建勲神社・船岡山から千本通り

jinkan_mizuho2008-01-14


本日も刺すような寒さ。こんな日こそ人出も少ないので、絶好の散策日和?と解釈して仕事を終え昼食を済ませ家を後にする。


前回の散策同様、北大路通りをひたすら西に向かう。
吹く風が頬に当たり、体の芯から冷える。自然と歩みが速くなる。そして、30分程度で建勲神社に到着。(予想外に早く着いた)

一般に、「けんくん神社」が呼称として知られているが、正式には「たけいさお神社」。
創建は、意外と新しく明治2年。織田信長を祀っている。
神社に関しては、「玄松子の記憶」というサイトで懇切丁寧な解説があります。
神社内は閑散としていて、散策には打ってつけ。(ちと寒いが……)


建勲神社からさらに船岡山の頂上を目指す。


応仁の乱の際、この地に西軍の陣地が置かれ、それが「西陣」という地名の起源になったとのこと。
確かに東西南北を見渡せる。天然の要塞として、着目されたのは理解できる。


冷たい風が吹き続けるので、下山?(というほどの山ではないのですが……<笑>)して、千本通りに。
ここを南下。ここの通りは、自動車・バイク・自転車では数多く通ったのだが、歩くのは今回が初めて。
商店街の店先をひやかしながら歩く。店先で御手洗団子を売る和菓子屋,京野菜を売る八百屋,炭火焼きの鰻屋,年代物の金物屋などなど、見物しているだけで全く飽きない(笑)→楽しみすぎて写真を撮るのを忘れました!


そして、小野篁ゆかりの寺院「引接寺」に向かう。


千本鞍馬口下ルにある「引接寺」は「いんじょうじ」と読む。通称は「千本閻魔堂(千本ゑんま堂)」。ボク自身も、こちらの通称が馴染みがある。
この寺院、現在は真言宗高野山派の末寺。でも、あまりそんな感じはしない。何せ「閻魔法王」を祀っているので、庶民に親しまれた信仰の場という感じで、宗派には無頓着。
それを証するものとして、境内に宗派に関係なく「塔婆流しできます」という立て札があった。


境内の北西側に、「紫式部の供養塔(重要文化財)」がある。
紫式部の墓」と「小野篁の墓」が隣通しにあることと何かかかわりがあるのだろうか?


その後は、千本通りをさらに南下。土産店はなく地元住民の生活に密着した店が多く面白いのだが、調子に乗っていると、ますます自宅から遠ざかる。
踵を返して、今出川通りを東へ。堀川通りを渡り、烏丸通りを越え、河原町通りを横断して、賀茂大橋に。
途中、同志社大学から、振り袖を着たお嬢さん達が多数出てきた。そういえば、今日は「成人の日」(かなり昔に迎えたので全く忘れていた)。


ここまで戻れば、もう家は近く。高野川に沿って歩き自宅に戻る。
今回の散策で、千本通商店街を初めて歩く。お洒落なお店はところどころにしかない。でも、住民の生活に根ざした伝統というか、街の風景として十二分にとけ込んだ有り様を実感。
四条通寺町通新京極通河原町通辺りの商店街を「晴れ着」とするなら、千本通商店街はまさに「普段着」と喩えられる。