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タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会

この会では、タイで育つ日本にルーツを持つ子どもたちの幸福を、子どもを取り巻く全ての大人たちが、それぞれの立場から「ことば」を切り口に考えていきます。
ことばの力とは、自分を理解し、人を理解し、社会との関係を拓いていける力のことです。その力を育てるために一人でも多くの方々と一緒に考え、活動していきたいと思います。

2018-11-20

2018年8月ワークショップご報告第2回

第2回報告では、8月26日のワークショップ全体の様子と参加者たちの描いた言語マップと関係性マップを紹介します。

■ワークショップ・当日の活動の流れ
12:00〜開始
12:05〜複言語・複文化とは(舘岡洋子)
12:18〜言語マップ作成・グループ内共有
13:20〜言語マップ全体共有(気づき1)
13:45〜関係性マップ作成・グループ内共有(気づき2)
14:50〜ポスター作成(言語マップ・関係性マップ・大変/幸せポストイット)
15:10〜全ポスター全体共有(気づき3)
15:35〜全体まとめ・複言語・複文化能力について(舘岡洋子)
16:30終了


■言語マップと関係性マップ
今回のWSでは、「言語マップ」と「関係性マップ」の2つのワークを行いました。これら2つのマップについて語り共有することで、自分の複数性を実感し、複数の言語と文化で生きる人間が持っている能力、複数性をリソースとして目指す能力について考えました。

◇「言語マップ」
言語マップは自分の言語経験を描くものです。自分の言語使用経験を可視化し、複言語・複文化を生きる互いの経験を共有することを目的にJMHERATで開発しました。縦が言語使用場面、横が経験の時間軸です。言語は色別に
 タイ語(青)
 日本語(ピンク)
 英語(黄緑)
 その他の言語(黄色)

・言語マップ活動の流れ
  1 自分マップ作成+「大変/幸せ」シール貼り
  2 ひとりひとりマップ・大変/幸せシールの解説
  3 「大変/幸せ」をポストイットに書き出す
  4 マップを壁に貼り出して全体共有

◇「関係性マップ」
現在の言語と人とのかかわりを描くものです。現在の人との関係性の視点で言語・文化体験を見直すことができます。言語と人を色で示します。
 タイ語(青)
 日本語(ピンク)
 英語(黄緑)
 その他の言語(黄色)
・人とのかかわりは線の太さと種類で表します。種類は実線と点線があり、実線はかかわりが強い相手、点線はかかわりが弱い相手を示します。
・マップには大きい円が3重にひいてあります。内側から「毎日」「時々」「たまに」と会う頻度を示しています。

・関係性マップ活動の流れ
  1 自分マップ作成
  2「大変/幸せ」をポストイットに書き出す
  3 ひとりひとりマップの解説

◇「言語マップ」と「関係性マップ」の詳しい説明はこちらをクリック(説明

◇ポスター作成と全体共有
グループ内での共有が終わったあとは、グループごとに2つのマップと「大変・幸せ」ポストイットを張り出し、ポストイットをカテゴリー化し名付けを行いました。これは、似ている悩みや大変さを持つ/持った人たちと、複言語・複文化環境で育ったからこその大変さの発見をしたり、悩んでいるのは自分だけではないという発見をしたりするなど、その悩みや大変さを共有するために行いました。そして会場全体を前半と後半にわけ、全体共有を行いました。その際、「もっと話を聞いてみたい」と思うマップに投票をしてもらい得票数の多かった3名に登壇発表をしてもらいました。

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■参加者のマップ紹介
参加者が描いたマップをいくつか紹介します。この方々にはワークショップ終了後フォローアップインタビューをし、ご本人に了承を得て掲載しています。

1.大人になってから移動したGさんのマップ
Gさん(20代 男性) 父親:日本人 母親:日本人
f:id:jmherat:20180826173020j:image:w250:left父は元プロ野球選手。アスリート一家に育った。5歳の時にアメリカにメジャーリーグを見に行って衝撃を受けメジャーリーガーになることを決意。将来のためにと親に頼んで英語を習い始めた。小学校3年から単身夏休みに渡米し野球教室に通うことを繰り返す。小・中と世界大会で渡米することもあり、様々な国の人と交流した。5歳から野球一筋だったが、高校3年の夏、選手としての限界を感じ将来の目標を転換することを決意。指導者の道を目指すことにした。最初は高校球の指導者を目指したが、次第に成長過程にある子どもたちに自分の持っているものを伝えたいと考えるようになった。アメリカで色々な国のコーチ達に励まされたことも思い出し、次は自分が海外でと考えタイの幼稚園に就職を決めた。タイに来て現在2年たち、タイ語も少しずつ話せるようになってきて仕事もプライベートも充実している。

f:id:jmherat:20180826173030j:image:w250:left両親、弟とは強い関係。お互いライバルである。自分は父親に負けたくない、弟は兄に負けたくないと思っているだろう。離れているが常に意識していて、濃く緊張感のある関係。親戚の中では母方の祖父が特別な存在。子どもを子ども扱いしない一人の人間として扱ってくれる。今、幼稚園教諭をしていてこの祖父の教育観を受け継いでいると感じる。

【マップを描いた感想】
言語マップを描いて言語や文化体験をいろいろ思い出した。(関係性マップを描いて)言語的には日本語と英語とタイ語をバランスよく話しているなと感じた。言語能力が向上することで、友人の輪が広がったように感じる。家族とは離れているもののタイで自分のことをサポートしてくれている人がいるおかげで、特に不安も無く生活できていることがわかり、改めて回りの方々への感謝の気持ちが強くなった。自分が言語を勉強する最大の理由が、友人や知人の輪を広げるためということにも気づいた。今後は、英語とタイ語をもっと勉強して、さらに意思の疎通が図れるようにしていきたい。


2.親が描いた子どものマップ(母親Sさんが描いた娘Mさんのマップ)
Mさん(11歳女子、インター校)
父親:日本人 母親:日本人
f:id:jmherat:20181113112316j:image:w250:left日本で生まれ2歳になる前にタイに来た。色んな人がいるのが当然と思ってほしいと思い幼稚園からインターに入れた。母親は英語圏の人とは英語で話すので、アパートの人などと母親が英語を使うのはずっと聞いている。情報の欄はテレビは見ないので関わる人のこと。日本語本の読み聞かせは毎日していた。娘にとって大変だったのは妹が生まれた時だったと思う。親と話すのは日本語だが、最近はあらゆることが英語になってきた。学校だけでなく、家に帰ってきても妹とも英語で話し、親に話しかけるのも英語になってきた。日本語で言ってと言うと「もういい」とやめるようになったが、英語でいいというと話すので、日本語にだけフォーカスしてはいけない、「子ども」(自身)にフォーカスしなければいけないと感じ、言葉でなく子どもの話を聞くようにした。

f:id:jmherat:20181113112319j:image:w250:left日本人の友人とは日本語。学校ではどの国の子どもとも英語。英語でも日本語でも大人によく話しかける子どもだった。たくさんの人を描いたが10年間で周りは動いていくので友人は色々なところに拡散している。個人的に行き来するような仲良しはいなかったし、親が連れていかなければ子ども同士の行き来は起こらず、タイでは親と関係ないところで交友関係が作りにくい。学校が小さく1クラスしかなかったため関係性が固定され、自分にとって楽しい関係を作れる友人に会えず一人で本を読んで過ごしていたようだ。今年8月本人の希望で大きな学校に移動。自分から言い出したところに意欲を感じ後押しをした。これを描いた時は学校を変わってまだ1週間しかたっていなかったので古い学校での関係性を描いた。いろいろな関係があるがここに娘の楽しさの基盤はあるのか疑問があった。

f:id:jmherat:20181115165841j:image:w250:left今の学校には電車通学ができるので待ち合わせて一緒に通う友人ができ、友達のことをよく話す。今の子どもの関係性を描くとこのようになる。変化した日常の生活の関係性だけ描いた。今は学校の世界が線で結ぶというより娘と面で重なっているような親密な関係で様々な人との関係があり、楽しさの基盤が学校にあると感じる。本来の自分の興味を共有できる関係ができ、またたくさんの人に出会える環境で自分の新しい興味や可能性をいろいろ見つけたようだ。学校が重要な空間になったことを痛感する。独り立ちの第一歩。年齢もあるが環境の変化が大きいと感じる。母親の自分が日本語使用にとらわれず娘の話に耳を傾けられるようになったたことで彼女の自主性が出て、環境の変化に相乗効果が出たと思う。

※転校しても言語マップでは言語使用の変化はない。しかし、学校での関係性は大きく変わった。言語の種類は変わらないが、誰と何のためにことばを使うか、使用の中身も意味も大きく変わり、変わったことが関係性マップを見るとよくわかる。

【マップを描いた感想(親の視点からの感想)】
自分はこう思っているが娘はどうなんだろう、自分と娘を同一視していたのではないかと思う。また、私の中の日本人のイメージと彼女のイメージはかけ離れていて、日本人だからこうあってほしいというのは私の人生を中心にしたイメージ。でもそれとはまったく違うイメージが娘には広がっていて、娘は私の理解を超えた世界を生きていくことになる。すでにそうなのだろうなと実感している。これまでは、娘の日本語使用が減ってきていることに不安を感じ、なんとかして日本語を使い続けさせなければ、どうすればいいのか、と思っていたが使用言語にとらわれず、娘の話に耳を傾けたいと思う。


3.子どもの時から3か国を移動したTさんのマップ
Tさん(26歳 男性)父:日本人 母:タイ人
f:id:jmherat:20181113104300j:image:w250:left日本で生まれ5歳でタイへ。小1の時に再び日本へ移動。日本では親子3人でいる時は日本語だった。小5の2学期に再びタイへ。一気に言語環境が変わっても嫌なことはなかったがタイ語の読み書きができなくて苦労した。先生がマンツーマンで小1レベルからタイ語の読み書きを教えてくれ約4か月で小6の教科書に達した。クラス3人の小規模校だったのですぐに溶け込めた。日本人の先生もおり日本語を使いたいときはその先生と話した。中3でアメリカに行った時が本当に苦しかった。ブルックリンの黒人地域でアジア人一人だけで浮いていた。半年後ダラスへ引っ越したが、ダラスではまず語学学校で半年英語を勉強してから学校へ入った。英語ができるようになって友達ができるようになった。幸せマークが付いているのは、高2の頃。その頃には学校の内外で色々な友人ができ、高校を卒業するころには本当に溶け込んだと感じた。大学の頃には英語と自分の考えとのずれはあまり感じなくなった。卒業してビザの関係でアメリカではなくタイで就職。タイ帰国は不本意だったが、今の仕事は3つの言葉と文化を知っている自分を生かせる仕事で満足。現在は日本の会社にいるので日本語が伸びたと感じる。日本語や日本の事を取り戻してきた。日本にもタイにも愛着がある。
 
f:id:jmherat:20181113104303j:image:w250:left友達がいない。タイに帰ってから友達はできていない。今の友人はアメリカでできた友達だが離れて関係性がだんだん薄くなっている。タイの友人も中高生の時の友人。その都度いい人に恵まれているが、移動によって友達がつながっていないことをマップを描いて感じた。一人の人と3言語つかっているのは日本に留学経験のあるタイ人でアメリカに留学している時に知り合った人。3言語は意識して変えるのでなくまざっている。タイ人親戚とは英語とタイ語、親とはほとんど日本語を使っている。
ビジネス日本語ではなくて普通のはなしができる同年代の日本人の友人がいたらいいなと思う。(□で囲ってある)。小さいころからの知り合い、幼馴染がいないので、時々疲れたときなど、生まれときから移動せずに自分のことをずっと知ってくれている人がいる世界もいいなと思うことがある。

【マップを描いた感想】
マップ作成をして人の前で自分のことを話すというワークショップは初めてだった。関係性マップを描き友人(親友)が少ないと気付いたことにより、言語マップに戻り過去と現在の繋がり(影響)を振り返ることができた。自分が移動した時々で環境がまったく変わり区切られていると思った。このように自分の過去を振り返ってみて、これまでの経験も大変だったけど、これらの経験のおかげで今の自分があり、今までの経験も悪くなかったと思っている。


■ほしい関係性
Tさんは「同年代の日本人の友人がいたらいい」と書き込んでいましたが、今回のワークショップではこんな人がいたらいいと思う人も関係性マップに描き込んでもらい、黒線で囲ってもらいました。自分と同じ背景の友人がほしかったという人が多くみられましたが、高校生のAさんはこんな人を描き込みました。

・違いを理解してくれる人と出会いたい
Aさんの例(通信校、高校生15歳)
父:日本 母:タイ 中学まで日本人学校
f:id:jmherat:20181113112558j:image:w250:leftf:id:jmherat:20181115170315j:image:medium:left真ん中に私がいて、日常的の周りにはお母さん、妹、お父さんがいて、時々会うのがお姉ちゃん、親戚、親友…たまにっていうのが、日本のお父さん側の親戚です。学校ではタイの悪口を言う人がいて、先生でも私に態度が違う先生がいて、口でグローバルとか言いながらそうじゃない、ほかの国の悪口を言う。そういうのが嫌。そういう人がたくさんいて、会うのが嫌だということもあって高校は通信にしました。年齢とか関係なく、色んな所で過ごしていて、色んな文化を知っている人。言葉も知っている人がいたらいい。通信でも1年に一度日本で学生が会います。面倒な気もするけど、いい人なら会いたい。会っておきたい。

Aさんは人と会うのが面倒で高校は通信にしたと言いますが、実は「傷つくのが嫌」なのだと言います。日本語の発音が違うと言われて自分の声を録音して、人の話し方も観察して研究してみたこともあります。国や民族の違いをいろいろ知っていて違うのがあたりまえだと考える人に出会いたいと思っています。

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■舘岡先生のお話のまとめ
毎回思うことですが、この場自体が貴重なリソースフルな場だということです。自分自身はモノリンガルの世界に住んでいますが、いつもの自分の生活からは想像もできないような世界に住んでいらっしゃる方々がこの場に集まっていて、刺激的な話を聞かせていただいています。今回は言語マップで個人のヒストリーを時間軸で可視化し、関係性マップで現在の関係性の広がりを可視化しました。これらのマップを通じて自らを改めて振り返り、頭の中を可視化することができ、自分のことをリソースフルだと感じることができたかと思います。「混ざっている状態で育つと、100%ではないから自信が持てない。」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、部分的能力の価値を認めてよいと思います。それぞれの言語同士が相互に作用しあって存在しています。100%でなくてもそれぞれの言語が少しでもできること、それ自体がプラスだと言えます。また、今回の特徴として、今回は大変だったときだけでなく、幸せを感じた時にもシールを貼ってもらいましたが、大変シールの後に幸せシールが貼られているのが印象的でした。大変な事を乗り越えた時に幸せが来る(大変さが幸せに転換もする)ということでしょうか。

■ワークショップという活動
WSでは皆さんに知っていただくべき「答え」があるわけではありません。ですからすっきりした気持ちで帰る、というより疑問をたくさん抱えて帰る人の方が多いかもしれません。目指すのは共に作業し対話することで、考え、揺さぶられ、一人では気づかなかった何かに気づくこと。それが、研究会の人間も含めて関わった全ての人に起こることを願っています。これからも一緒に考えていけたらと思います。(JMHERAT)

2018-09-12

2018年8月ワークショップ報告

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 ―マップを描き、マップで語る
  わたしたちの言語・文化体験
  親と子どもと教師たち―

2018年8月26日に終了したワークショップの内容をこれから2回に分けて報告します。
当研究会では舘岡洋子氏をお招きし、2011年から複言語・複文化ワークショップを開催してきました。今回はその第5弾です。複数の言語と文化で育った子ども(※)と、親と教師が一緒に活動するワークショップになりました。第5弾では、これまでの人生の言語体験を整理する「言語マップ」に加え、現在の関係性の視点で言語・文化体験を見直す「関係性マップ」の2つのワークを行いました。

複言語・複文化環境で育った人をすべて「子ども」としました。
内訳は中学生2名・高校生1名・大学生8名・成人1名。両親は日本人ではないが、幼少期日本で育った、という大学生も3名いました。

■会場の様子
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■感想

  • 2つのワークを比べてみて、改めていまのままでの自分の生き方や他の人の生き方についてもちゃんと見るという体験ができました。自分んと似たような体験の人たちとも知り合い、知るという新たな体験ができました。自分の経験をいうおは簡単なことじゃないですが、それでもこうして自分の経験を言える場を作ってもらえた。(子ども)

  • 娘のマップを作成しました。改めて様々な言語の中で人生を歩んできていること実感しました。(保護者)

  • 今回初めて関係性マップというものを作りました。自分を知るための新しいアプローチがとても良かったです。(教師)

  • 思っていたより自分と関係のある人が多かった。こうやって書いてみると、改めてその人達の重要さに気づける。(子ども)

  • Really interesting!! I have met so many people that going thru/went thru so many struggles/hardship. This workshop helps those people to understand who they are and understand their life and make those people realized that it is okay to be this way and nothing to be ashared of.(子ども)

  • みなさんのけいけんをしることができて、自分のけいけんをしってもらえることができたので、とてもうれしいです。(子ども)

  • 自分の今までの言語環境をまとめて整理できた。大変だったときと楽しかったときは同じだったことがわかり、娘が複言語で苦労していることが、同時に楽しい思い出になるだろうと思えるようになりました。(保護者)

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2018-08-05

第5回 複言語・複文化​ワークショップ開催のお知らせ

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 ―マップを描き、マップで語る
  わたしたちの言語・文化体験
  親と子どもと教師たち―

2018年8月26日(日)にワークショップを開催いたします。

2011年に始まった複言語・複文化ワークショップの第5弾です。
今回は言語マップと関係性マップの二つのワークを行います。
言語マップでこれまでの人生の言語体験を整理し、次に関係性マップを描いて、関係性の視点で言語・文化体験を見直します。
これらのマップを描き、語ることで、自分の複数性を実感し、そこから複数で生きる人間が持っている能力、そして複数性をリソースとして目指す能力について考えます。
昨年、初めて子どもたちも参加し、 複数の言語と文化で生きる子どもたちの体験と気持ちを聞くことができました。
今年も、複数の言語と文化で育った学生と、親と教師が一緒に活動するワークショップを企画しています。
それぞれ経験の違う人からきっと多くのことが学ばれるはずです。
関心のある方は、どなたでも奮ってご参加ください。

参加申し込みはこちらの申し込みフォームからお願いいたします。
みなさまのご参加、お待ちしております。



日時日時:8月26日(日)12:00〜16:30(11:30 受付開始)
会場泰日経済技術振興協会日本語学校
通称 ソーソートー(スクンビット、ソイ29)
講師舘岡洋子氏(早稲田大学大学院)
参加費200バーツ(中学生以上のお子さん:無料)
定員35名(8月17日(金)締切)
主催タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会(JMHERAT)
協賛トレイルインターナショナル校
協力タイ国日本語教育研究会
問合せJMHERAT[@]gmail.com ※送信には[ ]を外して下さい。

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2018-07-23

第14回セミナー 全体質疑応答とまとめの報告

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 子どもを育てる、ことばを育てる
 ―複数言語環境で育つ子どもが自信を持って生きるための言語実践―
 

2018年3月18日に終了した第14回セミナーの4回目の報告をします。
今回は、最後のまとめとして行った全体質疑応答を掲載します。


全体質疑応答報告の前に
第2部の質疑応答場面で「子どもがどうすれば自信が持てるか」という質問があり、その後の休憩中も発表者の間で話し合われました。バイリンガル教室からは「親が子どものことばを否定しない態度が、子どもの自信、肯定感につながると感じた」、また、NISTの大倉さんからは「個人が自分を表現し発信することが重要だが、クラスメートや教師という周囲がどう評価するかが大事。個人の表現を受け入れ、評価する環境として学校の環境を創っていくことが大切」というコメントがありました。
では第3部、全体質疑応答の報告をします。


《全体質疑応答》

ー質問1:複言語・文化をバックグラウンドに持つ人(特に学生・大学生)は、どういった場面でアイデンティティを求められるのか?

誰もがいろんなアイデンティティを持っている

  • 石井:アイデンティティというのは、一人一個持っているというものでは全然ない。一人の人間はいろんなアイデンティティを持っていて、ある場面で、自分とここはとっても似てるな、共感できるなという側面を持つ。その共感が持てたところで、私はこういうアイデンティティを持っているんだなというのを認識するもので、モノリンガルだろうとなんだろうと、アイデンティティが一個しかないなんてことは絶対にないです。例えば私も、時々職場の人たちと色々話ししながらすごくずれている自分を感じて、「みんながそれが日本人だよね」と言うと、「じゃあ私は日本人じゃないんだ」と思ったりすることもあれば、男性とか女性とかその感覚の差で何か違いを感じて、「自分はこういう人間だな」と思ったりします。また、出身の地域で共有した経験があるということで共感できたり、そうじゃない人もいるでしょうし、様々な側面でアイデンティティというものは現れ、意識されるものです。だから、モノリンガルか、たくさんのバックグラウンドがあるかということは関係なく、アイデンティティに関してはどの人も同じような状況だと考えています。

  • 深澤:子どもたちの例で言うと、周りから「日本人なのに」というように、民族アイデンティティとことばのことで言われ続けるから、そこにこだわってしまう。こだわらされてしまう。でも本当は、「サッカーが好きな私」が一番アイデンティティの束の中で強いかもしれないし、いろんな要素があります。

外から付与されるアイデンティティをどうするか

  • 池上:外から付与されるアイデンティティというのがあります。本当はアイデンティティを自分から主体的に選び取ることができれば、そこに迷いとか痛みがあったとしても、「何人だ」「何々語がどのぐらいできる、なんとかさん」とかではなく、そうであったとしても、自分が主体的に選び取ったものであれば、その子はそこに足を置けると思います。そうではない場合、つまり自分は日本人としてのアイデンティティにあまり重きを置いていないのに、他人から「だって両親日本人でしょ」と言われた時に、本人は「違うんじゃないか。」と思ったりする。外から付与されるものを、どうやって再構成したり、選び直したりして、自分のアイデンティティを選べるかが多分目安なんです。そこに、ことばというのが関わってきますので、複言語環境であれば、関わる要因が多くなって、大変な思いをすることはあるかもしれません。しかし、それは石井さんが言ったように、私たちモノリンガルであっても、年を経たり、私も足が悪くなった時になかなか受け入れられない時期があって、今現在わたし自身も再構築中です。こういうことはあるんです。「だから大丈夫」というのは無責任な言い方かもしれませんが、そうやって「アイデンティティの再構成や選び直しは、みんながやっていることなんだ」と、見守ることや手伝うことが、大事なんじゃないかなと思います。

  • 深澤:私たちは今もアイデンティティの形成中なんですよね。

ー質問2:成長過程にある子どもと大人とで新しい言語との接触で起こる反応は違わないか?

大人も子どもも常に変化の過程にある

  • 池上:成長過程にある子どもと、大人の言語との接触で起こる反応については、もちろん成長過程にありますから、違います。でも、今日の話の中でもたくさんあったように、どうやって発達過程にあることをこちらが認めて一緒に進んで行くかということです。大人も一応発達をしている途中です。生涯学習ですから、迷うことやアイデンティティの再構築が起きます。ですから、言語接触の面での言語習得という意味では違いはありますけれども、人としての成長というところでは、大人も子どもも共通点も多いんじゃないかと思います。

ー質問3:思春期の子が言語マップや言語ポートレートで自分をさらけ出すとことに抵抗はないか?

  • 池上:思春期の子どもたちのナイーブさというのは、何語をどのように使っていても同じですよね。その時に言語マップや言語ポートレートで自分をさらけ出すことに抵抗がないわけではないと思うんですが、意外と、活動だから言えることもあったり、親には出さないけれども仲間には出すとか、仲間にも親にも出さないけれども、斜めの関係の中では出すこともあります。

大切な斜めの関係f:id:jmherat:20180318180918j:image:right:w320

  • 池上:関係性は、縦:親や先生、横:友達、そこだけでは完結しなくて「斜め」というのも非常に大事で、この「斜め」というのは、親ではない大人であったり、いつも同じコミュニティーにいる友達ではない友達、であったりします。そこの中で出せることっていうのもあると思いますし、さらに、それは親と話している言葉ではない言葉、友だちと話している言葉ではない言葉が出てくる。そういう意味では今も言ったように、縦横+斜めの関係性を準備していく、作っていくことが大事だと思います。バイリンガル教室は、この斜めの関係性を上手に作っているんだなと思いました。言語マップや言語ポートレートに関しては、認識の問題ですから、事実を追求するものではないので、子どもたちが自分の言語にどういう認識を持っているのかということを表している。だからもっと言うと、抵抗感を持つことはあっても、自分の認識を出さないということもある。だからこちらは、マップを子どもたちが出してきたものとして、受け止めて、やり取りをするということが、非常に大事じゃないかと思います。今申し上げたように、複言語・複文化の環境にあるからこそ、子どもたちも非常にこの関係と格闘しながら生きていて、大変なことはたくさんあるのだろうと思います。

ー質問4:複言語・複文化の環境で、論理的な思考の能力を伸ばすのは難しいのでは?

  • 池上:そのように考えると、一つの言語に接する時間をもっともっと増やすべきという悩みが出てくるかと思うんですけれども、もちろんそういうことで一つの言語での思考力を伸ばすということも一つの方法ですけれども、「複言語・複文化の子どもだから目指すべきこと」があると思います。

ー質問5: ネイティブって何ですか?

複言語・複文化で育つ子どもに何を目指させるのか

  • 池上:今日の前半からのセッションで、私たちは「100%」を必ず子どもに目指させるのか、私たちも目指すのか、ということを考えさせられました。「ネイティブスピーカー並み」と言った時のネイティブって、誰がネイティブなんでしょうか。モノリンガルでも、しゃべるのが上手な人もいれば、言っていることがわけのわからない人もいますよね。じゃあ、誰をネイティブの規範として置いて、それを目指すことが正しいと言えるのか。そこを考えなければいけないのではないでしょうか。

ことばを育て、思考力を育てるために必要なこと

  • 池上:子どもたちにどんなことばかけをすると子どもたちの語彙力が伸びるか、という研究があります。「何々しなさい」「何々しちゃダメ」「こうだよね」という、断定的で、縦の関係性だけの声かけをしてやるグループよりも、「どうしてかな?」「どう思う?」「一緒に考えてみようか」「なんでなんだろう」という、ことばかけをされるグループの子どものほうが、語彙のテストをすると伸びてくるということがあるんです。後者の声掛けでは、子どもたちと大人が一緒に考えていって、最後には「じゃあどう思うの」と、主体性を子どもに渡してしまうんです。つまり思考力が伸びるということは、そのことばかけに対応して、子どもがものを考えることになります。ですので、複言語の環境の場合は、子どもが今どの言語に直面しているのかということを、親が色々考えながら状況を見定めて、「どの言語で」ではなく、「どういう言葉かけをしていくか」と考えて、思考力の伸びの芽を作ってあげるかを考える。そうすれば、複言語でもそんなには怖くはないんじゃないかなと思うんです。

ことばが育つのは共同作業が成り立った時

  • 石井:色々なご質問を聞いていて、ことばが育つ、ことばを学ぶ、ということを個人作業という風に思ってらっしゃる方が多いのかなと、ちょっと心配になったんですけれど、ことばが伸びるというのは間違いなく共同作業が成り立った時なんですね。誰かと関わって、そこで自分が何かを感じたとか考えたっていう時に、それをいろんな手段で表出します。そのことが相手を確認したい、相手も共同作業だと、自分の考えていることと同じかな、とか、違うのかな、ということを確認したくなる。だから、そこでことばが必要になるわけですよね。今日紹介のあった「ねこのピート」*1とか、高校の授業もやっぱり具体的なものを作っていく作業があるから、自分たちの目標が同じかとか、相手が感じていることとか思っていることは、それでいいかということを確認するという、まさに言語活動がそこで発生するわけですよね。

ー質問6:テレビはどのように見せるのが効果的か?

  • 池上:そうすると、テレビはどのように見せるのが効果的かという質問にはどう答えますか。まあ、見せっぱなしではなくてということになると思いますが。

  • 石井:さっきも、「ねこのピート」を読んでおしまいじゃなくて、それをどう自分が感じたか、それで何を連想したかを、絵でもなんでも描いてきたら、「何でこの絵かいたの?」と一言聞くだけで、それは自分がかいたものだから相手に伝えたいと、一生懸命何か伝えようとしますよね。で、うまく伝わってこなければ、「こういうこと?」「こういうこと?」と、そこで助けるというのが自然にできますよね。そのやり取りの中で自分の感じていることに適切なことばが降ってきたら、「あーそうそう、それそれ。」という風に自分の中で取り込むことができる。それはもうただの「言葉」ではなく、自分のこの気持ちに合致した、「自分の思いそのものを表すもの」と、ストンと落ちる。そういう経験を子どもとどれだけやれるかということが、映像や、動作、ダンス、なんでもいいんですけれど、そういう別の媒介もふんだんに使って、特に年齢の低いうちはやってあげるっていうことが、まさにことばの育て方になると思います。

  • 池上:テレビとかビデオとかを見せてはいけないということではなくて、見せっぱなしだとただの刺激にしかならない。その刺激に、私たち周りの者がどうやってやり取りとして関わっていけるかということが大事だと思います。

ー質問7:ダブルの子どもを育てる自信がなくなってしまいましたが…。

ダブルだから子育てが大変ということはない
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  • 石井:ダブルだから子育てが大変ということは、全然ないんじゃないかと思います。私も国際結婚で、ダブルの子どもを育ててきましたが、韓国の従妹たちと仲良くじゃれて遊んでいてもまるで言語化のない状況で育ってきた息子が、高校を目前にした時に自分が家族の中で韓国語がわからないということに気がついたようで、突然、「僕は韓国語が勉強できる高校に行きたい」と言い出して、都内にある韓国語コースがある学校に入りました。子どもというか、人というのは成長していくので、どこでどういうきっかけで切り替わるかわかりません。やっぱり、韓国語世界が、韓国語社会が、自分の近くにあったから他の言語じゃなくて韓国語をやりたいと言ってきたわけですね。学校ですから、文字の読み書きからきちっとやってくれるので、私はあっという間に抜かれました。特にずっと聞いているので発音がすごくいい。私が知らない韓国語が出てきたとき、私が一生懸命夫に、「なんとかってどういう意味?」って聞いても、「え?え?」と何回も聞き返されて、発音がわからないと言われるんですが、息子が言うと、すぐに聞き取ってもらえる。例えばそういう風に、(能力の)一発逆転なんていくらでもあります。娘は娘で、そんなに高い能力は持ってなかったんですが、仕事でできた方がいいなって思ったらしく、25くらいの時に韓国語を勉強をし直そうかなと言い出しました。

子どもたちは身につけてきたこと、得た物を考えながら次のステップの可能性を見ていく

  • 石井:つまり失敗とか成功ってどの段階で決めるのか、人の人生ここまででおしまい、って言っちゃうのは、親でも絶対ありえないと思うんですね。その人は自分の今まで経験したこと、身につけてきたこと、環境として得た物っていうのを考えながら、次のステップの可能性を見ていく。これは、学生たちを見ても、自分の子どもを見ても、ここでおしまいということも、成功・失敗なんてことも全然ないと、本当に実感しています。子どもを見ている時に周りの子と比べてしまって、同じところで線引きすると、優劣が出てきますけれど、その後どういう展開になるかは千差万別で、親であっても、この子の人生失敗なんてことは絶対言えないです。そこは自信を持っていいんじゃないか。親が楽しい。この子と一緒にいて楽しいと思う。そういう家庭であれば、もう子どもは「いい」ですよねと思います。

苦労すること、試練を受けることと、不幸とは違う

  • 鈴木:私の今日の話を聞かれて少し暗い気持ちになったということであれば、すごく責任を感じています。確かに私も心配続きでしたし、息子も苦労し、高校の時などは何度も涙を流しました。でも決して彼は、不幸な人生を送ってきたわけではないんですね。苦労すること、試練を受けることと、不幸とは違うと思います。彼は常に幸せな人生を送ってきたと私は感じますし、それは私と夫が夫婦仲がとても良くて、それで常に息子を一緒にサポートしてきた。自分には帰るところがあるんだ、何をやってもどんな失敗をしても受け入れてくれる親がいるんだ、っていう安心感があったから、彼は試練も耐えられたと思うんですね。

一番大切な人から褒めてもらうことが自信に繋がるf:id:jmherat:20180318155328j:image:right:w320

  • 鈴木:今彼はとても自信を持って生きています。もちろん100%じゃないです、3つの言語が。それでも3つの言語を自由に使って、人生を謳歌してるんですね。自信というのはやっぱり一番身近な、一番愛している人から認めてもらうことで、自信ってつくと思うんです。ですから、うちの息子は出来が悪かったですけれども、私は常に、「君は選ばれた人なんだよ」「君は世界で一番の子なんだよ」「ママは大好きだよ」と言い続けたんですね。もちろん叱ることもしました。でもちょっとでもできたら褒めたんです。「すごいね」と。それを積み重ねて、彼は自信を持てるようになったと思うんです。ですから一番大切な人から褒めてもらうということが自信に繋がるんだと思います。

  • 深澤:中には家庭に恵まれない子がいます。そういう人にとっては、先生が一番身近な嬉しい存在になるのかと思います。そこに、教育の場の可能性もあろうかと思います。

縦・横・斜めの関係に支えられる自己肯定感

  • 池上:自信というところですよね。「自己肯定感」というのがキーワードじゃないかと少し前にお話しした(当ブログ3回目の報告、「3つ目の意義−子どもの自信につながる実践:プロセスに込められている自己肯定感」)んですが、そうやって自己肯定感が作られていくということだと思うんですね。じゃあ私がどうかと言うと、ダブルの子どもを持っているわけでもなく、子どももいないんですけれども、私は2年半ほど前の手術で後遺症が残っていて足が不自由なんですね。あるとき言語化できたのが、「私は不便だけど、不幸じゃないな」って思ったんです。そういうふうに言語化したときに、なんで不幸じゃないんだろうと思って。やっぱりめっちゃ不便なんです。痛いし、動けないし。タイに来た時は深澤さん(本研究会代表)と一緒に、いろんなところに行ったりしてたんですけど、今はできない。だけど、それは不便ですけれども、不幸ではないというのは、誰かが助けてくれたり、誰かが一緒にこれをやらないかと言ってくれたり、今回ここに呼んでくださったり、お話を皆さんとしたりということができるので。つまり、「誰か」がいないと、不幸じゃないと思えなかったと思います。そういう誰かになる、これは縦の関係、斜めの関係、横の関係どこの関係でもいいから、そういう誰かになることによって、子どもは自信を持って自己肯定感を持てるんだと思います。

私たちも自己肯定感を持って

  • 池上:だから親御さんが自己肯定感を持ってなかったら、どうなるんだろうと思います。もちろん「持てる」ということは、私がスローガンのように言うことではないですけれども、今現在悩んでいる事を、どうやったらもう少し、不便でも、不幸でもない、「私はこれでいける大丈夫」「これがいいんだ」と思えるようになれるのかというところにキーがあると思います。もちろん子どもに自己肯定感を持たせることも大切ですけれども、私たちも周りの者として、どうやったら自己肯定感を持てるのか。子どもには自己肯定感を持って接していこう、というふうに考えて、そうやって行きませんか。それが多分、今日のテーマである「自信を持って」ということじゃないかなと思います。

昨年から始まった実践セミナーは96名の参加者を迎え、無事終了いたしました。当ブログでも終了報告を始め、第1部、第2部、そして、今回の全体質疑応答と報告しました。第1部は複言語・複文化活動を通じた言語能力観の捉え直し、第2部は、体験とことばを重視した言語活動実践報告、そして全体質疑応答では、参加者の質問を軸に、講師、発表者の方々からコメントいただき、複言語・複文化状況を生きていること、言語能力観の捉え直し、そして、子どもたちの自信、自己肯定感、それを支えるわたしたちの自己肯定感について、ともにより深く考える機会となったのではないかと思われます。今後も、さらに複言語・複文化の流れは大きくなることと思われますが、わたしたちはいつも、子どもたちとも大人とも、縦、横、斜めの関係で支え合っていきたいと思っています。

JMHERAT運営委員
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*1:*バイリンガル教室の活動の軸にした絵本「ねこのピート」のこと

2018-07-18

第14回セミナー「言語活動実践報告―体験とことば―」第2部 講師からのコメント

みつめよう子どもの姿、考えよう子どもの現実

 子どもを育てる、ことばを育てる
 ―複数言語環境で育つ子どもが自信を持って生きるための言語実践―

2018年3月18日に終了した第14回セミナーの3回目の報告をします。前回の報告から随分時間がたってしまいましたが、今回は、第2部の実践報告に対する講師お二人のコメントをお送りします。

2部言語活動実践報告―体験と言葉実践報告 
●インター校高等部の実践「映像から学ぶ日本語」大倉尚己(NIST International School)
●親が創る日本語教室の実践「対話を起こし、体験を繋げる幼児部の活動報告」
  ケウホワサイ美穂子・高見志津・青木有里香・番場亮・鵜野晋(バイリンガルの子どものための日本語教室)


池上先生と石井先生からのコメント

《池上先生》f:id:jmherat:20180718150035j:image:w300:right
先ほどいただいた質問(自信について※)はこの会のテーマでもありますし、日本語教育を私は専門にしていますが、日本語教育の大きなテーマでもあります。まず、実践報告の意義というのを考えながらお話できたらいいなと思います。
※前回報告の最後に書いた保護者からの質問。

実践を語る意義
このセクションでは2つの実践報告がありました。ここでは、実践を報告するということの意義について考えてみたいと思います。2つの実践はとても面白かったです。思わずもっとメモを取ればよかったと後悔しながら一生懸命見てしまったんですが。特徴も対象も方法も違う実践が2つ並んだと思います。私たちはその実践を見る時には、どんな状況でどんな対象にどんな内容をどんな方法で行ったのか、というのを見ていくんですが、そしてさらにその結果はどうだったのかということも考えると思います。その結果はどうだったのかというのは、例えばNISTの大倉先生の資料にはクライテリア(評価基準)も載っていました。評価をするということももちろん必要になってくると思いますが、もうひとつ大きいのは、実践そのものが実践者である私たちと、それから一緒に実践を行った子ども達、その双方にどういう影響を及ぼしたのかというのを見ていく必要があると思います。それが実践の目的や意義ということにつながっていきます。

大倉先生の実践−どう理解させるかではなく、一緒に解釈し一緒に再構築し表現につなげる実践
NISTの大倉先生の実践は私には絶対作れない凄い映像だなと思って楽しく見ました。大事なことはスキーマを子どもたちが共有しているのかということをまず確認しながら、もし、していないとしたら支援者はどうするかということを考えていく「読み」を中心にすえた実践なのかと思います。ただしやっぱり文学作品を扱うということにどういう重き、意味を持たせるかということがとても大事になっていて、それはテキストというものを解釈するということをどうやって(子どもたちが)一緒にやっていけるかということを考える、そういう実践だというふうに私は意味付けました。つまり日本語で書いた文章というものをどうやって理解させるかとか、どうやって読み解くかリコードするかという話ではないんですね。テキストというものが持っている意味世界をどうやって子ども達が解釈をして、それをどうやって再構築して表現につなげていけるかということをなさっていたと思います。

バイリンガル教室の実践―複言語・複文化理念の実践
一方でバイリンガル教室の可愛らしい実践は本当にその場にいたかったですね。映像をもっと見せてほしいと思いながら見たんですけれども。明確な教室目標がありまして、そこでは親が作る教室、そこにある資源というものを非常に十分に活かして活動のデザインを行っているということが伝わってきたと思います。今日のテーマでもありますが、複言語環境で育つ子ども達が、(バイリンガル教室という名前がついていますけれども、)複言語・複文化の子どもたちがどうやって育っていくのかということを複言語・複文化の理念によって行なっている、そういう実践だと思います。NISTの実践はテキストをどう読み解くかではなく、読んでどう解釈するかというコアな内容だったと思いますが、バイリンガル教室の方では、小さな子ども達ですから絵本を媒材に持ってきて、(NISTで中心になった)読むという活動で言えば、読み聞かせという活動を持ってくるという構成がされていました。
さらにそこでは工作、ダンスや歌という子ども達の体を使った実体験を積ませていって、絵本の意味世界に、そこに何が展開されているかというのを伝えていく。説明にもありましたけれども、一言一句よりも、そこで何が言われているのか、世界として展開されているのかをやり取りを重視しながら意味として子ども達がとらえられるようにやっているということがありました。
そういうふうに考えていくと、対象も違いますし出てきているプロダクツというものも全く違う実践ですが、随分共通して言える意義というのがあるのではないかという風に思いました。

2つの実践に共通する3つの意義
・1つ目の意義―ことばと体験をつなぐ活動
私なりに3つ考えてみたんですけれども、1つはことばと体験をつなぐ活動をやっています。2つの実践は。言葉を体験をベースに考えたり発展させたりすること、それを表現として表す、そういう活動になっているということです。その中で言葉が深まっていくということもありますし、私は日本語教師なので言葉の教師ですからつい、発信、表現と言うと、ターゲットになっている言葉、日本語であれば日本語で、出さなければいけないとか日本語で書かなければいけないというふうに考えてしまいがちですが、表現というのはどんなものであっても構わない。その表現を作っていくプロセスに言葉のやり取りが深く深く埋め込まれているはずだと実践を見て思いました。2つの実践はそういう実践になっている。それが1つ目の意義です。

・2つ目の意義−子ども達が持つ資源を総動員させた表現活動
2つ目の意義ですが、そういうところに子ども達生徒たちを導くために、子ども学習者の持っているリソース資源、日本語だけではなくて例えばITリテラシーであったり音楽のセンスであったり、ああいった意味解釈ができるだけの、そこまでに色々なものを見てきたり感じてきたり体験したりしてきた経験というものも子供達の資源。そういったものを総動員させて表現させているというところです。子ども達幼児の場合はそれが工作の時の手作業であったり歌やダンスであったりという表現方法になっているんじゃないかと思いました。

・3つ目の意義−子どもの自信につながる実践:プロセスに込められている自己肯定感
3つ目については、プロダクツというものを作品を創作するというプロセスにおいていったいぜんたい、込められているものは何なのか、それを私たちがじっくり考えると、どういう風なことを行っていけば子供が自信を持てるか。私はキーワードは自己肯定感だと思います、自己肯定感を持って言語活動や、もっと言うと言語生活、言語世界の中で自分として生きる、活動していけるかというところに繋がっていくという風に思っています。それをこちらの方で豊かな言葉のやり取りがあるということを見てあげて、それを引き出していくというのを支援として構築できればいいのではないか。

支援する側の意図を超えたものが出てくる実践の意味
まさに2つの実践は、全く違う実践というように見えるかもしれませんが、実践というのはそれをそのまま行うことに意義があるのではなく、いったんその実践の意味は何だろうと私たちが考えて、その意味について今度は自分の目の前の子どもにどうやって具体的な展開に持っていけるのかを考えることになると思いますので、そのプロセスに込められているものは何かということを考えていくことがそこにつながる、そういう実践であったと思います。ここは実は質問したかったところでもあるんですが、映像作品を生徒たちが作ってきた時に先生の想定を超えるものだったんじゃないかなどうでしょうか。(大倉:「はい」)そうですよね、教師、支援をする側の意図や想定を超えるものが出てくる。「ねこのピート」の方もそうじゃないかと思います。あと宿題の自由スペースに書いてくることも、多分私たちの宿題のイメージとか、教室と家庭をつなぐと言った時に家庭でどんなことが言葉のやり取りが行われているんだろうと思った時の想定の域を軽々超える物を子ども達が紡ぎ出しているということがわかりましたし、そういうことができる実践を組んで行ければ価値があるかなと思います。

実践を語る意味・聞く意味
実践報告をまずするということ、その意味は自分の実践を振り返って、今私は私の視点で意味づけをしましたけれども、なさった実践者が意味づけをして、今度はそれを報告するわけですから、実践を共有していない者に私たちに届くようにどうやったら表現ができるのかということを考える。そして私たち聞く側は、それはうちの子どもは歳が違うからできないとか、うちの学校はその設備がないからできないとか、クラスサイズが違うから無理だねとか、もちろん個別具体はそうなんですがそうではなくて、その実践の意義というものをとらえ、その意義をどうやったら現実にできるのかということを見ることによって、自分の実践を開いていく、そして実践を行っていくことで、実践報告を行ったり聞いたりするということの意味づけを一緒に行っていければいいのではないかと思いました。こういうことを考えることができる実践報告をバンコクに来てまた聞くことができて私は本当に幸せだなぁと思っています。ありがとうございました。



《石井先生》
f:id:jmherat:20180718150031j:image:w300:right解釈のプロセスがある素晴らしさー2つの実践に共通するもの
両方ともすごく魅力的な活動で、最初に思ったのは私高校の授業でああいう授業を受けられたらどんなによかったかなと。私実は高校の時に現国の先生と大喧嘩をしたことがあって、文学作品を読んだ時にこういう解釈だと言われたんですね。で私はそうは読まないんだけどということをでもこういう風にも考えられるんじゃないかって言ったら、多分先生としてはこう読ませなきゃいけないというゴールがあったみたいで、そこで大喧嘩をしました。まさにある素材をどう解釈しているのかということを互いに吟味ができるそのプロセスがあるということの素晴らしさを強く感じました。おそらくそのことはバイリンガル教室の実践とも非常に重なるものだと、やっている事柄とか扱う素材のレベルは違っても本質的に非常に近いことをやってらっしゃるなと思って考えていました。

ことばをとりこむプロセス
ひとつは言葉というものを自分の中に取り込んでいくプロセスというものは非常に抽象的なことで、例えば親が子どもを見ていてもこの子が分かったかどうかというのは本当はよくわからない。実際に誰かが言ったことがその子にわかったかというようなことというのは頭の中身開けて見るわけにもいかないですし、わかったような顔をしていてもどう分かったのかというのがわからない。2つの実践、実際に映像化するあるいは絵本を読んでそれから湧いた自分の書きたいことを書いていくとか、そういう、受け止めたことを自分がそれをもとにしてプロダクトとして出すという循環にその人が受け止めた言葉あるいは物語とかそういったもののどこをまず取り出したのか。そしてそれについてどういう解釈をしたのかというのが具体的な形で出ていくので、他の人がそのことにコメントできるんですね。「わかりましたか」「はい、わかりました」というやりとりほど無意味なやり取りはない。でも意外と教育の場であるいは親子間でも、「わかった?」というような確認ということをするわけですけれども、でもそのわかったということに中にもどうわかったのか、おそらく同じものを見て考えた人達はそれぞれに「わかった」と思うけれどもそこにはいろんな違いがある。それが具体の形になった瞬間に今度は初めの素材についてもそうですしその解釈についてもお互いが吟味できるというその素材が提供される。それが特に今回の絵で表すとか自分で好きなものを書いてくるというようなそういう作業の中では、言葉のいわゆる日本語力の優劣というものを越えて、自分なりに受け止めたことを表現するとそこで他の人たちが本気で相対するという素材が別の手段で言葉だけじゃなくて出てくるそこがすごく大きい。

100%の力ってなんだろう
それからさっき質問のところで(子どもさんの)日本語が100パーセントじゃないし何も100%じゃないしという言葉があったんですけれど。100%の力っていうのはどんな力なのでしょう。誰もが少しずつ違う力を持っているわけですね。日本語ネイティブでも。例えばここで育ってらっしゃる複数の言語に囲まれている人達は日本語で経験したことは、日本社会でどっぷり日本語につかって日本文化の中でいろんな経験をした人とは比べると量的に少ないかもしれない、知らないこともあるかもしれないけれども、逆に別の言語で日本では経験できないようなこととかを持っているわけですよね。そのことが映像とかそういった別のメディアを使って表現するという段階で、例えば日本語で読んで、日本語を中心に獲得したことで表現するということが基本にはなるかもしれませんが、間違いなくそのことだけではなくて別の言語で別の作品を読んだり映画とかそういったものに触れたり、別の言語で持ってきた財産をそれを解釈する時に使ってるはずなんですね。

解釈のプロセスで育つことば−背景の多様さは解釈の多様さ
こういう描写はこういう意味になるという風になってしまいそうな部分が、その子たちのバックグラウンドが多様であるからこそ、日本人がそれを読んだ時にこんな風になってくるって統一的になっちゃいそうなところを、非常にいろんな角度からいろんな切り口で提示される。そういったものが生まれてくる魅力があるという風に思いました。同じようにバイリンガル教室の方も子ども達が何を捉えたかということが周りの人達によくわかって、そこに新たな刺激が反応として現れる、そういうことこそがまさに言葉を理解していくということ。

解釈されることでことばになる
言葉が切り取られ、自分の実体験と違うところで提示されて覚えなさいと言われた言葉と違って、一生懸命自分が表現したことを自分の言葉では言えなかったけれども絵としてかいたことを、これはこうなんだねという風に言ってくれると、そういう言葉で自分のこの気持ち自分のかいた絵が解釈されるということで実感になる。多分両方とも同じことが起こっているんだと思います。

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池上先生と石井先生から2つの実践のコメントをいただきました。実践のコメントの中で、本セミナーのテーマでもある自信を持つことについても触れられていましたが、子どもの資源を生かし、やり取りや映像化の表現のプロセスを共有し、解釈していくこと。そういう関わり方をしていく教師、仲間、大人がいるということが子どもの自信を育てる実践(教育実践、子育て実践)なのではないかと思いました。この回は実践を語る意義についてもお話がありました。実践するだけでなく、実践を語り、意味づけ、共有することが次の実践を生むことを改めて考えました。

タイにおける母語・継承語としての日本語教育研究会(JMHERAT)
運営委員