創氏改名は朝鮮人の要望



 昭和15年(1940年)、朝鮮半島創氏改名が行われています。朝鮮人にも「氏」の設定(創氏)が義務づけられました。氏は義務でしたが、改名は申請制で申請には手数料がかかりました。それまで朝鮮人支那の漢姓を使っていました。金、李、朴、といった姓です。この姓は廃止せず、創氏改名後、朝鮮人は氏、姓、名を持ったわけで、日帝が「姓」を奪ったなどというのは韓国の巨大なウソです。一定期間中に創氏の届出をしなかったものについては「姓」をそのまま「氏」としています。
 
 この創氏改名朝鮮人の要望でした。特に満州における朝鮮人迫害問題が大きく、万宝山事件に代表されるように漢人から朝鮮人は大変蔑視されていました。満州国建国当時、朝鮮人名士の趙悦は「民族協和運動の進展と朝鮮民族五族協和の理想実現」というエッセイを新聞と会報に載せています。
「在満州の各民族は、支那国民党の国家主義的扇動によって、激しく対立し、各民族の軋轢は日増しに増大している。ことに朝鮮民族に対する圧迫や迫害は言語道断だ」とし、迫害を避けるためには日本名を名乗り、日本国民であることを明確にするしかない、としたのです。

 朝鮮総督府は「氏制度の施行せられた所以(ゆえん)は・・・大和大愛の発露であって、これにより半島人朝鮮人)の要望も容れ、もって肇国(ちょうこく)の皇猷(こうゆう)に報いんとする重要な制度にほかならない」として内地の大反対を押し切って勝手に決めてしまっています。

 また、当時5強の一角である大日本帝国の臣民であることは大変なステータスでした。さらに、日本人というのはビジネスで非常に信頼されており、満州支那で商売するときに支那式の「姓」ではなく、日本式の「氏」を名乗るのは好都合だったことがあげられます。支那事変が起こる前から支那を取材をしていた米ジャーナリスト、フレデリック・ビンセント・ウイリアムズの言葉がそれを表しています。

「もし諸君(欧米人)が東洋に来て、支那人商人からものを買おうとする。同じものにたくさんの値段があるのを知る。もし諸君が東洋に住んだことがあるなら、商人が最初に言った金額を出しはしない。その代わり商人が負けに負けるまで、駆け引きをして値切る・・・(中略) さて、諸君が今度は日本で日本人商人と交渉するとする。商人が決めている最初の売値と諸君が払いたい金額がぴったり一致するということをすぐに理解するはずだ。値段を下げさせて負かす必要もない。値段は公正なルールの下で、適切なマージンが決められているのだ。合理的である。(中略) 平均的日本人相手であれば、こういう(証文の)署名はほぼ(支那人とは)正反対に不必要である。彼の言葉は折り紙付き証文なのである。例外はある。しかし、一般の日本人の中においては、言葉は誠実で守られている。実際上は国民性となっている」

 創氏改名朝鮮人はたいへん得をしたのでした。
 


参考文献
 「日本の植民地の真実」黄文雄
 「歴史を捏造する韓国」中川八洋
 「中国の戦争宣伝の内幕」フレデリック・ビンセント・ウイリアム

添付画像
 戦前の釜山府の弁天町 国書刊行会「望郷 朝鮮」より(PD)

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珍しい韓国人
http://www.youtube.com/watch?v=M5F9jK7wQac