2012-10-01から1ヶ月間の記事一覧

江戸時代の結婚相手探し

結婚はどうやって決めていた? 現代は恋愛結婚が主流ですが、江戸時代はどうやって結婚相手を探していたのでしょう。明治に入ってですが、長岡藩城代家老の家柄だった稲田家の六女の杉本鉞子(えつこ)(明治五年生まれ)は13歳のとき母親に呼ばれこう言わ…

江戸時代最後の宣教師シドッティ、天に召される

シドッティの情熱は新井白石の「西洋紀聞」に残された。 江戸時代最後の伴天連(バテレン)、イタリア人司祭ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティは日本でキリスト教布教の許可を得るため、宝永5年(1708年)8月に単身で屋久島へ上陸しました。シド…

シドッティとの問答により得た新井白石のキリスト教観

キリスト教は一宗教と結論づけた新井白石。 江戸時代最後の伴天連(バテレン)、イタリア人司祭ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティは日本でキリスト教布教の許可を得るため、宝永5年(1708年)8月に単身で屋久島へ上陸しました。シドッティは捉え…

新井白石とシドッティの交流

尋問を経ていくうちに交流は深まっていった。。 イタリア人司祭ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティは日本でキリスト教布教の許可を得るため、宝永5年(1708年)8月に単身で屋久島へ上陸しました。当時、キリスト教は日本では禁教ですから、処刑さ…

新井白石 VS ジョヴァンニ・シドッティ

シドッティに興味津津の新井白石。 イタリア人司祭ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティは日本でキリスト教布教の許可を得るため、宝永5年(1708年)8月に単身で屋久島へ上陸しました。当時、キリスト教は日本では禁教ですから、処刑されるかもしれ…

江戸時代最後の宣教師シドッティ、長崎へ行く

シドッティ曰く、オランダ人は「タバカリ!」 イタリア人司祭ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティは日本でキリスト教布教の許可を得るため、宝永5年(1708年)8月に単身で屋久島へ上陸しました。キリスト教は日本では禁教ですから、処刑されるかも…

江戸時代最後の宣教師、シドッティが屋久島にやってきた

日本人の格好をして現れた宣教師。 宝永5年(1708年)8月のある日、屋久島の恋泊村の藤兵衛は炭焼きの材料にする木を伐りに島内の松下という所へ行きました。すると松林の中から人声がするので、見ると長身の男がいます。頭は月代(さかやき)にそり、…

マンガで学ぶ、南京大虐殺という大ウソ

南京大虐殺のウソをわかりやすくマンガで解説したブログ。 今年の2月に名古屋市長の河村たかし氏が「南京大虐殺はなかった」と発言して南京大虐殺が大嘘であることを知った人も多いのではないでしょうか。 南京大虐殺というのはマンチェスター・ガーディア…

清潔好きだった江戸日本人

昔も今も日本人は清潔好き。 幕末に来日した外国人は日本人は清潔な国民であることを指摘しています。 イギリス公使オールコック (安政6年 1859年来日) 「一般に日本人は清潔な国民で、人目を恐れずに度々からだを洗い、身につけているものはわずかで…

プライバシーが必要なかった江戸日本

プライバシーがなかったのではなく、必要なかった江戸日本。 江戸時代、庶民の家は開けっ放しだったので、幕末に来日した外国人は驚いてそれを記しています。 フランス海軍士官スエンソン (慶応2年 1866年来日) 「日本人の家庭生活はほとんどいつでも…

日本女性は美しかったが外国人はお歯黒が苦手だった

日本女性は日本の風景に溶け込んでいた。 幕末に来日した外国人は日本女性の美しさを称賛しています。 イギリス公使オールコック (安政6年 1859年来日) 「女は自然によって与えられた肌に満足しているようだ。その肌は、多種多様な色合いのオリーブ色…

武士の質素な生活様式に外国人は驚いた

日本の武士階級は西洋の王、貴族階級とは全く異なった。 幕末に来日した外国人は当然ながら日本人の生活様式に興味をもちました。庶民の暮らしはすぐわかりました。何しろ日本ではみな開けっぴろげで生活していたからです。 スイス公使のアンベール(文久3…