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2011-12-16

慰安婦?挺身隊?歴史を捏造しつづける韓国

歴史を捏造しつづけ、日本からカネをむしり取ろうとする韓国

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韓国の元慰安婦集会が1000回目、日本大使館前に少女像設置

2011年 12月 15日 16:23 JST

ソウル 14日 ロイター] 旧日本軍の元従軍慰安婦の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」は14日、日本政府に謝罪や補償を求めて行われてきた「水曜集会」が1000回目を迎え、ソウルの日本大使館前に慰安婦問題を象徴する少女像を設置した。

「水曜集会」は1992年1月からスタート。最初の集会では234人の元慰安婦が参加したが、現在生存者は63人となっており、この日の集会にはそのうちの5人が参加した。

集会に参加した86歳の元慰安婦は「1000回目を迎えたが、いい気分ではない」とし、1000回目までの進展は納得できるものではなく、悲しい思いでいっぱいだと話した。

http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYE7BE05D20111215?feedType=RSS&feedName=worldNews

 歴史を捏造し、ウィーン条約を無視して、韓国ソウルにある日本大使館前の路上に「慰安婦記念碑」を建てたという国際的暴挙には驚かされます。これは韓国挺身隊問題対策協議会」という韓国市民団体が建てたものですが、韓国政府は黙認しています。こうした暴挙は世界中の国が韓国を警戒するでしょうし、「韓流」で稼ぐ韓国の芸能界にもマイナスのはずですが、もはや国家としての理性を無くしたというところでしょうか。そうさせてしまった一因に野田政権日韓通貨スワップと「朝鮮王室儀軌」の引渡しがあるように思います。騒げば日本は「カネ」を出す、と思われたのでしょう。

 ニュースでよく出てくる「韓国挺身隊問題対策協議会」ですが、「おや?」と思った人も多いのではないでしょうか。「慰安婦」ではなく「挺身隊」となっています。

 「挺身隊」というのは大東亜戦争期に労働力不足を補うために地方自治団体で結成された勤労奉仕団体が母体で、昭和19年(1944年)8月に「女子挺身勤労令」が定められ、主に軍需工場に動員されました。慰安婦とは全く関係がありません。朝鮮半島も当時は日本でしたから公布施行されましたが、労働条件や勤労習熟度が異なるため、実効性はなく、募集の方式がとられました。実は韓国では「挺身隊」と「慰安婦」がごっちゃになっているのです。

 ソウル大学の李 栄薫(イ・ヨンフン)教授の著書「大韓民国の物語」(※1)によると韓国の国語大辞典で「挺身隊」をひくと、太平洋戦争大東亜戦争)当時、日本軍慰安婦として強制的に従軍した女性達の隊伍」と書かれているそうで、中学校高校の教科書にもそのように書かれているというのです。どうして、そういった誤った認識になっているかというと、教授によれば昭和44年(1969年)に金廷漢(キム・ジョンハン)という人の「修羅道」という小説に「挺身隊」が「慰安婦」になったことが描かれており、それが歴史的な「史実」になってしまったということです。フィクションと歴史がごっちゃになった妄想的記憶が集団的に形成されたということです。

 そしてその、妄想的記憶は平成3年(1991年)になり、朝日新聞の植村記者が「従軍慰安婦強制連行」という捏造記事を書いたことをきっかけに(※2)、韓国マスコミは誤った認識のまま狂気のように叫び、元慰安婦だったという韓国人女性が名乗り出て、あの河野談話」(※3)に至りました。当時の官房副長官・石原信雄氏が後に暴露していますが、韓国から慰安婦の女性達の名誉を尊重してくれ、という要請に応じて、「強制」があったかのような曖昧表現を使って譲歩したのです(※4)。それらが、妄想集団「韓国挺身隊問題対策協議会」を助長させ、「挺身隊」の名を残したまま、現在に至っているわけです。

 歴史とフィクションの区別もつかず、妄想的集団と化し「カネ」をむしりとろうとする韓国に対して、日本はひたすら弱腰外交を続け、それを見た韓国は「騒げば日本はカネを出す」とつけこんで更に騒ぎ立ててきました。昨年「菅談話」が飛び出し、今年は途方もない額の通貨スワップまで出してしまい、ついに韓国は「日韓基本条約ウィーン条約なんのその、日本相手なら国際法も怖くない」というところまで達してしまったと言えます。




※1 文藝春秋「大韓民国の物語」李 栄薫(著)/永島広紀(訳)

※2 朝日新聞に関する記事/「韓国問題(慰安婦)は朝日新聞の捏造だった」http://jjtaromaru.blog76.fc2.com/blog-entry-28.html

※3 河野談話に関する記事/ウソの歴史でむしり取られる国民の財産 http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/24613132.html

※4 文藝春秋「日本よ、『歴史力を磨け』」櫻井よしこ(編)より

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 妓生(キーセン PD

 朝鮮で、諸外国からの使者や高官の歓待や宮中内の宴会などで楽技を披露するために準備された女性。実際は芸妓を兼業とする娼婦であり、初潮前の少女を妓生とすることが多かった。日韓合邦後、少女を妓生とする事は禁止された。

2011-02-17

日本時代が狂おしいほど懐かしい

日本時代が狂おしいほど懐かしいと言った朝鮮人

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 金 完燮氏(キム・ワンソプ)著の「親日派のための弁明2」には日本時代の朝鮮を狂おしいほどに懐かしむ人が多い、と書いてあります。日本時代は法がなくても生きられる社会だったと金氏の親戚が述べていたといいます。金氏は両親からも次のように聞いています。

「あの時代を狂おしいほどに懐かしむ人も多い。だから集まるたびに演歌をむせび泣くように歌う」

 さらに1930年生まれの先輩からこう聞いています。

「『今よりあのころの方がよかったと思わないか?生きる楽しみもあって』というと、同窓の99%は同意する」

 先生からは次のように言われたといいます。

「北海道に徴用に行った朝鮮人賃金は、当時の日本人ホワイトカラーの月給の三倍から五倍で、勤務時間も徹底して遵守され、朝鮮人は幸せだったように思える」

 金氏は「反日洗脳教育」を受けて成長した韓国の戦後世代にとっては、天地がひっくりかえるほど衝撃的な証言である、と述べています。日本人も強制連行というウソや従軍慰安婦というウソ、とにかく戦前真っ暗、日本悪玉論を学校教育マスコミに刷り込まれて信じてしまってきた人にとっては信じがたい話でしょう。

 満州の北朝鮮国境付近には満州族朝鮮族の自治区がいくつか存在しています。吉林省の東部に行くと延辺朝鮮族自治州という区域があり、80万人近くの朝鮮族が居住しているといいます。満州時代からの朝鮮族や北朝鮮の飢餓難民が多く住み着いたようです。曙機関(時事問題、国際問題を漫画で描く製作集団)のレポートによるとこの自治州では日本語教育が盛んであるといいます。高等教育を受けたくらいの朝鮮族なら日常会話の日本語ができるので、日本人にとって極めて旅行しやすい地域なのだそうです。

 さらに驚いたことにこの地域では野外に出かけることを「サンポ」といい食べ物持参だとそれを「ベントウ」といい、日本の言葉が残っているといいます。8月15日は敬老の日で、人民公園を訪ねると気の良い朝鮮族の老人たちが日本人を見つけると「日本の歌を歌ってくれ」と所望してくるといいます。曙機関の人が日本の歌を所望されたとき、流行りの歌などしらなかったので、「勝ってくるぞと勇ましくー」と軍歌を歌ったところ、老人たちの目に衝撃が走り、

「ちかーってくにを出たからわー」

と一緒になって唱和し始めたのです。そしてやんややんやの喝采で、「もう一曲」とリクエストされたといいますから、びっくりするお話です。日本時代を懐かしんだのです。若者も韓国企業が当地に進出してくるとその工場に働きにいきますが同じ民族なのに差別され、韓国へ出稼ぎにでると同じく差別されるので、日本への郷愁を深めているといいます。

韓国の奴らめ!口を開けば『俺たちは経済力がある、経済力がある』って自慢するが、日本ほど経済力がある訳でもないじゃないか。それをなんだって偉そうに!!」


 前出の金 完燮氏は幼いころ「トラ!トラ!トラ!」という映画(アメリカ製作)を見、卑劣で悪どく描かれた日本を見て続編を楽しみにしていた、と述べています。時は流れて「パール・ハーバー」という映画(アメリカ製作)を見たとき「私は日本軍を応援している自分を発見した」「地球の反対側まで出征して、アメリカの太平洋艦隊を叩き潰した日本という国の偉大さに、私は感動し、驚きを覚えた」と書いています。反日教育の洗脳が解けていったのでしょう。

 金氏によると韓国では歴史の「真実」に気付いた世代が増えているといいます。おそらくネットの発達によるものでしょう。また知識人の中にも勇気ある発言をする人が増えてきているそうです。世代を超えて日本への郷愁・・・とまではいかないでしょうが、少しずつあるべき姿に変わってきているのかもしれません。



参考文献

 「親日派のための弁明」金 完燮(著)/荒木 和博 (翻訳), 荒木 信子 (翻訳)

 「親日派のための弁明2」金 完燮(著)/星野知美 (翻訳)

 オークラ出版「世界に愛された日本」『中朝国境・朝鮮族の地を歩く』曙機関

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 新義州府の税関通り(PD

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津軽海峡冬景色 - 北朝鮮版 Japanese Enka Song North Korean Version

http://www.youtube.com/watch?v=PQKKiY46lK8

D

 北朝鮮で演歌はポピュラーというが日本語の歌詞でも歌われているところが興味深い。年配の人や満州の人が「狂おしいほど懐かしむ」からか???単なる「地上の楽園」の宣伝か???youtubeにはいくつか北朝鮮で歌われている日本の演歌がアップされています。何か純粋さを感じます。ちなみに著作権料は支払われていない模様。

2010-10-10

伊藤博文暗殺の真相は?

伊藤暗殺は安重根が犯人ではなかった。

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 日露戦争終了直後の明治38年(1905年)11月17日、日本と大韓帝国の保護条約の方針が発表されると、韓国統監府が設置されることになり、伊藤博文が初代統監に就任しました。この頃、韓国の民衆パワーは公称100万人の一進会に結集されており、「李朝政府外交権を日本に委任せよ」と大規模なデモが行われていました。伊藤が赴任してきた日にはソウルの南大門に「歓迎」の巨大な幕が張り出されました。

 伊藤は4年後の明治42年(1909年)10月、ロシア蔵相ウラジーミル・ココツェフと満州・朝鮮問題について非公式に話し合うため訪れたハルビン駅で、大韓帝国の民族運動家安重根によって狙撃され、死亡しました。現在、韓国では安重根は英雄となっています。

  

 元九州大学大学院客員教授の若狭和朋氏は伊藤博文暗殺の犯人は安重根ではないと指摘しています。氏によると伊藤博文には三発の銃弾が命中し、体内に残っていた二発の銃弾はフランス騎兵銃のものです。(もう一発は肉をそいで対外に出ている)安重根は7連発ブローニング拳銃です。まず、銃弾が異なります。伊藤に同行した貴族院室田義文も5発被弾し、犯人は安重根ではないと書き記しています。その内容の一部。

「駅の二階の食堂からフランス騎兵銃で撃った者がある。・・・右肩から斜め下に撃つにはいかなる方法によるも二階を除いて不可能である。そこは格子になっていて斜め下に狙うには絶好であった」

 室田義文は伊藤公の遺体の処置に立会い、右肩を砕いて右乳下に止まった一弾と右腕関節を貫通して臍下(せいか/へそした)に止まった一弾を現任しています。ところが不思議なことに、検事の調書には室田が「騎馬銃」について述べた記録はなく、安重根を裁いたこうはん記録のどこにも「騎馬銃」の文字は出てこないし、遺体の処置に当たった医師の談話にも「騎馬銃」は出てこない・・・

 

 若狭氏はここで外務省外交資料館の「伊藤公爵満州視察一件」というファイルに以下の記載があるのを指摘しています。

「・・・真の凶行担当者は、安重根の成功とともに逃亡したるものならんか。今、ウラジオ方面の消息に通じたる者の言うところに照らし凶行首謀者および凶行の任に当たりたる疑いあるものを挙げれば左の数人なるべきか」として25人の名前を記しており、安重根の名前もこの中にありますが、この25人は「韓民会」というロシア特務機関の影響下にある組織でした。つまり、安重根を犯人にしたてあげて外交的にも内政的にも幕引きにしたということです。ロシア特務機関がなぜ伊藤を狙ったかは若狭氏の記述は長いので簡単にいうと、日露戦争前に伊藤はロシアと協商を結ぼうとしていたものの、その後、日英同盟が結ばれ、日露開戦が予想より早くなり、そのためロシアは敗北した。対ロシア謀略の中心人物が伊藤であると判断しており、裏切り者として復讐したというものです。

 よく言われているのは伊藤博文は日韓合邦慎重派で、日韓合邦に反対する安重根は伊藤を暗殺して日韓合邦を加速させたバカなテロリストだったというのがありますが、伊藤暗殺が日韓合邦の思惑の外であれば話はあってきます。少なくとも安重根の銃弾は伊藤には命中しなかったのは間違いないでしょう。彼はテロリストとしても成果は無く、韓国でいう義士としても成果は無かったわけです。



参考文献

 「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著

 「歴史通」2010/7『安重根は犯人ではない』若狭和朋

参考サイト

 WikiPedia「伊藤博文」「安重根」

添付写真

 韓国の民族衣装を着て記念撮影におさまる伊藤(韓国統監時代、前列左から二番目が梅子夫人) (PD)

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2010-09-05

こうやって騙される日韓史

プロパガンダがはびこる日本。

 プロパガンダ展を催し、それをマスコミが飛びついて報道する。日韓併合100年や関東大震災の記念日を通じて、日本人に贖罪意識を植えつける方法がとられています。実に醜い報道です。

日本と韓国の近現代史を伝える写真展、日韓併合100年に合わせ開催中/小田原

2010年8月28日 カナコロ

 日韓併合から29日で100年を迎えるのに合わせ、日本と韓国の近現代史を伝える写真展が、おだわら国際交流ラウンジ(小田原市栄町)で開かれている。江華島事件(1875年)から、指紋押捺(おうなつ)問題までを約60枚の写真で紹介する。31日まで。市民グループ「パコ・ネット」(青幸子代表)の主催。

 併合条約は1910年8月22日に調印され、同29日に発効した。景福宮(キョンボックン・李氏朝鮮の王宮)内の勤政殿(クンチョンジョン)に掲げられた日章旗、併合に反対する義兵闘争の様子、台湾と朝鮮半島、樺太が日本列島と同じ赤色に塗られた「日韓併合記念絵葉書(はがき)」などの写真が並ぶ。

 関東大震災時の朝鮮人虐殺、併合後の朝鮮半島での皇国臣民化の様子、金嬉老事件(1968年)なども紹介している。青さんは「実際に何が起きていたのか、事実を知ることが日朝・日韓の信頼を築く第一歩になるはず」と話している。

 午前9時〜午後9時。最終日は同5時まで。9月10日から12日まで、情報センター真鶴(真鶴町真鶴)でも開かれる。問い合わせは、青さん電話0465(37)1165。

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1008280018/

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100828-00000021-kana-l14

>日章旗、併合に反対する義兵闘争の様子

 日韓合邦を望んだ韓国の政治結社・一進会との戦いをきちんと展示していれば合格ですが、多分、展示していないでしょう。この抗日義兵というのは韓国民衆の敵でした。


>関東大震災時の朝鮮人虐殺

 不逞朝鮮人、社会主義者、無政府主義者が暴動を起こし、日本人を襲撃していれば合格ですが、多分、展示していないでしょう。

 不逞朝鮮人は推定800※1おり、越中島の放火により日本人3000人を焼き殺すという極悪非道なことも起こっています。自警団の過剰防衛による朝鮮人死者は233人です。一般朝鮮人は習志野などに保護されています。あちこちで流れている朝鮮人6000人※2が虐殺されたというのは巨大なウソです。

>金嬉老事件

 ただのワルです。今年亡くなりましたが、亡くなる直前に日本に行きたがっており、本人の希望で遺骨は日本に送られ安置されました。


※1 工藤美代子著「関東大震災」の計算による推定。

※2 この数字は上海の大韓民国臨時政府「独立新聞」の数字。死体が発見できていないのに虐殺としてカウントしている。


<参考記事>

韓国の抗日義兵のウソ http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/26394029.html

金嬉老事件 http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/26048522.html

当時、朝鮮人保護の政策がとられたことを示す公文書

  国立公文書館「震災ニ付テノ処置ヲ為スコトノ件」

   http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?REFCODE=A03023581000&IS_STYLE=default&image_num=7

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2010-08-29

韓国併合ニ関スル条約は合法

非文明国に条約の有効無効を語る資格はない。

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 1909年12月、韓国の一進会は日韓合邦の上奏を行います。総理大臣だった李完用はこのとき日韓合邦に反対の姿勢でしたが、韓国の世論は日韓合邦に向かいます。

 1910年6月30日、大韓帝国の警察権は日本が引き受けます。7月12日に「併合後の韓国統治方針」を決定し、伊藤博文の後任である寺内正毅が本格的に動き始めます。8月16日に李完用と会談し、併合条約の具体案を話し合い、8月18日、大韓帝国の閣議はこの案を承認しました。8月22日、純宗皇帝の御前会議で最終的に日韓併合案は承認され、李完用と寺内正毅がこれに調印し、歴史的な日韓合併が成立しました。

 

 この条約は「韓国併合ニ関スル条約」といわれるもので、平成13年(2001年)に日韓併合が合法か不法かという論争がおきています。岩波の「世界」誌上で日韓の学者が争いましたが、決着がつかず、アメリカのハーバード大学のアジアセンター主催で日米韓英独も含めて議論しました。これは韓国が国際社会で不法論を確定させようとたくらみ、韓国政府傘下の国際交流財団の財政支援のもと韓国の学者ら主導で行われたものです。韓国は不法に朝鮮半島を併合したことを主張しました。国際法の専門家であるケンブリッジ大学のクロフォード教授が強い合法の主張を行いました。

「そもそも当時の国際社会では、国際法は文明国相互の間に適用される。この国際法を適用するまでの文明の成熟度を有さない国家には適用されない。言い換えるなら、文明国と非文明国の関係は、文明国相互においてと同様に国際法において規定されない。それゆえ、前者(文明国と非文明国の関係)においては後者(文明国相互の関係)で必要とされる手続きは必ずしも必要でない。極論すれば、文明国と非文明国との関係の一類型として登場する、植民地化する国と植民地化される国の最終段階では、必ず条約の形式を必要とするとさえ言えない。当時において重要だったのは、特定の文明国と非文明国の関係が他の文明国にどのように受け止められていたか、である。単純化して言えば、植民地化において法が存在していたのは、その部分(他の文明国が受容したか否か)のみである。この意味において、韓国併合は、それが米英を初めとする列強に認められている。仮にどのような大きな手続き的瑕疵(かし)があり、非文明国の意志に反していたとしても、当時の国際法慣行からすれば無効とはいえない」

自分で生きていけない国について周辺の国が国際秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことであって、日韓併合条約は国際法上は無法ではなかった」

 韓国側は猛反発しますが、同教授は一喝します。

「強制されたから不法という議論は第一次大戦以降のもので、当時としては問題になるものではない」

 韓国側は「条約に国王の署名がない」と不法論を補強しようとしましたが、日本側から日韓保護条約についての皇帝の日記など、韓国側の資料を分析し、高宗皇帝は条約に賛成し、批判的だった大臣たちの意見を却下していた事実を紹介しました。欧米の学者からも皇帝の署名は必要ない、とする見解が出されたといいます。

 

 この会議に参加していた学者によると韓国側はがっくりと肩を落として去ったそうです。しかし、この会議の内容を日本のマスコミは黙殺しました。



参考文献

 「親日派のための弁明」金完燮著

 「かへるうぶすな」南出喜久治著

参考サイト

 WikiPedia「韓国併合ニ関スル条約」

関連記事

 列強が支持した日韓合邦 http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/21057715.html

添付画像

 御署名原本・明治四十三年・条約第四号・韓国併合ニ関スル条約 (国立公文書館より)


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