往復書簡

☆川口さん、
 今年の早春にはご労作の『一九世紀フランスにおける教育のための戦い』をご恵送いただき、本当にありがとうございました。ご著書を机の上に置きながら、なるべくはやい時期にお礼状をかきたい、と願いつつ、今日まで失礼をかさねてしまいました。この調子ですと、読了してから、と思い続けたら、いつになっても失礼をしつづけることになるのでは、と思い、筆をとりました。どうかお恕し下さい。部分しか拝読していませんが、川口さんのこの研究に圧倒されるような想いを脱しきれません。二〇〇〇年の春、フランスに出かけられたことはちょうど私の中央大学における最終講義を聴きに来て下さった時ですから存じておりました。その後、体調を崩されたことにも心を痛めたことがありました。しかし、いろいろな苦難を乗り越えて研究に没頭されていることは、二年ほど前に拙著を読んで下さったとき、あたたかく私をはげまして下さる内容のお手紙をいただき、かねてから川口さんの教育と研究に注がれる力量に敬服していた私にとってうれしいことでした。しかし、その研究の成果がこのようにまとめられたことには深い感動と敬意を感じております。「あとがき」の最後に「私は教師・研究者冥利に尽きる幸せの中で、今生きている。」とかかれていることに心から拍手を送りたい気持ちになっています。
 それにしても、私は川口さんのこのお仕事によって、いかに私の研究の質が貧弱であったか、を自覚させていただきました。そして私でも、これから川口さんに励まされて、できることがあるのでは、とも思いました。ご承知のように、私の視力は「これ以上悪くはならないでしょう」と、医師からは言われています。しかし、川口さんから「それはちがう」とのはげましを受けました。感謝して、今後ともよろしくお願いいたします。
 巻末の索引で「石井筆子」「石井亮一」がとりあげられていることがわかり、お二人のことが書いてある部分を読みました。私の著作ではお二人の名前を知っていたのに、一度もふれずじまいでした。滝之川学園についても、その前を通っても立ち寄らず、ふれることさえなかった「大正自由教育の研究者」であったことについても恥じ入るばかりです。

 川口幸宏さん
 長い間の教育者・研究者としての生活、
 ご苦労様でした。今後もお元気で。

二〇一四年四月二八日
                         中野 光
☆中野光 先生
 拙著の献呈に際し、ご挨拶状を添えさせていただくことができませず、大変失礼してしまいました。にもかかかわりませず、暖かいお気持ちのこもったお便りをいただき、心からありがたく思いました。
 拙著は二〇〇〇年以来の私の研究的こだわりをまとめたものであります。それは「〜からの自由(解放)」そして「〜への自由(創造)」という「近代」教育論を、私の教育学研究者としての「総括」的な意味を込めて綴りました。おそらく、「上田庄三郎研究」で残してしまった瑕疵を乗り越えることができたと思っております。
 まったく稚拙な学力しか有していない者のくせに何を思い上がっているのだ、とお叱りをいただくことは必定ではありますが、セガン研究にしても、パリ・コミューン研究にしても、原典に即して研究されたものはほとんどなく、かつ、時々の政治的社会的情操に引きずられている先行研究に対し、つたない学力ながらも、物言うことは許されるだろうと判断した次第です。幻戯書房が出版を引き受けてくださいました。我が教育学研究の世界でもほとんど知られていない小さな出版社ですが、幸い、私の研究足跡を知り尽くした編集者が専属で編集を担当してくれました。
 思い残すことは多々ありますが、ひとまず、教育学研究者としての区切りをつけることができたと思っております。
 中野先生に対して不義理の限りを尽くしておりながら、まことに図々しいお願いでありますが、今後ともご指導のほど、どうかよろしくお願いいたします。
二〇一四年五月一日
                           川口幸宏