奥村康「「不良」長寿のすすめ」(1)

   宝島社新書 2009年1月
   
 著者の奥村氏は免疫学者。臨床家ではないので、かえって制約がない分、臨床についていいたいことがいえることになり、それで「この本では羽目を外させていただきました」といっている。普段生きている世界なら当然である厳密な統計を用いる学問的手続きを経ていない話であることを、著者がよくわかっている。であるから、つっこみどころはいろいろある話となっている。(以下の【  】内はわたくしのつっこみである。)
 本書の主張は、「生命力とは免疫力である。なかでもナチュラル・キラー細胞(以下、NK細胞)が重要である。われわれの体のなかでは平均して一日5千個ほどの癌細胞ができている。だが、それはNK細胞によって制御される。NK細胞が活発であるためには、まじめをやめ、明るくマイペースな、少々不良になることである」というものである。
 今、日本で早死にしやすいのは「一部上場企業のまじめな部長」だと、生命保険会社のひとがいっているのだそうである。こういうひとは勤めをやめると7・8年で死ぬひとが多い。役員になった人の方が長生きであるとのことである。
 なぜ、そうなるのか「強いストレスが続くと、NK細胞活性が衰えるから」であるという。ストレスが多くて交感神経が緊張するとリンパ球が減り、リラックスして副交感神経が優位になるとリンパ球が増える。
 ごく簡単な免疫力のバロメーターとして用いることができるのが、風邪にかかりやすいかどうか? 風邪のウイルスに感染したからといってみな発症するわけではない、発病する人は免疫力が弱い。
 長寿の代表的な職業といえばお坊さんなのだそうである。お坊さんほどおおらかで、遊び人の多い職業はないのだそうである。
 21世紀の医学は「心の世紀」になるだろうという。身体に気をつけるだけでは無理だということがわかってきたから。西洋医学は、症状に働きかける医学としては非常に優れていて「切った貼った」の対症療法は得意だが、心や精神の問題は二の次にしてきた。この問題を科学的に立証することはとても難しいから。
 1965年の日本人の喫煙率は男性82.3%、現在は45.8%。しかし肺癌の死亡者数はその頃の5倍になっている。なぜ? 胃癌が減り、大腸癌が増えてきているといっても、肺癌の増加率はそれをはるかにしのぐ急激な増加である。また少なくとも10年前までは先進国の中で、喫煙後進国といわれるほどタバコを吸うひとが多かったが、ここ20年以上、世界有数の長寿国である。なぜ? 世界中にひろがる「タバコ狩り」は常軌を逸している。無理な禁煙はストレスを増し、かえって健康を損ねるのではないか? 少なくとも、潰瘍性大腸炎うつ病アルツハイマー病にはニコチンが効く。【現在の「タバコ狩り」が常軌を逸しているとすることはまったく同感であるが、日本人が長寿になったからこそ、癌死が増えてきているという側面はあるであろう。坪野吉孝氏の「「がん」は予防できる」によれば、癌への寄与率は「食事」が30%、「たばこ」が30%である。胃癌が減り大腸癌が増えているのは明らかに「食事」の影響であろう。タバコは肺癌ばかりがいわれるが、咽頭の癌とか食道癌では肺癌などとは比べものにならないほど疫学的にタバコとの相関が高い。つまり非喫煙者と喫煙者で明らかに喫煙者に食道癌などが多いという疫学的事実と、喫煙者が減っているにもかかわらず、タバコ関連癌といわれているものが増えているという相互に矛盾する二つの疫学事実があるわけである。タバコ派と反タバコ派がお互いに自分の都合のいい統計的な事実だけをとりあげてお互いを罵りあうというのは不毛なことであると思う。肺癌の大きな原因としてタバコがあるが、それ以外に現在いわれていない大きな原因(排気ガス?)もあるのだぞというのが、常識的な結論なのではないだろうか?】
 笑いは免疫力アップのための最良の方法の一つである。ここで著者はジェームズ=ランゲ説(悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのである)に依拠して、形だけの笑顔を笑い声でも有効であるという。【この説は、ある状況はまず身体にさまざまな反応を引きおこし、その変化を大脳が感じとって、ああ自分は悲しいのかと気づく、というものではないかと思う。その身体の変化のもととしては交感神経やさまざまなホルモンなどが関与していると思う。そういう交感神経やホルモンの変化なしに、笑いという筋肉の形だけつくっても有効なものなのだろうか?】
 熱中もまた免疫力を活性化されるという。【熱中はどちらかというと交感神経を活発化させるということはないだろうか?】
 日本人はまじめだから癌が死因のトップになるのではないか?、と。【でもそれなら日本人が長寿なのはなぜ?】
 癌を宣告された場合、徹底的に戦うひとのほうが、宣告で落ち込んでしまったひとよりずっと生存率が長かったと。【徹底的に戦うのもまたストレスフルでは? いつも戦いっぱなしではいけないと著者はいうが・・】
 金と権力への執着も大事と。【それも交感神経を活発にしないだろうか?】
 年をとっても異性にドキドキするひとほど死亡率が低いと。脳からでる快楽物質が免疫系も強化するという説があるそうである。【これまた交感神経にとってはどうなのだろうか? ドキドキとはまさに交感神経の活発化ではないのだろうか?】
 著者がいうには、とにかく「脳が喜ぶこと」をするのがNK細胞活性化にいいのだそうである。くよくよせずに開き直れという。だからぬるま湯生活は駄目で、仕事も大事。ただ仕事も自分がしていると思うかさせられていると思うかでまるで違うのだ、と。
 笑いも熱中も異性にドキドキも『脳が喜んでいる』状況と結びつくならば善しとされるのであろう。問題はこういう議論をすると、熱中は短命と結びつくなどという事実が示されたとしても、その熱中は脳が喜ばない熱中なのだといった正当化が容易にされてしまうことである。この話が学問となりにくいのは、ストレスはなかなか数値化できないからである。コレステロール値や血圧は数値ででるから、そこから統計をとって学問風な議論をしていくことが容易である。ストレスを低下させる薬はあるにしても、降圧剤やコレステロール改善剤のようには薬を使った場合の効果の判定が容易でない。著者はもともとストレスの分野の専門家ではないわけだから、いきおい議論は大雑把なものとなる。しかしここでは厳密な学問的検証が目指されているわけではないから、著者の理論の大きな方向について考えればいいのであろう。
 
 わたくしがこの本を読んで思ったのは、この説といわゆる格差医学といわれる分野が結びつくのではないかということである。有名なホワイト・ホール・スタディでは、地位の低い者の死亡率は地位が高いものよりも有意に高い。これは公衆衛生学的な事実の提示であって、このことの説明はさまざまに考えられる。地位が高いものは収入も多く、健康維持に対して投資ができるのではないかとか、うまい物も食っているほうが長生きできるのではないかとか(うまい物を食っていると早死にするという粗食推進派もいるわけではあるが)。しかしもっとも素直な説明は地位が高いもののほうがストレスが少ないということなのではないだろうか? 本書でいえば、仕事を自分がしていると思うか、させられていると思うか、である。もっといえば自分が人生を支配していると感じるか、人に自分の人生を支配されていると思うか、かもしれない。それがNK細胞活性という生物学的指標を介してむすびつく可能性はありそうな気がする。
 もう一つはいわゆる進化医学との関連である。以下の議論はほとんどがハンフリーの「獲得と喪失」におけるプラシーボ効果についての説に依拠するのであるが、ハンフリーは免疫作用因子(抗体など)の生産は非常に大量の代謝エネルギーを必要とする過程であることを強調する。大きな免疫反応により今日備蓄された免疫作用因子を消費してしまえば、明日は無防備になってしまう。どの状況において免疫作用因子を使っていいかの判断が死活的に重要になる。今自分が安全であると思っている個体は備蓄を躊躇なく使うであろう。しかし、未来に不安があると思うものは、それを使わず、結果的には、そのために今存在する危機に無防備になってしまう、それがプラシーボ効果のもとなのではないか、というのがハンフリーの仮説である。偽薬は安心感をあたえ、免疫反応を十分に遂行させる。
 奥村氏が産生側から説明するものを、ハンフリーは消費の側から説明していることになる。ハンフリーの説を読んだときは大変に驚き、かつ納得したのであるが、ひとつだけ疑問に感じたのは、安心感・安全感があると免疫反応がスムーズに進行するメカニズムの説明が難しいのではないかということである。その点、奥村氏の説明の方が理解しやすい。安心感があれば現在使用可能な代謝エネルギーを免疫作用因子産生にふりむけることは理にかなっている。
 結局は経済学の原理に帰着するのであろう。フリー・ランチはない、資源は有限であるということで、あれもこれもはなく、あれかこれかの選択になるということである。今をとるか未来をとるか? 未来のもっと大きな試練に備えて現在の防衛を手薄にしていると、未来の大きな出来事によってではなく、現在ある小さいと思えることによってダメージをうけてしまう、それが短命につながるということなのではないだろうか?
 
 以下、著者が薦める不良長寿の実践篇。
 1)仲間とであるけ!:
 まず仲間が多くいることが大事と。弱音がはけ、一緒に騒いだり呑んだり憂さ晴らしをしたりできる相手や場所をできるだけ多くもつことが大事と。明るく前向きな人間関係が大事と。
 ここを読んで上野千鶴子氏の「男おひとりさま道」を思いだした。氏は「カネ持ちより、人持ち」という。「“ユル友”ネットワークをつくる」ともいう。なにしろ上野氏は「コミュニケーション・スキルを磨け」などといやなことをいう人で、コミュケーション形成には絶対の自信をもっているひとなのである。しかし人間関係が苦手、人と一緒にいるだけでも疲れる。集団の中にいると早く一人になりたくなるというひともたくさんいるだろうと思う。上野氏などは、そういう人間は勝手に独りで死んでいけ!、と思っているのではないかと邪推するが、とにかくひととコミュニケーションをとることがストレスであるという人間もいるのである。
 2)女をつくれ!:
 こういうことを書いている以上、奥村氏は読者として男を想定してのである。男性はそばに女っ気がないとあっという間に死んでしまうという。もしも一人になってしまったら、男は命がけで女友達をさがせ!、と。語学教室、料理教室、旅行、ダンス、カラオケ、プール、カルチャーセンターにいけと。恋人ではなくてもお茶を一緒に飲んでくれる異性がいるだけでいい、と。さて女性はダンナがいないほうが長生きする。そばに男がいるとストレスである。これまた上野さんが同じようなことを言っている。一人になった男はなるべく多くの女友達をつくれ、しかし一人と深入りはするな!、と。
 3)笑え!:
 カズンズの「笑いと治癒力」などの割合まじめな話。
 4)うしみつどきは暴れない:
 不規則な生活と夜更かしはするな、と。でもそれでは不良じゃないじゃないかという気がする。規則的な生活がストレスになるひとはどうしたらいいのだろう。
 5)能天気になれ!:
 なれったってなれるものではないような気がするが・・。
 6)ほどよく食べろ!:
 ほどよくというのが気にいらない。腹一杯食べるのが幸せというひとはどうしたらいいのだろうか? ほどよくというのがストレスになるひとは多いと思う。
 7)ちんたら運動しろ!:
 ちんたらというのは中途半端な気がする。どうせなら運動は一切しないというほうがいさぎよいのではないだろうか?
 ということで、著者の提言は意外と穏当で真っ当なものである。とても不良とはいえない。不良という以上は、一匹狼で付和雷同せず、女出入りに明け暮れ、苦み走った顔をして笑わず、酒を浴びるように呑み、皇居の周りを走っているひとをみて、バカ!、そんなにまでして長生きしたいのか!、とつぶやくというようなのが本物だと思う。
 だから「不良」長寿のすすめ、とはいっても大不良ではなく、小不良、かわいい不良である。だが、どうせなら嵐山光三郎氏の「「不良中年」は楽しい」のような立派な大不良になりたいものである。
 さて、本は「コレステロールは300までほうっておけ!」といったいささか学問的な方に進んでいくので、それは稿を変えてみてみることとしたい。
 著者は普段はデカルトの弟子として研究生活をおくっているのだろうと思う。物理学と数学を基本とする世界である。だが、物理と数学で人間のことが本当にわかるかというのが問題である。だから著者はこういう本を書く。
 17世紀以降、西洋は基本的にデカルトを規範としてやってきた。しかし、何だか変と思うひともまた多いらしい。太平洋戦争での大和魂などというのも、デカルトなんか大嫌いだ!、ということかもしれないし、今のイスラム世界の西欧世界への反撥もまた反デカルトなのかもしれない。
 科学をやる人間はデカルトの弟子たらざるをえない。しかし・・、なのである。それだけでいいのだろうかという思いがどこからかわきあがってくる。そこで、デカルトの武器で「こころ」の世界に乗り込んでいこうとする。《21世紀の医学は「心の世紀」になるだろう》というのは、心が物質に影響するということを、オカルトではなく、デカルトの流儀で解き明かせるようになるという希望のことなのである。
 

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