3日後。


8年住んだこの街を旅立つ。
この週末、ついに6年半働いた仕事場を後にした。
これは単なる休憩なのだ、とココロの中では言い訳しているが、
ある場所から旅立って行く、という時にはそれなりの覚悟が必要だ。
いつだってそれが最後かもしれない。もし、また来ることがあるならば、
それは戻ってくるのではなくて、それは新しい出来事なのだ。


もう1人だけの人生ではなくなってしまった。
これからは2人で生きて行く。1月になったら3人で生きて行く。


旅立ちの後は、いつも思いもよらなかったことが待ち受けていた。
それは幸いなことにいつも想像もしていない程新しくて、前向きな方向転換だった。
今はしばらく1つの所にいすぎて出て行くのが怖くなっているだけなんだろう。
大学だって8年もいたのに、卒業したらちゃんと次の場所に行っていた。
だからまた新しい未来に向かって、飛び出していこう。


この街の今年の冬は久しぶりに寒くなりそうだ。
週末からまた雪が降り始めた。
しろくしろくしろく
私のいた痕跡までも消してしまうかのように。

 つぎに。


11月、30余年使って来た名前が変わることになった。
日本だと、これはたった1枚の紙を記入して提出すると終わってしまう行事なのだが、
この国では少々複雑だった。市役所でわれわれ2人とそれぞれの証人がサインする儀式を
しなくてはならない。その日を予約をする為に随分長い間、日本から書類をそろえるのにかかってしまった。


人生は何十年もある。
早くにパートナーを見つけたとしたら、それまで生きて来た時間の何倍もの時間を一緒に過ごす
ことになる。その長い時間をどう過ごして行くのかが大切だ。だから、あまりこの結婚とか、
子育てとかそういう大きな行事を焦ってやることはないのだと思う。全部あわててやってしまったら
もったいない。もちろん、ずっと同じ関係よりは少しずつ進展して行ける関係がいいから、
時がきたら、いろいろなことをひとつずつ。


思いっきり、ゆっくり2人の人生と時間を生きつつ、そろそろ次のフェーズかなあ、と2人が
思えば次のことをやる。子育てだって20年くらいで終わってしまう訳だから、長い人生の1/4ぐらいの
時間だ。だから、ゆっくりゆっくり次に行けばいいのじゃないかなーと思うのだ。いつでもいいのだ。


わたしたちは出会ってから8年という時間をお互いに好きな暮らしをしてきて、その関係を
満喫してきた。そして、この時間があったからこそ、いま次のフェーズにいくこともとても
自然に受け入れられる気がする。社会のしきたりにあわせようとして急ぐことはない。
仕事がやりたければ、飽きるまで仕事をやればいい。いつかきっとその次のことをやりたい時が
くるはずなのだ。歯車が1つ、くる、っと自然に回転するときがくる。
何がきっかけかは人それぞれなのだろうけれど。


人生は予測ができない長い道のりだけれど、だから、その行き先の見えない小舟にゆらゆら揺られながら
ぶつかっていく新しいできごとを、ひとつひとつ楽しんでいきたい。

a new road



長いときが経ったようだけれど、たった5ヶ月だ。


いろいろあった、といえば簡単だけれど、最近人生とはそういうものだと思うようになってきた。
大きな波が来たり引いたり、小さな波が来たり引いたり・・・その波間をぬいながらふらふらと
進んで行く小舟なのだ。同じように見えて、日常はすこしずつ変化して行く。


5月、私の身体は私一人のものではなくなった。
新しい生命が私の中にやってきたのだ。


6月、私を生んでくれた人が静かに永眠した。
命は引き継がれて行くものなのだろうか?


それから、暑い暑い夏の日本に2ヶ月半もいた。
身体の変化と精神のバランスを保つ為には必要な時間だったかもしれない。


9月、帰国すると、地球を半周したこの国にはもう秋が訪れていた。
仕事は山積み。あと3ヶ月、やれるだけのことをやって悔いのないようにしたい。


10月、新しい生命をこの世に迎える為にいろいろすることがある。
この文明社会というやつはいろいろやっかいだ。
この国の役所と書類が苦手はなわれわれにしては、努力している。
晴れてこの努力の成果が実ることを祈る。


12月、学生時代も含めると今までの人生の半分近くの時間を費やして来た仕事を
休憩する。そして、8年もすごしたこの街を出る。この国にはまだしばらくお世話になる。


1月、この世に人が一人増える予定。

 to do list...

]
http://adsoftheworld.com/taxonomy/brand/tappening


TO DO LISTなんて焼け石に水な方法だろうと思いつつも、あまりにもいろんなことが片付かないのでWEB上にあるプログラムを利用してみることにして一週間。


LifehackとかそういうHowTo系の世界から自由でいたいのだけど、でもこれ,書き出してみるだけで目から鱗だ。終わっていない項目がどんどん増えて行くの嫌さについがんばってしまう自分が嫌・・・だけど、仕事はちょっとづづでも片付いて行くのでオドロキ。


この手のシステムは数多あると思うし、他のを使ったことがないので分かりませんが私が使ってみたのはこれ↓
http://www.checkpad.jp/

日記の更新はしばらくロバの歩みになりそーデス。

 ネットで伝えられないもの


おとといBarで知り合いがビール片手に、人間の五感のなかで、嗅覚と触覚は記号化できないんだ、とかなんとか言っていたのが頭の隅に引っかかっていたのだけれど、それは要するに


におい

さわった感覚


はネットで伝えられない、ということなんだ、と急に腑に落ちた。ネット上ではいろいろなことが起きているけれど、でもきっと匂いのダウンロードはできないし、触覚ときたら、どうやって表すのかすらよくわからない。においなら、まだ名前があったり、化学の記号があったりするけれど。ざらざら、ぬめぬめ、べとべと、さらさら・・・いろいろ言葉はあるけれど、これは数値化できないからなあ。マウスパッドでフワフワ感とかが伝わって来たらそれはそれですごいことだ。などと、この国の何でもかんでも数値化して法律化する傾向に嫌気がさしている今日この頃、この何でも無い会話にちょっとはっとしたのだ。

 no読書な日々(たまにはいーか。)


←by http://weheartit.com/


5月はドイツもゴールデンマンスとでもいうのか祝日が3日もある。日本のようにつづけてある訳ではなく、とびとびに3回。ドイツ語では中1日あいている祝日(木曜日か火曜日が祝日の時)のとき、中の日(この場合、金曜日や月曜日のこと)をBru"ckentag(橋の日)と呼んでいて、その日は有給を取って休みにする人が多い。先週は私もご多分にもれず、金曜日を休みにして4連休!だからといって何をしていた訳でもなく、本もあまり進んでいないので、なんとなくのmemo。

  • フォーサイスカンパニーの新作"Yes We Can't"をフランクフルトに見に行った。毎年春のこの新作公演だけは引っ越して来てからずっと行っている。今回は1幕の舞台で見せ切る濃密な作品。この人たちはずっとフォーサイス自身と一緒に練習を続けて来ている人たちなので、動きの切れがまったく違う。多様化する世界の複雑さと危うさ、それを地として、ローカルなもの、が対比的にちりばめられて行くという構成。ダンサーたちが踊りながら、民族民謡のようで、でも音楽にならない歌,言葉にならない言葉を発していく。


Take my hands. I'm a stranger.... Make your wish. という台詞だけが聞き取れるオトとして繰り返される。
思わず、来月の公演も予約してしまった。これは彼の古典的名作の大舞台なので見るのが楽しみ〜。

  • Angela Hewittのコンサートに行った。バッハの平均率クラヴィーア曲集第一巻を全部弾くという修行のような演目。弾く方も聞く方も何とも言えない緊張感がただよう。ああこれがバッハです。対位法です。背筋がのびちゃいます。(意外と寝てる人等いなくて、老若男女、曲に聞き入っているところはおどろき。やはり腐ってもここはバッハの国デシタ。)本当にピアノが良く鳴る人で、その鐘のような天から降ってくる美しいオトがバッハという禁欲的な音楽を鳴らしている、というところがよかったな。
  • Tumblerにいまさらハマっている。Twitterはあまり使い道がよく分からなかったけれど、多分友達リンクを増やして行く仕組みは似ていて、ネット上の気になる写真をクリップしていくうちに、自分と似たものを集めている人とどんどんリンクしていけて、次第に自分ではあまり集めなくてもいろんな人がリンクしている写真が次々集まってくるので、見てるだけのかなり受け身でも楽しい。写真だけ集めるならffffound!というもっとシンプルで美しいシステムがあるのだけれど、ここは招待制なので知り合いがいない・・・。(←見るだけはできマス。)Tumblerは写真だけでなく、なんでもクリップできるところが便利。Textでも、Videoでも。自分で何かをアップロードする必要もない。ただクリックするだけ。ソーシャルブックマークより簡単。(タグをつけれないのが難点。過去のメモをさがすのが大変。)最初1人はだれか他の人をFollowしないとつながっていかないので、この辺とかを参考に。私のTumblerはちなみにココ