日韓合邦による米産拡大

 韓国では日韓合邦時代に米が大量に内地に移出され、朝鮮人の栄養状態が大幅に悪化した、といわれているそうですが、これは真っ赤なウソです。

 朝鮮半島のコメは三年に一作が限界で、品質も極めて粗雑でしたが、日韓合邦後は朝鮮総督府は米穀生産性向上の努力によって、土地改良、品種改良が進み、小作農の制定、低利融資、米穀清算奨励などが実施され、年々増産を重ねました。
 内地でコメが不足したのは事実で、移出されましたが、生産者の買取価格は1石50円で、消費者価格は43円(昭和16年)という具合に逆サヤ制度が実施されていました。昭和18年には奨励金も加算すると1石あたり62円の買い取り価格で標準売り出し価格は43円です。とにかく儲かったということです。ですから、満州からの穀物や野菜、果物、缶詰などの補助食品まで考えれば栄養状態が悪くなったなどということはないのです。「当時の朝鮮人が草の根や木の皮を食べて命をつないだ」とか、怪しい学者が一人当たりの米消費量が減っていったという怪しい統計を持ち出したりするのは大嘘ですので騙されてはいけません。

フランスの人文地理学者ジャーク・ブズー・マサビュオー
「朝鮮は日本の植民地政策と組織的な経済近代改革の影響を受けた後、再び独立の機会を得て、千年以上の間、農民の宿命であった不安定な境遇を改善することができた」

 朝鮮総督府による食糧事情や衛生事情の好転によって朝鮮の人口は急増し、李朝時代は750万人(1753年)でその後100年かかって増加したのはわずか20万。しかし、日韓保護条約後の1906年は980万だったのが、合邦後の1912年は1400万人に急増しています。1926年には1866万人、1938年には2400万人に達しています。

 私の祖父は戦中戦前は朝鮮半島に居ましたが、終戦でなんとか内地に戻ったとき、内地に居た者にこういわれています。
「外地で旨い事をしていたのだから、これ位辛い目にあったらよいのだ」

 祖父は激怒しそうになりますが、祖父の記録にはこう書いてあります。

「内地のやつらは、食糧が足らなくて毎年250万トンもの米を朝鮮から送ってもらって食っておきながら生意気なことを抜かすな」

 内地にしてみれば朝鮮では儲かっただろうし、朝鮮半島の財政はいつも赤字で内地から補填していますし、米に関しては朝鮮総督府と内地の間(農家の利害)で対立もあったようで、小憎い思いがあったようです。実際祖父は億万長者になりました。(終戦郵貯が引き出せなくなり超インフレでパーになった)祖父としては米を送ってやったという思いがあったでしょう。内地も外地も日本であり、朝鮮人だけ冷遇したということもなく、日本国内のお話なんですね。



参考文献
 「大韓民国の物語」李 榮薫・著 , 永島 広紀・訳
 「日本の植民地の真実」黄文雄
 「親日派のための弁明」金完燮

添付画像
 全州神社 国書刊行会「望郷 朝鮮」より(PD)

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