教皇フランシスコ『愛の喜び』Amoris Laetitia 8章304・306

教皇フランシスコ『愛の喜び』Amoris Laetitia 8章304・306

ノルマと識別

304. 人の行為は一般的なノルマや規律に叶っているかどうかを検討するだけではその人の具体的な実存においてその人が神に忠実であるかどうかを識別するためには足りない。トマス・アクイナスの次の教えを思い起こし、司牧上の識別の中に取り入れたい。「一般的な原則において必然性はあっても、個別のケースになったら不確実性が増える。実践の領域において真理や実践的な確実性はすべての個別のケースに同じく適用することができない。一般的な原則についてだけその確実性がある。なお、そういった原則の適用はすべての行動に適用されうる場合でも、かならずしもすべての人がそれを把握できるとは言えない。具体的なケースに当てはめようとすればするほど不確かさが増える…

305.したがって司牧者は変則の状態にいる人々に対して倫理上の規範を石のように投げかけてはいけない。教会の教えを錦の御旗にしながら、かたくなな心をもって「モーゼの椅子に座って」、時に優越信と軽薄さをもちながら、複雑な問題や傷ついた家族をさばいてしまう者がいる…

 客観的に見て罪の状態と思われる条件の中にいる人は、さまざまな制約や情状配慮要素のため、主観的に罪科がないことがありうる。その人は神の恩恵を受けている状態におり、教会の助けを得て恩恵と愛得のうちに成長しつづけることがありうる。〔信仰上の良心的な〕識別に助けられて人は限界の中でも神の呼びかけに応答し、成長する可能な道を見いだす。どんな問題でも、白か黒かというアプローチしかできないと、恵みと成長への道が閉じられてしまい、神に栄光を帰する聖性への道をあきらめることになってしまう…  

306. どんな状況においても、神の掟を完全に守ることを困難に思われる者には愛の道への招きを聞かせたい。愛徳の道はキリスト者にとって最高の掟である。(cf. Jn 15:12; Gal 5:14).