雑記帳(オーストラリア、ブリスベンから)

2009-08-01

[]最終回

新聞にも載っていたので知っている人も多いと思うが、実はもう日本に帰国している。あんなに大きく取り上げられるとは思っていなかったので私も少し驚いた。成田では追いかけてくるキャスターを振り払って、なんとか会社の寮までたどり着くことが出来た。

実はオーストラリアのネタはまだまだあるのだが、日本の生活はオーストラリアと違って忙しく、このブログをのんびり更新している暇もなさそうなので、いったん最終回としたいと思う。

これからは私も皆さんと同じ一庶民として生きていくことになるだろうが、こっそりとオーストラリア再上陸の気配はうかがっていきたいと思う。

2009-03-17

[]熟女とオーストラリア

ブリスベンの中心地からそれほど遠くないところにモートン島という島がある。砂でできた島としては世界第二位の大きさを誇り(ちなみに第一位のフレーザー島もブリスベンから近くにある)、手軽な観光地となっている。

ブリスベン港からフェリーで1時間ほど。朝早く起きて私の家の近くに泊まっていた4人をピックアップしブリスベン空港へ向かった。

天気も非常にいい。ブリスベンがあるクイーンズランド州というのは全般的に天気がよく、別名サンシャインステートと呼ばれている。無理やり日本語に直すと太陽州という感じだろうか。つまりたまに激しい降雨があったりするが、基本的に晴れていることが多い。だからこの日天気がよかったのは別に熟女連の日ごろの行いがよかったからというわけではなく、当たり前のことといえば当たり前のことである(かといっておばちゃん達の別に日ごろの行いが悪いわけではないだろうが・・・)。

普段乗らない交通手段に乗るとテンションが上がるという法則がある。例えば新幹線や飛行機が代表格である。新幹線の売り子やフライトアテンダントのように毎日乗っていればもはやテンションが上がるということはないだろうが、一般人のようにたまにしか乗らないということであれば誰でも楽しくなってくる。自慢したくなってくる。私は正直言って新幹線か飛行機に乗ったら自慢することにしている。「俺今回大阪来たの新幹線やで。途中で弁当食べたった」と。「いやーこないだ海外行ったから飛行機乗ってん。結構揺れてたわ。すごいやろ」と。

何が言いたいかと言うとフェリーに乗って熟女もテンションが上がっていたということである。1号はモートン島へ向かう船を見て「いやっ、船やんか」と鋭い感想を述べていた。

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「いやっ、船やんか」

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「いやっ、海やんか」

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「いやっ、メガネばっかりやんか」

ブリスベンからアルゼンチンの方向に向かってしばらくするとモートン島が見えてくる。天気がいいこともあって非常に海の色が綺麗だ。

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まず目に入るのはペリカンだ。ペリカンを生で見たのは初めてである。実物で見たペリカンはマンガやイラストで見る以上にコメディチックな顔をしている。特に目がおもちゃみたいだ。熟女は「あの顔の中でも男前とか不細工とかあるのかしら」と言っている。生物学的に興味深いテーマである。

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モートン島は島全体がリゾート施設のようになっていて、宿泊施設やバーがあるだけではなく様々なアクティビティが用意されている。まず最初にトライしたのはヘリコプターヘリコプターに乗って島の上空から島を見ることが出来る。1号はヘリコプターを見て「いやっ、ヘリコプターやんか」とまた鋭い感想を述べている。

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「いやっ、ヘリコプターやんか」

教訓14 熟女の感想は鋭い

まずは私と1号がトライ。ベルトをして安全確認をするとあっという間に上空へ上がっていく。何メートルくらいなのか分からないが、かなりの高さである。高度とともにテンションが上がる1号。「うわっ、めっちゃ高いで。あんたも下見てみ!ひゃー、きれいわ!」。

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確かにヘリコプターから見る景色はまさにこれぞ南国と思わせる美しさだ。エメラレルドグリーンの海と白の砂と深緑の森のコントラスト

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空の方に目を向けると海の青さと空の青さが一体化していてどこが境目なのか分からない。

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ヘリコプターの操縦士から「ほら、あれがジュゴンだぞ」と指差されたとことに確かに生き物が見える。あれが本当にジュゴンなのかどうか分からないが、とりあえず1号に「ほら!ジュゴンやで!ジュゴンジュゴン見てみ!」と声をかける。すると「いやー、ほんまやなあ。見えるなあ。来てよかったなあ。さすがオーストラリアやなあ」と感動していた。ジュゴンを見て喜ぶ1号を見て喜ぶ私。親孝行をしている気がする。

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かすかに見える黒いのがジュゴン(らしい)。

ヘリコプターを降りて次は2号3号4号がチャレンジ。飛び立っていく3人を見ながら「いやー、がんばってきてねー!」と手を振った後、ボソッと1号が「あんたがさっき必死なって言うてたジュゴンってなんやの?生き物かいな。よう分からんわ」と先ほどの私の感動をあっさりと吹き飛ばしてくれる。要はジュゴンを知らないのだ。そのくせ戻ってきた2号たちに「ジュゴン見れた?」とか聞いている。

教訓15 おばちゃんはうなづいてても適当に話を合わせてるだけ

ヘリコプターの次は砂すべり。

既に書いたようにモートン島は砂で出来ているので砂漠とまでは行かないが砂丘がある。バスに乗り込んで奥地の砂丘に行く予定なのだが、待ち合わせ時間になっても同乗するはずの別のグループが現われない。オーストラリアなら時間通りに人が現われなくてもただ待っていればいいのだが、熟女連は生粋の日本人であるため、段々バスを待ちながらイライラしてくる。「その人らほんまに現われんのかいな。ちょっとあんた、聞いてきて」と状況を聞きに行かされる。そこでスタッフに聞きに行っても「もうすぐ来ると思うのですが・・・」と言われるだけ。なんだかんだで30分ほど待ってやっと現われたのは20人くらいのインド人グループ。何食わぬ顔してバスに乗り込んでいくが熟女連も「インドの人らやったらしゃーないわ」となぜかインド人は遅刻特別扱い。

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やっと現われたインド人たち。

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砂丘は異常に暑い。暑いというか熱い。

植物があることがどれほどありがたいことかを痛感しつつ、砂の上を歩く。要は雪上のソリと同じで高いところから板に乗って滑り落ちるというシンプルな遊びなのだ。

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目に砂が入らないようにゴーグルをする熟女連。続いてすべり方のレクチャーを受けて板を担いで砂の上を上がっていく。

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まずはインド人がチャレンジ。うまい。インド人は砂すべりがうまい。


続いて熟女連がチャレンジ。トップバッターは2号。こういうときに2号は度胸が据わっている。

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動画で見ると分かりにくいがなかなかの高さがあり多少の勇気を要する。

そこそこの出来だと思う。

次4号。若いだけあってまあまあ。

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3号。キャラと違って勢いを感じさせない滑りである。

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最後は1号。

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予想通り直前になってダダをこね始めた。怖くて出来ないというのだ。もうみんなやってるからと無理やり後押ししてやらせたところ、意外にもうまい。シャーッと滑っていく。1号曰く「私やったら出来る子やから」

一番上手だった人は最優秀賞をもらえることになっているが、その賞は残念ながらインド人に獲られてしまった。


そして昼食を食べ、いよいよ本日のメインイベント、パラセーリングの時間がやってきた。

パラセーリングがどういうものか知っているだろうか。こういうレジャーもの全般に弱い私はこの日までパラセーリングがなんだか知らなかった。1号が遠くに浮かぶパラシュートを見て「あれ、面白そうやん。やってみいひん?」と言ったから、初めて「あれなに?」という話になり、トライしてみることになったのだ。遠くから見る限りそれほど高度があるようにも見えないし、下が海だからそれほど危険な感じもしない。これは私にもできる、と1号は思ったのだろう。

小型のボートに私と熟女連4人、夫婦一組、おばちゃんの女性二人組みと3グループが乗り沖の方に進んでいく。最初に挑戦したのは夫婦。背中にパラシュートをつけてボートから離れるとどういった仕組みか体が空に浮き上がっていく。気がつけばすぐにボートから離れてだいぶ遠くに行ってしまった。どれくらいの高さから聞いたところ「100メートルくらいあるよ」という。100メートルというとビルの高さ25階くらいである。本当にそんな高いのだろうか。そんなところに紐とパラシュートだけで浮き上がっているのはどうにも心細いが大丈夫だろうか。

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このときはまだ怖いと言いつつも笑顔を見せる余裕があったのだが…。

ただ戻ってきた夫婦や続いてチャレンジしたおばちゃん二人組みに聞いたところかなり楽しんだようだ。「Awesome!」とか「Excellent!」とか言ってる。

「これなら私にもできるかなと」と1号が安心し始めたので、このままでは面白くないと思い、脅かしてみることにした。「毎年空中から落下して5人死んでいるらしい」とか「下のサメは肉食で落ちたら食べられて死んでしまうらしい」とか1号に向かってぶつぶつ言いだしたのだ。「いやっ、ほんまかいな。怖いな。まあ死んだら死んだときのことや」というようなさっぱりしたリアクションを期待していたのだが、なんと恐怖のあまり1号が泣き出してしまった。

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これは気まずい。周囲の外人もなぜ南半球の島のリゾート地で家族で楽しみに来ている集団のおばちゃんが急に泣き出したかを理解できておらず、顔に?マークがたくさん出ている。また泣き出した1号を見て2号3号4号が「あんたがいらんこと言うからや!」と私を責めてくる。南国で急に母親を泣かしてしまった私もオロオロするばかり。

そうこうしているうちに私と1号の出番がやってきた。時間の流れは容赦ない。「無理や!私サメに食べられたくない!まだ死にたくない!」と泣き叫ぶ1号にベルトがはめられていく。もう1号の気分はサメの餌である。係りの外人も泣き叫ぶ熟女にベルトをはめていかなければならない。なかなか辛い仕事だ。

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教訓16 熟女は意外にも死の覚悟が出来てない。


今にも腰を抜かしそうな1号だったが、いよいよ離陸する瞬間がやってきた。

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パラシュートを広げる。

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パラシュートの色が綺麗。

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離陸した。

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ぐんぐん上がっていく。

不思議だが船から離れても海に落ちることなく、それどころかドンドン高度が上がっていく。

足場もなく宙ぶらりんの状態で海の上を漂っている感覚。

気持ちいいい!!

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あっという間にこんな高度に…。

「ほらっ、見て見て、向こうの海綺麗やでー!」と言いながらパッと左を見ると1号が目をギュッと閉じ足を丸めている。体中に力が入っているのが分かる。「ちょっと、1号!せっかく上空におんねんから見てみ!」と言うとゆっくり目を開けて見ようとするのだが、少しでも下が見えると「私無理や!はよおろして!頼むからおろして!」と叫んでいる。

しかも下で引っ張っている船の運転手が面白い人で船とパラシュートをつなぐ紐をガンガン揺らしてくる。当然その振動が上に伝わり私たちのパラシュートが揺れる。するとこれまた当然1号が「ギャー!死ぬ!おろしてーー!!」と叫ぶのだ。うるさくて仕方ない。

私が「あれ下の人が紐ゆらしてるんやで」とタネを教えてあげると1号はさっきまでの泣き顔から打って変わって阿修羅のような顔になり「絶対許さへん」とつぶやいていた。お、おそろしい…。


10分ほどこれが繰り返されて終了。私はもっと長く上空にいたかったが、終わってからの母親は見ての通りぐったり。全く知らない外人の女性に介抱される始末。

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続いてチャレンジした2号3号4号は同じ血を引いてるのかと思うくらい余裕の表情。1号とは対照的に終わったあとも「いやー!おもしろかったなあ!!」と終始笑顔だった。

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上っていく2号3号4号。

終わってからこのままほっといたら死んでしまうのではないかというくらい憔悴した1号が「アイスクリーム食べたい・・・」とつぶやいたので、近くで買って休みながらアイスクリームを食べていると徐々に元気回復。「いや、ほんま怖かったわ!」と普段のテンションに戻ってきたので一安心。

教訓17 熟女は何かを食べさせると落ち着く

1日は長い。まだこれだけ遊んでもまだ夕方だったので最後はせっかく海に着たので海水浴。日本だとある程度の年齢になって海で水着になるのは恥ずかしがることがあるが、こちらでは体型や年齢などは関係ない。たまにトップレスの女性もいるくらいだ。誰も見てないのだ。そこで1号と3号も思い切って水着になっていた。

ここで一応お宝写真を公開しておこう。マニアもいるかもしれない。

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と、まあ散々楽しんだ。

最後は夕日を眺めた。

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夜8時にまたフェリーでブリスベンに戻り、またしばらくして日本に戻った。

熟女にとってはなかなかない海外旅行を十分に楽しんだと思う。これは私がこちらにいたからではなく、自分たちが楽しむ力を持っていたからだと思う。

教訓18 熟女は自分で場を楽しむことが出来る

私は熟女が帰ってホッとしたのは言うまでもないが、豆を食べたい気もする。

2009-02-01

[]熟女とオーストラリア

前回の更新から相当間が空いてしまった。一応まだ生きています。

ゴールドコーストを楽しんだ熟女連はブリスベンに向かった。ブリスベンは街としても非常に小さいうえに観光するところも少ない。しかし、その分親しみが湧きやすい。何年東京に住んでも「ここが自分の街だ」という感覚は抱けないと思うが(「渋谷」とか「下北沢」という単位なら可能かもしれないが)、ブリスベンなら3ヶ月でそう思うことができる。

まずブリスベンに着いて向かったのは私の家だ。

私の家はこれまでも何度か書いている通り、NZ人の女性(名前:ダニエラ)とスウェーデン人の男性(名前:ガブリエル)と3人である。

余談だが、私が住み始めたときは彼らは普通の友達同士だった。

だから当初は3人それぞれ別の部屋で寝ていたのだが、ある日突然二人が同じ部屋で寝始めた。そういうところに著しく鈍感な私は「なんで一緒に寝てるの?」と真剣に聞いてみたが、「え、なんとなく。」みたいなよく分からない答えが返ってきて、「ふーん、じゃあ私もいつかダニエラかガブリエルといつか一緒に寝るのかな。」くらいに思っていた(ガブリエルは避けたいが)。

ところが2ヶ月くらい経っても一日も休まず一緒に寝ているし、私に「今日はじゃあヤマ(そう呼ばれている)も一緒に寝ましょうか」と声がかかる気配も全くないので、「これはひょっとして付き合っているのではないか?」という疑念が出てきた。何の関係もない男女が毎日同じベッドで寝るのはやはりおかしい。しかし今更「付き合ってるの?」と聞くのも変なので、なぜか暗黙の了解のようになっている。

だから今はカップル私が3人で住んでいる構図になっている。日本であればちょっと考えられない。

話を戻す。

熟女達が私の家に着いたときガブリエルとダニエラはいなかった。家に入ると早速「キッチンはどこやの?」とか「このリビングはどうやって使ってんの?」とかいろいろ家に関する質問を投げかけてくる。関西弁を話す渡辺篤史を家に迎え入れたような気分だ。私が住んでいるのは二階建ての一軒家で、二階を3人でシェアしている。一人一人の部屋の広さは4畳半から6畳くらいだが、リビングやキッチンなどはオーストラリアだけあってかなり大きい。バーベキュースペースや庭もある。息子の住まいが心配だった1号も家を見て安心したのか「ここやったら私住んでもええわ」と言っている。渡辺篤史に褒めてもらった。

この日は日本の味をガブリエルとダニエラに振舞おうということになっていたので家を一通り見てまわると熟女連は調理に取りかかった。「何つくんの?」と聞いてみたところ「やっぱり日本の味を食べて欲しいから手巻き寿司と肉じゃがとポテトサラダとフルーツポンチを作ることにしたわ」 と返事が返ってきた。フルーツポンチはいつから日本の味になったのだろうか。

教訓11

どんな料理でもおばちゃんが作れば日本の味になる

さすがに主婦三人がいるだけあってキッチンの構造を把握すると手際はよくドンドン進んでいく。f:id:jinmenboku_au:20090201210356j:image

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しかし途中からキッチンに不穏な空気が漂いだした。1号2号3号による主導権争いが始まったのだ。親戚とはいえそれぞれ段取りのやり方や調理の方法などが違っている。そこで「○○は先に茹でるんやんか」「いやそんなん後でええねん」と言い争いが始まった。

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↑まだ言い争う前。このあと戦国模様を呈する。

ここで一度三人の関係を整理すると1号と2号は姉妹、3号はその従姉妹である。3号は一番年長なので発言力は強そうだが、1号と2号は姉妹連合を結んでおり、3号の権力に対抗している。かと言って1号と2号の関係も磐石とはいえず、米の炊き方などをめぐって対立関係になっている。それぞれがそれぞれのやり方を主張し状況は混沌としてきている。キャスティングボードを握れる立場の4号は日和見的態度に終始している。3人ともに決定打を欠きながら調理は進んでいく。3人が合従連衡を繰り返しながら誰も勝者にならない様子を見ながら「うーむ、三国志のようだ。はたまた武田信玄上杉謙信北条氏康の関東三国志か」と思っていた。

そうこうしているうちにガブリエルとダニエラが帰ってきた。ダニエラの妹のジャスティンやガブリエルの友達も何人か集まってきた。

まず彼らに熟女連を紹介していく。比較的年の若い4号を除いて1号2号3号は英語を勉強したことは遠い昔の話である。1号や3号にいたっては生まれた当時英語はまだ敵国の言葉だったくらいだから苦手なのは間違いない。

1号はたどたどしい英語で「Tsuyoshi Mother Fumiko」と知っている単語を並べて自己紹介をした。

2号は3人の中では一番海外旅行経験も多く、彼らの母国であるスウェーデンニュージーランドに行ったこともあるので、ゆっくりとではあるが色々な話をしていた。

3号は「どうもこんにちは。ご苦労さん」と完全に日本語一本やりだ。混乱する相手を見ても気にする気配はない。さすがだ。

それを見ながらこの3人は関東三国志というよりは天下人3人の川柳に例えた方が分かりやすいのではないかと思い出した。1号は「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」、2号は「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」、3号は「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」である。家康秀吉信長の中であえて例えるなら家康に一番近いと思っていた私はやはり1号の子だなあと痛感した。

ダニエラは非常に明るく人見知りをしないので1号にも積極的に話しかけているが、英語が分からない1号はポカンとしている。そのうちダニエラが「Your mom is so cute!」と何回も言うので、1号に「ダニエラがおかんのことをかわいいって言ってるで。」と伝えると嬉しそうな顔で「いやっ、ダニエラさん見る目あるやん。ダニエラさんも負けてへんくらいかわいいって伝えてあげて。」と勘違い発言を炸裂させている。

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教訓12

女は何歳になっても自分のビジュアルを気にしている


いよいよ食べようということになり、料理をテーブルに運ぶ。

「人生で緊張する瞬間ベスト100」というアンケートがあったとしたら、私は78位くらいに「自分の母親の料理を他人が食べる瞬間」がランクインすると思う。自分の母親の料理が他人にとって美味しくなかったらなぜか妙に恥ずかしい気分になるからだ。そもそも人は他人が作った料理を食べて「美味しくないね」という感想を言うことは非常に少ない。mixiの紹介文同様ポジティブな表現だけに終始するのが常である。本心が読みにくいのだ。まして日本食に馴染みのない人に日本食を食べさせるのだから緊張するのも無理はない。だから私は彼らがどう思うかなと気になっていたのだが、1号たちは「どうや、これが日本の味や」といわんばかりの威風堂々ぶりである。そういう姿を見ていると私は自分の人間としての卑屈さが出たようで少し恥ずかしい思いをした。

肉じゃがは結構好評だった。「日本では若い女性が『得意料理は肉じゃがです』と言うと家庭的な感じがして好感度アップにつながるんだよ」とダニエラに言うと「じゃあ私も勉強しなきゃ」と言っていた。2号が作った"日本の味"フルーツポンチも大好評でダニエラの女友達などから「作り方教えて」と言われており、ひとまず大成功だった。

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そういえばこんなことがあった。食べてる途中に1号がダニエラに突然「胡椒を取って」と話かけた。横で聞いていた私はあきれ気味に「あのな、ダニエラは日本語話されへんねんから『胡椒取って』は通じひんで。英語で言わな。」と言った。いくら成績は悪かった1号といえども「胡椒取って」くらいは英語に出来るだろうと思ったから、それ以上は何も言わなかった。すると1号は天井に向かってぶつぶつと何言かつぶやいている。必死に英語にしようとしているようだ。

しばらくして頭の中で回答が出てきたのだろう。

1号はダニエラに向かって「Kosshou!」と言った。

確かに非常に英語風の発音になっている。カタカナであえて記述するなら「コッショウー」とでもなるかもしれない。しかも言い終わった1号は「どや!」という顔をしている。当然ダニエラはキョトンとしている。

うーむ。

28年間1号の息子をやってきたが、正直言ってここまでひどいとは思わなかった。思い返せば1号の異常さに気づくチャンスは何度もあった。「書道教室で四文字熟語でなんか書かなあかんねん。こんなんどうやろ?」と言いながら持ってきたアイデアが「腹八分目」だったとき、「パスポートないから北海道行かれへん」と言ったとき、子供のとき肥溜めにはまった話をもとに「あれだけははまったらあかんで」と何度も何度も息子二人に聞かせていたとき、大学の友人を家に招いたらその友人に突然「私な、若いときアメリカでジェットコースターに乗ってな、あまりに怖かったからな、おしっこもらしててん」と聞きたくもない驚愕の告白を始めたとき、などなど。

「Kosshouは言い方変えても日本語のままじゃ!」と強いツッコミを入れても「ありゃ、そうかいな」と呑気な顔をしていた。

しかし言葉は通じなくても食べ終わる頃には持ち前の明るさでダニエラと仲良くなって最後はハグをしていた1号を見て正直うらやましい性格だと思った。

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教訓13

外人と仲良くなるには英語力より性格が重要

私としてもハラハラしながらもとても楽しい一夜になった。

次回(熟女シリーズ最終回)はブリスベン近郊の島モートン島で熟女がマリンスポーツにトライする。

2008-12-12

[]熟女とオーストラリア

世界には様々なゴールドコーストがあるが、オーストラリアゴールドコーストブリスベンから車で1時間ちょっとの場所にあるオーストラリア有数の観光地である。

日本人観光客も多い場所として知られており、明石家さんまなど芸能人の別荘なんかも多いらしい。

ビーチの真横に高層アパートが立ち並ぶ風景はゴールドコーストならではであり、一見の価値があるかもしれない。

ホテルからビーチまでは5分とかからない。熟女連もビーチに着くと「やっぱりきれいやねえ!」とテンションが上がってきた。

確かにゴールドコーストのビーチは距離が長いにも関わらずゴミも落ちてないし、本当に綺麗だ。

2号もビーチの砂に目をやりながら「ビーチの感じは南紀白浜とは全然違うねえ」と言っている。また「南紀白浜私のせ…」となりかけたので慌てて話を変えた。

この日は非常に風が強く、それが気持ちいい。色々なマリンスポーツをやっている人がいる。

1号と2号のツーショット。姉妹には見えない。

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オーストラリアと日本で一番違うのはビーチを歩いている人の年齢層と体型の幅広さだ。日本だと少し太っていたり、ある程度の年齢になると人前で水着になるのをためらう傾向がある。

ところがこちらでそんなことを気にしている人は全然いない。オーストラリアアメリカを越える世界一の肥満国であるが、太っていても老若男女問わず豊満な肉体を人に見せることに抵抗はないようだ。

ビーチを歩いていると70歳くらいで100キロくらいありそうな女性が水着でビーチで本を読んでたりするのを見かける。

すると1号は「いやっ、見てあの人。ごっつい体してはるわ。あれがもし日本人やったらちょっとおかしいけど、外人やったらおかしないのは不思議やな。外人は太ってても醜くないわ。」とわけの分からない理論を唱えていた。

その後私に向かって「あんた小太りやけど、日本人やから醜いわ。足も短いし、髪型も変やし。もっとシュッとできひんのかいな。なんかあんたは垢抜けへんな。」と毒づいてくる。「足短いのも髪が変なのも親のせいじゃ」と思いながらもグッとこらえた。

教訓8

おばちゃんは自分のことを棚に上げることが得意


ビーチを散歩してからはゴールドコーストの中心街で買い物。

まずはお土産屋に入った。

帽子をかぶっているのに帽子を物色する2号。

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カンガルーやらコアラやらには興味ないで」と言っていたのにカンガルーのぬいぐるみを物色する1号。

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続いてWoolworthsという豪州最大のスーパーマーケットチェーンへ。

「向こうにあるのはなんやの?」と質問をする2号。はっきり言って中国人マフィアみたいな風貌である。「こいつら全員片付けろ」と中国語で言っていてもおかしくない。何かに似ていると思ったらドラゴンボールの鶴仙人だった。

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カンガルー肉まで売ってんの!」と驚きながら肉売り場を散歩する1号。そうオーストラリアのスーパーはカンガルーの肉まで売っているのである。

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しかしやはり主婦だからかスーパーは楽しそうだ。見たこともない食材や値段の違いなどに一喜一憂している。

店内をブラブラして気がつけばスーパーの中でもナッツ類を購入している。「ナッツは食べだしたら止まらへんからな。」と2号と3号。どんだけ豆すっきやねん!

教訓9

おばちゃんはスーパーが大好き


お店を出たらパフォーマンスで銅像のように固まっているおじさんを発見。なぜか3号がやたら興味を示し、「人間か?生きてはんのか?」と言いながらも近づいて握手を求めに行った。3号以外は全員子供である。

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「握手どうやった?」と聞くと「人間やったわ」ととんちんかんな回答が返ってきた。



夕食は近くのホテルのシーフード食べ放題ビュッフェへ。牡蠣やらエビやらカニやら魚やらのシーフードがこれでもかというくらい食べられる。

「生牡蠣食べても大丈夫か?私らまだ死にたないで」と心配していた熟女連だが、おそるおそる食べてみたら美味しかったようで、最終的にはバクバク食べていた。

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教訓10

おばちゃんは長生きを望むが、目の前の欲望には勝てない

食べながらどんな話題をするのかと楽しみにしていたが、意外にも「オバマが米大統領になりそうだ」という硬い話題。3号が「世界は動いているで。人生も世界もいつも動くもんなんや。止まってたらあかん。」とまた名言をはいた。1号は難しい話が嫌いなので黙って聞いているが(たぶん本当は聞いていない)、2号が相槌を打っている。

その後3号は何を思ったか突如「ええ栗の渋抜きの仕方教えたろか?」と話題を180度転換。ここまで綺麗に「オバマと世界情勢」から「栗の渋抜き」まで話題を転換できる人物は世界広しと言えども3号以外には見当たらないだろう。

私は全く会話についていけないので無言だが、2号に目をやると「そら知らんかった」とか言いながら3号流の栗の渋抜きの方法をしっかりメモしている!会話を展開する3号もすごいが、きっちりマンマークでついていける2号の実力も侮れない!

3号は母の従姉妹なのでそれほどたくさん話したことがあるわけではなかったが、この辺りから徐々に「今回のメンバーで一番キャラが濃いのは3号なのでは…」と思い始めた。

教訓10

おばちゃんは突如話題を変える


夕食を食べて部屋に戻ると「料理の鉄人」がやっていた。もう10年くらい前の番組だと思うが、オーストラリアでは「アイアンシェフ」という番組名で放送されて人気番組になっている。ちなみに今回のテーマは「しいたけ」だった。

熟女連も「いやっ、景山民夫やん。この人亡くなりはったもんなあ」とか「英語わけわからへんけど、『しいたけ』だけは聞こえるなあ」とか興味津々な2号。

悪い顔になっている陳建一

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そんな中、1号だけはなぜか勉強していた。実は調理師の免許を取ろうとしており、オーストラリアから帰ったらすぐに試験があるらしいのだ。毒素の名前などを覚えなければならないらしく「青梅に含まれているアミグダリンという名前が全然覚えられへんねん」とぼやいている。駄洒落で覚えようとしているらしく「アミダクジが当たったよ」という風に何度も口に出しているのだが、「アミダクジ」と「青梅」がどうしてもつながらないらしく、しばらくして「青梅の毒は?」と聞くと「ええーっと、えーっと、忘れた」と全然頭に入ってない。

1号は私が小さい頃「勉強しろ」だの「塾に入れ」だのはあまり言わない放任主義だったが、私はうすうす「ひょっとしたら1号は子供の頃アホ(失礼)だったのではないか」と思っていた。自分が勉強しなかったから息子に「勉強しろ」と言えなかっただけではないのかと思っていたのだ。

この点の疑惑を晴らすべく幼少の頃より1号を知る2号に「おかんは子供の時成績よかったん?」と聞いてみた。

「姉ちゃん、成績全然あかんかったな」と期待通りの答え。うーむ、やはりそうか。

でも私は知っている。1号が基本的に非常に真面目な人間であることを。授業をさぼったり、手を抜いたりできない性格なのだ。真面目に勉強していたことは間違いないと思う。

となると「真面目に勉強していたのにアホ」という一番悲しい結論を導かざるを得ない。毎日ちゃんと学校に行って、先生の言うことを守って、勉強しているのにアホなのだ。しかし、ぶつぶつと「アミダクジが当たったよ」とつぶやいている1号を見ると、それも無理もなかろうと思うのであった。


次回は熟女連が外人と絡む。

2008-11-28

[]熟女とオーストラリア

着替えを終わった熟女連は動物園に入っていった。

来る前は「私カンガルーやらコアラやら興味ないからね」と「それを言ったらオーストラリアに何も残らないんですけど・・・」という辛らつなコメントをしていた1号・2号・3号であるが、実際に見てみるとそれなりに楽しいのではないだろうかという予感はあった。

というのも一つには私自身がそうだったからだ。実際にコアラを見る前は「あんなもん見てなにがおもろいねん、動かへん動物なんか『動物』という定義から間違ってるわ」くらいに思っていたが、見てみると意見を一変させた。非常にかわいいのだ。もしコアラが「ねえ、あのバッグ買ってよ。ねえ買ってってばー。」くらいのことを言ったら「え、いくらなの?コアラちゃんはおねだりさんだなあ」などと気持ちの悪いことを言いつつ買いかねないとすら思った。

もう一つには1号には前科があるからだ。1号は自分が犬を買う前「冬とかに犬に服着させてる人おるやろ。アホちやうか。かわいくないし犬嫌がってるやん。」と世間の小型犬愛好家を敵に回しかねないことをよく言っていた。ところが今はこのざまである。

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だから熟女連もそれなりに楽しめるのではないかと思っていたのだ。

まずは爬虫類両生類コーナー。私はこちらに来るまで全然知らなかったが、変な爬虫類両生類がたくさんいる。特にヘビについてはオーストラリアは世界最強の名を欲しいままにしている。私がシドニーで行った動物園にはこんなパネルが飾ってあった。

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世界の毒ヘビランキングのうち金銀銅はオーストラリアが独占らしい。「男子3千メートル障害におけるケニアか!」と思わずツッコミを入れてしまいたくなるような圧勝ぶりだ。

この動物園にもよく分からないのがいっぱいいた。それぞれの名前が分からない。

1号はこのトカゲみたいなのを見て「この色のセーターええやん」と言っていた。

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これは動物園のものではなくて動き回っていた野生トカゲ。

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謎。この動物は謎。1号は「恐竜?」と言っていた。恐竜は絶滅してます。

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明日生まれ変わってこれになってたらちょっと悲しい。サンショウウオみたいな感じか。

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これはメジャーなワニ。2号は「あれ作り物やろ」と疑っていたが本物です。

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ヘビに驚いたふりをする1号。このとき「恥ずかしいから早く撮って」と何度も言っていた。

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今回じゃないがシドニーにはこんな「これ、もしかしてツチノコでは・・・」と思わせる生き物もいた。

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続いてはコアラゾーン。この動物園では脇役だが、やはり異常にかわいいコアラたち。

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かわいすぎる。案の定「いやーん、かわいいわあ。でもじーっとして何考えてはんねやろ。」という1号たち。「コアラに興味ない」発言をひっくり返させたコアラ、お前の勝ちだ。

教訓4

おばちゃんは状況に応じて意見を変えることを怖れない


そして次はカンガルーゾーンへ。ここはカンガルーに自由に触れ合えるというのが一つのウリになっている。

お腹には赤ちゃんの手が出ているのが分かる。

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「暴れへん?大丈夫?」と言いながらおそるおそる近づく1号。

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微妙に距離を取りながらもカンガルーをなでなでする。今1号がまさにオーストラリアを満喫している!f:id:jinmenboku_au:20081128105636j:image

続いては餌を買って食べさせてみた。「奈良の鹿みたいなもんやね」と2号。

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世界で二番目に大きいオーストラリア独自の鳥エミューもいた。エミューオーストラリアの国鳥らしい。エミューが前にしか進めないことから「前進あるのみ」という意味が込められているようだ。

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かなり変な顔をしている。1号は「この顔よりは私の顔の方がええやろ?」と言っていたので「意見別れると思うけど、俺はさすがにおかんの方が勝ってると思うで」とヨイショしておいた。


一通り動物と触れ合ったところで、疲れてきたのでゴールドコーストの中心街へ戻ってホテルにチェックインすることにした。

「私ら寝れたらどこでもええから」という心強い発言を事前に聞いていたので私が取ったのはバックパッカーに毛の生えたような安宿。旅行会社の人には「この宿には普通日本人はあまり泊まりません。もう少しいいところに泊まります。」と言われていたのだが、「普通の日本人ではないからいいのです」と言って私が予約したのだ。だいたい寝るだけなのにいいホテルに泊まろうという考え方は私には全く理解できない。金が有り余っている石油王ならともかく庶民が無理していいホテルに泊まるというのはやめたほうがいい。

早速ホテルに入ると「あ、わりとええやん」とお褒めの言葉をいただいた。ありがとうございます。

教訓5

おばちゃんは寝られればどこでもいい

ホテルに入るとさっそく机の上にお菓子を並べて床に座る3号。

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「あんた、日本のお菓子持ってきてあげたで。こういうの、恋しいやろ。」

「どんなん?」

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「こ・・・、これはしぶすぎるんちやうか。日本にお菓子はたくさんあったのに、なんであえてコラーゲン酢こんぶやねん!」

「あんたコラーゲン酢こんぶ嫌いか?」

「いや、コラーゲン入りなんか食べたことないわ。ええ年して肌気にしてんのか。」

「ええやんか。コラーゲン。ごちゃごちゃ言わんと食べなさい。私も食べよ。」

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「酸っぱ!」

「それがええねやんか!分からん子やな。」

この後も出るわ出るわ、日本のお菓子。

しかし、なぜか全て豆類か酢こんぶ。黒豆の甘納豆やら豆入りの煎餅やらナッツやら。

以下豆をめぐる私と3号の攻防。

「お豆さんはほんまに美味しいなあ。」

「なんでそんなに豆ばっかり持ってきてんねん。しかもなんで『さん』づけやねん。」

「あんたお豆さんの美味しさが分からんようでは男としてまだまだやで。」

「俺はハッピーターンの方がええわ。20代で甘納豆好きって渋すぎるやろ。」

「あんた、お豆さんのこと全然わかってへんな。」

「友達か!」

コーヒー飲みながらナッツ食べてみ。最高やで。あれは出会いや。豆同士の。」

「な、なに、その名言。しかもなんで倒置法やねん。ちょっとうまいし。」

教訓6

おばちゃんは豆を好む。しかもなぜか『お豆さん』と敬意を込めて「さん」づけされている。

教訓7

おばちゃんはたまに名言をはく。

続いては熟女連がゴールドコーストのビーチを歩く。

2008-11-24

[]熟女とオーストラリア

私がオーストラリアに来る直前の3月に母親と弟とどこかに旅行しようかということになった。

私と弟は関東に住んでいて母親が大阪だったので「間の静岡あたりでいいんじゃない」とか「北陸とかもいいかも」という話をしていた。

私はせっかく行くならもう少し遠いところの方がよいだろうと思って「北海道はどう?」と母親に聞いた。

すると母親は

「いやっ、あかんあかん!私パスポートあらへんから北海道はあかんわ!」

と真顔で言う。

私の母親は時々こういった変なことを言うのだ。

私は怒りをこらえながら

「母さん、ずっと隠していただんだけど北海道は実は日本なんだ。日本国民日本国内を旅行するときはパスポートいらないって偉い人が決めたんだ。だからパスポートがなくても北海道に行けるんだよ。」

と教えてあげた。

「へー、パスポートは飛行機乗るときに見せるもんとちゃうの?あんたのおかげでまた一つ勉強になったわ。さすがに大卒はちゃうねえ。」

と高卒の母親は感心していた。

・・・というか二年前も弟と三人で台湾行ったからパスポート持ってるやんけ!と別の怒りがこみ上げてきたが、ニコニコしていい息子を演じていた。


そんな脅威の世界観を持ち合わせた母親がオーストラリアに遊びに来た。


もちろん一人で来れるはずはないので、親戚3人と一緒である。メンバー紹介をしよう。

母(還暦越え、関西から出るのは年に一回程度)−1号と呼ぶ

母の妹(還暦越え、海外旅行経験豊富)−2号と呼ぶ

母の従姉妹(還暦越え、今回最年長)−3号と呼ぶ

従姉妹(還暦前、最年少にして引率役)−4号と呼ぶ

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4号には失礼だが全員合わせて熟女連と呼びたい。


迎え撃つオーストラリア側は

私(還暦前、本人)

ただ一人。

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もうこの髪型ではないが…。

勝てる見込みゼロ。


母親がオーストラリア有数の観光地であるゴールドコーストの空港に着いたのは11月1日土曜日の朝6時。関空から8時間ほどのフライトだ。

ブリスベンからゴールドコーストまでは車で1時間ちょっとなのだが、到着が早いので前日はゴールドコーストバックパッカー宿に宿泊。何かの間違いか相部屋が全員女子で非常に気まずい。

久々に母親に会う喜びなのか、これからの一週間を考えた恐怖なのか、相部屋の女子が気になっているからなのか、なぜかは分からないがあまり寝れないまま朝を迎えた。

ゴールドコースト空港はブリスベン空港に比べるとこじんまりした地方空港といった感じで、規模的には米子空港レベル(行ったことないけど)。


6時過ぎになると到着ゲートから母親一行が出てきた。

日本で11月といえばもう寒くなってくる時期だから当たり前だが、長袖を着ていて暑そうだ。

「久しぶり」

「元気?」

「はあ、おかげさまで」

といったありきたりの会話をしたところで、車でゴールドコーストの中心地へ。

とはいえ朝早すぎてまだお店も何も開いてない。

そこで仕方なく閉まっている土産物屋をウィンドウ越しに見ていたら、2号が

「いやっ、このお土産、南紀白浜でも見たことあるわー。同じやねー。」

南海電車感があふれる一言。

南紀白浜、私の青春やねん」と深入りしない方が良さそうな発言も飛び出した。

そういえば1号こと私の母親もかつて一緒に台湾に行ったときに、世界三大博物館と言われる故宮博物院で値段もつかないような世界的な宝物を見ながら

「これ、もうちょっと取っ手の形が違ってたらコーヒー飲みやすそうやね」

と百均と勘違いしているのではないだろうかというような一言を発していた。

教訓1

おばちゃんはどんなものでも身近なものと関連させるのが得意である。

8時ごろになるとお店が開き出したので、適当なカフェに入って朝食を食べた。

普通海外で一発目の食事は緊張する。美味しいのか美味しくないのか、それ次第で今後の旅行期間の楽しみが決定されるような気がするからだ。


注文したのはサンドイッチとコーヒー。まあ無難な組み合わせである。熟女連を見ると恐る恐る一口目を食べている。どうやら合格だったようだ。

「まあまあ、ええやないの」

私はあまりパンもコーヒーも好きではないので、あまり食べないでいると、3号から

「あんた、もっと食べや。」

と指示が入った。

「いや、あんまりパンとコーヒー好きちやうねん。パンなんか生まれてこの方自発的に食べたいと思ったことは一回もないくらい。米か麺の方がええねん。コーヒーは飲みなれてないから、ついカフェインで気持ちが悪くなってしまうねん。だから俺はええねん。」

「変わった子やな!パン美味しいのに。なぁ!」(と1号に同意を求める)

「そうやん、この子変わってんねん。パン食べへんねん。美味しいのになあ。」

教訓2

おばちゃんは自分の好きなものは全員好きであるべきだと思っている。


朝食を済ませて、まずはベタなところが良かろうと思い、ゴールドコースト近くの「カランビン・ワールドライフサンクチュアリ」という動物園に行くことにした。

この動物園の前には週末には生鮮食材の市が出ていて、まずはそこで買い物。基本的には主婦なので果物や野菜を見ていると楽しそうだ。

「これ、日本より安いね」とか「この野菜見たことないわ」とかワイワイ言っている。

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ところが長袖だとあまりにも暑くなってきたらしい。

「もう我慢できひん」と言い出して、車の陰へ移動。

どうするのかと思ったらおもむろに着替えだしたではないか。

いや、まあ別にいいんだけど、一応野外だということは言っておきたい。

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半袖になってすっきりした熟女連。

教訓3

おばちゃんは自分の着替えが社会的に価値の高くないものだと知っている。

動物園は次回に続く。

2008-11-03

[]私と大人と金融危機

「大人を感じるのはどんなときか?」という質問があれば色々な答えがあるだろう。

私が「俺、何気にもうおっさんやな…」と思うのはこんなときだ。

「同い年のプロ野球選手を見たとき」

「苦いもの食べて『ウマい』とか言ってるとき」

「『ビールを飲みたい』と思ったとき」

オリコンチャートを見ても全部知らない曲だったとき」

「借りたAV女優が年下だったとき」

などなど。

その中にもう一つ付け加えたいのが「金融危機の影響を受けたとき」だ。

バブルの真っ只中のとき私はまだ小さく何の影響もなかった。バブルが崩壊しても何の影響もなかった。バブル期で唯一覚えているのはブロードキャスターの「お父さんのためのワイドショー講座」を見ていたら、派手なボディコンのお姉ちゃんが東京で踊り狂っているというニュースが出てきたことくらいだ。大人には関係あったかもしれないが、子供にバブルは関係なかった。そもそもカマキリをつかまえたり、ビー玉を転がしたりという遊びはほとんどお金がかからなかったから、経済とは関係ない世界で生きていた。年齢を重ねるにつれて「ファミコン」などお金を必要とする遊びが周囲には増えてきたが、私は貧乏で買ってももらえなかったので、かなりの年齢になるまではお金がかかる遊びとは無縁だった。

最近また世の中の大人が口を開けば金融危機金融危機と言っている。しかし私には全然実感がなかった。アメリカ投資銀行が潰れても、ヨーロッパの銀行が国有化されても、私の生活には全く変化はないからだ。これまでと同じように朝眠たいのを我慢して起き、会社に行き、机の前で目を閉じて時間が流れるのを待ち、ご飯を食べて、家に帰って、寝る、という生活スタイルは金融危機程度のことでは変えられない。「え?金融危機?株安?円高?どうでもええんじゃ!俺にとっては泰葉記者会見の方が大事なんじゃ!この金髪豚野郎が!」と言いながら泰葉を見て「この人大丈夫だろうか」と胸を痛めていたのは私だけではないと思う。

D

そもそも日経新聞やらロイターに出てくる単語が難しすぎて訳分からない。先日のロイターにこんな見出しが出ていた。

米FRBがMMFへの流動性供給策、CP買い取りSPVに融資

全く理解できない。同じ日本語とは思えない。これが分かる人はどれくらいいるのだろうか?勝手な予想だが書いている記者も本当は「分かって」ないと思う。なんとなく雰囲気で書いているのだ。

大前研一が「マルチプル経済」という概念を唱えていたが、確かに金融が実態経済の何倍にも膨らんだために、金融の最前線で働いている人間以外には想像が出来ない世界になっている。だから私には分からなくて当たり前なのだ。私にとって日々の生活上重要なのは別に金融危機ではなく、「あっそろそろ洗剤買わんとあかん」であり、「このカップラーメン意外と麺少ないな」であり、「リアディゾンマジかよ」なのである。

ところが最近になって私とは関係ないと思っていた金融危機が徐々に足元を侵食しだした。この辺り年齢を感じずにはいられない。

いくつか影響があった。

■株安

去年勉強のために株でも買ってみるかと思い立ち、某大手商社株式を買ってみた。そうすると短期間の間にドンと値段が上がり、あぶく銭を手に入れることが出来た。今考えれば単なるビギナーズラックなのだが、勘違いしやすい私は「株の才能に恵まれた天才なのかもしれない」と思い出し、次々と某商社株を買い増し。そうすると徐々に徐々に下がりだし、株への興味も段々失っていった。世の中で「株安株安」だと騒がれているので、久しぶりに見てみたら、購入価格の3分の1くらいになっていた。結構大金で買っていたのでこれはかなりの損失額。当分塩漬けしておくしかなさそうだ。天才にもミスはある。

↓某商社株価

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このままでは悔しい。そこで先日「さすがに今が底なのだろう」と判断し、外資系金融機関に勤める友人に「株を買い増ししようと思う」と相談してみた。「やめた方がいいんじゃない」と言われたが、天才の勘を信じてまた買ってみた。するとそこからまた下がる下がる。一気にバブル最安値を更新してしまった。いらんことをしてしまった。

昨日と何にも生活が変わらないのにあんなに株価が下がる理屈が全く理解できないが、100万以上含み損を抱えて得たものは「私は天才じゃなかった」という事実の認識だけである。

■円高豪ドル安

株は余剰資金でやっているから別になくなっても困りはしないのだが、日々の生活に影響するのが為替レートである。

私が豪州に来た半年ほど前はほぼ1豪ドル=100円だった。だから物価の計算は非常に楽だった。全部100かければいいのだから。ただ印象は「物価が高い」というもの。「えっ、コーラの小さいペットボトルが350円もするの!?」「なにこの味気ない昼食が1300円!?」みたいな感じで、感覚的には日本の1.5倍くらい高いというイメージだった。

ところがこの一ヶ月で為替レートが急変。豪州ドルは富士急ハイランドのジェットコースターのような勢いで落下していった。何が原因かはよく分からないが、先々週の金曜日は1豪州ドル=55円まで安くなった。ピークのほぼ半額である。

↓豪ドルの変動。

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こうなると一気に物価の感覚が変わってしまう。急にリーズナブルな物価の国になった。スーパー行っても、これまでは逐一物価に驚いていたが、最近は「まあ、これくらいならいいかな」という感じがする。

給料も円でもらうため為替レートの急変は事実上の昇給だ。私も初めは「円高さまさま」と思っていた。しかしよくよく考えてみるといいことばかりでもない。

豪ドルの貯金が一気に目減りしてしまったのだ。私は円でもらった給料を金利のいい豪ドルにして銀行に預けていたのだが、貯金の額が半減してしまったことになる。豪州に長くいるのであれば、レートなど気にせず、銀行に預け続けておけばいいのだが、私はいつか日本に帰る身。私が円をドルに変えたのは1ドル90円前後だったのに、今変えたら65円くらいになってしまう。90円で買った豪ドルが今は65円でしか売れないのだ。一気に3割も減ってしまった。

ただ円高は日本人観光客にとっては朗報だ。日本人にとっては遊びに来やすい国になった。年末年始の休みを考えている人はオーストラリアを候補にしてもよいのではないだろうか。

トータルで見たら私は地味に今回の金融危機とやらで結構な額の損失を出しているようだ。皆さんも自分が大人かどうかの指標として金融危機を使ってみてはどうだろうか。

2008-10-21

[]センスのいいおみやげはあるか?

「両雄並び立たず」という言葉がある。優れた英雄が二人現われればどちらかが必ず倒れるということだ。まず真っ先に思い浮かぶ代表的な例は項羽と劉邦だろう。日本でも源頼朝源義経足利尊氏新田義貞徳川家康石田三成などが思い当たる。

近現代に入っても小川直也橋本真也高田延彦ヒクソン・グレイシー大仁田厚ミスター・ポーゴなど二人の英雄が両立した試しはない。

二つのものが相容れないのは人間だけではない。言葉もそうである。

例えば「ジャズ」と「漬物」はどうも相性がよくない。両者が共存しているイメージが一切湧かないのだ。

こういうのはたくさんある。「おかん」と「複素数」も合わないし、「金融危機」と「群馬」も合わない。「競艇」と「ふわモテヘア」というのも合わない。「オーストラリア」と「侘び寂び」も全然合わない。

ただ今回私が問題にしたいのは「センス」と「おみやげ」である。

みうらじゅんが誰がこんなものを買うわけ?と思わせる土産を「いやげもの」と呼んでいるが、そもそもお土産は90%以上「いやげもの」ではないだろうか?センスのいいお土産などほとんどもらったことがない。

スイーツ」という言葉が一部で「スイーツ(笑)」に変化したように、「お土産」も今度から「お土産(苦笑)」と変えた方がいいかもしれない。それくらい微妙な立ち位置にある。

だから結局日本では無難に食べ物を選んでしまう。各地の名産の食べ物(お菓子の詰め合わせみたいなの)であればよほど変なものでない限り嫌がられはしないだろう。

日本は食べ物のバラエティが豊富だ。ラーメンという一種類の食べ物だけでも、北海道の味噌ラーメン九州のトンコツラーメン喜多方ラーメン和歌山ラーメン、佐野ラーメン尾道ラーメン徳島ラーメン京都ラーメン・・・ときりがない。北海道なんかさらに札幌ラーメン旭川ラーメン函館ラーメンと細分化できる。さらにラーメン以外の食べ物ももちろん地域差がある。だから旅行に行く大きな楽しみの一つは食事になるのだ。

しかしオーストラリアはこの点が日本と違う。各地の名産の食べ物というのがほとんどないのだ。シドニーにいてもメルボルンにいてもブリスベンにいてもゴールドコーストにいてもパースにいても基本的に食べられるものは大きく変わらない。ステーキかシーフードかサンドイッチかそんなもんだ(ただ誤解ないように言うと美味しい)。

だから旅行の際に食事を楽しみにすることがほとんどない。日本人の感覚だと「国内旅行−食事−温泉=無」という式が成り立っているので、食事も温泉もなければ何をするのだと思うが、こちらではビーチでのんびりしたり山奥でキャンプをしたりといった自然を楽しむことが主流なのだ。

だからオーストラリアでは食べ物をお土産にするのは適していない。

また食べ物以外もあまり地域差を感じられない。日本では皿の焼き方一つをとっても信楽焼やら備前焼やら有田焼やら言っているのとは状況が違う。どこの街もそんなに変わらない。(こっちで地域差を感じるのはビールくらい。ビールタスマニアのものとか西オーストラリアのものとか色々ある。)

そうなるとどこかに行ったときに魅力的なお土産が見当たらない。だからオーストラリアの場合国内旅行とお土産が結びつかない。あまりどこかに行ったときにお土産を渡す風習もなさそうだ。

では海外から来た場合はどうだろうか。お土産屋専門店に行っていいものを探してみたところ、結構いいものが売っていたので紹介したい。

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このTシャツはどうだろう。ちなみにこのデザインのTシャツはシドニーに行けば「I LOVE SYDNEY」になるし、パースに行けば「I LOVE PERTH」になるという全く地元特有感を感じられない一枚になっている。こういうのが売っている割りには街で一番見かけるのは「I LOVE NY」だからさらに訳が分からない。寝巻きにするには最適な一枚。

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オーストラリア最大のスターといえばニコールキッドマンでもカイリー・ミノーグでもなく、コアラカンガルーであるのは間違いない。オーストラリア観光産業の半分はこの愛らしい二つの動物に依存していると言っても過言ではない。だからぬいぐるみのようなものだけではなくマグカップやらキーホルダーやらバッグやら色々なところに顔を出してくる。私もこちらに来るまでは「何がコアラじゃ。俺のほうが可愛いわ」くらいに思っていたが、生で見たところ完敗を実感した。残念ながらおそらく私より可愛い。あの可愛さに勝てるのは豆柴と長澤まさみくらいしか思いつかない。

そんな可愛いコアラチョコレートとして頬張れるなんてそうそうあることではない。モグモグしていると口の中で溶けていくコアラを堪能できるオーストラリアらしさを満喫できるお菓子。

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国旗物も多い。非常にシンプルにオーストラリアを訴えかけてくる。世の中に何百種類もマウスパッドがあっただろうに、なぜ豪州国旗のものを買ったの?と聞かれて答えに窮すること必至。ただ「私は海外旅行でオーストラリアに行ったんですよ!断じて他の国ではありません!」と周囲に訴えかける嫌味なほどのアピール感は何者にも代え難い。

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私が見た中で一番欲しかったのはこのオージー美女カレンダーである。中は毎月違う水着のオージー美女がこちらを見て微笑んでいる。ちなみに3月がよかった。毎月20日くらいになれば飽きてくることが予想されるので1日までは我慢の日々が続く。同じく美男子版もあるので女子や男子なのに男子好きという人にも楽しむことが出来るオールマイティなカレンダーである。

どうやらオーストラリアでは「お土産」と「センス」という言葉が奇跡的に両立されているようだ。

2008-10-18

[]トイレから孤独を解消できるか?

身近でありながらも最も謎に包まれた場所はトイレだろう。一番プライベートな空間といえる。

風呂などもプライベートな空間であるが、日本には銭湯というものがあるので、人の入浴シーンを見るのはそれほど難しいことではない。もちろん異性の入浴シーンというのは見たことないので知らないが、おそらく男性も女性もそれほど入浴スタイルは大きく変わらないと思う(何か特殊なことがあるのであれば教えてください)。

しかしトイレは違う。人がう○こをしているところを見たことがあるだろうか?よほど特殊な場合を除いてないのではないだろうか。私は父親が扉を開けたままう○こをしていたのをみたことはあるのと、何回か友人のう○こシーンを見たことがあるが、基本的に全て特殊要因下におけるハプニング的なこと(我慢できずに野外でもらすとか)である。

だから大人になっても自分のトイレのやり方が世の中と一致しているかどうかは全然分からない。ひょっとしたら自分以外は全然違うやり方をしているかもしれないのだ。

これほど人生は孤独だと思わされるエピソードはない。自分はたくさんの人に囲まれて生活をしていて、孤独を感じることなどほとんどない。心が通じ合っていると思える友人、家族、恋人がいる人もいるだろう。しかし、実態はどうだろうか。トイレのやり方一つをとっても誰とも共有できていないのだ。トイレのやり方も共有できていないのに心のように抽象度の高いものを他者と共有できるものだろうか。明らかに難しいと言わざるを得ない。つまり我々は生まれてから死ぬまで孤独なままなのだ。結局他者のことなど何一つ分からないまま死んでいくのだ。宇宙で一人ぼっちなのだ。

しかし、この事態はあまりにもさびしい。地上に生を受けて誰とも何も共有せずに死んでいく。それに対して少しでも反旗を翻したい。他者と何かを共有したい。私は普段そんなセンチメンタルなことは一切思わないタイプなのだが、オーストラリアで孤独な生活を送っているためか、そんならしくないことを考えたのかもしれない。

そこで恥ずかしながら自分のトイレスタイルを公開することにした。しかし公開すると言ってもダラダラトイレの順番を書いても仕方ない。ポイントを絞りたいと思う。

私は経験上男子のトイレには以下の5つの問題があるような気がする。

  1. 小をするときに座ってやるか立ってやるか
  2. 大をしたとき前から拭くか後ろから拭くか
  3. 大を拭くとき、紙は畳むかくしゃくしゃか
  4. トイレが終わったあと手を洗うか
  5. 服を脱ぐかどうか

この5つだけでも単純に考えても2の5乗で32通りのトイレ方法があるということになる。他にもポイントがあるだろうから、世の中には無数のトイレの方法があるということになる。

そこでまずそれぞれの論点について考えてみたい。

最初の「小をするときに座ってやるか立ってやるか」というのは最近色々なところで取り上げられている熱いトピックだ。男は「立ッション」というのがここ数十年の日本の常識だった。しかし最近勢力を拡大してきているのが、俗に「すわり小便」とか「座りション」と言われるスタイルである。便座の汚れを防げるし、肉体的にも座っているほうが楽だから、という理由でこのスタイルを取る男性が増えているらしい。何を隠そう私も積極推進派の一人である。誰も知りたくないと思うが勝手に話すと、私は中学生ぐらいのときからこのスタイルを取っている。もはやベテランの域に達していると言ってもいいだろう。先駆者の一人と言っても過言ではない。そもそものきっかけはやはり小便中の自分との気まずさに耐えかねて、本を持ち込んだことがきっかけである。しかし本を読むためには座らなければならない。それがやみつきになり、その後はよほど緊急のときを除いて座ってやるようにしている。今のところ立ってやるメリットが一つも思い浮かばないのだが、まだまだこのスタイルは普及しているとは言いがたく座ってやるのは少数派のようだ。

続いて「大をしたとき前から拭くか後ろから拭くか」という問題がある。私は正直言って、こんな問題が存在するとは一切考えていなかった。私は後ろから拭くのだが、前から拭く人が存在するとは夢にも思わなかったからだ。ところが大学時代に孤独に耐えかねて何気なく友人にトイレの話をしたときに、前から拭く派が一定数存在することが分かって非常に驚いた。私が後ろから拭く理由は単純明快である。前から拭くと手が男性器に当たってしまう可能性があるからだ。大体、う○こをするときは、小便も一緒にすることが多い。ということは手がそこに当たってしまうと小便がついてしまうことになりかねない。後ろから拭けばそういったリスクは一切ない。何の気兼ねもなく「拭く」という行為に集中することが出来る。なぜ前から拭く派が存在しているのだろう。前から拭くメリットは何かあるのだろうか。私には一つも思い浮かばない。前から拭くというスタイルの人はなぜこんなリスクの高い方法を取るのか教えて欲しい。

大を拭くとき、紙は畳むかくしゃくしゃか。これも非常に難しい問題である。私の家では母親と私がくしゃくしゃ派、父親と弟が畳む派だった。家族を二分していた問題である。私の両親は子供のころからこの点でずっと喧嘩をしており、最終的に離婚したのだが、原因はこの点で合意できなかったからといっても過言ではない。母親の最後の言葉は「紙はくしゃくしゃにしても家族はくしゃくしゃにしたくなかった」だった。私はくしゃくしゃの方が厚みが大きくなると考えいてる。厚みを極力大きくすることでう○こが指についてしまうというリスクを最小限に留める効果があるのではないかと思っている。(上でも述べたようにトイレにおいてリスクを管理するというのは一番基本となる重要な考え方である。)きちんと畳むという弟に理由を聞いてみたところ、「くしゃくしゃだと紙に穴が開いて手につきそう」と言っていたが、これは全く事情を知らない素人の意見である。実はくしゃくしゃにすることで少ない枚数でも厚みを作ることができるのだ。リスク管理という観点からはくしゃくしゃにするという方が圧倒的に有利なことが分かるだろう。エコの観点からも同じことが言える。地球温暖化などの環境問題が騒がれる昨今、くしゃくしゃに畳んで少ない枚数で処理を行うという行為が求められているのではないだろうか。未来の子供たちのためにも今求められているのはくしゃくしゃ派である。

そして「トイレが終わったあと手を洗うか」という問題。女子トイレの現状は全く分からないが、男子トイレでは手を洗う人は半数以下なのではないだろうか。女子の皆さんは全く知らないだろうが、駅の便所などでは中年以上の男性はほとんど手を洗わない。「手を洗ったら負け」という空気すら流れている。洗ったとしても手を水に浸す程度でガシャガシャしているわけではない。私も子供の頃は全く洗わなかったが、中学生くらいから段々周囲の視線が気になりはじめて手を洗うようになってきた。そもそも以前は「手を洗う」という行為が面倒だったため、トイレに限らず外出から帰って来ても「手を洗う」ということはしなかった。私は体が比較的丈夫なのは幼少のころにどれだけ手で泥をつかんでも洗わなかったことがいい結果を生んだのではないかと思っている。免疫が強くなったということだ。このサイトを見る限り「手を洗わない」ということに大して女子は大きな抵抗があるようだし(ベストアンサーに選ばれた回答は秀逸だが、なぜこの回答が選ばれたのだろう)、私も今は洗うようにしているが、実際のところどうなのだろう。案外女子トイレでも手を洗わない人はいないのだろうか。

最後は「服を脱ぐかどうか」という問題。たまに全裸にならないとトイレが出来ないという謎のスタイルを見かけることがある。服を脱がないと落ち着かないらしいのだ。私はこういうタイプの人に会ったことがないので深く理由を聞いたことがない。ちなみに私は服は脱がない。これについては選択肢の中に入ったこともない。

そこでもっぱら興味がわくのはオーストラリアはどうなのだという点である。

まず容易に確認できるのは「手を洗うかどうか」である。これは日本と同じ状況のような気がする。おっさんの半分は洗わないのではないだろうか。若者は比較的洗う。これは鏡で髪の毛をいじったりするということを影響しているだろう。

しかし、これだけ前振りをしておいてなんだが、他の点については全く共有できていない。孤独を避けるためにも聞いてみようと思うのだが、変態だと思われたらどうしようという恐怖から聞くに聞けない。

英語の会話が主流のときは基本的に黙っていることが多いので、突然口を開いて「・・・。ところで、トイレでう○こをしたとき、紙を畳みますか?」と聞こうものなら、日本人のイメージを落とすことにもなりかねない。「孤独がいやだから聞いたんです」と理由を説明しても納得してもらえそうにはない。パンツのほうが聞きやすかった。

最近はこのことが気になって、いつもトイレの話題を出すタイミングをうかがっているのだが、なかなか訪れない。というわけでオーストラリアのトイレスタイルはいまだに謎につつまれている。帰国までには解明したいと考えている。何かいい話題の展開があれば教えていただきたい。

2008-10-09

[]生きています

最近更新をしていなかったので「死んだという記事が東スポに出ていましたよ」とか「空気を読めるようになったんですね」みたいな失礼な問い合わせをもらったが、残念ながらまだしぶとく生存している。申し訳ない。

理由は色々ある。

  1. 書くネタがなくなった
  2. しばらく忙しくてドタバタしていた
  3. ずっとう○こがもれていてブログの更新どころではななかった
  4. 右腕がちぎれたので再生するのを待っていた
  5. 日本に一時帰国して皇居に裸で乱入していた

などなど。

しかし、とりあえず死んではない。低空飛行ではあるが生きている。

このブログも引き続き更新を続けていくが、「長くて読む気がしない」とか「量が多い」とか「前振りがうざい」とか「無理やりオーストラリアと結び付けてるのが悲しい」とか「話がオヤジっぽくてイヤだ」とか「マンガの話ばっかじゃん」とか色々ご批評をいただいたので、短いものや時事性のあるものも増やしていこうと思う。

別に誰に断る必要があるわけでもないのだが・・・。

2008-09-14

[]現状の報告と今後の方針について相談

もうさすがに限界かなと思っている。私もよく我慢したほうだ。以前の私ならここまで耐えることは出来なかった。もっと早く手を打っていただろう。しかし、いろんな事情や思惑があって、ここまで放置した。ここでやめにすることを決めた。

もちろん、迷いが全くないかといえばそうでもない。本当に私の決断は正しいのだろうかと毎日悩んでいる。ご飯も喉を通らず、夜も眠れない。一つの決断にこれほど悩んだのは生まれて初めてである。

そこで皆さんの意見が欲しいと思った。自分一人で決めれないのかと批判を浴びることは分かっている。弱い人間だという意見は甘んじて受け入れるつもりだ。しかし、それよりも素直に現状について語って、今後の対策について考えたいと思ったのだ。それが素直な気持ちである。

まずは現状をありのままに報告したい。

まず正面から。まだ比較的そのインパクトは少ない。

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右側から。徐々にその破壊力が現われてくる。

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左側から。耳付近は髪の毛がいろんな方向に向かっていて、統一感が全くない。

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後ろから。はっきり言ってこの写真はかなりすごいと思う。自画自賛である。

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円を重ねてみると本当に綺麗な円状になっていることが分かる。

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そして上から。非常に変な形である。上から頭を見てこんな形になっている人は他にもいるのだろうか(反語。「いや、いない」)。

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もうほとんどアフロ田中の域である。もともと田中はいろんな面が似ていると思っていたが、髪の毛も近づいている。

中退アフロ田中 10 (10) (ビッグコミックス)

中退アフロ田中 10 (10) (ビッグコミックス)

最近もらったコメントは下記のようなものだ。

アフリカン・ジャパニーズなの?」(豪州人)

「一応それも『髪』っていうカテゴリーなのかな?」(日本人)

「私の人生にあなたの髪型は特に関係ないから、別に構わないわ。」(豪州人)

「いいエンターテイメントだと思うよ。」(豪州人)

「非常に興味深い研究対象だ」(日本人)

ただ髪を伸ばしたことで「風に髪がなびくという感覚」や「手で髪をかきあげるという仕草」くらいは出来るようになった。確かに風が吹いても私の髪はほぼ動かないし、かきあげる動作が必要なほと髪も伸びていないのだが、雰囲気がつかめただけでも十分である。これまで出来ないことができるようになったのだ。もう一区切りつけてもいいのではないだろうか。

日常生活上の不便さも出てきそうだ。いかに不審者じゃないかということを説明しても理解してもらえなさそうだ。飛行機に乗るときは何か隠してないかチェックされるかもしれない。

ここまでの長さになったことはなかった。毎日が新記録である。つまり日々新しい自分との出会いである。しばらく前までは明日の自分はどんな自分だろうと思うと、それだけで楽しかった。しかし最近は違う。新しい自分が怖いのだ。やりすぎじゃないかと不安になってくる。もうこの辺りでお別れするのがいいかもしれない。

ここまでの道のりはほぼ4ヶ月。

一方で情もわきつつある。オーストラリアに来てずっと一緒にやってきて、切り捨ててしまうことへの抵抗感もある。

髪の毛という新しいパートナーを見つけた今、私の頭の中をこの歌がリフレインして止まらないのも事実だ。

D

遠かった 怖かった でも 時に素晴らしい夜もあった

笑顔もあった どうしようもない 風に吹かれて

生きてる今 これでもまだ 悪くはないよね

このビデオを見て歌詞をかみしめていると、やはりもっと一緒にいるべきじゃないかという気持ちにもなってくる。

悩んでいる。このパートナーとの生きる道を。

だから、意見が欲しい。私の今後の進む道について。

2008-09-07

[]私の寿司作り

先日日本でも「Sex and the City」が公開されたらしいが、見た人はいるだろうか。

私はオーストラリアでの公開間もないときに(もう2ヶ月以上前だが)、一人で見に行った。本当はインディ・ジョーンズを見たかったのだが、その日はインディがやってないと言われて、一番上映時間が近い「Sex and the City」を見ることにしたのだ。映画の内容から考えても当然客の大半は女性である。もしくはカップルである。アジアの島国で生まれたおっさんがオーストラリアに来て一人で「Sex and the City」を見ているというのは変態に限りなく近い気がするし、実際思いっきり浮いていたが仕方ない。ストーリーはシンプルなので英語についていけなくてもなんとなく分かる。もちろんこれまでのドラマを見ていなかったし、英語特有の細かいジョークなどはいまいち分からないところがあったのだが、思ったより楽しめたことは間違いない。

その映画の中に日本のものが二つ出てくる。「日清カップヌードル」と「寿司」である。特に寿司の登場の仕方は爆笑物なのだが、この二つがアメリカにいかに浸透しているかが分かって面白い。

オーストラリアでも特に寿司の人気は非常に高い。大きな街であれば"Sushi train"と呼ばれる回転寿司屋は何軒かある。私もなかなか勇気を出して行けていないのだが、ブリスベンにもヤバそうなSushi trainが5軒以上はある。こちらの人はサーモンとせいぜいマグロを除いたら生魚は食べないので、アボカドやツナマヨ、チキンカツなどの巻き寿司が多い。

私も「日本人です」と言うと「アイ ラブ スシ、フー!」と言われて、よく分からないまま「フー!」と言い返していることも多い。まあそれだけ有名だということだ。特にヘルシー志向の若い女性は頻繁に食べている。

そこで先日同居のNZ女性に「あんたも日本人なら寿司の一つくらい作ってよ」と言われたので、生まれて初めて寿司作りにチャレンジしてみた。

ところがやったことがないものだから、何から初めていいか分からない。このNZ人は行動派なので「とりあえず買い物行ってから考えましょ」と言う。しかし普通のスーパーに寿司作りに必要な食材や器具があるとは思えない。

そこでまずやってきたのは海外のアジア人最強の味方「チャイナタウン」である。これほど力強い味方はそうそういない。幸いにもチャイナタウンは私の家の近くにあり、そこにはアジア向け食材が売っているお店もある。餅やカップラーメンなど日本の食材もたくさん置いてある。

まずはそこで米と海苔、酢、しょうゆ、わさび、紅生姜を購入。紅生姜なんかいらんだろ、と思っていたが、NZ人に「これがないと寿司とは言えないわ、あんたそれでも日本人?」と言われ、つい購入。うーむ、彼女にとって紅生姜が美味しいというのは意外だ。

また器具類も必要だ。まきすがないとどうしようもない。さすが寿司作りにチャレンジする人は多いらしく、ちゃんとまきすも置いてある。

作り方がわからないので母親に電話して聞いてみたところ、これだけあればとりあえずなんとかなりそうだ。

続いて普通のスーパーのWoolworthsに行って具となる食材を購入。アボカド、サーモン、ツナ、キューピーマヨネーズ、チキン、むきエビ、きゅうりを購入。これが購入したもの全部だ。

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家に帰ってまずはお米の準備。使ったのはこのお米。

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オーストラリア米だと思うが、見た目は結構美味しそうだ。お米をといでいると、そんな何回も必要なのかと言われるが、ここは日本人として「お米は洗わなければならないのだ」と強く主張して認めてもらう。

それを炊飯器に入れる。これは私が日本から持ってきた炊飯器なのだが、実は今回がはじめての使用である。

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お米を水を入れ電源を入れてみた。・・・しかし全く動かない・・・。何回チャレンジしてみてもダメだ。どうやら電圧問題が再燃したようだ。今回は前回の反省を踏まえちゃんと電圧変換器具を使っているのだが、安物のためかうまく電気が伝わらず結局使えない。「日本の電化製品は使えないわね」とダメだしを受ける。うっ、使ってるパソコンはTOSHIBAのくせに・・・。

始まって間もないところでいきなり問題勃発。というわけで鍋登場。水とお米の分量はそのままである。鍋でお米を炊いたことはないが、適応に加減見ていけば大丈夫だろう。そこで彼女がもっと水入れた方がいいんじゃない、と指示をしてくる。彼女は「そこまで水を入れたらおかゆだろ」と言うくらいの分量を指示してくる。たぶんお米の水加減に敏感なのはアジア人の特性かもしれない。彼女は「どうせなのだから水なんかどばっと入れちゃいなさいよ。男でしょ」くらいの感覚である。うーむ、米を炊く水の分量に男を見出すとは文化の差を感じる。

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BGMも日本風のものが良かろうと中島みゆき「時代」をかけると、「・・・暗いね。もっと踊れる曲ないの?」とダメだしが入った。日本人は踊りながら寿司を作らないことを力説したものの確かに少し暗いので、kaleidoscopioに変えるとテンション上がりだす。寿司には合わん気がするが背に腹は変えられない。

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その間に具の準備。スウェーデン男も帰ってきて3人の作業だ。チキンを焼いたり、エビを解凍したり、ツナとマヨネーズと玉ねぎを混ぜ合わせたり、きゅうりやアボカドを切ったり。

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そして数分立つとご飯が炊き上がったので、しばらく冷ましたあと、いよいよ海苔と一緒に巻いてみる。最初は「あんた日本人なんだから巻き方教えてよ」と言っていたのだが、私もやり方がわからない。何本か作っているうちに、彼女が段々慣れて上達してきたらしく「この海苔あんまり質が良くないわね」とか「(私に対して)あんたそうじゃないわよ、巻き方下手ね」とかダメだしが入る。

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私がエビとチキンを一緒に入れて巻こうとすると二人が「いやいやいや、さすがにその組み合わせはないやろ。タンパク質タンパク質やん」と突っ込んでくる。・・・。日本人の肩書き台無しである。

そんなこんなでいよいよ完成。

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ちょっとツナが多目なのは否めないが、初めてにしては綺麗に巻けていると思う。

食べてみると、これがうまい!実に美味しい!

彼らも「今まで食べた寿司で一番美味しい」と言っている。「何回食べたことあんねん!」と突っ込みを入れたくなったが、それはさておき確かに成功と言えるだろう。

思えばダメだしばかり受けてしまったが、とりあえず彼らのおかげで寿司作りには成功した。今回教訓として得たのは「チャイナタウンさえあれば海外生活は平気」「電圧問題は色々なところに立ちはだかる」「外人は日本人より寿司作りがうまい」の3点だ。皆さんも気をつけられたい。

2008-09-01

[]気まずいのは誰か?

私が好んでする話題の一つに「あなたと○○さんは電車に乗ったらどこの駅まで会話持つ?」というものがある。実はこの会話自体がその人と気まずくなったときにしているというメタ構造になっているのだが、誰かと誰かの気まずさ具合を知るのが非常に面白いから、よく聞いている。自分の予想が当たることがほとんどだが、たまに外れることもあってそれも楽しい。「あ、お前と○○は意外と会話もつんや」とか「めっちゃ仲いいと思ってたけど、結構互いに気を使ってるんや」というのが分かると次からその二人の会話を見ているだけで楽しい。

この会話のいいところは、気まずさを測る指標として電車を用いていることである。これが直接的に「○○と何時間会話持つ?」という質問であれば、急に答えるのが難しくなってしまう。30分会話が持つ相手と1時間会話が持つ相手というのは具体的なイメージがわかず区別が難しいからだ。

その点電車ならイメージがわきやすい。

用いられる電車は当たり前だが住んでいるところによって変わる。大学時代は京都にいたので主に阪急河原町発)か京阪出町柳発)を使っていた。相手によって阪急京阪のどちらに慣れ親しんでいるかを見極めて使い分けなければならない(ごくたまにJRを使う必要もあるかもしれない)。また特急を使うか普通を使うかも結構難しいところだ。笑いを狙いにいくなら普通電車が止まる駅を使った方がいい。例えば「○○さんと出町柳から2人で京阪電車に乗りました。どの駅まで会話もつ?」と聞いて「うーん、淀がギリギリやな」と返ってくると、「え、それはなに、K特急中書島乗換え?それとも普通電車で?」などと会話に幅が出るからだ。

私が特に好きだったのは阪急なら西院より河原町寄り、京阪なら七条より出町柳寄りの答えが返ってきて、「まだ地上にも出てへんやん!」と言うことだった。単にこれが言いたいがために、あえて気まずそうな組み合わせを見つけて「お前と○○さんが阪急河原町から電車に乗ったらどこまで会話もつ?」と聞いていたような気がする。「烏丸」と返ってきたら「めっちゃ気まずいな!でも俺も○○さんとは大宮が限界や。地上に出られへん!」と狂喜乱舞である。

関東だと電車が一気に増えてしまい、共通の感覚を持って話せる電車が少なくなる。山手線だとグルグル回ってしまうので長時間のイメージがわかないからかあまり盛り上がらない。やはり直線的に伸びる電車がいい。会社は田園都市線沿いに住んでいる人が多かったので「渋谷から中央林間に向かってどこまでもちますか?」というのをよく聞いていた。「基本三茶が限界だけど、調子よければ用賀までいけます」とか「中央林間まで行って南栗橋まで戻れます」とか。「おー、それは非常に仲がいいですね」など。悪趣味な質問なのは百も承知だが、私が面白いのだから仕方ない。

ただ気まずさの感覚は人によって大きく違うことも多い。私が気まずいと思っていても向こうは全然思っていないというようなこともある。また逆もある。中でも私が一番他人と「気まずい」という認識のズレを感じるのは、「気まずいのは他人だけか?」という問題を考えるときである。

私も世の中には気まずい人がたくさんいるが、一番気まずいのは間違いなく自分である。そう言っても意味の分からない人もいるかもしれない。私と私が気まずいのだ。

なんか自分と向かい合わなければならないというような感覚。自分が自分と対話しなければならないというような感覚。非常に気まずい。

一人で何もすることがないとき、どういうことを感じるだろうか?よく聞くのは「寂しい」とか「暇だ」とかいった感覚である。しかし私が感じるのは「気まずい」という感覚だ。特に一人で考えることもなくボーっとしていると自分との気まずさを感じて仕方ない。だがこれはテレビや本などがあれば当面は解消される。だから私は一人で家でジッとテレビやネットを見ていても平気である。寂しいという感情はほとんどなく、気まずささえ耐えられれば問題ないからだ。大体こちらに来る前の休日はそうやって過ごしてきた。

ところが本やテレビ、ネットなしで過ごさなければならない時間がある。

子供のときに一番嫌だったのはまず風呂だ。まだ身体や髪を洗っているときはいいのだが、湯船につかっているときは自分と気まずくて仕方ない。熱いからではない。気まずすぎて何分もつかっていられないからだ。中学生くらいのときに、ゲームボーイやらマンガやらを持ち込めば気まずくないということに気がつき、それ以降は1時間ほど入っていても問題ない。三国志なんか読み出そうものなら2時間ほど湯船につかっていることもある。

高校のときは自転車の登下校が非常に気まずかった。自転車に乗っているので本を読むこともできないし、お金が大してあるわけでもないのでウォークマンなども持っていなかった。となると見慣れた景色の中を毎日毎日行き来するだけである。帰りは部活の友達と帰るからまだいいが、行きが本当に嫌だった。私は高校まで自転車で15分くらいだったのだが、この15分が毎日驚異的に気まずいのだ。

あと最近気まずかったのは座禅だ。去年の11月に何を思ったか世田谷の龍雲寺というところで数人の友達と座禅にチャレンジした。朝6時半から9時までひたすら座っているだけなのだが、「寒い」「眠い」という天敵のほかにも「気まずい」というのが現れ、本当に辛かった。心を無にしろと言われれば言われるほど、無にならず、自分との気まずさだけが膨らんでいく。何も考えるな、と言われても、何か考えようとしてしまう。にもかかわらず、何も考えるべきテーマの見当たらないので、気まずさ爆発である。誰かといて話題を必死になって探しているときと全く同じ状況なのだ。

そういう私の感覚からするとオーストラリア人の動きは全く理解できない。

こちらでは週末の朝早くからカフェで一人でコーヒーを飲んでいる人がいる。別に新聞を読んだりするわけでもなく、ボーっと一人でコーヒーを飲んでいるのだ。「何がおもろいねん」と思って、知り合いのオーストラリア人に聞いてみたところ「週末お気に入りのカフェコーヒーを飲みながらゆったり過ごすなんて贅沢で最高じゃないか」と言う。「一人で何を考えんの?」と聞くと「何も考えないよ。何もしないためにカフェにいるんだから」と言う。「なら、家にいろよ」と思うのだが、それとはまたちょっと違うようだ。

似たような発想は日本でも「南の島でも行って何にも考えずのんびりしたいなあ」というような表現で見られる。「わざわざ海外まで行ってのんびりしてどうすんだ、観光地回れ、観光地」と思う。だいたい世界で一番寝れる場所は自分の家なのだ。誰かに会うとかそういう目的があれば別だが、ただ単にのんびりしたけりゃ家から出なければいいのだ。

だいたい私がカフェやら喫茶店やらに行くのは「疲れて休むため」か「誰かと話すため」という二つの目的しか考えられない。つまり「しばし休憩するために飲み物代を払って場所を借りる」という使用方法か「誰かと話をするために飲み物代を払って場所を借りる」という使用方法しか思い浮かばない。「疲れている」または「誰かといる」というのがカフェやら喫茶店やらに行くための必要条件なのだ。

そう考えると「疲れてない」かつ「一人である」という条件下のもと、カフェに行くオーストラリア人の感覚は私には分からない。そんな状況下で新聞や本も持たずカフェに行ってしまうと自分と気まずくて息がつまりそうにならないのだろうか。あるいは意外にもオーストラリア人はほとんど禅を極めているのだろうか。

2008-08-31

[]同級生

岡田准一には勝てない。蒼井優

松坂大輔には勝てない。年棒10億円!

末續慎吾には勝てない。100m:10秒03!

朝青龍には勝てない。本名ドルゴルスレン・ダグワドルジ

マルチナ・ヒンギスには勝てない。16歳で4大大会初制覇!

田臥勇太には勝てない。日本人史上初のNBAプレーヤー!

スティーブン・ジェラードには勝てない。2004-05年 UEFAチャンピオンズリーグMVP

鈴木桂治には勝てない。アテネオリンピック柔道100kg超級金メダル

広末涼子には勝てない。MajiでKoiする5秒前!

眞鍋かをりには勝てない。トラックバック3000!

Wikipedeiaで岡田君見たら、誕生日が一週間違いだった・・・。

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というわけで他の同級生見てみたら、すごいのがいるわいるわ。書かなかったが「小島よしお」「くまきりあさ美」も同級生だ。いや、彼らだってめちゃくちゃすごい。みんな、人生先々行き過ぎ。

2008-08-26

[]パンツは守る側か守られる側か?

藤子・F・不二雄ドラえもんキテレツ大百科などの児童漫画の巨匠として知られているが、SP短編の傑作を何本も書いたことはあまり知られていない。私は子供の頃から藤子・F・不二雄SF短編が大好きで全部読みたいと思っていたので、2000年に待望のパーフェクト版全8巻が出たときは非常に嬉しかった。皆さんも読むように。

中でも一番のお気に入りは「ミノタウロスの皿」と「気楽に殺ろうよ」である。内容を紹介してしまうとあなたの人生の楽しみを二つ奪ってしまうことになってしまうから書かないが、簡単に言うとどちらも自分たちの価値観や常識をひっくり返す作品である。読んだ後は柔道の技でもかけられたように世界を見る目がコロンと変わってしまう。捕鯨反対!って言ってるオーストラリア人に何も言わず「ミノタウロスの皿」を読ませれば、金輪際何も言わなくなるんじゃないかという気がする。要するに文化は相対的なものであって、正しいとか正しくないとかいいとか悪いとか言えません、ということが非常によく分かる。

私は小学生の時にこの漫画を読んで以降「文化相対主義者」として生きてきた。自分の価値観を他人に押し付けたり、「○○はこういうもんだ」という偏狭な意識に捉われないようにして生きてきたつもりだ。その点には自信があった。

しかしパンツのことは例外だった。固定観念に凝り固まっていたようだ。

そういえば日本にいたときはよくパンツについて考えていた。もちろんパンツとは女性のパンツである。亀仙人風に言えばパンティである。断じて自分のパンツではない。

自己弁護のために言うが、私がパンツについて考えていたのは私が変態だからではない。女子は知らないかもしれないが、日本にいる男子はほぼ全員パンツのことばかり考えているといっても過言ではないのだ。

コンビニに置いてある男性向け週刊誌は、やれアナウンサーのパンツがズボンの後ろから見えたとか、やれ一日署長をやったアイドルの白いパンツが見えたとか、そんな話題で持ちきりである。アイドルなどのパンチラ写真だけで構成された雑誌を買う人もいる。手鏡や携帯のカメラで女子高生などのパンツを盗み見ようとして捕まる笑えないおっさんもいる。みんなパンツのことになると必死なのだ。

グーグルニュースで「パンツ」「下着」というキーワードで検索してみたところ下記のような情けないニュースがゴロゴロ出てくる。(本文と関係ないけどグーグルのおせっかい表示↓が恥ずかしすぎる)

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以下は全て産経ニュースの記事。

相模原署は20日、窃盗の現行犯で、麻布大付属動物病院の職員で獣医師の宮沢良道容疑者(57)=相模原市相模大野=を逮捕した。調べでは、20日午後6時50分ごろ、相模原市のアパート1階に住む女性(22)の軒先からヒョウ柄などの下着4枚を盗んだ。「下着に触ってみたかった」と供述している。

 女性用下着を脅し取ったとして、千葉県千葉西署は23日、恐喝の疑いで、自称、千葉市美浜区高洲の無職、渡辺知弘容疑者(28)を逮捕した。「女性の下着に興味があった」と容疑を認めているという。

 調べでは、渡辺容疑者は8月19日から23日までの間、千葉市美浜区の男性会社員(39)方に約20回にわたって電話をかけ、「娘の裸の写真をばらまかれたくなかったら、娘の下着をよこせ。奥さんのでもいい」などとうそを言って脅迫。23日午後5時45分ごろ、会社員の妻(45)に自宅近くの公衆電話ボックスに女性用下着1枚(200円相当)を置くよう指示し、脅し取った疑い。

 相談を受けた署員が電話ボックスの近くに張り込み、下着を取りに来た渡辺容疑者から事情を聴いたところ、容疑を認めたため逮捕した。

神奈川県警宮前署は23日、窃盗容疑で、川崎市宮前区のアルバイト店員の少年(18)を逮捕した。調べでは、午前5時55分ごろ、同区の無職女性(42)宅にベランダ窓から侵入し、部屋の中にあった女性用水着1着と下着など4点(計約7000円相当)を盗んだ疑い。「下着に興味があって盗んだ」と話しているという。

そりゃまあ、わざわざ盗むくらいなのだから、触ってみたかったり興味があったりするのだろうが、こうやって文字にすると非常に悲しい。「娘の下着をよこせ。奥さんのでもいい」必死か・・・。57歳獣医師とかいったい何考えて生きているのだろうか。

もちろんこういうのは犯罪だから絶対にやってはいけないが、ここまでひどくなくてもパンツに強い思い入れを持つものはいる。

私が高校1年生のときに文化祭の準備をしている最中に同じクラスだった亀井さんという美人の女の子のパンツが見えたことがあった。それを友人に話したところ「お前はなんて幸せものなんだ!うらやましすぎるぞ、このやろー!」と宝くじでも当たったかのような大げさなリアクションがあり、その後少しだけ落ち着いて「オホン、で、どうだった?」と聞いてきた。「何が?」と言うと「い、い、色とか、そ、そ、素材とか!」とまた興奮がよみがえってくる。「えーっと、色は白かったと思う。素材は一瞬やったからわからん。」と答えた。すると「やっぱ白か!俺の予想通りや。亀井は白やと思ってたわ!」とな普段からパンツの色を予想していることが露呈する発言をした後「たとえ目に入ったのが一瞬でも素材は見極めないとあかんぞ」と一流の料理人みたいなことを言っていた。

大学のときは先輩の一人が「こないださー、○○(女の名前)が自転車乗ってたんだけど、パンツがスカートから透けて見えたんだよね。ボーダーっていうかな、しましま柄だったよ。ぐへへへ。いいでしょ?」と嬉しそうに話していた。彼は現在京大大学院で研究をする身である。ノーベル賞を目指しているらしい(本気)。

社会人になってからは会社の同期と近所のレンタルビデオ屋にAVを借りに行ったことがある。互いのビデオを後で交換すれば二倍楽しめるという素晴らしい作戦を立てて、それぞれ趣味を色濃く反映したビデオを二本ずつ借りた。支払いを済ませてから「どんなん借りた?」と聞いてみたところ、パンツがどうのこうのとかいうビデオだった。パンツを中心に組み立てられた内容のようだ。「えーーー。こんなもんなにがおもろいねん・・・。」と彼のセンスにがっかりしたことを覚えている。(彼も私のセンスにはがっかりしたと思うが)

パンツに執着する知人の思い出は枚挙にいとまがない。しだからといって、何も彼らが変態なわけではない。程度の差こそあれ、日本の男性のほぼ全員がパンツ原理教に入信しているからだ。この辺のことはこの本が詳しい。

パンツが見える。―羞恥心の現代史 (朝日選書)

パンツが見える。―羞恥心の現代史 (朝日選書)

私はパンツを盗んだりパンツビデオを見るほどの狂信的な信者ではなかったが、もちろん日本人男性として原理教に入っていた。おそらく日本人男性は13歳か14歳ごろに自動的に入信するシステムになっていると思う。

ところが今はそのマインドコントロールから解放されて晴れてパンツ原理教からの脱会に成功することができたのだ。パンツにとらわれなくなったことで世界が広がったような気がする。そこで日本にいてまだパンツ原理教に入信している人に向けて私がいかに脱会に成功したかを書きたい。

私が最初にその教義に疑問を感じたのは大学生のときである。どういうシチュエーションだったか忘れたが、中国人に聞いた話がきっかけである。中国ではロングスカートの女性が自転車に乗るときに、スカートが車輪にからまるのを避けるために、裾をたくし上げてハンドルと一緒に持って自転車をこぐというのだ。びっくりした私は「そ、それではパンツが丸見えではないですか?」と聞いたところ、「そうですよ。それがどうしましたか?」と言っている。うーむ、どうやらパンツが見られても恥ずかしくないようだ。パンツパンツと騒いでいるのは日本人だけなのではないか、パンツ原理教の信者は日本にしかいないのではないか、との疑いを持ったのはこのときが最初である。

そしてそれ以降は狂信的な態度からは一歩離れてパンツを見るようになった(実際に「見て」いたわけではない)。とはいえ、パンツとは付かず離れずの中途半端な態度で、コンビニではたまに暇つぶしでアイドルパンチラ写真を見ていたこともあった。

私が完全に脱会に成功したのはオーストラリアに来てからである。

一緒に住んでいるNZ人女性24歳のパンツがたまに見えることがある。ミニスカートなどを履いていると足を組んだときとかに自然とパンツが目に入ってくるのだ。最初は信者の一人として「うーむ、今のは青かったな。それにしても恥ずかしくないのだろうか」とドキドキしていた。ところがそんなドキドキは数日で吹き飛んでしまった。

なぜならパンツを初めとする下着が共有のスペースに干してあり、毎日のように目にするからだ。パンツが希少なうちは価値が高いが、数量が増加するとパンツ一枚当たりの価値が減少するのは経済学から考えても当たり前だろう。

私は最初洗濯物は各々の部屋に干すのかなと思っていた。そこで初めて洗濯したあと「みんなどこに干してんの?」と聞いたところ「リビングの横にちょっとしたスペースがあるから、そこに干せばいいよ」と教えてもらった。そこに行ってみるとあるわあるわ大量のパンツが。青やらピンクやら黒やら色とりどりのパンツが室内に干してある。今考えればまだ原理教に捉われていたのだろう、「うーむ、こういうのを履いているのか。意外と大胆だな・・・。悪くない」などと思っていた。私もそこに自分のパンツを干したのだが、なぜか私の方がパンツ見られて恥ずかしいくらいだった。

つまり彼女は非常にオープンなのだ。シャワーから出てきたらバスタオル一枚で出てきて、さっきまで身につけていたパンツやらブラジャーやら持ってそのままテレビ見たりしている。こちらが目のやり場に困るから早く服を着てくれと思うのだが、向こうが気にする様子はない。

またこんなこともあった。そのNZ人と近くのデパートに買い物にいったときのことだ。「私ちょっと買いたいものあるから付いて来て」と言われて、行ってみたら女性下着売り場である。そこでどのブラジャーがいいかを選んでいるのだ。こんなこと日本で考えられるだろうか。ただの友達の女性と一緒に買い物に行って目の前で下着を選んでたら、こっちが混乱する。いろいろ深読みしてしまった仕方がない。それでなくても女性下着売り場は多くの男子にとって史上最高に気まずい場所である。正直言って私は非常に苦手だ。どうしても通らなければならないときは「目を向けてはいけない」という倫理と「でも見てみたい」という欲望がせめぎ合い、結局深い葛藤のうちに何事もなかったかのように通り過ぎるのだ。万が一誰か女性と通ることになろうものなら「私はパンツのことなんか一切気にしていませんよ」というアピールのために急に大声で話してしまいそうな気がする。私にとってはそれくらい複雑な場所なのにNZ人は私のことなど気にすることなく色々なブラジャーにトライした挙句、一つ手に取って「これ、どう思う?」と聞いてきた。「えーっと、非常にいいんじゃないでしょうか」としか言いようがない。

パンツが部屋に転がっていることもあるし、別の友人(男)に「パンツ何色?」と聞かれて「ブルー」と答えて「ミスブルーパンティー」と呼ばれていたこともあった。そのときは「ははは、男子はバカね」と笑っていた。

あまりに彼女がパンツやらブラジャーやらに対して無頓着なので、彼女だけが特別なのかと思って他のオーストラリア人に質問を投げてみた。「あなたにとってパンツとはなんですか?」と。

だいたいこういうタイプの質問は「私の全てです」とか「人生そのものです」とか答えてしまうのを狙っているのだが、さすがにそういった人はいなかった。何人かが言っていたのは「人が身につけているときであれば、それなりの意味があるかもしれないけど、身につけていないとき(洗濯物とか売り物)であればそれは単なる布。ただの繊維です」ということだ。「日本とは状況が違うようです。日本では男子はみなパンツ原理教という考えに洗脳されていて・・・」と力説すると最後は「ここはオーストラリアなんだからリラックスしなきゃ。そんなパンツに踊らされてるような人生はダメですよ」と言われてしまった。なるほど、パンツに踊らされる人生か。

オーストラリアにいるほかの日本人はどうなのだろうと思って、会社の近くにある日本料理屋でシェアハウスに住んでいるというアルバイトの女子にも「洗濯したパンツはどうしていますか?」と聞いてみた。この質問だけ取り出すと完全に変態である。だから一応フォローしようとしたのだが「いや、あなたのパンツに興味があるわけではなくて、いや、ないわけでもないんですが、その、学術的観点からパンツを考えていて・・・」などと言ってしまい余計変態になってしまった。しかし、彼女は快く「恥ずかしいので自分の部屋に干している」と答えてくれた。やはり日本人とオーストラリア人の差は非常に大きいようだ。

しかしオーストラリア人の意見はそう言われると確かにそうだ。パンツは単なる布に過ぎない。そこに無理に意味を見出す必要はない。スポーツ見てる人に私の母親が「そんなの見ていったい何が面白いの?」と純粋に聞くように、女子高生のパンツを盗み見ようとしているおっさんに「布見て何が面白いの?どうして繊維を見て興奮するの?」と聞いたらどんな返事が返ってくるのだろうか。

また「パンツは隠したいもの(性器など)を隠すためのものであって、パンツ自体隠さなければならないものではない」という目から鱗ものの意見もあった。私はこの美しい意見に対して、全く反論することが出来ず、完全にパンツ原理教のマインドコントロールから解き放たれた。パンツは隠したいものを隠すためのものであって、パンツ自身が隠される必然性はどこにもない。人様に見られて恥ずかしいパンツなどどこにもないのだ。パンツは何かを守るために存在するのであって、何かに守られるためにあるのではない。パンツを特別視するのはもうやめよう。

思えばパンツ原理教に入っているのは日本人男子だけではない。女子もまた別の形で入信しているのだ。だからこそパンツを見られて恥ずかしいという心理になるのだ。しかし、もう分かっただろう。パンツを恥ずかしいと思う気持ちの方が恥ずかしいのだ。どんどん見せていけばいいのだ。私が日本に帰る頃には世の中の女性がどんどんパンツを見せる社会になっていることを切に願う。

2008-08-18

[]なぜかっこ悪くても競歩をやるのか?

世界の中心で、愛をさけぶ」という大ベストセラーがあった。300万部以上も売れたらしい。残念ながら私は読んでないが、300万人も読んだのだから面白かったのだと思う。ものすごくたくさん売れたものは商業主義的とか言って批判されがちだが、メジャーなものにはそれなりにパワーがあると思うので。

私は作品云々より長澤まさみを見落としたことが悔しい。何回も書いてる気がするが、長澤まさみは日本の長い歴史の中でもトップ5には入ると思う。存命中の日本人で長澤まさみに対抗できるのは相沢紗世南波杏くらいのものだ。日本の歴史だと小野小町お市の方(織田信長の妹)なんか美女美女と言われているが、どんなもんかとGoogleで検索してみたところ、長澤まさみと並べてみるととても美人とは言えないことがはっきりする。

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左から順番に、長澤まさみ小野小町お市の方である。大体小野小町お市の方は二人とも眉毛の位置がおかしい。目の上すぎる。まだこの二人より森三中の方がかわいいくらいだ。これで美人ってこの時代他の女性はいったいどんな顔してたのか非常に謎である。特にお市の方は目を疑うくらいかわいくない。

あの映画で言われる世界の中心とはオーストラリアにあるらしく、私も愛を叫びに行ってみたいが、とりあえず今の世界の中心は確実にオーストラリアではなく北京である。北京オリンピックの真っ最中だからだ。日本でも盛り上がっていると思うが、私の家でも話題の中心はオリンピックである。

以前書いたとおり、私の家はスウェーデン人男とニュージーランド人女と私の3人である。家でも彼らはソファーでオリンピックを見ていることが多い。日本は彼らの国より人口も多くメダル獲得数も多いので日本人選手のことが話に上がることも多い。

ただテレビの放送は少し日本と違う。男子100メートル走とかマラソンくらいメジャーな競技になれば別だが、大方はどの国も自国が活躍する競技を中心に放映するので、オーストラリアでやっているのは日本と少し違うのだ。

例えば柔道は全然見なかった。私も日本のウェブサイトでおっかける程度でVTRは結局全然見てない。その代わりホッケーとか水球とかカヌーとかボートとかはよく見る。ルールも分からないし、日本人もあまり見ないので私としてはテンション上がらない競技だ。

水泳は日本もオーストラリアも強いので結構放映されている。オーストラリアではステファニー・ライスという美人スイマー金メダル3つ取ったのだが(リンク先の写真はお市の方より圧倒的にかわいいと思うがどうだろう?)、彼女は私がいるブリスベン出身である。どうでもいいが前の彼氏のイーモン・サリバンオーストラリアの水泳代表で今回は銀メダルを獲得した。金が取れればステファニー・ライスと復縁するかもと言われていたが、女が金メダル3つで男が銀メダル1つでは復縁は難しかろうというのがこちらの人の意見のようだ。銀でも十分すごいのだが・・・。

これも以前書いたとおり私はスポーツは見ないのだが、オリンピックはいい話題のきっかけになるし、日本が活躍するのは嬉しいから私もちょくちょく見ている。ちなみにオーストラリアは人口一人当たりのメダル数が世界一だとかで(そんな計り方があるとは知らなかった)、スポーツ大国の面目躍如だ。金メダル数でも日本を上回る11個を獲得している(8月18日現在)。

そんなオリンピックを見ていると、いくつかの疑問が出てきた。下の問いに答えられる人がいたら答えを教えて欲しい。

■なぜ短距離はアメリカ大陸が強いのか?

男子100メートル走の決勝はジャマイカが3人、アメリカ2人、トリニダード・トバゴ2人、オランダアンティル1人と全員アメリカ大陸出身だった。アメリカは人口多いからまだ分かるけど、ジャマイカなんか人口300万人足らずの国で決勝に3人も送り出すのはどういったわけなのだろうか。トリニダード・トバゴなんか100万人ちょっとしかいない。アフリカヨーロッパアジアにも速いやつはいそうだが、なぜアメリカ大陸に勝てないのだろうか?何か理由があるのだろうか。

インド人は何をしている?

中国は世界最大の人口を擁しているだけあって、さすがにたくさんメダルを取っている。もちろん中国は国全体が国威発揚も兼ねて力を入れているということはあると思うが、まあ人口多い国がたくさんメダルを取るのは順当といえば順当である。その点インド人はいったい何しているのだろうか。今回金メダルを一つ取ったが(それもなぜか射撃)、これはロサンゼルスオリンピック以降で初めての金メダルである。8億人もいれば足の速いやつや力の強いやつもいてもおかしくないような気がするのだが。一説にはインド人はクリケットにしか興味がないからだと聞いたことがあるが、真相はよく分からない。他にもブラジルなども人口の割りにはメダルが少ない。インド人がクリケットにしか興味がないのと同様にブラジル人もサッカーにしか興味がないのだろうか。

■水泳に黒人が少ないのはなぜか?

水泳は白人と黄色人種が多いような気がする。黒人の圧倒的な身体能力があれば陸上競技や多くの球技同様、水泳も多大な力を発揮しそうな気がする。ゴルフやテニスといった白人の中流以上によって独占されていたスポーツでもタイガーウッズやウィリアムス姉妹などの活躍によって流れが変わりつつある。ゴルフ、テニスなどで黒人が少なかったのは社会的経済的な理由だというような気がするが、水泳もスイミングプールに通わせるのは金がかかるとはいえ、ここまで少ないと何か身体的な理由があるのかなという気がする。と思ったらやはり一般的な疑問らしく、ネットでたくさんの説が紹介されていた。やはり社会的・経済的・身体的な複合的な理由なのだろう。

■水泳の種目が多すぎるのでは?

水泳の種目が多すぎるような気がする。50メートル、100メートル、200メートルなど距離がいくつかあるのは100歩譲って分かるとしても、自由形平泳ぎ背泳ぎバタフライと4種類もあるのは理解できない。あえて別の泳ぎ方で順位を競う必要性など全くないからだ。自由形だけでいいだろうと思う。これは陸上競技を想像してもらえればすぐ分かると思う。例えば100メートル走で自由形・スキップ・欽ちゃん走り、蟹走りなど様々なスタイルがあればおかしいことはすぐ分かるだろう。「さあ、ここから男子100メートル欽ちゃん走り決勝です。優勝候補は前回五輪覇者アメリカのジャクソン。この4年間も圧倒的な強さを見せてきました。欽ちゃん走りの本場日本からも第2レーンの佐藤がエントリーしています。日本初のメダルに期待がかかります。」とかなんとか言ってたらアホらしいが、バタフライとか平泳ぎとかいうのはそれと同じである。あえて速くない変な泳ぎ方で優勝を争う意味が分からない。フェルプス金メダル8個は確かにすごいのだが、陸上競技ならこうはいかないと思う。水泳は競技が多すぎるからこそ出来るのだ。

あと水泳のことでついでに言うと、自由形平泳ぎバタフライ背泳ぎという区分もおかしい。クロール、平泳ぎバタフライ背泳ぎという区分なら分かるが、クロールと自由形では概念のレベルが違うからだ。自由形というのが文字通りどんな泳ぎ方でもいいのであれば、クロールという泳法がある以上、クロールという競技も作るべきである。とは言っても自由形を消すべきではない。なぜならクロールより速い新しい泳法が生まれる可能性はゼロではないからだ。だから論理的には「自由形一種類のみ」「自由形、クロール、平泳ぎバタフライ背泳ぎ」のどちらかが論理にかなった競技分類法だと思うが、どうだろうか?しかし私は後者のようなあえて速度の落ちる泳法で競う必要はないと思うので、自由形一種類でいいのではないかと思うのである。

ちなみにこの問題を突き詰めると柔道などの格闘技でも無差別級だけでいいじゃないかという意見になる。要は、細分化がどこまで必要か、という問題になってくるのだ。オリンピックは単純な個人能力を競う場だと考えれば、細分化は極力なくしてもいいんじゃないかという風に思う。

■乗馬ってどうなの?

自転車はまだ分からなくもないけど、馬に乗るってのはどうなんだろうか。動物とともに戦うのは動物の力も大きくなってしまう。私は「武田の騎馬軍団は強かった」的なエピソードは好きだが、オリンピックでは武田軍団の出番はなくてもいい。

ビーチバレーはなぜあるのか?

普通にバレーがあるんだから、ビーチバレーなんか必要ないと思う。もちろん目の保養にはいいスポーツだと思うが、わざわざ別の競技として砂浜でバレーをする必要は全然ない。それがOKなんだったら、五寸釘バレー(昔の松永光弘を思い出す!)とかノーロープ有刺鉄線電流爆破バレーとかのほうが絶対面白い。

■複合競技はなぜあるのか?

これもビーチバレーに近いが、なぜトライアスロン、七種競技、十種競技のような複合競技があるのだろうか。単独でも独立した競技としてあるのに、それを組み合わせて新たな競技を作るということに積極的な意味が全く見出せない。総合力という言葉があるが、そんなこと言い出したら、何種類の競技をやったら総合力があるといえるのか曖昧になってきてしまう。十種競技の優勝者と筋肉番付の優勝者はどっちが総合力あると言われても、分からないだろう。総合力なんて言葉が曖昧すぎるのだ。Wikipedia見て初めて知ったが、トライアスロンなんてはじまったきっかけが非常に適当である。

1977年ハワイ海兵隊員達が酒の席で、「マラソン、遠泳、サイクルロードレースのどれが最も過酷か」との議論がなされ、「競技特性が全て違うのだから比較のしようがなく、この際まとめてやってみよう」という事で考え出された耐久競技として、1978年に、ハワイで最初の主要な大会であるアイアンマントライアスロンが行われた。

なぜ「どれが一番過酷か」という議論の結果が「決められないからまとめてやってみよう」になるのかさっぱり理解できないが、とりあえずオリンピックはシンプルな競技だけでいいのではないだろうか。冬季オリンピックノルディック複合も同じ理屈から廃止である。

複合競技の問題点について考えたい人は探偵ナイトスクープの傑作ビデオをお勧めしたい。探偵!ナイトスクープ Vol.5&6 BOXというDVDに収録されている「水泳+暗算 日本一決定戦」というビデオを見るのがよろしい。このビデオを見れば爆笑しながら複合競技の難しさについて考えることが出来る。神童古賀!である。

■なぜかっこ悪くても競歩をやるのか?

競歩はかなり見た目が格好悪いスポーツである(失礼)。クネクネしていてちょっと気持ち悪い(失礼)。全然スポーツのかっこよさがない(失礼)。ましてプロスポーツがあるわけでもないだろうし、引退後に華やかな道があるというわけでもなかろう。「将来競歩をやろう」と子供に思わせるメリットが全然感じられない。

各国の代表になっている選手もオリンピックに出るくらいの選手だから才能もあるのだと思う。にもかかわらずクネクネして異性にもモテずらく、金もあまり儲からないスポーツをやるというのはかなりの謎である。

進路を決める時点で「競歩だ」と思わせる何かがあったのだろうか。私なら仮に競歩に非凡な才能があっても別の競技を選ぶような気がする。多くの人が私と同じだろう。だってお金が欲しいし、異性にモテるに越したことはないから。ということは競歩選手の多くはそんな俗世間的な人間とは思考回路が違うのかもしれない。ストイックで真面目なのだ。全競技の中でも一番禁欲的な競技であるといえる。煩悩の大きそうなサッカー日本代表とかは競歩の選手を見習ったほうがよさそうだ。私も禁欲的になるために明日から会社への通勤は競歩スタイルで行きたいと思う。


以上、「競歩は自己抑制的な素晴らしい競技だ」ということはよく分かったが、そのほかの疑問は未解決のままである。誰かの回答を待ちたい。

2008-08-08

[]グーグルストリートビューで見るブリスベン

日本ではグーグルマップストリートビューが話題沸騰のようだ。私も早速やってみたが、本当にすごい。こんなもの作っちゃって大丈夫かというくらいすごい。何回すごいといっても足りないくらいすごい。運良く日本と同時にオーストラリア版も公開になったので、今回はこれを使って簡単にブリスベンの街を紹介したい。


私は会社に入るまでブリスベンという街の存在を知らなかったが、皆さんはどれくらい知っているだろうか。ブリスベンオーストラリアにあるところまでは知っていても、場所まで分かる人はあまりいないのではないかと思う。とりあえず概要についてはWikipedeiaなどを見て欲しい。


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注)写真見れない人は左下の「大きな地図で見る」をクリックしてください。

この地図を見るとよく分かるが、ブリスベン豪州の東側の真ん中辺りに位置する都市である。規模で見ればシドニーメルボルンに続く第三の都市で、人口は周囲の都市圏を含めて200万人という大都会だ。ただ日本人の中での知名度はなぜかパースケアンズゴールドコーストの方が上だと思う。オーストラリアで有数の観光地であるゴールドコーストブリスベンから車で1時間ちょっとのところにあり、ブリスベンゴールドコースト大阪京都みたいな感じといえば分かりやすいかもしれない。


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これはブリスベンのメインストリートである。この奥は歩行者専用なのでストリートビューで見ることはできないが、デパートや洋服屋、飲食店などが並んでいる。私も休日はよくこの通りをブラブラすることが多い。こちらでは街の中心地をCityと呼ぶが、そのCityの中でも一番の中心地。


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ブリスベンのシティホール(役所)。中に入ったことないけど、展望台などがあって夜景がきれいらしい。きれいな景色とかあんまり興味ないけど。


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ストーリーブリッジというブリスベンの観光名所にもなっている大きな橋から見た市街地。天気が悪いので分かりにくいが、夜にここから街を眺めると非常にきれい。逆に街からこの橋を見ても非常にきれい。きれいな景色とかあんまり興味ないけど。


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ブリスベンカジノ。中では札束握り締めたおじさん・おばさんが日夜熱戦を繰り広げているらしい。


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世界のどこにでもあるアジア人の味方。中華街

この中のアジア人向けスーパーマーケットに行ったとき、どんだけインスタントラーメンの品揃えいいねん、と突っ込みを入れたくなった。

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行ったことないけど今度行ってみたいと思っている日本料理店。なんか怪しい雰囲気が漂っているのでなかなか入れない。

家も見つかったが、外国とはいえさすがに勝手に住所を晒すのは同居人にも悪かろうと思い、ストリートビューから撮った画像だけ載せる。この写真の真ん中の家の二階が家だ。場所が分かった人は遊びに来てください。この写真だけで家にたどり着いた人にはステーキでもごちそうします。

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2008-08-04

[]私と散髪

「生まれてこれまで何回○○したことがあるか?」という質問は答えるのが容易なものと難しいものがある。

難しいものの代表例はトイレだろう。「生まれてこれまであなたはう○こ何回したことある?」と聞かれて正確な数字を言える人は地球に存在しない。おそらく地球に限らず火星や月を範囲に入れても存在しないはずだ。これは「何をもって一回のう○ことするか」という定義が難しいからではない。もちろん「トイレに行ったけど本当にごくわずかしかでなかった場合をどうカウントするのか(0.3回とか?)」や「下痢で何度もトイレに出入りした時は一回とするのか複数回とするのか?また、逆に出入りはせずに座り続けている場合はどのようにカウントするのか?」というような難問題もある。ただそれよりも回数が多すぎて数え切れないというのが大きな理由である。他にも「生まれて何回食事をしたことある?」「生まれて何回まばたきしたことある?」「生まれて何回背中を掻いたことある?」「生まれて何回『お前、アホやな』と言ったことある?」などの質問には答えられない。誰も記録をつけていないからだ。

一方、容易に何回したか数えられることもある。「生まれて何回イチローと対談したことある?」とか「生まれて何回モザンビークで死にかけたことある?」とか「生まれて何回ビルの屋上から飛び降りたことある?」などの質問は比較的簡単である(ちなみに私はどれも0回である)。先ほど挙げた数え切れない質問の例も少し変えるだけで非常に簡単な質問に変わる。「生まれて何回カブトムシの幼虫食べたことがある?」とか「生まれて何回まばたきしたらそのまま目が開かなくなったことがある?」とか「生まれて何回自分の背中を掻くつもりが間違って他人の背中を掻いたことがある?」とか「生まれて何回『お前、アホやな』という名前のミュージカルを見たことがある?」という質問になると普通は「0回です」と即答することができる。こちらはあまり経験がなく思い出してカウントしやすいからだ。

つまり、人生には何回もやることと、そうそう何回もやらないことがあるということだ。

当たり前だが、珍しい経験であればあるほど、答えるのが簡単になる。だから例えばオーストラリア人に「生まれて何回『お前、アホやな』と言ったことある?」と聞いたら、日本人と違ってほとんどの人は「0回です」と即答できるだろう。なぜなら彼らにとっては日本語を話すのがまずないために「Omae, Ahoyana」という機会に恵まれないからだ。

では「生まれて何回散髪屋に行ったことある?」という質問はどうだろうか。これは日本人豪州人問わず、難しい部類に入るのではないだろうか。数えたことがない人がほとんどだろう。

ふふふ、しかしながら私は違う。16回と明確に答えることができる。

私は高校2年生までずっと母親に散髪してもらっていたので、ほとんど散髪に行ったことがなかった。正確に言うとためしに4回行ったことがあるだけだった。その後は高校2年生のときにテニス部の友達と坊主にすることにしてからは、月に一回友人に紹介してもらった散髪屋に通って坊主にしてもらっていただけだ。

最初は慣れていなかったために散髪屋自体に行くことが非常に怖かった。誰でも初めて何かをするときは怖いと思うが、私は特にその恐怖心が強い。あなたは初めてマクドナルドへ入ったときを覚えているだろうか?私はどういうシステムなのか分からずに「恥をかいたらどうしよう」と考えると非常に恐ろしかった。(私はいまだに同様の恐怖感から「SUBWAY」に入れない)。

他にも初めて居酒屋へ行ったとき、初めてバイト先へ行ったとき、初めてガソリンスタンドへ行ったとき、など色々なものが怖くて仕方がない思い出になっている。

ちなみにガソリンスタンドは原付に乗っていた二浪時代に初めて入ろうとしたのだが、どうしても怖くて入れず、一緒に原付に乗っていた友人に「ぐっ・・・、ダメだ・・・!ど、どうしても中に入れない!代わりにやってくれ!」と頼んでやってもらったのを覚えている。その友人は「分からんかったら店員に聞いたらいいやん」と呑気なことを言っていたが、それが出来ないから困っているのだ。

また結局失敗に終わったが初めて車にガソリンを入れたときも怖ろしい思いをした。半年ほど前に日本で母親と弟と北海道旅行に行ってレンタカーに乗ったのだが、返却前にガソリンを入れなければならないことは知っていた。だから旅行の前に車に乗りなれている後輩に電話をし、ガソリンスタンドでの自然な振舞い方を逐一聞いた。車の止め方、注文の仕方、ガソリンを入れられているときの振舞い方、料金の払い方、そして最後の去り方などだ。そのときに「給油口が右にあるのか左にあるのかはしっかり確認しておかなければなりません。間違うと駐車し直さなければならず一大事です。また給油口と間違ってトランクを開けるのも気をつけた方がいいです。そんな間違いをしたら末代までの恥です。僕ならその場で腹を切ります。」と散々脅された。ガソリンを難なく入れることがそれほど難易度が高いとは思ってもいなかったので、手順を教えてもらってありがたかった反面、大きなプレッシャーとなってしまった。旅行の数日前にはガソリンを入れるのに失敗して、陰で店員に「今日の客、ガソリン入れるの失敗しやがったよ!ハハハハ!」と笑われる悪夢を見て夜中に飛び起きることもあった。しかしそこまで周到に準備をしたにもかかわらず、いざ本番になると怖くて出来ずに、弟にやってもらった(セルフのガソリンスタンドだったのに!)。

つまり私は病的なまでにシャイなのだ。こういう感覚は分からない人からすれば「バカじゃないの」と一言で終わってしまうと思うが、本人にとっては一大事である。ガソリンスタンドは持ち前の精神力でなんとか克服したが、スターバックスは以前書いた通りトラウマになってしまったし、スーツを買うのや海外の飛行機のチェックインなどはいまだに恐怖心が克服できない。

このとき通っていた散髪屋も最初は散髪の注文の仕方が分からず非常に恐ろしい思いをしていた。

だいたい、普通はどうやって髪型の注文をしているのだろう?私は坊主だったので「6ミリ」と言えば済んだ。私の周囲の男子は「短め」とか「前と同じで(じゃあ一回目はどうするんだ?という疑問は残るが・・・)」などと伝えているらしい。一方、女子の複雑な髪型を見ていると、自分のなりたい髪型を相手に伝えるには相当のコミュニケーション力が必要とされると思う。かと言って芸能人の写真を見せるのも気まずい。「この写真の長澤まさみみたいにしてください!」とはよほど自分の顔に自信がないと普通はそうそう言えないだろう。私は女子ではないので分からないが、どうやって自分のイメージを伝えているのだろうか。そして終わったとき鏡に映るのはイメージ通りの髪型なのだろうか。もし違った場合はどうするのだろうか。非常に謎である。

そのほかにも、料金は前払いなのか後払いなのか、髪を切っている間はこちらから話しかけたほうがいいのか、「痒いところがありますか」と聞かれてどのように答えればいいのか、など頭を悩ます問題はつきない。

私の場合はこういった難問をクリアした3回目くらいから徐々に慣れてきて、むしろ行くのが楽しみになってきた。高校時代の散髪屋はおじさんが面白かったからだ。このおじさんは自分で言った話で自分が爆笑するという習性を持っていた。それもそんなに笑うような話ではない。たとえば高校生だった私に「どこの会社に入るかで給料が全然違うよ。君も将来気をつけなよ。ギャハハハハ!」と言うのだ。とりあえず私も「ギャハハハハ」と笑っておいて「散髪屋はどうですか?」と聞く。すると「全然ダメ。ギャハハハハ!金なくて死にそう!ギャハハハハ!」と言う。そして私も引きつりながら「ギャハハハハ」と笑うのだ。

毎回こんな感じなので、散髪屋に行くことは人並みに出来るようになったが、1年でやめてしまった(つまり12回行って終わった)。坊主にするだけならバリカンを買ったほうが経済性が高いと気がついたからだ。

それ以来散髪屋は一度も行っていない。私は天然パーマが非常にきついので、ここ10年くらいずっとバリカンで坊主にしている。バリカンももう5台くらい使ったと思う。ただし坊主なので髪型のバリエーションは限りなく少ない。6ミリを基本の長さとしており、少し気分を変えたいときは3ミリに挑戦する。せいぜいそれくらいだ。

だから私を知っている人のほとんどは坊主のイメージだと思う。

ところがせっかくオーストラリアに来ているのだから、髪を伸ばしてみようと決めた。伸ばし続けると自分の髪に何が起こるのかを自分の目で確認したいと思ったのだ。日本ではよく「髪伸ばすとどうなるの?」と聞かれたのだが、私も赤ちゃん時代を除けば5センチ以上の長さになったことがなく、「たぶん東野幸治みたいになるはずです」とか「サイババみたいになると思います」と予想で答えるしかなかった。そこでオーストラリアに来ているチャンスを利用して髪を伸ばそうと考えたのだ。

現在はこちらに来てからこの3ヶ月間一度も散髪をしていない。そこで途中経過として今回は現在の髪型は公開したいと思う。

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この写真では分かりにくいが、サイドの膨らみはヤバい。

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生え際からすでに曲がっているのが分かる。

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おお、これが一番すごい!なんというか、こう、わけの分からん芸術のようである。「宇宙のはじまり」とか「生命の奇跡」とかそんなタイトルがついていても、妙に納得しそうである。それにしても私の髪は一本一本が太くグネグネしており、自分で言うのも嬉しいがかなりの存在感だと思う。私が死んでも髪だけは伸び続けそうだ。

私は個人的には「大澤真幸みたいで悪くないかも」と思っているのだが、今のところ周囲の感想は

「頭っていうかブロッコリーだよね(by日本人)」

「髪が伸びたっていうか膨らんでるよね(by日本人)」

「それ、よかれと思ってやってるの?(日本人)」

「本当は日本人じゃないんでしょ?(by豪州人)」

「ひょっとして中になんか住んでる?(by豪州人)」

となんとも言えないものばかりである。

一応一年間散髪をしないでおこうと決めていたのだが、うっとおしくて仕方がないので少し切りたい。しかし、さらなる成長も見てみたいので目下悩み中である。

2008-08-01

[]もういくつ寝た結果

先日の「もういくつ寝ると何が変わるのか?」というエントリーに対して「ど、どうだったの?」という反響があった。

私は8月1日の12時を迎える瞬間は体に何かしらの変化(耳の形が変わるとか口から卵が産まれるとか)が起こるのではないかとかなり緊張してそのときを迎えたのだが、何も起こらなかった。肉体的には7月31日の私と8月1日の私はほぼ同じだったのだ。

しかし肉体的には変化がなくても実際は変わっているかもしれない。ただもう同居人は床についており、確認することができない。

だからとりあえず寝て、翌朝まで待ってみることにした。

そして翌朝目が覚める。

不安と期待が入り混じった複雑な気分である。おそらく私の人生にとっての大変化を終えているはずだが、確信はない。その結果を確認するのは非常に怖いが、勇気を出して同居のスウェーデン人に「Good Morning」と言ってみた。

すると「Good Morining」と返ってきた。

ぬおおおおーーーー!!!!

聞こえているーーーー!!!!

3ヶ月説は本当だった!!!!

ヤバい、本当に聞き取れるようになった。

非常に興奮をして、続きの何かを話しかけようとしたが、言葉が出てこない。これは以前のままである。

しかし、いいのだ。聞き取れるようになるのが3ヶ月であって、言いたいことが言えるようになるまでは3ヶ月とは思っていない。

気をよくしてニコニコしていると、向こうから何か話しかけてきた。しかし、何を言っているのかさっぱり分からない。もはや私は英語の聞き取りには問題がなくなっているのだから、これはスウェーデン語で話しかけているに違いない。

私は英語が聞き取れる人間ではあるが、残念ながらスウェーデン語は分からない。そこで少し強い表情で「Don't speak Swedish」と言った。

すると向こうはまた何かワーッと言っている。ところがこれがまたスウェーデン語なのだろう。またしても分からない。いったい何を考えているのだろうか。いきなりスウェーデン語で話しかけるなど非常識も甚だしい。国際問題にもなりかねない。

その後、彼はシャワーを浴びてすぐに外出をしてしまったので、結局「Good Morning」と家を出るときの「See you later」しか英語を話さなかった。

彼の奇行は気になったが、いずれにしても英語部分は「Good Morning」と「See you later」という風に100%聞き取れたことは非常に驚いた。

そして意気揚々と街に繰り出したが、少し不思議なのは英語を話す人口が若干減少していることである。以前書いた通りオーストラリアは色々なバックグラウンドを持った人が集まっている。だから各々の母国語を話しているのだろう。8月1日以降特にその傾向が強い。何かあったのかもしれない。

信じられないのは飲食店や銀行、タクシーなどでも英語以外の言葉で話す人が増えていることである。これでは英語が聞き取れるようになっても、別の問題で依然うまくコミュニケーションができないではないか!と非常に腹を立てている。














まあ、負け惜しみやな。

2008-07-30

[]もういくつ寝ると何が変わるのか?

もういくつ寝るとお正月〜 お正月にはたこあげて〜 こまをまわして遊びましょ〜 早く来い来いお正月〜

もういくつ寝るとお正月〜 お正月にははねついて〜 おいばねついて遊びましょ〜 早く来い来いお正月〜

という歌がある。これはお正月という楽しい期間を待ちわびている歌だが、私たちが人生において何かを指折り数えて待つのは楽しいものだけとは限らない。むしろ私の人生を振り返ったときに指折り数えて待ったのは大体楽しくない思い出が多い。

もういくつ寝るとセンター試験〜 分からなくても適当にマークして 翌日新聞見て恐怖の答え合わせ〜 ずっと来なくていいよセンター試験

もういくつ寝ると二次試験〜 無駄でもいいからなんか書いて〜 落ちたら三浪生活よ〜 ずっと来なくていいよ二次試験〜

もういくつ寝ると卒論提出日〜 まだ1文字も書いてない〜 書くテーマすら決まらない〜 ずっと来なくていいよ卒論提出日〜

もういくつ寝ると卒論提出日〜 母さん生まれてごめんなさい〜 来年も学費がかかります〜 ずっと来なくていいよ卒論提出日〜

こういう経験をして気がつくと弟と同級生になっており、呼称も「兄上」からいつのまにか「お前」へと変化し、母親からは「穀つぶし」と言われる。友人からも「ダメ人間」のレッテルを貼られ、会社では「給料泥棒」と呼ばれる。書いていると悲しくなってくるが、全て自業自得である。

なぜ、こんな話をするかと言うと、もちろん今まさに、もういくつ寝て、その日が来るのを待ちわびているからである。しかも今回はこれまでの人生と打って変わって期待とともに待ちわびている。

何を待ちわびているかと言うと8月1日である。もう明後日だ。一応この日を境に私は劇的に変わる予定である。なぜならこの日を境に私は急に英語が聞き取れるようになるはずだからである。

3ヶ月経てば英語に耳が慣れてきて聞き取れるようになると聞いた。この話は友人からも聞いたし、ネットなどでも見かけた。複数の情報源から聞いているので間違いない話だろう。私が豪州に着いたのは5月1日だから、8月1日は4ヶ月目の初日にあたる。つまりこの情報をもとにして考えれば、私は8月1日から英語が聞き取れるようになるはずなのだ。

現在の私ははっきり言って全くダメなままである。例えば仕事関係で知り合う人が非常にゆっくり話してくれればなんとか半分くらいは分かるが、一緒に住んでいる二人が本気で話すとほとんど分からない。誇張ではなく9割くらい分からない。

これはもちろん発音の問題だけではなく、単語の問題もある。例えば同じような意味内容を伝える文章であっても、場面によって単語の選択が変わることは非常によくある。

■丁寧な会話例

「いつもお世話になっております。大変失礼でございますが、どちらの中学校の所属でございますか?」

「お世話になります。私は古江台中学校でございます。大変若輩者で恐縮ではありますが私がトップを務めさせていただいております。」

「了解いたしました。それでは少しお話させていただきたいのですが、今お時間よろしいでしょうか。」

カジュアルな会話例

「おう。お前、何中やねん?」

「ああ?古中じゃ。番張ってる俺のこと知らんのか。」

「は?なんじゃ、こら。今やんのか?」

日本に来た外国人がカジュアルな会話例より丁寧な会話例の方が理解しやすいのと同様に、私にとっても一緒に住んでいるやつが話す英語の方が仕事の英語より何倍も難しい。(別に一緒に住んでるのがヤンキーという意味ではなく)

例えば彼らがよく口にする単語に「awesome」「humongous」「weird」「yuck」というのがある。今考えるとバカバカしいが私は大学受験の時は「数学的帰納法」とか「構造主義」という意味の英単語まで覚えていたが、上の単語はどれも知らなかった。私は彼らの口から「数学的帰納法」とか「構造主義」という単語を聞いたことはないので、どちらが本来学ぶべき単語だったかは明らかである。ちなみにそれぞれの意味はとしては"awesome"は「めっちゃイケてる」、"humongous"は「デカい」、"weird"は「変だ、おかしい、キショい、」、"yuck"は「オエッ。キモッ!」みたいな感じである。

ところで私はweirdという言葉が結構気に入った。同居のNZ人がこの言葉をよく使うのだが、私が爆笑したのは「キュウリの味はweirdだ」と彼女が言ったときだ。キュウリの味が他の野菜に比べて少し変なのは私も薄々感じていたが、明確に意識したことはなかった。「なんかこいつはちょっと他の野菜と雰囲気違うよな」程度の認識だったのだが、彼女が「なんかキュウリの味ってちょっと変じゃない?」というのを聞いて長年の胸のつっかえが取れたような気がした。うん、まずいわけじゃないけど確かに変だ。私は決してキュウリが嫌いではないが、同じクラスなら友達にならないと思う。レタストマトサッカー部のにおいがして友達になれない。たぶん、仲良くなるのは大根とか茄子あたりだろう。友人を見回しても筑前煮に出てきそうなタイプのやつが多い。サラダ系はあんまりいない。そんな感じがする。

話が野菜に逸れてしまったが、確かに日本語でも「ヤバい」とか「ウザい」とかを日常会話で使うのと同様に、こちらでも学校では習わない言葉が使われるのは当たり前である。「マジ、チョーウザいんですけど」は外人にはなかなか理解してもらえないだろう。私も同様に英語版の「マジ、チョーウザいんですけど」はなかなか理解できないのだ。受験勉強などがあるので日本人はボキャブラリーは比較的マシだと思っている人がいるかもしれないが、実は日常会話を理解するのにも大いに不足していると思う。

ただボキャブラリーは英語を聞き取る上での最大の原因ではないし、単語を覚えれば済むのだから対応はしやすい。

一番の問題は発音やアクセントなのだ。こちらはルールを覚えても耳が(というか体が)慣れていないと聞き取れないのだ。

先日NZ人が「今日はテレビでアメリカのトップモデルの番組あるよ。超楽しみ。」と言ったのだが、私は番組が始まるまで「アメリカトマトの番組」だと思っていた。"Top model"が"Tomato"に聞こえたからだ。「うーむ、意外と渋いものを好むんだな・・・侮れん」と妙に感心していたのが非常に悲しい。いまだにそんな状態なのである。

この問題に対して「3ヶ月待てば分かるようになる」というのは私にとって心のよりどころになっていた。例えほとんど分からなくても「あと一ヶ月の我慢だ」とか「もう1週間経てば分かるようになる」と自分に言い聞かせてここまで来た。

それがいよいよ明後日なのだ。ここで胸が高まらない方がおかしい。

もちろん私もいくつか疑念がないわけではない。

1.なぜ3ヶ月なのか?

正直言ってこれはよく分からない。正確を期するなら月数ではなく日数で計るべきである。同じ3ヶ月といっても、2月から4月までだと89日しかないのに対して、私がいる5月から7月までなので92日あるからだ。この3日間の誤差をどう説明すればいいのだろうか。おそらく当初は90日だったのがどこかで3ヶ月に変換されたのだと思う。「一日で耳にする言葉数×90日」程度の英語を聞いていれば耳が慣れてくるということなのだろう。90日なら私はすでに英語が聞き取れるようになっていなくてはおかしいのだが、聞き取れていないということはどういうわけか90日ではなく3ヶ月が現代の英語聞き取りの基準になったのだろう。このあたりの微妙なズレは太陽黒点の動きなどが関係しているような気がするが、詳しいことは分からない。

2.例外はないのか?

これは大いに可能性が考えられる。先日別のエントリーにも書いたが、私は英語に向いていない可能性が高い。「病気」かもしれないという疑念も依然解消されていない。ひょっとしたら私は三ヶ月ルールが適用されないかもしれない。しかしこう見えても英語の勉強は比較的出来た方だ。他の日本人が3ヶ月で慣れたのなら、私も慣れる可能性を信じるしかない。

3.7月31日の24時を境に急に聞き取れるようになるのか?

「3ヶ月経てば耳が慣れる」という言葉を文字通り解釈すれば、「4ヶ月目の初日からは耳が慣れた状態になっている」つまり「英語が聞き取れるようになっている」と考えることが出来るだろう。

もちろん徐々に慣れるのであって、急に変化するわけではないとの反論もあるかもしれない。

しかし、それは「量質転化」という概念を知らない愚かな人間の言うことである。量質転化とはある一定量を積み重ねることで質的な変化を起こすという現象のことである。自転車に乗ることを例に取るとある一定の練習量を超えた段階から自転車に乗ってもこけないようになる。これは練習「量」が自転車に乗るという「質」に転化したからである。スポーツや勉強などで伸びが練習量や勉強量に単なる比例関係ではなく、ある一定量に到達したときに急に何かが出来るようになるという階段状の伸びを示すことがある。あれが量質転化である。

この考えに従えば、ここまで伸びが見られなくてもあまり問題はない。4ヶ月目の初日から急にステージが上がり、聞き取れるようになるはずである。

4.万が一変化がなかった場合、救済措置はあるのか?

これが最大の疑問である。あまり考えたくないが、万が一、4ヶ月目の初日になっても変化がなかった場合、どうすればいいのだろうか?私は残念ながらこの問いについては答えを持ち合わせていない。これを読んだ人の中で、何かしらの救済の方向性を教えてくれる人を期待している。

もし誰からも救済措置を教えてもらえなければ、やはりいよいよ「英語が聞き取れない病」と認定してもらうための社会活動を始めるしかないと考えている。


私はこちらに来る前にレーシックの手術を受けて、急に目が見えるようになった(両眼とも0.02→1.5)。もうさすがに慣れたがあのときは世界が変わったような気がした。眼の次は耳の番である。

もういくつ寝ると、と数えてここまで来たが、もう残りは27時間程度である。8月1日になって急に英語が聞き取れるようになる日を心待ちにしたい。

2008-07-27

[]ラグビー試合、黒幕からの使者

前に豪州服装スポーツについて書いたが、その追記。

昨日ラグビーユニオントライネーションズカップNZ代表と豪州代表の試合があった。NZ代表は通称オールブラックスと呼ばれ、豪州代表はワラビーズと呼ばれている。同居人に誘われバーに行くと多くの豪州人とNZ人が集まりすごい盛り上がりだったのだが、私はやはり「いったい何が面白いの?」状態だった。ただ世界の隣国の多くが過去の戦争や言語の違いなどからライバルというよりときには敵対関係に近くなってしまっているのと違い、兄弟のような非常にいいライバル関係なので楽しんでみてられる。結果は豪州が勝ったのだが、私は試合そのものより見に来てた人のTシャツに目を奪われていた。

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少し分かりにくいが「全体的な買戻し OSAKA」と書いてある。これはいったいどういうことだろうか。

「買戻し」という言葉はいまいち意味が分かるようで分からないかもしれない。グーグルで調べてみれば分かるが、主に不動産売買や株、為替の売買などで使われる言葉である。意味としてはそのまんまだが一回売ったものを再度買うということだ。その買戻しが全体的に行われるというのだから、かなり大きな金融市場の動きを予測するものといえるだろう。

OSAKAとはなんだろうか。おそらく大阪という日本の街のことだと思われる。この買戻しはもちろん大阪で行われたのだろう。いや、わざわざTシャツでアピールするということはこれから行われるという告知かもしれない。

では彼がそのTシャツを着ていたのはなぜだろうか。その場に日本語が読めるのは私しかいなかった。ということは私へのメッセージという風に考えるのが自然だろう。私が大阪出身というのも偶然とは考えられない。彼はおそらく誰かの依頼を受けて、私に内容を伝える役割を担わされているということだろう。つまり彼は単なるメッセンジャーであり、真の黒幕は別にいるということである。

私に金融市場の異変を知らせようとしている黒幕は誰か。CIAなのかユダヤ資本なのかフリーメーソンなのか金星人なのか。正直言ってどれも心当たりがないわけではない。このメッセージの意味するところも大体わかる。ここしばらくのうちに大阪発で日本どころか世界を揺るがす大激震が起こるということだろう。皆さんも金融市場の動きに注目してもらいたい。

ちなみに後ろのおじさんも「侍」と書いたTシャツを着ているのが目に入るが、こちらは特に意味はなく単なる柄だと考えるのが自然だろう。

2008-07-21

[]スポーツは本当に楽しいのか?

私は残念ながら生まれつき運動神経が悪いようだ。家族を見渡しても残念ながら良さそうなのは一人もいないから遺伝なのかもしれない。父親は「私は昔テニスが得意だった」と豪語していたがどうも信憑性に乏しいし、母親は自他共に認める運動音痴である。弟は幼少の頃から非常に暗く外にも遊びに行かず部屋で芋虫のようにじーっと固まっていたような男である。運動神経がいいわけがない。

だから私も運動が苦手で子供の頃からスポーツにはいい思い出がない。

小学校の時の50メートル走。速いやつは6秒くらいで走っていたような気がするが、私は10秒くらいかかっていた。世界で一番足が速い人は同じ時間に二倍の距離を走ると知って、小学生にして早くも自分のスポーツの限界に気づいてしまった。

また小学校の時はバスケットの授業で誰もボールくれなかった。私にボールが渡るとすぐ相手に取られるからだ。私はいつもいいポジションにいたのだが、誰もパスしてくれない。見かねた先生が「○○君はいい場所にいるのだからみんなもボールをパスしなさい」と言ったのはありがたいのと同時に、気を使われているのが分かり非常に嫌だった。

中学校のときはソフトテニス部だったのだが下手くそなくせに生意気な私は顧問の先生と確執があった。顧問に嫌われていた私はみんながもらっていたジュースを一人だけもらえないなどの、露骨な嫌がらせを受けていた。私も負けじと影で「モアイ」とあだ名をつけるなどの反撃に出たが、所詮生徒と先生では力関係が決まっている。

高校もソフトテニス部に入っていたが、バスケ部やサッカー部などの花形スポーツを恨めしそうに見ながら、「別にうらやましくないし」と言うのがせいぜいだった。高校のクラブは体育会系的要素が限りなく薄く、いい意味で非常にゆるいクラブで楽しかったのだが、「熱血」とか「黄色い声援」とかスラムダンククラブ活動からは程遠かった。そもそも「ソフト」が頭についてしまった時点でなんか迫力に欠ける。

だいたい高校生くらいまでは運動できるやつがモテるのだ。私は運動は出来ない代わりに源平の合戦や戦国武将の姻戚関係にはやたら詳しかったが、こんなのは全くウリにならなかった。「平宗盛と知盛どっちが好き?」と聞いて、「うーん、あえて言うなら重盛かな。私真面目な人が好きなの。」などとマニアックな答えをいう女子などこの世にほとんど存在しないのだ。

社会人になってからは定番のゴルフもやらない。別にポリシーがあってやらないわけではないが、金がかかるし重たい棒を何本もそろえなければならないのが面倒だからだ。ただゴルフに関してはタモリこち亀両さんなど前言を翻してゴルフ好きになる人がいるので私もまだ分からないが。

というわけで全然スポーツはやらない。

そして見るほうにも興味がない。

私はサッカーの試合を通して全部見たことがない。絶対に寝てしまう。90分もじっと見てられないのだ。代表戦でも退屈で仕方がない。昔は野球をたまに見ていたが、もうここ10年くらい見ていない。大阪人だが阪神が勝っても負けてもなんとも思わない。プロレスも一時熱狂的に見ていたが最近は全然見なくなってしまった。

スポーツを見るのに興味がないのは明らかに母親の影響を受けていると思う。

私の母親は非常に冷めているところがあり、何でも切り捨ててしまう。昔初めて父親が母親をデートに誘ったときの食事が京都湯豆腐だったらしい。父親はオシャレな空気を作ろうとがんばったのだと思うが、母親は「この人なにかっこつけてんねん。湯豆腐なんか味気ないもん食べたないわ。肉食べさせろ、肉。」と思ったという。この話を聞いたときは自分の価値観を貫ける母親を尊敬したが、その後20回以上同じ話をされるのでもうさすがに飽きてきた。

当然スポーツにも容赦がない。中学生の時にテレビで相撲を見ていた私に「こんな太った裸のおっさんがぶつかってんの見ていったい何が面白いの?だいたいこの人たちなんでチョンマゲなの?」と聞いてきた。「何が面白いの?」と聞かれると説明するのは非常に難しい。仮に外国のどこかで「太った裸のおっさんのぶつかり合い」を熱狂して見ている国があると知ったら「うーむ、確かにこの光景は違う意味で面白いけど彼らは真剣に面白がっているな・・・なぜだろう」と異文化理解の難しさを実感することだろう。そう考えていると妙なものを見ている気になってきて見るのをやめてしまった。

またマラソンを見ていたら「車もある時代にわざわざしんどい思いして長い距離走ってる人見ていったい何が面白いの?私なら42キロも走らんと電車乗って移動するほうが楽でええわ。」と言ってきた。うーむ、そう言われるとやはり何が面白いのかよく分からない。

執拗に「このスポーツ見ていったい何が面白いの?」攻撃を受けてきたために、どれも面白くなくなってしまった。そのくせ母親は上沼恵美子やしきたかじんの番組は爆笑して見ている。私が仕返しに「この番組いったい何が面白いの?」と聞いても、「この面白さが分からんの?あんたアホやな。」と言われてしまい、全く勝負にならない。私には負けしか用意されていないのだ。

というわけで全然スポーツは見ない。

こういうことを考えるとつくづく豪州に生まれなくてよかったと思う。

こっちはスポーツ狂なのだ。やるのも見るのも大好きなのだ。本当かどうか知らないがオリンピックにおける人口一人当たりのメダル数は世界一らしい。

盛んなスポーツは日本とちょっと違う。

非常に人気があるのがラグビーだ。一口に「ラグビー」と言ってもユニオンとリーグの二つがある。日本でラグビーといえばラグビーユニオンのことを指すのだが、こちらにはもう一つラグビーリーグというのがある。どちらも大層な人気を得ているのだが、当然のことながらルールが若干違うらしい。私はそもそもラグビーユニオン)のルールもよく分からないので、違いはちんぷんかんぷんである。二つの歴史はウィキペディアこのサイトに詳しい。

ちなみにラグビーリーグの試合はこんなの↓。

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さらにオーストラリアンフットボールというのがある。私はたまたま会社の同じ部署の同期に「大学時代にオーストラリアンフットボールをやっていた」という珍しいやつがいたので、名前を聞いたことはあったが、初めて見たのはもちろんこちらに来てからである。これは簡単に言えばボールが楕円形で手で運んでもよくてタックルをしてもよいサッカーという感じなのだが、それじゃラグビーとどう違うのかと聞かれるとこれもよく分からない。ラグビーと違って前にパスしてもいいような気がする。↓こんな感じ。

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この3つは非常によく似ている。なぜここまで似通ったスポーツがそれぞれプロリーグがあって人気もあるのか謎だ。競技人口や人気が分散して困らないのだろうかと思ったが、少なくとも人気の点に関しては全く問題なさそうだ。なぜならスポーツ大好きの豪州人は3つともしっかり見ているからだ。

日本人の感覚でいえば、野球ソフトボールキックベースに全部プロリーグがあるという感じである。キックベースですよ、キックベース夢がMORIMORIですよ。夢がMORIMORIのスポーツにプロリーグがあるといえば、どれだけ豪州人がスポーツ好きか分かってもらえると思う。

クリケットも人気がある。これは英連邦各国で非常に盛んなスポーツであり、豪州もその例外ではない。これもルールが全く分からない。ボールを投げて打つという点では野球に近いが、ピッチャー(というのかどうか知らないが)は助走をつけて投げているし、なんかバッター(というのかどうか知らないが)が打ったボールは後ろに飛んでいくし、訳が分らない。

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飲み屋のほとんどはテレビがあって、これらの試合をずっと流している。大きな試合がある日はみんなでバーや友人の家に集まりビールを飲みながら試合を観戦する。

私も同居人に誘われてよく見るのだが、どのスポーツも何人プレイヤーがいるのか、どうなったら何点入るのか、などが全然分からず、つい「おっさんが必至になってボールを奪い合ってるの見ていったい何が面白いの?」と聞きたくなってしまうが、さすがにそれは封印している。

2008-07-20

[]新たなジャパニーズレストラン

先日のエントリーに追記。先日ブリスベンで見かけたスシのテイクアウトショップ。

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新しい言葉を作るというのは思いつかなかった。これなら無限にいける。

2008-07-16

[雑記]私の家探しについて

例えば日本の人と話したときに、「どんなところに住んでいるの?」とか「どんなものを食べてるの?」とか「英語はどう?」と聞かれることがある。先日"How are you?"について書いたのと同様に、こういった問いは特に意味はなく、話のきっかけのために聞かれているのだと思うが、せっかくなので今回は家探しの経緯について簡単に紹介したいと思う。

こちらで家を探すのは簡単ではない。理由はいくつかある。

まず高いこと。豪州は資源バブルの影響もあって経済が非常に好調である。インフレ抑制もあって金利も年間の預金金利が5%以上ある。だからもちろん家賃だって高い。こちらでは家を買うにしろ借りるにしろインターネットで調べるのが主流で、専門サイトもあるのだが、単身者用でも家賃20万程度がザラである。ただその分こちらはプールやジムがついているので一概に日本とは比較できないが。

英語であること。もちろん英語がペラペラな人はいいが、英語に不安がある私のような人はやはり家を借りるというのは一大事だ。日本語でも色々調べたりしなければならず困難を極めるのに、英語でやるとなればストレス抜群である。

制度が分からないこと。不動産には特有の知識が必要になってくる。日本で言えば敷金礼金はいくらかとか、契約期間がどれくらいであるかとか、そういうことだ。

そしてさらに家探しを難しくしているのが、私に家の選定に際するこだわりが一切ないことである。普通であれば南向きがよいとか、駅から近いのがよいとか、近所に買い物できる場所が欲しいとか、何かしらの判断基準が必要になってくる。ところが私は寝さえできれば家は何でもいいので、「こっちとこっちどっちがいい?」と聞かれても「どっちでもいい」としか言いようがない。まして寝る場所にもこだわりがない。私は学生時代自らを「いつ何時どこででも寝れる男」と豪語し、そして実践してきた男だ。その実践のために大学にさらに一年いることすらためらわなかった。非常にストイックだったのだ。他の点に関しては全く自信がないが、この点に関してはかなりの自信がある。「布団で寝てないから体が痛い」とか「高級布団はやはり寝心地がいい」とか言っている人の話を聞くと、お前は宇宙人かと思ってしまう。地球人ならどこでも寝れるだろうと。だから値段さえ安くて屋根さえついていれば家はどこでもいいのだ。


こちらに来て最初の数週間は日本で言うマンスリーマンションみたいな一時滞在者用のアパートにいた。このお金は一定期間を超えると自腹になるので早く家を見つけなければならない。やはり一時滞在者用だから高く、余計なお金は払いたくないからだ。

最初に見つけた家候補は飲み屋でたまたま話したスウェーデン人男とニュージーランド人女のシェアハウスである。先輩に連れて行かれた飲み屋で話しかけてきたニュージーランド人に「私はこちらに来たばかりで家を探している」という旨を伝えると、「私たちも一緒に住む人を探している」というのでメールアドレスを教えてもらった。おー、これはいいかもと思い、翌日早速メールを送ってみたが返事はなかった。まあ、そんなもんかなと思い、まずここはあきらめた。

続いてインターネットでいくつか家を探して下見に行ってみた。こっちは景気がよく、不動産人気が高いので、下見も希望者数人に対して一辺にやることが多い。だから一緒に下見をしている人は全員ライバルである。私は説明を受けても95%は聞き取れないので、適当に首を上下に動かし、まるで分かっているような素振りをしているだけなのだが。何回か行くうちに、たまに「Oh」とか言ってみると効果的だということが分かった。内容は分からないが、さらに詳しい説明を引き出すことが出来るのだ。何回か応募してみたが、一緒に来ていたライバルに負けることが多く、なかなか見つからなかった。

いつまで経っても家が決まらないのでだんだん焦ってくる。

1ヶ月くらい経ってやっと本命が現れた。外資系金融機関に勤める23歳男とのシェアハウスである。これもインターネットで見つけたのだが、会社から徒歩圏内だし、シェアで家賃もまあまあ安いので、ここに決めようと思って事前にメールで予約して下見に行った。ところが下見の当日に私より先に決めた人がいるらしく、わざわざ下見に行ったのに玄関で追い返されてしまった。

これには本当に困ってしまった。また一から探し直さなければならない。会社からは「早く決めろ」との催促が来てプレッシャーを感じるし、何より探すのが面倒くさい。

うーん、困ったなと思って、とりあえずブリスベンの街を歩いていると向こうから見た顔の女性が歩いてきた。私には白人の顔がみんな同じに見えるので「えーっと、誰だったかな」と考えたが、思い浮かばなかったので「とりあえず無視しよう」と決めた。「微妙な人に会ったら無視する」というのが根暗な私の基本路線なのだ。するとすれ違うときに向こうから話しかけてきた。「まだ家探してるの?」と。そこでやっと思い出した。1ヶ月ほど前にメールを送ったが返事がなかったニュージーランド人だったのだ。

「もちろん探してますよ。というか今も家の下見に行ってきたけど、ダメだったので、どうしようか途方に暮れていたところだったのです。」

「じゃあ今から私の家見に来ない?」

「え…、今から?是非そうします。ところで僕のメール受け取りましたか?」

「受け取ったけど、あなたのメールなくしちゃったのよ。」

「(絶対嘘だ、と思いながらも)なるほど。それなら仕方ないですね。」

急な展開に戸惑いつつも家に行ってみた。ただ、よく考えてみれば飲み屋で知り合った英語も話せない外人にいきなり部屋を貸すのはリスク大きいだろうから、メールに返事しないのは当然だと思う。私も同じ立場ならそうするかもしれない。私にとってはそんなことよりも、一ヶ月も経ってから街で会ったときに声をかけてきて「家を見に来ない?」と言ってくれたことが非常に嬉しかった。

早速行ってみると二階建ての一軒家風の家である。ここの二階がその家らしい。会社がある街の中心部からは歩いて20分ほど。家賃は3人だから格安。共有のリビングなどがあり家としての広さは結構ある。個室が3つあるので、うち一つを私が借りられるということだった。個室の広さは4畳半ほど。トイレットペーパーや洗剤は交互に買い、食料やシャンプーなどはそれぞれで管理とのこと。それ以外は特にルールはないらしい。

向こうも私が住むことに抵抗はなさそうだったので、即決して借りることにした。街で偶然再開したという物語性が後押しした部分もある。

最初の1ヶ月はベッドがなかったので寝袋で寝ていたが、虫に噛まれ体がかゆくなったので、先日IKEAに行きベッドを購入した(かゆみは睡眠の問題じゃないので「いつ何時どこででも寝れる」には反しない)。ちなみに日本のIKEAには行ったことがなく初めてだったのだが、いろんな意味で驚きの多い場所だったので、日本の皆さんも行ってみたら面白いと思う。

そこに住んで現在1ヶ月半ほど経つ。最初はシェアということもあって、どうなるのかなと思っていたが、かなり楽しい。シェアは一緒に住む人の性格に大きく左右されると思うのだが、スウェーデン人男は大学院生で頭がよく、ニュージーランド女は社会人だが天真爛漫という感じで、二人とも日本語を解さないという問題点を除けば非常にいい感じだ。シェアハウスには干渉型と非干渉型があるらしいが、ここはバリバリの干渉型である。二人はもともと友達なので共通の人間関係も多く、互いのことをよく知っている。だから私も自然と巻き込まれる。

二人が本気で話し出すと英語が分からないことと共通の話題についていけないことから、私は置物のように座っているだけになってしまうことが多いが、それはそれで一人アフレコゲームをしたりして楽しい。ちなみにこのゲームはあまりにも分からない会話を「え、二代目桂枝雀師匠米朝でしょ」「あっ、そうか。ざこばとか南光枝雀の弟弟子になるのか」「いや、南光枝雀の直弟子よ。米朝から見たら孫弟子のはずよ」「そうだったっけ?そこはいつも間違えるんだよな」「そこは痛快!エブリデイ見る際にはすごく重要よ。」「あれ、知らないの?あの番組2008年6月に終わったんだよ。」「ええ!知らなかった。それはすごく残念だわ。立原啓裕見れる場所が一つ減ってしまったわね」などと話していると仮定するゲームである。「うわ、このニュージーランド人、立原啓裕知ってんのか!東京でもほとんど知らんのに!」と勝手にテンションを上げている。

いずれにせよ、この二人のことはまた書きたいと思う。

そういえば私は大学時代にもスロバキア人、トルコ人、韓国人とシェア生活をしていたし、大学時代や会社に入ってからもシェア生活をしている友人が結構いたので、何の抵抗もなかったし、今再び楽しいので日本に帰ってもまたシェア生活をしたいと考えているくらいだ。誰か前向きにご検討ください。

びんびんびんびん 2008/07/21 02:59 >ピソさん

関東の人は、大阪ローカル番組には驚くでしょうね。
関東でいう「王様のブランチ」的な番組はいくつかありますが
どの番組も芸人がMCやっています。
トミーズやハイヒール、海原やすよともこといった面々です。

さらには深夜番組も、違う番組が放映されています。
こちらは、やしきたかじん、上沼恵美子といった面々が
がっちり押えています。

ちなみに、月曜日の深夜は、さんまと紳助が同時間帯に
関西ローカルの番組をしているため、どちらを見るか
悩むのが関西人としての喜びです。

関ジャニも向こうの方が露出度高そうですね。

jinmenbokujinmenboku 2008/07/21 08:36 >ピソさん
また素晴らしい動画ありがとうございます。まさに狂演ですね、これは・・・。
ほとんどの関西の公立中学校では二年二学期中間テストだけ「お笑い」の試験があるので、そのときにまとめて覚えさせられるんですよ。ただ最近は誰かの弟子じゃなくてNSC出身の人が増えてきているので、ピープルツリーじゃなくて何期生かっての頻出項目になってきてるらしいです。「陣内とタムケンは同期やろ」みたいな。「あれ?メッセンジャーは先輩かな。」みたいな。

>びんびんさん
私は完全に明石家電視台派でした。

2008-07-07

[]私の体を壊すのは何か?

巨額の赤字を抱える国の財政赤字問題や北朝鮮への対応が問われる外交問題少子高齢化社会への対応をどうするかといった社会問題環境問題など、日本国民を悩ます問題は実に多い。日々頭を悩ましている日本の皆さんをこれ以上を悩ましたくなかったからこれまで秘密にしてきたが、これ以上隠すこともできない。だから今日はちゃんと話をしたいと思う。

こちらに来て2ヶ月ほどになるが、最近病気にかかっているようだ。

私はどちらかと言えば体が頑丈な方だと思う。

小学四年生のときに肝炎で死にかけた(実話)のと、大学の時にスリランカで虫が体に寄生して皮膚に穴が開いて全身が腫れて死にかけた(実話)のと、モンゴルで異常な日焼けをして死にかけた(誇張)の以外は特に健康には問題なく生きてきた。風邪もほとんどひかないし肩こりとかストレスとかも無縁だった。ひょっとしたら私だけは死なないのではないかと思っていた時期もあったほどだ。(以下、面倒くさいので(誇張)とか(実話)とか書かない)

ところが。ところが、である。

こちらに来てしばらく経つ頃から最近体が変調をきたすようになってきた。

すぐにアレが欲しくなってしまうのだ。

日本にいたときはアレを摂取することはほとんどなかった。多くても一ヶ月に一回程度だったと思う。ところが今はほぼ毎日摂取している。アレがなくなると手足が震えてきたりイライラしてきたり大変なのである。だからアレを買う量が異常に増えてしまった。もちろん金銭面の打撃もあるが、健康面ではどうなのだろうか。あまりアレを摂取しすぎるとよくないと聞いているが、本当のところはどうなのだろうか。

アレとは酒やタバコではない。まして薬物でもない。


コーラである。


今や私はコーラ中毒という病にかかってしまった病人なのだ。

バファリンの半分は優しさで出来ているらしいが、今や私の五十分の一くらいはコーラで出来ていると言っても過言ではない。


理由はいくつか考えられる。

1.ファーストフードを食べる機会が多いこと

日本にいたときはマクドナルドケンタッキーに行くのはせいぜい月一回くらいだった。私はコンビニや自販機でコーラだけを買って飲むことはまずなかった。コーラを飲むのはもっぱらファーストフードだったのである。マクドナルドてりやきマックバーガーを食べながらコーラを飲むとなんともうまいのだ。とはいえ他にうまいものがたくさんあるので、そんなにマクドナルドへ行くことはなかった。

ところがこちらに来てからは週二回くらいは行っている。理由はいくつかあって、こちらはほとんどのお店が閉まるのが(日本の感覚からすれば)異常に早い。商店は5時とかに閉まってしまうし、レストランも9時には終わっている。すると例えば夜遅くなって何か食べようとするとファーストフードしか開いてないのだ。マクドナルドは24時間営業なのである。だから夜にマクドナルドハングリージャックスバーガーキング豪州版)に行ってハンバーガーを頬張りながらコーラを飲むことになる。日本のメニューに比べると少し塩辛い気がするが、まあまずくはない。


2.私がコーヒーを飲まないこと

こちらの人はみんなコーヒーが好きである。各自自分の好きなコーヒーの種類みたいなのを持っていて、ちょっとしたカフェに行っても自分のこだわりコーヒーを飲んでいる。この点コーヒーに関しては日本人よりうるさい。だからよくコーヒーを飲む。

ところが私はコーヒーを飲まない。別に飲めないわけじゃないが、特に美味しいとも思わないので本当に眠いときと、う○こをしたいときのためにとってあるのだ。私の母親はコーヒーが大好きだったが、その理由としてよく「コーヒーを飲むとう○こが出やすいから」と主張していた。「あんた、もし便秘なるやろ。コーヒー飲んでみ。あっというまにトイレに直行やで。お母さん、コーヒー手離されへんもん」と全く聞きたくもない母親の便秘解消話を子守唄代わりに何度も聞かされて育ったのだ。この話を聞きすぎたおかげで私の頭の中ではコーヒーコーラック≒う○こである。

コーヒーがなんか種類が多くてかっこいい空気を出そうとしているのも嫌いだ。「コーヒーにはうるさい」と言うとなんかちょっとかっこいいじゃないか。私は一度スターバックスに行って何も分からないまま「注文は?」と聞かれて、なんか聞いたことがあるので「エスプレッソ」を注文したところ、信じられないくらい小さなカップに入ったくクソ苦い飲み物が出てきて以来、コーヒーは頼まない。何事も最初が肝心なのだ。「カプチーノ」やら「モカ」やら「ラテ」やら「カフェマキアート」やら聞いたことはあるが、実際に何が出てくるか全く分からないから絶対に頼まない。少しはコーラのシンプルさを見習って欲しい。そういえばコーヒーとは関係ないが、小学生の頃、周囲が全員週刊少年ジャンプドラゴンボールスラムダンクなどが載っている黄金世代だった)を読んでいたので、私もコロコロからジャンプに乗り換えようと思って、愚弟に金を渡し「(週刊少年)ジャンプ買ってきて」と頼んだことがある。すると何を思ったのか月間少年ジャンプを買ってきた。自分の弟の頭の悪さに非常にげんなりしてしまったが、結局きっかけを失い、それ以来ジャンプは今に至るまで一冊も買ったことがない。あの頃から最初が肝心だったのだ。全く性格が変わっていないようだ。

ということで、コーヒーを飲まない私には、飲み物のチョイスが必然的に少なくなる。こっちは飲み物といえば水かコーラコーヒーしかない。水を買うこともあるが、せっかく金を出すなら味のついたものをという貧乏性が顔を出し、コーラにしてしまう。


3.コーラに中毒性があること

本当かどうか知らないが、コーラには中毒性があるらしい。大量のカフェインが含まれており、摂取がやめられなくなるようだ。たぶんアル中みたいな医学的治療を必要とするものではなく、それこそ日本茶コーヒーからカフェインを取りたくなるのと同程度だと思うが、これも理由としてはあると思う。


4.オーストラリアが乾いていること

オーストラリアは世界で一番乾いた大陸と言われているらしい。慢性的に水不足なのだ。まあオーストラリアと一口に言っても面積が日本の20倍以上あるので、なんともいえないが、ブリスベンの平均湿度は日本より低いようだ。日本にいたときより喉が渇く気がする。ということで何か飲みたくなってしまう。


5.なんだかんだでコーラがうまいこと

アメリカのイージーな食べ物を提供している世界企業(マクドナルドコカコーラケンタッキーフライドチキンなど)の食い物はまずいというイメージがある。「(食べ過ぎると)体に悪い」というのは確かにそうかもしれないが、味についてはまずくないと思う。それなりにうまいに決まっている。本当にまずければ世界であんなに広がるわけがない。いくら「先進国アメリカ」のものだからと言って、各国の人々が嬉々としてマクドナルドに飛びつくのはそれなりにうまいからだ。世界中で受け入れられる普遍的な味だとすら言えるかもしれない。更に言うとビールと並んで世界で一番うまい飲み物とすら言えるかもしれない。ただ日本にはありがたいことに食べ物も飲み物もチョイスが多いから、必然的にあまり行かなくなるだけだ。まずいからではないと思う。


というわけで、コーラばかり飲んでいるのだが、あまりにも単調なのはよくないと思い、次はダイエットコーラペプシのどちらかをレパートリーに入れたいと考えている。

2008-07-01

[]ボタンチラリ化はいいことか?

銀河系にボタンポン星、ボタンチラリ星という星があるのを知っているだろうか?

ボタンポン星は銀河系で二番目に科学が発達している星で、ボタンをポンと押すだけで全てのことが出来る(歯を磨いたりとか料理作ったりとか)。医療が発達しすぎて人間が不老不死状態になっているので、生きるのに飽きてきたら「0次元」という建物に入って消滅することになっている。日々たくさんの老人がベルトコンベアーに乗って「0次元」に入っている。地球のことを科学の遅れた星だと言って馬鹿にしている。

ボタンチラリ星はさらにすごい。銀河系一番の発展度を誇り、ボタンをチラリと見るだけで何でも出来る星だった。ボタンポン星のことすら馬鹿にする圧倒的な科学発展度一位の星だった。ボタンを見るだけで機械が作動してしまうので、誤って見てしまっただけでも機械が動き非常に困ったことになっていた。「だった」とか「なっていた」と過去形なのはもちろん今は違うからだ。太陽黒点の異常によりボタンチラリ星のコンピューターが狂ってしまい、事情が変わってしまった。ボタンチラリ星人は全てをコンピュータに頼っていたため、コンピューターが異常をきたすと本人は何も出来ず、逆に原始的な生活に戻ってしまった。現在彼らは原始的な生活で、1+1の答えも出せないような状態になってしまった。みんなで「うーん」と言って考えている。

これは21エモンという藤子F不二雄の漫画に出てくる話だ。21エモンはあまりヒットしなかったが、かなり面白い。もちろんこのボタンポン星の話は科学万能信仰への皮肉とあこがれの両方が込められたものになっているのだと思う。

地球はまだまだそこまでの科学発展を遂げていない。ただ各国の発展度合いに違いはあり、日本は豪州に比べて一段ボタンチラリ化・ボタンポン化が進んでいると思う。

いくつか具体例を挙げて紹介したい。

1.信号

豪州の信号と日本の信号は基本的に同じである。青は「渡れ」で、赤は「止まれ」である。というか世界共通らしい。日本と唯一違うのは歩道の信号の色を変えるためにスイッチを押さなければならない点だ。このようなボタンである。f:id:jinmenboku_au:20080701201307j:image

もし横断歩道で信号が変わるのを待っていても、スイッチを押さなければずっと渡れない。たまに何度もカチカチ押しているおっちゃんを見ることがあるが、一回押せばそれでいい。(つい数回押したくなる気持ちは分かるが、別に何回も押したからといって早く変わるわけではない)

面白いのは複数の人が信号待ちをしているときに、後から来た人を見るとその人が性善説を採用しているか性悪説を採用しているかが分かる点だ。自分が信号に行ったときにすでに誰かがいたとしても、その人がすでにちゃんと押しているかどうかは判断できない。だから性悪説を採用している人は、つい自分でも押してしまう。これは結構嫌味だと思う。「お前は確かに先に信号待ちしてたけど、ちゃんと信号のスイッチを押しているかどうか不安だから俺が自分で押す。この世で俺が信じられるのは俺だけだ!」という人としてあまり美しくない態度が前面に出てしまうからだ。

一方、性善説の人はすでに他の人がちゃんとスイッチを押しているだろうからということで、あえて自分がスイッチのところに行って押すことはしない。一見ジェントルマンだが、性善説の人ばかり集まっているときは、まれに誰もスイッチを押していないときがある。そういうときはいつまで経っても信号が変わらないので、周囲を見渡すと確かに人の良さそうなのばっかり集まっている。みんな信号が変わらないのにニコニコしているから、仕方なく「どちらかというと性悪説」の私が押す。

下の写真を見ても分からないが、豪州の信号では凄まじい心理戦が繰り広げられているのだ。

f:id:jinmenboku_au:20080701201340j:image

こうやって書くとなんか面倒くさいような気がするが、システムとしては日本の信号よりこちらの方がはるかに優れていると思う。日本は自動的に変わってしまうので、信号で人の性格判断をすることも出来ないし、通行人がいないのに青になってしまって車の流れを無駄に止めるという問題もある。ボタンを押すという一手間必要だが、こちらの方がうまく機能しているのではないかと思う。

2.タクシー、電車のドア

これも上で挙げた信号と同じである。タクシーは日本はドアが自動で開くがこちらは開かない。自分で開けれなければならない。なんかドアが自動的に開くという日本の王様スタイルに慣れていると、こちらでタクシーに乗ったときもついついドアを開けるのを忘れてしまいそうになる。するといつまで経っても降りれない。なんかおかしいと思ってやっと自分でドアを開けるのだ。こちらの運転手からすればタクシーを降りようとする人が目の前のドアを開けるのを忘れるなんてナンセンスな話は信じられないだろうが、日本から来た人間には実際に起こりうるのだ。たぶん運転手に「なぜ支払いが終わったのに降りないのだ?」と聞かれて「ドアを開けるのを忘れていました」と答えたら、めちゃくちゃびっくりされるだろう。

電車のドアも同様だ。降りるときも乗るときも自分でドアを開けなければならない。だからタクシーと同様に開け忘れ・閉め忘れの問題が起こる。ただ電車のドアを開けるというのは日本ではあまりしたことがなかった経験なので私はこれがちょっと好きだ。日本でも北国では普通らしいが。

3.クレジットカード

クレジットカードの精算も基本的に手動である。毎月、決まった日に銀行口座が引き落としされるわけではない。だから使ったらこまめにインターネット上で精算をしなければならない。これを忘れていると精算が終わっていないということでバカ高い金利が取られる。しかし、私はこれもこちらのシステムの方がいいと思う。私はクレジットカードを使ったら、すぐに精算したいタイプだ。クレジットカードの使用残高が残っているのは嫌なのだ。銀行口座に200兆円あったとしても、クレジットカードの未精算分が20万あったら実質の所持金は199兆9999億9980万である。その実質所持金をタイムリーに知りたいのだ。ところが以前日本のカード会社に聞いたときは、基本的にそれは出来ないということだった。だから月一回の自動引き落としを待たなければならない。確かに精算忘れによる金利発生という事態は免れられるが、そんなことより気持ち悪さが残っていることの方が私は嫌だ。

4.ガソリンスタンド

これは特に言うことはない。日本でも最近増えているが、こちらは全てセルフ式である。よく考えたらガソリン入れるなんてそんな大層な作業ではないし、まして窓拭いたりゴミまで捨ててくれなくてもいい。それくらい自分でやりますから。

5.酒

そして酒である。これについては日本のボタンチラリ化は凄まじいものがあると思う。場所にもよるだろうが目上の人の「ボタンチラリ」の威力は凄まじい。私はこのボタンチラリに結構鈍感な方だが、自分自身はちょくちょく使っていた。大学の後輩とかと飲むときはボタンチラリをするのだが、ところがこれまた鈍感なやつで全然気がつかないので、何度もチラリをして、咳払いまでして、何にも起こらないので結局自分で注いだこともある。この点については色々議論があるだろうが、私は豪州のセルフでやりましょうスタイルの方が好きである。

やはり総合的に考えてると、日本はかなりたくさんのことがオートマティックに進んでいると思う。大学時代の先輩に「タバコを吸う手を動かすのが面倒だから、自動的にタバコを吸わせてくれる機械が欲しい」と信じられないくらい横着なことを言っていた人がいたが(ただこの発想は素晴らしいと思う)、やはりちょっとずつボタンポン化・そしてボタンチラリ化の傾向にあることは間違いないと思う。

この点はオートマティック過ぎる日本より豪州のボタンポン度、ボタンチラリ度はちょうどいいと思うのだ。

2008-06-27

[][]豪州人の肥満について

先日、パリスヒルトンと豪州人の肥満というテーマでエントリーを書いたが、それに関連して、豪州人の肥満が世界一になったというニュースが出ていた。見た人もいるかもしれない。これで豪州ではパリスヒルトンがかわいく見えるという私の説の正しさが証明されたと言える。

肥満度を競う五輪があれば、わが国が金メダルを獲得するだろう」

肥満度を競う戦争があれば、わが国は超大国だろう」

肥満度を競う試験があれば、私は東大に入れるだろう」

肥満度が資産になれば、私は金持ちになるだろう」

肥満が遺産になれば、私の子孫は繁栄するだろう」

肥満が美になれば、私は美人だろう」

肥満が増えれば、私は埋もれるだろう」

「暇が増えれば、私は退屈するだろう」

「今がよければ、それでいいだろう」

「今川焼きは、美味しいだろう」

「今川家は、惜しいだろう」

「今だけは、I love youだろう」

「言い訳は、苦しいだろう」

「日焼けが、痛いだろう」

「嫌気が、さしたろう」

「怪我させたろう」

「怪我人だろう」

「毛が無いんだろう」

「誰がハゲやねん!」

2008-06-25

[]成人映画に未来はあるか?

自分で言うのもなんだが、私はろくな年越しを迎えたことはない。

一番悲惨だったのは大学4年の時に下宿の前のサークルKで「週刊プロレス」を読んでいたら、新年になっていたときだ。卒論が書けず留年がほぼ決定的になっていたこともあって、さすがにあの時は家に帰って一人で「ごめんよ、おかあさーん」と言いながらわんわん泣いた。生まれてはじめて「切ない」という言葉の意味を肌で理解したのはあの時だと思う。

今年は実家でボーっとテレビを見ながら年越しを迎えた。なぜかジャニーズの番組だった。ジャニーズカウントダウンライブというやつだ。彼らの人間関係とかを考えてると結構楽しめるので、なんだかついつい見てしまうのだ。まあどうってことのない年越しだったのだが、面白かったのはその後だ。

一緒にテレビを見ていた弟と「年越し一発目のラーメンを食べに行こう」ということになり、タクシーで(社会人!)近所の海童という名前のラーメン屋まで行き、そこでニンニクがたっぷり入ったラーメンを食べた。ここは年中無休で朝五時までやっている素晴らしいラーメン屋なのだ。

(どうでもいいがニンニクラーメンという単語を聞くと泉昌之の「かっこいいスキヤキ」という漫画を思い出す。ここにニンニクラーメンを食べて、うんこが我慢できなくなる話があるのだが、これに収録されている「夜行」という話と「かっこいいスキヤキ」という話は爆笑必至なので是非読んでほしい)

かっこいいスキヤキ (扶桑社文庫)

かっこいいスキヤキ (扶桑社文庫)

そしてお腹いっぱいになったところで、これから何をしようかという話になり、なぜか成人映画を見に行くことになった。

私の実家のすぐ近くに「タナベキネマ」というちゃんと経営できているのかこっちが勝手に不安になるようなこじんまりとした映画館がある。そこではいつもちょっと古かったりマニアックだったりする映画をよくやっているのだが、それだけではなく毎日夜中は成人映画を放映しているのだ。

今の実家の東住吉というところはもともと祖父母の家だったので、昔はこの街には年に数回しか来なかった。しかしその数回が非常に楽しみだった。なぜならこの映画館の横を通るたびに親の目を盗んでチラッと成人映画の広告を見ることが出来たからだ。首の骨をゴキゴキやる素振りで一瞬だけ成人映画のポスターを見る。子供にとってはよく分からない単語などもあるので、一瞬でその単語を記憶して後で辞書を調べたりする。そうするだけですでに辞書がエロ本に様変わりである。ぬおー、あのポスターに書かれていたのはこんなエロい意味の言葉だったのか!という具合に。なんか今でも「日活ロマンポルノ」なんていう単語を聞くとちょっとドキッとしてしまう。


ところがそんなに興味を持っていた成人映画なのにいざ見れるようになってからは一度も見たことがなかった。なぜなら成人映画に対して全く必要性を感じなかったからだ。エロい映像を見たければ単にAVを見ればよいのだ。わざわざ映画館で見ることにどんな意味があるのだろうか。むしろ価格的にも、パブリックな場所だということからも、デメリットしか思い浮かばない。だからある程度の年齢になってくると、なぜ成人映画が存在するのかが疑問になってくる。


だからこれまでは一人で行く勇気も必要性もなく成人映画からは程遠いしょぼい人生を送っていたが、やはり子供の頃のあのドキドキを再現したいと思い、今年の正月に弟と一緒に行くことにしたのだ。年越しの直後であることも妙な勢いを後押ししたのかもしれない。

1月1日になってまだ2時間ほどしか経っていないときに私と弟はタナベキネマに到着し、二人分のチケットを買った。こんな正月から成人映画を見に来ている人などいないのではないかと思っていたが、いざ入ってみると3人くらいの人影が見える。この人たち年越しの瞬間から何をしているんだと説教でもしてやろうかと思ったが、あまり人のことは言えない。

私と弟も適当に席を見つけて座って映画を見だした。確か内容は「女がいきなり知らない男に監禁されるが、女の彼氏がなんとかそれを見つけ助け出す」というストーリー。こうやって書けばまだまともな感じがするが、演技も稚拙だし、ストーリーの細部はめちゃくちゃだった。女とその彼氏はなぜか監禁から逃れても警察に行かないし、だから変態男はまた次のターゲットを探すし、訳分からん。小学生が書いたみたいなストーリーだった。

私は予想していた百倍ほど面白くなかったので、途中で寝てしまった。弟はその次の映画もしっかり起きて見ていたので 、あとで内容を聞いたところ、こちらは更にひどかった。「ある男とある女が合コンで知り合いその後結婚する。ところがこの女は性的に貪欲だったのでその男の父や姉とも性的関係を結ぶ。そして家族円満になる」というストーリーだったらしい。このオチはちょっと面白いが全くアホな内容であることに変わりはない。

ただいくつか新しい発見があった。

  1. エロいことはしていない。しているように見せているが本当は何にもしていない。
  2. 局部らしきものにモザイクがかかっていたが、あれはたぶん本当の局部ではない。逆にモザイクを利用して違うものを局部のように見せているのだ。このテクニックは面白い。
  3. 新年早々何をやっているんだと思っていた来場者も何をするわけでもなく、ただ見ているか寝ているだけ。
  4. 寝ている人はよく来ているのかもしれない。寝る場所代わりに利用されているようだ。ひょっとしたら成人映画のライバルは漫画喫茶カプセルホテルかもしれない。確かに1000円程度でずっと寝られるのはいいかもしれない。

なぜ成人映画が存在するのか疑問だったと言ったが、自分の中でのとりあえずの結論は「寝るところのないおっちゃんが寝るため」ということになった。長居公園が近いことも営業の後押しをしているのかもしれない。ただ映画館側は採算的にやっていけるのかという点は不明で、私は依然成人映画の未来に大きな疑問符を持っていた。


そして先日人生二回目の成人映画を見てきた。私がいるブリスベンという街ではなく、パースという街に行ったときのことだ。

一人で街を歩いていると「Porno Cinema」という看板を見つけた。そこでちょっと躊躇しながらも成人映画の未来を確認するという使命感にかられ、おそるおそる入ってみた。小さいビルの入り口を入ると地下に続く道があり、そこをゆっくり歩いていく。そして中に入ってみるとポルノグッズを売っているお店だった。どういうわけだか知らないが、そのお店の奥に小さいシアターがあり、そこでPorno Cinemaを上映しているらしい。

入場料は確か日本と同じくらいの11豪ドルくらい(1100円くらい)でそれほど高くない。

面白かったのは豪州の成人映画も日本の成人映画に極めて似ていたことだ。料金だけではない。観客はおっちゃん5人くらいだったこと、実際にエロいことはしていないこと、激しくつまらないストーリー、いったんお金を払えばずっと見ていられることなどなど。ただ違ったのは真昼間だったので誰も寝ていなかったこととモザイクがなかったことくらいだ(だからたまに局部が写る)。

私は結局、馬鹿馬鹿しい軍隊ものを2本見た(一つ20分くらい)。一つは「地上戦の最中に敵の攻撃をくらって怪我をした男を女が看病しながらなぜかエロいことになる」というものだ。笑ったのはまだ敵が攻めてくるので手榴弾投げながらエロいことをしているシーン。そして最後はフィニッシュを迎えると同時に敵の攻撃を受けて死ぬというなんともアホなストーリー。

もう一本は「軍隊で男性の上官が女性の部下に手榴弾の投げ方や武器の使い方を教えていると、グヘヘもっと違うことを教えてやろうという風になる」というこちらも負けず劣らずアホなストーリー。


しかし「成人映画は寝るための場所だ」という自説は豪州の地でもろくも崩れ去ってしまった。みんな起きてジーッと映画を見ていたからだ。これはさらに不思議である。いくら多少エロいとはいえストーリーが全然面白くないものをジーッと見ているのは苦痛でしかないからだ。


ちなみにパースは世界で一番美しい街と言われているらしい。私もパース市内を一望できる公園に行ってみたが、緑と川と高層ビルが並ぶ景色は確かに綺麗だった。

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2本見て映画館を出た後は「切ない」気持ちになってしまったが、それは「こんな綺麗な街で何をやっているんだ」という後悔の気持ちか、「私の成人映画論が振り出しに戻ってしまった」という残念な気持ちなのか、はっきりしないが、たぶん両方が入り混じったものだったのだと思う。

2008-06-18

[]タッチのヒロインの名前が南じゃなかったら?

タッチのヒロインの朝倉南の名前が「南」じゃなかったら・・・?

ということを考えると、いつも胸がざわついて夜眠れなくなってしまう。

眠ってしまった後も「南」じゃない世界を夢で見てしまい、夜中に飛び起きる。水を一杯飲んで落ち着こうとするが動悸が治まらない。そしてまた布団に入るが、結局寝不足のまま朝を迎えてしまう。

こういう経験をしている人は多いはずだ。少なくとも先生を「お母さん」と間違って呼んでしまった経験がある人よりは多いはずだ。


もし朝倉南の名前が「南」じゃなかったら、あんなに作品自体が大ヒットすることはなかっただろう。それだけではない。他にも世界中にいろいろな影響を及ぼしたと思う。

ソ連が崩壊して冷戦が終わったこと、オウム真理教関連の事件、911テロ、私が留年したこと、など1990年以降の歴史的な出来事は「南」というネーミングの素晴らしさとの関連を無視しては正確にその実態をつかむことが出来ないとさえ言える。(あえて説明しないが、よく考えれば誰でも分かる)

もし「南」の素晴らしさにピンと来なければいくつかシミュレーションをして欲しい。

タッチのヒロインの名前が「ヨネ」だったら、世界はどうだっただろうか。

あるいは「キク」だったらどうっただろうか。

はたまた「トミ」「ツネ」だったらどうだっただろうか。

とてもあそこまで作品がヒットしたとは思えないということが分かるだろう。私もヒロインの名前が「ヨネ」だったら浪人や留年を繰り返したとは到底思えない。


そりゃあいくらなんでもヨネってのは例が変だろうという反論もあるかもしれない。(だいたい「お」を頭につけて不自然じゃない名前はちょっと古いイメージがある)

でもそこまで極端な例ではなくても「幸子」でもダメだと思う。ただ「佐智子」ならいけるかもしれない。また「政江」はちょっと違うが「真紗恵」ならOKだろう。私のアホな弟は「さくら」や「ひかり」ならば「南」に匹敵するくらいいいのではないかと鼻の息を荒げていたが、私も正直賛成である。


非常に難しいがこの辺の感覚が分かるだろうか?

「南」という名前をつけたあだち充のセンスはどれだけ賞賛しても足りるものではない。万が一「東」「西」「北」だったら絶対ダメなのだ。

私は何も古い名前がダメだと言っているわけではない。あのタッチに出てくるヒロイン(主人公の幼馴染で新体操をやっていて超美人で喫茶店のマスターの娘)に合うか合わないかを言っているのだ。そういう意味で「南」というのはあの漫画がヒットした大きな要因になっていると思うのだ。

近年、日本人らしくない変な名前が増えているという批判を聞くことがある。私は大体何でもOKということが多いので「変な名前でもええやん」と思う(とはいえさすがに「悪魔」と名づけるのはどうかと思うが)。昔の名前だって「妹子」とか「入鹿」とか変なの多かったし、山中鹿之助(これは本名じゃないが)なんか名前の発想は池乃めだかと全く同じである。

だからどんな名前をつけたって構わないのだが、その言葉が持っているイメージから逃れることは出来ない。ネーミングは非常に重要なのである。


そこで豪州のネーミングについて考えたい。

「向日葵」「新橋」「園」「祭り」「四季」「膳」「おしん」「どすこい」「豊作」「バンザイ」と適当に羅列してみたが、これが何か分かるだろうか。

こちらで見たジャパニーズレストランの名前である。

一口にジャパニーズレストランと言っても経営者も日本人でお客さんも日本人を対象にしているお店もあれば、経営者は外人、店員も全員外人のなんちゃってジャパニーズレストランもある。

なんちゃってジャパニーズレストランである「豊作(ブリスベン)」にはうどんの説明として「udon=rice noodle」と書いてあった。四国の人怒り出すぞ。豪州産小麦を使って作られているというのに…。まあ、そんな感じのお店もある。

そういえば海外の日本食について政府が認定を行うとかなんとかというニュースもあった。私はそんな細かいこと言わずになんちゃって日本食でもいいじゃないかと思う。中国人王将に行って「本当の中国料理と違う」とか、インド人がココ壱番に行って「本当のカレーはこんなんじゃない」とか言い出されても困るし、そもそも本当の日本食とは違っても美味しければ生き残るだろうし、美味しくなければ潰れて淘汰されていくものだと思う。

農林水産省もこんなことに金かけてる暇があったら他にもやることあるだろうと思うが…。


話がそれた。それにしてもこうやって見るといろいろな名前の付け方があるのだなあと思う。

新橋シドニー)」は土地の名前をつけている(ひょっとしたらオーナーが「新橋さん」なのかもしれないが)。シドニーにあるお店でなぜ「新橋」なのか全く分からないが(ここも山手線ルールか?)、味は美味しかった。地名をつけるなら「六本木」「神戸」「北陸」なんていうのも美味しそうだ。逆に「池袋」「尼崎」「北関東」というのはあまり美味しそうではない。出身の人がいたらすいません。

おしんブリスベン)」というのは有名なのだろうか。スリランカではみんなおしんを見ていたが、オーストラリア人があれを見て楽しいと思うとは思えない。それになんか「おしん」というお店ではごちそうが出てくるような感じがしない。白米ではなくアワとかヒエが出てきても「だっておしんだよ?」と言われたら文句は言えない。

「園(ブリスベン)」とか「四季シドニー)」や「膳(パース)」はちょっと高めで日本人客が多い。これもなんとなくネーミングから伝わってくる。

「祭り(パース)」「どすこい(パース)」や「バンザイ(パース)」は日本文化関連の単語を使っている。

このパターンは結構いけそうだ。「サムライ」とか「ニンジャ」みたいな名前の日本料理店もあるかもしれない。ニンジャはいいなあ。余談だが東南アジアには↓みたいな蚊取り線香がよく売られており、恐ろしい。

f:id:jinmenboku_au:20080618162316j:image


じゃあ自分ならどうつけるかと考えてみたが、やはり日本文化系でいきたい。

「フジヤマ」はちょっとありきたりなのでパス。

ゲイシャ」だと何の店か分からなくなってしまいそうなのでパス。「マイコ」ってのも祇園に行ったことのない人間として気が引ける。


「ショーグン」はちょっとベタだが、「カタナ」はなんか力強そうでいいかもしれない。

もう一歩進めて「ハラキリ」というのはどうだろうか。

日本人の覚悟を見せることが出来そうな過激な名前である。是非インチキ日本料理を出したい。

BGMはもちろんこの曲だ。

http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=29927


と思ってたら「サムライ」も「ニンジャ」「ショーグン」「フジヤマ」「カタナ」「マイコ」「ゲイシャ」も全部すでにあった。

サムライバンクーバーに!

ニンジャニューヨークに!

カタナはロサンゼルスに!

ショーグンはハワイに!

フジヤマはフィラデルフィアに!(フジならハンガリーに!フジサンならブルックリン!)

マイコはスリランカに!

ゲイシャロサンゼルスに!

やはり世界は広いものだ。


というわけで私がジャパニーズレストランをやるとしたら「ハラキリ」か「アサクラミナミ」になるだろう。

2008-06-14

[]人類にとっての偉業とは何か?

秦の始皇帝は史上はじめて中国を統一した偉人である。

豊臣秀吉は史上はじめて日本を統一した偉人である。

後世の勝手な歴史観からすると賛否の分かれる二人であるが、それまで誰も出来なかったことを成し遂げたのだから、傑出した人物であることは間違いない。

人間がこれまで何人生まれたのか知らないが、Yahoo知恵袋によれば200億人くらいらしい。偉業の大きさで言うと始皇帝は余裕で上位100人には入るのだろうし、秀吉も500人にくらいなら入るのではないだろうか。500位でも上位0.0000025%だ。

日本人に限定すると個人的には織田信長が1位かなという気がする。世界ランクだと250位くらいか。明治維新は誰を重要視するかが難しいが西郷隆盛か、坂本龍馬か、吉田松陰か。明治天皇という人も意外といるかもしれない。手塚治虫も世界ランク500位には入れたいところだ。

とか考えてたら、「大学生が選んだ日本を代表する人物」という調査結果を見つけた。1995年の調査なので多少古いが、日本の歴史からするとこの10年はどうってことない。野口英世の6位と昭和天皇の10位はよく分からんし、信長以前が聖徳太子しか入ってないのは妙だが、まあ有名どころが出ている。あとは順当に卑弥呼(どんな人か知らんけど)、天智天皇平清盛源頼朝後醍醐天皇足利義満辺りかなと思う。

政治・経済の方は今アンケートを取り直せば大きく結果が変わるだろう。土井たか子は一票も入らず、小泉純一郎孫正義とかがランクインしてくるだろう。ちょっと前ならホリエモンも入っていたかもしれない。渋沢栄一とか岩崎弥太郎がランクインしてもいい。

芸術はよく分からんが、とりあえず手塚治虫が入ってないのはおかしいし、藤子不二雄も入れて欲しい。個人的には松本人志も入れたい。

スポーツは今ならイチローが一位だろう。中田とか中村のサッカー勢も入ってくるだろうし、佐藤琢磨も入ってくるかもしれない。松坂も入るかもしれない。




大きく話がそれてしまった。私が言いたいのは豪州に来てから始皇帝秀吉は偉さに気がついたという話だ。

彼らの共通点として度量衡の統一というのが挙げられる。

確かに領土を統一して度量衡がバラバラだったら為政者としては非常に困るだろうから、当たり前といえば当たり前の政策なのだが、いざ変更しようとなると抵抗もあったりして大変だろうと思う。しかし政治家にとってはそれによって得られるメリットは非常に大きい。

豪州メートル法を採用しているため日本とその点で困ることはない。

ヤード・ポンド法が中心のアメリカだったら大変だったかもしれない。

(ちなみにメートル法フランス革命で統一された度量衡が基本になっているらしく、やはり時代や地域を問わず度量衡の統一は大きな政治課題だったようだ)

じゃあいいじゃないか、という話なのだが、こっちは電圧が違うのだ。

なぜ国によって電圧が違うのか知らないが、そのために電化製品によっては変圧器が必要になってしまう。

ところが先日変圧器を使うのを忘れてしまい、日本から持ってきた250GBの外付けハードディスク豪州コンセントに直接差してしまった。するとジュッという音がしてハードディスクから煙が出てきた。

・・・。

電化製品から煙が出るとはただごとではない。

あたふたしてとりあえずフーッと吹いて煙はなんとか止まった。


しかし案の定ノートパソコンに接続しても使えなくなってしまった。

何も出てこなくなってしまった。

安易な過失により250GBものデータが一瞬で消えたのだ。

こんなことが許されていいのだろうか。

そこには映画とかお笑いのDVDデータとか重要なものが入っていたのだが、何よりもエロいビデオが入っていたのが最大の痛手である。

一番失いたくないものを失ってしまった…。


会社の先輩からも電圧だけは注意するように言われていたのに、やってしまった。

それで分かったが統一するのなら度量衡だけでは足りない。「言語」とか「法律」とか「通貨」とかそういうのはとりあえず統一しなくてもいいから、とりあえず「電圧」だけ統一して欲しい。

次に人類史上のベスト100入りを狙えるのは史上はじめて電圧を統一した偉人だろう。

2008-06-13

[]本当にお世話になっているか?

日本の会社では電話を取ったら「いつもお世話になっております」とか「お世話様です」と言うことになっている。よく知らないが全員言っているので社会人以上は「お世話になっております」と言うことを法律か何かで義務付けられているのだと思う。(「お疲れさまです」は大学生以上の義務なのだろう)

仕事で電話をするのは本当にお世話になっている人が多いので、確かに言葉に間違いはない。

しかし初めて話す人だったり、ついさっきも話した人と再び話すときにも「お世話になります」と言うことがある。こういうことを考えると「お世話になります」には特に意味はないことが分かる。会話を始めるにあたっての記号みたいなものだ。そもそも挨拶というのはそういうものなのかもしれない。

一部の業界では何時であっても「おはよう」が使われる。

私は高校生の時マクドナルドでバイトをしていたが、マクドナルドは何時でも挨拶は「おはようございます」だった。芸能界もそうだというのはよく聞く。「おはよう」は「お早く」が語源なのだから、早い時間以外に使うと本来はおかしい。しかし徐々に意味が消えて形式だけ残ったのだろう。

そういえば話がそれるが「お世話になっております」で思い出すのは「オトナ語」だ。

ほぼ日」のオトナ語の紹介ページには「お世話になっております」についてこんな風に書いてある

 オトナの世界はまずこのひと言から始まる。

 わざわざ書くのがバカバカしいほど基本的なことだが、

 ほんとうにお世話になっているかどうかは

 まったく関係がない。

 とにかく、「お世話になっております」!

 開口一番、「お世話になっております」!

 むしろオレがおまえをお世話してるんだよと思いつつも

 「お世話になっております」!

 あなたと私は絶対に初対面であるけれども

 「お世話になっております」!

 たとえ、先方の電話に出たのがベッカムだとしても

 「お世話になっております」!

 たとえ、メールを送る相手がローマ法王だったとしても

 「お世話になっております」!

ローマ法王にも「お世話になっております」と言ってみたいのはやまやまであるが、残念ながらそのチャンスがなく、実行できていない。

私はあんまり漢字のオトナ語を使いたくないタイプなのだが、横文字は嫌いではない。「小生」とか「幸甚」とか「教示」とか口語で使わないものは極力使わないが、「ブレイクスルー」とか「デフォルト」とか「リスクヘッジ」とかは便利なので結構使ってしまう。それでも外資金融機関とかに勤める高給取りの友人と話すと「エクイティとデットがオフバランスしたからファーストカットがマルチプルなんだよね」とか全く理解できない話をされて驚愕したことがあるので横文字オトナ語は初段くらいだろう。漢字のオトナ語はなんだか大げさな感じがするので使いどころが難しくあまり使えない。

それにしてもこの「オトナ語」って概念は面白すぎて、一度知ってしまうと会社にいるだけで爆笑間違いなしだ。私が一番笑ったのは「一時期増えてまた減った」「上記の件につきまして、下記の通りお知らせいたします」とかだが、他にも面白いのがいっぱいある。うーむ、糸井重里恐るべしだ。


さて、こんな話を持ち出しのは"How are you?"について考えたいからだ。

こちらではどこでも"How are you?"とか"How's it going?"と聞かれる。電話を取ったらそう言われるし、お店で何か買おうとしたらそう言われるし、ファーストフードで自分の番が来たらそう言われるし、エレベーターにたまたま乗り合わせた知らない人から言われることもある。

中学校では「調子はどうですか?気分はどうですか?」という意味だと習った。

そして返答は"I'm fine, thank you. And you?"というということだった。

しかし実際に生活する上ではこれは大きな問題がある。

人間いつも調子がいいとは限らないからだ。"I'm fine"ばかりではないのである。

いろんな事情がある。

「えーっと、昨日は先輩と飲みに行って結構夜が遅かったので今朝はあんまり寝起きがよくなかったのですが、徐々に回復してきて、今は比較的よい感じです」

「実は今朝身内に不幸がありまして気分がよいと言うと不謹慎な気がします」

悪いことばかりではない。

「昨日1億円の宝くじが当たりまして、"I'm fine"レベルの気分の良さではありません」

そういうこともある。


だから、こちらで突然知らない人に"How are you?"と聞かれると、いろいろ説明をしなければならないと思って困ってしまうのだ。例えばマクドナルドの店員だと私の履歴や人となりも知らないだろうから、ときにはそこから説明をしなくてはならない。しかし英語で流暢に状況を説明できるほど私の語学力は高くない。だから私にとっては例えばマクドナルドではメニューを注文するよりも"How are you?"をどう乗り切るかが課題だった。

マクドナルドに入るとこんな調子だ。

メニューを決めると同時に現在の調子とその理由について考える。それを電子辞書などを使いながら頭の中で英文に直し、ドキドキしながら自分の番が来るのを待つ(店が空いているときは急に話しかけられる可能性があるのでレジには近づかない)。そして"How are you?"と聞かれた瞬間に先ほど頭の中で考えていた文章をそのまま暗誦する。上手く言えた時は「き、決まった!」と感動し、気持ちよくメニューの注文に入る。逆にかんだりして上手く言えなかった時はハンバーガーを食べながら一人反省会である。いっそのこと日本ルールで「おはようございます」とか「お世話になります」と言ってやればよかったと思うこともある。

マクドナルドは準備が可能だからまだいい。エレベーターなどで"How are you?"に遭遇した日にはパニック間違いない。「えーっとえーっと」と頭の中をグルグル言葉を探し回り、何も見つからず"I'm fine, thank you. And you?"と言ってしまう。これもまた一人反省会である。「本当は今朝買ったサンドウィッチが意外と高かったからそんなに気分は良くなかっただろ」と自分に説教である。

こうしているうちにだんだん"How are you?"恐怖症になってくる。


しかし、ここは金田一少年ばりに逆転の発想が必要だと考え、先に先制パンチを食らわせる戦略を思いついた。「攻撃は最大の防御なり」と言ったのは山縣有朋らしいが、同じ発想である。

私から"How are you?"と話しかけるのだ。

"How are you?"攻撃を喰らってアタフタする外人の顔を思い浮かべるだけでニヤニヤする。「えーっと、私の調子はどうだったかしら」と苦しむことになるのだ。

ざまあみやがれ、と思いいよいよ実行に移してみた。


しかし、実際にやってみると拍子抜けである。

馬鹿の一つ覚えみたいに"Good"しか言わないのだ。「グーッ、グーッ」と二回言うバージョンがあるくらいで、自分の調子を説明する人は全然いない。ちなみに"I'm fine, thank you. And you?"という人も全然いない。


最初は豪州人はいつも調子がいいのだろうかと思った。確かに景気がいいし、南半球人の特性もあるので、みんないつも調子や気分がいいのかもしれない。

しかし落ち着いて考えてみれば、さすがに調子がいい人ばかりでもないだろう。中には下痢の人もいるだろうし、飼ってる犬が死にかけてる人もいるだろう。


そこでようやく気がついたのだが、"How are you?"を真に受けてはいけないのである。これは単なる挨拶だ。意味を考えてはいけないのだ。

例え、う○こが漏れそうでも、血尿が出ていても、好きなアイドルが結婚しても、クラスの女子に「きもい」と言われても、とりあえず"Good"なのだ。


なんとも清清しい話である。

どんなに自分の境遇が苦しくても笑顔で"Good"という豪州人(米国人英国人も同様だろうか)。

その自己犠牲の精神は私も見習わなければならない。

ただ一点不思議なのは"How are you?""Good"以外の場面ではその自己犠牲の精神がほとんど見られないことだ。