なぜダイバーシティ推進策が意図せざる結果を生み出してしまうのか

昨今、多くの企業が、自社組織のDE&I(ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン)を促進するためのダイバーシティ推進策を実施しています。ダイバーシティ推進策が狙いとするところは、企業におけるマイノリティ従業員(女性や少数人種、少数民族など)の数を増やすことで「ダイバーシティ」を高めること、マイノリティ従業員が被るキャリア上の不公正や不利益(差別や阻害)を是正し「エクイティ」を高めていくこと、そしてマイノリティ従業員を組織に包摂することで「インクルージョン」の度合いを高めることです。しかし、企業が行うダイバーシティ推進策が、意図せざる結果を招いてしまうことがしばしば報告されています。Leslie (2019)は、なぜ企業のダイバーシティ推進策が意図せざる結果を生み出してしまうのかの既存の研究などを整理した上で、そのメカニズムを理解するための統合モデルを構築しました。

 

Leslieによれば、企業が行うダイバーシティ推進策には、組織内においてアンコンシャス・バイアスをなくしていくよう働きかけるような非差別的施策(ターゲットを特定しない施策)、特定のマイノリティ従業員に対する支援や機会を高めたりするリソース的施策(ターゲットが明らかになっている施策)、そして、ダイバーシティの達成状況を監視し、それに対して責任を持とうと働きかける責任施策などに分かれ、これらは、マイノリティ従業員に対する差別や不利益を是正し、組織内でのマイノリティ従業員の割合を高めていくことを狙いとしています。しかし、これらのダイバーシティ推進策は、推進主体としての組織のリーダーが意図していなかったようなシグナルを従業員に送ることになり、そのシグナルを感じ取った従業員がそれに反応することで、もともとダイバーシティ推進策が狙いとしていたこと(リーダーが意図していたこと)とは異なる結果をもたらしてしまうのだとLeslieは論じます。

 

Leslieのモデルでは、ダイバーシティ推進策がもたらす意図せざる結果を、それがネガティブなものかポジティブなものか、意図していたものに影響を与えるものか、意図していなかったことに影響を与えるものかによって4つに分類しています。1つ目は、「バックファイヤー(裏目)」というもので、ダイバーシティ推進策が逆にマイノリティ従業員への風当たりを強めてしまったりマイノリティ従業員の数を減らしてしまったりとダイバーシティ推進を阻害してしまう結果を指します。2つ目は「ネガティブな波及」で、これはダイバーシティ推進策がターゲットとしていないマジョリティ従業員のエンゲージメントを下げてしまうような意図していないものへの影響を指します。1つ目と2つ目は、ダイバーシティ推進策が生み出す意図せざるネガティブな結果です。3つ目は「ポジティブな波及」で、逆に、ターゲットとしていないマイノリティ従業員のエンゲージメントや倫理観を高めるといった影響を指します。4つ目は「間違った進歩」で、本質的な改善を伴うことなく、形だけ目標数値が達成されていくような状況を指します。3つ目と4つ目はダイバーシティ推進策が生み出す意図せざるポジティブな結果です。ただし4つ目は見た目だけポジティブで本質的にはポジティブといえません。

 

では、Leslieの統合モデルを用いて、ダイバーシティ推進策がどんな(意図せざる)シグナルを従業員に与え、その結果、どんな意図せざる結果が生み出されるのか説明しましょう。ダイバーシティ推進策が発するシグナルには4種類あります。1つ目は、「マイノリティ従業員は支援を求めている」というシグナルです。重要なのは、本当はマイノリティが支援を求めているかどうかは不明だし、組織のリーダーもそれを意図しているわけではないということで、あくまで、ダイバーシティ推進策を知った従業員がどのようなシグナルを感じ取っているかということなのです。組織の従業員がこのようなシグナルを感じ取ると、彼らは、マイノリティ従業員は脆弱であるという印象を持ってしまい、それが逆にマイノリティ従業員の実力も低いというバイアスにつながり、彼らに対する差別や、彼らのパフォーマンスを阻害してしまうのです。つまり、ダイバーシティ推進策が、「マイノリティ従業員は支援を求めている」というシグナルを介して、意図せざるバックファイヤー(マイノリティ従業員に対する差別やパフォーマンス低下を促進し、ダイバーシティ推進を阻害する)結果になってしまうというのです。

 

ダイバーシティ推進策が与える2つ目のシグナルは、「マイノリティ従業員はこれから成功していくだろう」というものです。つまり、組織としてマイノリティ従業員を優遇し、マイノリティ従業員に優先的に機会を与えていくというシグナルであるわけです。これを受け取ったマジョリティ社員は、自分達の成功や機会が抑制されると感じ、この推進策が自分達の犠牲のもとに成り立っているという逆差別感、不公正感を抱くようになります。これは、マジョリティ従業員が組織に対するエンゲージメントを下げてしまう原因にもなるし、マイノリティ従業員に対してネガティブなイメージをもち、敵対的になったり辛く当たったりすることにもつながります。つまり、ダイバーシティ推進策が、「マイノリティ従業員はこれから成功していくだろう」というシグナルを介して、意図せざるネガティブな波及(マジョリティ従業員のエンゲージメントの低下)やバックファイヤー(マイノリティ従業員に対する差別やパフォーマンス低下)につながり、ダイバーシティ推進を阻害してしまうのです。

 

ダイバーシティ推進策が与える3つ目のシグナルは、「当社は倫理観を大切にしている」というものです。これはまず、ダイバーシティ推進とは関係なく、マジョリティ従業員の倫理的な行動の促進につながっていきます。つまり、意図せざるポジティブな波及が起こりうるということです。一方、倫理性を大切にするというシグナルは、「表立ってはマイノリティ従業員を差別しない」というマジョリティ従業員の心理状態を高め、それは逆に、表立たない程度に些細な形でマイノリティ従業員を差別するという行為につながる可能性を高めます。ただ、些細な形の差別であっても、マイノリティ従業員に大きなダメージを与えうることはわかっているので、意図せざるバックファイヤーにつながるわけです。つまり、ダイバーシティ推進策が、「当社は倫理観を大切にしている」というシグナルを介して、意図せざるポジティブな波及(マジョリティ従業員の倫理的行動を高める)やバックファイヤー(マイノリティ従業員に対する差別やパフォーマンス低下)につながるのです。

 

ダイバーシティ推進策が与える4つ目のシグナルは、「ダイバーシティ目標を高めていくことに価値がある」というものです。これは、ダイバーシティを高めるということが外発的動機付けとなり、「見た目のダイバーシティを高めていけさえすれば良いだろう」という発想につながってしまいがちです。外発的に動機付けられたマジョリティ従業員は、とりあえずマイノリティ従業員を昇進させておこう、といったように場当たり的もしくは小手先の方法で形だけダイバーシティを高めようとするので、実質的な改善を伴わない間違った進歩を招いてしまうのです。外発的動機付けは、内発的動機付けを阻害してしまう効果もあるので、マジョリティの従業員は、本質的に組織のダイバーシティの課題を改善していこうとする内発的動機を持たなくなってしまいます。つまり、ダイバーシティ推進策が、「ダイバーシティ目標を高めていくことに価値がある」というシグナルを介して、意図せざる間違った進歩(見た目だけダイバーシティを高め、実質的な改善を伴わない進歩)につながるのです。

 

さて、企業が行うダイバーシティ推進策にも色々ありますが、特定のマイノリティ従業員に対する支援や機会を高めたりするリソース的施策が多く含まれたダイバーシティ推進策は、「マイノリティ従業員が支援を必要としているから、マイノリティは優遇され、ゆえに当社で成功する」という強いシグナルを発することになりがちです。そうすると、意図せざるバックファイヤー(マイノリティ従業員に対する差別やパフォーマンス低下を促進し、ダイバーシティ推進を阻害する)や、意図せざるネガティブな波及(マジョリティ従業員のエンゲージメントの低下)を誘発し、ダイバーシティ推進を阻害してしまう可能性を高めると言えます。一方、組織内においてアンコンシャス・バイアスをなくしていくよう働きかけるような非差別的施策(ターゲットを特定しない施策)が多く含まれたダイバーシティ推進策の場合には、「当社は倫理観を大切にしている」というシグナルを強く発することにつながり、それが意図せざるポジティブな波及(マジョリティ従業員の倫理的行動を高める)をもたらすと同時に、意図せざるバックファイヤー(マイノリティ従業員に対する差別やパフォーマンス低下)にもつながると言えます。

 

さらに、ダイバーシティの達成状況を監視し、それに対して責任を持とうと働きかける責任施策が多く含まれている場合、「ダイバーシティ目標を高めていくことに価値がある」というシグナルを強く発するので、意図せざる間違った進歩(見た目だけダイバーシティを高め、実質的な改善を伴わない進歩)につながると言えます。今回説明したようように、ダイバーシティ推進策が、意図せざる結果につながる可能性と、なぜそうなるのかのメカニズムを組織のリーダーがあらかじめ知っておくことは、そういった意図せざる(とりわけネガティブな)結果を防ぎつつ、ダイバーシティ推進策が本来狙いとしている意図的な結果につなげるためのマネジメントを行う上で重要だと考えられます。

参考文献

Leslie, L. M. (2019). Diversity initiative effectiveness: A typological theory of unintended consequences. Academy of Management Review, 44(3), 538-563.

 

女性活躍推進が簡単には進まないメカニズム

日本の企業社会はかつてから男性社会だと言われ、ジェンダーギャップ指数においても世界中で最下層グループに属するなど、社会的に重要なジェンダー平等については不名誉な立場にあります。その挽回の狙いも含め、女性活躍推進の動きは加速しつつあるように思えます。しかし、世界全体で見てもとりわけ企業社会は男性優位の社会であることは間違いなく、労働者の割合的に男女が均衡している場合でも、管理職やトップに近づくほど女性が少ないという現状があります。ジェンダー平等が簡単には実現されない理由の根幹には、私たちが男性や女性を判断する際の心理的な働きである「ステレオタイプ」というものがあります。ジェンダーに関するステレオタイプが、いわゆる「アンコンシャス・バイアス」につながり、それが女性差別などにつながっていると考えられます。Heilman, Caleo & Manzi (2024)は、ジェンダーステレオタイプがバイアスや差別につながるメカニズムを以下の通りモデル化して解説しています。

 

Heilmanらの理論モデルでは、「男性はこうだ」「女性はこうだ」というように男女が本来有しているとイメージされる特徴を示す「記述的ステレオタイプ」と、「男性はこうあるべきだ」「女性はこうあるべきだ」という男女のあるべき姿や社会的な行動規範を示す「規範的ステレオタイプ」の2つがあります。それぞれが別ルートをたどって人々のバイアスのかかった評価や判断につながり。それがジェンダー差別を生み出すとされます。まず、「男性はこうだ」「女性はこうだ」という記述的ステレオタイプは、ビジネスや企業社会における職業や地位などのステレオタイプと比較され、その人が特定の職業や仕事に合っているか、向いているかがバイアスがかかった形で判断されがちです。女性の場合、特定の職業や仕事が男性的な特徴を持っているために、その仕事とフィットしないと判断され、その結果、採用時の判断、仕事での評価、昇進ための評価などで男性よりもネガティブに評価・判断され、それが女性が昇進できないといったガラスの天井などの差別につながります。

 

もう少し詳しく説明しましょう。記述的ステレオタイプの代表例は、男性は主体的であり、女性は共同的であるというものです。主体性のイメージをブレイクダウンすると、競争力がある、野心的である、支配的である、勤勉である、自立している、といった特徴が含まれます。共同性のイメージをブレイクダウンすると、温かみがある、倫理的である、誠実である、忠実である、気配りできる、社交的であるといった特徴が含まれます。大事なことは、特徴が異なるといっているだけで男性のステレオタイプがこのましく、女性のステレオタイプが好ましくないということではないということです。男性にも女性にもネガティブなステレオタイプがあります。例えば、男性のステレオタイプには、高慢、攻撃的、自己中心的といった特徴が、女性のステレオタイプには、受動的、文句が多い、媚を売るといった特徴があります。また、男性には共同性が欠けている、女性には主体性が欠けている、というステレオタイプもあります。重要なのは、特定の職業や地位、とりわけ社会的な地位が高い職業などに男性的なステレオタイプが張り付いているケースが多いために、男性とのフィット感が強く、女性とのミスフィット感が強くなりがちであるということです。

 

例えば、企業のトップ層、軍隊、科学・技術・工学・数学(STEM)、起業家などは、男性的なステレオタイプが付随しています。なぜならば、例えば企業のトップ層や起業家の仕事は、主体的で、権力志向・支配的で、野心的、自立、自信家といったイメージがありますし、STEMは男性が得意な科目であるというイメージがあります。軍隊も競争的で肉体的で力強いというイメージがあります。このような職業に女性が就くと、職業のステレオタイプと女性のステレオタイプがマッチしないために違和感を抱いてしまいます。単に男性ばかりで女性が少ないという職場でも、職場イメージが男性的ですから、そこに少数の女性が混じると、普通ではないという印象を与えてしまうのです。このようなミスフィット感によるバイアスの影響が強く出てしまうのは、その職業や仕事における評価基準が曖昧なときです。例えば、企業の採用、業績評価、昇進決定などにおいて、その基準が仕事の出来栄えや能力といったように明確であるならば、その基準によって判断すれば、男女間で大きな実力差がなければ、男女平等になるはずです。しかし、評価基準が曖昧な状況では、主観が大きく働いてしまい、(しばしばアンコンシャスに)女性はこの仕事とフィットしていないと思っているから「その女性は能力が低い、仕事ぶりが良くない、向いていない」という判断になってしまうわけです。

 

次に、ステレオタイプがバイアスや差別につながるもう1つのパスである、「男性はこうあるべきだ」「女性はこうあるべきだ」という「規範的ステレオタイプ」が影響するメカニズムについて説明しましょう。これについては、例えば、女性はこのように行動すべきだ(控えめであるべきだ、人当たりが良いべきだ、気配りができるべきだなど)といった規範的ステレオタイプに沿った行動を女性がとらない場合、その女性は社会的な規範に違反していると判断され、罰を受けることになります。これはバックラッシュと呼ばれます。同様に、女性はこのように行動すべきでない(野心的であるべきでない、断定的であるべきでない、威圧的であるべきでないなど)という行動を女性がとると、その女性も社会的な罰を受けます。また、男性的な職業や仕事において女性が活躍するだけでも、(しばしばアンコンシャスなレベルで)女性は活躍すべきでないという規範的ステレオタイプが発動して社会的に罰せられます。例えば、成功するための行動に男性的なイメージがつきまとう企業のトップマネジメントに女性が登り詰めてかつ成功を収めると、その女性は、女性がするべきことをせず、女性がするべきでないことをして成功したというようなバイアスによって否定的に捉えられ、嫉妬や妬みの対象にもなりやすくなります。能力を発揮して成功すると女性らしくないと批判され、能力を発揮できないと女性だから成功しないと批判されるような状況はダブルバインドと言われます。

 

以上をまとめると、ジェンダーに関する記述的ステレオタイプは、それが男性的なイメージがこびりついた多くの職業や仕事とのミスフィット感を生み出し、それが女性をネガティブに評価するバイアスにつながって実際に女性差別が生じるというメカニズムが存在します。一方、ジェンダーに関する規範的ステレオタイプは、女性がその職業や仕事に求められる行動をしたときに、女性がするべき、するべきでないという社会規範に沿った行動をしていないと判断され、それが女性を不当に扱う差別につながるというメカニズムが存在します。これらがあちこちで起こっているために女性活躍推進を妨げる障害として働くわけです。では、このようなメカニズムの理解を、女性活躍推進にどう活かしていけば良いでしょうか。それには、記述的・規範的ステレオタイプがバイアスや差別につながるメカニズムは、職業、仕事、職場の特徴や、仕事上求められる行動に男性的なイメージがつきまとっていることが大きな原因なので、それを取り除いていくことが肝要となります。例えば、単純に職場の女性の数を増やすだけでもその職場の男性的なイメージが払拭されていきます。また、それらの職業や仕事を記述するときに男性的な表現を使わない、逆に、女性的な要素を加えていく、といった方法も考えられます。さらに、採用、業績評価、昇進判断などでより客観的で明確な基準を設け、ステレオタイプが入り込む余地をなくしていくことも重要でしょう。

 

また、女性自身が、バックラッシュダブルバインドから自分の身を守るために、男性的なイメージのある行動と、女性的なイメージのある行動をうまく使い分け、適宜印象操作も行いながら、バランスをとっていくというのも考えられます。女性だけがそのような苦労をしなければいけないというのは理不尽かもしれませんが、男性社会がすぐには変化しない中で活躍していく女性が増えることで、結果的に男性社会の撲滅に寄与していくためには有効な行動だといえるかもしれません。

参考文献

Heilman, M. E., Caleo, S., & Manzi, F. (2024). Women at work: pathways from gender stereotypes to gender bias and discrimination. Annual Review of Organizational Psychology and Organizational Behavior, 11, 165-192.

 

AIの活用は従業員の創造性を高めるか

近年の急速なAIの発展とともに、将来AIが人間の仕事を奪っていくのか、それとも、AIと人間はお互いに協力していくようになるのかなど、さまざまな議論がなされています。そのような問いの1つに「AIを活用していくことによって従業員の創造性(クリエイティビティ)が高まるのだろうか」と言うものがあります。AIにできること、できないことを考えると、高度な計算、パターンの認識、構造化された業務、繰り返し業務などはAIが得意とするところですが、創造性が必要な仕事は、今の段階ではAIが単独で遂行するのは困難で、だからこそ、AIと人間が協業するパターンの1つだと考えられます。Jia, Luo, Fang, & Liao (2024)は、従来は人間がやってきた創造性が求められる仕事を、判断基準や方法が明確だが面倒で繰り返しが多い作業と、基準や方法が非標準的で創造性が求められるタスクとに分解できるとすると、前者をAIに任せ、人間は後者に専念することで、創造性が高まるかどうかの研究を行いました。

 

Jiaらは、上記のようなAIと人間の分業の場合、スキルの高い従業員のみがAIの恩恵を受け、創造性を高めることができ、それが実際の職務成果の向上に結びつくと考えました。創造性の理論や職務特性理論などを援用したJiaらの説明は次のとおりです。まず、個人の創造性の理論によれば、創造性を高める要素には、(1)その領域の専門的知識、(2)創造的に考えるスキル、(3)仕事への内発動機付け、があります。 AIによって、創造性をあまり必要としないタスクが業務から取り除かれると、残った部分は創造性が必要なタスクなわけですが、業務スキルの高い従業員の場合、その領域の専門知識が高いと思われるため、面倒で退屈で疲れる作業が取り除かれ、自分自身のリソースに余裕がある状態になると、そのリソースを創造的活動に費やすことで創造性が高まると考えられます。一方、業務スキルが低い従業員の場合、創造性に特化したタスクが与えられても、とりわけ領域の専門知識やそれと関連する形で創造的に考えるスキルも低いと思われ、かつ、それゆえに内発的動機付けも高まらないと思われます。よって、創造性は高まらないと予想されます。

 

職務設計理論によれば、人々は、困難だが自由度が高いような仕事には面白さを感じる、すなわち内発的動機付けが高まります。よって、AIによって面倒で退屈で疲れる作業が取り除かれれば、自分自身は自由に考えを巡らせるような創造的活動に特化できるため、困難ではあるが自由度も高く感じられ、ゆえに仕事の面白さ、内発的動機付けが高まると考えられます。ただし、これは業務スキルの高い人のみに当てはまると思われます。先に述べたように、業務スキルが低いと、困難な仕事を楽しめないし、だからこそ自由度が高いと思えない。むしろ、業務のプレッシャーやストレスが増えると考えられるからです。Jiaらは、このようなモデルおよび仮説を、フィールド実験とインタビュー調査を併用する形で検証しました。フィールド実験では、できるだけ厳密な実験を設計することで、上記で示した理論および仮説で示される変数間の因果関係を検証し、インタビュー調査では、その時に何が起こっていたのかを掘り下げて聞き取ることによって、フィールド実験で変数間の因果関係が明らかになった理論的なプロセスをより深めることを可能にしました。

 

フィールド実験は、テレマーケティング会社がクレジットカードを売り込むセールス部隊を利用しました。これらの従業員は全員、クレジットカードのセールスの経験がありませんでした。これらのほぼ均等な経験値をもつ従業員をランダムに2つに分け、業務の一部をAIが担当する実験群と、業務の全てを従業員が行う統制群とに分けました。クレジットカードのセールスには前段と後段があります。前段では、顧客に電話をかけ、クレジットカードの説明をし、興味があるかどうかを聞き出し、興味がありそうな顧客を保持し、そうでない顧客の電話を終了します。後段では、興味がありそうな顧客からさまざまな質問を受け付け、それに対応します。前段では、顧客がどんな反応するか、それに対してどう対応するかの基準が明確なので、実験群のみ、こちらをAIにやらせました。その際、顧客は相手がAIだと分からないくらい自然な会話で対応できました。統制群では前段は人間が行いました。後段では、顧客から予期せぬ質問が出てきて、その際に創造性が発揮された対応が求められました。それがうまくいけば、クレジットカードの契約に繋がりました。

 

フィールド実験の実験群では、クレジットカードのセールス業務の前段をAIが行い、後段を人間が行った一方、統制群では、前段も後段も人間が行った訳ですが、実験結果を分析したところ、スキルが高い従業員においてより顕著に、AIの活用が顧客からの突拍子のない質問に対して創造性を発揮して対処できることが明らかとなり、さらに、それが実際の売上に繋がっていることも確認されました。次に実験参加者からランダムに選ばれた従業員たちに対する非構造化インタビューを行った結果、AIと協業した従業員は、クレジットカードに関心はあるが、より難しい質問を投げかけてくる顧客への対応に専念することになり、スキルの高い従業員は、そこで彼らが持っているスキルを駆使して対応することに集中することができました。さらに、顧客からのフィードバックを創造性の発揮に用いたり、創造的な対応をする機会を捉えたり、顧客に対して柔軟に対応したり、その場で楽しみながら対応するなどによって創造性を発揮していたことがわかりました。また、それによりポジティブな気持ちになれ、士気も上がり、情熱も高まることも分かりました。これらの感情は創造性にもプラスの効果をもたらすものです。一方、スキルの低い従業員は、AIの活用によってプレッシャーの増加と士気の低下が起こっていることも分かりました。

 

以上をまとめると、AIの活用によって、スキルの高い従業員は、面倒な作業から解放され、自分自身の専門知識を駆使して仕事に取り組むことが可能となり、その結果、創造性が高まり、ポジティブな心理経験も生じ、それがさらに創造性にプラスの効果をもたらすといった良いことが沢山起こりました。それは、AIとの協働に対して肯定的にもなれる要因といえます。一方、AIの活用によって、スキルの低い従業員は、自分のスキルが発揮できないどころか、逆に重責に対するプレッシャーを受け、士気も下がってしまうことが分かりました。これはAIとの協働には否定的な態度につながると思われます。つまり、今後AIがどんどん業務に活用されていくと、スキルの高い人、専門性の高い人、能力の高い人はその恩恵を受けてどんどんハッピーになっていくのに対し、スキルの低い人、専門性のない人、能力が低い人は、どんどんアンハッピーになっていく可能性があることが示唆されます。

 

上記の通り、Jiaらの研究からAIの業務への活用に関する重要な示唆が得られます。創造性が求められるような仕事において、AI活用の恩恵を受けるのはスキルや専門知識が高い従業員で、AIとの協働の結果、面倒な作業から解放され、仕事が面白くなり、自分のスキルを活かして創造性を高めることができ、さらに精神的な健康にもプラスに働く一方で、スキルが低い従業員はAIの活用からあまり恩恵を受けることがなく、逆にAIの活用がストレス要因になりかねないので、精神的にも良くないということです。Jiaらの研究は、特定の業務、創造性が必要なタスクといったように、限定された文脈での発見ではありますが、AIを活用していくことのメリットとデメリットの両方を示すことができたいう点で、今後のAIの活用に対して有意味な示唆を与える研究だといえましょう。

参考文献

Jia, N., Luo, X., Fang, Z., & Liao, C. (2024). When and how artificial intelligence augments employee creativity. Academy of Management Journal, 67(1), 5-32.

 

 

心理的安全性が高いと業績を悪化させる危険性:それを防ぐ条件は?

近年、心理的安全性というコンセプトが一世を風靡し、数多くの企業が職場の心理的安全性を高める施策について頭を巡らせています。心理的安全性は、一般的には「自分の思った通り発言したり行動しても危険が及ばない(安全な)チームの風土」というように定義されます。この心理的安全性という概念は、学術的には1990年代の終わりにエイミー・エドモンドソンが博士論文のテーマとして取り上げた頃から経営学分野で広がりつつありましたが、これほどまでに実務家の間で心理的安全性に注目が集まったきっかけとなったのが、2012年にグーグルが「効果的なチームの条件」を調査した結果として発表した「プロジェクト・アリストテレス」でしょう。そこで、チーム業績を高める一貫した条件として示されたのが心理的安全性だったのです。学術研究でも、それをサポートするエビデンスを蓄積する研究が増加し、心理的安全性が高い職場では、従業員の学習やプロアクティブ行動、探索行動、建設的な発言を増加させ、その結果、職場のクリエイティビティ、イノベーション、学習が高まることが示されてきました。

 

しかし、現在の「心理的安全性を高めればチームにとって、そして企業にとって数々の良い結果が生み出され、業績が向上する」といういわゆる「心理的安全性信奉」に一石を投じ、心理的安全性を高めることの危険性を指摘したのがEldor, Hodor & Cappelli (2023)による研究です。Eldorらは、高い心理的安全性はむしろ業績を悪化させる可能性があると指摘し、それを5つの実証調査で示しました。誤解が生じないようにもう少し丁寧に言うと、Eldorらは、心理的安全性が高い職場では、定型業務(標準化された業務、ルーチンワーク)の職務遂行状況が悪くなり、定型業務での成果が下がってしまうと指摘します。そして、ほとんどの業務には定型的・標準的なタスクが多かれ少なかれ含まれているし、企業全体で見ても、提携業務の割合はかなりあります。よって、論理的に考えれば、企業全体で見ても、企業風土としての心理的安全性が高すぎると業績が悪化する危険性があるというのです。もちろん、後述するように、Eldorは、この高すぎる心理的安全性がもたらす弊害を弱める条件も提示しています。

 

Eldorらは、心理的安全性が低いほど業績が高まると言っているわけではありません。心理的安全性の高い風土は、メンバーが対人関係リスクを恐れることなく新しいアイデアや既存業務の問題点を指摘したりすることを可能にします。ですから、クリエイティビティ、イノベーション、環境変化や技術変化への対応がとりわけ重要な業務であれば、心理的安全性が高いほど新しいアイデアや問題解決策が共有されやすくなるのでプラスの効果がありますし、定型業務であっても、ある程度の改善点が必要だったりしますから、適度な心理的安全性はプラスの効果をもたらします。しかし、心理的安全性がとても高い場合、メンバーの関心が定型業務から外れてしまうとという問題があることをEldorは指摘するのです。言わずもがなですが、定型業務は、標準化されたタスクを規則にしたがってきちんと遂行することで業績が高まります。しかし、心理的安全性が高い職場では、メンバーが新しいことを提案したり試してみたり、ブレインストーミング的に色々と議論したり、多少の失敗は許容して試行錯誤したりすることに注意が向きすぎて、決められたことを間違いなく着実に遂行することへの注意関心が薄れてしまうのです。

 

つまり、多くの業務の場合、従業員の認知リソースとか注意リソースを、定型業務としての標準化されたタスクとクリエイティビティやプロアクティビティが求められるタスクに配分する必要がありますが、心理的安全性がとても高い職場だと、後者へのリソース配分が優先され、前者へのリソース配分が疎かになりがちです。繰り返しますが、どんな業務でも定型タスクと非定型タスクがありますし、組織全体で見てもそうですから、定型タスクが大きな割合を占めるような業務の場合や、定型業務がかなりの割合を占める企業全体をみた場合は、高い心理的安全性が業績を悪化させる要因となるわけです。この論理に従うと、高い心理的安全性が業務を悪化させることを防ぐ条件についても理解することが可能です。それはすなわち、従業員が定型タスクから気持ちが外れてしまったり定型タスクを軽視しないような環境を作ることが有効だということになります。Eldorらは、「集団的説明責任(collective accountability)」を、高い心理的安全性の業績への弊害を防ぐ境界条件であると論じました。これは、自分達がやるべきことをきちんとやっているかの説明責任をチーム全体で共有することです。そうすることで、定型業務による業績を疎かにしない体制が維持できます。

 

これまでの議論から得られる心理的安全性の法則性を一旦まとめましょう。心理的安全性が高い職場では、クリエイティビティやイノベーション、環境変化への対応、チーム全体としての学習を促進するような従業員の行動が望めます。これを定型業務に当てはめて考えると、業務の改善を可能にするための話し合いなどにはプラスの効果があるので、心理的安全性が低いよりは、ある程度の心理的安全性が確保されている方が業績にプラスの効果をもたらします。しかし、そのレベルを超えて心理的安全性が高まりすぎると、今度は業務の改善や試行錯誤、失敗からの学習、イノベーティブな業務改革の提案などに従業員の意識や活動が引っ張られ、標準的なタスクを決められた規則に従ってきちんと遂行することが疎かになりがちとなり、その結果、定型業務の業績を下げるネガティブな効果を生み出してしまいます。企業の日々の活動を考えても、業務全体の半分以上は提携業務でしょうから、企業全体の風土として心理的安全性が高すぎる場合は、同様の論理によって業績が悪化する危険性を高めます。ただし、チームメンバー全体として定型業務の遂行と業績に責任を持つ説明責任が共有されていれば、このようなネガティブな効果を和らげることが可能です。

 

Eldorらは、5つの調査を通じて注意深く、上記の理論が妥当であるかを検証しました。Study 1では、知識労働者による役割内パフォーマンス(提携的な業務)を上司によって評価されたデータを用いました。Study 2では、病院勤務の看護師を対象に、病院に記録されている業績評価のデータを用いました。Study 3では、バイオ医療業界の従業員による役割内パフォーマンスを上司によって評価されたデータを用いました。Study 4では、ハイテク企業のユニットレベルで、ユニットレベルの業績の評価データを用いた分析を行いました。Study 5では、小売業界から各小売店のデータを4年間にわたって収集し、小売店のビジネス業績のデータを用いて分析しました。Study 1と2では、心理的安全性と業績との関係を、Study 3から5では、それに加えて集団的説明責任の調整効果を含めた関係を分析しました。その結果、心理的安全性が高まるにつれて業績は向上するが、一定のレベルを超えて心理的安全性が高まると、逆に業績が悪化していくという関係性が確認されました。

 

Eldorらの研究は、心理的安全性は万能であり、心理的安全性を高めることこそがどんな組織、どんな職場、どんな業務でも有効であるという「誤った」認識に釘を刺すものです。特に実務家の場合、表面的な効果、メディアなどによって誇張された効果に踊らされ、短絡的な思考で心理的安全性を高めようと躍起になってしまう危険性があります。学術研究も然りで、これまでの心理的安全性の学術研究は、心理的安全性のポジティブな側面のみに脚光を当ててきたきらいがあります。学術も実務も、特定のコンセプトや考え方を盲信することなく、常に批判的な態度で接し、物事の本質を理解し、その理解に基づいた正しい実践を行おうと努力することが結果的には業績を高める良い実践につながると思われます。

参考文献

Eldor, L., Hodor, M., & Cappelli, P. (2023). The limits of psychological safety: Nonlinear relationships with performance. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 177, 104255.

 

 

透明性の高い賃金制度が不透明な特別扱いを増加させるメカニズム

風通しの良い組織風土とか透明性の高い経営施策の重要性は、経営学でも再三にわたって指摘されてきました。人的資源管理において透明性が議論になる施策の1つが、従業員が受け取る賃金の決定です。先行研究においても、賃金に関する透明性には、賃金決定プロセスの透明性、賃金水準の透明性、従業員同士が賃金に関して情報交換を自由に行える透明性といった3種類の透明性があり、これらの透明性が従業員間の公正知覚を高め、組織への信頼感を高め、職務満足度も高めるなど、賃金制度の透明性を高めることは経営にとって良いことづくめという論調のものが多くありました。賃金に関わらず経営施策の透明性がいいことばかりもたらすのであれば、もっと透明性の高い経営であっても良いはず。しかし、現実の企業経営の状況を見てみると必ずしもそうとは言い切れず、透明性を高めようという掛け声は聞いても、不透明感は依然としてなくならないと考える人も多いのではないでしょうか。

 

これに関して、Wong, Cheng, Lam, & Bamberger (2023)は、透明性を知覚する受け手である従業員の反応にばかり焦点を当てた先行研究は、経営の現実の一側面しか見ていないと批判します。とりわけ先行研究に欠けているのは、透明性を実施するマネジメント側の視点です。マネジメントが、施策の透明性を高めることで従業員から生じる反応に対してどう反応するか。この相互作用を考慮しなければ、現実のマネジメントで生じているメカニズムを深く理解することはできません。そこでWongらは、マネジメントとしてある施策で透明性を高めることは、実は、別の施策での不透明性を高め、結局のところマネジメントでの不透明性というのは対象となる施策が別のものに移動するだけでなくならないということを示唆します。それはなぜかというと、マネージャーは、自分が行うマネジメントの「匙加減」が透明になればなるほど、いい塩梅で匙加減をすることが困難になってしまうため、不透明な部分を残しておきたいというニーズがあるからです。

 

賃金制度に焦点を当てて、上記の「透明性が別の不透明性を生み出す相互作用のメカニズム」を説明しましょう。賃金制度の運用における「匙加減」とは、例えば、マネジャーが、この人についてはやる気を出してもらうようにちょっと多めに昇給させよう、一方、あの人の賃金は少し抑えても大丈夫だろう、というように賃金決定の基本的な考え方からのちょっとした逸脱や例外をうまく活用しながら賃金を決定していくような方法を指します。社内において従業員がもらっている賃金の状況把握が不透明な状況では、誰がどれくらい、どのような基準で貰っているのかがよく分からないので、多少の逸脱とか例外があってもそれほど目立つことなく、なんとなくマネジメントができるようになります。つまり、メンバーの評価や賃金の決定を通して、ましな言い方をすれば「良い塩梅で」、悪い言い方をすれば「だましだまし」マネジメントを行うということになります。

 

では、賃金制度の運用において、経営学では賞嘆されて理想とされている「透明性」を企業として高めていくとどうなるでしょうか。透明性が高まると、誰がいくら貰っているか、それはどう決まるのか(例えば、成果主義であれば賃金決定の評価基準)といったことが公開されてクリアになるので、組織やチームのメンバーは、お互いを比較することも可能になります。それによって公正感、信頼感、満足度が高まるというのが先行研究で示唆されてきたことなのですが、賃金制度を運用するマネジャーの立場で考えるとどうでしょうか。実は、自分の匙加減も含めて、全てがオープンになってしまうと、自分の手の内を全て明かしてしまうことになるので、匙加減もやりにくくなります。なぜならば、匙加減をする中でルールから逸脱しているとか例外であるとがすぐに分かってしまうからです。

 

そんな中で、たくさん賃金を貰う人、そうでない人といったようにメンバー間に賃金の差をつけようとすると、大変気を使いますし、全てが見られているという感覚にも陥りますし、さまざまなリスクを感じるようになります。例えば、少ししか貰っていない人は多く貰っている人に嫉妬するかもれない。そうなるとチーム内でコンフリクトが起こってメンバー間の調和が保てなくなるかもしれない。そのようなリスクを感じるマネジャーは、リスクを回避するために、賃金決定においてメンバー間に差をつけなくなるようになります。つまり、どちらかというと平等に賃金を配分するようになるのです。成果主義実力主義の賃金であれば、同じ職位であっても、働きぶりが良い人、そうでない人でもらう賃金に差が出るように設計されます。そして、このような賃金制度は一般的に公正だと考えられます。しかし、これまで述べて来たことを整理すると、企業として、賃金制度の運用の透明性を高めれば高めるほど、従業員間の賃金格差が縮小し、あまり差がつかなくなると予想されるのです。

 

では、今度は賃金を受け取る従業員の立場で考えてみましょう。賃金制度やその運用の透明性が高いことは良いことだとしても、企業内の賃金格差がなくなってくると、とりわけ自分は努力している、実力がある、成果を出していると自負している人々にとっては不公正感の高まりや不満材料となってきます。しかし、そのような人たちは、自分の賃金をもっと高めてほしいと大っぴらに言えません。もしマネジャーがそれを受け入れてその人々の賃金だけを増やしたら、例外扱いになってすぐに他の人に分かってしまいます。それは混乱の元になるので、賃金をもっとあげてほしいという交渉は受け入れられないでしょう。従業員もそれは分かっています。ではどうするかというと、賃金以外の要素で納得がいくような処遇をしてもらうようマネジャーと交渉するようになるのです。このような処遇・扱いを、経営学では「特別扱い Idiosyncratic Deals: I-deals」と呼んでいます。例えば、自分だけ休日を少し多くしてほしい、経費をたくさんつけてほしい、希望する仕事を与えてほしい、といったようにお願いするようなものです。

 

特別扱いだと、賃金制度ほど透明性がないので、自分がどのような特別扱いを受けているのかがわからないように「こっそりと」お願いすれば他の人もわからなかったりしますし、マネジャーも、「こっそりと」特定の人だけ特別扱いすることでマネジメントがうまくいくのであれば好都合です。手の内を明かすことなく匙加減を使って行うマネジメントができるわけです。ですので、メンバーから特別扱いの交渉を持ちかけれた時、それでマネジメントがうまくいうのなら都合が良いとばかりにそれに応じがちになるのです。これらをまとめると、賃金制度やその運用の透明性が高まると、メンバー間の賃金格差が縮小されてくる。そうなると、実力があるとか成果を出していると自負しているメンバーの不満は高まり、彼らはそれを補うために賃金以外の不透明な部分で厚遇を得ようと特別扱いしてもらうようマネジャーと交渉する。マネジャーはそれに応じることで不透明な匙加減を駆使したマネジメントができるようになるのでリクエストに応じる。その結果、不透明な特別扱いが企業内で増加することにつながるのです。

 

以上をまとめると、賃金制度とその運用の「透明性」を高めることが、賃金以外の特別扱いを通した「不透明性」を高めるというメカニズムが存在していることがわかります。元々、賃金制度やその運用についてなんらかの不透明性が存在していたという仮定を置くならば、透明性を高めることでその不透明性を消そうとしても、実はその不透明性は消えず、対象を変えた形で、すなわち特別扱いという別の様式によって、再び姿を現すいうことになります。企業内での諸施策の不透明性はなくならない。特定の施策において不透明性を無くそうとしても、不透明性の対象が他のものに移動するだけだということです。Wongらはさらに、このようなメカニズムは、集団主義が浸透している組織において特に顕著であると論じました。なぜならば、集団主義の組織ほど、メンバーは自分と同僚を比べて判断したり行動したりします。ですから、賃金制度の透明性が高まって組織内の賃金格差がなくなってくると、それに不満を持つメンバーは、是正して納得がいく分だけ処遇を高めてもらうような行動を表立ってはしにくいため、マネジャーに「こっそりと」特別扱いをお願いするようになりやすいと考えられるからです。

 

Wongらは、上記のようなメカニズムを、実験とフィールド調査によって検証し、理論や仮説を支持する結果を得ることができました。組織において透明感が大切だと言われつつも、不透明感が形を変えて移動するだけでなくならないのはなぜか、改めて整理しましょう。まず、組織やチームをマネジメントする側の立場からすると、メンバー間の待遇に差をつけて彼らの意欲や能力を引き出すために、基本方針からのちょっとした逸脱や例外を使いこなす「匙加減」は大切だと言えます。しかし、透明性を高めることで全ての手の内を明らかにしてしまうと、マネジャーは匙加減を用いたマネジメントがやりにくくなってしまいます。だから、不透明性とか、手の内を明かさないということは、マネジメントを行う上で保持しておきたいというのが本音なのです。不透明性を維持することで情報格差を生み出すことも、マネジャーがメンバーに影響を与える権力の源泉にもなるからです。マネジメントの全てオープンにしまうのは、経営の現実からすれば綺麗ごとなのかもしれません。

 

日本のような集団主義の職場ほど、この「不透明性」をうまく保持しながら、全てをクリアにせず、なんとなく曖昧に、だましだましマネジメントを行うことが多い、そしてそれでマネジメントがうまく回っていく、というWongらの研究結果からの含意も納得のいく指摘ではないでしょうか。物事をうまく進めるために、裏でコソコソやる、コッソリと何かをするための不透明性を温存する、というのは人間の本性なのかもしれません。

参考文献

Wong, M. N., Cheng, B. H., Lam, L. W. Y., & Bamberger, P. A. (2023). Pay transparency as a moving target: A multistep model of pay compression, I-deals, and collectivist shared values. Academy of Management Journal, 66(2), 489-520.

 

 

人的資本経営概論(2)

人的資本経営は、実務の世界では「人材を資本と捉えて企業価値の向上につなげる経営手法」だと定義されているようです。例えば、パーソルの調査によると、「近年、大企業を中心に、人材を「資本」と捉えて、採用や育成などの人材施策に投資を行うことで、中長期的な企業価値向上につなげる「人的資本経営」の動きが加速しています」とあります。これまで人的資本経営をやっていなかった企業があるということ自体驚きですが、とにかく、現在は、人的資本経営を「導入」している企業が増えているようです。前回は、この人的資本経営というコンセプトが、アメリカを中心に1990年代から2000年代初頭に次々と発表されたコンセプトが組み合わさって花開いたものであることを指摘しました。今回はその続きとして、人的資本への投資がどのように企業価値向上につながるのかをどう可視化していくか、そしてそれを「人的資本開示」につなげていくという文脈で概説してみます。

 

日本では、人的資本経営ブームの火付け役が、会計学周りであったことがわかっています。人的資本投資や企業価値との結びつきについて、それらを測定したり可視化したりするという面においては、会計学に一日の長があるということでしょう。実は、これと全く同じ現象が、20年以上前のアメリカでも起こっていたのです。すなわち、会計学で提唱された戦略的な測定手法である「バランススコアカード」の考え方を、人的資本経営に応用しようとする動きが2000年初頭に加速したのです。その牽引役となったのが、デイビッド・ウルリッチ、ブライアン・ベッカー、マーク・ヒューセリッド、リチャード・ビーティらによる研究者グループが矢継ぎ早に投入した以下の2冊です。

 

Brian E. Becker, David Ulrich, & Mark A. Huselid. 2001. The HR Scorecard: Linking People, Strategy, and Performance. Harvard Business Review Press

Mark A. Huselid, Brian E. Becker, Richard W. Beatty 2005. The Workforce Scorecard: Managing Human Capital To Execute Strategy. Harvard Business Review Press

 

2冊目は、副題で"Managing Human Capital"と堂々と謳っているので、2005年ごろのアメリカではすでに「人的資本経営」が登場していたことを意味しています。この2つの書籍は、人的資本への投資が企業価値向上につながるプロセスを可視化するための測定手法について、バランススコアカードの考え方を応用した形で解説しています。「HR Scorecard」の方は、人材や人事システムといった要素に焦点が当てられており、それを拡張した「Workforce Scorecard」の方は、職場のカルチャーやリーダーシップなども含めた測定方法を解説しています。惜しむらくは、上記のような人的資本経営の核心に迫る書籍が、日本では全くノーマークで紹介されなかったことです。これらの考え方が日本に輸入されていれば、人的資本経営ブームの発生も10年は早まったことでしょう。だとすると、日経平均株価4万円越えも10年前に実現していたのかもしれません。そして、人的資本投資から企業価値へとつながる測定を最も直接的に解説した本が、以下のジョン・ブルデューとウェイン・カシオによる「人的資本投資:人事による企業の財務価値へのインパクト」という書籍です。

 

John W. Boudreau & Wayne F. Cascio 2008. Investing in People: Financial Impact of Human Resource Initiatives. FT Press

 

こちらの本も残念ながら日本ではノーマークでした。ブルデューもカシオも世界的に見ると著名な研究者であり、実務家にも人気のある著者ですが、日本では無名です。今回紹介した書籍の共通しているテーマは、「人的資本投資を通して企業価値を向上させるような経営をしようと思ったら、そのプロセスが測定され、可視化されていなければならない。測定できなければコントロールできない」というものです。管理会計の考え方に近いことがわかります。しかし、実務家サイドでの本音は「それはまあわかるけど、日々の業務で手一杯だし、それって結構面倒くさいよね」というものだったと思います。というわけで一向に動かなかった人的資本経営ですが、それに喝を入れたのが「人的資本の情報開示の義務化」なのです。それに慌てる企業とそれをビジネスチャンスとみるコンサルタントが、デジタルトランスフォーメーションの波とあい重なって、「経営活動のデジタル化と一緒に進めればいいじゃん」ということで手を結んだのが今回のブームだと言えましょう。

 

最後に、人的資本の情報開示について1つ指摘しておきましょう。それは、人的資本情報はむやみやたらに公開しない方が良いということです。本当に企業価値を高める人的資本経営は、その企業が考え抜いて編み出した独自のノウハウであるはずです。そんなノウハウを外部に公開してしまったら、他社に真似をされてしまい、競争優位性を失い、その結果企業価値を毀損してしまいます。ものづくり企業はやたらめったら自社の工場の内部(生産工程など)を外部に公開しません。企業見学で見れるのは当たり障りのない場所のみで、肝心のノウハウに当たる部分は門外不出です。ですので、人的資本の情報開示は慎重に行いましょう。企業価値の源泉は、持続的競争優位性であり、持続的競争優位性とは、他社が真似できない価値あるリソースやノウハウを保有していることです。よって、ほんとうに企業価値を高めるノウハウを含んだ人的資本情報は企業秘密にするべきで、それを公開した瞬間に企業価値が下がってしまう。ですから、企業価値を生み出す仕組みとは関係のない、例えばコンプライアンス的な理由で他社と横並びで行なっている施策のような形式的な情報を公開しておけば、企業価値を損なうことはないということです。

人的資本経営概論(1)

「人的資本経営」という用語が使われだし、これが一大ブームとなり数年が立ちました。ブームの勢いは衰えを知らず、本ブログとしても無視するわけにはいかなくなってきました。当初から、人的資本経営(ヒューマン・キャピタル・マネジメント)という言葉には違和感を持っていました。なぜならば、人的資源管理(ヒューマン・リソース・マネジメント)の「リソース」を「キャピタル」に代えただけで、これまでの人的資源管理とまったく違うイノベーティブなマネジメントが誕生するのか疑問であったからです。人的資本経営は、人的資源管理もしくは人的資源経営(ヒューマン・リソース・マネジメント)とはまったく異なるマネジメントのあり方を語っているのか、あるいは、なんとなく新鮮な感じがして響きがよい言葉だから流行っているだけなのか分かりませんでした。「人的資源管理」の基本を書いた本を出しても一向に売れないが、同じ内容でタイトルを「人的資本経営」にしたら途端に売れるようになるということはないだろうか。

 

とはいえ実務の世界で流行していることに間違いはないので、上記のような疑問を抱きつつ、人的資本経営の本を何冊か読んでみたところ、これはアメリカを中心に90年代後半から2000年代前半に著名な人的資源管理論の研究者らが発表された学術的知見に基づく人材マネジメントの考え方が輸入され、組み合わされ、花開いたものだということが分かりました。そのような人的資源管理の基本が、昨今のデジタル化によって実施しやすくなったことが火種となり、用語としてはマンネリ化し陳腐化してきた「人的資源管理」という言葉が、「人的資本経営」として生まれまわったのです。そこで、この人的資本経営の基礎となっている90年代、2000年代初頭の書籍をいくつか紹介しましょう。主に2つの系統を紹介します。今回は、スタンフォード大学教授のジェフェリー・フェファーが絡んだ一連の著作です。

 

Peffer, J. 1994. Competitive Advantage Through People: Unleashing the Power of the Work Force. Harvard Business School Press

Peffer, J. 1998. The Human Equation: Building Profits by Putting People First. Harvard Business School Press

邦訳:ジェフリー フェファー 2010「人材を活かす企業: 「人材」と「利益」の方程式」翔泳社

 

上記の2つはどちらも1990年代に出された書籍ですが、当時の言葉で表現すれば、「自社の人材を活かす企業が持続的な競争優位性を獲得する優良企業である」となり、現在の言葉で表現すれば、「人的資本経営を実践する企業が持続的な競争優位性を獲得する優良企業である」ということになります。フェファー教授は、マイケル・ポーター流の「業界での自社のポジショニングこそ競争優位の源泉である」といった考え方や、人材を資本でなくコストととらえがちな企業経営の風潮に一石を投じ、優れた企業は人的資本に投資することによって人材のポテンシャルを最大限に引き出し、企業価値を高めるコミットメント(今風にいえばエンゲージメント)を生み出すような経営を行っていることをエビデンスベースで主張したのです。利益を生み出す方程式の中には、会計情報に記載されるような有形資産のみならず、人材のような無形資産(人的資本)こそ大切であって方程式に含めるべきであることを説いたわけです。

 

当時、今風の言葉でいえば「人的資本擁護派」であったフェファー教授が、「両利きの経営」の著者の1人でもあるチャールズ・オライリー教授とタッグを組んで書かれたのが、まさしく無形資産としての人材のマネジメントを重視する経営を説いた以下の書籍でした。

 

O'Reilly, C., & Pfeffer, J. 2000. Hidden Value: How Great Companies Achieve Extraordinary Results with Ordinary People. Harvard Business School

邦訳:チャールズ オライリー, ジェフリー フェファー 2002 「隠れた人材価値: 高業績を続ける組織の秘密」翔泳社

 

こちらは、今風にいえば、「パーパス経営」と「人的資本経営」を組み合わせたような内容で、人的資本経営といっても、ハイパフォーマーとかスーパースターを高額な報酬を払ってかき集めればよいという話ではなく、逆に、一見すると平凡に見える人材が集まった企業であっても、企業の価値観(パーパスやカルチャー)をしっかりと作り、人材を束ねる企業のほうが強いことを実例を用いてエビデンスベースで解説しています。人的資本は、人材=資本と単純にいっているわけではなく、「ヒューマンな」「人的」な資本であるわけですから、組織のカルチャーなども、人的な資本だといえます。まさに、人材が共通の価値観や存在意義としてのパーパスを通して強固に組み合わさった企業は強いということなのです。

 

フェファー教授やオライリー教授の著作は、企業が人的資本に投資することで競争力を高めていくということはどういうことなのかを教えてくれます。一方、人的資本経営でもう1つ大切な視点は、人的資本への投資が、どのように企業業績に結び付いていくのかを可視化するということです。可視化するということは、そのプロセスを測定し、把握するということであり、測定・可視化できれば、そのプロセスの改善や改革といったマネジメントがしやすくなるということでもあります。次回は、2000年代に活躍した戦略的視点からの「人的資本測定学派」の著作を紹介したいと思います。