jinkan_mizuhoの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-01-21

[]『米』'57 今井正/監督  八木保太郎/原作&脚色

米 [DVD]

茨城県霞ヶ浦周辺で半農半漁生活を営む人々を主人公にした作品。

おそらく現在では失われてしまった景色や生活だろう。

地元の人からは茨城弁が不自然に聞こえるかも知れないが、正確に方言を再現したら字幕が必要になるので致し方ないだろう。  (茨城には親戚が多くいて、年輩の方との会話で苦労することもしばしば<苦笑>)

<あらすじ>

田植を祝う村祭の鎮守の境内。魚問屋に働く定子、いね子、かず子、たみ子らは祭り気分に浸っていたが、この村の若者達の夜遊びは対岸の村へ押かけ娘らを冷かすこと位であった。農事に手のすいた次男坊である田村次男も、自衛隊帰りのリーダー格仙吉らと対岸を襲うが、うす暗い農家で黙黙と仕事にいそしむ千代の清純な姿に、何か淡い感情が湧くのを感じる。

次男は、うめ、よしの等兄妹の冷たさに耐えかね、魚にかけては玄人の作造と友乗りではえ繩を張るが、繩に掛った大鰻のことから千代の母よねと争論まで起す。

仕事もなくブラブラしていた仙吉も親方に船の提供を願った上、次男と組んで帆曳きを始めた。仙吉の妹定子は次男に少からぬ好意を寄せていた。無鉄砲な仙吉は千代らの境界線を越えて帆曳で獲りまくり、ために荒された漁場では杭代を割当てて遂に逆杭を打つ。

やがて秋祭り。酒の勢いで次男に近寄った定子は相手にされず悲しみにくれる。ある夜、よねは禁止されたさし網をやっている最中、監視船にみつかり没収されてしまう。よねは見逃しを必死に願ったが規則を犯した罪は如何ともなし難い。

だが一方、越境した船団も逆杭に引っ掛り仙吉は死亡、次男も危い処を千代に救われ以後、二人の心は全く解け合う。その頃、地主の松之助はさし網事件から貸地を取上げようと病身の竹造に迫り、よねには一万円あればと誠しやかに持かける。よねはそれを信用し、千代を通じ何とか次男の金を借りようとしたが、慕情を抱く千代には云い出せる筈もなく気まずい親子喧嘩となってしまった。これを知った次男は一万円を善助に渡して立去る。雨の日、警察へ出向いたよねは罪の恐しさから遂に入れず、薄暮の湖岸で、生命を断つ。晩秋の空に豊年太鼓の流れる頃、母親共々よねの棺を見送る次男は、千代と暫しの間、熱い視線をからませていた。

米(1957) - goo 映画

戦後、農地改革が行われたとはいえ、農民の生活が豊かになったわけではない。特に、土地を持たないもの、農家の次男・三男は、生きることに必死だったのだろう。

ちなみに、我が親父殿も農家の次男坊であったので、戦前から京浜工業地帯の工場で旋盤工として働いた。三男であった叔父−ringoさんのご近所に在住−も戦後、親父殿を頼って上京。

昭和三十年代中頃まで、矢口渡の実家には我が家と叔父の家族4人が暮らしていた。よくもまあ、あの狭い家に8人も……、と今では思うが。

だから、個人的に、この作品には感じるものが多い。


農民の土地に対する愛着をよく描いている。このような信仰に近い愛着が、その後の「土地信仰」に結びついていったのかと、おぼろげに感じた。

また、高度経済成長以前の農村を知る上での参考になる。


この年の第31回(1957年度)キネマ旬報ベストテン第1位。2位も今井監督の『純愛物語』。

ちなみに、3位『喜びも悲しみも幾歳月』(木下恵介)4位『幕末太陽伝』(川島雄三)『蜘蛛巣城』(黒澤明)である。 

この当時の邦画の充実ぶりは目を見張るものがある。日本文化の共有財産として、より廉価な価格設定で普及していくことを願います。


また、本作の撮影記念碑があるそうである。

是非、一度訪問してみたいものだ。

tougyoutougyou 2008/01/22 19:55 仰るようにこの『米』という映画の時代は、農民の土地に対する愛着は、ご先祖様から受け継いできた土地を自分の代で断ってはならないということでしょうね。内田吐夢のこの時代より前の傑作『土』も観てみたいです。今のように若い人たちが簡単に田畑を売ってしまうと日本の農業はどうなってしまうのか、自給率の最低を思うと怖くなってきます。健康に一番いい大豆の自給率は5%を切って4%台ですので恐ろしい国です。国内に出回っている納豆の多くは表示通りでない遺伝子組み替えばかりだということですね。先進国でもこんな国は世界にひとつもありません。 それにしてもこの1957年のベスト4をみても、高峰秀子が映画の黄金時代が終わってTVと変らなくなったことが女優をやめようと思ったひとつのきっかけだったと思いますが、私は最近また『七人の侍』『蜘蛛城』を最近何度も観直していてその通りだと思ってしまいました。

jinkan_mizuhojinkan_mizuho 2008/01/23 15:18 tougyouさん、日本の穀物自給率の低下は、論外の状態です。ボクが、ここ20年の間でも年々低下していくのがわかります。
なるべく国産のものを購入してますが、加工品なんかは輸入の小麦や大豆を使っているのでしょうね。
農業政策でも、防衛政策でも、政府高官は言い訳するけど、結局米国のいいなりですからね。牛肉の輸入だけ抵抗しているみたいですが……。

tougyouさんは、戦後邦画の黄金期はいつまでとお考えですか?
ボクは、映画を一人で映画館に行くようになったのは中1の終わり頃−’70年初頭−からです。
当時、「映画=洋画」という感覚で、高校の臨海で「寅さん」を観たくらいで、お金を出して映画を観るのは「洋画」でした。

邦画は、ATG系の作品を大学生の頃に観たのが最初のほうかな。
だから、皮膚感覚で’60年代後半から’70年代半ばが邦画のどん底期かな、という気がしてます。
映画では「飯が食えない」と言って、あきらめた友人も大学時代にはいました。

tougyoutougyou 2008/01/23 20:03 jinkan mizuhoさん、日本の官僚というのはタカリ屋で事務次官はその最も悪い奴が殆どなっているということだと思います。農業、林業、畜産業等、殆どお上の指導通りやっていた人たちは借金の山の人が多いですね。 

映画に関しては、私は高校時代に映研をつくってから洋画だけでなく邦画で特にATGの作品もよく観るようになりました。 大学時代は映画を撮るクラブで、友達には地下の実験映画を撮ったあと消息が分らない友とか、ランボーに憧れてフランスに行ってしまってその後の消息が分らない友もいます。

戦後の邦画の黄金時代というのは、黒澤明の映画でいうと『七人の侍』(1954)の頃が頂点で、それから徐々に下がっていったのでないでしょうか。 『赤ひげ』(1965)で三船敏郎と別れた時に終わったと思っています。東宝全体なら成瀬巳喜男の遺作『乱れ雲』(1967)で最後のともし火が消えかけているというところでしょうか。 岡本喜八、小林正樹、市川 崑等がいましたが。黒澤明が『用心棒』(1961)のような圧倒的に強い侍を登場させたのは、前年の『悪い奴ほどよく眠る』(1960)が全然客が入らなかったからですがそれは黒澤プロダクションの初めの作品であったので、ともかく客の入る映画を撮らないといけなかったからですが、やはり強すぎる剣豪というのは問題ですね。『用心棒』『椿三十郎』も大好きではありますが、スーパーマンが出てくるとやはり駄目になって行きますね。

jinkan_mizuhojinkan_mizuho 2008/01/24 03:02 tougyouさん、ご教示ありがとう御座います。しかし、なかなかのご友人をお持ちなんですね。
’70年代のATG作品に共通する「香り」が好きで、深夜にATG3本立てを何度も見に行きました。『旅の重さ』の秋吉久美子は印象的でした。

tougyoutougyou 2008/01/24 15:04 『旅の重さ』は大好きです。 斎藤耕一は『約束』もありますが、この映画が最高で特に「緑の映像」は、『乱れ雲』の加山雄三と司洋子のラブシーンのと双璧ではないかと思っています。 オーディションで主演の高橋洋子の次が秋吉久美子でした。 頭の少し足りない少女を演じていましたね。以下、削除されたのを違った方が投稿されているので楽しんでいます。

http://jp.youtube.com/watch?v=9I6EZeg-L70

jinkan_mizuhojinkan_mizuho 2008/01/24 15:59 tougyouさん、『旅の重さ』は大学生の頃に見たっきりなので、今度レンタルしてみます。確か、高橋悦史・岸田今日子も存在感がありました。

話は変わりますが、高橋悦史が亡くなってから「鬼平」では彼の演じた佐嶋の役は空席でしたね。

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