Hatena::ブログ(Diary)

タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会

この会では、タイで育つ日本にルーツを持つ子どもたちの幸福を、子どもを取り巻く全ての大人たちが、それぞれの立場から「ことば」を切り口に考えていきます。
ことばの力とは、自分を理解し、人を理解し、社会との関係を拓いていける力のことです。その力を育てるために一人でも多くの方々と一緒に考え、活動していきたいと思います。

2017-11-02

2017年9月ワークショップのご報告 第2回

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 タイで育つ子どもたちを新たな豊かさへ繋げる 複言語・複文化の視点 第4弾

 わたしを描く
 ―言語マップで何が見えるか―


《子どもたちの報告》
複言語・複文化を生きる子どもたちの語り

「絵の具を混ぜたように混ざっている・・・」
これは9月3日のワークショップで、自分の頭の中の言語を説明した子どものことばです。
第2回報告では、子どもたちの描いた言語マップと言語ポートレートを紹介します。そして子どもたちの語りを動画でそのまま紹介します。子どもたちはどんな経験をし、何を感じているのでしょうか。


言語マップと言語ポートレートの紹介

言語マップは自分の言語経験を描くものです。自分の言語使用経験を可視化し、複言語・複文化を生きる互いの経験を共有することを目的にJMHERATで開発しました。縦が言語使用場面、横が経験の時間軸です。言語は色別にタイ語(青)日本語(ピンク)英語(黄緑)その他の言語(黄色)です。
また、今の自分を描くために「言語ポートレート」(Busch 2012、姫田2013、尾関2015)(注) を使用しました。自分と言語の関係、文化的影響も含めた自分を描くものです。言語ポートレートも同じく言語を色別に描きました。


子どもの描いた言語マップ −移動による大変さ−

・言語マップ活動の流れ
  1 自分マップ作成+「大変だったこと」シール貼り
  2 ひとりひとりマップ・「大変だったこと」の解説
  3 「大変だったこと」をポストイットに書き出す
  4 壁に貼り出して全体共有

・子どもの言語マップとプロフィール
子どもたちの描いた言語マップと子どもたちの簡単なプロフィールを紹介します。

f:id:jmherat:20170903160353j:image:w320:leftARISA(17歳・女性)
インターナショナル校12年生。父:日本、母:タイ、兄弟はいない。タイで生まれてタイで育つ。日本での生活経験はない。半年ほど現地の幼稚園、その後日系幼稚園に通い、日本人学校入学。高校はインターナショナルスクールに進んだ。日本人学校に入った時、インターナショナルスクールに進んだ時、一気に言語が変化し大変だった。


f:id:jmherat:20170903161049j:image:w320:leftYUUKO(14歳・女性)
日本人中学校3年生。父:日本、母:タイ、妹が1人いる。タイで生まれ、現地の幼稚園に通っていた。父親とはタイ語で話していた。4歳から日系幼稚園に通うことになったが、日本語は父親の話す「行こっか」しかわからなくて大変だった。小学校は日本人学校に入学しそのまま中学部に進んだ。


f:id:jmherat:20170903161109j:image:w320:leftMIKU(19歳・女性)
タイの国立大学日本語学科2年生。父:日本、母:タイ、兄弟はいない。日本で生まれて5歳まで日本で暮らしていたが、6歳の時に父親と別離。母親とタイに移動した。小学校、中学校、高校とタイの現地校で過ごしている。「ハーフだが日本語が上手ではないので、お父さんと話さないのかと言われてしまう。」英語が得意。


f:id:jmherat:20170903161016j:image:w320:leftTAKANORI(20歳・男性)
タイの国立大学日本語学科2年生。父:日本、母:タイ、兄弟はいない。タイで生まれて、3歳までタイで過ごす。その後、4歳から5歳は日本、6歳から7歳はタイ、8歳から12歳は日本と、移動を繰り返してきたが13歳からタイで暮らしている。日本人の父親とは別離。環境が変わった時は大変だった。「今はいちから日本語を学習中。」


f:id:jmherat:20170903161038j:image:w320:leftJUN(23歳・女性)
日本の大学4年生。父:日本、母:タイ、弟:1人。日本で生まれてから短期でタイ・日本と移動を繰り返し、9歳から17歳までタイ。17歳から現在まで日本。タイに来たときは9歳だったが1年生に編入。親は日本にいたため現地校の寮で暮らした。17歳で日本に戻ったが、日本語をすっかり忘れていたため大変だった。必死で日本語の学習と受験勉強を頑張り、普通入試で日本の大学に入学を果たした。就職も決まり卒論に取り組んでいる。


f:id:jmherat:20170903161218j:image:w320:leftMALIKA(17歳)
インターナショナル校12年生。父:日本、母:タイ、姉:1人。タイ生まれ。幼稚園は祖母の元で家族と離れ1人日本の幼稚園に通う。小学校入学と同時にタイへ戻ったがタイ語がわからずタイ人の母親と話せず大変だった。小学校、中学校は日本人学校に通い、高校はインターナショナル高校に進んだ。英語の補助授業なしで通常クラスに編入できた。大変な時いつもが姉が助けてくれた。


子どもの描いた言語マップの特徴として、大人の描いた言語マップと比べて移動により一斉に言語環境が変わり、そこで一気に「大変だったこと」の印が現れていることが挙げられます。
では、子どもたちはどのようなことが大変だったのか、ポストイットに書かれた大変だったことを一部ですが紹介します。


・子どもたちの「大変だったこと」(一部)

言葉の問題

  • 授業の時、「なんでタイ語も日本語もわからないの?」とみんなに言われた。
  • 幼稚園でいきなり日本語。泣きました。
  • タイ語が全くできないのに、タイ語だけの環境だった。

言葉とアイデンティティ(様々な決めつけ)

  • 「何で日本人なのに日本語ができないの?」とみんなに言われた。
  • “タイのハーフ”のはずなのにタイ語が出てこなくなってきた。
  • (日本で)タイ語を話すことが恥ずかしかった。
  • 嫌いな言葉は「タイ語と日本語どっちが好き?」

周りの人たちとの関係

  • 日本語ができなくて友だちがつくれない。(日本人学校で)
  • 家族とのコミュニケーションができないことが悲しかった。
  • 日本人の友だちと遊びに行くと、タイ語と日本語ごちゃまぜ。ボーッとしていると、みんなが何を言ってるのかわからない。


子どもの描いた言語ポートレート −複言語からトランスランゲージングへ−

・言語ポートレート活動の流れ
  1 言語ポートレート作成
  2 自分の言語ポートレート紹介
  3 壁に貼り出して全体共有、話を聞きたい言語ポートレート選択
  4 全体発表

・子どもの描いた言語ポートレートとキーワード
「今の自分」を語るために各人が言語ポートレートを作成しました。ここでは、子どもたちの描いた言語ポートレートと発表の様子を紹介します。

f:id:jmherat:20170903173546j:image:w280:leftTAKANORI(20歳・男性)
日本語が上手になりたい僕
耳も、日本語が下手なので、よくなりたいから、漫画とか、いろいろな歌とか、毎日勉強しています。
日本語にもタイ語にも英語にも感じるプレッシャー
肩は日本語が下手なのでプレッシャーがある。タイ語も一緒です。英語も。
タイ人とも日本人とも感じる僕
心は私はタイを感じる時もあります。日本を感じる時もあります。でも、ハーフになって誇りに思います。

D


f:id:jmherat:20170903173422j:image:w280:leftARISA(17歳・女性)
ぐちゃぐちゃな喉
言いたいことをその言語で言えないっていう気持ちです。日本語でこの言葉を言いたいのに見つからなくて、みたいな感じです。
英語、タイ語、日本語、それぞれの言語にプレッシャー
肩のところは、3つの線になっている。これは英語、タイ語、日本語とそれぞれの言葉を話した時に感じるプレッシャーです。
タイも日本も同じ割合で大切なハーフの私
心は、わたしはハーフなので、どちらも同じ割合で大切に思っています。

D


f:id:jmherat:20170903173442j:image:w280:leftJUN(23歳・女性)
場所によって変わる言語
日本にいる時は頭の中は日本語になるのでタイ語があまり出てこないし、タイでは脳みそがタイ語になるので日本語が出てこない。
インプットされた時の言語でアウトプット
頭は基本的に日本語だけど、かけ算とか数字とか小学校レベルの知識はタイ語で考えています。
ハーフだというプレッシャー
周りの人からハーフだと必然的にいろんな文化に対応できるよね、っていうプレッシャーがあります。
ことばに感じるもどかしさ
左手のほうは読み書きにしたんですけれども、タイ語も日本語もどっちも100%ではなくて、どちらも70%から80%ぐらいなので、結構もどかしい。

D


f:id:jmherat:20170903174435j:image:w280:leftYUUKO(14歳・女性)
絵の具を混ぜたように混ざっていることば
頭の中では、国別に分かれてなくて絵の具を混ぜたようになっていて、でも、話すときは(国別に)日本語も出てくればタイ語も出てくるし、英語もちょっと出てきたりします。
いろんな視点で見る目
目はいろんな視点から見て、例えば、漢字をタイ人から見たらどう思うか、日本人から見たらどう思うか、外人だったら、って感じで目を使っています。
イヤリングのように付け外しする英語
耳は、タイ語、日本語いつでも聞き分けられますけど、英語はイヤリングのように使う時だけ取り出して使っています。
生まれた時からグローバルな私
学校でグローバル化について考えるというのがありますが、わたしはハーフ。生まれたときからそういうの始まっているよって思う時があるんですけど。

D


子どもたちの言語マップ・大変さの書き出し・言語ポートレート
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子どもたちの感想:二つのワークをやって

ARISA
昔、苦しかったことやハーフで良かった出来事を思い出した。それをマップに全て表せなかったのは残念に思う。自分と同じハーフの子のマップを見ると、似たような色合いになっていて大変だったことや苦労したことが似ていて親近感がわいた。そして自分の小さかった頃の気持ちを自分と同じ子たちと話し合えて情報を共有できて良かった。時間があったらもっと細かいマップを作ろうと思った。(中略)自分だけが不安、苦労しているのではなく、同じことを経験、感じているんだと知り安心した。苦しんだり泣いていたころの自分に「大丈夫だ!!自分だけじゃない!」と伝えたい。

YUUKO
今日は自分のことを知ることができました。普段あまり自分のことを書くということがありません。描いてみてちょっと悩みました。でも、班でこの人わかるみたいなことができました。いろんな人の考えを知れて、楽しかったです。学べたり、わかりあえたりしました。子どもたちでやりたいです。

JUN
”ハーフ”ではなく”ダブル”であることに実感させられました。昔はハーフであることがとても嫌でしたが、近頃はどちらの文化もわかるということが、就職活動や日常生活などでも他の人よりプラスになっていることに気付き、このワークをやることによって、より自分は恵まれているなと感じました。もちろんハーフだから全てがプラスになるわけではありませんが、ハーフとしての葛藤を乗り越えた時にくるプラスに気付けるワークで、もっと自分に自信が持てるようになりました。
自分のアイデンティティをわかっているつもりでしたが、このワークショップに参加したことで、より自分自身の中で消化しきれていなかった部分を明確にすることができました。また国際児として恥ずかしいと思う時がありますが、トランスランゲージングの考え方を知ったことによってより自分自身に自信が持てそうです。

TAKANORI
他の人のことを見て、みんなそれぞれ困難があって乗り越えてきていた。傷ついた経験も良い経験としての価値があり、私もこれからも前を向いて歩いていける。「明けない夜はない」。今日、良かったです。子供(で集まるのを)たのしみしています。

MIKU
I think I set to know many people and we the best. I've never join the event like this before and it's interesting. I want to practice more so I can know. I proud to be half. Today, everything goes well. I think it's interesting and I think I want to join again.

MALIKA
自分の頭の中を整理することができて楽しかった。ふだん考えたことがなかったから自分の新しい一面に気付くことができてよかった。多言語で生きている中で、つらいこともたくさんあったけど、それが今の自分をつくりあげてくれたから、つらい経験も悪くはなかったなと思った。


子どもたちは今まで自分のことを語ってこなかったと言います。そんな子どもたちが、言語マップや言語ポートレートで自分を描き、自分を語りました。そして、この子どもたちの語りから大人たちは多くのことを学びました。次回、第3回報告では、この複言語・複文化ワークショップで大人たちが何に気づき、何を語ったか報告します。また、この子どもたちの「また集まりたい」という声に応え、12月に子どもたちの会も開催します。

JMHERAT運営委員


(注)
尾関史(2015)「 自己形成・キャリア形成を支える言語教育実践を目指して―海外中等教育日本語教師研修での試み―」 2015年度日本語教育学会中国地区研究集会予稿集
姫田麻利子(2013)「大学生の言語ポートレート」『語学教育研究論叢』第30号,213-232.
Busch, B.(2012) The Linguistic Repertoire Revisited. Applied Linguistics, 33/5, 503-523. Oxford University Press.

2017-09-21

2017年9月ワークショップのご報告

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 タイで育つ子どもたちを新たな豊かさへ繋げる 複言語・複文化の視点 第4弾

 わたしを描く
 ―言語マップで何が見えるか―


2017年9月3日に終了したワークショップの内容をこれから4回に分けて報告します。
当研究会では舘岡洋子氏をお招きし、2011年から複言語・複文化ワークショップを開催してきました。今回はその第4弾。子どもと保護者と教師が初めて一緒に体験するワークショップになりました。第4弾では、これまで作成してきた「言語マップ」だけでなく、自身の「言語ポートレート」を作成するという2つの活動を行いました。

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■ワークショップ・当日の活動の流れ
12:00開始
・複言語・複文化とは
・参加者全体自己紹介
12:20言語マップ活動
1 自分マップ作成+「大変さ」シール貼り
2 ひとりひとりマップ・「大変さ」の解説
3 大変だったことをポストイットに書き出す
4 壁に貼り出して全体共有
13:55私たちの複言語(複文化)性
14:10休憩(壁マップの共有・交流)
14:25言語ポートレート作成
1 作成
2 自分のポートレート紹介
3 壁に張り出して全体共有、話を聞きたい言語ポートレート選択
4 全体発表
15:45・私たちの複言語・複文化性
・複言語からトランスランゲージングへ
16:00複言語・複文化という価値
16:20今後に向けて
16:30終了


■会場の様子

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■感想

  • (二つのワークをやって)“ハーフ”ではなく“ダブル”であることに実感させられました。ハーフとしての葛藤を乗り越えた時に来るプラスに気付けるワークで、もっと自分に自信が持てるようになりました。自分のアイデンティティをわかっているつもりでしたが、このワークショップに参加したことで、より自分自身の中で消化しきれていなかった部分を明確にすることができました。まだ国際児として恥ずかしいと思う時がありますが、トランスランゲージングの考え方をしったことによってより自分自身に自信が持てそうです。(子ども/大学生(日本在住))

  • 今回は自分のことしか考える余裕がなかったですが、自分の中の言語がどのように構成されているのか”可視化”されて新しい発見が多かったです。同じことを日本に住んでいるダブルの子どもたちにやってもらうとまた違う結果が生まれるだろうと思います。自分の大学でも実践してみたら面白いと思いました。(教師)

  • トランスランゲージングという言葉を初めて聴きましたが、自分の子供もハーフ/ダブルとしてではなく、モノリンガルの人たちよりも豊かなリソースがあるということを知ってもらいたいと思いました。自分の子供(小学生)にやってみたいと思います。自分と生まれ育った環境が違うので、子供の心理がとても知りたいです。(保護者)

  • I've never join the event like this before and it's interesting. I want to practice more so I can know. I'm proud to be half. Today, everything goes well. I think it's interesting and I think I want to join again.(子ども/大学生)

  • 今、子供達が持っている複言語能力自体が彼らの能力であり、生きてきた集大成であり、これから生きていくためにツールであるのだということは、新しい世界の在り方だと思います。世界がひとつになっている中で、この言語に関しての新しい考え方は大事だと思います。是非、3人の子供たちとシェアしたいです。(保護者)

  • これまで「バイリンガル」ということばや「複言語」ということばは、両親のどちらかが一方と異なる言語・文化である人が対象だと思っていました。でも、今日自分の言語マップ、言語ポートレートを描いてみて、自分もやはり当事者なんだということに気がつきました。今、私が担当している授業にダブルの学生が3名います。まだ学期が始まったばかりなので、これから関係を築いて、今日行ったマップやポートレートを是非実践してみたいと思います。(教師)

  • 豊かな人生を生きるということについて改めて考えさせられました。他の方々の言語マップや言語ポートレートを拝見したことも大変興味深く、自分自身や子供のことを見直す上でのヒントになりました。(教師/保護者)

2017-08-02

2017年9月ワークショップのご案内

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 わたしを描く
 ―言語マップで何が見えるか―

9月3日(日)に複言語・複文化ワークショップを開催いたします。
2011年に始まった複言語・複文化ワークショップの第4弾です。これまで、言語マップ、違和感のドラマ化、関係性マップなどを通じ、複数の言語と文化の中で生きるとはどういうことか考えてきました。今回は2011年にみなさんと描いた言語マップを再び取り上げます。
4回目のワークショップである今回は、当事者である子どもたち自身にも参加してもらいたいと思います。中学生以上の子どもさん、すでに成人された子どもさんにも声をかけてください。親、子ども、教師がそれぞれの複言語・複文化状況を知り、このワークショップ後の活動も一緒に考える会にしたいと思います。

開催要項

テーマわたしを描く
―言語マップで何が見えるか―
講師舘岡洋子氏(早稲田大学大学院)
日時2017年9月3日(日) 12:00〜16:30 受付開始11:30
会場泰日経済技術振興協会日本語学校
通称 ソーソートー(スクンビット、ソイ29)
定員30名
参加費200バーツ(中学生以上のお子さん:無料)
締め切り8月25日(金)
申込みこちらの申込フォームからお申し込みください。
問合せJMHERAT[@]gmail.com ※送信には[ ]を外して下さい。

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2017-07-15

第13回セミナー第3部「親としての経験」

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 子どもを育てる、ことばを育てる
 ―子どもが自信を持って生きるための言語活動実践―

4回にわたってブログに掲載してきましたセミナー報告も、今回の第3部で最後になります。
コメンテータの石井先生はご自身が国際結婚で2児の母親でもあります。セミナーの最後に石井先生から親としての立場からお話しいただきます。石井先生の子どもさんは二人ともすでに成人していますが、先生はいったいどんな経験をしてこられたのでしょう。

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家庭環境について
私の夫は韓国出身で、大人になってから日本に来たんですが、どうも日本語と相性が良かったみたいで、非常に日本語の能力は高いです。子どもは2人いて、上が女の子で、3つ違いで下が男の子です。私は家庭の中でそれなりにうまくやっていけば、そんなに苦労しないバイリンガルは可能かなというぐらいの気持ちでしたが、ある時、ハッと気が付いたら、夫が日本にいる間に、韓国語話者じゃない人に韓国語を話すことができなくなっていました。韓国へ帰国している間はずっと韓国語なんですが、日本の空港に着いた途端に、なぜか日本語にスイッチしてしまうんです。子どもたちに韓国語で話しかけているものと思っていたら、ほとんど全て日本語になっていて、そのたびごとに、「韓国語!」と私が言うと、韓国語になるんですが、あっという間に日本語に戻って…それをずっと繰り返していました。私もずっと働き続けていたので、子どもたちは保育園に入れましたが、保育園の中は丸々日本語で、子どもの韓国語自体は日本語と比べて、明らかに弱い状況でした。

韓国の親戚とのつながり
ただ、小さい時、お正月とか夏休みとか時間がちょっと取れる時は、1週間でも韓国へ行って、向こうの親族といろいろコミュニケーションをとったりするという経験をさせていました。運がいいことに、3つから5つ上の年齢に男の子2人と女の子2人のいとこがいたので、その子たちと本当に楽しく遊んでいました。親のことは見向きもしないで、そのいとこたちと遊ぶぐらいで、韓国語を覚えたかなと思って、一緒に遊んでいるのを見たら、その韓国のお兄ちゃんお姉ちゃんの方が、日本語で「貸ーしーて!」「ちょっと待って!」と言っていたんです。要するに、傍若無人な私の子どもたちにちゃんとわかるように言わないと、好きなようにされてしまうので、そのいとこきょうだいがさっさと日本語を覚えてしまったようです。ただ、やっぱりそういう仲のいい子と1週間丸々一緒にいたりすると、例えば、娘が、「いとこのお姉ちゃんがお母さんのケータイ、きれいな色だねって言ってたよ」と言ったことがありました。「あっ、そういうこともわかるんだ!」と思いました。息子も、いとこ2人のお兄ちゃんと本当に仲良しなんですが、気が付いたら、この子たちは言語活動をほとんどせずに、かくれんぼしたり…要するに、犬がじゃれ合っているような状態でコミュニケーションをずっとしていたので、息子の方はむしろ4歳ぐらいまでの方が、韓国の人に「何歳?」と聞かれて答えるなど、パッと聞いてパッと韓国語で答えられていました。
でも、息子はだんだん自分の日本語力が高くなってくると、同じように言えない言語は使わないという風に自分の中でなったようでした。私は残念な気持ちがとても強くて、いろいろ考えたんですが、私自身がそれを打開する能力がないと思いました。私の韓国語は、一人で出張に行った時にはなんとか乗り越えられる程度のもので、やっぱり、豊かに子どもたちに話しかけるというまでの力は全然ありませんでした。訳のわからない片言の韓国語でやることはナンセンスであることはわかっていましたので、その段階で、韓国語が自然に育つのはちょっと無理だとあきらめました。でも、その代わり、やっぱり、韓国にも自分たちをそのまま受け入れてくれる、親族、コミュニティがあるんだと、その気持ちはできるだけキープしようという意図で、向こうとの関係は保とうと努力していました。

息子と韓国語
一番韓国語力が低かったのが息子でした。ずっとこのまま韓国語ができないままいくのかなと思っていたら、高校に進学する段階で、やっぱり息子なりに、自分が一番韓国語ができないし、いとこたちとコミュニケーションがとれないとまずいと思ったのではないかと思いますが、突然、韓国語が勉強できる学校に行きたいと言い出しました。それで、韓国語のコースのある高校に入って、3年間読み書きもきちっと学んだら、私は追い越されました。私が一番悔しかったのは、発音が全然違うことです。私がいくら一生懸命発音しても、韓国の人に何のことかわからないって言われるのを、息子がふっと言った瞬間に「あー!」って返事が返ってくる時、とても悔しかったです。(笑い)

強制ではなく本人の意思
子どもが育っていくという時に、いろんな環境とか、親の力の問題もありますけれど、思うようにいくとは限りません。私自身、自然にバイリンガルになれる状況があれば、どんなにか良かっただろうとは思いますが、2つ以上の言語をバックグラウンドに持つ子たちが、みんなバイリンガルに育たなきゃいけないという風に思うだけで、たぶん、例えば、うちなんかの場合、すごく不幸なことになるかもしれません。よく考えると、私は何か不満があるかというと、家庭の中で毎日過ごしていると、とても楽しいし、この子たちは韓国に行くと、すごく幸せそうで、韓国に行くことがとても嬉しいって言っているので、これでまずはいいんじゃないかという風に思っていました。すると、息子が韓国語やるって言い出しました。言葉の力をつけていこうとする時に、どんなに周りが強制してもできなかったことでも、つながりというものの中で、自分がどういうコミュニケーションがしたいか、誰とつながりたいか、どういうレベルでつながりたいかを意識することで、「ああ、こういう風になるのかな」という風に思ったんですね。

娘と韓国語
上の娘の方は弟よりはずっと韓国語がわかりました。ただ、全然十分ではなくて、むしろ、弟が高校で頑張って追い抜かれ、かつ、読み書きは非常に不得手でした。彼女は実は声優という仕事を選んだんですが、それで、結構韓流のドラマとかの仕事も回ってくるんですね。一応、その元の韓国語の原稿と翻訳された実際に読む原稿があるんですが、やっぱり聞いていて、どうも日本語ちょっと不自然だと思ったものを、ちゃんと自信を持ってなんとかできるようにしたいと思い出したらしくて、1年ぐらい前に、韓国語のちょっとフォーマルな学習をするから、テキスト選ぶのを手伝ってくれないかと言われました。

忘れられない夏休み
私の例は全然、世の中に言う大成功のバイリンガルの家族の話ではありません。言葉というのがその人間にとってどういう意味があるかということを、親であっても、強制したり、決めたりすることはやっぱりできないんだなと思います。さっき言ったような、やりたいことしか絶対やらない息子がいたために、どんなに親がこうやろうと思っても、びくともしないという…子どもであってもそういう意思があるんだということを、親としては学んだわけですね。
これは別に韓国語だけじゃなくて、日本語を使っても、どういうことを日本語でやりたいと思っているかということにも影響があります。息子は作文もずっと書かなくて、文が書けないのかと心配していたら、4年か5年の時に児童会の書記を任されたら、その記録はちゃんと何ページにもわたって書いたと聞いて、「あ、文が書けないんじゃないんだ」とその時に初めて思ったんです。
でも、もうちょっとして、中学の夏休みに読書感想文の宿題が出て、息子が書いた文章のあまりの貧しさにがっかりしました。下手とかそういうのじゃなくて、とても短いし、何も伝わらない文でした。つまり、伝えたいことがなかったんですね。ですが、あまりにもがっかりしたので、私はその時、「中学生になってもこんなもんか。これ、こういうの読んだでしょ?このこと、どういうこと書いてあった?」とか言ったんです。息子は「そのことってどういう風に表現したらいいわけ?」と言いながら、多少、体裁が整った風に見えるものを書いたんですけれど、その出来上がりを読んだ時に、全然彼の気持ちとかけ離れた、こうあった方がいいよねという言葉の羅列の文章になっているっていうことをまざまざと見せられて、私は本当に心底反省をしました。これはほとんど暴力だなって、私自身、本当にあの時ほど自己嫌悪になったことはないんですが、無理やり、こういう言葉を自分から出しなさいということは、たぶん人間として一番やってはいけない暴力かなと思いました。つまり、思想信条とまで大きなことではないとしても、息子が感じたこと、息子が伝えたいことを無視して、こういう形で出すものでしょっていうものを書かせてしまって…母親として今までの子育てであのことは一生忘れないだろうなって思います。
やっぱり親が子どもにかかわっていく段階で、なんとなくいろんなことを学ぶ…子どもから学ばされるという経験をしました。
そんな風に好きなことしかやらなかった子も、去年の4月に一応、大学を終わりまして、運のいいことに、自分が行きたい、やりたいって思った仕事に今就けて、とっても楽しく毎日を過ごし、週末は海釣りに先輩に連れて行ってもらい、釣った魚は刺身と天ぷらにして…。そういうやりたいことがあればいいのかなと思います。

今、思うこと
最初、子どもが生まれた時に勝手に思ったこととは全然違うありさまですが、たぶん成功とか失敗とかというのは人間の尺度にははまらないと思います。その時その時に自分が今の状態をどう思うかはそれぞれですが、それはやっぱり、自分が一日一日生き続けていく中で、同じじゃなくて変わっていくのだと思います。自分のことを振り返る時に、自分の中で自分に向けて語りますよね。そういう時にどういう言葉で自分は自分のことをよく語れるか、あるいは、誰かとかかわりたい時に、この人とはどの言葉ならかかわれるか、ちゃんと伝わるかというようなことが、うまく練っていけたらいいのだと思います。世の中的な到達度も、どこかではもちろん力になるもので、無意味だとは思いませんが、そのことがその人のあり方を規定するものではないんじゃないかなという風に、最近、子どもたちを見ていて、自分自身が本当にその辺で納得したと言いましょうか、楽になったと言いましょうか、そのように感じています。

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2017-06-12

第13回セミナー1/2部まとめ「ことばを育てる言語活動実践まとめ」

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 子どもを育てる、ことばを育てる
 ―子どもが自信を持って生きるための言語活動実践―

2017年3月6日に終了したセミナー内容の3回目の報告をします。今回のセミナーでは子どもにとっての体験の大切さが報告されました。そこで、1/2部まとめとして、日常の中の体験とことばについて考えたいと思います。
だれのどんな日常にもある体験をどう言語活動にむすびつけたらいいのか。日常の中の体験を、体験としてどう考えたらいいのか、池上先生に口火を切っていただきました。

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日常の中の体験とことば
池上:キャンプ体験がありましたが、そういう体験でなければいけないということではありません。例えば家の中で家族と過ごしていても、いつもと違うことをちょっとして、それはどうだったのかそれは何だったのか、それについて今日は誰に伝えようか、そういう風に一つ段差をつけてあげる、そこの中で体験が意味のある体験になる。ただの体験ではなくて、意味のある体験になる。言語生活はそれぞれであって、お料理すると言ったら、お料理するだけで終わりでなくて、その手順についてどうだったのか、お手伝いでやったことがどうだったのか、語り合うことができるかどうか、それは何語で行うのか、それを行った結果、誰に伝えるのか、そこでまたどんどん課題が見つかってくると思うのですが、そのように考えていただければ、体験が言葉に繋がっていくと思います。段差というのは、できること、ちょっと難しい事とか、いつも使っている言葉とちょっと違っている言葉とか、そのように考えると言語活動に繋がっていくと思うのですが。
深澤:いつもやっていたことに、お母さん自身どうやっていたのかなと思うことが段差になりますね。
石井:ある日本の親子教室の例ですが、親子でホットケーキを作りました。作る段階でもいろいろ計って作りましたが、作り終わった後にも計量器を持ち込んで、自分が選んだホットケーキがどれくらいの重さなのか、自分で計りました。大きいのを選んだ子どもも、軽かったら変えてもいいことにしたら、子ども達は必死に目盛を読んでいた。ですけれども、家の中に計りというスケールを見たことがない子や、日常の中で計るという行為を見たことがない子どももいます。学校に来て教科の中で初めて単位とかに触れたときに、家の中でそのような体験があるかどうかで、ものすごく違いがある。どこかで経験することがものすごく大きな違いがある。アイスクリーム(作り)体験の時、塩を入れた瞬間、0より下にメモリが落ちたことで、初めてマイナスという温度があることを実感したということがあります。アイスクリームはつくらなくてもいいですが、今まで家の中で全部親がやっていたことを、一緒にやってみるとか、こういう経験をしたら子どもが驚く、刺激を受けるということを親たちが知ることが重要です。


日常と学習言語をどうつなげるか
池上:よく教科で使う言葉と家で使う言葉が違うということを言うんですが、教科で使う日本語は必ずしも教科の専門用語だけではないのです。目盛を読むとか計るとか日常のことばです。算数の文章問題には目盛以外にも、「オフロにお水を入れる、止める」などと書いてあります。算数の用語というよりも、日常の用語なのです。「○○を作る」とかそういうことは日本語だけで生活している子どもは日常の積み重ねで身についていることです。しかし、そうではない子どもは因数分解など難しい言葉ではなく、日常的な言葉でつまずいたりするということがあります。語彙の研究などしていますが、複言語で育った子どもの中には日常的な言葉でつまずいている場合があります。ではどうすればいいのか。ではこの語彙を教えようではなく、どうすれば生活の中でその語彙がその子どもにとって意味ある言葉として、大きくなる中で誰かと使っていけるか、ということに尽きるのではないかと思います。それが「体験」ということとの繋がりだと思います。


体験とことば:子どもの言語発達のステップを考えながら
(図を見ながら解説)
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【ことばの発達のステップ】
石井:生まれてから幼児期のころは子どもは生活の中で個人的なやりとりを通して、その子にとって必要な言葉を学んでいます。赤ちゃんにごはんをやっているとき、黙ってやっている人はいません。「ごはんたべようねえ」「マンマおいしい?」そういう言葉の中から、ことばと体験はいつも一致して与えられるということを十分やっていくと、外界の体験が音の塊と合致した体験とどんどん吸収されていく。そのように最初のことばの学習はその子が今必要としていること、あるいはその子に声をかけたいという具体的な状況の中で個人的な体験を学びとして言葉を覚えていく。これが基本。これは大人になっても同じ。突然ある言葉が学ばれるわけではなく、ああこのことってこういうんだ、これってこういうんだとそのことに出会ったとき、そのものに触れたとき学ばれていく。言葉だけではなく、言い方もずっと学んでいくことになります。
学齢期になると、かなり組織的体系的に、言語情報を繰り返し教えるということがよくあります。そういう学び方も実体験の中で繰り返し、繰り返し体験するのではなく、組織的体系的に整理したことばのあり方になります。国語が中心ではありますが、各教科でも同じで、その教科特有のことばを学んでいくことになります。その段階では話し言葉が基本ですが、おしゃべりの言葉というのは、ことばの情報以外、相手の顔色、声色などから意味をとっていくわけですが、学校の話し言葉とは質が変わってきます。たとえば整理して話さないといけない。「私は〇〇についてこうだと思います」というように、話し言葉でも違う、どちらかというと書き言葉に繋がっていくような話し言葉が授業の中で起こってきます。
やりとりではなくて、まとまったことを一人で完結させると言語活動が入ってきます。それをたっぷりやっていくと書き言葉にも馴染みが出てきて、書き言葉の質が上がっていく。日常のおしゃべりをいくらしていても、そういう形はでてこない。日本に来た外国人の子どもが日常的にペラペラ喋れても、教科書になると全然分からないということがよくある。ことばの言語活動の質が非常に違うので、ペラペラ喋れる力がついたということがそのまま書き言葉に繋がるわけではない、ということです。
ある程度の年齢にくると上の段階に行くための、リテラシーは読み書き能力ですが、これらのことばを学ぶための準備が始まってきます。それがプレリテラシー。たとえば、文字の世界。文字というのは、一つ一つ順番に覚えたら読めるようになるというイメージを持っている人がいると思いますがそんなことはありません。子どもは自分の名前の一文字から覚えたりします。いろいろな物に書いてあるあるもの(名前の文字)が友達とは違うことを見つけ、これは自分だとわかりそれが自分を表す文字だとわかってくる。そうやって、文字を覚えていきます。


読むという行為、書くという行為の価値がわかること
それよりもっと前に、字が読めないのに「本を読む!」と言って本を読んでいる子どもがいます。それは本を読むという行為をしているんです。字を覚えたから本を読むのではなく、本を読むという行為を先に覚えるんです。本を読む人は、たいてい自分にとってとっても優しくて、大好きな人が、自分が喜ぶこととして本を読んでくれる。それを何回も見ているうちに読むという行為がわかってくる。字は読めないけれども、文字を読む行為に価値があると分かって、読むのですね。
書くという行為も同じです。子どもが「手紙を書いた!」というけれども、実は字が書いてなかったりする。文字ではないのです。それは書くという行為に意味を見出して、書くという行為を真似するのです。それが価値があると思うから真似をするのです。それが重要。そういうことを学んできている子どもは学校で文字を習い始めたときに、「あ、読める」ととても喜んで学習が進む。でも家に文字がない場合もあります。言語によっては、そのことばの子ども向けの本が出版されていない場合もあります。経済的な理由で買えない、親自身も識字能力がないなどいろんな場合があります。でも本じゃなくてゲームや、忙しくてそこまで意識が向かないなど、日本人の中でも、新聞もとっていないなど、文字が家の中に無いというケースがあります。タブレットで何か読んでいたとしても、それは何かを読んでいるように思えない。そうすると子どもが学校に行くまで読むという行為を学ばないということが出てきます。文字を読めるようになったら嬉しいという子どもは、喜んで文字を学びますが、そうでない子どもは文字を一ずつ学んでも喜びに繋がらないし、家に帰って本がない子どもは学校で学んだことを繰り返すということもしないので文字学習はなかなか大変です。むしろ漢字の方が意味や形で覚える。家に帰っても活字がないと繰り返し学ぶというチャンスがないのです。
もし字を教えてもなかなか身につかない場合、文字そのものをぎゅうぎゅうやるというより文字の世界に誘う活動がいいのではないでしょうか。ある先生が大きなかぶの本を「うんとこしょ、どっこいしょ」をみんなと一緒に声をだし(文字が定着しない)子どもを膝に抱いてやって、読むことは楽しいという経験をしていったらぐっと伸びたといいます。
親や教師は、文字を学ぶという時にパーツパーツを教えるということは、特に小さな子どもにとってはとても乱暴なことです。楽しい活動でなければ嫌いになりますよね。もう避けたいとなってしまったら、おしまいです。なにより楽しく、発達の段階に沿った支援が必要です。

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