於 正覚寺(柱町)19:00〜「月例・心の元気塾」 誰でも参加可 次回9/16(日)
 信国淳(のぶくにあつし)著「花咲く生」輪読p.9〜60 ちょっと長かった。19時まで仕事のため19:50頃から参加。読み終わったときには21時15分。皆さんお疲れ様でした。でも、信国師の口述はいつも心に響く。「仏教とは、私どもが今、現にそこにあって生きている世界という相をとりながら、実は私どもに呼びかけてくるものなのであって、何も仏教を説く人間の話の中だとか、書物の中だとか、仏教のことをあれこれと思う人間の思いの中だとか、そんなところにだけあるものでは決して無いのです。」
 「私どもはあくまでも『いのち』を生きるものだということです。つまり、私どもは『我』として、ものを思いながら『いのち』を生きているのですが、その『我』と『いのち』との関係という問題を申し上げておこうと思います。
 私どもはいのちを本当にいのちとして生きているのか、それともいのちを本当にいのちとして受け取るのでなく、実はとんでもないことを思いながら生きているのではないのか、という問題があるんです。そのとんでもないことを思いながら生きている私どもを、私どもの生きているそのいのち自身から『そのような生き方でよいのか』と、実は絶えず問いかけられているのだということです。」

 信国師は、「いのちがあなたを生きている」(大谷派御遠忌テーマ)とは決して言わない。私がいのちを生きているのだ。私がいのちを生きるとき、いのちが、私たちの内部から「そんなことでよいのか」と問いかけてくる、と言う。全く同感である。
 信国淳選集は全5冊「いのち、みな生きらるべし」「いのちは誰のものか」「花咲く生」「呼応の教育」「無量寿の目覚め」。今はその3冊目である。興味のある人は読んでみると新しい発見があるかも知れませんよ。

 今日の新聞のラジオの欄、東海ラジオ7:00に、はやおきラジオ水谷ミミです「水谷元気堂・説教絵解きの話」と書いてありました。この表現では、ちょっと何のことかわからないですね。でも、説教、絵解きに興味のある人は聞いてくれるかもしれません。「説教と絵解きの話」か「絵解き説教・節談説教の話」だったらもう少しわかり易かったのに。何にしても三河スーパー絵解き座が電波に乗ることになりましたので、ミミさんも座長も頑張って、聴取者にアピールしてもらいたいです。さぁ、今から始まります。

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 8:12。今放送が終了しました。ちょっと緊張気味でした。お疲れ様でした。
 この放送を聞いて、来週のオアシス21に来る人がいるといいですね。
 関係ないですけれども、時の経つのが早いです。3月からの水谷ミミさんとの縁でいろいろ経験させていただきました。今日の放送で一区切りですが、6ヶ月早かったです。
 次の6ヶ月も早いんだろうか?