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2010-04-11

満洲映画協会

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 満洲映画協会は満映と略される満州国国策映画会社です。昭和12年(1937年)に設立。資本金は500万円で満州国満鉄が50%ずつ出資しました。プロパガンダ映画という評価もありますが、文化的要素も評価されています。

 満映には「大杉栄殺し」の犯人とされる元憲兵甘粕正彦(あまかすまさひこ)が理事に就任しており、さらに共産党からの転向組が集まっています。川崎第百銀行大森支店を襲ったギャングの首謀者、大塚有章(おおつかゆうしょう)がいます。すごい会社ですね。

 甘粕は理事長に就任するとすぐ全職員の給与体系を見直し、実力主義によって人事を刷新。下っ端の女優たちの最低賃金を引き上げ、シナ人スタッフの給料を倍以上にしました。クビになった社員もいますが、再就職のために骨も折っています。ドイツから最新のスタジオ設備を買い入れ、作業の効率化をはかり、映画館の買取制だったのを歩合制にするなど次々と改革を実行していきます。甘粕は「戦時体制下の国民の緊張を和らげるような、大衆の喜ぶおもしろい劇映画を作れ、満州の経済建設や建国精神を示す文化映画はその次だ」という基本姿勢を持っていました。満映の昭和18年の作品「北の護り」シリーズの「勝利の響き」は重工業などの戦力基地満州のたくましさを字幕と音楽とだけで表現して傑作と評価されています。

 満映のスターに李香蘭(り・こうらん、リー・シャンラン 日本人)がいます。劇団四季のミュージカルになっているのでご存知の方も多いと思います。満映のプロデューサが抜擢し、デビューしました。東宝との協力作品で「東遊記」で原節子らと共演、その後は主に東宝で活動しています。

 甘粕は日本敗戦直後、満映関係者の帰国手配を終えた後、昭和20年8月20日6時5分に服毒自殺。同日、午後5時撮影所を出棺。支那、朝鮮人ら、彼を悼み葬列に従ったものは3,000人。その長さは1キロになったといいます。

 旧満映のスタッフたちは帰国後に東映を設立しました。満州に残り、東北電影(満映を継承)の支那人スタッフに映画技術指導を行った人もいます。

 李香蘭は終戦を上海で迎えました。漢奸(中国人として祖国を裏切った)容疑で中華民國の軍事裁判に掛けられたものの、日本人であることが証明され、漢奸罪は適用されず、国外追放処分となり、日本に帰国しました。帰国後は、当時の本名・山口淑子の名前で芸能活動を再開し、日本、アメリカ、香港の映画・ショービジネス界で活躍。昭和33年(1958年)に結婚のため芸能界を退きましたが、昭和44年(1969年)にフジテレビのワイドショー『3時のあなた』の司会者としてマスメディア界に復帰、昭和49年(1974年)3月まで務めました。後に参議院議員をも務めました。(ご存命)



参考文献

 「歴史通」WiLL2010.3『満鉄・満映は世界遺産だ』佐野眞一

 「歴史読本」2009.9『満州映画協会』清永孝

参考サイト

 WikiPedia「満洲映画協会」「山口淑子」

添付写真

 李香蘭(PD)

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