを察知した求職者は、自分もライバルに負けじとばかりインターンシップを経験し、それを面接などでアピールするようになるでしょう。それが繰り返されると、しだいにインターンシップを経験することが内定を取るうえで有利であるという説が定着するようになります。そうなると、ほとんどの学生が就職活動必須の条件としてインターンシップを経験しようとするようになるでしょう。結果として、インターシップ経験そのものは、優秀な人材を見分けるシグナルとしては機能しなくなってしまうのです。

このように、採用マーケットにおいて、企業や求職者がどのシグナルを積極的に使用するようになるのかは、プレイヤー同士の駆け引き、横並び的な真似のしあい、シグナルの無効化、新たなシグナルの特定、といったことが繰り返されダイナミックに変化していきます。その結果、どのような現象が起こるのでしょうか。それについては、以下のような予想が成り立ちます。

  • 他の求職者が簡単に取得できないシグナル、簡単に真似することのできないシグナル、すなわち求職者側からみて対策が立てにくいシグナルは、企業側から見ても信用できるシグナルとして安定的に利用されるようになるでしょう。一方、簡単に取得できたり真似しやすいシグナルは、最初は有効に機能したとしても、そのうちシグナルとしての有効性を喪失して信用されなくなるため、別の新たなシグナルが模索されるようになるでしょう。
  • 結果的に、簡単に取得できないシグナルである「学歴」や「会計士などの資格」は、信用できるシグナルであると考えられるため、安定的に採用基準などに用いられるようになります。企業が求める優秀かつ勤勉な学生は、比較的低コストガリ勉をぜず)高学歴を手に入れたり資格を取得したりすることができ、それをアピールポイントとして用いることが可能となります。企業側もそのようなシグナルは優秀な人材を見分けるのに役立つと考えているので、それを採用選考の基準として用いるようになります。つまり、企業側も求職者側も、採用マーケットにおいてそれらのシグナルを信用できるものとして交換しあうようになります。
  • 一方、筆記試験、面接試験、インターンシップ経験などは、企業がユニーク方法を思いつき、それを優秀な人材を見分けるシグナルとして採用基準に組み入れ、当面はそれが優秀な人材を見分けることに役立つとしても、いずれは多くの求職者が対策を立てるようになるため、その効果は持続せず、シグナルとしての有効性が喪失されていくことでしょう。よって、企業は、その採用基準を廃止し、また新たな採用手段や面接の質問などを考案して取り入れていくことが繰り返される「イタチごっこ」の様相を示すようになります。

これまでのようなダイナミックなプロセスによって時代とともに採用マーケットが変化していくので、企業によって実際に用いられている採用基準は、学歴のように長期安定的に用いられる採用基準と、ユニーク採用とかイノベーティブ採用と言われるように、イタチごっこで次から次へと考案される新たな採用基準のコンビネーションになっているものと思われるのです。また、いったんは有力シグナルとしての有効性を喪失しても、足切り材料程度には使えるかもしれないので残しておこうとする場合もあります。その結果として、エントリーシートや筆記試験、グループ面接アルバイト経験、インターンシップ経験など、数多くの要素が、採用時に求められる情報として維持されているのだと考えられます。

文献

Bangerter, A., Roulin, N., & König, C. J. (2012). Personnel selection as a signaling game. Journal of Applied Psychology, 97(4), 719-737.

2016-07-29

人材マネジメントの水平分業

ビジネス世界では、垂直統合と水平分業という言葉があります。垂直統合は、川上から川下までを1つの組織に取り込むことを指し、従来の日本大手電機メーカーの組織がその代表例です。それに対し、世界的なトレンドとして起こっている水平分業は、それぞれのプレイヤー自分の強みに特化して、他の機能を他社にゆだねる連携を指します。例えば、半導体業界において設計ブランディングのみに注力するファブレスメーカーと、受託生産のみに特化するファウンドリ企業のような分業です。


実は、この考え方を人材マネジメントに当てはめるならば、水平分業が昔からもっとも進展していたのは日本だと解釈することが可能です。日本企業の人事管理が、ジョブローテーションなどを活用した総合職志向であることはよく知られており、それによって同質的人材は作られるが、専門職を育成できないという批判もありました。しかし、人材マネジメントに「水平分業」の考え方を応用するならば、日本の企業は、あたかもファブレスメーカーやファウンドリ企業のように、特定の機能に特化し、特定の機能の人材を、規模の経済を活用して大量生産してきたのだといえそうです。


例えば、製造業の企業は、技術力を生かした製品開発と製造に特化し、国内海外販路開拓は、専門商社総合商社が分業していたと解釈しています。つまり、総合商社は、単なる「問屋」「卸売り」「物流」の会社なのではなく、製造業の販売網の開拓という、事業会社にとって重要な機能を請け負っていたわけです。例えば、事業会社が海外進出したい場合、社内にいわゆる「グローバル人材」を抱えていなくても、総合商社の中に海外に果敢に出て行って販路を開拓してくるたくましい人材がたくさんいたため、そこに海外での販路開拓をアウトソースすればよかったのです。


同じことが、事業会社と銀行との関係にも言えます。事業会社には、財務専門家を置かず、財務の専門家は、銀行によって大量生産されていました。銀行は単なる金貸しではなく、事業会社のファイナンス機能をアウトソースしていたと解釈できます。銀行員が各取引先企業のキャッシュフローをはじめとするファイナンスを監視し、場合によっては、出向や転籍によって銀行員(=財務の専門家)を派遣していました。財務の専門家は、銀行内で大量生産されていたので、その人材を活用すればよかったのです。


マーケティングについても同じことがいえます。事業会社にはマーケターはおらず、実質的にマーケティングを行う部署はありませんでした。その代わり、大手広告代理店が、事業会社のマーケティング機能を受託していました。大手広告代理店は、単に広告を作っているわけではなく、事業会社のマーケティングを「丸ごと」請け負っており、広告の制作はその一部にすぎなかったというわけです。


とはいっても、日本の企業にも、社内に経理部や営業部や宣伝部、物流・購買関係の部署などがあるではないかいう反論もあるでしょう。確かにそうなのですが、そこで働く人々は、その道の専門家というよりは、企業を代表してアウトソース先の銀行、商社、広告代理店などとのお付き合いと調整を行う「インターフェース」としての機能を担っていたというのが本質的な理解ではないでしょうか。会社を代表してアウトソース先との適切な関係を維持するインターフェースであるからこそ、ジョブ・ローテーションを通じて会社の内部のことをよく知るように教育されてきたゼネラリストすなわち総合職が担当していたのではないでしょうか。


このように、総合商社は海外開拓や販路開拓の専門家を大量生産しており、銀行は財務の専門家を大量生産しており、広告代理店はマーケターを大量生産しているといった具合に、それぞれの会社では「総合職」扱いでも、実は専門家が大量生産されており、これらの会社が、製造業など技術・製品開発・生産に特化した事業会社と水平分業することで、規模の経済を生かした人材マネジメント(人材の育成および活用)が行われていたと解釈することが可能です。もちろん、法律の専門家、会計の専門家、システムの専門家など、同様の水平分業もいろいろな機能で行われてきました。


その中で、欧米に比べて水平分業が遅れていた機能があるとすれば、企業戦略の機能でしょう。欧米では、戦略コンサルティング会社が、経営戦略の専門家を大量生産し、事業会社との水平分業を実現させてきたのに対し、日本ではそのような水平分業がながらく生まれませんでした。戦略コンサルティングの業界が成長しだしたのは、そんなに古い時代ではありません。それは、いわゆる「護送船団方式」で成長してきた過去の日本企業にとって、戦略という機能が重要ではなかったからでしょう。別の解釈の仕方をするならば、企業が戦略をアウトソースしていた先は、戦略コンサルティング会社ではなく、経済・産業政策を担う政府や官公庁だったのかもしれません。

2016-07-24

日本が「マーケティング後進国」なのはなぜか

日本企業のマーケティング力はどれだけ優れているのでしょうか。そもそも「マーケティング」とは何でしょうか。私が大学生として就職活動をしていた頃、「マーケティング」という響きに一種の憧れをいだきながらも、入社後に具体的にそのような部署に入り、そのような仕事をすることをイメージできた日本企業は皆無に等しかったことを覚えています。かろうじてイメージできるのは、「営業部」に所属して販売活動をするという仕事のみ。この点に関し、森岡(2016)は、「日本企業のほとんどはマーケティングができていない」と喝破します。そして、その理由に、日本企業の組織、人事、風土が大きくかかわっていることを指摘します。特に、日本企業の多くがマーケティングのキャリアを伸ばすような構造ではないといいます。


森岡によれば、営業や販売が「商品を売る仕事」なのに対し、マーケティングは「消費者理解専門家」として「商品を売れるようにする仕事」「売れる仕組みを作る仕事」です。また「マーケティング思考」は、すべての仕事の成功確率をグンと上げるし、マーケティングの力によって企業は劇的に変わると森岡はいいます。なぜならば、マーケティングは、会社が「消費者視点の会社」に変わることを可能にし、マーケターが、会社のお金の使い道や従業員たちのあらゆる努力を、消費者にとって意味のある価値に繋がるようにシフトさせるからです。マーケティング・ドリブンの会社では、マーケティング責任者に大きな権限が与えられ、マーケターが「消費者を代表して」「消費者からの視点で」、社内においてクリエイティビティや技術力をもった人々の才能と努力を向ける焦点を明確にすることで、消費者価値を最大にする商品やサービス提供することを実現するのです。


では、マーケティングが日本で発達してこなかった理由、すなわち、日本がマーケティング後進国である理由は何でしょうか。森岡によれば、マーケティングは「自由競争市場」において、「市場への参入と退出の自由」「価格設定の自由」「商品開発の自由」が尊重されるアメリカのような土壌で企業が生き残るために発達した学問であるのに対し、日本では長期にわたって本当の意味での自由競争から縁遠かったと言えます。戦後日本経済の歩みは、自由競争よりも政府当局が主導する統制を重視してきたわけです。日本はそのやり方で高度経済成長を実現できたのですが、そのプロセスにおいては、各企業が競争よりも当局との友好関係の構築や維持に注力することが優先され、マーケティングへの逼迫した需要が大きくならなかったのだと指摘します。このような背景から、企業の上層部にマーケティングの経験がないため、顧客視点に立ったマーケティング・ドリブンの会社にしようとしても、具体的にどうやった組織を作り、誰を雇って、どうやって社内運用すればよいか分からないのだという現状も指摘しています。


また、日本企業の終身雇用制度年功序列制度が、日本においてマーケティングが根付かなかったもう1つの原因であると森岡は指摘します。もともと日本になかったマーケティングという考え方を取り入れるには、どこかで有能なマーケターを中途採用しなければならなかったのですが、終身雇用制度や年功序列制度のもとでは給料と年齢が合わず、それが実現しなかったのだということです。活躍するマーケターは若くして役職年収を上げていくのに対し、社内水準よりも高額な報酬必要とするマーケティングの専門家を雇い入れる土壌が日本企業にはなかったと論じます。このように、給料と年齢が日本企業の風土に合わないため、日本にいる優秀なマーケターがどんどん外資系企業に集まってしまうという状況がおきており、現状が改善されなければ、それが加速していくのではないかと森岡はいうわけです。


一方、日本の終身雇用制度や年功序列制度は、企業が「技術」を獲得していくという面においてはフィットしていたのだと森岡は説明します。右肩上がり経済成長時に、日本の大企業の多くが技術の優位性を信じ、「良い製品を作れば売れる」ことを信じてきたのだというのです。1人の人間が1つの企業の具体的な技術課題に特化できる、長期間かけないと獲得できない多くの技術領域習得できる、長期間に分かって技術者と企業の利害を一致して共有できることなど、技術者が会社を転々としながら個人の利害を追求するようなやり方では得ることのできない多くの成果を、間違いなく企業側にもたらしたのが日本的な人事制度であったといえるのでしょう。このように、日本企業における技術志向の隆盛が、逆にマーケティングの発展を遅らせてしまったのだと森岡は論じるのです。


では、企業が生き残っていくためには、「技術力」と「マーケティング力」のバランスをどうとっていけばよいのでしょうか。森岡は、技術力とマーケティング力の両方を手に入れた企業が勝つとしたうえで、これからの時代は、マーケティング優勢で技術力を活用する会社が、オススメの企業形態だと指摘します。


ところで、マーケティングの重要性を標榜する森岡氏が、「カネ、ヒト、モノ、情報時間知的財産」のうち、企業にとって最も大切な経営資源は「ヒト」である断言しているところが印象的です。その理由は「ヒト」だけが、6つの経営資源のすべてを増減させたり使いこなしたりすることができるからです。また「ヒト」こそが多くの企業において最も不足しているリソースだともいいます。したがって、会社の中で最重要な部署は「人事部」だと思うと述べています。CEO最初に雇うべき最も大切な人は「人事のリーダー」だといいます。人事のリーダーさえ優秀であれば、マーケティングでもファイナンスでも優秀な人材を雇うことができるし、採用のみならず、社内の人材を有効活用するための組織構造、評価制度や報酬制度、組織風土の整備、社内の人的資源を増やすための有効な社内トレーニングも生み出すだろうと論じています。つまるところ、成長する会社とは人的資源を成長させ続けることができる会社なのだと森岡は述べています。

文献

森岡毅 2016「USJを劇的に変えた、たった1つの考え方 成功を引き寄せるマーケティング入門」角川書店

2016-07-09

日本の企業組織の本当の強みはどこにあるのか

とりわけ1980年代までにおいては、世界中日本的経営に対する憧れや関心が研究の的となっていました。しかし、バブル崩壊および失われた20年という時期においては、日本的経営への関心は薄れ、その代わりに中国などの新興国経営学の関心が大きくシフトしています。振り返るならば、いったい、日本的経営のどこが本当の強みだったのでしょう。今後、その強みをどう生かしていえばよいのでしょう。この点に関して、渡辺(2015)は、広義には日本の大規模組織において踏襲されてきた経営慣行全体を示す「日本的経営」もしくは「日本的企業システム(人事・雇用制度、企業内部の意思決定制度、系列などの企業間取引企業統治制度)」を分析し、日本型経営の強みと継承すべき価値について分析しています。


渡辺は、日本の大規模組織において踏襲されてきた「日本型経営」は、日本の伝統的な家族制度である「イエ」に由来する部分が大きいと渡辺は指摘します。つまり、「イエ」の制度に由来する組織原理および社会関係構造が、事実上の家族という単位を超えて、近代的な企業組織に移転されることによって、民間企業の主要な経営慣行が形成されていったのだというのです。そこでは、親族関係にない人々よりなる擬似家族的集団の中で「信頼」が日常的に醸成され、再生産され、「資本」として蓄積されていった。こうして蓄積された信頼と互酬的社会関係が、日本的経営の基盤となったのだと指摘します。。


もう少し詳しく説明しましょう。日本の近代的な大企業は、経営体としては擬似的な「イエ」として形成され、組織内の人間関係および社会関係は擬似的な家族関係として編成されてきたと渡辺は言います。また、日本的な企業組織の組織原理および行動規範は、伝統的な「イエ」家族組織と同様に、儒教倫理の影響を強く受けたものであったとも指摘します。伝統的な日本のイエ制度は、中国や韓国のそれとは異なり、イエの運営にあたって血縁関係へのこだわりが希薄であり、家の存続のために比較的容易に養子を受入れたといいます。そして、たとえ実子があっても、養子に家督相続をさせるケースもあったともいいます。このように、伝統的な日本のイエ制度には、組織維持のための人材選択適材適所といった合理的要素が内包されていたと考えられます。


そして、日本ではイエ制度に由来する人間関係が、家族という単位を超えて近代的な企業組織に移転されたと渡辺は指摘します。つまり、民間企業の中でも、家族内部で浸透しているのと同じような信頼関係と互酬性規範が形成されていったのだと説くのです。企業は、親族関係に依存することなく疑似家族的な信頼関係を醸成できる中間共同体(家族と市町村国家など行政機関との間に存在する共同体)としての役割果たしてきたのだと言うわけです。また、イエ制度にも影響を与えている儒教が江戸時代に用いられたときに、「忠」(忠誠心)が最も重視されたことが、近代企業におけるサラリーマン企業戦士として会社滅私奉公するといった「忠誠心」へと受け継がれたということも渡辺は指摘しています。


また、伝統的な日本型経営では、労使間の人間関係は包括的家族主義的であり、集団や組織の安定が重視されてきました。その中で、雇用主は従業員公使にわたる生活の諸局面において従業員の面倒を見るべきだという考え方が強いといえます。また、日本型経営では、階層間の待遇などの格差が少ない平等主義志向しており、経営者自らが現場に行って従業員と接触するような現場主義も志向してきました。これらの経営的な特徴によって、社内にコミュニティとしての感覚確立し、従業員が集団や組織に帰属し、同僚や仲間に受容され集団の一部になることに対する「社会的欲求」を満たすようになり、相互扶助と互酬性の規範が定着したことが、日常の協働的な接触を促進し、チームワークを効果的に機能させ、直接的・間接的に組織の目標達成に貢献してきたのだと渡辺は指摘するのです。


さらに渡辺は、伝統的な日本型経営の特徴である長期安定雇用は、息の長い研究開発、とりわけ創造的なイノベーションに向いている面があると指摘します。企業は安心して長期的視点から従業員の能力開発に投資でき、経営者は長期的視座に立った経営をすることが可能になります。また、日本の企業組織における義務としての労働以上の積極的コミットメントが、社員間の自発的な協力によって可能な知識提供や知識共有を可能にし、単純な金銭報酬では引き出すことのできない心理的エネルギーを引き出すこともできると渡辺は説きます。日本的な長期安定的企業間ネットワークとその基盤となる企業間の信頼関係も、将来に対する不確実性を低減し、イノベーションに関する積極的な姿勢を促進するといいます。これは、日本型経営によって企業内に蓄積された社会関係資本のうち、積極的に外に向かう「展開型」の社会関係資本が、外部資源との連携情報交換を促進し、企業内外でのより幅広い互恵的なシステムを生み出す上で有効活用したのだと指摘します。


渡辺の主張をまとめるならば、伝統的な家族制度に由来する共同体主義が、資本主義社会において業績を生み出していくための近代的な合理主義普遍主義と結びついて、日本の企業組織発展の強力な基盤を形成していったのだということなのです。

文献

渡辺聰子 2015「グローバル化の中の日本型経営 −ポスト市場主義の挑戦−」同文館

2016-06-13

高度成長期に「完成」した日本型人事管理モデル

森口(2013)は、いわゆる日本的人事管理モデルは、製造業大企業を中心に、第一次世界大戦から高度経済成長期にかけて、半世紀にわたる労使の攻防と協調の中で次第に形成されてきたのだと説明ます。また、その形成過程は、経済合理性に導かれつつも、急速な重工業化や軍事統制、民主化といったその時々の歴史的事件を色濃く反映しているとも指摘します。森口は、日本自適人事管理モデルの形成プロセスを、重工業大経営に萌芽が見られた戦間期(1914-37)、軍事統制の影響を受けた戦中期(1938-45)、労使の激しい攻防に彩られた戦後激動期(1945-55)、生産性向上に結び付いた高度成長前期(1955-65)の4段階にわけて説明しています。


森口によれば、産業化初期すなわち20世紀初頭の日本の大工場では、外部労働市場から経験工が臨時採用され、企業による教育訓練は行われず、職長が個々の職工に臨時仕事を配分し、賃金一般的技能もしくは出来高で支払われ、頻繁な自発的離職と解雇雇用期間は短く、労使関係相互の不信に彩られ、ホワイトカラーブルーカラー労働者の間には身分制度ともいうべき待遇格差があったと指摘します。つまり、戦間期では日本型人事管理モデルの構成要素はどれひとつとして成立していなかったというわけです。


これが戦間期に入ると、工業化の進展とともに企業規模が拡大し、一部の企業で上級ブルーカラー(エリート職工)を対象とする新規学卒者の定期採用・企業内訓練・内部昇進という人事管理政策が開始されたと森口はいいます。また、軍需による重工業の急拡大で、渡り歩く職工の定着率を高めるため、ホワイトカラーや役付き職工に限定されていた定期昇給や期末賞与退職手当などのさまざまな勤続奨励策を工員に対しても導入したと指摘します。そして、1930年代後半には、民営大企業を中心に工員の勤勉と継続雇用を奨励する一連の人事管理政策が見られるようになり、一部の大企業では職工の実質賃金と勤続年数の間に相関が観察されるようになりました。ただし、不況期には大量解雇が行われ、経営者と労働者の間には圧倒的な差があり、ホワイトカラーとブルーカラーの待遇格差は依然として大きかったといいます。


戦時体制下においては、官僚の主導により民間企業労務管理政策に対しても大幅な国家干渉が行われたと森口は述べます。ただし、戦時下労働統制の多くは、実質的には戦間期の大企業の人事管理政策を踏襲し、それを全国の企業に義務付けるものであったとも述べています。つまり、政府規制は、民間大企業で行われていた人事政策を標準化し、より広範囲に普及させる役割を果たしたと指摘しているのです。その結果、戦時期には広範囲の企業において、新規学卒者の定期採用が職業紹介所の仲介によって行われ、企業内「養成制度」が義務化され、賃金に年齢給の要素が加わり、定期昇給が全工員に義務付けられ、転職と解雇は禁止され、産業報国会によって工職混合の組織が導入され、ホワイトカラーとブルーカラー労働者の平等理念が導入されたといいます。ただし、このような法令は必ずしも実効性を伴わなかったともいいます。


戦後占領期になると、民主化の波を先取りする形で労働者の組織化が進展し、1948年までに大多数の企業で工員組合職員組合統合が起こり、工職混合の「従業員組合」が成立していきます。これらの組合の主導で「身分制度」が撤廃され、日本企業におけるブルーカラーとホワイトカラー労働者の一元的な人事管理が実現したと森口は解説します。また、経営者に対して史上初めて攻勢に立った労働者側は、ドッジ政策やGHQの政策転換を機に経営側からの反撃にあいました。そして長期抗争の結果、主要大企業で急進的な組合は従業員の支持を失い、より協調的な第二組合が成立していきます。この組合が合理化への協力を前提に「労使協議制」という情報共有と事前協議システムを作り上げ、雇用保証を実現する仕組みを編み出していったといいます。


そして高度成長期には、大企業における人事管理政策が生産性向上を目的とする小集団活動と結びつくことによって日本型人事管理モデルが完成し、その経済合理性が揺るぎないものとして確立したのだと森口は説明します。具体的には、高校進学率の向上に伴い中卒者のみならず高卒者がブルーワーカー労働者として採用されるようになって人的資本の質が向上し、ブルーカラー動労者の高学歴化を契機にホワイトカラーとブルーカラーの昇給体系を完全に一本化する「職能資格制度」が提唱され、給与職務から切り離されることでより柔軟な職務配置と広範なローテーションによる技能形成が可能となったといいます。こうして、新規学卒者の定期一括採用、体系的な企業内教育訓練、職能資格制度に基づく定期昇給・昇格、少集団活動による労働者参加、定年までの雇用保証、企業別組合と労使協議制、ホワイトカラーとブルーカラー正社員一言管理といった7つの政策が相互に有機的に結びついた「日本型人事管理モデル」が完成したのです。

文献

森口千晶. (2013). 日本型人事管理モデルと高度成長. 日本労働研究雑誌』 No, 634, 52-63.