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かつて日本は美しかった このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-09-10

江戸時代の日本人は幸せだった

人類史上もっともユートピアに近かった江戸日本。

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 物質的に豊かな現代からみると江戸時代というのは武士だけいい暮らしをして庶民は貧乏で不幸だったように思っている人が多いことでしょう。長屋の生活なんて6畳とちょっとした土間があって家具なんて箪笥(たんす)が一つあるくらい。水道がないから、井戸から汲んできた水をかめにいれてためます。ガスも電気もなく照明は行灯(あんどん)のなかで油を燃やします。トイレは共同。プライバシーなどありません。ところが幕末期に日本にきた外国人は日本人は幸せそうだ、と言っています。

 英国エルギン卿使節団のシェラード・オズボーン 安政5年(1858年)来日

「この町(長崎)でもっとも印象的なのは(そしてそれはわれわれの全員による日本での一般的観察であった)男も女も子供も、みんな幸せで満足そうに見えるということだった」

 同使節団、ローレンス・オリファント

「個人が共同体のために犠牲になる日本で、各人がまったく幸福で満足しているように見えることは、驚くべき事実である」

 西洋の近代文明から見れば日本人の生活はみずぼらしく見えたはずですが、日本人は幸福そうに見えたと言っています。個人主義の西洋人から見れば公に尽くす行為など「犠牲」になっているという価値観であり不幸なことですが、日本人は幸せそうだと言っています。

 ロシア艦隊に勤務していた英国人 ヘンリー・ティリー 安政6年(1859年)来日 函館にて

「健康と満足は男女と子供の顔に書いてある」

 イギリスの公使オールコック 安政6年(1859年)来日

「日本人は、いろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる」

 質素な生活をしていてもお金に余裕があったから、幸せだったのでしょうか。野菜行商で生計をたてている長屋の"とっつあん"の例をとります。"とっつあん"は妻と子供二人を養っています。朝野菜を仕入れて、日没まで売り歩きます。

 野菜の仕入れ 600〜  700文( 約9,000円〜15,000円)

 売上   1,200〜1,300文(約18,000円〜20,000円)

 粗利600文(約9,000円)というところです。"とっつあん"は帰宅すると日割りの店賃と翌日の仕入れを除いてコメ代200文(約3,000円)を妻にわたし、みそと醤油代50文を追加でわたします。子供のお菓子代に12文を渡すと、残りは100文〜200文というところ。2,3千円ですから、一杯やってしまえばおしまい。宵越しの金はもたないのが江戸っ子といいますが、その日暮らしというわけです。

 明日一家がどうなるかわからないのに、これでどうして幸せなのでしょうか。

「金は天下の回りもの。なんとかならあな」

 江戸時代循環型社会であって、太陽エネルギーが産んだ植物を衣食住に使い、4つのR、消費削減(リデュース)、再使用(リユース)、資源再利用(リサイクル)、修理(リペア)により、何も増えないし何も減らない社会ができていました。物もお金も単位共同体という狭い範囲内で循環しますので、不安無く皆暮らしていたということでしょう。なにか物を大量に消費して不足する、無くなるということがないし、商人も株仲間で相互監視して買い占めたり、価格操作する悪さはできない。農村では自給自足、相互扶助です。自然の循環と一体になって生きるから人口も爆発的に増えません。飽和絶滅の危機を本能が感じることがないわけです。もしかしたら、江戸時代の日本は究極の幸福社会であり、人類史上でもっともユートピアに近かった社会なのかもしれません。

 イギリス公使オールコック卿は日本があたかも楽園のように宣伝されていることを苦々しく思っており、「長いあいだ流布されてきたユートピア的な日本観は、日本をよく知るにつれて破壊される」という信念をもっていましたが、著書「大君の都」で次のように書いています。

「この火山の多い国土からエデンの園を作りだし、他の世界との交わりをいっさい断ち切ったまま、独力の国内産業によって3千万と推定される住民が着々と物質的繁栄を増進させてきている」

卿は「エデンの園」とうっかり書いてしまいました。

 弁護士南出喜久治氏は自立再生社会の実現を唱えており、その社会の単位社会を「まほらまと」と呼んでいます。「まほら」は秀でた場所(土地)、つまり理想郷であり、「まと」は循環無端の「円(まどか)」であり、「玉(たま)」であって、それが「的(まと)」であると述べています。

 単位共同社会(まほらまと)の中で生活必需品をまかない、医療、教育、労働の機会があり、完全自給を達したらそれを極小化します。無減小への方向で内需拡大していき、最終的には大家族単位の自給自足の自立再生が実現できれば治安秩序においても諸問題はほとんど解決するといいます。世界主義や経済圏拡大主義(EUや道州制)といった拡散指向は飽和絶滅に向かう以外なく、「まほらまと」の極小化という収束指向こそ人類を救うものであり、究極の幸福論であるといいます。言ってみれば江戸型社会を見習え、ということです。

 トマス・モアの「ユートピア」は決して存在しない理想郷、架空の国家ですが、江戸日本はかつて存在したのです。ほんの150年前、我々のご先祖が作り上げていたのです。身近なところに実現可能なお手本があるわけです。我々はご先祖に応え、子孫繁栄のために江戸日本を見直し、本当の幸福とは何かを追求していくべきでありましょう。



参考文献

 平凡社ライブラリー「逝きし世の面影」渡辺京二(著)

 岩波文庫「大君の都」オールコック(著)/ 山口光朔(訳)

 河出書房出版「江戸の庶民の朝から晩まで」歴史の謎を探る会(編)

 まほらまと草紙「まほらまと」南出喜久治(著)

添付画像

 東海道中膝栗毛五編上13〜14ページ、江戸の長屋風景より井戸端会議部分切り抜き(PD)

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