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2004-10-19

[]長谷川三千子 「民主主義とは何なのか」

  文春新書 2001年9月20日初版


 この本は、小谷野敦氏の何かの本で紹介されていて読む気になったのだが、小谷野氏のどの本だかはわからなくなってしまった。

 長谷川氏は保守派論客ということらしいのだが、長谷川氏のものの見方考え方については、小谷野氏の「男であることの困難」(新曜社1997年)に収められた「お見合いをする女の美しさ」で論じられている長谷川氏の「やまとごころと『細雪』」という論にはっきりと現れている。

 わたくしは「細雪」も「「やまとごころと『細雪』」も読んでいない。それにもかかわらず、ここから長谷川氏のことを論じるのは無茶であるが、あえてそれをしてみる。

 そこで「恋愛」などというものは、「キリスト教徒」である西洋人には必要なものであっても、日本人には必要のないものであり、それは日本人としてあるべきことであり、それが日本人の幸福である、ということが論じられているらしい。谷崎はその美しさを描いたのであると。要するに「大人」とか「成熟」というのが長谷川氏のキーワードなのであると小谷野氏はいう。

 西洋人は子供で成熟しておらずだから恋愛などという馬鹿なことをする。日本人は成熟した大人だから、恋愛なんかしないで見合いで結婚するのだ、という論理。当然これは、最近の日本人が恋愛に浮かれているのは悪しき西洋受容によって幼稚化し未熟になっているからだという議論につながる。これは倉橋由美子氏がかって書いていたことを思い出させる。たとえば「わたしのなかのかれへ」(1970年)に収められた「修身の町」。「わたくしはいわゆる「フリーセックス」的な考えかたに何の共感ももたぬばかりか、そういう考えかたを大まじめに鼓吹していらっしゃるかたを拝見しますと、まあこのかたはいい年をした大人のくせに子どもみたいなことばかりおっしゃって、と情けないような気分になるのであります。」 いまから35年ほど前に書かれたこの文章を当時22〜23歳ごろのわたくしは、そうだそうだと思って読んでいたのである。自分は子供じゃないぞ、大人だぞと思っていたのである。なんといやな子供だったんだろう。

 ここでの長谷川氏や倉橋氏の議論がおかしいのは、非常に安易な二項対立を持ち出す点である。恋愛対見合い、フリーセックス対日本的家族制度、西洋対日本。

 しかし、小谷野氏は「細雪」の美しさは「戦前」という時代の中産階級の生活の美しさであって、日本固有の美しさではないという。ちょうどフォースターやウォーの小説に書かれたイギリスのように。

 しかし、小谷野は長谷川が本当にいいたかったことは、日本がフランスや米国をまねて過度の個人主義、過度の性の解放、結婚制度の懐疑にまでつきすすむべきではないということではなかったかという。そしてそうであれば正しいと。しかし、それは西洋・ヨーロッパの問題ではなく、近代の問題ではないかと。つまり長谷川氏は本当は日本の側にたち、西洋に反対しているのではなく、近代というものに反対しているのではないかと。そうであるならば、近代=子供・未成熟なのである。

 ということで、ようやく「民主主義とは何なのか」である。ここで、長谷川氏は民主主義に反対するのであるが、それは民主主義が何よりも近代の根幹をなすものであり、それがまるで子供じみた制度であり、近代がこどもじみた時代だからなのである。

 フランス革命がいかに野蛮なものであったか、その結果いかに民主主義という言葉がいかがわしいものであるとされてきたか。それにもかかわらず、現在民主主義という言葉が現在プラスのイメージをもっているのは、第一次世界大戦をドイツの軍国主義に対する、民主主義国の戦いであると英仏の指導者が宣伝したことに由来する、といった説明はきわめて説得的である。ナチズムは民主主義から生まれたというのもそのとおりであろう。

 それでは、民主主義に対抗するものとして長谷川氏が持ち出すものは何か? それは伝統であり、それによって培われた共同体なのである。

 長谷川氏の批判は鋭い。しかし、あるのは批判だけである。もともと保守主義というのは、世の中の動きをなるべく遅くしていこうという行き方なのであろう。なるべくドラスティックな動きは回避していこうという主張なのであろう。そのことによりなるべく連続性を保っていく、それが保守の思想なのあろう。しかし、明治維新と敗戦という非常に大きな断裂を経験した日本において、それを主張することにどれほどの説得力があるだろうかと思う。

 30年前、わたくしは、長谷川氏のようなことを考えていたなあと思う。今、別に左になったとは思わないけれど、近代化というものも以前よりもずっと肯定的にとらえるようになってきたなあと思う。となれば、方向は共同体から個人へである。個人などというものに信をおくのは、人間の限界を知らない子供じみた傲慢であるというようなことが、長谷川氏からかえってきそうである。

 20歳ごろのわたくしは、おとなぶった子供であったのだと思う。今、子供的な大人になれてきているのかどうか、それは自分ではなんともいえないことであるが・・・。


(2006年5月7日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)


民主主義とは何なのか (文春新書)

民主主義とは何なのか (文春新書)


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