日韓合邦により韓国の身分制度が解体


 日韓合邦は日本の武力による強制というのは真っ赤なウソで韓国人が望んだものですが、既得権益者はやはり抵抗しました。
 李朝身分制度は良民といわれる両班(貴族および科挙官僚を輩出する階層)・中人(技術官僚・下級官僚を輩出する階層)・常人(一般の農民)と賤民(奴婢、俳優、医者、巫女、白丁)がありました。両班は労働を蔑視し、国家と民衆を食い物にしていました。

李朝末期に朝鮮を訪ねたロンドン・デーリーミラーの記者マッケンジーが役人に聞きました。
「なぜ餓えている農民は土地を耕さずに放っておくのか」
役人
「耕せば耕すほど税金を取られるからだ」

 日韓合邦が始まるとこれらの身分制度は廃止になります。

 両班一族の日記
「おおよそ乙巳の年以降、両班と村役人たちが劫奪(こうだつ・無理に奪うこと)を受け、窮民と平民が時宜を迎えたからか、村の常漢どもが両班を名乗り、昔の呼び名はどこかに消えてしまい、争いをする時には汝や君やと呼ぶ」
 
 村人たちが両班を軽んじてタメ口を使うようになったということです。両班にとっては日韓合邦は不快この上なかったでしょう。
 制度を変えただけでは差別はなくならないのは当時も同じだったようで、衝平社という「白丁」の団体が身分開放の運動を1920年代に行っています。そして白丁の子弟が学校に通うようになります。すると両班がうちの子供を白丁の子供と同じ教室で勉強させるのか!と怒ります。そしてデモを繰り広げるようになります。しかし、警察機構により鎮圧されました。

 中人も両班から厳しい差別を受けていました。彼らは文字も読み、計算ができる階級ですから、日韓合邦の環境変化に適応し、官界に進出したり商人として成功したり、地主として成功したりしました。子弟は日本に留学させることができました。そしてこの留学組から多くの知識人が輩出されることになります。近代朝鮮文学の父といわれる李光珠(イ・グアンス)、崔南善(チェ・ナムソン)、経済学の白南雲が挙げられます。

 日韓合邦時代に現在の韓国の近代化の基礎が出来上がるわけですが、それは人的面では李朝時代に虐げられていた身分の人たちの進出によるものです。現在、これらの人の多くは親日売国奴の意味)として糾弾されていますが、とんでもない話です。韓国民にとって恩人の方々です。



参考文献
 「大韓民国の物語」李 榮薫・著 , 永島 広紀・訳
 「日本の植民地の真実」黄文雄

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 朝鮮の差別社会と中朝国境の朝鮮族 http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/21593601.html

添付画像
 日韓合邦後ノ韓国制度・同上(宋秉蔲提出)  〜 国立公文書館アジア歴史資料センターより



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